私の理解では、時計さんが想定している物質は、例えば椅子とか本とかです。
しかしそれは私にとっては物質ではないというお話です。

椅子や本というのは硬かったり柔らかかったり冷たかったり温かかったり
クオリアつまり精神的なものとして現れていて
私の印象では物質そのものではありません。
私が想定している物質というのは、すなわち椅子や本が意識に現れているとき、
それらはどのような仕組みで現れるのか、
ここでたぶん一般的に想定されるのが物質です。
精神とは異なる実態としての物質が意識の外側に実在し、
そのような物質として存在している椅子や本が意識の内側に反映されている
というのが普通の考え方だろうと思います。
私が想定しているのはつまりそのようにして意識の外側に存在している
とされているもののことなのです。
そして私はそのようなものの実在については懐疑的だという展開です。

ただ、この話は今までにも度々してきました。
それでも時計さんは「物質は存在する」とその都度「反論」されます。
私としては「時計さんが言う意味ではそのとおり」を繰り返すばかりです。
あるいは時計さんからすれば、私が想定している物質も
結局は時計さんが想定しているものと同じということでしょうか、
確かに「意識の外側に存在するとされているもの」という概念自体は意識の内側ですけど、
単純素朴に「意識の外側に物質は存在しない」は時計さん的には
あるいは言わば問題自体があり得ないのでしょうか。