せっかくなので、私が考えた「真理」についてもまとめさせていただきます。
ただし甚だ抽象的なことになりそうです。

私はこの世界の一部として存在している、
このことを私は「お釈迦様の掌の中」と表現しました。
その中を飛び回っていると、何やら隠された真理がある気がします。
そして実際に、その中で成立している何かがあるでしょう、
たとえば大大統一理論はいつか完成する気がします。
しかし、ただしこちら側からの眺めながら、
掌の外にはそのようなものがある気がしない、
それはたとえば宇宙は大大統一理論に基づいて成立したわけではない、
運動の三法則であれ光速度不変の法則であれ
宇宙の生成はそのような法則を成立させるために調整されたわけではない、
人間はそのようなものを見出そうとするけれども、
そして見つかるだろうけれども、
本来世界の生成には何の道理も因果もない、
ただその中にいて、そしてそのようにしてある私たちには、
何かがあるような気がしてならない、
しかしそれは錯覚だろうというのが私の印象です。
意識は意味(統一原理)として成立しているから
何かにつけて意味を見出そうとする、
しかし意味は予めあったものではないないと私は考えます。
私たちは真理があると感じるようにできているということです。

なお「精神的実態はどのようにして生成されるのか」
これについても本来の道理はないだろういうのが私の結論です。