全ての命題の真偽は判定可能か否か2
ここまでのまとめ
正義から悪が生まれ愛も生まれる
この世界の全ての因は正義である。 マルチバース、並行宇宙の存在は無矛盾性と存在の同値性から導かれた。この事と存在と回転が同値である事を考える。回転してなければ、我々は我々のこの宇宙に留まっているのは明らかなので、別の宇宙に行くには回転が必要である。また、存在と回転が同値なので回転していれば別の宇宙に行ける。よって別の宇宙に行く必要十分条件は回転している事であり、その回転速度は∞である必要がある。
また、存在とは輪郭の事なので、また、天命もまた輪郭の事なので、輪郭が同じならば、役割も全て同一である。よって全く瓜二つの自分がいたら、その宇宙空間ではやっている事は全く同じである。スティールボールランでジョニーとルーシーと大統領が複数の宇宙にいたが、あれは、ホクロの位置が異なるとかでないとおかしいと思う。全く同じ形ならば、やる事は一つの筈だ。役割は一つの筈だ。 遺伝子の配列が有限パターンならば、人の役割も有限である。これは時間の果てまで行くと、今この瞬間に戻ってくるのと一致している。 10FEETの第ゼロ感というタイトルから考えると、天命とは初期衝動の事だと思われる インターステラーを観た。
主人公は最後アカシックレコード、4次元超立方体テサラクトにたどり着いて、最終的に全ての宇宙、マルチバースを繋げたようだ。 インターステラー、この世界が仮想現実であると思ってる人は観て欲しい 自分とは何か?
イデアである。
イデアが全ての前提ならば、自分とはイデア以外にあり得ない。天命とはイデアの事だ。
正義が全ての因であり、ここから悪が生まれる事も生じるのであるならば、全て論理的でそうであるならば、全てイデアの模造である。イデアを再現しているだけだ。
THÉ YELLOW MONKEY/バラ色の日々
何故心の底から信じ切れるのか?→真実だから。もしどこか矛盾しているならば、信じ切る事が出来ない。信じ切る事が出来ないのであれば、真実、現実化しない。真実ならば信じ切れるのが必要条件である。「どれほど否定し、疑り抜いても」否定出来ないものが真実だ。
つまり、この曲は、夢が真実だと言っていたのだ。 >>12
誰も応援しない、馬鹿にしてくる中で、それでもYouTubeを投稿し続けるには信念がいる。ジョージは信念があるか?と、言っていると思うが、問題はその信念はどこから来るのか、という事にあると思う。イデアがあるかないか、という事に帰着すると思う。もしイデアを持てないなら、四面楚歌の苦痛しかない中でもやる気なんか持たない。 情報はドラッグ。
何故なら情報は高いエネルギー値を持つから。
YouTube, Xなど全てのSNSはドラッグ。
スマホはドラッグの塊。スマホが放つ光のエネルギーがドラッグ。 THE YELLOW MONKEY/バラ色の日々
どれだけ否定しても否定出来ぬものが真実ならば、頭から離れぬイデア、夢こそ真実だという証明だったのだ。
全てに於いて時代の先を行っている。 https://youtu.be/kBsUrBVuDFs?si=7BoMPrE2kQDQs3pX
ジョージの積み上げ兄さんの考えはバフェットのスノーボールと同じだ。
5年やり続けるのは執念がいる。 >>19
つまり信念が本質であり、「どうしても叶えなければならない夢」である事が本質だ。
どうしても叶えなければならない状態になるにはイデアにするしかない。 >>19
複利の考えで言えば、積み上げ兄さんが一番遠くに行けるらしい。 論理空間の導出
存在するならば輪郭がある
ので、無矛盾性からそれらが無矛盾に位置する場所がある。そして、ある静的な論理空間(物理ではなく例えば数学)に於いては、それはパズルのピースを埋め合わせるものである。よって論理空間が導出された。 ピタゴラスの定理でも、証明の経路は存在して具現化する。これは事実として正しい。そして証明の経路が存在するのに、具現化しない定理があるのは一貫性がない。
