意識のハードプロブレムの答え24
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存在は主観的である。
客観はある種の主観である。
全ての事物は客観化可能である。
クオリアは「立ち止まり」として客観化可能である。
脳神経系を含む客体は、主観を精緻に表現したものである。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側に存在する。
客観的主観を哲学的キマイラと呼ぶ。
主観、意識、クオリア、心、私……
何か一つ「そのようなこと」を示す記号が必要である。
意識のハードプロブレムの答え23
https://lavender.5ch...gi/philo/1665765420/ 私のことだが、説明とは何か、表現とは何か、そういうことをよく考えないといけない。 っと、入れ違いになった。
生成という言葉も要注意ですね。
説明に関して。
脳科学は意識を説明するか。
>>853さんの言葉を使えば、脳科学は
現象的意識の生成プロセスは説明しないということになると思う。 脳科学に限定する必要ないですよ
恐らくあなたは脳科学者じゃないでしょう
自分の意見に科学者を持ちだす
意味があるのなら別ですが >>856
私は脳科学者というか科学者ではありませんが、語る権利はあるんじゃないかな。 語るのはもなにも自由ですけど、ただ
脳科学や権利を持ち出してまで語れる
意識のハードプロブレムの理論を意識
できているなら拝聴したいです
しかし私も脳科学者でもなんでもないので
専門的な難しい語りはついていけませんので
素人にもわかるようにかみ砕いて語って頂けると
助かります。 語るのは権利も何も自由ですが と書いたつもりが・・・ 排中律も同一律も無矛盾律も、
P∨¬P,P⇔P,¬(P∧¬P)としてしまえば、同じものになる。(P=PはP⇒PからP⇔Pとした)
Pの反粒子を¬Pとしたとき、
P∨¬Pを対生成律、P∧¬Pを対消滅律とすれば、P⇔Pは維持律であり、
想像・維持・破壊。
この3神で世界/宇宙は回る。
流れができて淀みもできる。そこに生命や意識がうみだされる。
ただ、ここに足りないのは4神目だ。世界の神話を探ってみよう。
4神目がどこかにいるはずだ。
四象とみるならば太陽・少陰・少陽・太陰。
そうすると維持神が双子という可能性もある。
天秤とみるならばテミスだが、剣も持っている。
しかし、テミスは不変の掟でもある。正義である必要はない。
共変・反変・不変・双変なら4つだ。基底変換と考えるならこれもありだ。 四次元の直方体について考えたけどようわからんね
四次元版のオイラーの多面体定理があるらしい 直方体というか立方体、
オイラーの多面体定理とピカールの大定理に関係があると多様体を専門にしてた人に聞いたが調べてもソースが出てこない わるくない。
真で無矛盾な(αω)が矛盾する記号化は全て意味の付与ですから、等価でない認識論です。
主観と客観が双方向で、この認識論に在る知見を共有し、全ての社会的な事項に還元される。
導出される意識・・ 哲学的ゾンビはなぜ意識と現象的意識の区別ができないのか?
