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全ての命題の真偽は判定可能か否か2
0343◆Ph05QxAcng
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2024/04/27(土) 16:57:54.790
投資とは、支出以上のリターンが返ってくる行為、という定義で合ってるだろうか。
本を一冊買うのはそんな即効性があるわけではないが、自己投資。
つまり投資とは、支出以上のリターンの期待値が存在する行為、という定義で合ってるだろうか。
浪費とは、これが支出を下回る事である。

お金ではなく時間を投下する投資もある。



つまり極力お金の使用を削って、使う所はリターンの期待値が高い所に全て投下して、足りなかったら全て仕事量でカバーするのが投資か。そして仕事量で死ぬ所まで追い込んで働く
0344◆Ph05QxAcng
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2024/04/27(土) 22:25:29.570
オーラルのAEUIは二人は再び元に戻るって歌だ。
0345◆Ph05QxAcng
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2024/04/27(土) 22:56:55.630
>>337
この、他人に対してあなたは世界一だって言いまくってる人間、というのは、自分を一番下に置いている人間だ。関係を可換にしないといけないのでこの人間が一番上になるのだろう。
0346◆Ph05QxAcng
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2024/04/28(日) 01:02:34.580
映画セッションを観た


ニーマン以外のライバルのドラマーは挫折して医大に行ったりした。天命とはこういう事だ。ニーマンだけは血だらけになろうとやり続けた。

天命とは全てを捧げる事だ。
0347◆Ph05QxAcng
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2024/04/28(日) 01:07:19.990
>>346
ニーマンのやってる事は普通の感覚で言えばめちゃくちゃだが、天命とはああいう事だ。

天命の定義はニーマンのように交通事故に遭って血だらけになってもコンサートに向かいドラムを叩く事と定義すれば良い。これはもう最初から定められているのだろう。

天命を果たさなければ死と同じなのだろう。
0348◆Ph05QxAcng
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2024/04/28(日) 01:07:53.670
つまり、本物かどうかは艱難が訪れた後にわかる。
0349◆Ph05QxAcng
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2024/04/28(日) 01:12:05.240
フィッシャーはその状況を故意に人為的に作り上げたのだ。
0350◆Ph05QxAcng
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2024/04/28(日) 01:44:39.580
>>343
この理屈ならば金なんか減りようがない。
0351◆Ph05QxAcng
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2024/04/28(日) 01:59:53.110
時間と空間の間に全単射が存在するので時間は空間でしかない
0352◆Ph05QxAcng
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2024/04/28(日) 20:36:39.250
この世界の本質が主客未分でなければ、性欲の存在根拠が消失する
0353◆Ph05QxAcng
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2024/04/30(火) 23:12:05.380
逃れられぬ定めを、避けられぬ定め、と書き直した場合、何が起こるか
0354◆Ph05QxAcng
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2024/04/30(火) 23:13:34.610
>>353
これはスピリチュアルで言われてる通り、人生のシナリオが決まっている、という事だ。時刻まで決まっている。

