東京科学大学の誕生を哲学する
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個人的には、たとえば村上陽一郎氏が科学の限界を科学哲学の文脈で説いたり、梅原猛氏が脳死批判の文脈で近代科学を批判したりと、現代文や倫理の中で科学をネガティブに扱うことが多かったので、無意識にそういう文章に接してきた人たちは科学を良いように捉えることができないが故に、東京科学大学に対しても好印象を持てないのだと想う。東京科学大学の関係者は以上のことを受け止めた上で大学を運営しなければならないので大変だと思う。
哲学との皆はどう考えるだろうか。 毎日新聞が報じた通り、「科学」の名前が軽くとらえられているのは確か。
下手をすると軽視されている。 科学なんてダサいと思うのは在学生の中にもいるようだ。 科学はあくまで思想にすぎないから
科学の実践としての工学、工業という立場とは違ってくる
国の偉い人の言うことはわからないがブレブレな気がする
あくまでも工学を主軸に据えて技術力や生産力で勝負するという姿勢は変えない方がいい 東京工業大学という名前に誇りを持ってる在校生、
卒業生多いだろうに、アホみたいな校名に変えられて
かわいそすぎる・・(´・ω・`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています