なぜ人を殺してはいけないの【議論】
命題「なぜ人を殺してはいけないのか」
もし自分の子供に「なんで人を殺しちゃいけないの?」と聞かれたら、あなたはどう答えるでしょうか?
悲しむ人がいるから、自分が殺されたくないから、法律で決まってるからなどなど、ネット上には参考になる回答がたくさんありますが、
実はそのどれもがこの質問に答えていません。
ネット上に散らばっている意見を一覧にまとめると、ざっと以下のようになります。
1.誰もが殺されたくないと思うから
2.人権侵害だから
3.相手の希望や未来を奪うことになるから
4.神が作ったものは尊重されなければならないから
5.人を殺してはいけないという法律があるから
6.取り返しがつかないから
7.僕らは既に殺してはいけないことを知っているから
8.殺された人の家族や友人が悲しむから
9.社会が殺してはいけないと要請するから
10.「死にたくない、生きたい」という本能が備わっているから
11.生産性が失われるから
12.人殺しは悪だから
13.社会からハブられるから
14.人のものは奪ってはいけないから
15.遺伝子の多様性が失われるから
16.人類が滅びるから 猿には狂獣的な猿っているのかな
一番賢い者が、一番強かったりするよな、なんかのマルクスによるとな >>102
ネトウヨを殺すのはOKなときもそうじゃないときもある 君たちは人を殺したいか 今回このテーマでいきたい。
なぜ人を殺したいか?ムカついたからか?
どうして手を加える自分を抑制できなかったのか。
殺意が芽生えてから抑制できなかったパターンは統計学で60パターンもある。
対して過失ではない人殺しは、例えば交通事故などは400件もある。
我々は交通事故に遭わないように遭わないと信じるべきではないか。
また、轢き殺したいと想ってはいけない。わざと交通事故を起こすのはダメ。
交通事故は自分にまでリスクをかける。とりしらべに遭ってしまってはいいと想う諸君だろうが、交通事故は車も破損するおそれがある。
君たちは人を殺したくてもダメな殺し方もあるのだと考えていただきたい。 ★人の殺し方3
1、ひき殺す
2 自殺させる
自殺させるという終わらせ方がある。
舌をちぎってみれば自殺することができる。
登山している際に落下させるという方法もある。
爪なんて説明は省く 何故殺そうと思うまでに至ったのか
そこまで追い詰める相手側を抑制できない社会構造と倫理観の欠如を問うべきだろう
近世以前に於いて残虐で非道な貴族は民衆から搾取しながらそれに抵抗したものを謀反として嬲り殺した
しかし法を作るものが貴族である以上、貴族でないものは人ではなく家畜として飼われ嬲られしゃぶり殺された
これは現代でも続く
民主化された事によってこの縦社会の構造は民衆においても合法化され至る所で上が下を虐め社会的に殺しにかかる
法が社会が弱者の敵ならば拳を上げて敵を殺すしかあるめーよ
弱者の敵である>>104を五六せ!!
神が許せずとも私が許す 家畜の法・倫理を嘯き人豚として躾けようとする大敵である>>104を生かしておけば生きる瀬はなくなる
今すぐやるんだ!
見つけ出し吊し上げよ!
英雄に続けーーー!!! 俺は地獄のテロリスト
昨日母さん犯したぜ
明日は父さんほってやれ
I am a terrorist
straight out of hell
俺に父さん母さんいねえ
それは俺が殺したから
俺にゃ友達恋人いねえ
それは俺が殺したから
殺せ殺せ親など殺せ
殺せ殺せすべてを殺せ
サツガイ サツガイせよ
サツガイ サツガイせよ
(KILL! KILL! KILL! KILL!)
思い出を血に染めてやれ
サツガイ サツガイせよ
サツガイ サツガイせよ
(KILL! KILL! KILL! KILL!)