意識は存在しないのではなく存在している意識が
認識に過ぎず、現象的意識を導出できないからである。 うーむ、一冊哲学本が書けそうなくらい重大テーマだ面白い、どう取り扱い片づけるか >>863
ウェイト版は8と11が入れ替えられている。
わたしが研究wしたところでは8番の正義とペアになっているのは9番の隠者である。
そしてマルセイユ版では、その時代に隠された1組のペアがある。
吉野裕子的に考えると、1組足りないのだ。 >>868
隠者とペアになるのは愚者だと思っていた 解釈はいくつもある。
あくまでも吉野裕子にインスパイアを受けた自説であるw 自説では、吊るされた男は出生であり、死神と、生と死のペアになる。 >>864
世界は存在しない、ではなく意識は存在しない、の方が誠実に見える 空は、○のように描かれることが多いが∅であり、
○と線が交差した2つの点、すなわち0次元球面が正しい「空」の姿であるw
大きさがなく交わらない2つの点。この宇宙の真の姿だ。
外延性の定理からすれば、この2点の0次元球面はただひとつしかない。
これは量子であり真矛盾であり...ここからさらに対生成する。
問題は最初の0次元球面だ。0次元の混沌。0次元の無秩序。
0次元の太極。始まりも終わりもなく、ただ交わらない2つの点がある。 矛盾を矛盾と思わないのが真の無矛盾とすると、箱に入れた一切れのパンが、蓋を開けると二切れになる。
唯物は観念を認めながら『物』として扱う点で、初めから二切れなのですが、ブランド品を無印で売れる。
αでありωである・・ 違いを判断できた理論込みで、意識と現象的意識の違いについて見解をお持ちの方いらしたらレスお願いします。 それを考えて(もちろん考えるも考えないも自由ですが)考えてくれて何か見解があればということです >>881
そういう見識を持っている方と意識のハードプロブレムについて議論したいですね、今のところ残念ながら居られませんが、もう少し待ってみます。 前提のない人しかいないスレだと始める意味はないので。 >>884
その前提のある人がいるかもしれないから
>>882
>もう少し待ってみます。
と言ったのでは? 前提のある人がいるかもしれない、つまりいないかもしれないので出てくるかもう少し待ってみますということです。 >>886
いるかもしれないなら、始める意味はありますよね。
その前提をもってる他の人も同じように思っているかもしれない。このスレには前提をもってる人もいますよと手をあげて招く意味がある。 >>887
そういう解釈するのは構いませんが、私から意見するかしないかは私に決定権があることですから、諦めてください。 >>888
いえ意見するかしないかは自由ですが、
>>884
>意味はない
とおっしゃられたので。 スレッドがまた立てられません……
明日、図書館とか駅とかで、free wi-fiを試してみます。 次元なんてものは幻想なのだから、0次元球面ではなく無次元球面としたほうがよさそうだ、
と朝に思った。
空とは無次元球面である。
外部も内部も「無い」が、曲率のようなものはあり、大きさのようなものとして存在確率半径1がある。
この無次元球面の中心に幻想としての「わたし」がいる。
「わたし」を中心として存在確率半径1のところに「すべて」がある。
この「すべて」がわたしの主観的世界であり、それが「わたし」である以上、
世界に「わたし」は存在しない。
現象的意識も「わたし」から存在確率半径1のところにある。
そこに「ある」のが「現象」だ。
通常の「意識」とは、「現象的意識」ではなく、「反応」のことである。
それは「情報」である。
受動的なものとして「現象的意識」、能動的なものとして「(反応としての)意識」。 >ブロックは現象的意識の本質を、トマス・ネーゲルが「コウモリであるとはどういうことか」という論文で述べた語句を引用して説明する。つまり「生物が意識的な心的状態をもつのは、その生物であるということが何かのようであるような、その何かが存在しているときである」ということ、つまり第三者からはアクセスできない主観性――クオリアがあることなのである。
他者に分からない意味は変質を免れない。だから常にアクセスを要する。主観とは外部のない翻訳機だ。
そこで正しい翻訳に拘るなら、私的言語の不可能を指摘できる。「クオリア」という記号に変換したから。
しかし「ソレ」に拘るなら、記憶が価値を形成するか否かだけでも、対象(或いは現象)とする世界は大きく分かれる。クオリアさえ没する。
こちらの方が問題・・ 現象的意識を、ブラックホールのように考えるなら、
事象の地平線を越えてやってきたものは外に出られなくなるw
反応としての意識は事象のブラックホール状の表面での反射みたいなものになる。
ま、あくまでも個人の見解ですので適当に流してくだされ。 >>852
このレスではつまり
>身体であれ、脳であれ、ある理論は意識の存在を帰結するか?