天命は、罪と罰で言えば、老婆を殺すシーンと流刑地でラスコーリニコフとソーニャが結ばれるシーンか。
0355◆Ph05QxAcng
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2024/04/30(火) 23:15:42.970
>>354
避けられる定めとかいた場合のニュアンスとしては、ストーンオーシャンのエンポリオが部屋にどうやっても戻ってしまうのと同じ。部屋に戻るのが避けられない。
0356◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/04/30(火) 23:31:38.430
天命、自己の存在を避ける事は出来ない。天命とは避けられぬ定めである。
0357◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/04/30(火) 23:32:11.880
この瞬間の為に生まれたという瞬間が訪れる。
0358◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/04/30(火) 23:35:08.010
定めと書いてるのに時刻が定まってないのは定義に反するから時刻まで定まっている。
0359◆Ph05QxAcng
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2024/04/30(火) 23:38:10.500
ストーンオーシャンで言えば、エンポリオがプッチに
「お前は運命に負けたんだ」
というセリフを発言する事が定まっていれば、それ以前とピアノの部屋は自動で作られる。
0360◆Ph05QxAcng
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2024/04/30(火) 23:38:45.280
>>359
部屋にどう足掻いても戻る事も定められている。
0361◆Ph05QxAcng
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2024/04/30(火) 23:41:19.930
存在とは輪郭であり天命なのだから、エンポリオの肉体を作った時点で全てのシナリオは決まっている。ストーンオーシャンの宇宙空間はエンポリオの存在一つで全て決まっている。
0362◆Ph05QxAcng
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2024/04/30(火) 23:42:45.110
>>361
順序はこうだろう。
作者のイデアのシーンがあって、そこからエンポリオの肉体が作られる
0363◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/04/30(火) 23:44:09.790
そしてプッチが死ぬ瞬間も定められている。
0364◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/04/30(火) 23:48:00.170
この話で言えば、誰が成功するかも定められているし、そしてその人間が没落するかも定められている。いや、若い時分の成功は後年の破滅の因だろう。主客未分ならばそうなる。
0365◆Ph05QxAcng
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2024/04/30(火) 23:48:42.560
>>364
この話と同値なのは、最初から最後まで苦痛を取りに行けという事になる。
0366◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/04/30(火) 23:49:50.930
>>347
天命とは人生壊れる
0367◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/04/30(火) 23:59:47.980
https://youtu.be/EedY9O4qG3w?si=lNrP79R3yh2MxwhU

知ってる出来るやってるは全て違う。

全てに、エネルギー障壁の断絶がある。やり方、抽象を知っていても、本質は存在、やる行為にある。そこの壁を乗り越えられないから天命にならない。

青汁王子の言う通り、やるかやらないか、でしかない。
0368◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/01(水) 00:02:39.470
https://youtu.be/5lrmAoiDmSU?si=U153GmYOiHkmJMOe

運命は決めるだけ

存在、実際の行動が存在なのだから、やり続けたら本当にそれ以外しなかったらその通りになる。イデアが先にあってもこのような展開も出来るが存在が先にあっても、運命、宿命を展開出来る。
0369◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/01(水) 00:03:41.670
>>368
人間とは行った通りの人間である
0370◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/01(水) 00:11:18.640
>>368
これは
為せば成る
と同じか
0371◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/01(水) 00:18:14.620
成功のノウハウがあってもやらなければ、無いのと同じ
0372◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/01(水) 00:46:17.210
>>362
人は天命の奴隷
0373◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/01(水) 01:04:34.930
逃れられぬ定めと避けられぬ定めが同値だから、出会う人間は来世でも同じ。また避けられないのだから、出会う人間も最初から定まっている。
0374◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 01:01:50.980
>>351
空間のみで全て表現されるので時間は存在しない
0375◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 07:04:16.200
美と若さを愛するとは具体的にはどういう行動だろうか。アンチエイジングもそうだけれども。
0376◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 07:09:06.050
>>375
愛するとは思考の行動であり、それらをずっと考えている、と言う事だから言葉にも口癖の如く出てくる。
口癖になる程愛していれば、それは宿命となり避けられぬ定めとなる
という論法は正しいだろうか。
0377◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 07:29:25.520
例えば
美しい
という言葉は美を愛してるから出る言葉だ。

