>>123
私(でこすけ)は、「私」なるものが本当に存在するのかどうかは
保留するべきだと考えます。
そこで当初「何かが考えている、故に何かが存在している」
と表現してきました。
最近は「存在」という表現が微妙な印象を持っています。
「私」は「在る」というよりも「現れている」というニュアンスのような
気がしています。
これは「世界」も同様で、世界も「在る」というよりも「現れている」
という方がニュアンス的にいいかんじのような気がする、
それは単に私(でこすけ)の中で「存在」がゲシュタルト崩壊してしまった
というだけのことなのかもしれませんが。