つまり、全ての証明問題は、時間が経つにつれて必ず証明される。
全ての謎が解ける時がある。 命題
計算問題があり、その問題の計算量のクラスと一致するアルゴリズムは存在する
証明
まず次の補題を示す。
補題
全ての真である証明問題は時間を無限大にいくらでも大きく限り無く発散させる(∞^nでnをいくらでも大きく取る)と、解けた問題の割合は1に収束する。
証明
もし1に収束しない場合の状態を考える。一つはその命題は解けない事を意味するので前提から命題を導く論理的経路が存在しない事を意味する。これは前提に矛盾する。
もう一つは証明の論理は存在するが、解かれる事がないというパターンが考えられる。この場合、その収束値は1以外の値rに収束するが、これは、どんなに時間をかけても開示されない証明の経路が存在する事になるので、これは開示されている定理と比較すると無矛盾性に反する。
よって、全ての真である証明問題は全て時間を極限まで発散させた時、その解けた問題の割合は1に収束する。
今仮に命題が成立しないと仮定すると、問題の解法となるアルゴリズムは全て問題のクラス一致しない、小さいクラスである問題aが存在して、そのアルゴリズムをa’と置く。
この時問題aを無限に生成するプログラムAが作成出来る。
今問題を無限に作成するプログラムがあって、その作成した問題を全て解くようにして、解いた問題の全体の割合をrと置く。
Aの場合、時間を∞^nとしてnをいくら大きくとっても0に収束する。
全ての真である証明問題の集合をPと置き、全ての計算問題の集合をpと置いた時、P⊃pであり、これは補題に矛盾する。
よって命題は示された。
系
P=NPが成り立つ。 P vs NP
「命題
計算問題があり、その問題の計算量のクラスと一致するアルゴリズムは存在する
証明
まず次の補題を示す。
補題
全ての真である証明問題は時間を無限大にいくらでも大きく限り無く発散させる(∞^nでnをいくらでも大きく取る)と、解けた問題の割合は1に収束する。
証明
もし1に収束しない場合の状態を考える。
状態1
一つの状態はその命題は解けない事を意味するので前提から命題を導く論理的経路が存在しない事を意味する。これは前提に矛盾する。
状態2
もう一つの状態は証明の論理は存在するが、解かれる事がないというパターンが考えられる。
状況をまとめると、命題が真である、という情報が与えれており、しかし、時間を極限まで経過させても絶対にその証明が具体化しないとする。これが矛盾する事を示す。
今仮にその命題が真である条件が欠けた状態では、証明が具体化していないのだが、しかし、存在するのだ。つまり、我々人間は証明を認識していないので証明の存在は成立していない、という矛盾した状況になっている。よって必ず証明は具現化する事になる。よって全ての真である命題は解かれるので、仮定した状況は矛盾する。
すなわち状態1,2ともに矛盾する事が導かれた。よって、全ての真である証明問題は全て時間を極限まで発散させた時、その解けた問題の割合は1に収束する。 今仮に命題が成立しないと仮定すると、問題の解法となるアルゴリズムは全て問題のクラス一致しない、小さいクラスである問題aが存在して、そのアルゴリズムをa’と置く。
この時問題aを無限に生成するプログラムAが作成出来る。
今問題を無限に作成するプログラムがあって、その作成した問題を全て解くようにして、解いた問題の全体の割合をrと置く。
Aの場合、時間を∞^nとしてnをいくら大きくとっても0に収束する。
全ての真である証明問題の集合をPと置き、全ての計算問題の集合をpと置いた時、P⊃pであり、これは補題に矛盾する。
よって命題は示された。
系
P=NPが成り立つ」 この文章の