という問いに対して
>帰結しない
という答えがあり、そしてその根拠として
>意識は(中略)説明されるものではない
とあるわけですけど、
私としては、答えに同意するとしても、
根拠については少し違う言い回しをしてみたい気持ちがあります。
ただし私がこれから述べることは印象に過ぎないものだということは
あらかじめお断りしておきます。 >>899
私の主張の基本は毎度お馴染みの栗本慎一郎のパクリですけど、
とにかく>852で言うところの「ある理論」というのは科学的な理論のことだろう
と察します。
そこで現代科学では意識は解明できないだろうという展開になるわけですが、
なぜなら、つまり印象に過ぎないものなわけですけど、
たとえばたぶん「リ」や「ン」や「ゴ」の研究をすれば
いつか「リンゴ」が果物の林檎のことを指していることが判明する
というような発想が根本にある気がするのです。
イージープロブレムを積み上げていけば、いつかハードプロブレムも何とかなる
だろう的な、じつは根拠の希薄ないわゆる要素還元主義です。
胃袋を単体で研究しても消化がわかるわけではないように
脳をそれだけで調べても意識以前に思考のことすらわからないだろう、
あるいは物理現象や化学物質をいくら調べても
精神的実態には永久に到達しないだろう、
それでももしそのような研究の延長上で解明することがあるとすれば
どこかでパラダイムシフトをするパターンだと思います。
どこかで行き詰まって
それで物理学が古典力学から量子力学にシフトしたように
要素還元主義とは違う発想で成果をあげるかんじです。
もっとも私なぞに改めて指摘されるまでもなく
どこかで既にやっている気もしますが、
しかし「成果」というのは我ながら無責任な表現のような気もします。 ところで時計さんは意識についての説明に興味はないですか?
私としては意識については充分に解っていない気がするし、解りたいと思うし、
なんなら私が説明してみせようという野心もあるつもりです。
既にどこかにファイナルアンサーがある気もしますが。
するとここで「説明」とは何なのかという疑問が生じます。
たとえば「時間」を説明するとしましょう。
その過程で「宇宙」という言葉を使ったとき、
その流れで次に「宇宙」を説明するときには「時間」という言葉を
使えない気がします。
それでもとりあえず「宇宙」を説明したとき、その際に「空間」
という言葉を使っていれば、今度は「空間」を説明するときに
「時間」に加えて「宇宙」も使えなくなります。
そしてその要領でどんどん説明していくと、
最後には使える単語が無くなるでしょう。
このことは何を意味しているのかというと
私たちは説明できなくても、あらかじめ知っている、
ということだと思います。
「時間」を「宇宙」で説明することができると同時に
「宇宙」を「時間」で説明することもできる、
つまりそこに連鎖があるわけですけど、
では私たちはどのようにしてその連鎖の中に入ったのか、
いずれにしても「説明」というのは知らないから説明するわけではないけれども
かと言って充分に知っている気もしないわけで、
「何なん!?」てなるわけです。 >>901
興味はあるかな。
説明はまあ公理的であればいいんじゃないかと。
それでも難しい。
私の思う説明は明示的というニュアンスがある。
だから、数学の公理、定理とは違うところはあるような気はしています。 >>902
「現象的意識」が話題になっていますけど
「現象」の対義語をググると「本質」が出てきます。
そこで「本質的意識」という言葉が出来上がるわけですけど
これがさっぱり見当もつきません。 説明に関しては、例えば、認知症は海馬の萎縮と関係するという説がありますが、
それは、脳が精神を説明するのではなく、その精神の精緻な表現が脳であると考えます。 >>903
現象的意識はざっくりと言ってクオリアのことだと思います。
現象学を参照しているのだと思います。
現象の対義語は私だったら物質と考えるかな。 >>904
>精神の精緻な表現が脳である
私も要するにそういうことだろうと思う、
しかし思っているだけではだめで
ある程度そのプロセスの具体的な説明が必然だとも思うのです。
これは海馬の萎縮という現象が何故意識に現れるのか
というところまで行かなくても、
どのようにして表象に秩序が生じるのかというところまでで良いと思います。
基本原理が明らかになれば、あとはその積み重ねのはずです。
そして私の直観ながら、その基本原理は町のチンピラでも解明し得る
という気がするのです。
私はそこを模索しているつもりですが、なかなか なかなか、
というかんじです。 >>906
この基本原理の基本はざっくり言って「創発」のはずです。
しかしもう一歩踏み込みたい、リアリティが欲しい、
それはある程度の見識がある人であれば共有できるレベルにする
ということだと思います。 >>905
私としては「現象的意識」と言われただけではピンときませんでしたけど
「コウモリであるとはどういうことか」を視野に入れれば
「現象的云々」という表現の意図が分かったようなかんじがありました。
「コウモリ云々」の詳細についてはウィキペディアの「クオリア」の項目
のところにもあった(というよりも私はそこで見た)と思います。
ちなみに私は「現象」の対義語としては「存在」を想定していました。
ただ「現象」と「存在」との関係は、私の個人的イメージだと
「シニフィエ(意味)」と「シニフィアン(媒体)」との関係ですから
確かに対義語とは違う気もします。 >>907
創発は無敵すぎる。:)
それはいいとして、プロセスは無いんじゃないかな。
>>908
私の言葉では、それは実在です。存在は寧ろ現象と同類。 >>909
無敵だから気に入っているのです :)
それはいいとして、プロセスが無いとはどういうことでしょうか?
