民族問題やナショナリズムについて哲学する
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ベネディクト・アンダーソンや、
アンソニー・D・スミスや、ホブズボームなど。 >>252
君は読んだんだよね?
だったら君が「霊魂の悩みを追い払うような言説」を語ればいい
エピクロスを読んだ君がまず手本を見せてくれないか
それが出来ないなら君はエピクロスから学べてないということだからエピクロスを何度も読み直す必要がある >>229
どこで誰が実証したんだよ?w
相関の仕方によって変わるのは、そこの別の存在が実在として関わるということだけであって、実在自体がないわけではない。
なにかがあればそれは存在だし、なければそれは存在の対極の言葉としての無だ。
観測(相関)してもしなくても、実在することに変わりはない。 >>230
言葉が先にあるのではなく、実在が先にあって、それを表すのが言葉。
認識とは無関係に言葉は表現できる。 「餓えないこと、渇かないこと、寒くないこと、これらが肉体の要求である。これらを所有したいと望んで所有するに至れば、その人は、幸福にかけては、ゼウスとさえ競いうるだろ
う。」
エピクロス『エピクロスの勧め』より
「自己充足を、われわれは大きな善と考える」
エピクロス『メノイケウス宛の手紙』より 「生の(生の目的なる快の)限度を理解している人は、欠乏による苦しみを除き去って全生涯を完全なものとするものが、いかに容易に獲得されうるかを知っている。それゆえに、かれはそ
の獲得のために競争を招くようなものごとをすこしも必要としない。」
エピクロス『主要教説』より >>234
それも人間の勝手な把握の仕方の一つに過ぎないよw 「欠乏しているものを欲するあまり、現にあるものを台無しにしてはならない。現にあるものも、われわれの願い求めているものであることを、考慮せねばならない。」
「十分にあってもわずかしかないと思う人にとっては、なにものも十分でない。」
エピクロス『エピクロスの勧め』より
「隠れて、生きよ。」
エピクロス『倫理学について』より 「欲望のうち、或るものは自然的でかつ必須であり、或るものは自然だが必須ではなく、他のものは自然的でも必須でもなくて、むなしい臆見によって生まれたものである。」
エピクロス『主要教説』より 「最大の富を所有しても、多くの人々から尊敬と注目を受けても、その他、無際限な多くの原因からどのような結果が生じても、そんなものは、霊魂の動揺を解消しはしないし、値打ち
のある喜びを生み出しもしない。」
エピクロス『エピクロスの勧め』 「幸福と祝福は、財産がたくさんあるとか、地位が高いとか、何か権勢だの権力だのがあるとか、こんなことに属するのではなくて、悩みのないこと、感情の穏やかなこと、自然にかな
った限度を定める霊魂の状態、こういったことに属するのである。」
エピクロス『倫理学について』より 「快の生活を生み出すものは、続けざまの飲酒や宴会騒ぎでもなければ、また、美少年や婦女子と遊びたわむれたり、魚肉その他、贅沢な食事が差し出すかぎりの美味美食を楽しむたぐいの享楽でもなく、かえって、素面の思考が、つまり、一切の選択と忌避の原因を探し出し、霊魂を捉える極度の動揺の生じるもととなる様々な臆見を追い払うところの、素面の思考こそが、快の生活を生み出すのである。」
エピクロス『メノイケウス宛の手紙』より 「熟考せねばならないのは、欲望のうち或るものは自然的であり、他のものは無駄であり、自然的な欲望のうち、或るものは必須なものであるが他のものはたんに自然的であるにすぎず、さらに必須な欲望のうち、或るものは幸福を得るために必須であり、或るものは肉体の煩いのないことのために必須であり、他のものは生きることそれ自体のために必須である、ということである。これらの欲望について迷うことのない省察が得られれば、それによって、われわれは、あらゆる選択と忌避とを、身体の健康と心境の平静へと帰着することができる。」
エピクロス『メノイケウス宛の手紙』より >>254
>どこで誰が実証したんだよ?w
アスペ(フランス)、クラウザー(アメリカ)、ツァイリンガー(オーストリア)の実験によりベルの不等式の破れが示された
>実在自体がないわけではない。
ですから量子力学では、測定前に「モノ」が実在しているということすら言えないのですね。
最初に述べたように、ベル不等式(CHSH不等式)の破れは、実在する「モノ」の物理量の値の非実在性だけを意味しているというよりも、「モノ」そのものの実在性も否定しています。
なお光子などの「モノ」の実在性については、有名なウンルー効果でも疑問視されることになります。