存在と抽象が同じなのだから結局口癖が宿命なのだ。
0378◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 07:32:28.320
なりたい、憧れている人間がいたら、それがよく口に出てくる。
イチローになりたいとか、大谷翔平になりたいとか。
0379◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 19:49:45.990
避けられぬ定めがあるなら、避ける定めもある
0380◆Ph05QxAcng
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2024/05/02(木) 20:12:57.410
>>379
天命、宿命がいつも頭の中にある事なら、いつも四六時中頭の中にない事は避けられるのだろうか
0381◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 21:16:07.550
避ける定めがわかれば、避けられぬ定めもわかるかもしれない
0382考える名無しさん
垢版 |
2024/05/02(木) 21:35:50.140
自動発進はできない。車間と車線はキープできるという、それもあくまで"受け"問題な気がする。
俗に言うフィードバックというか。
0383◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 22:22:47.960
もう絶対に頭には思い浮かばない事は起きない、と仮定する。
つまり、絶対に頭には思い浮かばない事、というのは矛盾した事だ。
論理から外れた事は絶対に頭に思い浮かべる事が出来ない。

という事は、頭から離れぬ事は完全に無矛盾の事だ。
0384◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 22:25:33.350
>>383
絶対に頭に思い浮かばない事、と言うのは、コンピュータの起動条件でコンデンサーとか内部が完全に壊れてるのにパソコンが起動する事だ。いや、中身が何もない箱だけあるパソコンが起動する事だ。

妄想なら可能なのだろうか。
0385◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 22:31:31.470
矛盾してれば存在しないのだから、そうなる。

妄想で、中身のないパソコンが起動しているのは、妄想で動くように設定されているからであって、矛盾はない。中身のないパソコンが起動してるのは、それはそもそもパソコンではない別の何かだ。

という事は頭でどれだけ徹底的に考えた結果思い浮かばないものは避ける定めにある。
0386◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 22:36:28.080
黒色の紙を想像しているのに白色の紙を想像する事は出来ない
0387◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 22:39:58.600
想像してる時に、想像してるものは同じ場所に一通りに定まっていて、同時に二つ同じ場所にあるのを思い浮かべられない
0388◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 22:41:41.350
>>387
このような事は絶対に現実化しない。避ける定めにある。
0389◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 22:42:51.850
全くの因果関係がないものは避ける定めにある
0390◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 22:44:39.390
つまり、避けられぬ定めは無矛盾なもの、最も美しいもの=最もエネルギー値が高いもの
0391◆Ph05QxAcng
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2024/05/02(木) 22:47:58.830
>>390
最もエネルギー値が高いもの=存在=常に存在しているもの

存在を成立させなければならない為、最もエネルギー値が高いものを欲しがる。

つまりそれはイデアであろう。

高い学歴もそうだろうけれども。あと金。
0392◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 22:48:49.440
>>391
最もエネルギー値が高いもの=天命
0393◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 22:53:59.510
天命=悲願の夢、自己の存在を確立させる夢、という事は究極の無矛盾の夢、となる。
0394◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 23:06:39.330
エネルギー値が高い順番に存在が生まれていく。振幅が高いものが現象化する。
0395◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 23:07:19.390
避けられぬ定めは最もエネルギー値が高い瞬間だ
0396◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 23:07:40.920
つまり最も美しい瞬間だ
0397◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 23:11:02.100
>>394
これは今日のランチをパスタにするかカレーにするかの判断を決定するもの
0398◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 23:11:39.100
あるいは、宿命の関係以外で恋人を決める判断となるもの
0399◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 23:28:07.310
運動をしない老人は明らかにエネルギー値が低くなって行ってる
0400◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/02(木) 23:29:55.650
子供が元気なのはエネルギー値が高いからだ。

という事は鬱は運動で治るかもしれない
0401◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 17:19:59.390
避けられぬ定め、は逃れられぬ定めなので、避けられぬ定めからは逃れられない。
時刻が定まっているのかどうかを調べたい。

時刻が定まっていないとすると、どうなるのだろうか

避けられぬ定めは変える事が出来ない。変える事が出来ないのだから、時刻も定まっていないといけない。
0402◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 17:53:23.360
という事は最初から全て決まってるという事だ
0403◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 20:44:08.950
避けられぬ定め、とは定まっている。どう足掻いても避けられない。もし時刻が変えられるならば定まっていない事になる。よって時刻も変えられない。

