意識のハードプロブレムの答え 28
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
スレ立て代行、ありがとうございます。
時計の考え。
全ての存在は主体にある。
脳神経系を含む客体は主観を精緻に表現したものである。
他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側に存在する。
他者の意識と呼ばれるものは他者の声である。
それを他者の意識のように思うのは主体にとって声は極めて意識的であるからである。
物質はクオリアを説明しない。
クオリアは物質を説明する。
根源では主/客の関係は消失する。
例えば、どこかで雷が鳴ったとする。
雷は独立性の高い形式の私であると私は考える。
語り得ないことは語り得ないと語り得る。
語り得ないことは矛盾である。
語り得ないことは無い。
無は無い。 >>前スレ995
実在は更新されるとは、個別的な実在が更新されるということでしょうか。
普遍的な実在一般の概念は中々更新されないように思います。
>>前スレ996
誤り得る神は確かに最早神ではないと思います。
>>前スレ997
実在は経験的に確証されるものだと思います。 客観が主観的客観でしかない、とすれば、
経験は経験論的ではないw
あくまでも主観的経験である。
主観的経験が主観的公理(主観的客観)をつくる。
(いまだ存在しない)一般不完全性定理からは逃れられない。 ある木材が寸足らずか否かの対象の「誤り」という概念を持たない知性の欠けた人が家を作ると試行錯誤が果てしない。神の知性は作意だ。そこに在る「誤り」は果てしなく遠大だろう。
誰だったか、世界の不条理の意図は奇跡で啓示するしかないという神学があったはずだけど。 スレnoは28の次は86かもしれず、その規則性を見失った時点でスレを消すか、規則性suc(0)を消すかの判断を迫られることも規則であれば、1は1で3は3の価値しか存在していない。無限にスレが続くなど無き(0)に等しい。 >>5
客観が主観的客観でしかない経験論は不可能でしょうか。
>>6
神の知性は誤ることがあるということでしょうか。
私は、神は誤る自由はあると思います。
>>8
実際問題、スレ立てやり直しですね。 >>10
そこは世界を対象に神を置くなら、対自即自の関係になり、知性の極致ゆえ世界の客観性により、意識体である「神」は「物」に成るのだ! >>11
神は他である限り物であるということでしょうか。
神は全ての物であると言えるかもしれないと私は思います。 >>12
人は「神」に成れる瞬間がある。商品を購入する時、「見え方」を先取り「物」に優位に成る時だ。吉本ばななが「向こうからやってこない」と表現するその「向こう」が本当に無いのは不完全に成れない「神」の不自由=「物」なのだ。 >>13
うーむ、商品を購入する時ですか…… 正直なところ、今一つピンと来ません。 おそれいります
>>1は私ですが、前スレ984は私ではありません。
前スレ984さん、ありがとうございます。
>>前スレ987
私はマルクス・ガブリエルもメイヤスーも断片しか読んでいません。
私がそういう目で見ていたから そう思いこんだだけかもしれません。
マルクス・ガブリエルがどのようなニュアンスで「実在」という言葉を使っているのかは気になるところです。 >>15
前スレ984さんはでこすけさんではありませんでしたか。しかし、リンクを貼って頂いて助かりました。
マルクス・ガブリエル、読んだけど忘れたなあ。確か、物自体も表象もどちらも実在するみたいな話じゃなかったっけ。
>>16
いつも前スレのリンクを貼っています。 >>15
細かいことですが、スレッドタイトルのスレ番号の前に空白を入れないでほしかったです。:)
HTMLでスレッドを保存していますが、名前順に並びませんから。
まあ、HTMLのファイル名を変更すれば済む話ですが。 >>15
いきなりぶっちゃけ話しをすると、
私の言い分が正しいかどうかはどうでもいいのです。
私は この春から進学した人が とりあえずででもこのスレッドを覗いてくれていることを期待しています。
そしてこのスレッドをきっかけに知見を広げてもらえばいいと思っています。
それがこのスレッドの存在意義だと考えています。 >>19
言い分が正しい方が、読んでいる人のためにもなるでしょう。
しかし、他者のことを考えるでこすけさんの考えは素晴らしいと思います。 >>20
もちろん私は自分の主張が正しいつもりでいます。
しかし正しいから普及するとは限らないということ、
そもそも俺正義をわめいているだけかもしれないということは
意識する必要があると思っています。
>>18の件は了解しました。もし次回がありましたらそれで行きましょう。 >>18
昔のスレを読んで反省してる仕草もないわりに細かい野郎だ >>21
タイトルの件、ご協力ありがとうございます。
私は、俺正義はアリだと思っています。寧ろ、大人しすぎる方が何だかなあという感じはします。 >>25
意識の内外の境界線はこのスレ的に何のために必要なのだ? >>26
意識の外側の有る/無しは、それぞれの理論の根幹を成すと思う。
ハードプロブレムというか、意識の理論として大切だと思う。 >>28
それは、意識の外側は有ると考えるのはある種の不可知論であり、
無いと考えるのは、私からすると、ある種の主観主義だからです。 連想するスレだけどなぁ..勝手に..
吉本の娘的には「疎外」が日常の搾取という連想から連想するに「物」はバーチャルなわけだ。 >>30
日常の搾取から、物はバーチャルだと連想するのは凄すぎ。:) 意識の外側があったとしても、
意識によって捉えられた/捕らえられた/囚えられたものは、
すべて意識の内側です。
曲率の問題です。
とらえられた情報は意識の表面に蓄積されます。
蒸発する情報もあります。意識は蒸発もします。
われわれは、意識の表面の情報が投影された世界をみています。
どこに投影されているかというと、意識の表面の内側でしょうね。 >>17
今『なぜ世界は存在しないのか』の冒頭をアマゾンで読みかえしたんですが、
私とは微妙に違うみたいですね。
メイヤスーも同様です。
しかし「私たちはどのようにして体験を共有しているのか」の付近を問題にしているとは思います。
物自体が実在したら、心身問題みたいなことが起こると思っちゃいますけど。 意識の外側についての推測が正しいかどうかは結局わからないと思いますが、
間違っている可能性が濃厚になるということはあると思います。
世界観は正しいかどうかの問題ではなく、齟齬が有るか無いかの問題で、
齟齬がなければそれでいいし、齟齬があれば改めればいい、
いずれにしても、そもそも「知」とは何なのか、
少なくとも世界は知性に理解されるために有るわけではないし、
世界が分かりやすいものである必然性もない、
とにかく「知」は特別なものではないと思います。
正解を知ったからといって、ハッピーになれる保証もない、
むしろ、、、だと思います。 外側があって内側がある、のではなく、内側があって外側ができます。
オペレーターとしての意識の外側に意識のネットワークができます。
意識のネットワークは意識ではなく、意識が放出した情報ネットワークです。
主観主義的外部の情報ネットワーク。
しかし、主観主義に従えば、外部の情報ネットワークも意識の内側にありますw
ひとつの意識は、(不完全性定理における)完全ではなく、
無矛盾を保つためには外部という公理が必要です。
必要であっても、主観の呪縛によって外部の存在は検証できません。
外部の存在が、無いと困る。困るのだから存在する。
これを「証明」だとしても、主観的証明だとしかいえない。
これは(最終)哲学問題ですね。
あるんだからあるんだ、という居直り。
そこまで考えると、細かい議論をすっとばして、
ともかく、意識とは矛盾許容論理の一種である、とw マルガブやメイヤスーも、ある種の矛盾許容論理(哲学)であり、
これらを総称してしまうなら、新主観主義、ということになるかもしれません。 >>35
口の中の唾液と吐いた唾液はどちらも意識の内側か? 哲学とは(いまだ存在しない)一般不完全性定理(=ネクロノミコン)をめぐる物語である。 >意識は、一般に、「起きている状態にあること」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指す。
いわゆる把握で内外を分けると、意識の性質を措定し、ソレに矛盾する状態は主観主義でも把握できていないことから意識外とも考えられる。 >>43
「唾液は口の中にあるのでは無い、ここにあるのだ。」
と言って和尚さんが小僧さんにデコピンをすると、小僧さんは悟った。 >>37
>私たちはどのようにして体験を共有しているのか
実在世界は唯一だからでは。 >>47
私は表現説を支持する立場ですけど、
すると実在世界が唯一ということと表現説とでどのようにして折り合いをつけるのか
という問題が生じると思います。
体験は実在世界から変換されたものではない、
ややこしくなると思います。 表現説が何なのか知らないが
単に実在する主体者による実在世界ありきの表現で問題なくないか? >>50
その考え方は時計さんによって「変換説」とされています。
先に世界が有って、それが意識の内部に変換されて現れるという考え方です。
それに対し、まず意識が有って、その意識が世界なり体験なりを表現するというのが「表現説」です。
ちなみにマルクス・ガブリエルの「構築主義」に対応していると思います。 今日のこころの時代観てからここ見たらアホばかりで笑うなw
アホの意識の内側には無いってことかw あーあ
明堂院いつきクラスの女がいればすぐにでも結婚するのになあ 「構築主義」とは、
存在は思考によって構築されるというような人間(中心)主義的な西洋哲学w
すべてがそれぞれの主観という超球面であるとすれば、人も物も関係なく、
その主観主義的構築が自然に行われる。 まー結局今は昔というのが一番しっくりくるということだなw >>49
私の考えでは、実在世界は唯一であることは、他者との関係性以前に、主体のあり方としてそうです。
ここでは、実在世界と対になっているのは夢の世界です。
昨日も一昨日もこの世界にいたというのが実在世界の所以の1つだと思います。 >>54
何だと思って検索したらプリキュアだった。:) >>60
それは唾液の残り香が意識の内側に存在するでしょう。 思弁的実在論に従うなら、
経験は思弁的実在の後に来る。
経験が(主観的)実在や客観を形成するわけではない。
最初の思弁は経験によるものではなく、受動的な情報によるものだ。
情報->思弁->経験。
ただし、経験による思弁との差異は情報としてフィードバックされる。 最初の情報はノイズかもしれない。
でも、そうすると、時間(空間もだ)という思弁的実在が先になければならないw
時空間は並進対称性であり、この、並進対称性を作り出しているものが「対象」である、
とも考えられる。
始まりも終わりもない世界に、めんどくさいものを持ち込んだのが「対象」であるw
このめんどくさいものが自然に発生するのだ、とすれば、
「対象」(=心、物)が無い世界はもっとめんどくさいということだ。
「無」は無いのだから、なにかが「ある」。
そのなにかが無秩序であれば「対象」のない無秩序は究極的にめんどくさい世界だろうw
無秩序は究極の秩序でもあり、ただひとつの秩序ともいえる。
この無秩序という秩序は自然に破れて小さな対称性になる。
究極の対称性は究極の秩序であり、無秩序に戻る。
なにかとはなにかというと、(現時点で)われわれにはそれを2つの点としか呼べないだろう。
0次元球面がわれわれの宇宙のすべてであるw 口を開けたら食道の空気部分は意識の内側なのか?
口を閉じたら食道の空気部分は意識の内側なのか?
矛盾のない回答をしろ >>70
話を逸らすなよw
意識の内側外側は大事なんじゃないのかw アホの時計はこれくらいにほぐしてアホのでこすけに引き渡そうかw >>71
もう自分で考えなと言ったろ。
>>72
ここだ。
>>73
何キレてんの。 >>76
アホの時計の設定ルールもガラスの置物だなw 口を開けたら食道の空気部分は意識の内側なのか?
口を閉じたら食道の空気部分は意識の内側なのか?
矛盾のない回答をしろ >>55
「構築主義」というのは一般的にはそういうことだという印象です。
少なくとも『なぜ世界は存在しないのか』とか『有限性の後で』とかの段階では
汎心論的な視点がある気がしません(メイヤスーは「相関主義」ですが)。
私としては、単細胞生物は単細胞生物なりに、
重粒子は重粒子なりに表現された体験世界をもっている
というイメージです。
ネットワーク上で情報を交換しながら ひとつの仮想世界を共有する
ということになるわけですけど、
むしろ共同幻想の構築というかんじのような気もします。
共同幻想世界は単純なものから複雑なものへと進化しただろうと思います。 実在世界が体験世界へと変換されるとなれば
まさにそこにハードなプロブレムが生じます。
少なくとも実在世界とされるものを
一般的なイメージとは異なるものにしなければ
この問題は避けられない気がします。
なお私としては、実在世界にあたるものは客観的存在ではなく
主観内部に蓄積され間主観と共有されている情報ではないかと考えます。
意識の深層には膨大な情報が蓄積されているはずです。
これはもちろん仮説です。 おまえはくるくるくるくるじゃなくてくるくるパーだなw 共同幻想世界は自立分散型で成立し
「見えざる手」によって管理され
個が勝手に書き換えることは出来ない
つまりボトムアップ的に世界は共有されていると思います。
その逆はある気がしない、
客観が個を誘導する仕組みがある気がしないのです。 一旦 汎心論は置きましょう、
心はどこにあるのかというお話です。
普通の人は人形には心は無いだろうけれども
人間には心が有ると思うでしょう。
心が有るところは見えるということです。
では体のどこかというと、例えば首から上か下か、普通は上です。
首から上のどこなのかというと、例えば脳の中か外かといえば、普通は中です。
この流れでどんどん絞り込みたいところです。
しかしじつはこのあたりで二つに別れるとは思います。
それでもとりあえず一個の細胞、一個の分子、最終的には一個の素粒子まで行くと私は考えます。
もうひとつの道は、複数の素粒子の間で何らかの作用が働いたときに精神が誕生するパターンですが、
私はそれはない気がします。
明確な境界条件を限定できる気がしないためです。
よって私は心は観測されるなら、これ以上は分解できない粒子として現れるだろうと考えます。
さて、それではその粒子を無理矢理でもカチ割ったら、
その断面にその心の内面を観測できるのでしょうか、
その心が感じている色や音や味が出てくるのかという疑問です。
私は出てこないと思います。
その素粒子とその心とは、別のところに有るだろうと思うのです。
で、それぞれはどこにあるのかというと、
素粒子は観測者の意識の内側、
心は観測者の意識の外側ということになる
と私は考えます。
お粗末様でした。 >>86
私としては、私の意識の外側とは、
この世界の私が体験できない領域
と位置付けています。 書き換えることでボトムアップするという幻想はあって、その際は共有されていないわけで、
「見えざる手」は「見えざる手」によって.. >>87
ならおまえと時計の意識の内外の範囲を示してみろよw >>86
例えば、視覚に関して、網膜、視覚野の機能はある程度明らかになっているわけで。素粒子説は無理があると思う。 >>89
もうちょっと具体的にお願いします。
状況がピンときません。すいません。
自分の中だけならシナリオを書き変えることは出来ると思います。
しかし普通は全員は無理だと思います。
私のイメージでは、例えば私が歩くというのは
この世界に存在するすべての精神の共同幻想です。
私の意志だけで歩けるわけではない、
まして念じれば空を飛べるわけではない、
みんなで変わらなければ幻想と言えど変わらない >>90
例えば私も時計さんも見ている月は、空に一個だけある同じ月です。
しかし時計さんにそれがどのように見えているのかは私には分からない、
時計さんが見ている景色は私の意識の外側という考え方です。
本当に見ている確証さえないのが特徴です。 意識のありどころは、ブラックホールの類似物の表面ですね。
いまのところそう考えて検証中です。
その表面は超伝導状態に類似します。 >>93
見えざる手というはアダム・スミスをパクったものですけど
その実体は存在しません。
例えばネットの普及でテレビが衰退しています。
これは何者かによるコントロールではなく個の選択でそうなったものです。
テレビの衰退はボトムアップだと思いますけど、
あたかも何者かのコントロールを受けているように、というかんじです。 >>94
脳活動が一個の素粒子に影響を与えることはあるが、
シナプスの発火みたいなことで精神的実体が無から生じるわけではない
というイメージです。
あるいは脳活動は精神に影響を与えるだけで、
無から生じさせるわけではない、
むしろ精神の生成に脳は関係ないと考えています。
例えば精神の中に最初の映像が生じたのは
脳が成立する以前だった気がします。 を、衰退ですか。それなら
『メディアの法則』マーシャル・マクルーハンとその息子の本をお薦めします。
【メディアの4法則「テトラッド」】
A:「拡張」―ある意識を「拡張」(拡大)させる。
B:「衰退」―ある意識や物を「廃れ」させる。
C:「回復」―かつて失ってしまったあるものを「回復」させる。
D:「反転」―そのメディアの特徴が極限まで推し進められると、急にその性格を「反転」させてしまう。
Kindle Unlimited 会員ならただで読めますね。 >>95
指パッチンで全て変わらないですよね。以前キーパーソンが流れを変える幻想の話をしたけど、頭の中のシナリオを書き換えるとBは変わりCは変わらないから「見えざる手」が伸びてくる。今度はCは変わらないのにBは変わる、終には頭の中を書き換えないのに世界は変わる。
いま「見えざる手」はアナタの頭を掴んでいる。 >>98
テレビの衰退は何者かにコントロールされている感じはしないかな。 >>99
表現説ではそのイメージはもちろんそうです。寧ろ影響も与えません。私は高度な心は少数の素粒子では表現出来ないと思います。 >>100
メディアを人工物に置き換えると「人工物はメッセージである」になりますが
そもそもメッセージとは何なのかという疑問をかかえつつも
しかしどこかにリアリティがありますね。
テトラッドはコジツケのような気もしますが、
「反転」といわれるとむずむずします。
創発の仕組みの試論とも言えそうです。
確かに興味深いですね、ありがとうございます。 >>101
>いま「見えざる手」はアナタの頭を掴んでいる
私は終始掴まれっぱなしだと想定しています。
本来人間には自由意思は無いという立場です。
例えば私が東京駅八重洲側の丸善にレモン型○弾を仕掛けたとしたとします。
とりあえず梶井基次郎の『檸檬』の前です。
私の考えではそれは私の精神を含むこの世界に存在し
宇宙の彼方まで蔓延っているすべての精神の共同幻想です。
誰がそこに行ってもそのレモンを見ることになるというのはそういうことです。
それは一人ではできず全員の合意が必要なことです。
客観的に世界が存在しているわけではないというのはそういうことです。
マジかと、本当にそんなことがありうるのかと、
誰か客観的に世界が存在しているということを証明してほすいのです。 >>102
陰謀論ですね。
私はむしろテレビ局が何者かによってコントロールされているから
ネットの普及で淘汰されつつあるということだとみています。
黒幕にしてみればネットこそ敵ではないでしょうか。
テレビは完全にコントロールできるけど、ネットはそうはいかないでしょう。 >>106
一応マジレスですけど
日本のマスコミの衰退は陰謀ではないと思います。
多少の圧力は無いわけはないと思いますけど、
単に能力がある人がやらないだけだと思います。 >>103
私としても、高度な心(精神)は複雑なシステムからの影響の上に成立すると考えます。
しかし精神は、あくまでも一個の何かだろうと思います。
むしろ心は自己完結できる気がしません。
その外部からの影響なしで成立できる気がしないのです。
外部の存在は超球面さんが仰っているとおり内部で証明できるものではありませんが、
想定して問題が生じないのであれば それでいいじゃんか になるわけです。 >>109
客観世界においては外部は自然であり勿論自己完結しません。 自己完結不能な意識レベルにある主体者の客観世界は幻想に過ぎないかもしれないね >>111
私は客観世界は幻想ではなく実在すると考えています。 真理をとらまえる連想こそがボトムアップなんだけどなぁ..公案を介して経験を積む如くだね。
なぜなら真理との間にたくさんの仮定を置くと、純粋な意識から遠退き、共有が魔術化する。 意識の内外は必要だと言いながらその境界線を真剣に考えないアホがどんどん問題提起するスレはここですかw >>190
おまえ心とか精神とかイコールだったり別々に用いたり結局こじらせる要因だなw >>112
この世に実在するものなんてあるかアホw ちなみに「見えざる手」の魔術には、イメージを具体にすると良い。「見えざる手」が掴んだ頭をグリグリしたりデコピンしたりする視覚像だ。 >>114
どちらでもいい。
>>115
お前さんのことだろう。
>>119
あるよアホw >>121
早く昨日の続きに答えろよアホw
話はそれからだw >>112
おまえの頭の中の実在を示してみろよアホw >>124
何でもいいけどこれでええわw
口を開けたら食道の空気部分は意識の内側なのか?
