>>714
人間は本能的に、たとえば「喜びを皆んなと分かち合いたい」
みたいな感情を持つものだと思います。
時計さんにもたとえば「年老いた親に美味しいものを食べさせてあげたい」
みたいなことはあるだろうと察します。
ここで私には「大丈夫、親さんも本当に美味しいと思って食べてますよ」
ということを言うことはできますが、
時計さんがそれで納得がいくかどうかはまた別です。
ところが先日の動画によると、時計さんの脳に電磁波を当てると
時計さんも他者の意識を意識するようになるかもしれない、
親さんが美味しそうに食べているのを見て納得が行くようになるかもしれない
ということがあり得るということです。
一方で昔の人は木々や石くれや大地や海や空などに
何らかの意識的なものを感じていたかもしれないながら、
私にはそれを感じることはできません
(私に電磁波を当てると石に意識を感じたり或いは他者に意識を感じなくなったりするかもしれない)。
私には私の個人的な感覚があって、それでもことさらな問題は無いように、
他者に意識を感じないこともことさらな問題は無いかもしれません。
ただ、その感じを選べるとなったとき、
それはちょっとややこしい問題のような気がします。
幸福感を基準にするのと現実を基準にするのとでは
結果が変わってくる気がするというお話です。

あるいは私に電磁波を当てると明日から唯物論者になるかもしれない。。
ただしこれはまた別のお話。