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【人新世】 斎藤幸平 2 【脱成長】

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0001考える名無しさん
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2023/08/18(金) 18:32:43.140
斎藤幸平(1987年1月31日)は、日本の哲学者、経済思想家、マルクス主義研究者で
ある。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授。フンボルト大学哲学博士。

略歴

芝高等学校を卒業後、東京大学理科二類に入学するも3カ月間在籍後、
「フリーマン奨学金」を得てウェズリアン大学へ進学する。
2009年 - ウェズリアン大学政治経済学部を卒業する。
2012年 - ベルリン自由大学哲学科修士課程を修了する。
2014年 - フンボルト大学哲学科に博士論文「Natur gegen Kapital」を提出する。
2015年 - フンボルト大学哲学科博士課程を修了する。
ベルリン・ブランデンブルク科学アカデミー客員研究員
2016年 - 日本学術振興会海外特別研究員・カリフォルニア大学サンタバーバラ校
客員研究員
2017年 - 大阪市立大学大学院経済学研究科准教授
2018年 -「Karl Marx's Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy, Monthly Review Press, 2017」により、ドイッチャー記念賞を歴代最年少の31歳で日本人で初めて受賞する。
2020年 -「マルクス経済学のエコロジー的転回に関する研究」で日本学術振興会賞を受賞する。
2021年 - 著書『人新世の「資本論」』で新書大賞を受賞する。
2021年 - 著書『人新世の「資本論」』で韓国のAsia Book Awards
(ABA 아시아북어워드) 2021年優秀図書賞(一般書部門)を受賞する。
2022年 - 東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻准教授

https://twitter.com/koheisaito0131
斎藤幸平
@koheisaito0131

前スレ https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1623817701/
【人新世】斎藤幸平【脱成長】
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0576考える名無しさん
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2023/08/31(木) 23:04:22.050
>>571-572
思想の言説では、つねに「べき論」が先に立つので、
「べき論」などまったく無視して実際に「どのようか」
をまず記述しようとする哲学の試みは、「身も蓋もない」
ことを言ふ不埒な振舞ひとして拒絶され、否認される。
しかし、哲学の立場から見れば、そのような拒絶や
否認は、認めたくないものについては、気づかないふり
をすることを貫こうとする現実逃避の姿勢でしかない。
0577考える名無しさん
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2023/08/31(木) 23:12:11.600
例えば、人が「奴隷」として扱はれる現実があり、
そのことは「奴隷制度」が廃止され、禁止されて
いることになっている国々においても変わらない。
そのような現実に対して、思想系の言説を紡ぐ
人々はまず、そのような現実は「あってはなら
ないこと」であるとし、本来であれば、つまり、
社会の組織化が「正常」に働いているのであれば、
「あるはずのないこと」であると「あらかじめ
規定する」のであり、そのような現実がなぜ
どのように「定常的」に生じているのかを忠実に
記述しようとはしない。
0578考える名無しさん
垢版 |
2023/08/31(木) 23:25:33.070
ところで、「奴隷」の売買が制度として成立して
いた社会においては、「奴隷」が売り買ひされる
のは、「奴隷」には「身分がない」からである。
というより、むしろ、「生き物」としては同類で
あるものと認識されるが、「身分がない」または
「身分を失った」とされる者が「奴隷」とされる
と表現した方が適切だろう。

