>>88
それは哲学ではなく感想であるだろう。例えば、目の前の個物から始めて、それが私にどのように見えて、なぜそう見えて、つまりは何なのか、という人間の自然的営為から本質を考えることが哲学である。
恣意的な始点(主客は内・外の向き)から始めても、恣意的な結論を得るだけで、そこに普遍性はない。それは哲学ではなく感想だからだ。
また一つ加えると、主観がどうとかについても、また主客の境界線がどうかということについても、それらは話の全体の目的というよりは手段である。その点は理解されているかは知り得ないが。
これはアドバイスというか忠告として伝えておく。