>>586
> 私はこの世界の一部として存在している、
> このことを私は「お釈迦様の掌の中」と表現しました。

お釈迦様=仮想 掌の中=世界ということでしょう仮想していると、何やら仮想以外に本当の世界ある気がすると。

> そして実際に、その中で成立している何かがあるでしょう

まず、代々統一理論の前に仮想を成立させる現実があります

> しかし、ただしこちら側からの眺めながら、
> 掌の外にはそのようなものがある気がしない

お釈迦様の掌の中は仮想世界だから、ある気がしないではなくてないですね、お釈迦様の掌の世界=あなたの感じる世界なので
その中では外という感じも中という感じも中のストーリー。

> それはたとえば宇宙は大大統一理論に基づいて成立したわけではない、

確かに。

> 運動の三法則であれ光速度不変の法則であれ
> 宇宙の生成はそのような法則を成立させるために調整されたわけではない、
> 人間はそのようなものを見出そうとするけれども、
> そして見つかるだろうけれども、
> 本来世界の生成には何の道理も因果もない、

まとめ一行目を思い出しましょう、本来あなたは世界の一部でした、本来世界の生成の因果の過程に
あなたが生成され地球に誕生したあなたが現実にお釈迦様の掌の中という仮想世界のストーリーを意識した
世界観は本来世界の道理も因果もなしには決して成立しない。
つづく