秩序の本質はランダムだということでしょうか? >>910
脳から現象的意識へと至るプロセスは無いということです。 >>909
>存在は寧ろ現象と同類
それは子供の頃からですか?それともどこかで変わったんですか?
私のかんじでは実在も存在も同じ意味です。
存在は「実際に有ること」ですけど
実在は「実際に」を強調しているかんじ >>912
存在は「有ること」ですね。
子供の頃からかな。 >>911
私が問題にしているプロセスは「精緻な表現」の方です。
私は物質としての脳は虚構だとしても
脳にあたる情報処理システムはあると思っており
「精緻な表現」はそのシステムと関係するだろうと空想しています。
そのようなシステムを想定しても認識上の矛盾は生じないだろう
という考え方です。
なお、私はじつは秩序の基本はランダムだと考えています。
最小レベルはランダムだけれども、ある程度の大きさからは偏りが生じるだろう
その偏りが秩序とされるというイメージです。
サイコロを一回ふったときに出る目はそこそこランダムですが、
しかし数を重ねればパターンが生じるかんじです。
原因とその結果に必然性はないという考え方です。 >>913
わけが分からなくなってまいりました。
「有ること」と言われると確かに実在系というよりも現象系
のような気もするけれども
となると「有ること」て、どゆこと?てなります。
ところで話が微妙にズレますけど
基本的な述語で意味の理解がくいちがっているとき
完全な共通理解とは何かということが課題になるわけですが、
これは意識のハードプロブレムの答えにしても
落とし所に影響が出るということだと思います。
意識のハードプロブレムの答えについては
とにかく埋めるべき外堀が闇雲にたくさんある気がするのです。 >>914
>原因とその結果に必然性はないという考え方です
→原因とその結果に絶対的な必然性はないという考え方です
なおその理由ですが、絶対性を保証するシステムがある気がしないためです。 >>914
精緻な表現は、例えば、林檎を見るということは、
林檎の反射する赤の光が視神経と反応し脳が情報処理するみたいな話です。
私は運命論者ですが、実在のランダム性は否定しません。
そういうこともあるだろうと思います。 >>915
「有ること」は有ることですが、人によっては「現象すること」と言うかもしれません。 >>916
>絶対性を保証するシステムがある気がしないため
何故そう思うのかというと、これは私の個人的直観によるものです。
しかし私もたとえば一応現代物理学を少し知っていて
光速度不変の法則とか不確定性原理とかが得てして直観と異なるということを
つまり直観はあまりアテにはならないということも知っているつもりです。
ただ、例えば次のような空想はどうでしょう、
私は世界は無から始まったと思います。
直観的に無限に過去に遡れる気がしないためです。
しかし無から有が生じることはあってもおかしくない気がする、
それはさておきこのとき何故何かが生じたのか、
そこで漠然と思うに、時間的な過去が無いのであれば原因もないだろう、
あるいは一番最初に生じた秩序にはそれを成立させたシステムも無いはずだ、
また、一番最初に秩序を生じさせたプロセスがその後も起こっていない
ということは考えにくい、
世界で起こっていることの基本は原因の無い現象なのではないか。
しかしそれはあくまでも直観であって、実際がどうかはまた別です。
これは論理もアテになるわけではないというところにつながるつもりです。 >>917
次の話は時計さんにしか通用しないかもしれませんけど
過去とされているものは未来の出来事かもしれない、
私は「色」と「電磁波」とでは「色」の方を先に知りました、
これは電磁波が色として現れるのではなく
様々な色を電磁波で説明しているのが順番というか、
つまり本当は色が先にあって電磁波は後からできたということだし、
じつは本当に電磁波が色の原因だということを確定するのは
ハードなプロブレムだとも思うのです。
あるいは今現在ほかの選択肢が無いだけではなかろうか、
なおここでいう電磁波は電磁波として認識されているもののことであって
電磁波自体のことではありません。
そして電磁波自体の解明が「精緻な表現」の解明そのものだというのが
私の印象です。 自然は直観と異なるものの可能性がある。