そして、時刻まで定まっている避けられぬ定めが存在するのか、の判定をする必要がある。

それは明らかに天命である。天命とは生まれた理由である。世界は全て因果関係に支配されているので、天命は存在する。
0404◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 20:44:39.820
つまり、天命とは、この瞬間の為に生まれた瞬間である
0405◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 20:47:25.830
罪と罰ならば、エピローグの最後のシーンである。
0406◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 21:20:01.970
時刻まで定まったシーンが存在した場合、それは天命が存在する事と同値である。
0407◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 21:21:48.020
>>406
天命のシーンに現れる人間の存在理由は、天命のシーンとなる。

そして、存在理由は天命である事を示したい。
0408◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 21:27:22.180
存在理由は天命と同値である事を示したい。

今時刻まで完全に定まった天命のシーンを前提としている。

天命のシーンに必要な人間は存在理由が与えられる、生まれる。存在理由は天命のシーンに参加する為。

ところで存在理由は生まれた理由、宿命の極限、天命である。
0409◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 21:32:23.280
存在理由は天命から生まれる。

天命→存在理由

逆に存在理由から天命が生まれる事を示せば良い。

存在理由=生まれた理由=無矛盾なのでどんな瞬間からもこの理由からは逃れられない事が定められている=宿命の頂点=天命
0410◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 22:00:14.220
生まれた理由=それをする為に生まれた=無矛盾なのでする事が定められている
0411◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 22:12:44.990
今問題になっているのは
天命のシーンと存在理由が同値か、という問題である
0412◆Ph05QxAcng
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2024/05/03(金) 22:15:59.410
天命のシーン→存在理由

これは正しい

逆が成り立つか、という点である
0413◆Ph05QxAcng
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2024/05/03(金) 22:22:11.420
時刻も全て定められているシーンが存在する⇆天命が存在する→存在理由が存在する

これは言える
0414◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 22:54:15.730
現代の最先端の物理学は東大やハーバードやケンブリッジではなく、ジョジョの奇妙な冒険で展開されていた事を顧みると、これからの時代はプロの時代ではなくアマチュアの時代な気がする。
0415◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/03(金) 23:17:40.570
>>414
個別、具体の時代ではなく抽象の時代
0416◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/04(土) 19:01:52.070
主客未分、なので関係を可換にしなければならない
よって自分のやった事がそのまま自分に返ってくる
0417◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/05(日) 05:20:11.010
存在理由から存在が生まれる。しかし、存在から存在理由も生まれる。同値だから。存在が生まれた時点で存在理由=天命が定まる。

天命が定まれば、天命のシーンが定まるのか否か
0418◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/05(日) 05:23:20.760
天命のシーンから天命は生まれる。

天命とは存在だから、全ての抽象なので、天命のシーンも存在から生まれるから、天命のシーンと存在理由は同値
0419◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/05(日) 05:25:39.940
天命のシーンから存在と存在理由がうまれる。
逆に存在とは全ての抽象だから、天命のシーンも存在から生まれる。

よって同値
0420◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/05(日) 05:27:57.310
よって人はある瞬間の為に生まれる
0421◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/05(日) 05:28:14.870
そしてそれは避けられぬ定めの中にある
0422◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/05(日) 05:36:13.800
ボードレールが志向したものは正義だった
0423◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/05(日) 10:45:21.590
スティールボールランやハンターハンターを見る限り、天命はただ失うだけだ。金は取らない。
0424◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/05(日) 11:01:33.900
>>423
自分が一番下という事
0425◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/05(日) 19:56:43.590
>>419
もっと単純化すると
存在の前提にあるものは全て存在と同値