口を閉じたら食道の空気部分は意識の内側なのか?
矛盾のない回答をしろ 仮説も薄いし真理の追及姿勢も屁みたいなもんだなw
時計は頭の中につむじが現れそうにないなw >>129
これ考えただけでゲシュタルト崩壊しそうなアホの時計w >>121
客観、客体共に主観の認識であっても
客観は主観または主体の作用とは独立して存在するとは限らない
どちらでもいいというのは主観的感情で知的情報とはいえない >>130
せやな。
>>131
なんのこっちゃ。
因みに、意識の内側とは、意識可能な全ての存在。
例えば、ユニコーンは意識の内側で、丸い四角は意識の外側だ。
>>132
客体でいいよ。 >>133
でいいよというか、使い分けられるように認識を改めればいいよ >>133 追記
他者の意識も意識の外側だ。
意識の外側は無い。 〇〇〇〇
〇 〇
〇 〇
〇〇〇〇
丸い四角を意識しようとすればできるのが人間
識別レベルに内側や外側という尺度があるという
強い固定が観念の前提に主観が囚われている >>137
心配御無用。
>>138
というより無いことを代補したがる性質を人は持っている。 1つの林檎が机の上と下にあることを想像してみて。代補が現れるでしょう。 円の中心が四角を描くというのであれば、その四角は丸くない。 厳密な角はどこにあるかとは聞かれていない
意識の内側と外側の認識が固定観念だというのが論点 内側や外側に関係なく丸い四角という存在を意識は識別するということ 意識に内側や外側があるという固定観念から言い逃れたいのだろう >>156
あと、意識の外側は無いと以前から言っている。 >>105
檸檬○弾といえば丸善の京都支店ですが、閉店してたと思ったら、京都本店として復活してた。
いまもあるかどうかは知らんが。
東京の八重洲書店はこないだ閉店してしまった。 京都本店にもハヤシライスがあるようだ。
レモンのスイーツもあるということ。 『丸い四角』は「四角」を修飾するから「丸さを持った四角」と考える人が一定で現れる。これを代補とすると言語的には「比喩」であり、ピンカーの研究によると広く見られる現象らしい。
これが生成文法のイレギュラーか若しくは批判になり得るかは言語(記号)無しに思考できるかというレベルであり(ピンカーは○)、この場合、幾何学の何かしらの代補の可能性だろう。
『四角善』というのに「丸善」を思い浮かべてしまう必然性は何処に在るか、因果関係が範疇を形成するのは解るが、意識の時間的な純粋性に分解していくと、所有の性格が現れてくる。
八重洲ブックセンターは八重洲のブックセンターであり地名に所有され再開は資本に所有される。 そうだ、八重洲書店ではなくて八重洲ブックセンターだった。
まあ、八重洲の八重洲ブックセンターがなくなっただけで、他の八重洲ブックセンターは残っている。
八重洲ブックセンターとか丸善には、散歩がてらに寄っていた。
丸善は洋書しかみなかったけど。 青山ブックセンターは昔、朝までやっていたので夜に本が欲しくなると、
最終の地下鉄で店に行って物色して、始発で帰ったりとかよくやったな。 >>165
丸い四角のブーメランを飛ばしたの何時だっけ? >>133
>>165
認識矛盾を認めないから口からでまかせになるんだよ >>117
言葉の意味は文脈によって変わる
むしろひとつの言葉は二度と再び厳密に同じ意味で使われることはない
と思う
それからそもそも真理の探究は誰も出来ない
絶え間ない言葉のすり替えをしているだけであって
答えが見つかるというのは分かった気になるだけのことだ
と思う
このゲームを混乱させているのは君の方だ
君が意識の外側とか物質とかの存在を証明してしまえば終わる
と思う 意識の内と外とについて、私はじつはよく分かってないというはなし
人間の意識は表層意識と深層意識とからなっていると認識している、
そのふたつがひとつのセルの内側に納まっているイメージ
しかし世界の体験できない部分を意識の外とするならば
私の深層意識は私の意識の中なのか外なのか
私はこの世界に私が体験できない領域があると認識しているが
それは私の個人的体験からの印象にすぎず、証明されたものではない、
そもそも個人的体験からの印象に基づけば理性は絶対でないゆえに
“証明”に本質的な意味があるようには思えないけれども
一方で個人的な印象に基づけば
表層意識は深層意識のアバターにすぎないというかんじがある、
表層意識に起こることには意味がないのではないかということです。 >>177
考えているのは表層ではなくて深層だとすると
“主観”て、言うほど主観ではなくないですか? >>176
おまえは知らないのか知らんが時計は知ってる素振りだぞアホw
おまえも暇ならもっと暇そうな時計を追及してみろよアホw 例えば掃除をしていて、まだまだ終わらないけど そろそろメシにするか
という場面を想定しましょう。与太話のはじまりです。
その判断や行動(物質的現象)には精神現象が関わっている印象があります。
この場合の精神現象は例えば空腹のクオリアとか、そういうもののことです。
例えばロボットであれば精神現象が介在しなくても そのような判断や行動が可能でしょう、
ロボットの場合は純粋な物質的現象で完結できるはずです。
あるいは例えば人間は掃除や料理をしながらでも無意識のうちに
髪をかきあげたりマバタキをしたりすることがあります。
私にはその場合にも精神現象は介在しているように思います。
では、例えば料理で、例えば玉子を割る瞬間の力加減は意識的だとしても、
玉子を冷蔵庫から取り出すときの力加減に精神は関わっているでしょうか、
玉子を取り出すという行為自体は意識からのコマンドだと思いますが、
その際 力が足りなければ持ち上がらないし 力を入れ過ぎれば玉子は割れてしまいます。
普通は無意識ですが、純粋に物質的現象でしょうか、
私にはロボットと人間とでは違う印象があります。
何が言いたいかというと、
深層意識による振る舞いはいろいろあるだろうけれども
その全てが私というセルの内部に由来するのだろうか、
深層意識とはなんだろうということです。 慣れもあると思うな
おれはずっと剣道やってたんだけど最初は意識しなければいけないことが
やまほどあるんだが次第に意識する部分が減ってくる
最高の打突は無意識の打突ってよく言われるんだけれど
何千何万回と繰り返す打突の中で磨かれていく
意識と深層意識は相互的に影響しあってると言えるのかなこの例だと >>181
野球でもピッチャーが投げてから球が届くまでの一瞬に頭で考えていたら追いつかない、
とか聞いたことがある気がします。
科学的に電気信号が神経を伝って脳に行って帰って来る時間が無いとか、
頭はメインカメラにすぎないということでしょうか。 空腹が判断なら気付かれないタイミングで大量のインスリンを血液に投与されて催す場合、その『空腹クオリア』と異なる証明が必要だろう。
それもタイミングを決めた判断と異なる形で。 >>183
よくよく考えたら最初は何も考えずただ打ってた気がするから
最初は無意識的な動作→動作そのものへの理解のための意識的動作に変化して
→無意識の動きを目指すための反復→最終的に無意識で動作する
こんな感じでスポーツはやっていると言えるかもしれない
メインカメラであるともいえるかもしれないけれど過ぎないかどうは分からないです
意識しながら無意識で動くというような動きもしているので
なんとも複雑です
深層意識とは何かという問いは難しいです
あらゆる感覚器からのインプットされた何かでしょうか
意識されるインプットとされないインプットの違いも難しいですし
いい言葉が知りたいですね 自演スレだからなここw
アホの時計=アホのでこすけ=アホの超なんたら=アホの補助匿名w >>180
玉子を冷蔵庫を取り出す例では、微弱だが意識は働いていると思う。 この自由なはずの世の中で目障りになるスレがあるなら、それは何を指し示しているだろう。 >>193
自由と言っても他者と共存する制限付きの自由じゃない。 >>192 追記
微弱でもないか。普通に働いていると思う。 なんか知らんけど、私は『檸檬』は日本橋の丸善が舞台だと思ってました。
マンデラ効果という言葉が一瞬脳裏をよぎりましたが、
私個人の勝手な思い込みでしょう。
八重洲ブックセンターも閉店したのは数年前だった気がしましたけど
じつは先日らしい(数年前たどり着けなかったことがあった無くなったんだと思っていた)。
いずれにしても丸善は丸の内派です。
三階レジに向かって右横のコーナーのチョイスが気に入っています。オススメ。 >>197
ああ、誤読していた。丸の内とやらの丸善が霧台だと。 「とやら」とか書いたけど、東京の地名を普通に知られているかのように書かない方がいいと思うよ。
多分、マスメディアの影響だと思うけど。
関西でも関西ローカルのテレビなどは、難波とか梅田とか特に断りもなく出すが、東京のメディアは全国区でそれをするからな。 実際のところ、渋谷や新宿はほわんと知っているが、日本橋や丸の内はよく知らん。 >>194
抱負の一つでも出そうなところ、その制限というのも単純な自他の差異ではないですよね。 >>203
自他の差異というより、自他の快不快の両立ですね。 >>204
制限が在るから快不快が生じるのではないですか。さて深層表層どちらに分類されますかね。 >>205
制限自体が快不快につながることはあると思う。 >>206
では、その制限はどんな?「他人がいるから」で制限されず快不快を境界するものは何だろう。 >>207
例えば、急いで走っている時、誰かに肩をぶつけないように制限して走る必要はあります。
私は、安楽が快であるように、通常状態の人は快であるように思うな。 本当は『完全主観』なら制限が直ではなく、自が自をしばる快の○M理論に発展しかねない.. >>209
相手を配慮することは、自己を制限することだろう。
>>210
私は、Mではないよ。:) >>211 訂正
この場合、相手に配慮することは、走ることを制限すること、ということ。 >>212
アホwはアホwが付いていないと誰だかわからんな。 しらじらしいアホの時計のアホ探しw
おまえが一番アホだw >>219
しらじらしいって…… 疑われたくなければ、名乗りな。 口を開けたら食道の空気部分は意識の内側なのか?
口を閉じたら食道の空気部分は意識の内側なのか?
矛盾のない回答をしろ >>223
おまえのことかアホw
いつまでもそれでいいのかアホw >>228
意識の外側は無だ。
それぞれの外側は、その空気部分の外側だろう。 じゃあ意識の内側も外側もその境界線もないってことだなw
ところがおまえは前のスレで境界線はあるって言ってたぞw
おまえはアホを通り越してキチガイかよw >>231
覚えとらんわ。すまん。意識の内側は、例えば視界のように、あると言えばあるし、無いと言えば無い。 >>232
正;意識の内側の境界
誤:意識の内側
酒が入っているんで。:) >>233
素粒子理論には詳しくはないが、素粒子と言いたいところだ。 こういうアホの時計にでこすけは触れないからなw
なぜかw いつもはみりんを入れている。白ワインの方が普通だろうな…… >>211
出アフリカ以来、険しいルートを辿ってきた人類だぞ、縛る縄不足なら自覚的とは限らない。
一筋縄ではいかないんだ(σ・ω・)σピシー >>229
地球上がおまえの意識で充満してるが真空管の中だけ意識がないのかw
アホかw コテみんなワイン好きで酔うたら暴走するって綺麗な共通点だなアホw 個はウイルスでも何でも個人的で主観的な世界観を持っていると思う。
そして多くの人は客観的な世界が精神現象と無関係に存在している
ということを前提にしていて、
自分の世界観を客観的世界にすり合わせようとすると思う。
しかしたぶん正解を持っている人はいないと思う。
例えばスレ主は神の存在を信じているということだけれども
私は神は存在しないと思う。
つまり「神は存在しない」は正解ではないし、
じつは「神は存在する」も正解ではない、
そもそも正解(客観的世界)は無いというのが私の考えです。
本当は何が正解かなんてクソどうでもいいことなんだけれども、
ただ汎用性のある世界観とそうでない世界観とはある
(少なくとも私の中には)、
私は世界というのは いつまで秩序をキープできるかのゲームだろうと考えるので
そういう選択をするということです。 例によって目の前にリンゴがあるとしましょう。
トポロジーだったか何だったかでは いつか誰かが球を上手にひっくり返して
ドーナツ型にすしてしまう可能性を考慮するように、
つまり普通に考えて可能性が無いように思える選択肢でも
一旦は確保しておいたほうがいいように、
いつか誰かが目の前に感じるリンゴは存在しないということを証明するかもしれない、
しかし有ると感じている人にとっては有るでいいでしょうし、
あるいは神を感じている人にとっては神は存在するでいい、
で、そのあたりで喧嘩になることがあるとすれば
じつは神の存在云々はあまり関係なくて
本当は何かが貧しいからだと思うんですよ、
栄養とか、知恵とか、ゆとりとか、そういうことではないかなと。 時給だとシフト入れないと貧しくなりリンゴも目の前には存在しなくなる?お後がヒウィゴ:-) 正解がないというだけで現状の問題を思考停止したアホの見本としか言いようがないw >>249
空間があるではないか。あと真空は素粒子が生成/消滅しているらしいぜ。 >>251
正解(客観的世界)は引っ掛かるな……
正解のある世界はゲーム的だと思うけど。
>>252
コーヒーカップとドーナツは同じトポロジーというのはよく聞く。
神は直観するものだと私は思う。 微積分を現象的な学問だとするとトポロジーのようなものは現象に対する法則的な学問かもしれない。 >>259
空気部分ってアホwが言っていなかっけ。忘れた。
>>260
まあ、アホかもな。うん。 わからないのがわかると大変なことになる。M男M美になってしまう。フロイト先生の回診です。 >>251
個人的には、「神がいるorいない」「世界は不可知or知りえる」などはともかく、
「客観的世界は存在しない」は激しく抵抗感じるし、
それが何の意味かも全く想像できなかったりするなぁ。 諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。
今、大乗仏教の本を読んでいます。
無我は自性の無であり、人無我と法無我がある。後者はでこすけさんの考えに近いかも。 エロの判定もできないくせにあるなしの2極作ってその境界の判断もできないアホw かもならエロなのかエロじゃないのかも判断保留ってことで
判断もできないアホwそれだけのことがわからんのか・・・ あと言葉の意味も多様だ。エロスには愛のニュアンスはある。 >>265
どうゆうこと? 人の真理はMってこと? >>258
これもよくわからなかった。今更だけど。解説してもらえるとありがたい。 >>275
言葉の意味は視点を変えても変わらないな
主観的に読解してるのでは? >>280
いや、視点の異なりと言葉の意味の多様さの2つあるということ。 言葉の意味の多様さなんてないでしょう、どの言葉も辞書引けば同じ意味しか載ってない あくまでも主観的客観世界であり、
主観から離れた客観世界は、主観世界では証明も検証もできない。
客観世界は、体系外の公理である。常に更新される。
主観世界のネットワークはベイジアンネットワークである。
共同幻想ともいうが、これですら主観的共同幻想である。
主観の呪縛こそが、キ教などでいう原罪に相当するだろうw ややや、数日前に書き込めなかったやつがやっと書き込めた。
すでに何に対して書いたものかも失念したがw
ブラウザが自動アップデートすると、しばらく書き込めなくなる。 >>282
例えば、「エロス」を辞書で引くと、5つの意味があり、
2が愛で、3が性的な愛だった。
エロいというのは普通3だが、2の意味にも取れるというわけ。
>>283,284
何に対しての書き込みか私にもよくわかりませんが、:)
主観の呪縛こそが、キ教などでいう原罪に相当する、という文は気になりました。
主観の呪縛は、人だけではなく、生物一般に存在するように思いますが、どうでしょうか。 エロスとエロいはまた別
エロいは好色なさま。また、性的魅力があるさま。
どっちにしろ、エロいかもなではエロいのかえろくないのか
判断してないってだけのこと >>286
もちろん別の語だが、「エロい」の語源は「エロス」だろう。違ったらごめん。
判断しかねるということだね。 >>287
だから君が主観で勝手にエロいをエロスって解釈してるわけだろ? >>286
仏教の本がエロ本だというのは、君ならどう判断する?
ちなみにもとは、「エロ本」だから、「エロい」とも「エロス」とも違う。 エロの意味が性的魅力があるさま。だからエロにいが付いたって意味は同じ >>289 追記
私は「エロスの本」と拡大解釈したわけ。 >>291
まあ、しかし、仏教の本を「エロ本」というわけだから…… エロの意味をエロスに拡大解釈するのは主観の勝手な視点だから
視点の異なりと言葉の意味の多様さの2つあるというのも
君の勝手な解釈だろ >>294
勝手だとは思わないな。「エロスの本」なら理解できるというある種の譲歩だよ。
視点が異なれば、例えば君と私のように意見は異なるわけだ。 エロいかもな。:)
これで「エロスの本」なら理解できると主観的に勝手な解釈をして
だったら理解できるという理解させられるわけがないな
エロを君の視点でエロスの前提にしてる時点で勝手なだけ 訂正
だったら理解できるという風に相手に理解させられるわけがないな >>296
「エロスの本」という意味で、「エロいかもな」ということだ。
繰り返すが、勝手ではない。 >>298
仏教の本をエロ本というなら、自然に「エロスの本」を思い浮かべない?
私だけか……? だから意味を勝手に解釈する主観が問題だっつってんだよばーか >>305
いや、>>299の意味で勝手ではない。 仏教の本をエロ本といわれて主観的にエロスの本を思い浮かべたのはお前の勝手 >>307
それを自然ではないかと考えているわけだ。それが視点の異なりな。 大体「エロいかもな」と「かもな」を付けているのはそういう理由なんだが。 >>309
かもなでそんな理由があるって他人が自然に理解すると勝手に思ってるんだからどうしょうもない >>310
勝手ではないが。
>>311
説得する気がないからな。仏教の本をエロ本という相手に対して。 >>312 追記
「かもな」が視点の異なりとはそういうこと。 >>313
視点の異なりじゃないね、エロの意味を履き違えた主観の誤り >>312
ていうかね、相手はアホw君なんだわ。君は知らないかもしれないけどね。 何か知らんがアホの時計は一日悶絶してたのかw
おおスケベえやのw >>319
悶絶て…… アホw君の信者みたいなやつだったな。:) >>319
ところで、1日というか1時間くらいだと思うが。
アホwにとっては1日だったのかな。 ま、仏教の本がエロ本なら、エロスの本だということだな。
わからんアホwはどうしようもない。 私は独りだ。
変換説と表現説について考えを深めてみる。
私の立場は表現説である。
変換説と表現説を図式化すると次の通りである。
縦棒は前提であることを示す。
脳|→🟥(変換説)
脳→|🟥(表現説)
変換説は内から外への論理であり、必然的である。
表現説は外から内への論理であり、偶然的である。
表現説では脳という実在は可能性であり確率1の存在ではない。 表現説ではクオリアを超える何かは考えられるかもしれない。
図式化するとこうである。
脳→|🟥→|何か
クオリアでさえ確率1ではない何かは存在するかもしれない。 なぜ表現をするのか、そこに表現があるから。
何も前提に置かないから、変換していかない。
さて「わからない→わかる」は変換だろうか。 >>332
わからない→わかる、論理的包含関係ではありません。
¬わかる=わからない、になると思います。 >>333
「わかる」に論理関係が無いとしたら、
対象の無い「わかる」は無いので、
脳の位置に置くと「水槽わかる」だな。 >>333 追記
論理的関係ではないという方が正確でした。 >>334
「鳥が飛べることがわかる」のように、「わかる」の関わる論理的関係はあります。 >>333 訂正
正:わからない→わかる、は
誤:わからない→わかる、 わたしは、変換しかないと考えています。
(広義の)タイヒミュラー空間ですね。
脳は前提ではありません。(変換)演算子が前提です。
これを(表現)演算子と読み換えてもよいわけです。
なぜ演算子(Operator)になってしまうのかといえば、
ブラックホールの類似物だからです。
このブラックホールの類似物の表面にすべてがあります。
うーん、安物の(赤)ワインは効くなぁ。 >>338
変換説より良い名前があるか考えてみます。変換説という名前は一般的すぎますから。 よーするに(広義の)タイヒミュラー空間理論っすよ。 >>340
簡単に解説して頂けるとありがたいのですが。 (広義の)タイヒミュラー空間とは、
変換関数(演算子)の集合です。
なんでこれが宇宙をつくるか、あるいは宇宙となるのか、
それは少しづつ説明していきますw
前に説明した加算はテンソル積だ、ということにもつながります。
このへんになると、宇宙際タイヒミュラー理論ともつながるハズですw
数学、ではなく、理論物理学あるいは量子論として考えている、ということがミソです。 >>343
ありがとうございます。
これからの説明、楽しみにしています。 私は「編集」みたいなイメージです。
「世界」は意識の内部では情報としてあって
その情報は意識の外部に取材したものだけれども
まんまではなく
内部で選択や整理などされて世界像が成立するかんじです。
例えば情報以外のものが情報に変換されているわけではない印象があります。
ネットワークを流通しているのは情報だけだという気がします。 ネットワークを想定しない時計さんとしては
世界を構成している素材(私は情報ですけど)は
どのようにして調達されるイメージですか?