これは自然が人間に理解できるものではない可能性があるということです。
しかし一方で慣性の法則が当初は普通の直観とは違った
という噂を聞いたことがあります。
日常ではたとえばどこかで行こうと思えば
歩き続けるなり走り続けるなりしなければならない、
それに対して何もしなくても運動し続けるというのは
ちょっと違う感があるというのです。
しかし現代(たぶん)私たちは運動状態を変化させるためにはむしろ云々
つまりむしろ慣性の法則のほうが当然な気がしている、
このことは直観的に馴染めなかったものが
認識を改めたとき理解できるようになる
ということの可能性を示唆していると思うのです。
ご参考までに、 >>921
いや、限界はあるはずだ、
知性がどれほど進化しても不完全性定理からは逃れられないだろう、
完璧な理論体系はあり得ないということだ、
なんだか支離滅裂になってきた >>921
直感が自然と異なるものの可能性がありそう、自然を知識で観測してきたツケが回ってきたのでしょう。 >>920
色は電磁波であるというのは精緻な表現ですよ。 チューリングマシンにおける停止性問題の決定不能性と同じもの、
あるいは類似のものが、無次元球面という「空」における動的な世界をつくる。
>>922
不完全性定理から逃れられないからこそ、この世界がある。
これは完全ではないという意味ではない。
三体問題のようなもので、ただたんにあたりまえなことであり、
不完全性を認識できているからこそ、あるいみ完璧でもある。
ただひとつの無次元球面がこの世界のすべてだw と、軽はずみに断定してしまう。 あらゆる意味で完璧に調和の取れた完全こそ「空」であり、そのバランスが破れる事で「何か」が生じる、そんな気がする。
「何か」が生まれたその瞬間に、確率が生まれる、そんな気がする。それが存在として、素粒子のようなものとして現れている気がする。
コインを投げた表裏の確率が50%になる事は100%有り得ない。同条件での試行を完璧に再現する事が出来ないし、条件の全てを整理することすらままならない。
そもそも「数」として抽象化でき得る時点で、割り切れる事など有り得ないのだ。
自然数は人間の計算しやすいよう便宜的に用いられるが、1として完璧な1である事が揺らがない存在など無い。何故なら、完璧からは程遠い、何も割り切れない世界の上に成り立っているから。いわば、この宇宙には矛盾しかない、矛盾があるからこそ、存在を許されたのだ。
主観は、観測可能な範囲内の便宜的な事実に、「空」の端くれを感じて喜ぶことができる。しかし、分かっていても辿り着けることのない「空」を前にして、人類には真理など到底辿り着けない事に、気づいてしまった。
気がする。 >>920
個人的には、電磁波自体は人間にとって得体の知れないものであり、
それ自体をきっかけとして感覚神経(これも人間には得体知れないもの)を通じて、
心の中で色自体が生じる、つまり色自体を認識する、と考えています。
つまり、色自体は電磁波でなく、心から生じたものであり、
電磁波や感覚神経自体は色が生じるためのきっかけにすぎないことです。 意識は他者・宗教・道徳・ルール等の存在する環境の中に産まれ落ちる。そして、意識は環境に依存することでその同一性を維持するだろう。
そして、意識は、同一性の維持のために、例えば親や食料や住居といった環境に依存する。そうしなければ意識は自滅して消滅するからだ。
しかし、何かに依存する意識は、依存する故にその何かに支配される。この支配される感覚が意識を分ける。即ち、他者に依存する「自己」と自己を支配する「他者」を作る。 つまり、同一的な意識と環境の調和した関係が不等な関係に変化するせいで、自己を他者(環境)と区別するのである。
不等な関係のために、自己と他者は対立的である。しかし対立において、自らの本質はもう一方にあり、自己と他者は相互的な関係であることを知る。
様々な角度から観察すると、支配者が被支配者の本質(成立条件)ではないし、被支配者が支配者の本質でもなく、むしろ、それぞれが相互的である。
つまり支配者の多様な変化や行為に応じて被支配者の本質が変わるということであり、逆の場合もそうなる。
これは、自即是他・他即是自のように、自己と他者が「完全な同一」ではなくて、「区別しつつも同一」(相互)であることを意味するだろう。
