勝つという事は誰かを不幸にするということ
不幸の上に幸福を築くのは悪い事ではないんだね
みんな勝者はそうしてきた
弱肉強食だから
他人を救うなんて愚かなことなんだ
いじめはいじめられる方が悪い
レイプもレイプされる方が悪い
殺人も殺される方が悪い 負け狗はいね! いね! グサッ グサッ
なのか!? ネットでテキトーなこと言ってるヤシはだいたいボコってきたMAN 果てしない旅路の果てに 「選ばれる者」とは誰?
たとえ僕じゃなくたって それでもまだ走ってゆく 走ってゆくよ
降り注ぐ日差しがあって だからこそ日陰もあって
その全てが意味を持って 互いを讃えているのなら
もうどんな場所にいても 光を感じれるよ 普通の哲学ならそうだけど、この板に限ると勝負から逃げているゴミだらけだからな 10人中9人が幸福になり、1人が不幸になるなら正義
1人の犠牲で9人が得するなら民主主義的に正義 >>8
反出生主義は生存闘争と言う戦争への良心的兵役拒否思想 出産は子供に死を与える卑劣な殺人的加害であり、本能(性欲)に依存した歴とした性加害。
そして国家に対し子供を奴隷として売り払い、税負担を負わせると言うフリーライドを行う人身売買。
子無しは出生主義者(子産み)が国家に奴隷を売る人身売買によってフリーライドされた被害者がその加害行為に加担しない然るべき生き方です。
出産(不同意出生行為)は死を与える卑劣な殺人的な加害であり本能(性欲)に依存して強行される性加害。
身勝手な家族ごっこの為に、生きて死ぬべきと言う価値観の押し付けを強行する出生主義者(親)側の人間は、子供にあらゆる加害のリスク(生苦)を押し付け、同時に加害の種を撒き散らす加害者であり、あらゆる生苦に対し不平不満を宣う資格などありません。
それは、出生主義を盲信し、正当化、助長している事への当然の報いでしかないのですから。
自分や自分の子供は生まれて良かったからと、出産を正当化、助長する事は、性加害を受けて喜んでいる人間もいるからと性犯罪を正当化する事と同義であり、[被産]被害を訴える被害者へのセカンドレイプです。 >>1
出生行為(出産)は性加害
出生行為(出産)は死を与える殺人的な加害であり、本能つまり性欲に依存した性加害
出生行為は生苦と死を与える卑劣な行為。
人に死を与える、即ち殺人的な加害に他なりません。
反出生主義者とは、出生厨(出生主義者)による殺人の被害者であり、その被害を訴える者です。
親と子の関係性は殺人の加害者と被害者なのです。
そして出生行為が殺人である以上、誕生(出生)の肯定とは殺人教唆、幇助であると存じます。
出生殺人(出生行為)を助長することはやめて頂きたいものです。
出生厨は殺人者に等しいのです。
そして出生行為は殺人的な加害であると同時に、生存中毒に塗れた生存ジャンキー、出生中毒者である出生厨の生存欲・性欲に依存して行われる行為である為、生(性)的な加害でもあると認知して頂きたく存じます。
出生行為は、殺人的な性加害と言う事です。
そして誕生肯定と言う自身の生、生きる事の正当化は、同時に自身の死、つまり死ぬ事、自死の正当化であり、それはつまり自殺に等しい行為でもあります。
誕生肯定と言う自己暗示に依る生の美化、その自己陶酔の果ての自殺に等しい行為に、子供と言う他者を巻き添えにしないで頂きたいものです。
出生(誕生)の強要、生きるべき、生まれるべきという価値観の押し付け加害は、言わば「希生死念慮」を強制的に抱かせる行為。
出生厨の皆様には生きて死にたいのであれば、子供(他者)を巻き添えにせず、一人で死んで頂きたいものです。
死にたいなら他人を巻き込まず一人で死ぬべきとは、出生厨の皆様に対してこそ用いるべき言葉なのですから。 論理的におかしいです
サッカーの試合で負けたら不幸なのか?w
負けて不幸なのは、負けた場合にすべてが奪われるケースのみです
負けたら、一生俺の奴隷なwというケースです
時代は前進していますよ いや、やはり違う
前進してない
グルグル回ってるだけ 勝者は敗者の気持ちを考える必要が無い
どんどん前進していく つい、3‐4日前に知ったんだが、昔の中国起源の厭勝銭(ようしょうせん)というのがある。wikiによれば、
厭勝銭(ようしょうせん)は、銭貨の形状を模した護符の一種。
災いを避け好運を願うため所持するものであり、通貨として流通されるものではない。
俗にえんしょうせん、あっしょうせんとも読む。「厭勝」は「人をおさえしずめるまじない」を意味する。
厭勝銭の起源は、讖緯説が流行した王莽(BC45 - 23)の新の時代、あるいは前漢時代(BC206 - 8)まで遡る。
特に宋(420 - 479)・唐(618 - 907)以降、盛んに鋳造され、
時代が下るにつれて趣味品としての性格も帯びていった。
日本に伝来したものは絵銭(画銭)として珍重され、室町時代から江戸時代にかけて親しまれた。 社会は皆が幸福に成れない
3人居たら1人しか幸福の椅子に座れない 政治がこんなにも全体の幸福を考えてないって何時理解した?