以前ゲノム計画という、遺伝子を全部解明しようみたいなはなしがあって、
そして失敗だったということを聞いたことがあります。
しかしそれが失敗するであろうことは1980年代にすでに予測されていました。
DNAは記録媒体にすぎず、
例えば光ディスクを調べただけではそこに載っているのが映像情報なのか音声情報なのかさえわからない、
つまり再生装置とセットで研究しなければ意味がないということになるわけです。
ところがDNAの再生装置が解明されている印象がありません。
私は今世紀に入ってからはほとんど生物学を勉強していませんけど、
小保方晴子みたいなことがあったということは、そういうことだろうと察します。

さて、DNAをコントロールするシステムは精神的な現象を考慮せずに解明可能なのか、
あるいは進化が突然変異のような偶然の連鎖であるならば自然界にもっと失敗作があっていいような気がするけれども、
つまり進化に必然性を与えているものは精神云々を考慮せずに可能なのか、
例えばゴルフで偶然だけに頼っていたら永遠にカップインはしないでしょう、
それを望んでそれを目指すからホールインワンもある、
つまり不思議なほど巧妙にできている生体は望んだからこそ獲得された
と考えておくのが知られている限りでは一番自然な解釈のように思えます。

ここで、その精神的現象を物質的な現象のバリエーションと考えるのはアリ
だとも思いますけど、
私としては素粒子の振る舞い(あくまでも認識上の)に精神的なもの(原始的な)の関与がある可能性を摸索したい、
つまりニュアンス的には唯物論より唯心論の方が妥当なのではないか
というお話です。