>>719
>他者の喜びを感じることは、主観の外側ではなく内側でのこと
これはそのとおりだと思います。
ただそれで割り切れるものでもないということはあると思うのです。

たとえば電池を交換すると「ありがとう」というロボットがあるとします。
もちろんそのロボットは哲学的ゾンビです。
たとえロボットであったとしても感謝の言葉があれば嬉しいということはある かもしれませんけど、しかしそれがゾンビであれば嬉しさも目減りする気がします。
つまり時計さんの日常はそういうかんじなのかなと空想したわけです。
するとどうしたってリアクションも変わるでしょう、
いちいち頭を使っていてはワンテンポ遅れるということもあります。

ちなみに私にも周りと感覚がズレているところはあります。
私はあまり挨拶にこだわりはありません。
挨拶をしなくてもお互いにそこにいることがわかっていればそれでいい、
まあ一回 目線があったりする必要はあるかもしれません。
故に一般的な礼儀として他の人よりも挨拶を心がけるようにはしているつもりで
実際に挨拶をする方だと評価をされていたりもするわけですが、
しかし考えごとをしているときなどには忘れることもよくあります。
何となく人と話をしていると突然相手が「ていうか、おはようございます」
みたいになることもちょくちょくあるのです。
世間様は思いのほか挨拶にこだわる印象です。
昨日から何が変わった?
しかしまあ、命に関わることではありませんから深くは気にしません。