ここで、「身分がない」とは、「人(ひと)としての
身分」がないだけでなく、「身内としての身分」
もないということである。だから、「奴隷」として
「身分がない」者でも、「身請けする」人が
現れたなら、「元奴隷」として扱はれるとしても、
もはや「奴隷」ではなくなるのだ。
0579考える名無しさん
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2023/08/31(木) 23:37:50.260
この関係性から、おもしろいことに気づく。
それは、愛玩用のペットとされる動物と人との
関係性である。ペットとなる動物は、「奴隷」
のように売り買ひされるが、「奴隷」が「役畜」
のように売り買ひされるのに対して、ペットは、
「役畜」のようには売り買ひされない。
ペットは、むしろ、「身請けする」人が、
代金と引き換へに自分のものとすることが
できる「金で買うことのできる『身内』」であり、
その意味では、「元奴隷」に喩えることの
できる存在者である。だからこそ、
「身請け」されて「金で買うことのできる
『身内』」として世帯で飼われることになった
ペットは、もはや「役畜」のように取引きされる
ことがない。ペットには、「身内としての身分」
がその生涯にわたって保証されるわけではないが、
「身内としての身分」を失ったペットは、さらに
別の人に売られるのではなく、捨てられるか、
殺処分にされるのである。
0580考える名無しさん
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2023/09/01(金) 00:56:13.180
「身内としての身分」を与へてもらっている方が、
「人(ひと)としての身分」を手に入れるよりも、
楽であるとか、安泰であるとか、理想的であるとは
言へないが、だからといって、「身内としての身分」
を捨てることによって、「人(ひと)としての身分」が
手に入るわけではない。
しかし、「人(ひと)としての身分」を手に入れようと
することは、多くの場合、「身内としての身分」を
放棄することを余儀なくさせ、しかも、
「人(ひと)としての身分」が一時的に手に入った
としても、その身分が保たれる保証はどこにもない。
「身内としての身分」がこのまま継続することが、
生きるに堪えないほど苦痛であるというのであれば、
「人(ひと)としての身分」を得ようと模索する他ない
というだけのことだ。ただし、「人(ひと)としての身分」
自体は、それが手に入ったとしても不毛である。
だから、「人(ひと)としての身分」を手に入れても、
それしかない人の多くは、「金で買うことのできる
『身内』」であるペットを飼うのだ。
0581考える名無しさん
垢版 |
2023/09/01(金) 06:34:20.010
哲学するためには、金に関心をもってはならない
といったような類のことを他人に忠告しようとする
人がよくいるが、これは、明白に誤った主張である。
なぜなら、哲学をするためには、むしろ、その
前提として、「奴隷」として生きることを余儀なく
されることがないように、みづから(身づ柄/自ら)を
「身請けする」ことができなければならず、
そのうえで、みづから(身づ柄/自ら)を身内として
飼ひ慣らそうと日々、努めることが必要とされる
からである。
0582死して屍拾ふもの無し
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2023/09/01(金) 10:50:04.900
「犬死にする」とは、「身内としての身分」を失ひながら、
「人(ひと)としての身分」を得ることもできないままに命を落とすことである。
0583考える名無しさん
垢版 |
2023/09/01(金) 11:19:13.670
頼みにできる身内もなく、孤立無援だったとしても、
「人(ひと)としての身分」を得ることを希求することなく、
他人の「飼い犬」となることで他者よりも優位な「身分」を
みづから(身づ柄/自ら)に確保しようとする者は、
それに成功したとしても、結局は、用済みになれば、
犬のように捨てられることになる可能性が高いことも
覚悟しておく必要があるだろう。

>「そうした悪徳をわれわれが必要としているのだし、この共通の必要性なるものによって、悪という真の性質が捨象されているのだから、それは許容されるべきだというのなら、その役目を、われわれなどより、もっとたくましくて、臆病
ではない市民たちに演じさせるべきだ。彼らならば、祖国を救うために、自分の
命を犠牲にした昔の人々のように、自分たちの名誉も良心も犠牲にするはずだ。
でも、われわれのような弱虫人間は、もっと簡単で、危険の少ない役割を引き
受けるとしよう。公共の利益が、裏切りや、嘘や、殺戮を要求するのであり、
こういう任務は、もっと従順で、柔軟な人々にお任せしようではないか。」
モンテーニュ「エセー6」p.13 宮下志朗訳
0584考える名無しさん
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2023/09/02(土) 08:25:25.930
>哲学するためには、金に関心をもってはならない
といったような類のことを他人に忠告しようとする
人がよくいる<

このようなことを他人に忠告する者は、間違いなく、
既みづから(身づ柄/自ら)を「身請けする/してもらう」
必要のない「身分」をあらかじめ確保できている
優位な立場にあって、そのことについてまったく無自覚
である(つまり、そのことについては、哲学していない)
者か、あるいは哲学しようとすることが、そのような
「身分」を一時的にでも確保できること、または
不可能な場合には、「仮想」としてでも確保できている
と思ひ為すことを必要とすることにはっきりと気づいて
いながら、その「気づき」を意図的に相手に対する
「ルサンチマン(まがいの)脅迫」として利用する
「飼い犬」かその「主人」である。この後者、つまり、
「飼い犬」かその「主人」である場合、その忠告は、
「それができる『身分』が自分にあると思ひ込んで
いるなら、やってみるがいい。目に物見せてやるから」
ということを暗に意図している。
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