「今仮にその命題が真である条件が欠けた状態では、証明が具体化していないのだが、しかし、存在するのだ。つまり、我々人間は証明を認識していないので証明の存在は成立していない、という矛盾した状況になっている。よって必ず証明は具現化する事になる。よって全ての真である命題は解かれるので、仮定した状況は矛盾する。」
ここをもうちょっと洗練させたい。
「真であるのが事実だが、真であるという事実を知らない状況の場合、証明は存在していない。ところが存在するのであるから矛盾している。つまりいずれ明らかにならないと矛盾する。」
というロジックだ。これ自体は正しい。しかしもっと数学的にしたい。
すなわち証明論だが。 存在とは輪郭の事だから、波動空間が導かれ、動的な空間が導かれる。この世界が完全に静的である事を否定したい。つまりこの世界は物理的で数学的ではないと証明したい。それも、現実の空間が動的だから、という論法ではない方法で。
波が固定されて動かないと仮定すると、つまり静止していると仮定する。波の形状が変わる事を示したいのだ。
そうだ、無矛盾ならば存在するならば、波が移動して重ね合わせが起きている事が無矛盾だから存在し、それが真実なのだ。
これでこの世界が動的である事が示された。
そしてこの目に見える世界の全ては存在現象に置換されて、同時に波動の世界に還元され、さらに波動より前提はないのだから、ある意味では目に見えている世界がこの世界の全てを表現している、というのは正しいか?
とりあえずそこへの言及はあとで考察するのだが、数学は明らかに静的な論理空間である。数学の諸命題は明らかに静的な論理空間に属する。
そして真であるならばその証明方法が存在する。
ここで、この世界を表現している波動より前提がない事が示されれば、証明方法はこの空間に属している事になり、さらにそれが存在しているのが真実なのだから、我々人間が認識出来ないのは矛盾している。
そもそも存在と形がある事は同値であり、つまり、形のある世界が最前提にあるならば、この目に見える空間が最前提にある事で、それ以降の全てが表現される。すなわち存在するならば、目に見える空間に眼前に現れる事と同値である。
よって真である命題の証明は全て現実に現れる。よって補題は真である。
系
全ての命題の証明は明らかになる。
よって全ての問題、矛盾、悪が滅びる時がある。 P vs NPの証明を書き直そう。
「命題
全ての計算問題に対して、その問題の計算量のクラスと一致するアルゴリズムは存在する
証明
まず次の定理を示す。
定理
全ての真である命題の証明は必ず現実化する
証明
存在と輪郭が同値であり、輪郭と波動(包含関係⊇)が同値であり、包含関係と因果関係(論理→)が同値である。よってこの目に見える現実の物理空間=存在を最前提に置いてそれ以降の全てが表現される。つまりこの世界の本質は目に見える空間であるとしても良い。よって全ての真である命題の証明が存在するのであれば、目に見える空間に存在しないと矛盾する。よって定理が示された。
系
全ての真である証明問題は時間を無限大にいくらでも大きく限り無く発散させる(∞^nでnをいくらでも大きく取る)と、解けた問題の割合は1に収束する。
今仮に命題が成立しないと仮定すると、問題の解法となるアルゴリズムは全て問題のクラス一致しない、小さいクラスである問題aが存在する。
この時問題aを無限に生成するプログラムAが作成出来る。
今問題を無限に作成するプログラムXがあって、その作成した問題を全て解くようにして、解いた問題の全体の割合をr(X)と置く。
Aの場合、時間を∞^nとしてnをいくら大きくとってもr(A)は0に収束する。
全ての真である証明問題の集合をPと置き、全ての計算問題の集合をpと置いた時、P⊃pであるので、これは系に矛盾する。
よって命題は示された。
系
P=NPが成り立つ」 次の目標
回転による別時空間への移動