未来など血に染めてやれ 死ね 死ね
死ね死ね死ね死ね死んじまえ
黄色いブタめをやっつけろ
金で心を汚してしまえ
死ねアー 死ねウー 死ね死ね
日本人は邪魔っけだ
黄色い日本ぶっつぶせ
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
世界の地図から消しちまえ 死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね 人を殺すということ
人を殺した罪は発生する場合がある。
例えば首を絞め殺すことは窒息死を狙った犯行である。
また、保育園児バス放置という園児をバスに放置して熱中症にさせてしまった事故もある。
こうした殺意もないのに園児の命を蔑ろにすることは、忍びない。
人を殺すということ。それは大切な命を取ってしまうことだ。
死刑囚には死刑が下される。が、法律で裁いてはいけないときは、裁いてはいけない。 法で裁けぬ悪を討つ
法は自らを抑圧する権力者が握り策定する
その権力が自らの敵であるならば法こそが悪であり敵となる
黙って耐えていれば上位存在が変えてくれるなどありえない希望を抱くな
自ら立ち上がり声を上げ拳を突き上げろ
そうやって血を対価にして法は改善されて来た
理不尽には理不尽で対抗するしかないんだ
苦しみが自らが諦め死ぬか、相手の息の根を止めねば終わらぬならばやるが良い
最早そこは自然の摂理
弱肉強食の生き残りをかけた勝者だけが立てる場所だ
善悪は己の内にあり
己の生だけが判断基準だ なぜ人を殺すのか
なぜ人を殺すのだろう。自分の悪意と欲求のなすがままに殺してしまったとしたら。
遺体遺棄まで実行するのなら、計画的な犯行だろう。
そんな計画的な犯行は、極めて危険である、と指摘しておこう。
銃で一発撃って殺し、遺体を遺棄するのは、もう絶望的だ。
死者が復活する可能性、それすら失ってしまう状況は、厳しいだろう。
窒息死を狙った犯行は、窒息死してしまっても、死者蘇生すればよいだろうか。
計画的な犯行は極めて危険である。遺体をどうするかまで……以上。 そもそも人殺しを罪とする法があるのは、法で縛らずに放っておくと殺し合いを始めるから
人の本能に殺人衝動があるのなら、殺し方なんざあえて聞く必要もあるまい
「人を殺すな」と教えられるのはある意味処世術であって、
安易に人を殺すような輩を社会で受け入れるか否かという問いへの現時点での暫定的な回答とも言える
社会(集団)の構成員のうち、人殺しに否定的な人ら(多数派)を全員敵に回す覚悟があるのなら、心の赴くまま好きに動けば良いということ
例えば、復讐に命懸けで仇を殺すことだけが己が存在意義だとか抜かす輩にはこの説得は通用しないことになる ――――――
人を殺すとき、何が起きる?パート2
人の本能が犯行の動機となることは、深く考えていきたい。
殺意が湧いた、本能に殺人衝動があった、こうした例は実際にあったのだろうか。
何が原因で人を殺すのか。殺人狂楽者だったからか。
何が原因で犯行に至るのか。金銭目的で殺人事件が発生する場合があったことはたしかである。
家に侵入して人を殺し、金銭を取り上げるという例は少なくない。
銀行強盗も似たようなもので、相手を脅して金銭を要求する例も想像できるだろう。
こうした犯罪は目的を持って行われていることは、言うまでもない。
金銭目的、宝石目的などの目的で、宝石泥棒をした者もいる。
お金が一番大事だという考え方を持っていると、犯罪に拍車がかかる場合がある。
愛はお金では買えない。お金ではなく、愛だ、こういう模範ができると、犯罪は減少していくのだろう。
お金が一番大事だという考え方をやめることが大事なのではないか。
余談だが、愛が大事だと思っていると正義感が湧いて犯罪の抑制になるのではないだろうか。 どういう状況では殺してはいけないか
殺される側が家にいるとして、それを放火することは、いけないと直観する。
そして殺される側が運転中に犯罪者が殺すことは、いけないと直観する。
交通事故の連鎖が起きてはまずい場合を懸念している。
究極、放火をしていい理由があるのなら、それも検討する。
バナナマンさんの家は燃やしてよい、と気づいた例がある。
