ところで時計さんは意識についての説明に興味はないですか?
私としては意識については充分に解っていない気がするし、解りたいと思うし、
なんなら私が説明してみせようという野心もあるつもりです。
既にどこかにファイナルアンサーがある気もしますが。

するとここで「説明」とは何なのかという疑問が生じます。
たとえば「時間」を説明するとしましょう。
その過程で「宇宙」という言葉を使ったとき、
その流れで次に「宇宙」を説明するときには「時間」という言葉を
使えない気がします。
それでもとりあえず「宇宙」を説明したとき、その際に「空間」
という言葉を使っていれば、今度は「空間」を説明するときに
「時間」に加えて「宇宙」も使えなくなります。
そしてその要領でどんどん説明していくと、
最後には使える単語が無くなるでしょう。
このことは何を意味しているのかというと
私たちは説明できなくても、あらかじめ知っている、
ということだと思います。
「時間」を「宇宙」で説明することができると同時に
「宇宙」を「時間」で説明することもできる、
つまりそこに連鎖があるわけですけど、
では私たちはどのようにしてその連鎖の中に入ったのか、
いずれにしても「説明」というのは知らないから説明するわけではないけれども
かと言って充分に知っている気もしないわけで、
「何なん!?」てなるわけです。