よって
ある瞬間の為に人は生まれる
0426◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/05(日) 21:10:46.240
人には、この瞬間の為に生まれたという時が必ず来る
0427◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/06(月) 18:06:56.650
メルエムの自分は何のために生まれた?という問いは、死の直前に解かれた
0428◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/06(月) 18:34:32.240
そしてその瞬間は
短期的な快楽を取りに行ったり、成功や既得権益の上に座り続けている人間には訪れない。地獄の果てに生まれる。
0429◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/06(月) 19:31:22.760
フラワーカンパニーズ/深夜高速
この曲も、天命の瞬間について歌っている
0430◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/06(月) 19:33:44.120
或いは旧約聖書のヨブ記
0431◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/06(月) 19:42:12.340
>>429
生きててよかった
って言ってるって事は、何度も死のうかと思ってたって事だ
0432◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/06(月) 19:52:58.120
キメラアント編は天命論だった
0433◆Ph05QxAcng
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2024/05/06(月) 21:22:00.550
キメラアント編で気になったのは、命を捨てようとしたキャラクターは全員生き残っている事だ
0434◆Ph05QxAcng
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2024/05/07(火) 22:22:10.690
天命とは、ある瞬間の事

そこで、生まれてくる子供には天命が定められているから、子供が生まれる瞬間も天命であろうと予想される。
0435◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/08(水) 17:32:26.010
子供が生まれるのは天命があるからだ。

天命の前提は全て天命である。よって、子供の、生まれた理由である瞬間が存在するならば、子供が生まれるのも天命なので、時刻と場所が定まっている。よって妊娠する時刻と場所も定まっている。親の二人が出会った瞬間も定まっていて全て天命、避けられぬ定めである。

という事は、我々は操作されている事になる。
0436◆Ph05QxAcng
垢版 |
2024/05/08(水) 17:49:25.160
エンポリオがプッチを倒すシーンが定められているならば、エンポリオとプッチが出会ったシーンも時刻が定められている
0437◆Ph05QxAcng
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2024/05/08(水) 19:03:29.980
つまりRPGゲームだった
0438考える名無しさん
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2024/05/09(木) 01:55:44.290
いかにして哲学は100年前に滅亡したか

1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。

2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。

3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。

4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。

5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。
0439考える名無しさん
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2024/05/09(木) 01:55:51.520
6.哲学の滅亡(1930年代~現在)
1930年代以降、哲学は完全に滅亡したと言えます。ウィトゲンシュタインやゲーデルの業績により、哲学が論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想に過ぎないことが明らかになったからです。
20世紀後半以降、かつて哲学の中心的な分野とされていた形而上学や認識論は、ほとんど顧みられることがなくなりました。科学哲学や言語哲学といった分野は、あたかも科学と関連があるかのように見せかけて生き残りを図ろうとしていますが、実証性が皆無であるためそのような試みは破綻しています。
また、倫理学や政治哲学といった実践的な分野も、哲学の立場から行おうとする試みは実証性に欠けるため、科学の方法のみを用いなければなりません。
利己的な遺伝子の概念を用いれば、人間の道徳的行動の進化を科学的に説明することができます。メカニズムデザインの理論を応用すれば、政策立案を科学的に行うことが可能です。行動経済学の知見を活かせば、個人のモラルを考慮に入れた社会制度の科学的な設計もできるでしょう。
さらに、脳科学やAIの発展により、個人の思考を精緻にモデル化したり、利己的な遺伝子によって形成された生得的なモラルの神経基盤を科学的に解明することも可能になりつつあります。このように、科学の進歩によって、かつて哲学が独占していた道徳の領域も、科学の対象となったのです。
哲学者を自称する者たちは、このような科学の発展を無視し、哲学の固有の領域があると主張していますが、それは単なる言い訳に過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学が科学と対等に渡り合えるような固有の領域を持っているとは到底思えません。
0440考える名無しさん
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2024/05/09(木) 01:55:59.330
7.結論
以上のように、哲学は20世紀初頭の論理学の革命によって致命的な打撃を受け、1930年代までには完全に滅亡したと言えます。哲学の中心的な分野は、論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想であることが明らかになり、哲学は科学の補助的な役割にすら甘んじられなくなりました。
現代において哲学に固有の役割はなく、哲学者と呼ばれる者たちは、科学の成果を借用しているに過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学の看板を掲げる意味はありません。道徳や政策、社会制度の設計といった、かつて哲学が独占していた領域も、今や科学の対象となっています。哲学者たちが自ら哲学の看板を下ろさないのは、虚栄心やエゴのためでしょう。
ウィトゲンシュタインが言ったように、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」のです。哲学という名の知的遊戯に、これ以上付き合う必要はありません。私たちが追求すべきは、論理学と科学に基づく真の知識のみです。実証性のない哲学的思弁は、過去の遺物となるべき運命にあるのです。