私としては、意識の内部だけで賄えるかんじがしないのですが
いかがでしょうか。 >>336
「鳥が飛べること」が「わかって」しまうと、
飛んでない鳥も、飛ばすことになってしまう。
「わかる」も表現なら無限に「わかる」のだ。 >>345
世界の外部にあるものは、情報以外のものではないのでしょうか。
>>346
調達するということは正に1つの答えではないでしょうか。
私としては、実在的世界は、クオリアから浮かび上がるイメージです。
あるいは、彫刻のように、素材から刻まれるイメージです。
どのようなイメージであれ、実在的世界は、クオリアの後にあると考えます。
>>347
因みに、飛べない鳥はいますから、「鳥は飛べる」は偽ですね。
無限に「わかる」というのは、その通りだと思います。
実際には、人は、抽象的、代表的鳥を思い浮かべて考えると思います。 >>349
で、結局、アホのアホw君は意識のハードプロブレムについてどう考えるわけ? ブーメランってアホの時計を斬って手元に返ってくるんだよなw
世俗にまみれたアホな表現に毒されたアホの時計w
表現云々言い出したおまえみたいなアホに哲学は無理w
死ぬまで寝とけアホw >>351
アホだから質問するのかw
その姿勢が偉そうだと言っているだけだアホw で、結局、アホのアホw君は意識のハードプロブレムについてどう考えるわけ? >>357
おまえみたいなアホを生み出すのが意識のハードプロブレムということだw
理解できたか?
アホには理解できないだろうw >>360
どこがアホだというのだ?
論理的に説明しろよアホw じゃ、おまえの考えではアホを生み出すのが意識のハードプロブレムということだな。
バイバイ。 そういう解釈しかできないアホということだおまえはアホw >>363
まだいたのかこのアホ。
で、結局、アホのアホw君は意識のハードプロブレムについてどう考えるわけ? アホwの考えでは、アホを生み出すのが意識のハードプロブレムということだろ。 >>363
何この変な文章。アホwにしか書けんな。 アホwは本当に笑うのが好きだな。だからアホなんだよ。 アホwの考えは、もう終わっているからな。特に付け足すこともないだろ。 >>365 追記
一応、アホwの考えにマジレスすると、意識のハードプロブレムは難しいから、言葉は悪いが、アホみたいなことを考えてしまうということはあり得ると思う。ただ、それが意識のハードプロブレムの本質的な意義だと考えるのは愚かだろう。 >>374
寂しくはない。
>>375
そうすると、アホwの考えは単純に偽だな。人は様々なことを考える。結局、アホwの考えは誤りだ。 >>355
表現は代表と言ってもいい。
あと、おまえヒドすぎな。 >>348
>実在的世界は、クオリアから浮かび上がるイメージ
私もそのように考えます。
すると次に クオリアはどのようにして生じるのか というのが問題になります。
私は「クオリア」が学問的にどのように分析なり位置づけなりがされているのか知らんのですが、
クオリアには言葉にとっての意味内容と意味媒体とのような二重構造があるように感じます。
例えば「赤」でいうと、「赤」そのもの(?)があって、そこに温かさなどの意味があるように感じます。
このとき、意味的な要素は意識の内部で生じたのだろうという気がしますが、
媒体になっているものはその外部に由来する印象があります。
あるいは媒体に感じるものにはさらなる媒体があって
じつはその意味なのかもしれませんけど、
とにかく最終的には外部からの影響に基づく印象です。
そしてその要素には、こちら側と向こう側があるだろうという意味で
「意識の境界」のひとつとして考えることができると思います。
ただ、先日は「情報」と表現しましたが、それとはちょっと違う気もします。
もう少し考えてみたいところです。 >>383
>クオリアはどのようにして生じるのか
月並みな意見ですが、クオリアは知識の始点ではないかなと思います。
私は、温かさもクオリアだと思います。
意味媒体とは何でしょうか。
私は物質や実在のことかと思いましたが、
物質は存在しないと考えるでこすけさんは異なる考えを持っているのかなと思います。 赤を見ている、赤の周辺も見ている。
赤だけを見ることはできない。
人をそのまま見ることはできない、心をそのまま見ることはできない。
直接何かを見るとは何も見てないということ。 意識のハードプロブレム(Wikipedia)の無意味な図解↓
https://i.imgur.com/wVPILHY.png 周辺の分類
①物理的周辺
人なら人の周辺(空気、道具など)、家なら家の周辺(道路、空、地下)
②概念的周辺
赤なら赤の周辺(青、緑などの赤以外の色) >>385
>直接何かを見るとは何も見てないということ
その何かは見ているのではありませんか?
>>386
私は言いたいことはわかります。
実在があって、機能的意識(脳)があって、現象的意識があるということでしょう。
ただ、意識のハードプロブレムは、そこから疑うべき問題だと思います。 赤の場合は頭の中に赤の周縁を作ることで赤を見ているのだから赤そのものをそのまま見るというのは不可能 見るという行為も見るという行為の周辺で見る。見ないという周辺で見ている
赤を見るという行為は赤を見ないという周辺で見ている。 >>389
なるほど。しかし、人は注意することで、そのものを見ることは可能だとは考えられませんか? 頭の中で人でも犬でも想像すれば人の周辺や犬の周辺があることがわかる。無を想像すると無の周辺により無を想像している。完全な無、無そのものを見るのは不可能。 存在するものをみるときは存在の周辺も見ている。存在の周辺は無。 存在そのものをみることは不可能。赤そのものをみることは不可能 不可能を考えることは不可能の周辺で考えている。不可能を不可能として考えることは不可能 周辺(明)と周辺(暗)の色Xは違う色X、Xそのものを見ることはできない
https://i.imgur.com/HrRSghE.jpg 宇宙人なら周辺と逆の色を分けてから上から見て地球人に周辺と逆の見る話をする 色を想像するとき必ず周辺を用いる
周辺のカラーバリエーションは白?黒?赤?赤を考えるとき赤の周辺を赤にして赤をみるとき見ようとしていた赤はどこに溶ける? 溶け出した赤は周辺の赤の海に流れてゆくのか?赤の海は凍るか? 脳の海が赤を赤にするし赤の氷河は溶け出さない、氷河は思想的な何かで思想がファジー真実は具体的で、錯覚は抽象的、格差するとき逆の色を分けてから世界がある 意識のハードプロブレム(Wikipedia)の無意味な図解↓
https://i.imgur.com/wVPILHY.png \(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/ >>391
横だけど、むしろ可能性をいうなら「注意しない」ほうが単一対象を「見る(と意識せず見る)」ことになるだろうね。錯視などはどれだけ注意を傾けても「そう見えてしまう」類だ... >>384
例えば自動販売機では赤が温で青が冷ですけど
赤に冷たいイメージを持つ人もいるかもしれません。
赤が温か冷かはあとから学習することだと思います。
しかし赤に温をイメージする人であろうと冷をイメージする人であろうと
🔴は同じものでしょう。
このとき🔴は言葉でいうところのシニフィアンにあたり
温とか冷とかがシニフィエにあたると思います。
何かに意味を感じるとき、そこには必ず二重構造があるはずです。
あるいは🔴も何かの意味かもしれませんけど
よくわからないのが特徴です。 >>424
「赤」がシニフィアンで、🔴はシニフィエじゃない? >>423
私は、見るという行為は注意は伴うような気はします。 >>424
で、問題は 🔴はどのようにして生じるのか です。
>>384からすると、はじめからあったような印象ですが、
私は率直に疑問を感じます。
私は意識の外部からの影響だと思います。
もちろん証明はできませんけど、
状況証拠から察するに、その可能性が高いだろうと考えます。
でこすけさんのオハコのチョッカンというやつです。 しかし、確かに注意せずに見るということもありそうです。 >>425
「赤」と🔴との関係でいえばそうだと思います。
しかし🔴と「温」との関係でいえば、🔴はシニフィアンになりませんか?
私はこういうややこしい話は苦手です。 >>429
「温」にもシニフィアンとシニフィエがありそうです。
「温」と「赤」の関係は、共起関係ではないでしょうか。 ここで無理矢理「意識のハードプロブレム」につなげると、
しかしここで重要のように思われるのは、
つまりこの問題は心身問題の変則的なものですけど、
ようするにかなりの昔から、しかも多くの頭のいい人たちが考えたであろう
にも関わらず未だに答えが出ないということです。
何故か、
私は前提が間違っているからだと思う。
🔴は意識の外にあるものが中に映っていると思いがちですが
本当は意識の中にしか無い、
感じるままの世界が意識の外側に広がっているというイメージが違ったのだと思います。
では🔴は それを認識している意識の外ではどういう状態かというと
一番近い表現では「情報」だと思います。
精神のネットワークを流通している情報であり、
客観的実在(精神が無くても存在しているもの)ではない
というのが私の印象です。
そして、客観的実在が無い世界には意識のハードプロブレムも無い
というのが私の考えです。 >>426
注意を伴う限り、いくら注意したって弁別を繰り返すか、せいぜい小さな発見があるぐらいだけど、実に「注意」は行為を差し向けるものだね。 >>430
>「温」にもシニフィアンとシニフィエがありそうです
具体的な例が欲しいところですけど、いかがでしょうか。
例えば私は「あたたかい」は「気持ちいい」というシニフィエに対する
シニフィアンの気がします。
ただし「生あたたかい」はむしろ気持ち悪いかんじがあります。
どのくらいの温度が気持ちいいのかは学習だと思います。
年寄りがクソ熱い温泉につかったりしますけど
私にはあり得ません。 >>431
基本的に同意ですが、意識の外側と精神ネットワークの関係がわかりませんでした。例えば、石ころは意識の外側にあり、精神ネットワークにもあるのでしょうか。 >>433
ちなみに「赤い」「温かい」「気持ちいい」というのは
意味が階層構造を形成しているということだと私は考えます。
このような「意味のヒエラルキー」と「精神のネットワーク」とで
この世界に起こっていることの全てが説明できるのではないか、
というのが私のチョッカンです。 >>432
注意しない行為としては、「見える」という語はありますね。 >>434
「石ころ」というのはどのように認識されているのかというと
色であったり重さであったり手触りであったりヒンヤリ感であったり
つまり意識の外には無い 中だけに生じているものの意味として、
あるいは「クオリアから浮かび上がるイメージ」として生じるのだと思います。
では「色」や「重さ」や「手触り」や「ヒンヤリ感」は何に由来するのか、
私の考えでは精神のネットワークに流通している情報であり、
つまりその外部に存在しているものではない、
あるいは言い方を変えると、石ころは道端に転がっているのではない、
意識の中に有る、
禅問答みたくなるわけです。 >>436
「物自体」から考えたら「見る」と「見える」はどちらが根元的な表現ということになるだろう? >>433,435
シニフィアン/シニフィエが階層構造を成すというのは斬新な考えだと思います。
>>437
そこまでは同意なのですが、>>431でいう意識の外側とは何なのかがよくわからないのです。
>>438
「見える」の方が基本的だと’言えるかもしれないですね。 「意識の外側」というのは、世界の中の私が体験出来ない領域のことです。
私も日々様々な体験をしているつもりなんですが、
どうやら私が知らないところで何かの事件が起こっている印象を受けます。
本当にそうなのかどうかは厳密には証明出来ませんけど
一応辻褄は合っているようです。
そこでその領域を「x」と仮定します。
「x」を含む方程式から解を導き
その解を使って問題が無ければ問題は無いということ、
つまりその解が正しいかどうかは問題ではなく、使えるかどうかの問題です。
その解は正解とは言えなくても近似とは言えると思います。
むしろ正解を見極めるのは不可能だと思っています。 >>447
意識の外側は無いというのは、言い換えれば、知らないということですから、
でこすけさんの考える意識の外側と両立可能だと思います。 私としては世界はシンプルな仕組みで成立しているだろうとチョッカンしています。
ネットワークの中で情報が交換され、
その情報が変異と淘汰とによって洗練されたのが私たちの体験世界、
例えば共同幻想と個人的幻想とで自然競争があれば共同幻想の方が有利で
つまり体験世界の共有は高い確率でおこると思います。
それに対して ふたつの互いに還元出来ない実態が相互作用するとか
ある実態が特殊な状況にあるとき自身と異なる実態が生成されるとか
話としてちょっと苦しい気がします。
しかもこの世界に実態が2種類あることが証明されたことは無い、たぶん
意識のハードプロブレム、物質とされているものの本質、生命現象の仕組み、
無意識とされているものの実態、価値(例えば真善美)の由来、
自然法則の成立過程など、
そういったものは世界の仕組みを明らかにすることによって明瞭になる
しかも同時に
というのはムシが良すぎるはなしでしょうか。 >>448 修正
知らないというよりは、知り得ないという方が正確だった。 >>450
問題は、全てが自分の意識の内部だけで完結できるのか
ということだと思います。
私は完結できる気がしない、
実際にあたかも外部があるかのような体験をしています。
何故 私の体験世界には外部の存在がほのめかされているのだろう、
実際に外部があるからだ、という安易な道です。 外部の存在を証明出来ないということは
内部で完結する可能性もある、ということでしょうか。
もちろんオカルトだったら完結できるでしょうけれども
そうは言ってもリアリティが欲しいです。 >>451
例えば、ニューヨークのハンバーガーの味は、知り得ます。
知り得ないことは、昨日のニューヨークのハンバーガーの味などです。
それは、ある種の無です。
意識の外部は無であるとはそのようなことです。 >>453 追記
タイムマシンを使ってとか、同じ味のレシピがあるとか、様々なツッコミはあり得ます。
「無」の例は難しいのです。 >>452
私は、無は証明されないと疑っています。 >>453
申し訳ない失念してしまったんだけれども
時計さんの体験世界の成立に「神」は関わっていましたか?
時計さんが存在を信じる神は創造主ではなかった印象があります。
その神は知り得るのかどうかが気になるところです。
意識の中なのか外なのかということです余計なお世話で恐縮です。 >>453
そのハンバーガーは、今ニューヨークに存在していますか? 私は神の存在を信じていますが、神のことは知りません。
知り得るか知り得ないかも知りません。
可能性ということであれば、人は神の側面を知り得るのではないかと考えます。 >>457はでこすけです
ちなみに私の感性でいうと、
そのハンバーガーはニューヨークにあるのではなく、
時計さんの意識の中にあることになります。
そもそもニューヨークも時計さんの意識の中にあるんですけど。 >>458
私の関心事は唯我論の可能性です。
そのとき超越的なものの関与は必須であるのか否か、
しかし時計さんは唯我論とは違う気もします。
>>459
精神のネットワークを信じている私の感性でいうと
やっぱり時計さんの意識の中になります。
ただし深層意識の方です。
一個の精神は、このネットワークに所属する全ての精神から
間接的であっても影響を受けることになります。
表層意識にはのぼらなくても人間はすべてのことを知っている
もはやヤケクソです。 私は他者の意識は存在しないと考えますが。
超越的なものの関与というか、私は世界は神秘に満ちていると思います。
深層意識ですか。影響を受けるから知っているというのは飛躍ではありませんか。 ぶっちゃけばなしで恐縮ですけど
つまり気に障ったらごめんなさいですけど、
私は神秘というのは手品のようなもので
タネが分かってしまえば神秘ではなくなると推測しています。
タネ明かしはしないほうが本当はいいのかもしれませんけど、
バチがあたってもいいから知りたい、
でこすけのゆえんです。
この世界の全てについては「知っている」というよりも
「潜在している」の方が適切かもしれません。
「潜在意識に潜在している」
じつは扉が閉まっている冷蔵庫の中の牛乳も
潜在意識の中には潜在していたのでした。 >>464
神秘はタネがあっても神秘ですよ。
神が私を導くならどんなタネがあっても神秘でしょう。 意識のハードプロブレムの解決は
発見とか実験結果とかではなくて
世界に対する見方を変えることによって
だと思うんだな、
だっておかしくないか、
何故優秀な人たちが束になっても分からないのか、
何故答えが出ないどころか答えの導き方さえも分からないのか、
そういう場合は問題文を読み直して
その意味を理解するところからだと思う、
では「物質および電気的・化学的反応の集合体である脳」とは何だろう
「主観的な意識体験(現象意識、クオリア)」とは何だろう
全然はなしが進まないですね >>466
私の考え。
「物質および電気的・化学的反応の集合体である脳」は私の主観の表現=代表です。
「主観的な意識体験(現象意識、クオリア)」は始まりであり、結果ではない。 >>465
手品のばあい、タネが分かると逆にスゲーということもあります。
プロレベルだと得てしてタネが分かればできるというものではないようですし、
神の御業となると どうなってしまうのでしょう。 >>467
認識されている脳が意識の中に表現されたものだというのは同意ですけど、
意識が全ての始まりかと言うと、私はそうでは無い気がします。
体験世界を表現する仕組みの一部分ではあるだろうけれども
全てではない、さらにさかのぼる必要がある気がする、
例によってチョッカンですけど。 >>472
クオリアは始まりです。全ての始まりとは言っていません。 「脳が先か 心が先か」私も心だと思います。
これは「存在が先か 認識が先か」に言い換えることができる
かもしれないことだと思います。
脳とされているものは認識されたものにすぎないはずです。
脳とは何か、よく考える必要があるとは思いますが、
ここで答えが出るのかどうかは微妙な気もします。 >>474
>「存在が先か 認識が先か」に言い換えることができる
「実在が先か、認識が先か」なら同意できます。 何が先でもいいけど、それがどのように生じるか言わないから哲学未満なんだよね
実在が先ならその実在はいつ・どこで・どのように生じるか言わないと なんというか頭は付いてるけど思考力が入ってないAIみたいに見える。哲学してるんだよな? >>476
文脈的に、認識が先だと伝わるかなと思ったけど。
>>477
思考していますよ。
>>478,479
時間の無って何だろうって思いますね。 >>480
認識が先ならなぜそう思うのかを続けるべきじゃないかってことなんだけどね哲学未満っていうのは
言えない理由とかあるの? 先の先の話を聞きたいなあ
先の先の先の話でもいいよ 物質の反応で実在する物が形成され
形成された物がまだ形づくられていない
物質と反応することで生成が始まり
生成物は進化し多様な生物が誕生し
生物が物質と反応を繰り返す過程で
いわゆる意識が無意識から形成された
こんなとこですかね 我々の祖先は無意識なのかな?
なぜそう言えるのかそれを示す根拠みたいなものはあるのかな? 根拠を聞いたら根拠の根拠を聞きだすんだけどね。意地悪だから。でも意地悪に対抗できない思想的薄弱、哲学未満だから仕方ないね 軽口すらかわせない哲学未満なんか時間の無駄だよ。やめちゃいな~ 無意識から意識が覚醒する根拠に限っていえば
自分の意識がある間に自ら根拠足り得る意識に
到達できるかできないかしかない
できないなら他人のせいにしても仕方がない >>481
朝起きた時、主観から始まるからじゃないかな。確かに、実在と認識の関係に置き換えるのは強引だけど。
>>482
人は認識と共に運動するような。
>>483
先の話は来世の話になりますが、先の先や、先の先の先の話は途方もないです。
>>484
私は、そのようなことを考える主観に基礎を置きます。 よく分からない。私一人説得できずに誰を説得できるのだろうか?
