「真理」というのは「その場の雰囲気」みたいな仕組みのもの
のような気がしています。
たとえばみんなで居酒屋に行って唐揚げの大盛りを注文したとしましょう。
すると得てして最後の一個には誰も手をつけません、
暗黙のうちに譲り合いが始まるのです。
みんなで申し合わせたわけでもなく、つまり「その場の雰囲気」です。
「その場の雰囲気」はひとりでは成立しませんし、
ひとりくらいなら欠けても成立するだろうけれども、
ある程度の人数が集まらないと成立しない気もします。

誰もいないところには真理も無い

その場の雰囲気は人間の行動いわゆる物質的運動を規制します。
私はそのようなものを十把一絡げに「見えざる手」と表現していますが、
世界秩序は自立分散型で成立しているということになるかと思います。