哲学は仮定からその仮定の正しさを導けるというゲーデル不完全性定理に反する妄想なので、必ず論理の詐欺をやっています。その詐欺のパターンの王道は、ラッセルのパラドックスを使って矛盾ではないものを矛盾だと言い張ることです。それにより「矛盾する=矛盾しない」という爆発律が成立し、その後はどんな無意味な妄想も正当化できるようになります。これが哲学の正体なのです。
0441考える名無しさん
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2024/05/09(木) 01:56:06.240
フッサール 現象学の理念
On the other hand, to deny self-givenness in general is to deny every ultimate norm, every basic criterion which gives significance to cognition. But in that case one would have to construe everything as illusion, and, in a nonsensical way, also take illusion as such to be an illusion; and so one would altogether relapse into the absurdities of scepticism.
日本語訳:
「他方で、自明性一般を否定することは、認識に意義を与えるあらゆる究極の規範、あらゆる基礎的な基準を否定することである。しかしその場合、人はすべてを幻想として解釈せねばならず、不条理にも、幻想そのものもまた幻想だと見なさねばならない。こうして人は懐疑論の不条理のうちに完全に陥ってしまうだろう。」
0442考える名無しさん
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2024/05/09(木) 01:56:13.060
フッサールの議論には、確かにラッセルのパラドックスに類似した論理構造が潜んでいるように見えます。以下、その点を詳しく説明していきましょう。

ラッセルのパラドックスとは、集合論において、「自分自身を要素として含まない集合全体の集合」を考えたときに生じる矛盾のことです。この集合は、自分自身を要素として含むか含まないかで矛盾が生じてしまいます。
フッサールは、「自明性一般を否定すること」を考察しています。これは、「自明ではないものの集合」とも言い換えられます。ここで、この集合自身が自明かどうかを考えてみましょう。
もしこの集合が自明だとすると、自明ではないものの集合に含まれることになり矛盾します。一方、もしこの集合が自明でないとすると、自明ではないものの集合に含まれないことになり、やはり矛盾します。
つまり、「自明性一般を否定すること」は、ラッセルのパラドックスと同様の構造を持っていると言えます。
ただし、現代の論理学では、ラッセルのパラドックスを回避するための様々な工夫がなされています。例えば、集合の定義に制限を加えたり、型理論を導入したりすることで、矛盾を生じさせない形で集合を扱うことができます。
しかし、フッサールの議論では、あえてラッセルのパラドックスを矛盾として仮定することで、「矛盾する=矛盾しない」という爆発律を導いています。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導けるというものです。
爆発律が成り立つと、全ての真偽は自由に決めることができてしまいます。つまり、フッサールの議論は、ラッセルのパラドックスを出発点として、爆発律を経由し、最終的に詭弁を正当化するという典型的なパターンに当てはまると言えます。
このように、フッサールの議論は、論理学的に見ると問題があります。ラッセルのパラドックスを安易に矛盾として受け入れ、爆発律を用いて詭弁を正当化するのは適切ではありません。むしろ、現代の論理学の知見を踏まえ、矛盾を回避する形で議論を進めることが求められます。