医学の数学化による言語操作によって病気を治す スティールボールランで大統領の結婚論は、結婚相手は吉をもたらす人間だと言っている。
22巻の最後の方で、幸運の女神の話がある。
ジョニーにとってはルーシーだったようだが
あの幸運の女神の話は一体何だったのか。何故ジャイロが死んだ後であの話を差し込んだのか P=NPの証明
「命題
全ての計算問題に対して、その問題の計算量のクラスと一致するアルゴリズムは存在する
証明
まず次の定理を示す。
定理
全ての真である命題の証明は必ず現実化する
証明
存在と輪郭が同値であり、輪郭と波動(包含関係⊇)が同値であり、包含関係と因果関係(論理→)が同値である。よってこの目に見える現実の物理空間=存在を最前提に置いてそれ以降の全てが表現される。つまりこの世界の本質は目に見える空間であるとしても良い。よって全ての真である命題の証明が存在するのであれば、目に見える空間に存在しないと矛盾する。よって定理が示された。
系
全ての真である証明問題は時間を無限大にいくらでも大きく限り無く発散させる(∞^nでnをいくらでも大きく取る)と、解けた問題の割合は1に収束する。
今仮に命題が成立しないと仮定すると、問題の解法となるアルゴリズムは全て問題のクラス一致しない、小さいクラスである問題aが存在する。
この時問題aを無限に生成するプログラムAが作成出来る。
今問題を無限に作成するプログラムXがあって、その作成した問題を全て解くようにして、解いた問題の全体の割合をr(X)と置く。
Aの場合、時間を∞^nとしてnをいくら大きくとってもr(A)は0に収束する。
全ての真である証明問題の集合をPと置き、全ての計算問題の集合をpと置いた時、P⊃pである。 >>34
計算問題が解かれるとは、次の二つが満たされる事を示す事になる。
(1) 最良のアルゴリズムの存在を示し、かつそれが最良である事を示す
(2) 実際にそのアルゴリズムで解が存在の有無を確認する
Aより作られた大量の問題の集合をEと置くと、今系よりrは1に収束するのだから、Eに対して(1),(2)の両方が示されて1に収束する⇔一つ一つの問題に対して、全てのアルゴリズムは同じであるから、一つの計算問題に対して最良のアルゴリズムは問題のクラスと一致していないといけないが、先ほど示されたのはr(A)は0に収束するので矛盾する。
すなわち命題は示された。
系
P=NPが成り立つ」 古典力学の3次元+時間軸の4次元空間を考えると、初期設定を与えてその後描かれる運動は全て初期設定で全て表現される。よって動的な論理空間は静的な論理空間に全て還元される。初期設定の文字列に全て還元され静的な論理空間に還元される。よって全ては静的な論理空間で考えて良い。 黄金比、フィボナッチ数列から作られる黄金比の長方形は芸術の色々な所で現れるが、その理由を考えてみる。 THE YELLOW MONKEY/バラ色の日々
この歌詞は定理の羅列のみならず、夢が真実であるという証明の概念も含まれている。その意味で普通の詩とは一線を画す。
夢が真実ならば、完全に論理的なものだ。
令和の虎で志願者が夢を語るが、それが一過性の妄想に過ぎないのか、虎達が徹底的に論理をチェックする。
もう一つ問題がある。
夢を語って、夢を否定してくる人間とはそもそも一緒にいない方がいい。夢の場所の隣にいないからだ。縁がないのだ。 「命題
全ての計算問題に対して、その問題の計算量のクラスと一致するアルゴリズムは存在する
証明
まず次の定理を示す。
定理
全ての真偽の判定可能である命題の証明は必ず現実化する
証明
存在と輪郭が同値であり、輪郭と波動(包含関係⊇)が同値であり、包含関係と因果関係(論理→)が同値である。よってこの目に見える現実の物理空間=存在を最前提に置いてそれ以降の全てが表現される。つまりこの世界の本質は目に見える空間であるとしても良い。よって全ての真である命題の証明が存在するのであれば、目に見える空間に存在しないと矛盾する。よって定理が示された。