コメントつけられずに避けられるだけだよ、そういう経験ないかな?書き直してみてよ。 >>489
途方のない話になる理由とかあるのか?意外と近いかもしれないのに。適当だね~哲学未満だよ。 >>491
私には遠いかな。近いと思うなら頑張って。 >>492
それは逃げのコメントかな
自分から逃げるんだね。自分の発言に根拠とかないから明日とかには自分のことでさえ忘れてそう >>494
誰が誰やら。何からの逃げなのかよくわからん。
>>495
責任を負うつもりはない。 >>496
認識は主観から始まるってこと?朝起きて。
①主観と認識ってどう違うの?
②主観はどこからくるの?
まずはこれから聞かせてよ >>497
適当な考えで良ければ。
1. 主観は私の世界。認識は知る働き。
2. 朝起きたらいつもある。 >>498
寝ているときに主観はないの?夢は主観的なものではない? 起きてるとか寝てるとかが主観の先にあるかどうかに影響するとは思えない 軽く思想的負荷をかけたら答えれなくなっちゃったか。まあ普段哲学未満のお遊びやってるみたいだから仕方ないね~ >>499
夢主観は、主観であってもなくてもどっちでもいいかな。
>>500
私は、夢のことはよくわからない。 >>503
人それぞれ、活動の仕方があるからな…… >>504
なぜ「どっちでもいい」のか分からないんだよなぁ。君自身も本当は何もわからないことをはやく白状することをおすすめする 時計よ、全てのこれまでのお話に意味はなく適当だったと言い給え~ chatgptを自分の思想の補助輪にしてやったほうがマシだぞ >>508
それはないわ。
>>509
ChatGPTは、日本語だからかもしれんが、まだまだだと思う。 >>510
なぜ「それはないわ」なのか分からないんだよなぁ。意味のあるお話してくれよ。死ぬほど根拠と理由を問いただすかもしれんから。そういうとこだぞ。補助輪使えっていうのは。 >>513
なら聞くけど、なぜ?なぜこれまで意味のない話をしてこなかったと言える?物証というか、意味のあるレスをスクショして見せてよ…
という話はズレてるな、とりあえずその話は置いといて、「何が主観の先にあるのか」を答えられないのは事実。そういう行為能力が君自身の経歴を語ってるわけだ。 主観には客観性を伴わない私が信じている世界で
認識も知識未満で主観的にそう認識していれば
認識内容が客観的な知的情報出ない場合で
強要範囲の世界だろう そもそも、始まりも終わりもない。
ただあるのは無秩序と秩序だが、秩序が始まりや終わりなどという煩悩をうみだす。
秩序は無秩序の一種にすぎない。
とすれば、無秩序だけがあるのか、というと、無秩序と語ってしまえば煩悩であるw
語ることは秩序であり、煩悩はさけられないw
とわいえ、無秩序ですら秩序の一種である。
無秩序でも秩序でもなく語れない/あるいは語らない何か。
それは「混沌」でよいのかもしれないが、「混沌」と語ってしまうと違うものになる。
「混沌」と語れない/語らないなどと「語って」しまへば元の木阿弥。
語らずして、それを示す方法は矛盾許容論理であろう。
これは禅問答や公案などと呼ばれるものの最終形態なのかもしれない。 例えば「映像」は意識の中にしか無いものだと思います。
例えば富士山の映像は視覚のある生物の意識(?)の中にしか無い、
目がある生き物が見ている映像以外の映像はあるのだろうか、
あるいは例えば人間が見ている富士山と昆虫が見ている富士山とでは
視覚器官の構造から察するに違っているだろうと推測されているわけだけれども、
あるいは人間が見ている富士山こそが正解だという保証はあるのだろうか、
それ以前に「正解」はあるのだろうか。
さらには富士山の手触り、味、匂い、ぬくもり(?)、
私にはそういったものも仮象に過ぎないものに思えるんだけれども
では本当の富士山とはどのようなものだろうか。
何が言いたいのかというと「本当の脳」とはどのようなものなのか、
そもそも「物質および電気的・化学的反応の集合体である脳」の「物質」とは何なのか、
このあたりにつなげたいわけです。
例えば>>484さんに伺ってみたいんですが、
どのようなものを「物質」として想定しているのでしょう。
私には、認識していないところでもそれが客観的に存在するという感覚は
じつは錯覚のように思えるのです。 タイヒミュラー空間は(広義に考える限り)写像あるいは対応のようなものであり、
細かいことをすっとばして抽象化すれば、対象と対象との間の射である。
広義なので、対象そのものも(超)抽象化される。
対象をノードと呼べば、(広義の)タイヒミュラー空間はエッジである。
はっきりいって、このような形で語られる(広義の)タイヒミュラー空間は、
保存則さえ満たしていればよいw
ノードである対象は、エッジであるタイヒミュラー空間と異なるものか、というと、
そうでもない。ノードなど、タイヒミュラー空間がみている夢でしかないのだw
対象などなく、射しかない。そうともいえる。 私の話はようするにあやふやなんですが、
確かニールスボーアだったか誰だったかが量子の振る舞いについて
「答えは分からないのではない、答えは無いのだ」みたいなことを言っていて、
それに対してアインシュタインが「んなアホな」
みたいなツッコミを入れていたと思うんだけれども、
このスレでも「答えは無い」に懐疑的な人の方が多数派に感じます。
私には量子論はドイツ観念論を科学的に裏付けたということのように思えるんですが
私としても「存在とされるものは認識されて成立できる」にリアリティを感じます。
例えば素粒子が相互作用しているらしきとき、少なくともそのイメージは近似です。
では主観のないところでどのようにして相互作用するのでしょうか、
私はそれは虚構のような気がします。
ゆえに例えば素粒子の交換が引力や斥力になることを説明できない気がするのです。
物質と精神との相互作用がいわゆるハードプロブレムですが、
じつは素粒子同士の相互作用もハードなプロブレムだったと思いました。 >>523
おまえみたいな慇懃無礼なおごり高ぶったアホは毎日目を閉じて横断歩道でも渡っとけw
生きてたらおまえの疑問の答えでも見つかるだろw
知らんけどw >>526
いかにも
私が言っていることは、君たちが信じている神は存在しない
みたいなことです。
本当のことだから仕方がないです。 >>524
少しタイヒミュラー空間のことがわかってきましたが、実際は難しいんだろうな。 (絶対)神は、矛盾するゆえに(体系内には)存在しません。 (絶対・唯一)神は矛盾するゆえに、体系外に追いやられるが、
それを公理とすれば、爆発律によるなんでもありな世界が構築されるw
たとえなんでもありだとしても、保存則だけは満たされねばならない。
すなわち「神(God)」とは「保存則」であるw
神といえども保存則(神自身だw)に逆らうことはできない。 >>523
あなたの言いたいことが理解できているかどうかわかりませんが、考えるに物質および云々である脳というところの物質は、意識した映像を結ぶのに必要な対象の質感だと思います。認識していないところ(無意識)で対象は映像化できないから客観的に存在するという感覚が錯覚のように思えるという感じでしょうか?
私が想定してる物質はクオリアが想起しうる客体です。 神はいつでも現世を終わらせることは出来るだろう。そうしないのは神の慈悲か。 でこすけ→人間に都合のいい対象的な神はいない
時計→それでも神はいる
アホたちの無間地獄w ご指摘ありがとうございますぐらい言えんのかこのアホはw ヒントを言うなら何を語るにしろでこすけのアホはいつも感情的だw
常に性善の理想が前提で物事を考えているw >>544
掲示板は、参加者それぞれが考えを磨き上げる場所ということね。 アホwは、何と言うかネガティブ。性悪説とは少し違う。 >>545
アホwの言うセンスは悪口のセンスだろ。そんなんなくていい。 やっぱりおまえはセンスないw
扱いはそのままだアホw >>553
失礼な扱いをしている自覚は有るんだな、アホw >>526
おまえが慇懃無礼だとか笑わせるな、アホw アホwは、中身はいいから、表面(言葉)を綺麗にしろ。 で、アホwは哲学してみたら? アホだから出来んか。 物質は私の意識を表現=代表すると考える点において、私の考えは唯物論に近い。
一方、心は物の先にあると考える点において、私の考えは唯心論に近い。
ここで、唯物論と唯心論は両立できないものかと疑問を持つ。
私は、両立できると思う。
ただし、唯心論という基礎の上に、唯物論を構築する。
そのような両立だ。 >>563 追記
唯心論と唯物論の対立は、聖と俗の対立に似ていると思う。
唯心論と唯物論の両立は、仏教の在家信者のようなものだ。:) >>563
おまえのは哲学ではないw
ただのパズルだアホw
おのれででアホなルール作ってそこから抜けられないどどどどどどどアホw >>565
哲学だよ。おまえも自分でやってから言え。 おまえらの話は直近の会話の中身の否定だけでそこから何の発展もしないからなw >>570
未熟でも議論することに価値があるんだよ。
アホとかセンスないとか中身のない議論をしても仕方がない。 >>572
私を含め皆成長していると思うよ。
アホアホ言っているおまえは一番停滞しているだろう。 >>577
おまえは口論のセンスと議論のセンスを履き違えている。 >>564
ならそれぞれ何故そう思うか述べろよアホw >>580
どっちの根拠だ?
アホwが停滞しているのは見たまんまだろ。 >>581
そもそも結論への流れを示さないのは議論とは言わないからなw
ただの無理問答だアホw
それをいつまでも続けるおまえは無間地獄のオナニストw >>583
おまえが停滞してるからそう見えるだけだろw >>584
またそうやって自信のないことは発言をはぐらかすからなおまえはw >>592
じゃあこっちはおまえの100万倍成長してるぞアホw >>591
じゃあ長文でバシッと書けよアホw
もう寝るからw >>593
アホアホ言うスキルだけ向上しているんじゃないの。 >>594
だから、議論でアホwとか言うな。
じゃ、おやすみ。 >>535
ちょっとズルい言い方になってすいませんけど、
私は「物質は存在しない」と思ってます。
「思ってます」というのは、証明はできないということです。
そもそも非存在の証明は場合によっては大変難しいことで(例えば「神」とか)
「物質」もそのひとつだと思います。
しかし少なくとも言えるのは例によって例えばリンゴですが、
つまり眼の前にリンゴが見えるという状況は、
何らかのかたちで実際にリンゴがそこに存在するという場合と、
じつはリンゴ自体は実在しないけれども それがそこに見えるようになるシステムはある
という場合とが考えられます。
リンゴが見えるという状況は、リンゴの実在の一択ではないということです。
実際に夢の中に現れるであろうリンゴは実在しません。
幻覚なども同様ですが、とりあえず私は「仮想現実」と表現してきました。
では何故私は証拠が無いながらも物質は存在しないと考えるのかというと、
世界が互いに還元できないふたつの実態から成るという考え方が不自然にかんじる、世界はもっとシンプルなもののような気がするということと、
物質そのものは体験できない、物質とされているものは常に精神的なもの(例えばクオリア)に変換されて現れていて、実在する直接的な証拠がないということとが主な理由です。
さらには私個人の感覚に過ぎないものかもしれませんけど、
物質は存在しなかったとしても私たちの体験世界とまったく同じものが成立する可能性があるように思えるということもあります。
むしろ一元論的な世界観の方が意識のハードプロブレムを始め
物質とされるものの振る舞いや生物の営みについて説明しやすい気がしています。
とにかく私としては、物質とされるものは無いと考えた方がスッキリする気がするのです。 >>563
私は唯心論とか言っていますけど、それは建前で、
本当に存在しているものは私たちの意識ではとらえることが出来ないものであろうと推測しています。
本当に存在しているものというのは、物とか心とかとはイメージが違うもののような気がするのです。
心が存在しているような感覚も錯覚のような気がします。
心だと思ってつかまえたものは、よく見ると心そのものではない気がするのです。
どうしてもタイムラグがあって、その僅かな時間で別物に変質してしまっている気がするのです。 >>598
そう言えば、でこすけさんが以前紹介してくれた、中込照明著『万物の起源 唯意識論が全てに答える』を図書館で購入希望を出して予約しました。6月に準備できるそうです。私としては、唯心論より唯意識論の方がしっくり来るし、楽しみにしています。
私は、物も心も存在すると思いますが、本当に存在するものはそれらではないという考えも少し共感できるところはあります。それ自体として存在するものはないという空の論理に近いところもあると思います。 >>559
私としては、そもそも「存在」という表現にちょっと違う感を感じます。
「万物流転」からすれば「存在」には継続性がある気がするので違和感が生じるのです。
更新されてしまうということは、たちまち消えるということのような気がする、
そこで私としては「現れる」みたいな表現の方がしっくりくる気がします。
以前時計さんに提案してもらった「実現」もいいと思います。
ただしメジャーになる気がしないのが特徴です。
で、何が言いたいのかというと
「この世界には何が存在しているのか」という問いにはあまり意味がないのではないか、
細かいニュアンスにこだわると、「存在している」と言い切れるものは無くなってしまうのではないか、
そこで私たちはどのように問い直すべきなのかというと、つまり、
「この世界はどのようなものとして現れているのか」
ますますメジャーから遠ざかる気がするわけです。
でこすけさんもメジャーに憧れはあったのでした。 >>600
私は、存在は存在してしまう。そのように思います。「現れる」という語は、実在しているものが意識に現れるということを示唆するように思います。 ぶっちゃけ言えば、「存在」の厳密な意味は人間の言語では定義・表現不可能だと
考えればいいのではないでしょうかね。
そもそも人間が作り出した言語自体、記号体系として表現に限界がありますから。 存在は「事物がある??こと。人物が居ること。また、その、ある(居る)もの。」という
実在は「われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。」
とそれぞれに意味があるけど、思い込みでなんとなく言語表現されている話には限界があるね。 >>601 修正
正確性に欠けました。「現れる」という語は例えば、十字路で左の道から人が現れるというように、無いものから有るものへと状況が変化することを示唆すると思います。そういう意味では「気付き」という語にも近いのかもしれない。無いものは実在していたと後から考えるわけです。
>>602
有とは何かということですね。クオリアとは何か、感覚とは何か。とりあえず留保しておきたい言葉ではあります。
>>603
実在とは言え、我々と離れて別に存在することは不可能ではないかと私は思います。 >>604
何か知りませんが、おめでとうございます。:) >>605 修正
「我々と離れて別に」とは私の言葉で言えば「独立性の高い形式で」ということかもしれません。 >>607
「われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの」は正にその「独立性の高い形式」といったそう思うからそうかもしれないというような私的解釈の思いに左右される存在ではないでしょう >>608
なるほど。しかし、実在とは言え、「我々とは完全に独立に」存在することはあり得るでしょうか? 我々とは完全に独立に存在するという私的解釈の余地自体ないといってるのがわからないのなら仕方ないね 「実在」の意味するところにおいて「客観的に存在するもの」の「客観的」とはわれわれがそう思うからそこにあるように見えるのではない存在。※「客観的解釈」は実在の意味における「存在」に該当しない >>613
それはそうですね。サイコロの目がそれぞれ1/6で出るのも、私がそう思うからではなくて、客観的な事実だと思います。 未来の予想に確率使うなんてアホかw
どこが客観的事実だアホw >>615
アホwは余計だが、未来の予測に確率は使うぞ。天気予報とか。そして、サイコロの場合、客観的事実だ。 おまえらは目に見えるものしか対象にしていないが酸素の存在で例えてみろよアホw >>615
良い忘れていた。
議論に、アホwとか使うなよ。 >>616
予想と違う結果でも客観的事実かw
なんかおかしいぞおまえw >>618
おまえの扱いを変えないと言っただろアホw >>622
言っていようが、言っていまいが、アホwとか使うな。 サイコロの出方なんて厳密にいえば出た目から逆算した投げ方だろアホw >>625
アホwとか言うな。
おまえの親の顔が見てみたい。 >>626
わけのわからん話だがおまえの親の顔は立派なのかアホw 誰もいない森の木がたおれても
音がしないなら、
木自体が存在しないと思う >>2
素朴な疑問。
なんでこんな5ちゃんねるで自信満々に哲学語ってんの?そもそも。
なぜ哲学科行くとか論文書くとかしようとしないの?なんで?自信がないの?面倒臭いの?自信あるならなんでこんなとこでおなってんだって話なんだけど。 >>601
とにかく私が示したいのは「世界はどのようなものなのか」です。
私の印象では例えば、現れている石ころも絶え間なく代謝している、
ある意味では刻々と別物に生まれ変わっている、
それを見ている側が同じものだと思っているだけだという気がするのです。
具体的な例ですが、ドラえもんのどこでもドアの仕組みについての都市伝説的なはなしで、
こちらからドアをくぐろうとするとのび太くんは完全に分解されて のび太くんについてのすべての情報が転送先に送られ
そして転送先でのび太くんは おそらく転送先で調達した物質で再生される、
つまり記憶から何から転送前とすべて同じ情報に基づいているから本人さえ気づかないけれども 物質的にはまったく別物に入れ替わる、
この場合 普通の感性で言ったらドアをくぐる前ののび太くんとドアをくぐった後ののび太くんとは別人だと思うんです。
さて、私が個人的に想定している世界像からすると
少なくとも私たちが認識している対象はそのような変化をし続けるもののように思えるというはなしです。
一人ののび太くんが存在し続けているような感覚は、つまり錯覚だと思うのです。
世界はたぶんライフゲームのようなもので、
アイデンティティ以外のすべては絶え間なく生成消滅を繰り返しているイメージです。 >>633
我ながら支離滅裂なレスでした
何を言っているのか意味がわからないのが
(とりあえず)正解です。 >>602
私としては、そもそも哲学に「存在」という概念を考察する意味はあるのか
みたいなことを問題にしてみたかったのです。
例えば私はカントを高校の教科書レベルでしか知りませんけど、
カントは懐疑的だった印象です。
しかるに意識のハードプロブレムは存在論を背景にしているもののように見えます。
私は意識について、スーザン・ブラックモアの『意識を語る』を参考にしていますが、
すると哲学界隈には物心二元論と唯物論との二大派閥がある印象を受けます。
カントのコペルニクス的転回は何だったのかとかなるわけです。
支離滅裂シリーズの第二弾でした。 >>603
>実在は「われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。」
レスの主旨からずれるかもしれませんけど、
私としては「われわれ」の中身が問題だと思います。
私が想定している「われわれ」は、素粒子レベルにも内在しているであろうすべての精神です。
例えばスティーブ・ジョブズが噛じったリンゴは私(でこすけ)がいなくても もちろんスティーブ・ジョブズがいなくても この世界には有っただろうとは思いますが、
しかしこの世界に所属しているすべての精神が無ければ無い、というのが私の印象です。
私たちが認識している物体は、例えばお金の価値のように、われわれの意識の外側には無いと私は考えます。
精神から独立して存在するものを想定すると、認識の過程にハードプロブレムつまり破綻が生じる、
ハードプロブレムが生じるということは二元論が論理的に破綻しているということだと私は考えます。
ただニュアンス的には、見たいように見ているみたいな見る側のコントロールがあるかんじではなく、
かと言って外部から決定されているわけもないけれども、
一応カスタマイズされてはいるとは言える
くらいのかんじだと思ってます。 >>632
辛辣ですね。私は5chは気に入っています。
>>633,634
代謝は生物学的現象だと思います。
どこでもドアは向こうの景色は見えたような。
ライフゲーム云々はよくわかりませんでした。
ここが支離滅裂な部分でしょうか。 >>604
才能の無駄遣いですね。わかる気もします。
ところで美魔女さんにはどこで会えますか?
虎穴に入らずんば虎子を得ずと申します。
答えを教えてほしいのです。
まず、今というのがどういう時代なのかを私は知りたい 私はなにげに>>635で『「意識」を語る』をおすすめしていますけど、
一応アマゾンのレビューをチェックすると、高評価も低評価もあります。
ただ、私の印象では低評価の人はその本に答えを期待した人たちです。
確かに答えはありません。
しかし全体を概観するにはいい本だと思います。
教科書的に参考にしていただければということです。 >>628
その前に私の質問に答えて下さい。
ご飯を食べるということが何故物質が存在することの証拠になるのですか?
物質としてのご飯というのはどのようなものですか?
