意識は存在する可能性がある、と言うべき
素朴な思考では世界=意識、というより意識という概念を用意しない
意識という概念は世界が「素朴に」これ一つではないかもしれないという理解を経て得る(べき)ものである
しかし懐疑を徹底するなら、また哲学の目的を明らかにするなら、意識も(存在論的に(?))捜査される必要はあると思う