系
全ての真である証明問題は時間を無限大にいくらでも大きく限り無く発散させる(∞^nでnをいくらでも大きく取る)と、解けた問題の割合は1に収束する。
今仮に命題が成立しないと仮定すると、問題の解法となるアルゴリズムは全て問題のクラス一致しない、小さいクラスである問題aが存在する。
この時問題aを無限に生成するプログラムAが作成出来る。
今問題を無限に作成するプログラムXがあって、その作成した問題を全て解くようにして、解いた問題の全体の割合をr(X)と置く。
Aの場合、時間を∞^nとしてnをいくら大きくとってもr(A)は0に収束する。
全ての真である証明問題の集合をPと置き、全ての計算問題の集合をpと置いた時、P⊃pである。 >>40
計算問題が解かれるとは、次の二つが満たされる事を示す事になる。
(1)全探索より良い最良のアルゴリズムの有無の判定を行い、存在するならば最良である事を示し、存在しないならば、存在しない事を示す。
(2)存在するならば、 実際にそのアルゴリズムで解が存在の有無を確認し具体的に値を出す。
存在しないならば、全探索で解の存在の有無を確認する。
Aより作られた大量の問題の集合をEと置くと、今系よりrは1に収束するのだから、Eに対して(1),(2)の両方が示されて1に収束する⇔一つ一つの問題に対して、全てのアルゴリズムは同じであるから、一つの計算問題に対して最良のアルゴリズムは問題のクラスと一致していないといけないが、先ほど示されたのはr(A)は0に収束するので矛盾する。
すなわち命題は示された。
系
P=NPが成り立つ」 THE YELLOW MONKEY/バラ色の日々
夢が真理、という事は一旦横に置いて、
夢が叶った
という状況、言葉を考えると、夢は真理だから叶ったのだ。真理でない夢は叶わない、存在しない。これは結果論だが真実だ。ところが、夢を見ないと絶対に叶わない壮大な夢も存在する。つまり、真実の前提に夢がある。ソフトバンクのような大きな会社は夢を見ないと作る事が出来ない。大きな夢をみる事をしないと絶対に叶わない。創業者はどれだけ否定しても否定出来ぬものがあった。夢は完全に論理的でないと叶わない。そして、現実化したのだから、それに矛盾が無かった。つまり創業者の見た夢は真実だった。真実だから完全に論理的だったのだ。企業のプランが完全に論理的だから叶ったのではなく、真実である事が確定していたから完全に(あるいは相当な程度)論理的だったのだ。
投手としてもバッターとしても最高の頂点は大きな夢を見ないと叶える事が出来ない。そして実際に叶ったから真実だった。
つまり、どれだけ否定しても否定出来ない、頭から離れぬ白昼夢は未来を見ている。
ここで問題が残る。
大きな夢が叶う必要条件は頭から離れぬ白昼夢である事だ。
では頭から離れない白昼夢なら全て叶うのか?という問題が残る。
真実でなければ、白昼夢にならない。
ここまでの論理をまとめると、大きな夢が叶ったのはそれが真実だから。そこに至るまでの道筋が完全に論理的なのは、そもそもその夢が叶うことが真実だから完全に論理が敷かれている。完全に論理的だから夢が真実になるのではなく、夢の内容が完全な真理だから、そこに至るまでの過程が完全に論理的になる。これが本当の論理的真実。論理的過程があるから真実になるのではない。つまり、イデアこそ真実。
この世界は罪と罰のように、小説のように、まず決定的瞬間、劇的瞬間のイデアを先に思い浮かべて、その後で論理的過程が作られていく。
白昼夢がイデアならば、叶うという事だ。
白昼夢が無矛盾ならば叶う。という事は、どれだけ否定しても否定出来ないのであれば、それは叶うという事だ。