ご飯として認識されているものは精神現象に変換されて現れていると私は認識します。
あなたが言い出したことです。 >>638
普通「代謝」は生物学的現象のようです。
しかし私はもし生物の定義が動的平衡系であるとすれば
意識の中に現れているものとしての鉱物も この定義に矛盾しない気がする、
あるいは「生命」という概念を拡張解釈すれば あらゆるものを「生命」と言い得る気がする、
若干後出しジャンケン気味ですが、そんなかんじです。
認識されている世界は絶え間なく更新されているけれども
認識者はその中に変わらないものを感じる、
「変わらないもの」というのはある種の錯覚のような気がするのです。
ちなみにどこでもドアのたとえはうまくなかったと思ってます。良い例え話が浮かばなかった。
なお分解うんぬんは公式ではないようです。あくまで都市伝説レベルです。 >>642
石ころは動的平衡系でしょうか。
変わらないものは私もないと思います。しかし、非生命の場合、それは代謝というより摩耗とかそんな感じだと思います。
>>643
アホとか言うなよ。 未来の予想に確率使うなんてアホかw
どこが客観的事実だアホw >>637
素粒子に内在している精神って・・・?
あなたが認識している物体が意識の外側に無いとどうしてわかったんですか?
無いなら、あるかないかも考えられないのでは?
あなたの精神に破綻、生じていませんか? >>641
おまえが見えてるか見えてないかわからないその存在があるかないかもわからないリンゴでもおまえがどうしようもない空腹ならそのリンゴを食べるだろアホw
それはリンゴの存在を知った上での行動だろアホw
それでおまえは命をつなぐわけだがそれは何故だか考えてみろアホw >>649
何故対象の存在一択なのか証明になっていない以前に説明になってないじゃないかアホw
日本語から勉強しなおせアホw
ちなみに何故生物は外部と循環させる必要があるのか
アイデンティティを維持するためだ
そのために対象が存在している必要はあるのかよく考えろアホw >>651
やけくそかアホw
認識と存在の話だろアホw
おまえのアイデンティティを維持するためには何が必要だという話だろアホw
アホでもわかるように説明してやるがリンゴがどうやってアイデンティティに変わるのかを説明しろってことだボケw >>652
リンゴがアイデンティティに変わる? 何言ってんだコイツ。 それともリンゴが血となり肉となるということだろうか。 何故対象の存在一択なのか証明になっていない以前に説明になってないじゃないかアホw
日本語から勉強しなおせアホw
ちなみに何故生物は外部と循環させる必要があるのか
アイデンティティを維持するためだ
そのために対象が存在している必要はあるのかよく考えろアホw >>644
少なくとも石ころ自体ではなくて、意識に現れている像の方は
動的平衡系と言い得るもののような気がします。
とりあえず物理学でいうと、目視は光の反射によるものですが、その光は絶え間なく入れ替わります。
情報媒体は刻々と別物ですが、そこに変わらない何かを認識者が見出しています。
私は物理学自体には根本のところに疑問をもっていますけど、
私の世界観に照らしても理屈は似たようなかんじです。
石ころ自体が代謝しているのかどうかは未だ見極めがつきません。
私の世界観では石ころは意識の外側にあるのではなく内側にあるものなんですが、
その下部構造(?)は外部に由来するだろうと推測します。
その下部構造(石ころ未満)については
何故この世界にざっくり鉱物植物動物があるのかという問題につながる予感があって、
もう少し考えてみたい(考えなければならない)ところです。
ちなみに>>656は私ではありません。善意の第三者だと思います。
またアホw君の場合「アホw」は「byアホw」とうことだろうと
私はわかりやすいので重宝しています。 >>648
素粒子に内在している精神というのは基本的には私が勝手に言っていることです
(このスレッドで話題になったところでは中込照明という物理学者も何冊かの著作で展開しておられますが)。
ただし「微粒子」と表現を改めさせていただきたい気持ちがあります。
一般に素粒子といえば基本粒子か重粒子のことで、原子や分子が含まれない印象があるためです
(私だけかもしれませんけど)。おそれいります。
さて、私の妄想になりますが、もしおよろしければ少しお考えいただきたいお話です。
私としましては世間様の一般がどのようなものかわかりかねるのですが、
近頃の印象として、「心」は人間だけのものではないという感覚はわりと普通なかんじがあります。
例えばYouTubeにあるペットの動画などでは飼養動物に心があることが当然の風潮です。
となると心は進化の過程のどこまでさかのぼるのか、
漠然と思うに、精神も単純な状態で発生し、やがて複雑なものへと進化したのだろうと、
すると例えば精神の能動性はあとから獲得された能力であろうと、
では認識上の物体で、どのレベルまでさかのぼるのかというと
おそらく生物以前まで行くのだろうという展開です。
一方で、もし精神の出現が生物の出現まで無かったのだとしたら、
この宇宙はそれまで物質だけの唯物論的世界ということになります。
648さんがどのように感じるのかはわかりませんが、私には不自然な気がします。
もしこの世界が物心二元論的なものであるならば
それは開闢の瞬間からそうであるべきのように思うのです。
もちろん事実関係はわかりませんが、始めから二元世界か途中から二元世界か、
私は唯心論推しではありますが、もしこの世界が二元世界だとするならば、私には前者の蓋然性の方が高い気がする、
つまりあくまでも気がするレベルです。 >>659
石ころが動的平衡系ですか。私はその辺りは詳しくはありませんが、石ころは代謝していないような気はします。
石ころ未満の下部構造には何があるのでしょうか。
下部構造と言えば、以前私は唯心論の基礎の上に唯物論を築くだとか言いましたが、目指すところは、唯物論と唯心論が等しくなる地平だと思い直しました。 >>648
>あなたが認識している物体が意識の外側に無いとどうしてわかったんですか?
私は例えば「音」は意識の中にだけあるものであって、
外側には無いという説を支持します。
ラジオの電波それ自体は音ではないように、空気の振動もそれ自体は音ではない、
意識の中に初めて音として現れるという考え方です。
私は同様に「ひろがり」もそのようなものだと考えます。
意識の外側に物理学的な空間は無いということです。
つまりひろがりを持って存在するということはあり得ないということになります。
物体の物理学的運動などもいわゆる仮想現実だと思います。
すべての出来事は精神の中で起こっているという考え方です。 >>661
例えばエアーズロックは一日の間に光の加減で見た目が変わるらしいですけど、
つまりその石ころには変わる部分と変わらない部分とがあることになります。
すると変わる部分というのは動的で、となると平衡系と表現していい気がしますが
いかがでしょうか。
ちなみに動的平衡については私も福岡伸一氏の本をチラ見した程度のことしか知りません。
「下部構造」という表現は階層論を意識したものです。
「石ころ」というのは何かの意味(上位要素)でしょうから、
つまり下部構造というのはその「何か」のことです。
意識の外部から少なくとも影響を受けてはいる印象があります。 >>663
詳しくはありませんが、動的平衡系と言うと、川海雲などの巡回システムを連想します。そこへ行くと、石ころは単純に受け身ではないかなと思います。
下部構造に関しては、大体わかりました。何かというのは物質のような気はしますが、その辺りどうお考えでしょうか? >>664
指摘をされてみると、私に思い込みがあったかもしれない気がしてまいりました。
私のかんじでは平衡系というのは、本人の知ったことではなく、とりあえず結果、
あるいはまわりで見ている人が勝手に言っているだけのもののようなイメージがありました。
それを目的にしたシステムがあるわけではないかんじです。
生物の場合は設計図はあると思います。
しかし実際の形態形成の過程では偶発的要素の影響が大きく
(例えば環境の変化や材料の調達事情など)
現場では設計図は参考程度ではないだろうか、
むしろ行き当たりばったりではないだろうか、
ただし行き当たりばったり的ながらも現場監督が最終調整をしているような気はします。
いずれにしても進化に事実上の目的地は無いということです。 >>664
物質とされているものは、それ以前に情報だと思います。
あるいは何らかの意味です。
その情報がどこからどのようにして調達されたのかは課題だと思います。 >>652
やけくそじゃアホw
創発て言っとるじゃろうがアホw
等能性とも言っとるじゃろうがアホw
同じことなんべんも言わすなボケw 「同じことなんべんも言わすなボケw」←言葉の綾です。
不明な点はご質問下さい。 >>664
巡回システム→循環システム
>>665
DNAがあってもカルシウムがなければ骨の形成などは遅れそうですしね。
>>666
なるほど。情報ですか。物質は上位と下位、どちらの構造にありますか? >>662
何かの情報や意味はなにかでしかない、つまり何かを何かの意味や情報に言い換えると主張ですね
音は意識の中にだけあるものといいますけど、耳が機能する身体がないと
ラジオの電波も空気の振動も音と感覚されもせず意味にも情報にもならないですし
仮想現実という妄想の置き換え説で良いと思いました。 >>662あなたの仮想現実は「精神の仮想世界」だと結論付けました、説明ありがとう カール・ヤスパースの暗号形態そして暗号解読さらには限界状態。
これらを哲学から切り離して暗号論的疑似乱数として考える。
とういうか、暗号論的疑似乱数やら一方向性関数を考えていたら、
ヤスパースの哲学がみえてきた。ただし超越者とか神は除外する。
暗号論的疑似乱数とは、疑似乱数がseedによって決定される決定論的なものであるにもかかわらず、
暗号論的に推測不可能なものである。
あくまでも限界状況だけを考える。乱数も0/1だけを考える。
よーするに、0と1だけの予測不可能あるいは圧縮できない数の並びである。
そもそも0と1だけなので圧縮できるような機構/機能は内在しないが...
そのような限界状況では、どのような数の並びであっても、真の乱数である。
予測するものがいなければよいのだw
でもそうすると真の乱数であると語るものもいなくなるw
ただ、0/1の並びがある。(0/1すらも語るものがいないのだが...) 《長野立てこもり男》青木政憲容疑者(31)は「会話のキャッチボールが成り立たない人」近隣住民が抱いた「結婚式欠席」の違和感(NEWSポストセブン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/02af62199f4463ce6ee5456a793aed305cf02f5c 0/1では意味がありすぎる。2状態としよう。
この2状態が意識を持つまでを考える。なにが必要となるか。
(状態は無定義用語とする)
その前にゼロ状態を考える。
なにもないのだからなにもない。
「ない」とすら語れるものもいない。
「ない」とすら語れるものもいないのだから、「ある」のかもしれない。
なにかがあってもよいのだ。それを否定するものもいない。
そう考えると、何かがあっても語るものがいなければ「ない」と同じである。 正しくは意識がどのように生じたか語れる考えが、論理がなにもない だろう ゼロ状態を考える。
考えているものはゼロ状態の体系外にいて体系内には干渉しない。
状態と呼ぶ場合、なんらかの(自己)同一性を持っているともいえるが、
(自己)同一性を持たない状態というものも考えられる。
体系外の考えているものにとって、同一性を持たないものは指示できない。
ところが、指示できないということを指示することは可能だ。
このような状況を考えるなら、そこには「境界」がある。
境界がなければゼロ状態は成立しない。
量子論の多世界解釈は、観測者を含むが、観測者を含む多世界を考えている体系外のものがいる。
体系外の考えているものまで体系内に持ってくると矛盾してしまうだろう。
矛盾しないための、たったひとつの冴えたやりかたが...ある...
それが対称性だ。 私としての「ある」「ない」は主観で「あった」「なかった」は客観だと考えてるんですが
でもそうするとその時の「私」ってどの私の視点で見ればいいのか分からないんですがこの辺りって普段どんな感じで意識するものなんですか? >>678
> 私としての「ある」「ない」は主観で「あった」「なかった」は客観だと考えてるんですが
ちなみにそれぞれを主観もしくは客観だと考えらる判断材料はなんなんでしょう? >>679
「ある」は私が今までそうだったからこれからもそうだろうと思っているから主観
「あった」は刺激を受けた私だから客観
例えだけど客観を
「ここにリンゴがあるよ」と彼は彼の主観で言うけれど目を瞑っている私が手でリンゴを触ったときに言う言葉は「(私の知っている)リンゴがあった」
私が手でそのリンゴに触れなかったか触ったものが私の思うリンゴでなければ「(私の知ってる)リンゴはなかった」
彼が「リンゴがある」と言ってても触ってない私にはわからないから不明なので「(彼があると言っているのだから)ある」とも思えるからあると言えるし「(触ってないからリンゴは)ない」とも思えるからないと言える ちょうど、(ゲーデルの)完全性定理の中に(ゲーデル)の不完全性定理を埋め込む
ようなことを考えていた。これは一種の矛盾許容論理である。
(この完全性と不完全性は同じ完全性を扱うものではないことに注意)
そう考えると、「ある」は不完全性定理の側であり、「あった」は完全性定理の側である。
これを、前者が主観で、後者が客観と考えることには強い興味をおぼえた。
確率論的にみるのであれば、主観確率と客観確率だ。
論理的帰結が証明不可能か証明可能かの違いである。 ごめんねなんかあれだけど主観とか客観とか意識とかの合意が得られてないように見えてさ
他にも素粒子とかも量子化が前提だったりして波ー!ってなるし解釈問題とか夢と現実の便利さとかあるしさ
お酒入ってるときの意識レベルと主観客観知りたいよねー 秒速で反論が思いついてしまう自分は駄目人間なんだろうな。円滑な議論を邪魔したくないので黙ってよ >>669
私としては、体験世界は意味の階層構造を持っているものとして理解すると分かりやすくなる気がしています。
この意味の階層は上にも下にも限りなく重ねられそうなのが特徴です(たぶん最下層は確定されていない)。
その上で「物質」についていうと、これも相対的に上になったり下になったりするのだろうということです。
じつは「物質」という概念ではうまい例が思いつかなかったので、「水(という物質)」を例にとりますと、
「水」は意識レベルでは「ぴちゃぴちゃした透明の液体(下位)」の上位(意味)です。
しかし例えば「生物」という概念(上位)からすると、「水」はそれを構成する要素のひとつ(下位)になります。
さらに「ぴちゃぴちゃした透明の液体」にも下位はあるでしょうし、「生物」にも上位はあり得るでしょう。
ようするに認識されている体験世界には意味の階層構造が内在されている、
そしてその層の形成過程こそが認識上の物質や生命や社会の成立の本質であろうというのが私の考えです。 >>671
とりあえず「耳」も「身体」も「ラジオの電波」も「空気の振動」も意識の中に現れているものです。
それらがそのままで意識の外側にあるという確証はありません。
私は耳があるから音が聞こえるのではなく、音が聞こえるから耳を見出したというのが順番だろうと考えます。
また、夢の中では耳を使わなくても音が聞こえることがあり、
つまり音は必ずしも物質的な現象ではないということだと思います。 >>678
盲点だから、視界に入っているはずなのに見えない
というはなしかな? >>684
そういうことであれば、意味の階層構造は重要だと思います。私は、同じようなことを論理関係として捉えます。 >>685のいうとりあえず意識の中に現れている仮想認識は、685の意識レベルでしか確認できないから685の意識の外側にそれらがある確証がないというのはわかる、音は必ずしも物質的な現象ではないという思いは、685の意識レベルで合理的に理解できる仮想認識だ。
健常者は音波が届く感覚器官の位置に耳があり、正常な内耳機能を持つ身体で現実世界に産まれ、耳を塞ぐと音は聴こえづらくなることを知る、音を聴く内耳機能が備わっていない障害を抱えて産まれた人に音を体験できない形ばかりの耳はあったとして、現実世界で音波を音として聴いた体験をしたことがない、彼らは夢の中でも音波を聴こる音として思い出せなず音は聴こえない。 自然にできあがる、ということで、自発性タイヒミュラー空間が、「意識」であると、
軽はずみに断定してしまうw
そうなると、「意識」とは、なんらかの変換機構/機能である。
この(広義の)タイヒミュラー空間を挟んでいる対象を、
ドメイン空間とコドメイン空間とする。
D空間からC空間への変換空間Tが(広義の)タイヒミュラー空間になる。
(ここでいう空間は、空間論などの空間ではなく、情報論的な空間であり、
情報論的な関係を除去すれば、単に「集まり」(≒集合、クラス)のことであるが、
そもそも「集まり」とは関係性があるとすれば、
最初から情報論的な関係や数学的な関係を持っていると考えたほうがよいだろう) D->T->C
変換には、共変、反変・双変・不変など考えられるが、
ようするに情報論的な曲率(そんなもん定義されているかどうか知らんw)の違いである。
DとCを区別しなければ、
(T(
(T)
(T|
)T(
)T|
|T|
と6パターンあるはずだ。 >>686
視覚に入っているはずなのにって時点で第三者の視点が入ってるよね
「ある」って別に視覚に頼る必要はなくて触って触覚で考えてもいいわけだし
他者から「ある」と言われても私が触わってないなら「ない」ではなくて「不明」だよねって話 時間はともかく空間とかって哲学ってなんか視覚の研究みたい
なのに精神とか言い出してくるのがわかんない
目が見えない人は哲学を語れないの? 意識のハードプロブレムっていうなら
「赤」と「暗がりで見る赤」って同じ?
過去の経験から引っ張り出してるだけじゃないの?
もし暗がりという語で装飾してるから違うというなら貴方の「同じ」って何? 何故対象の存在一択なのか証明になっていない以前に説明になってないじゃないかアホw
日本語から勉強しなおせアホw
ちなみに何故生物は外部と循環させる必要があるのか
アイデンティティを維持するためだ
そのために対象が存在している必要はあるのかよく考えろアホw でこすけ=時計か別ルートで連絡可能なやつなんだろな >>695
アイデンティティを維持するためにリンゴという対象が存在している必要はあるみたいだな
なのに物質は存在しないと考えてるのか >>692
「私」というのも自分では見えないし触れないし
じつは「不明」なのではないかという話かな
ところで>>686の「盲点」というのは生理学的な「盲点」のことのつもりで、
つまり第三者ではない自分の視点を問題にしたつもりです。
目玉は脳に繋がっているわけですが、神経がくっついているところは見えない、
視界に入っているはずなのに見えていない
(両目開いていれば相方の盲点をカバーできますが)、
一応今までの人生で生理学的な盲点にたまたま縁が無かったひとのために
とりあえず右目の盲点の探し方です。
位置としては視線まっすぐの中心のちょっと右よりにあります。
左目を閉じて、ひとさし指の爪を目から30センチくらい離して視線に合わせ
視線はそのまま指だけを右へまっすぐ少しづつずらしていくと
盲点に入ったとき爪が見えなくなります。
そのままもう少し指を右へずらし指が盲点から出ると再び爪が現れます。
たぶん自分で自分を直接認識出来ないのはこれと同じリクツだと思うのです。 >>693
このレスで想定している「哲学」というのが「形而上学」のことであるならば、
私は目が見えないどころか自分の本当の姿を知る由もない人、
例えば水槽脳のような、そういう人でも形而上を考察することはできると思います。
そして答えは同じになるとも思います。
例えば私たちの現実とされる世界であれ、水槽脳が体験している仮想世界であれ、
「我思う故に我あり」は同じでしょう。
私が例に挙げている視覚は、あくまでも例であり、
他の感覚でも同様のつもりです。
で、私が何故「精神」という表現を多用するのかといううと、
これは長くなりそうなのでレスを改めます。 >>688
私は子供の頃から耳鳴りがあって、
最近歳をとって血圧が上がったせいか
ボリュームがでかくなった気もするんですが、
耳が聞こえない人というのは血圧が上がっても
耳鳴りはしないのでしょうか。
音そのものがない完全な静寂の世界にいるのか、
そもそもそれを確かめる方法はあるのか。
マンガで音がない状態を「シーン」と表現しますけど
これは音が聞こえている人の発想だろうと思います
(ちなみに初めてこの表現をしたのは手塚治虫だそうです)。
音が聞こえない人にとって、そもそも音が聞こえないということから無い気もするんですが、
どうなんでしょう。 >>693の意図とはズレるかもしれませんけど、一応私のスタンスです。
自分語りで恐縮ですが、私も意識のハードプロブレムばかりを考えているわけではありません。
私としては自然科学的な謎に興味があって、例えば量子とか遺伝子とか無意識とか、
そして結論的に、そういったものにリアリティを与えるためには いわゆるパラダイムシフトが必須だろうと考えています。
意識のハードプロブレムも然りで、世界観そのものから改変しなければならないと思っているのです。
で、私としては、物心二元論も唯物論もじつは唯心論も間違っていると考えています。
「実際に存在しているもの」は物とか心とかではない気がするのです。
ただこのスレッドでつまり意識のハードプロブレムを展開するにあたって、
私としては先ず物質が虚構であることを示したい、
そのために便宜的に唯心論の立場を取っているということです。
一般的に言って、普通は自分の心は存在している感覚があるでしょうから
ことさら矛盾は感じられないだろうと思ったのです。
また、心について、それは錯覚だとする立場(唯物論)がありますが、
そのような主張があるならばその人と意見交換をしてみたかったけれども
三年間現れなかったということがありました。
例えば「物質」の定義をうかがってみたかったのです。
いずれにしても先ずは一元論的な世界観を示す必要があると思います。
しかしいきなり物でも心でもないものを出すのはアレですから
とりあえずの唯心論ということです。 以前から言っていますが、私は唯勿論を推します。:) 真面目な話、物も心も存在しないという考えはアリだと思います。 ところでせっかくなので、久々に遺伝子の話です。
以前「ゲノム計画」と言っていたと思いましたが、
DNA上の情報をすべて解析してしまおうというはなしがありました。
しかし終わって見ると、その情報は、進化の過程を調べるなどにはいいけど、
生物の形態形成のすべてをフォローしているわけではないということになった、
確かそんなかんじだったと思います。
遺伝のすべてがわかったわけではないということです。
で、これはじつは1980年代にすでに指摘されていたんですけど、
つまり遺伝子解明としてのゲノム計画は失敗するだろう、
DNAは記録媒体にすぎない、
例えば光ディスクに記載されている情報が映像情報なのか音声情報なのかは
その再生装置とセットでなければ確定はできない、
ところがDNAの再生装置については分析以前にどのようなものかがよくわからんわけです
(最近の事情は存じませんけど)。
さて、DNAの再生装置とは何か、
ここで私は飛躍するわけですけど、
私は唯心論的な視点からでなければ実体をつかめない気がしています。
そもそも「もののありかた」から認識を改める必要があると考えるわけです。 >>706
「勿」?「勿来」の「勿」?