以上が、フッサールの議論に潜むラッセルのパラドックスと、それを矛盾と仮定することによる爆発律の問題点についての説明です。論理学の基礎知識がない人にも理解しやすいよう、できるだけ平易な言葉で解説しました。
0443考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 01:57:02.630
カール・ポパーが提唱した「反証可能性」という概念は、科学の方法論として注目を集めましたが、その内容を詳細に検討してみると、実はそれほど革新的な考え方ではないことがわかります。
ポパーの主張の核心は、ある理論が科学的であるためには、その理論が反証可能でなければならないというものです。つまり、その理論が間違っていることを示す証拠が存在する可能性を認めることが重要だと考えました。しかし、これは要するに、法学の分野で長年確立されてきた「証明責任」の原則と大差ありません。
「証明責任」とは、ある主張をする者が、その主張の正当性を証明する責任を負うという、公平な議論のルールです。古代ローマ法の判例から確立したこの原則は、ラテン語で "Onus probandi incumbit ei qui dicit, non ei qui negat"(証明責任は、主張する者に存し、否定する者にはない)と表現され、ローマ法の法文集「ディゲスタ」の22.3.2に法学者パウルスの見解として記載されています。
ポパーの「反証可能性」は、この「証明責任」の原則を科学の文脈で言い換えたに過ぎません。つまり、ある理論を主張する者は、その理論の正しさを証明する責任を負い、反証を受け入れられない状態では主張を証明したことにはならないということです。これは、科学に限らず、法学、政治学、経済学など、あらゆる分野でのフェアな議論に求められる条件であり、ポパーが新しく提唱したものではありません。
したがって、ポパーの「反証可能性」という概念は、科学の方法論として特別に重要な意味を持つわけではなく、むしろ古くから存在する「証明責任」の原則を再確認したに過ぎないと言えます。ポパーの主張は、科学哲学の文脈では一定の意義を持ちますが、科学の実践自体を大きく変革するようなものではないと理解することができます。
0444考える名無しさん
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2024/05/09(木) 01:57:11.190
古代ローマ法における証明責任の確立は、法務官法の発展、弁論術の発達、法学者の活動などを通じて徐々に形作られていきました。特に、法学者パウルスが示した「証明責任は、主張する者に存し、否定する者にはない」という原則は、現代に至るまで法学の基本原則として受け継がれています。
証明責任の原則は、法学にとどまらず、自然科学の分野にも大きな影響を与えました。科学者は、自分の仮説を裏付ける証拠を提示する責任を負っており、この証明責任の原則なくして科学の進歩は望めません。実験や観察によって得られたデータを根拠として示すことで、科学者は自分の主張を証明し、他の科学者による検証を可能にします。科学における証明責任の重要性は、ニュートンとフックの光の性質をめぐる論争、ラヴォアジェとプリーストリーの酸素発見をめぐる論争、ガルヴァーニとボルタの動物電気をめぐる論争などの歴史的な事例からも明らかです。
証明責任の原則は、法学や科学だけでなく、ジャーナリズム、政治、教育、ビジネスなど、あらゆる分野で真実性や公正性を担保するために不可欠です。証明責任がない場合、根拠のない主張が横行し、社会的な混乱や危険が生じる可能性があります。また、相手の主張の根拠が存在しないことを証明することは、主張者が根拠を示すよりも困難である場合が多く、証明責任の不在は公平性を欠く結果につながりかねません。さらに、根拠のない主張の証明を相手に求めることで、議論を混乱させたり、相手を困らせたりすることが可能になってしまいます。
したがって、証明責任の原則は、公正な議論を実現し、真実を追究するために欠かせない原則であると言えます。ただし、その適用に当たっては、証明責任の公平な分配、証明の困難さに応じた調整、建設的な議論の促進などに留意する必要があります。証明責任の原則を適切に運用することで、私たちは理性的で建設的な議論を行い、より良い社会を築いていくことができるでしょう。
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