https://note.com/quantumuniverse/n/nfb5518650df6 「けだし、身体の健康と心境の平静こそが祝福ある生の目的だからである。なぜなら、この目的を達するために、つまり、苦しんだり恐怖をいだいたりすることがないために、我々は全力を尽くすのだからである。ひとたびこの目的が達せられると、霊魂の嵐は全くしずまる。そのときはもはや、生きているものは、何かかれに欠乏しているものを探そうとして歩き回る必要もなく、霊魂の善と身体の善とを完全に満たしてくれるようなものを何か別に探し求める必要もないのである。なぜなら、快が現に存しないために苦しんでいるときにこそ我々は快を必要とするのであり、苦しんでいないときには我々はもはや快を必要としないからである。」
エピクロス『メノイケウス宛の手紙』より >>267
なんでそんなことが実証になるんだよw
人間の把握の仕方の一つに過ぎない、ただの戯言。
波であろうと揺らぎであろうと、そのこと自体が実在なんだよ。
量子や光が実在しなければ、きみは5CHを見ることすらできないw >>255
>言葉が先にあるのではなく、実在が先にあって、それを表すのが言葉。
事物があらかじめ存在していて、それに名称がつけられていったという考え方を言語名称目録観(ノマンクラチュール)というが
これはソシュールによってとうの昔に否定されている
言葉は事物の名称リストではないし、言葉に先立って事物が絶対的・即自的に存在することはない
>認識とは無関係に言葉は表現できる。
この節では、「言葉は認識のあとにくるものではなく、言葉は認識自体である」というメルロ=ポンティの指摘した事実を示すのみにとどめておきます。
『言葉とは何か』丸山圭三郎(ちくま学芸文庫)p.98 >>270
>なんでそんなことが実証になるんだよw
>人間の把握の仕方の一つに過ぎない、ただの戯言。
その三人はノーベル物理学賞を受賞しているんだよ「ただの戯言」ではない >>271
> ソシュールによってとうの昔に否定されている
どの著作を読んでそう思ったの?
ソシュールはむしろ言葉が先にあると言いたい人だけど、実在の話とは無関係だw
> 「言葉は認識のあとにくるものではなく、言葉は認識自体である」というメルロ=ポンティの指摘した事実
自分が読んだ記憶では、メルロ=ポンティは(フーコーと同じように)認識と言葉の乖離を前提にしていると思うが(『知覚の現象学』等)?
解説本からの引用だと論理が省略されている場合があるから、(翻訳だとしても)直接の引用にしてほしいものだ。 >>272
ノーベル賞を取っているからといって、存在概念(存在という言葉)の正当性が保証されるわけではまったくないよw
実在があるから、観測もできるし評価もできる。
要するに専門の外にはみ出した戯言。 >>273
スレタイ(民族問題やナショナリズム)や直近のレスの流れ(実在性やら物自体やら直観の形式やら)と関係ない引用ばかりで無意味だね
君が気に入ったエピクロスの言葉をただ並べたてただけで「人間の悩みを癒す」言説になるとでも思ったのかい?
この程度ならユーチューブの名言集の動画や偉人の名言をつまみ食いした自己啓発本によくあるものでしかない
エピクロス自体は偉大だけど君はエピクロスから「霊魂の悩みを追い払う」方法を学べていないことが分かった
君のやっているのはエピクロスの本から自分のお気に入りの言葉を引用し羅列しただけにすぎず、この行為はまさに「哲学を研究しているように装う」ものでしかないよ残念だ
スレタイや直近のレスの応酬に即し、かつ、人間の悩みを癒すようなエピクロス流の「真に哲学を研究する言説」を期待してたんだが見込み違いだったようだ >>275
>存在概念(存在という言葉)の正当性が保証されるわけではまったくない
「存在概念の正当性の保障」ではなく「実在性が否定」されたという話だよ
>実在があるから、観測もできるし評価もできる。
少なくとも科学的(量子力学的)には実験結果から実在性は否定された
一方で君の主張する「実在があるから観測もできる」は君の信念(信仰)の表明にとどまるものでしかない >>278
> 「実在性が否定」されたという話
だから、その根拠が皆無だと言ってる
> 科学的(量子力学的)には実験結果から実在性は否定された
観測できている以上、全然否定になってないw
実在がないというのは受け狙いに過ぎない。
繰り返すが、量子や光が実在しないのなら、君も実在しないw >>279
>観測できている以上、全然否定になってないw
観測出来たら実在が証明されるわけではないから「ベルの不等式の破れ」は実在性を否定している事実は動かないよ
>量子や光が実在しないのなら、君も実在しないw
それで合ってるよ
「私」とは現象するものであって実在するものではない >>282
> 観測出来たら実在が証明されるわけではない
繰り返すが、実在しなければ観測できないw
> 「私」とは現象するものであって実在するものではない
なぜ君は5CHにレスできるんだ?
君の画面にもドットの集積が表示されてるだろ?
そんなものはなくて、君の妄想の中だけで僕とレスのやり取りをしていると言いたいの?w >>282
> 「私」とは現象するものであって実在するものではない
実在するから現象があるんだよw
メルロ=ポンティ読んだんじゃないのか?