という事を吉井和哉さんは言っているのだ。つまり彼は、この世界は小説で、夢が叶う決定的なポイントはどれだけ否定しても否定出来ぬものが真実だと言っている。この世界がどのように作られたかまで言及している。 吉井和哉さんの自伝に、イエモン解散後に、自分のソロでアルバムを出す際、自分の全盛期には戻れない、というような事が書かれていたが、つまりそれは、自分の若い頃の作品のレベルは出せない、みたいな事だと思うが、これは、凄まじいハードワークをしていたからあれだけの作品が生み出せたと考えるならば、創作の基本は体力だという事になる。つまり、全ての基本は、過労で倒れるぐらいの超ハードワークをする体力があって、かつ実際に超ハードワークをするのに依存する事になる。この事からわかるように、芸術家も起業家も筋トレをしなければならない、筋トレをしてさらに超ハードワークをしなければならないという事になる。 漫画って、日本だと、少し前まではハイカルチャー、ドストエフスキーや川端康成のような地位は与えられていなかったと思う。
スティールボールランはハイカルチャーを遥かに逸脱してると思うが、この事が意味するのは、情報や偏見のせいで智者であっても真実が見えなくなる。 美しいとは、無数の関係性が矛盾なく表れている事と推測出来る
その意味で、例えば長方形の絵画の構図を考えてみる。 >>48
関係性が多ければ多いほど美しいのかもしれない
これが真実ならば、関係性の多寡が美の高さを決める 黄金比の長方形は無数の正方形が含まれる比率になっている。
白銀比はまだ調べていないが、上に挙げたのは多分黄金比しか出来ない。 >>49
https://www.profuture.co.jp/mk/column/36009#:~:text=いるのです%E3%80%82-,なぜ黄金比を美しいと感じるのか,あるといわれています%E3%80%82
黄金比が美しく感じる理由はこういう事でしょう >>50
つまり、黄金比の長方形の中に無限個の正方形が含まれている。 つまり、黄金長方形の軌道はエネルギー散逸がない軌道なのか? >>49
これが真ならば、やはり美は単純でなければならない。 別の時空に行く回転と、厄災を退ける回転は軌道が違うが別の能力を持っているのだろうか? 黄金長方形の中に無数の関係がある。
無数の共振とは無数の関係でもいいのだ。 黄金長方形の螺旋の中に無限の相似形が含まれる。他の螺旋と何が違うのだろうか?
球の回転と、黄金長方形の回転を統合する事は出来ないだろうか >>43
つまり、信じ切れるのか?とバラ色の日々は聞いている。
どれだけ否定しても信じてしまう、信じ切る事が出来るなら真実だ、 美とは波の共振と書いたが、包含関係は関係でもあるから、やはり無矛盾な関係が多ければ多い程美しい、深いのだろう。つまり、美の多寡は無矛盾な関係の多さで正しいだろう。 夢というのが真実ならば±∞のエネルギー値を持つ。よってそれを叶える為には相当な労力、エネルギーを要する事になる、気がする。 黄金長方形が何故次元の壁を突き抜けるか大体わかった。
あとはジョジョリオンの厄災を退ける回転がまだよくわからない。 >>63
イデアというのは真実だからこそ無限の関係性が充満している。だから美しいという事になる。 因果関係と対応関係が同じか、という問いだが、対応関係はこれとあれを対応させる、という論理規則を適用している為因果関係に含まれる。そして因果関係は明らかに対応関係なので同じものである。 黄金比の螺旋の軌道、内側から外側にだと思っていたが、多分外側から内側に軌道を描かせるのだと思う。大きい方から小さくなっていくのだと思う。 https://youtu.be/TktT086DU9o?si=OxnE0wXydC4IueqN
この動画見て思ったのだが、世界に影響を与えるような会社を作るのと、YouTubeやTikTokをいじって金稼ぐだけの会社の違いとは、そもそもそういう夢を持っているか否かで、ない場合大金稼ぎたいという形になるのではないか。夢が真実だったから大きな夢が叶ったのであって、真実でなく一過性の妄想だったら叶わない。