いずれにしても今までの私の人生で使ったことがない言葉なので
なんとも言いようがありません。恐縮です。 >>709
物の旁の勿ですね。忽とも掛けています。 >>711
厄介ですか…… それなりに考えてはいるのですが。 >>694
「貴方」とは誰でしょうか?
>>696
スレ主に運営から広告収入の一部が出るのならともかく
むしろ運営は連投を規制してきます。
たぶん5ちゃんの運営は経営が厳しい、
過疎板とかはうま味がないんじゃないかなと思われ >>713
私の「物質」と時計さんの「物質」とでは意味が違う
と簡単に一蹴出来ないので厄介という意味ですが、
厄介はお互い様ですし、大意はありません。失礼しました。
いずれにしても「唯勿論」の詳細をうかがいたいところです。
何故あえて「勿」? >>704
音が聴こえない人は音を知らないといいたいのかな
自分は音が聴こえない、音がどういう感覚かわからないけど
それがどうかしました? >>715
物であり心でもあるものを勿と呼んだまでのことです。物でなく心でもないものとも言えるかもしれません。最近、大乗仏教関連の本を読んでいて、アップデートできればなと思っています。 まともに考えれば意識のハードプロブレムは個々人がああだこうだバラバラの主張になるような能書きレベルじゃないとわかるだろう
進化の過程でかくかくしかじかこういう過程を踏んだから現象的意識を生起する青写真がホモサピエンスの遺伝子にセーブされることとなった、そういう次元。 運動不足のアホには見えないものがアスリートには見えるレベルの話だよなw
本ばっかり読んでもかたわレベルの既存の意識の範囲の中での答えしか出ないのだし空でも飛べるようになってから目先の定義の吟味をし直せって話だよなw
コテってキチガイレベルのアホだよなw
まだ人間の極限を攻める宗教の方がマシというレベルだw >>716
おそれいります。
せっかくなのでとりあえずふたつほど質問をさせていただきたいのですが、
お気にさわりましたら申し訳ありません。
まず、音がしないというのは静寂がどういうものなのかも理解できないということでしょうか。
もしそうであるならば、例えば私にも その感覚がないという感覚さえない ということがあり得るということです。
人間と違う進化の過程をたどった生物が、人間の持っていない感覚をもっているかもしれないとき、
それは何を意味するのか、
その感覚を通して現れる私たちが知らない世界のあり方とは何なのか、
あるいは逆に、つまり世界は感覚を経て現れますが、
例えばもしこの宇宙に視覚を持つ生物が現れなかった場合、この宇宙に映像情報はあったと言えるのか、
さらには感覚を持つものがいなくても世界は成立するのかというところにつながると思います。
ふたつ目は下世話に聞こえるかもしれません。すいません。
その昔、吉本隆明が坂本龍一にインタビューしていたのを思い出すんですけど、
吉本は考えるとき書き言葉で考えるらしいんですが、「坂本さんは音で考えるんですか?」と、
「それはない」瞬殺していたのが印象に残っています。
ちなみに私は考えるときはシチュエーションを設定します。
ここに投稿する場合は書き言葉で考えますし、
オフ会で時計さんに会っている設定とか、討論番組に出演している設定とかでは話し言葉で考えます。
ただしいずれにしても(意識の中の音無き)声(疑似的な音)で考えていることになります。
さて716さんはどのような記号(?)で物事をお考えになるのでしょうか、
やはり文字でしょうか、
だとすれば文字を覚える前はどのようにして考えていたのでしょう。
これはさらに音声言語や文字の無い思考の可能性へとつながります。
そもそも「思考」とは何なのかという疑問です。恐縮です。 >>717
ひとくちに仏教と言ってもいろいろありやすが、
何故に大乗仏教なのでございやしょうか、
大乗仏教には「救済」という要素があるものもあって、
時計さんもキリスト教の信者としてそのあたりにつながるものを感じるのかな
という気もしますが、
形而上的な分野ではインド哲学とか東洋哲学とかに広げた方が面白いのではないのかな
という気もいたしやす。
ウィキペディアの「インド哲学」によると、インドでは古来哲学論争が盛んであり、
今に残っているものは議論で鍛えられたものだということで ちょっと興味深いところです。
そして噂によるとその結論が現代科学(量子論)と通じるところがあるらしく
いよいよ抜き差しならぬところなわけです。
ちなみに私がのぞいた限りでは、何が何だかわかりませんでございやした。 >>725
一応、順序は追っています。中村元選集の東洋人の思惟方法シリーズ、ゴータマ・ブッダ、大乗仏教シリーズ、と来て次は龍樹に関する本を読もうと思っています。
私はキリスト教の洗礼は受けましたが、宗教に関してはフラットに見ています。特に仏教は哲学的に面白いんじゃないかと思っています。 >>724
アイデンティティとはようするにある種の「意味」ですが、
意味というのは諸細目の集合を下位として、その上位に生じたものです。
よって まんまですが「創発」ということになります。
あるいは「創発」として認識されるということです。 >>726
いよいよ本当にただの与太話ですけど、
今から思うと仏教や神道やタオイズムというのは文明以前の知恵を継承している気がします。
文明は何かを切り落とした気がするのです。
そしてその切り落とした部分が量子や遺伝子や無意識などの分からなさに通じているのではないだろうか、
しかしこれはまったく見当違いな気もします。
いつか見極めたいところです。 >>722
コテというのに超球面さんが含まれているのかどうかは知りませんけど
(ワシに言わせれば あれはある種のハイジャックやで)、
とにかく私らに関係なく真面目にハードプロブレムを論じるというのはもちろんアリのはずです。
私は場合によっては妨害工作をしますが、そんなものに屈してはいけない、
安全なところでしか意識のハードプロブレムができないとは、どんだけお花畑だよというお話です。 >>728
念の為、言っておきたいことですが、私はキリスト教や仏教の地獄の存在を信じてはいません。無いとも言い難いのですが、あると断言しようとは思いません。
無意識に関しては、仏教から語られることはあるかもしれないなと思います。量子や遺伝子はどうかな…… 温故知新。古い考えが革新をもたらすことはあるかもしれません。 >>727補足
しかし絶え間なく変容する世界では、獲得されたアイデンティティも普通であれば次の瞬間喪失されます。
ただしそのアイデンティティに上位が創発されていれば、等能性という性質によって復活が望めます。
アイデンティティの上位にさらなる上位が創発されれば、もとのアイデンティティはいっそう安定することになります。
これはすべてのアイデンティティなるものについて言えることだと私は考えています。 >>721
このスレは意識の実証観察に時々チェックしてるだけだわ 「等能性」というのはググってもわかりにくいようなので
あくまでも私の理解(あやしい)ですが、簡単に解説しますと、
例えば「意○のハー○プ○ロ○ム」みたいにあるとき、
その欠損が自動的に補われる性質のことです
(例えば普通の幼稚園児にはその四つの○を埋めることはできないでしょう)。
あるいは上位が成立していると、下位の多少の欠損では上位は失われない
ということになります。 >>733訂正
「意○のハー○プ○ブ○ム」 (*´ェ`*)ポッ >>732
横かもしれないですけど、
私としては、スレ主の意図とは違うかもしれませんが、
仕事帰りにバーに寄って、マスターや余所の常連客相手に
あることないこと おしゃべりしている感覚です。
気分転換現実逃避
私のレスはオカルトを見るかんじでいいとは思いますけど
誰かが何かを考えるきっかけになってくれたら なお良い と思っています。 なにしろ年寄りなもんで同じことをのぼりくだりですけど
とにかくおしゃべりしたいじゃん >>730
地獄は...あります...
ほら、あなたの今いる世界が...地獄です... >>737
まあ、地球の重力に縛られた地獄だけどさ。 >>730
量子は仏教がどうかはわかりませんけど
東洋的なものと相性はいいらしい噂です。
遺伝子というか、生命についてはピンときませんけど、
どうでしょう。 >>739
非有非無の中道と量子の関係とか? うーん、どうなんでしょうね。
生命ということであれば、仏教と関わりは勿論あると思いますよ。 >>741
そんな気はしないでもないです。ただ、量子論って数学の世界ですし、まあ、根本的なところで通じるところはあるのかもしれませんね。 >>733
でこすけさんの考えを十分理解していないだけかもしれませんが、びちゃびちゃした液体ではない水ってありますか? この場合、等能性とはどのようなことでしょうか? Thiz aqple ik vely derisiouc. こういうのも可能ですね。 >>701
「ある」がわからないからってだけで「ない」って断言してるの多いのが不思議で「それって不明って言葉の方が適切じゃないの?」って思ってます
盲点については「第三者ではない自分の視点を問題にしたつもり」って言葉が既に見ることが可能な第三者の視点が必要だよね
第三者がいない場合は見えるものは見えるし見えないものは見えない
眼球に盲点というものがあってたとしても見る術があるならそれを駆使して見えますし同様の術で触れています
見るにしても触るにしても刺激を受け取った私は「あった」と言うよねって >>703
デカルトは「我思う故に我あり」ってあれって何歳の時に考えたのかなって思うんだよね
私の思い出せる昔の記憶は7歳くらいなんだけどそれ以前に「我思う」ことはしてなかったかなって
なんで「今の私」は「我思う」ってできるようになったのか考えると「経験があったから」としか言えなくてさ >>746
失礼しました訂正です「経験が「(客観的)あった」から」です >>743
今私が「等能性」でググると「ラシュレー」なる人物が出てきます。
ラシュレーという人は脳の研究をしたらしいですが、
脳の部分は全体の雛形になっていて、
すると部分を失っても全体は機能する、
そのような仮説を立てたんだけれども後に反証されたとなっています。
いずれにしても私が見た本では「等能性」の例として
ドリーシュなる人物のウニの胚の研究があがっていました。
発生の極初期では胚から一個細胞をとりだすと、
その一個が普通に完全なウニになる、
つまりそれぞれの部分の中に全体がある、
逆にいうと、取り出さなければ部分は全体の雛形でありながら
全体の中では部分として機能する、
いずれにしても部分は全体との関係で成立する場合があるということです。
これは実際にそうらしいから仕方がない。
で、じつは>>743で時計さんが何故「等能性」と「水」とがつながったのか
いまいちピンとこないというのが率直なところなんですが、
とりあえず びちゃびちゃしていない水というのは無いと思います。
氷や水蒸気は普通の感覚ではいわゆる水ではないし、
実際に氷とか水蒸気とか別の名前がついていて、一般的には水と言われてイメージするものではないでしょう。
ただ、水にも硬水とか軟水とか微妙に成分が違っても「水」でまとめる傾向がありますし、
あるいはびちゃびちゃしていればH2Oでなくても「水」と表現することもあります。
その微妙なニュアンスは、それを取り上げる文脈(全体)の影響を受けるということでしょう。
>>744では欠損というよりもマチガイが含まれているわけですが、
これが理解できるのが等能性ということなのだろうと思います。
(「等能性」というのが適切な表現かどうかの疑問は残ります)
時計さんの質問の答えになっていなかったら ごめんなさいです。 >>714
貴方とは「私ではない返答が可能な誰か」です
石とかは返答しないので意志の有無に関わらず除外です >>727
アホかおまえw
結局ゴールポストを動かしてるだけだなアホw
じゃあおまえのその創発は食物を摂らなくても涌いてくるのかと聞いてるんだボケw >>748
意味の階層として、「水」は「びちゃびちゃした液体」の上位だと仰っていましたよね。それで、上位であれば等能性が働くとのことでしたから、この場合どのような等能性が働くのか、というのが質問の趣旨でした。わかりづらくてすみません。 >>752 追記
つまり、下位の欠損はあり得るのかどうか、ということでもあります。 >>705
自分語りしたって良いと思いますよだってここ哲学板だし
「意識のハードプロブレム」については前に書いた「赤と暗がりで見た赤」で伝えた通り私にとっては実用上同じだけど色合いとしては違うと言ったところで「そうなんだ」で終わっちゃう
「物質は虚構」について物質は認識できないなら虚構って何って話になっちゃうし知覚できない物質って何ってなっちゃう
「行為」まで存在っていうのは取り扱い方が違いすぎてナンセンスだし
「普通は心が存在している感覚があるでしょうから」ごめんその感覚はないっていうか存在してるとか考えてないし心について考えた時にはじめて「心という存在がある」って思った(あった)ってなる
じゃあ考えてないときは存在しないかって言われたら「存在してるかしてないかは分からないけど「心はある」って言えるよね」って答えるよ
「心は錯覚」って見方としては納得するけどそれって「この体を維持するためのシステムとしての私」だから視点が違うし錯覚って言葉で表現するのもどうかなって思う
ごめん精査しきれなかったからおかしなところあるかも >>750
創発は精神に起こる現象だ。
精神は生物が誕生する前からあった。
創発は生物が誕生する前から起こっていた。
つまりメシを食わなくても創発は起こる。
私が言ったことを理解もせず私を批判していたのか。
今更驚かないが。 論理破綻した下位精神を堅くセーブされている無意識のハードプロブレムで自我精神をフォールドする意識のハードプロブレムの鏡だねあなたは、実におもしろい。 破綻している論理を理解するとすればその論理の出所はキチガイという 太陽は西から昇る私を理解しなさい←彼の論理を理解するには彼がキチガイだと思えば理解できる >>754
彼らはとりあえず逆張りをして他人の論理を結び付けてもっともらしいことを言いたいだけなんだけととりあえず地頭がないから話が続かないんだよね >>755
アホのおまえがアホのおまえの言うところの創発ができるのもアホのおまえが物を食べてその物がアホのおまえの体を駆け巡ってる間の時限的なもんだよなアホw
結局アホのおまえは言葉を言い換えるだけで時間的な因果を徹底的に無視してるアホw
おまえみたいなアホは時計と同じレベルのカスなんだよなアホw >>762
アホアホ繰り返すおまえみたいなカスに言われたくない。 >>760
>太陽は西から昇る私
言葉が変じゃないか。 >>769 追記
寧ろ、太陽の昇る方角を東というのだろう。 アホと言われたら都合よく論点ずらすだけのアホだからなおまえはw アホの時計を詰めたらボケのでこすけが現れてw
ボケのでこすけを詰めたらアホの時計が現れる法則w >>774
>>762で俺のこと言及してたじゃん。 >>773
議論は最低限の礼節を身に付けてからな。 >>778
多分、自演のことを言っているんだろうな。自爆。 自演って何のこと言ってんだこのアホはw
なりすましで匿名やってる時計だから言える話だよなこれw >>777
議論の最低限の礼節は論点ずらしをしないことらしいぞカスw まあ、とにかくアホとかカスとかは原則このスレではなしな。それが最低限の礼節。 まあ、侮蔑すなって明文化しなくても当然のことだと思うけどな。 >>791
君らしかアホとかカスとか言い合ってないわな
呆れるわ 論点ずらしにアホと言ってるだけですがw
ずらした数だけアホが増えるだけですがw どうでもいいけど、空気云々ってアホwは何が言いたかったの? >>222
>口を開けたら食道の空気部分は意識の内側なのか?
>口を閉じたら食道の空気部分は意識の内側なのか?
