対談

池上彰×斎藤幸平

斎藤 要するに、私たちの生活にとって、「何がエッセンシャル・ワーク(必要不可欠な仕事)」で、「何がブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)か」を露わにしたのが、今回のコロナ禍だった、ということです。グレーバーの本の一番いいところは、「エッセンシャル・ワーク」を軽視して、「ブルシット・ジョブ」ばかりを重視する“資本主義の効率の悪さ”を明らかにしている点です。

池上 その「エッセンシャルなもの」とは、まさにマルクスの言う「使用価値」であるわけですね。コロナ禍においては、「交換価値」で言うと極めて“安い”マスクが“高い”「使用価値」をもつようになり、皆がマスクを求めました。「交換価値」の低いマスクを国内で生産してもペイしないので中国で生産していたけれども、皆がマスクの「使用価値」に改めて目覚めたというわけです。

斎藤 「ブルシット・ジョブ」がそうであるのは、「使用価値」(効用)をまったく生まない仕事だからです。「使用価値」を生む仕事こそ「エッセンシャル・ワーク」。ところが、そういう生活維持に不可欠な「エッセンシャル・ワーク」を「低賃金」「長時間労働」で“周辺化”するのが資本主義。同じように、資本主義は、水、土壌といった生活維持に不可欠な“自然”も“周辺化”しています。