つまり、自己と他者が完全に同一的である前−言語的意識と、自己と他者が相互的であることを知る意識は、ある意味で同一だが同一ではないということだ。
この意識における「同一であるが同一ではない」という史的性格が、過去と現在を繋ぐ史的人格・史的世界の同一性にもなると言えるだろう。 天国にいるユングによると自由意志は存在するそうです。罪人は自由意志を奪われ地獄へ落とされるようです。 どんな屈強な罪人もオヌンオヌンと泣いてしまうそうです 意識は存在する可能性がある、と言うべき
素朴な思考では世界=意識、というより意識という概念を用意しない
意識という概念は世界が「素朴に」これ一つではないかもしれないという理解を経て得る(べき)ものである
しかし懐疑を徹底するなら、また哲学の目的を明らかにするなら、意識も(存在論的に(?))捜査される必要はあると思う >>932
一つではないことは、昨日の私や眠っている私などもそうだと思います。 麻原彰晃によると意識とはアストラル体だそうです。最終解脱者の意識は宇宙へ昇天し神々の一員となるそうです。 『チャーマーズの意識のハードプロブレムを解明する』スレ
って別スレ立てたら需要あるかな? >>932
でもここ一応意識のハードプロブレムの答えってことになってるんだよね
意識という概念を用意していない可能性まで前提にすべなのかなと
このスレのコテさんたちは前提がバラバラすぎて全然話が噛み合わないまま
伸びてきたけど
ローカルルールの注意点
1.スレッドタイトルには、哲学者名、著作名、研究分野、問題領域のいずれかは明記してください。
にあるように、チャーマーズという哲学者が定義した
意識のハードプロブレムという前提共有があるスレがあった方が良いという
人がいれば新スレ立てに挑戦してみます。
まだどうやって立てるのかすら知らないんですが・・・。 >>937
研究分野と問題領域はわかるんじゃないかな。 あと、ハードプロブレムという言葉はチャーマーズが作ったが、その問題は古くからあると思う。 >>937
>意識という概念を用意していない
私は用意しているよ。:) >>939 追記
例えば、メアリーの部屋という問題があるが、私は、唯物論は偽なのではなく、物理主義は偽なのだろうと思う。 ここでいう物理主義とは、他者や主体の脳を本質的に同一的であると考えること。
特に物理学的に。 >>940
個人的な意識概念の前提がバラバラよりも
物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、
どのようにして主観的な意識体験(現象意識、クオリア)
というものが生まれるのか、チャーマーズの
意識のハードプロブレムを解明すると的を絞れば
物質や他者の意識は存在しないというように
個人の主観的意識が前提の主張が枝葉末節に
至って空中分解する(印象ですw)ような自体に
なりにくいと感じたので。
ただここはここで、広義の意識問題を個人的に意見
できるから存在意義あります。 >>943
なるほど。ただ、このスレッドでチャーマーズの話題を持ち出してもいいですよ。
これまでの常連さんや私はあまりチャーマーズに言及していないというだけで。 >>944
ありがとうございます、とりあえず専門スレ立ててみます。 >>943
私は脳は唯一の意識の座ではないと考えるが、そこにも意識のハードプロブレムはあると思うけどな。 思い付いた。
私の意識のハードプロブレムの答えを一行で書くと、
ハードはイージーでイージーはハード。:) >>947
そうですね、脳は唯一の意識の座ではないからこそ
意識はハードプロブレムなのだと思います。
>>949
ハードにもイージーにもいろいろな意味があるので
イメージしにくいですね。 >>950
>脳は唯一の意識の座ではないからこそ
脳を唯一の意識の座と仮定しても、ハードプロブレムは存在すると思います。
>ハードにもイージーにもいろいろな意味がある
ハードとイージーについてはチャーマーズを参照。 ああ、確かに私の考えである方の、ハードとイージーは、難しいと易しいくらいの意味です。曖昧と言えば曖昧かも。 ハードプロブレムは易しく、イージープロブレムは難しい。
少し明確化しました。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。