両方、内側だな。 >>249
いわゆる真空は、素粒子が生成/消滅しているらしいぞ。 空気云々の論点をずらしていると読めるが、そもそも何を言っているかよくわからんから、ずらしようもない。あと、アホとか言うな。 空気云々の議論は何が言いたいのかよくわからんが、議論したいなら侮蔑の言葉は使うな。そういうところだぞ。 >>761
他人の論理を自身の論理に結びつけるのは論理的だからそれは問題ないと思うよ他人の論理は有用なら使えるし突飛で結びつかない場合は文章として成り立たないから
ただその他人の論理がさも周知されているかのように振る舞うなら「具体例を出して説明してよ」という主張はもっともだと思うけど
ただでこすけさんは自身の考えを概ね他者に理解できるように説明してるように私は思うし
だから素粒子の辺りは波の性質を考慮していないという批判をしてみたし
「アホ」って言葉が出てきてるけどアホという言葉は罵倒語なので具体例も説明もないので使う理由がわからないかな
罵倒しててもしょうがないし話を進めてみない? >>829
そうだね。
>>831
どうだろうか。
>>832
荒らしてはいないが。 >>698
読者が以前と入れ替わっているらしいのとアホw君が理解してくれていないらしいのとで今一度ご説明させていただきます。
いつもは物体を象徴するものとして「リンゴ」を取り上げますが、「焼肉」の方が個人的には好きなので今回は焼肉でいきましょう。
見るからに美味そうな色、食欲をそそる匂いと音、アツアツでやわらかい肉、実際に食ったらウマ〜な焼肉はすべての感覚を駆使して認識されるものです。
例えばオフ会で焼肉パーティーをするとしましょう。
焼肉(物質)の認識(意識への反映)はどのようにしてなされるのかの考察です(飛躍を含みます)。
例えばその焼肉パーティーが夢の中の出来事であれば、その肉は私の意識が存在しなければ この世に存在しないものです。
しかしオフ会で実際に焼いている肉は私がいなくても参加者が誰一人いなくても存在することでしょう。
私はこの世界の自分で体験出来ない部分を「意識の外側」と表現していますが、
夢の中の肉が意識の内側で完結するかもしれないのに対して
オフ会の肉の認識は意識の外側からの影響を受けている印象があります。
そこで意識の外側にあるであろう肉の何たるかを「物質」と名付けても良いちゃ良い、
ただ私が問題にしたいのは、それがいわゆる「存在」であるか否かです。
例えば『アメリカ横断ウルトラクイズ』のときにテレビモニターに映っていた「自由の女神像」はニューヨークに実在しているものが現れていたんでしょうが、
一方でコンピューターグラフィックスである「ピクミン」は元の無いもの、情報を変換したものということでしょう。
私の結論を言うと、オフ会で焼いている肉もじつは「ピクミン」のような客観的には存在しているわけでは無いもの、情報でしかないものということになります。
もちろんちゃんと言えば肉の何たるかが存在しているのか否かは誰だったかが指摘しているように「不明」になります。
しかし私としては踏み込みたい、
とりあえずここでポイントは「肉の何たるか」がどのようなものなのかです。
例えばその「味」は肉にあるのではない、舌の上にあるのであり、しかも「舌の上」は脳の中にある、さらに「脳の中」は意識の中にはある、
これはもちろん「匂い」も「音」も「ジューシー感」も、さらには「肉の厚み(物理学的空間)」まで全部が意識の中にしか無いものです。
ではそれらを取り去ったところの「肉の何たるか」とはどのようなものなのか、
私としては、その状況から察するに「それは存在ではない」とチョッカンするということです。
アホな与太話に付き合って頂いた方は朝っぱらからご苦労様でした。 物理学的空間は意識の中にしか無いと私は考えます。
物理学的空間もまた感覚を通して認識されているものですが、
ではこの世界に感覚を持ったものが存在しなければどのようにして成立するのか、
少なくともそれが客観的に実在する証拠は無いということ
(共同幻想の可能性があり実在一択に限定できる要素が無いということ)、
様々なパラドックスが生じるということ、
先端物理学が三次元空間に疑問を持っているということ、
空間がどのようにして生じるのかを説明できていない(問題意識さえ無い?)ということ、
いずれにしても「空間の何たるか」については課題だと思います。 >>835
ちなみに私は「空間=時間説」を支持しています。
自動焦点カメラは時差を距離として処理しますが
空間というのは時差を視覚的に理解したものというのが私の考えです。 物質と精神との違いのアホレベルの認識です。
物質はエネルギーや運動量のような「物理量」を交換するのに対し、
精神は「情報」を交換する気がする、
物質が情報を交換することはないし、精神が物理量を交換することもない、
ていうか物理量を交換するのが物質で、情報を交換するのが精神
くらいの勢いが個人的にあります。
物理学の本で「量子は情報」みたいな表現を見ることがありますが
ピンとこない。
さて、であるとするならば、意識のハードプロブレムとは
どのようにして物理量が情報に変換されるのかという問題でもあります。
私の答え、物理量なるものがそもそも意識の中にしか無い情報。 そもそも意識の中にしかない物理量なるものの情報はどうやって意識しているのでしょ~うか >>780
名無しで書き込むとしても、俺の自由だ。自演はしない。 >>838
私はそれを「創発」と表現してきましたが
説明が不充分だとは思っています。
とりあえず「物理量」が精神の外側に実在するか否かを見極めたいです。
もしそれが無いということになれば、必然的に精神の内側だけでなんとかするしかなくなります。 >>834
物質は意識の内側に存在すると考える私と対称的ですね。
しかし、全ては情報であるという考えは魅力的です。
そこでは、唯一の客観世界とは何かが問題になりそうですね。 ちなみにですけど、「常識」というのは論拠になりません。
「常識」は時々覆ったりするからです。
けっこう論拠が「常識」の人が多い気がしますので、一応。 >>834
このアホの舌が太陽くらいまでの長さがあるとすればこのアホが肉を食ってこのアホの脳に味が届くまでどれくらいの時間がかかるのかw
このアホの舌がこのアホの脳の中にあるなら光速より伝達速度の速いアホの脳の中ということになるなw >>834-842
朝っぱらから気合の入ったアホ発言おつかれさんw
そのやりとり飽きたぞアホw >>841 追記
やっぱり引っ掛かるのは、情報源は実在するのではないかということなんですよね。VRにコンピュータが必須であるように。 >>846-847
おまえなんていつまでも引っ掛かっとけアホw >>843
「情報」とは何なのかについての認識は個人差がありそうで、
私の主張はあくまでも私の印象にすぎない と前置きをしつつ、
例えば素粒子Aに素粒子Bが衝突する状況で、
衝突後の素粒子Aの反応は 例えば素粒子Bの電荷などによって変わってくるとは思いますが、
しかしそれは私の感性では情報処理とは違うかんじがあります。
それが情報処理に思えるのであれば、それは人間的なバイアスがかかっているからであって、
つまり人間目線の解釈であって、
素粒子自身にしてみれば物理量が状況に応じて変化するだけ、
そもそも反応に「情報」という概念を必要としない気がします。
あくまでも「情報」は主観に内在するもの、
主観のないところには無いものというのが私の印象です。
あるいは物理量が情報の一種というのはどのような理解に基づくものでしょうか、
具体的な説明をいただければと思います。 >>752
「水」という概念がどのような経緯で創発されたのかが問題になると思います。
手触りや味や匂いなどをまとめるものとして生じたのか、
飲み水や雨粒や海流などをまとめるものとして生じたのか、
水でないもの 例えば油とかとの対比で生じたのか、
ちなみに私にはわかりません。
思い出すのはアタシが学生のころ、私の友人が読書に夢中になっているとき、
夢中になりすぎて なにげに口に含んだ飲み物が一瞬何だか分からなかったというはなしです。
その飲み物はコーラだったらしいのですが、
コーラはコーラのつもりで飲むからこそコーラかもしれないとのこと、
あるいは一種のゲシュタルト崩壊のような気がします。
>>841
一応確認させてもらいますが、
意識の外側にそのような物質なるものは存在しない
というのが私の主張です。
意識の中に物質として現れているものの存在(?)までを否定するものではありません。
また、「唯一の客観的世界」がどのようにして成立したのか、
私はそれは共同幻想だと考えているわけですけど、
つまり何故みんなが同じひとつの幻想を共有するのかについては
「度量衡」とか「規格」とかが統一されていく過程とかぶるものがある気がします。
つまり超ざっくり言うと、有効だからです。
>>846
もちろん情報源は存在するでしょう、
しかしそれが精神とは異なる実体である必要はあるのか、
そしてそのようなものは本当に存在するのかという問題が生じます。
むしろそのようなものを想定すると異なる実態がどのようにして相互作用するのかという
ハードなプロブレムに直面します。
私としては物質の存在を主張するのであればハードプロブレムをクリアしてからでなければならない
とさえ思います。 >>852
水について、なるほどです。創発はここでは概念形成と同じようなことかなと思いますが、そういうことなら等能性は成立するかもしれません。
でこすけさんは、定義として物質は意識の外側にあるもので、それゆえに物質は存在しないと考えているということでしょうか。
「唯一の客観的世界」に関しては、そういうフレームが人には与えられているのかなと思います。そこを飛び出すのも一興ですね。
私の疑問は、VRにおけるコンピュータに相当するものは、通常の人においては何だろうということです。 >>853
あほすけは物質はないと何回も言ってただろw
何を読んどんねんアホの時計はw >>853
あほすけはただの言葉の言い換えだろと言えよアホw
結局あほすけはあほすけの嫌う一般常識で命をつないで能書きを垂れるただのアホだw
わかったかボケw >>853
意識の中に現れているものが、まんまで意識の外側にもあるという感覚は
ようするに錯覚だと思うんです。
冷蔵庫の扉を閉めても中の電気がついている気がするのと似たかんじです。
物理学で意識の外部が存在していないということを証明するのは困難だと思いますが、
少なくとも意識の内部と外部とでギャップがあるということは証明しているといえる
と思います。
「唯一の客観的世界」について
先走るとそれは幻想のような気がします。
以前超球面さんがコテに「誤読」をつけていましたが、
じつはみんな微妙に違うものを見ている、
例えば80億の人類は全員微妙に違う視覚構造をしていて、
つまりみんな微妙に違う太陽を見る、
にも関わらず皆んな同じものを見ていると思いこんでいるんです。
問題にならないから騒ぎが起こらないけれども
厳密に言うと皆んなで勘違いしている気がするわけです。
さて、コンピュータに相当するものについてですけど、
とにかく私はこの世界に存在できるのは「情報を交換できるもの」だけだと考えています。
するとそこにそのようなもののネットワークが想定されます。
そしてそのネットワークは全体で情報処理システムになっていると考えるのが妥当だと思います。
つまり「唯一の客観的世界」なるものは、その情報処理システムの産物というのが私の推論です。
物質として認識されているものや自然法則の一部(以前からトーンダウンしてます)などは情報としてネットワーク上を流通し
おそらくそれぞれ個の意識の深層にストックされ、均質化し、
状況に応じて表層に現れるなり何なりするものだろうと考えます。
「唯一の客観的世界」は自立分散型で管理され、個でそれを改変することは出来ない、
夢や幻覚で改変できてもそれは個の中だけであって、全体は無理でしょう。
あるいはそのような情報処理システムがあるのなら
それだけで他の何かは無くても私たちの体験世界とまったく同じものが実現可能なのではないか
というチョッカンがあります。
とにかく世界はシンプルな仕組みでできているだろうと思うのです。 >>858
確認ですが、私は、意識の外側にあると言われるものは、実は、独立性の高い形式で意識の内側にあると考えています。
色盲とかありますからね。人それぞれ色彩感覚が違っても驚くことではないかもしれません。
そのネットワークが何からできているかを考えると唯物論(materialism)の再来ではありませんか。 意識の中に現れているものが、まんまで意識の外側にもあるという感覚はようするに錯覚だと思うんです。 ←働け 冷蔵庫の扉を閉めても中の電気がついている気がするのと似たかんじです。 ←冷蔵庫の仕組みを知れアホ 物理学で意識の外部が存在していないということを証明するのは困難だと思いますが、←おまえの限界 少なくとも意識の内部と外部とでギャップがあるということは証明しているといえる ←意味不明
と思います。 「唯一の客観的世界」について先走るとそれは幻想のような気がします。←根拠ぐらいい言えよアホ 以前超球面さんがコテに「誤読」をつけていましたが、
じつはみんな微妙に違うものを見ている、←精度の違いだろアホ 例えば80億の人類は全員微妙に違う視覚構造をしていて、←また視覚かアホ つまりみんな微妙に違う太陽を見る、←だからなんだアホ にも関わらず皆んな同じものを見ていると思いこんでいるんです。 ←だからなんだアホ 問題にならないから騒ぎが起こらないけれども ←もめごとの具体例を示せよアホ 厳密に言うと皆んなで勘違いしている気がするわけです。 ←そんなわけはないんだアホ さて、コンピュータに相当するものについてですけど、とにかく私はこの世界に存在できるのは「情報を交換できるもの」だけだと考えています。←意味不明 するとそこにそのようなもののネットワークが想定されます。 ←もっと意味不明 そしてそのネットワークは全体で情報処理システムになっていると考えるのが妥当だと思います。←詳細も不明ですでに妄想レベル つまり「唯一の客観的世界」なるものは、その情報処理システムの産物というのが私の推論です。 ←結局抽象的な岸田レベル 物質として認識されているものや自然法則の一部(以前からトーンダウンしてます)などは情報としてネットワーク上を流通し ←ネットワークをおまえの好きな視覚で表せよボケ おそらくそれぞれ個の意識の深層にストックされ、均質化し、 ←妄想 状況に応じて表層に現れるなり何なりするものだろうと考えます。 ←層も意味不明 「唯一の客観的世界」は自立分散型で管理され、個でそれを改変することは出来ない、←意味不明 夢や幻覚で改変できてもそれは個の中だけであって、全体は無理でしょう。 ←意味不明 あるいはそのような情報処理システムがあるのなら ←あるもの前提で語りながらもしとか言うアホ それだけで他の何かは無くても私たちの体験世界とまったく同じものが実現可能なのではないか ←具体的な対比もないただのアホの妄想 というチョッカンがあります。 ←ただのアホのこじつけ とにかく世界はシンプルな仕組みでできているだろうと思うのです。 ←読むだけ無駄だがアホをアホという暇つぶしのネタにできるというだけの話 まあアホにつっこむにはこれぐらいの手数が必要になるからなw こんなアホと会話してる時計なんてキチガイレベルだからなw ツッコミというより罵詈雑言だな。礼節とか親切さとか、大切なものを見失うなよ。 アホの時計は結局でこすけの言い分を何も知らないからなw >>888
じゃあはやくあほすけとおまえの定義どうしをぶつけあって結論出せよアホw >>890
またアホと言われることで論点ずらしてションベンちびってるのかアホw >>892
ていうか、下品だなコイツ。こっち寄ってくんな。 言葉遣いは丁寧でもスレの進行が滞るのもスレ主の責任でしょうね >>898
私は無責任でいたいな。
>>899
そうだね。 >>900
あなたのそういうところが人心を失う原因だと思いますよ >>858
頭の中と目の前の現実の区別がつかない残念な人ですね >>905
あなたをアホと言う人はあなたに失望してるみたいですね >>840
精神の内側だけでなんとかするしかなくなる?なにそれ >>834
「不明」って言った人です
「私はこの世界の自分で体験出来ない部分を「意識の外側」と表現しています」
私はこれを「客観」と呼んでるけど正確を期すなら「客観的(客観であると定義する主観)」だって考えてる
自由の女神は「実在」するっていうのにピクミンが「元の無いもの」っていう主張の根拠というか区別するために使用したものはなに?ちなみに私は目に映る映像の解像度かな
テレビってものに対して「そうであろう」という信頼を度外視して十分に粗い映像の初めて目にした自由の女神はピクミンと同様の印象を受けるかな最近だとディープフェイクはこの視点だと区別がつかない
主観を取り去ってるのに「肉の何たるか」とか考えられないでしょ肉の何たるかを構成してる主観がないんだから
あなたは「「肉の」のそれが「肉」である」とどうやって理解したの?「私が刺激を受けている主観として感じているxは肉である」じゃなくて?
なぜ「それ」を「肉」と定義したの?そこに経験が入ってる感じするよ >>835
物理学的空間に多様な定義ができる意識というのを持ち出すのは幅を広げすぎ
「手を伸ばすことができる」感覚があるからそれを「空間」を定義したと考えたらどうなるのかな
「成立する」とはどのようなことを言うのかな多分「活用するために生まれた学という道具に対して」だと思うけど
「客観的に実在する証拠」この言葉って変じゃない?客観的が何であるか実在が何であるか証拠とはどのような意味を持つかとわかんない
「先端物理学が三次元空間に疑問を持っている」これ「次元を増やせば説明できそうだけど現実と乖離してるからどうしようか?」ってところで悩んでるわけで >>837
マクスウェルの悪魔だったかで情報をエネルギーに変換できたって実験結果があったはずだけど >>851
目の前にある空間で振動している分子に方向という情報を「与える」と温度が下がりますよね物理学で言う「情報」は「乱雑さの否定」じゃなかったでしたっけ?ちょっと怪しいかも
だから「情報」って言葉を拡大解釈しないように「私が言う「情報」とは」と定義してからじゃないと誤解を生むよ
主観客観の説明に使う「情報」は物理学で扱う「情報」と同じ若しくは違うならその説明がないと混乱しちゃう おいついてませんすいません
>>745
「適切」ということで言えば確かに「不明」になるでしょう。
しかし そのままでいるのもいかがなものか というのが私の性分です。
例えば「誰もいない森の中で木が倒れたとき音はしているのか」
これは検証出来ない問題です。
「体験出来ない領域」は検証出来ない、
そこで未知数を「x」と仮定し、アホなもんで、地道にいろいろ代入していって良い感じの答えを模索する要領です。
「誰いない森の中の木の倒れる音」を「x」として、
「x」は「する」と仮定すると、あくまでも私のかんじですが(皆さんの意見を伺いたい)、ややこしいことになる気がする、
「しない」と仮定すると、例えば意識のハードプロブレム的なものが生じないし、さらにその方向で物理学や生物学はいっそう発展する気がする(もちろん私見)、
故に私は音はしていないだろうと考える、私が断言したことがあったかどうかちょっと記憶にありませんけど、
あるいはあったかもしれません。
木が倒れたのが誰もいないところだったとしても、普通は音がしているつもりなのではないか、
しかしそれは錯覚だと思う、というのが私の考えです。
>>746
イヌやヌコは経験をつんでも「我思う故に我あり」とはならない気がする、
つまり経験自体は関係無い気がしますがいかがでしょう。
経験の中身が問題になる気がしますけど、
問題はヒトとヒト以外とを分けるものは何なのか
(結論的にはたぶん「言葉」ですが)、
では何故別れたのかは課題のひとつだと思います。
これは745さんに対してに限りませんが、ご質問等で私に見落としがありましたらすいません。
ただ、このスレはこんなペースもアリにしてもらってます。ご了承ください。 >>749
私としては「等しい」というのはあらゆるケースである種の誤解だと考えます。
カフカが「理解と誤解とを厳密に区別することはできない」と言っているらしいですけど、
私にはむしろ正確に理解することはあり得ない気がする、
例えば「1+1=2」はすり替えだと思う、「1+1」と「2」とは違うものに決まっている、
「1=1」でさえ右辺と左辺とが厳密に等しいのかは微妙に感じます。
ただ「等しい」という妄想は、必要だからあるのだろうとは思います。
すると「必要」とは何なのかが問題になるだろうと思います。 >>754
「赤と暗がりで見た赤」と「意識のハードプロブレム」とがどうつながるのかがイマイチぴんときません。
もう少し具体的にお願いしたいのですがいかがでしょうか。
いや、無理にとは申しません、すげえヒマだったらでいいんです、恐縮です。
>>756
論理破綻しているのは私だと思いますが、私はどう論理破綻しているのかわかってません。
すげえヒマだったらでいいんですが、解説をお願いしたく存じます。
私としては、そもそも反論してもらいたいからやっているつもりなのです。
もちろん場合によってはこちらからも反論しますけれども。 >>762
このレスに出てくる「物(食べ物)」とか「体」とかは
精神とは異なる実在する実態として想定されているんだろうけれども
そのように考える根拠を伺いたいです。
私はそれは精神から離れた存在ではなく、主観と間主観とが関わりを持ちながら生じたものだと考えます。
精神から離れて何かが存在するということはあり得ない気がするためです。 >>830
おそれいります。
「波の性質」のくだりはまったく失念しておりました。失礼いたしました。
私としてはまず、私自身が完璧とは思わないし、率直に我ながら半信半疑なところもあります。
ただ、見切り発車しないと永遠に発車できなさそうだということ、
そして実際に私は投稿を始めた頃から考えが変わっているところも多々あります。
さてご指摘の部分は私も微妙なところです。
私は精神の最もシンプルなものの成立は生物以前にさかのぼる、
むしろ存在は認識と関わるだろうから宇宙に精神的なものが存在しなかった時代は無かったと考えるんですが
(例えばマイケル・ダメットはそういうことを言っている気がする)、
しかし今現在も存在しているであろうシンプルな構造の精神が、体験している世界のどこにあるのかはよくわかりません。
私の印象としては、たぶん核子や中間子のような重粒子の段階ではすでに内在していてもおかしくない気がするんですが、
しかし光子や電子のような量子レベルとなると、それこそ粒子性と波動性との二重性とか、不確定性とか、
わけわからんので精神が内在するとは言いにくい、
それでも勢いで「電子には精神が内在する」とか言ったことがあった気もしますけど、
私を否定して真実に近づくのならそれで良かろうというくらいのノリのつもりです。
基本粒子とされているものは将来もっとわかりやすくなりそうな気がするんだけれども、
いずれにしてもとりあえず問題は 精神がいつからあったのか だと思います。
個人的には生物の誕生と同時は不自然に感じます。
そのように考える方が辻褄が合うのではないかということです。 >>917
> 論理破綻しているのは私だと思いますが、私はどう論理破綻しているのかわかってません。
意味を理解してもらえるだけで論理だと思い込んでるんじゃない?正しい判断や認識に達するための、思考の進め方(の形式)が明らかでない語りは確かに論理破綻以前の語り口でしかないから論外という意味で論理破綻ではないね。 言語や文章によって思想を表現し発表する言論は論理的根拠はいらないから論理破綻しようがない >>756
ありがとう
でも貴方の言っていることがわからない私にが理解できているであろう貴方二お願いがあるんだけどそのレスの私に理解できるように説明をお願いできないかな? >>925
あなたが理解できない理由がなんなのか知る由もないし、あなたになにをどう説明したらあなたが理解できるかなんて他人にわかるわけないよね? >>859
今更ですけど、「独立性」というのはもっと詰めてみていただきたいところです。
例えばそういったものが主観のコントロールを受けていないとすれば、何からコントロールされているのでしょうか(因果律に懐疑的な私としてはコントロールは無いはなしですが)。
つまり「自由意思」にも関わると思います。
なお私としては、この世界に存在するもののすべてが私の意識(無意識込み)の中に収まっている気がしません。
とにかくそれは闇雲に不自然に感じます。
私以外の精神が存在することは私自身で証明できませんけど、
とりあえずそのように仮定して差し支えはありませんし、
むしろ何かと都合がいい気がするというのが実感です。
何をもって「物質」とするのか、いろいろな定義があっていいと思うし、
私の主張(唯心論)も誰かにとっては唯物論かもしれません。
ただとりあえず、私としては物質を「物理学的空間に依存して存在するもの」と定義していますから
物理学的空間は実在しないという前提に基づいてそのような実態も存在しないと主張しています。
とにかく「物質」の定義が問題だと思います。 >>927
時計さんのスタンスは、他者の意識は存在しないと考える「主義」でしょうから
それはそれでアリだと思っています。 >>855
するどいツッコミですね。
私はツッコミどころ満載です。
ところがアホw君はいつもとんちんかんなツッコミばかりをしてきます。
いつもその調子でお願いします。 >>928はでこすけでした
>>860
仕事くれ
>>889
私の認識では時計さんと私とは対立しません。
基本的なスタンスが違うため対立するように見えることもあるということだと思います。
彼が言う意味においては確かに他者の意識は存在しない、物質は存在する、
ノー問題 >>917
いえいえ
貴方が目を瞑り語らぬのなら貴方の主観は私にとって存在しえないし彼の世の偉人はなぜ語り今に残ったのかを考えれば「今の私はそう思ったから語ったんだよ!」でいいと思います
「精神は素粒子に」に波の性質を与えると精神が可能性になっちゃって「個」や「1つ」が適用できなくなるなって思ったよ
可能性って適用範囲が広すぎてきちんと定義しないと危ういし
「素粒子」は「それが正しい」じゃなくて「それが便利だから」だからだよねだって素粒子が適用できないから波で説明したわけだし
でこすけさんが言っている「むしろ存在は認識と関わるだろうから宇宙に精神的なものが存在しなかった時代は無かったと考える」って存在は認識と関わるってところまでは私も同じ考えだけど精神的なものがなかった時代を想像するなら「無かった」と思うことはできるけど確認できないから「不明」です
「ある」ではないときに「ない」が必ずしも該当するとは思ってないし「不明」も該当しませんかって私は思ってるよ
これは意地悪な質問かもしれないけど「素粒子に意識がある」なら「人間としての私の意識を統合してるものは何か?」という問題にぶつからないかな?
