わたしは、すべての哲学的問いは、(主観的)確率1であるという制約によって解決されるとw
これのみを公理とすることで無矛盾性を維持できると考え始めています。
ま、主観の呪縛を考えれば主観的無矛盾にすぎないかもしれませんけどねぇ。