本を読むにも、そこに本が実在しないと読めないけどねw >>259
勝手な把握だとしても、間違いでなく、整合性があれば認めてよいだろう。
>>260
「実在」をどのようなものと考えてるのか?
例えば「モノ(物質)」があることと、「コト(状態)」があることは別なもの。
超音波は後者だが。 ハイデガーの『存在と時間』は、「何かが存在するとはどういうことか」というアリストテレス『形而上学』における問題意識を、
蒸し返して、くどくどと論じた本だということになっている。
たしかに、「何かが存在するとはどういうことか」、それが分からないと、存在するとか存在しないとか言っても始まらない、
ということはあるだろう。
とはいえ、ハイデガーは、オチをつけるのを諦めてしまったのかなんなのか、けっきょくその作業を中途で投げ出してしまった。 仏教には「毒矢のたとえ」がある。
「ある人が毒矢に射られた。瀕死の彼がしたことは、この毒矢は誰が射たのか、
弓とはなんであるか、どんな矢じりか、弦はなんで出来ているのか等を考察する
ことだった。しかし、彼に最も必要なことは、矢を抜いて治療することだ。」
彼のしたことはは哲学で、治療が信仰である。
近代以降の哲学者で、哲学することで魂が救われた人はいただろうか?
永劫回帰のニーチェは狂死、キェルケゴールは失恋の失意の中で死んだのでは? 一般に「コペンハーゲン解釈」といわれるものは、ボーア本人のものではなく、フォン・ノイマンの再解釈が流布したものらしい。
ボーア本人は、カント哲学に則って、哲学論文みたいな、哲学者ならばよく分かるが、
哲学の素養のある人は別として(当時の一流科学者は哲学もよくできた人が多かった)、並の物理学者ではなかなか理解が難しいような書き方をしたのだそうだ。
なお、カント哲学に則っているというのは、本人がそう言っていたのだそうである。 数年前に放送されたドイツ公共放送のTVドラマ観ていたら、中華料理店で働く中国人女性役のアジア系の若い女性が配役されていて、「目が際立って小さい釣り目のアジア人の女性であれば、あとはどうでもいい」という基準で選ばれたことが一目瞭然。
だって、中国人移民のはずなのに、病院の運ばれて意識不明のままベッドに横たわっている、やはり中国人という設定の恋人役の男性に朝鮮語で話しかけているんだもの。要するに「普通のドイツの市民」は、アジアの言語などその違いが分からないのだから、中国人の配役が喋るのが中国語であろうと、日本語であろうと、朝鮮語であろうと、どうでもいい、典型的な人種的なイメージに合ってさえいればいいという考えがミエミエ。別に放送局にそういう考えの個人がいたとしても何の驚きもないが、それが今でもドイツの公共放送の企画として通るのだから、ドイツの公共における「多様性尊重」の意識もせいぜいその程度のものということ。 >>286
> 整合性があれば認めてよい
たとえば言葉の整合性は現実の整合性とは無関係。
数式の整合性も、定義と決めごとの約束の中での整合性だから、これも現実を表すわけではない。
> 「モノ(物質)」があることと、「コト(状態)」があることは別
別に分類する方が便利な時もあるだろうが、どちらも実在であることに変わりはない。
超音波だって、なにかを振動させてるんだよ。 >>289
西欧では簡単なことでも難しく書かないと受け入れられない、とフーコーが笑っていた。 カントと現代空間論
松本歯科大学リポジトリ
https://mdu.repo.nii.ac.jp › files › kiyo-22_1-9
倉持武 著 · 1994 — この場合, カントはリ マンを基準とした批判. にさらされるのではなく, 逆にリーマンの先駆者. として讃えられ, 非ユークリッド幾何学の成立は. カントの空間論・幾何学
↑ 大変に勉強になる論文でした。わたしが思い違いをしていたところも、正された。 戸坂潤 物理的空間の成立まで (カントの空間論)
青空文庫
https
百年前に書かれた↑が、結局のところもっとも良い。
コーエン、田辺、付け足しでドゥルーズ、これらの「微分」の哲学のキモが何なのかもわかる。 『M.バタフライ』(エムバタフライ、原題:M.Butterfly)は、デイヴィッド・ヘンリー・ウォンによる、時佩璞(中国語版)のスパイ事件を基に作られた戯曲。1988年に初演。
これは、クローネンバーグ監督、ジェレミー・アイアンズ・ジョン・ローン主演で映画化もされた。
この作品は、ポスコロ、オリエンタリズム批判などの文脈でわりと論じられたものである。
その種の批評では、欧米が「男」、中国が「女」という役回りであった。
日本における本居宣長から柄谷行人までの、中国が「男」、日本が「女」というのとは逆なのである。
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