それは集合知性と愚衆政治の違いとかまで引き寄せちゃうから規則というか階層を分けたい(さてこれは主観なのかな?)
「それでも勢いで「電子には精神が内在する」」その主張はとても大切なものだと思います
なんでかって言えば「貴方のその主張がなければ私は貴方の主張を否定できないからだよ
「電子に精神が内在する」という主張を私は否定するよ何故なら上述の「電子に内在する精神を統合するものは何か?」は電子を波として扱ったときに「精神の統合」「個としての私」と相容れないから
私の主張は
「ある」「ない」は主観で「あった」「なかった」は客観
「「ない」はあるに従属すると考える私は「ある」でないを導けない「ない」は「不明」と考える」
「「私」とはこの体を動かし続けるためのシステムとしての私」
「「私」は得られ得た刺激(五感)を経験として構築される」
私の主張を拡張してくれるなら賛成否定は大賛成!「いやそれは違うよ何故ならば」と続かない「不明」に個人の感情以上の意味はないという私の"感情"のニュアンスが伝わっればいいなって >>917
ごめんなさいさっき917にアンカーつけちゃったけど919への回答です >>903
根拠の希薄な常識に縛られた残念な人かな
>>909
いささか表現が乱暴過ぎた気もしましたが、ようは探偵小説の論理と言ってきたやつです。
容疑者が絞られて、そこからさらにアリバイがあるものを除いていきます。
最後に残ったものは、それがどれほどあり得ないように思えても、そいつが犯人。
物質(精神から独立して存在しうるもの)が存在しないとなれば、
この世界で起こっている現象は物質抜きで精神だけで説明しなければならなくなります。
どれほどあり得ないことのように思えても、物質が存在しないのであればやるしかない、
もはや物質の存在が証明されるのを待つばかりです。 >>931
「不明」と言ったらみんな「不明」になっちゃいませんか、
明日もニュートン力学は有効か、宇宙の彼方でもピタゴラスの定理は成立するのか、
他者の意識は存在するのか、
私は多少の飛躍はアリだと思ってます。私はチョッカン主義と言ってきました
(ちなみにチョッカンは創発(基本的な自然現象)の一種だと位置づけています)。
ていうか、飛躍できる場があっていいと思ってます。
例えば精神はビッグバン以降のいつ生成されたのか、検証事実に基づく正解を持っているやつがいるわけないわけです。
そしたら私はこう思うとか君はどう思う?とか、あることないこと空想してもいいはずで、
もちろんそういうところで次につながることもあるでしょう。
テキトーなことを語るのは勇気がいるかもしれませんけど、
そのかわり得るものがある(例えば自分の限界を知る)ので特に若い人には参戦をおすすめしたいところです。 >>927
まさにコントロールの問題ですね。
車は、鉄の塊としては独立性は高いですが、運転する時は独立性は低いです。
主観のコントロールの受けていないものは、例えば天体などは、自然の摂理に従うのみです。
最近、仏教の勉強をしているのですが、縁起と言ってもいいのかもしれません。
私は、物の定義は、境界のある存在としています。物質もそれに順するものだと考えます。 >>935 修正
順ずる、もしくは準ずるですね。失礼しました。 >>925
あくまでも私の解釈ですが、かんじとして「意識のハードプロブレムはくだらん」
もちろん「でこすけの主張はくだらん」と読める気がします。
で、じつは私も意識のハードプロブレムはくだらんと思っています。
意識のハードプロブレムというのは、物質としての脳が物質と異なる実態である心とどのように関わるのか
みたいなことを問題にしていますけど、
じつは物質と精神とが相互作用しているという現象が科学的に検証されたことはない、
つまり問題そのものが印象に基づく程度のもので、科学的とは言えない、
もちろん私の主張も検証に基づくものではありませんから、学者的な感性からすればくだらんとなるでしょう。
ただ私としては「論外」ということならわかる、
しかし論理破綻というのは飛躍に基づく破綻か誤謬に基づく破綻かで違ってくるわけで、
すると一応確認はしておきたいわけです。
私もしらーと言うこと変えてますけど、
生き残れるのは強いものでも賢いものでもなく、変われるものらしいので、
10年後には唯物論に転向しようと思っています。 >>937
じつは物質と精神とが相互作用しているという現象が科学的に検証されたことはない、
それがそもそもの幻想の始まり >>938
そこで論拠を示さないと哲学未満にもならない。
私は哲学未満でいいと思うけど、もうちょっと頑張りましょう。
例えば精神は細胞単位の物質と相互作用しているのか あるいは脳単位なのか
そこさえ限定出来ないと察します。
精神というのは無意識的なものも含みます。
無意識に至っては存在かどうかもわからないんだから、
例えば交通事故で意識不明と言っても本当に不明で、
ようするに細胞に意識(無意識)があるのかどうかも不明でしょう。
脳が意識と何らかの相互作用をしているのは明らかですが、
それは日常感覚であって、
学問的に検証されたわけではないと思います。
私が知らないだけかもしれませんけど、
断言するのであれば具体例をお示しいただきたい。
一応言っときますけど、私が問題にしているのは作文の書き方です。 内容は間違っていてもいい。むしろ完璧はない。
私に至っては嘘をでっち上げることさえあります。 大半が無職、精神疾患なのはどういう事実を表していますか 一応言っときますけど、内容は間違っていてもいい
私に至っては嘘をでっち上げることさえあります。
脳が意識と何らかの相互作用をしているのは明らかですが、例えば精神は細胞単位の物質と相互作用しているのか あるいは脳単位なのか
そこさえ限定出来ないと察します。
精神というのは無意識的なものも含みます。
無意識に至っては存在かどうかもわからないんだから、
例えば交通事故で意識不明と言っても本当に不明で、
ようするに細胞に意識(無意識)があるのかどうかも不明でしょう。
それは日常感覚であって、
学問的に検証されたわけではないと思います。
そこで論拠を示さないと哲学未満にもならない。
私は哲学未満でいいと思うけど、もうちょっと頑張りましょう。
私が問題にしているのは作文の書き方です。
一応言っときますけど、内容は間違っていてもいい。むしろ完璧はない。
私に至っては嘘をでっち上げることさえあります。
私が問題にしているのは作文の書き方です。
みなさまお気を付けくださいw 死後なにがどうなるのか知りたい対象がありません
どうにもなりません そもそも字をシャッフルして文章にしたものが作文
どの文字をどう使って作文するかは作者の自由 >>950
単語レベルまで砕けば、作者性はあると思うが。 シャッフルしようがいまいが文章になれば作文
どの文字をどう使って作文するかは作者の自由
947 返信:時計 ◆1z400PXZnw [] 投稿日:2023/06/02(金) 11:03:07.07 0
>>944
シャッフルは作文に非ず。
シャッフルしたら作文とは違うか違わないかの話
話を作者性にそらすな 作者性の何について何が言いたいのかなんか書いてたか?
引用してみ 興味ないからやっぱり引用も説明もいらないわ
軟化主張したければ投稿しとけばいい なんか主張ね
出掛けるから慌ただしい
ではさいなら >>893-964
もうスレを終わらせる自演埋めが始まってるのかアホw
今度はこのスレがいつまで残るのかボケw >>929
おまえみたいなアホは精神安定剤という物を飲み込んで物と精神の関わりを理解しろアホw
その理屈を医者に聞きまくってキチガイ扱いされればええぞアホw >>970
言葉遣いも悪いわ他人の行動も強要するなんてまさにクサレ外道やのアホw そこで>>967に帰結するわけかアホw
おまえホントにアホだよなw >>975
アホ言うな。
>>965からの帰結だな。 当てずっぽうな推理なんですけど
いわゆる荒しを荒しというのはスレタイを云々したい人目線で、
5ちゃんねるの運営からしてみればお客(広告主)のお客に変わりないと思うんだな
(まさにアホwくんみたいな人があのたぐいのマンガを読む気がする)。
ところが運営はそのたぐいどころか連投までを規制するのはなぜだろう、
漠然と思うに、たぶんまさに運営が厳しいんだろうと思うわけです。
肥大化していく掲示板を維持するためにはそれだけのメモリ(?)(書き込みを記憶させる装置のつもり)を確保する必要がある、
それを日々工面しなければならない、もちろん経費もかかる、
たぶんちょいちょいトラブルがあって、必ずしも上手くいっていないのではないだろうか。
昔の運営はそのあたりが上手かったらしいけれども、最近は運営の都合で書き込みできないことが多い気がします。
何がいいたいのかと言うと、アホがレスを浪費するのは仕方がない、
しかしスレ主にはもう少しお考えいただきたい、
無料でこれだけのサービスを得られるというのはちょっとしたことだと思うから
なるべく運営を支援しましょうということです。
(アホはスルーしましょう、私は利用を心がけます)
にしても運営ムカつく。 >>979
私は、悪人にも言い分はあると思っています。
スルーしてもいいですが、名無しですから、例えばアホw君なら、いつもアホwを付けているとは限らないですし、難しい面もあるかなと思います。
悪人とはあまり争わないようにしようかなと思います。 こことは別にどっかに意識のハードプロブレムについて考えるスレ
みたいなの建ててみるか?コテハンと住み分けスレ建った方が
いいって奴いるかな? >>980
アホw君は私と同じかまってちゃんだと思うけど、
他人の批判をするより持論を展開するほうが能力を発揮できた気がします。
残念な人をなくしました。 コテハン推奨と何度か言っていますが、あまり浸透しないですね。別の掲示板ってコテハン必須でしょうか。 >>983 追記
でも、以前コテハンの悪人もいたからなあ。 >>981
私が書き込みを出来ないときは普段見かけないような人が書き込みをしている傾向を感じます。
なので成立すると思います。
もちろん私はそちらには投稿しませんからご安心を。 >>985
投稿してから自分で読んだらやなやつだった >>983
コテハンは読者はもちろん投稿者にも便利だと思いますけど
哲学板では難しい気がします。
ユーチューブやツイッターではうp主が普通に名乗ってますけど
ただ、何故そういう風潮があるのかを意識の科学(?)で分析すると
面白いことがある気がします。
たぶん近いのは昔栗本慎一郎が提起していた疑問です。
何故ノーパンで出社するとこころもとないのか、
下着をつけていないことは誰にも分からないはずなのに
何故心がざわつくのか、
あるいはレモン爆弾にもつながりそうです。
はるか彼方には「革命」もある気がします。 >>987
文化ですかね。5chも大分良くなってきたような気はしますが、気の所為かな。 >>934
みんな不明にはならないよだって私の主張してるのは「「ある」っていう主観に従属する「不明」」だから
だからその知識は「あった(客観)」だから不明とはならないよ
生きるために必要な「概ねそうであろう」を疑う事にリソースを割いていた生物はそれを疑っていない生物に負けてもう今はいないと思うけど
「明日も」と考えるそれは理性としての思考かな?それとも生存するための本能としての思考かな?
「チョッカン」は問題を提示するからもても大切なものだと思うよこれがなかったら何もわからないままだし
「精神はビッグバン移行のいつ生成されたのか」を私が考えるなら「自我が形成されたと私が語ることができる(主観)と思った(客観)過去の私」かな
自我って言ってもいきなりできるわけじゃないし大人になった今だって少しずつ作られてるしそれは経験だとか私が私であることが自我だとか言われるかもしれないけど違いとするなら上で書いたのを区切りにしたい
あと前に書いてくれたのに答えてなかったからここで答えるね
「赤と暗がりで見た赤」の違いは写真を撮ってRGB吸い出した時の値は「違って(=なかった)」も私が見た赤は「同じ(=ある)」だと主張(主観)できるってこと
wikipediaの意識のハードプロブレムの「物質としての脳の情報処理過程に付随する主観的な意識的体験やクオリアというのは、そもそも一体何なのか?」の回答だよ
まだスレを追いきれてなくて遅くてごめんね もうすぐこのスレも終り、じきに倉庫行きだろうから、唐突ながら自分の趣味です。
私は歴史にも興味があって、とくに古代史、つまり裏付けが難しいところなんだけれども、
すると勉強したり考えたりしたことを人に聞いてもらいたくなるじゃないですか、
そういうはなしです。
一般に大和朝廷による列島の統一は前方後円墳が列島各地で造られ始めたことから推察されています。
前方後円墳の最も古いものが畿内にあるため、統一は畿内の勢力によるものと考えられるわけです。
ところが不可解なことがあります。
畿内の墳丘墓は、始めから前方後円墳だったというものです。
つまりあのようなものがある日突然できた気がしない、前方後円墳の成立にはそこへ至る過程が必要になる気がする、
例えば墳丘墓の起源として水田や用水路を造ったときに出た土の再利用説がありますが、
それでいきなり前方後円墳を造るとは思えない、円墳とか方墳とかを経てからの前方後円墳だろう。
そこでその前段階は余所であったのではないかと推測されるわけです。
すると例えば記紀神話でも、その人達はよそから来たことになっています。
何かがほのめかされている気がする、どこかロマンのあるはなしでもあります(ロマンとか言っちゃたよ)。
さらに不可解なのは、記紀によると天皇家の出自は高千穂とか日向とか宮崎ぽい、
ところが考古学的には微妙らしいというのです。(どう微妙なのかは知りません)
とにかくなんで宮崎なのかよくわからん、例えば隼人との関係でよくわからん、
するとそのあたりが曖昧になるわけですから天孫降臨の地もいろいろ言いたい放題の余地が生じるわけです。
北九州説、吉備説、出雲説、飛騨高山説、富士山麓説、朝鮮半島説、
吉野ヶ里遺跡や三内丸山遺跡クラスのものが出ない限り言いたい放題ですが、じつはそれが楽しい、
トンデモとは言いますが、相沢忠洋みたいなこともあると思えば俄然血が騒ぐわけです。
あたたかい目で見てもらいたい、
また、あたたかい目で人を見れるようになりたい、
ひとからでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、
いつもにこにこ笑っている、そういうものに私はなりたい。 >>990
おそれいります。
こちらこそ>>910からぜんぜんおいついてません。
申し訳ないけれども次のスレに持ち越しになりそうです。
ところでできましたらコテをお願いしたいです。
ひとつのレスは背景をもっていて、その背景を踏まえた方がレスを理解しやすくなります。
例えば「意識の成立は自我の形成とかかわる」これを唯物論を前提にしているのと物心二元論を前提にしているのとでは意味合いが変わってきます。
そして背景というのはひとつのレスからではわかりにくいのです。
もちろん敢えてコテをつけなかったり何らかの攪乱作戦はアリです。
とにかくとりあえずトンチのきいたコテをお願いしたく存じます。恐縮です。 >>858
「意識の中で現れているものが意識の外でも現れているように感じているそれは錯覚である」という主張は貴方が主張する「錯覚」って何って話になってくると思うよ
「意識の外にある錯覚で今日も玄関を出て道を歩き電車に乗って会社に着いて仕事をする」事の可能にその「錯覚」がどのように使われる?
この質問の悪いところはこすけさんがその「錯覚」という言葉を適用しようとしてる範囲をおそらく拡張してしまっているところだけどでも冷蔵庫の例を出したからいいのかな?
でも逆に意識のすべてが錯覚だとしたら私が覚えてきた(私の言う客観)知識は錯覚なのかな?だとするとこの錯覚で理論を構築してきた人達の成果を理解した私もまた錯覚?錯覚って何?
「みんな微妙に違うものを見ている」という時に「違う」の比較対象はどれかな?
「合っている」「違っている」って比較対象がない場合にも使うことってできるかな?
みんなで勘違いをしている事を「共同幻想」って言葉で表しているならその言葉を使わずとも既に「現実」って言葉でみんな「会話している」よ
人達がピーマンを視覚において共通して認識しててもある人は「好き(おいしい)」と言いまたある人は「嫌い(まずい)」と言うこれって視覚としては「同じ」だけど味覚としては「違う」よね
貴方の言う「共同幻想」って味覚だと共同じゃないのかな?
「(だって)存在する」と「(だから)存在する」を「存在する」って扱ってるから混乱してる気がするよ
ちなみに私のスタンスは後者だよ正確には「(だから)存在した」だよ
コンピューターを例えに出したからそれ対して答えるからきちんとした答えになってないかもだけどネットワークって複雑だよ今私達が会話しているこのテキストも1つのプロトコルだけどネットワークってなると普段インターネットって言ってるのはアプリケーション層だけど下位に会話ならTCPとかあるしネットワークの基幹のIPやイーサネットがあるからネットワークがなんであるかはさておき例として出された「唯一客観的世界としてのネットワーク」はこの通り分解できちゃうので分解できたものを「何故?」って問うたらどう回答する?
世の中は複雑だよ
哲学者は「根源」とか言うけどそれって遥か遠くのものを指す言葉だなって >>914
いえいえ私も追い付いていないでお気になさらずだよ
書いてる最中に次スレ行きそうなのでこの回答は持ち越しさせていただければと思いますだよ >>926
わかるわけがないのは当然だけどわかってもらえるように説明することはできると私が思ったからお願いしたけど拒否されたなら諦めるよ
そもそも私宛ではなかったみたいなのでこれで終わりで
間違えちゃってごめんね >>992
承知したよ今度から「不明」ってコテにするよ!
スタンスはカントとウィトゲンシュタインだよ
ヘーゲルとニーチェとハイデッガーは相手に伝える気がない文章で読み難いから嫌いだよ
スレを見るのは0時前後だから遅くなったらごめんね >>997
さっそくコテをありがとうございます。
「明」という名前は普通ですが「不」とういう苗字はなかなか頓知がきいていてユニークだと思います。
随分たくさん質問をいただいている気がしますが、私もいろいろな都合で返事が遅れる可能性が大です。
気長にお待ちいただければと存じます。恐縮です。
あるいはもう少しテーマを絞ってもいい気がします。
例えば意識のハードプロブレムとかです。いかがでしょうか。
ちなみに私はバークレー、カント、ヒューム、マイケル・ポランニー、ケン・ウィルバー、マイケル・ダメット、
などなど、広く浅くいろいろなひとのいいとこ取りが基本です。
その人達の著作を読んでないのが特徴です。 いずれにしても同じ事の繰り返しがこのスレの特徴です このスレッドは1000を超えました。
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