つまり、真実だから永遠に夢見続けるのであって、真実でなかったら現実化しない。
言い換えると、現実化したら夢は真実だ。
これは正しい。
真実なら夢は現実化する。
これも正しい。
対偶を取ると、現実化しない夢は真実ではない。
真実である事と、現実化するのは同値だ。
つまり、絶対に否定出来ぬ夢は真実か否か、の判定だが、絶対に否定出来ぬのだから真実だ。つまり現実化する。つまり、絶対に否定出来ぬ無矛盾の夢はすでに存在しているから未来は既に確定している。既にその瞬間は事前に確定している。 >>69
無矛盾な夢は存在する。
5x-2=0の解を求める夢は真実だ。
つまりそれは無矛盾だから存在する。
つまり、頭の中にあるx=2/5の文字列は未来を見ている。
つまり、無矛盾の夢は未来なのだ。それは決定だ。真理だ。
イデアとは未来を見ている。
これがバラ色の日々の意味だろう。 >>70
他にも、無矛盾な小説を書いたらメタバース的に存在する。
つまり無矛盾の夢は真実だ。 無矛盾な夢なら叶う
つまり、真実の夢、本当に心の底から望んだ夢なら叶う。
本当に心の底から望むなら全生命を捧げる事にる。
本当に心の望んだものは天命だ。 つまり、大金持ちになりたいとか、夢の様に見えるもののうち、真実、天命は、そこに命を捧げられるか否かの判定が最低条件である。それ以外は一過性の妄想だという事になる。
夢の定義は真実の夢=天命で、それ以外は一過性の妄想になると思われる。 >>73
こういうような言い換えで真実が導かれて行く 取り敢えず加法とか、乗法を使わずに、例えば1+2=3は(1,2,+)→(3)のように全て対応関係、関数で空間を記述してみたい。そしてこれが宇宙の真実の姿の筈だ。
この無数の対応関係の集積が空間として表現されているに過ぎない筈だ
つまりこの意味では、加法とか乗法が全く成立しない空間もメタバースにある、と言う事で、加法とか乗法が成立してるように見える我々の空間は一般性の欠けた特殊な空間と見る事が出来る。 スティールボールランで何故馬が必要だったのだろうか 主客未分=論理の意識は、自己しかない自我意識、我意とは全く交わらないので、主客未分の意識が無意識の根底にある 回転
つまり、球を放つのに黄金の回転のエネルギー増加の過程が要ると言う事だ スティールボールラン21巻
「ネットに引っかかったボールはどちらに落ちるかわからない。
そんな時に居て欲しいのが女神。
どちらに落ちても納得がいく」
幸運の女神は幸運しかもたらさない。
幸運の女神が選んだのは、ジャイロでも大統領でもなく、ジョニーだった。
ジャイロは12巻で死ぬ予定だった。そして12巻でジョニーは全てを失った。
幸運(勝利)の女神の定義は、哲学の原理を使えば、幸運をもたらしてくれる女性の神様だから一人しかない。
浮気をしまくる男はこの定義で言えば、幸運になれない、そもそもそんな女神は最初からいない。これが哲学の原理から導かれる理論だ。これはスヴィドリガイロフとホストの高田の話だ。
もし幸運の女神が一人一人存在するならば、その女性しか近くに置いてはいけない。ジャイロが敗北したのはそれが理由だ。
ルーシーが選んだのは大統領ではなく、ジョニーで、大統領がジャイロに勝ったのはルーシーに選ばれたのが理由ではなく、ジャイロが幸運の女神ではない人間を近くに置いていたからだ。そこを大統領は自分は女神に選ばれたと勘違いをしている。
幸運の女神がいれば、ボールが自分の側のコートに落ちても納得がいくらしいが、幸運(勝利)の女神がいるのであれば、ネットの向こう側に落ちるだろう。幸運の女神は偶然を支配するはずだから。幸運とは、運しか作用しない極限の瞬間に勝利をもたらすものだからだ。
大統領は、偶然ジャイロに勝ったのは、ジャイロが幸運の女神の定義に反した行いをしたからだ。だから偶然が大統領の味方をした。 21巻で勝利の女神の話を挿入したのは、最後の勝利の瞬間は勝利の女神に側についていないと勝利は逃げていく、と言う事が言いたいのだろう。つまり、偶然しか支配しない極限状況(ネットに引っかかったボールの状況)では、幸運の神がついていなければ勝てない。それが男なのか女なのかは人によるが。
勝つ確率と負ける確率が統計的に共に50%の状況で勝つ方は勝利の神がついている方だ。そしてそれは神なのだから一人しかいない。それ以外を側に置いてはダメだ。ルーシーはジャイロにとって敗北の女性だった。
そして勝利の神がついているのならば、勝利は確定している。
天命を持つ人間はそれを行えばいい。そうすれば、勝利が約束されている、と言いたいのではないだろうか。 疑問に思っているのは、確かに黄金長方形には無限個の関係が含まれているが、無限に小さくなる縮小する関係だが、それは可換ではない気がするという点がある。 ハンターハンターのメルエムが最強として生まれ、コムギが軍議最強として生まれたのは、二人が結びつき人と蟻が結びつく為だった。もし、コムギが自分の天命以外に力を使っていたら、二人が結びつく事は無かった。 >>88
つまり、作者が想定したイデアに辿り着く為には天命以外やってはいけない。 そして正義とか悪とか神の話も、このメルエムとコムギの話だろう。
悪の話が無かったら、キメラアント編もない。 別の時空に行くには回転している必要がある。更に無限個の関係が埋め込まれている必要がある。 >>92
包含関係の共振と関係→は同値だから相似関係∽でも良いのか。つまり、最終的に関係が無限個埋め込まれている形状は共振以外だと螺旋になるのか? 例えば新聞に小説を連載する場合、ある一定量の文章を毎週とかのペースで書かなければならない。毎日かもしれない。ある欄が定められて、そこを全て埋め切らないといけない。これがその新聞に小説を載せる事になった作家の宿命である。つまり、存在の前提は全て現象化する。 >>94
この場合、存在の前提とは設定の事になる。 人生は有限でいつか死ぬ
何故ならば、時間は極限まで行くと、今この瞬間に戻るから。
よって静的な論空間において輪郭は有限である。
よって遊びまくっている人間は特定の一人と長く居られない。 世の中は本当に矛盾しているのか
形あるものが二重で同じ場所に存在する事は出来ない→一切矛盾していない
こんなに金と時間と愛情を注ぎ込んだ相手が別の人間と結婚した→単純に魅力が無かったから。金を使った事を加算しても魅力がなかったから。
悪人が栄える→本当にそうなのか。一時は栄えるが長期的に見るとどうなるのか。
善人が死ぬ→時間が極限まで行くと今に戻る事から来世は存在する。という事は死後の世界は存在する。今仮に死んで、何処か別の世界がないとも言い切れない。
そもそも矛盾しているなら爆発律により、今すぐ目の前に太陽が出てくる。しかしそんな事は起きた事がない。 >>96
これを一般化すると、
あれもこれも、色んな仕事に手をつける人間は、もちろん特定の何かとの縁は薄くなる。 宿命とは何かと言うと、自分の存在の事で、自分の存在からは逃れられない、という非常に当たり前の話を延々としていたわけだ。その意味では
10-FEETの第ゼロ感というタイトルを考えてみると、そもそも逃れられないから初期衝動になるのだ。 >>96
遊びまくってセックスしまくっている人(男女問わず)というのは、静的な論理空間でほぼ全ての輪郭を使い果たしている為、特定の一人との長期的な関係になれない。
というのは、例えば懐中電灯Aがあって、パナソニックの電池Bがあって、AはBとしかくっ付かない、という台本を書いた場合、無論他の電池はくっ付かない。
どれだけ三菱電気の電池Cとくっ付きたくてもくっつける事が出来ない。
台本に書かれた内容は全て静的な論理空間に一意対応する筈だ。