なぜバナナマンさんの家は燃やしていのだろう。でも事実だと受け止めておこう。
究極、交通事故を起こしていいのなら、それも検討する。
交通事故で脚を損脚して暮らしに困っている人がいる。
それは虚しいだろうが、悪意を持ってみれば損脚したことをよしと視てしまうだろう。 殺人幇助で捕まった犯人は、殺人を応援するよう頼まれているケースがある。
殺人幇助は法律上罪であるから実際に殺していなくても捕まった例がある。
殺人事件を減らすには、法律や道徳観がバランスを取ればいい。
愛が大事なら愛を説けばいい。
自殺幇助も殺人染みているが、これは法律上罰せられる。
自殺させる際に死を決定的にしたのは本人だが、自殺をすすめた悪者は法律上罰せられる。
しかし自殺幇助の方が刑罰が軽い。 だめだこりゃ
社会的に失うものがない奴には規範だの倫理だのは何の説得材料にもならんと言ってんの
法が脅しになってないのよ スレタイの回答になってねえからさ
ざっくり言えば「殺してはいけないからダメ」以上のことが言えてねえ
なぜあかんのか?ってとこに一歩以上踏み込んで深掘りしてくスレなんとちゃうん
俺はとりま反例として法による説得が不可能な殺人者を想定した
こういう手合いをどう説得するかを考える形でもええわ 以前の繰り返しだが。
およそ「価値」は進化的な起源を持つ。
「殺人」や「自殺」に対する価値観も、進化的な起源を持つ。
同族を保存させるのが善で、他族を抹殺するのが善。
@身内や自分を殺するは悪い。
A他部族や他人を殺すのは良い。
つまり「人を殺してはいけない」は、@だけに当てはまる。
殺人は、いつも悪ではなく、良い殺人もあるのだ。 >>124 つづき
「なぜ人を殺してはいけないのか」の判断が混乱するのは、これが理由である。
平時において、人々は「他」と「我」を区別しにくく、価値判断が混乱する。
戦時では、明確だから、心置きなく殺人ができる。 >>125 つづき
ここに皮肉なことがあって、実は、どの社会でも
身内や知り合いの殺人が圧倒的に多いのだ。
つまり、動機としては、身内殺人のほうがありふれている。
だからこそ「殺してはいけない」の禁忌が必要なのだ。 言葉の使い方はちょっと引っかかるが、
要するに>>124は身内扱いするかしないか、敵扱いするかしないかの問題と言いたいわけか
現代社会では国民全体をここで言う"身内"扱いしているようなもんで、
実際にはもちろん血縁なんかないわけだが、身内の拡大解釈という位置づけやな 要は、
「なぜ人を殺してはいけないのか」
は普遍的な命題ではないということ。
場合によって「殺して良い」し、「殺すべき」だ。 殺人犯になった瞬間そいつは社会の敵とみなされ平時とは別の規定が適用されることになる
死刑が廃止されてる環境だろうが、隔離してそいつの意思・活動を殺すことにはなるな 戦争や革命では殺していいことになっているし、映画などでも悪人を殺すシーンでは見ているみなが心の中で喝采する
「殺してはいけない」という普遍的な道理があるわけではない 人間の良い悪いという価値判断の原則というのがあるのかということを問いたいのかな? 何故殺していけないかと言えば法で禁じられており罰則を受けるから
これは純理でも言われる事で人の認識は経験によって形成されるからだ
私達の生まれた国と時代ではそう決められていたから人を殺さないように親や学校・社会に躾けられた
人もまた動物に過ぎず犬や馬と同じように躾けられて人を殺さない様に育つにすぎない
仮に人の子が猿や狼に育てられたら社会の法と罰則を解さない
これは石を落とせば地面に落ちるのと一緒だ
人を殺したのがバレたら警察がやってきて逮捕される
警察も犯人も法でそう定められているからとしか説明出来ない 人を殺すということ
人を殺すとき、それは多数の犠牲者を犠牲にする場合がある。
秋葉原無差別殺人事件では多数の犠牲者を出した。
なぜ、犯人は無差別殺人に及んだのか。
殺意はなかったと犯人はいっていた。
無差別殺人事件が面白かったことが理由だった。
面白いという理由だからといって許されはしないだろう。
戦争も、大切な命を犠牲にするのならどうなのだろう。
ウクライナ戦争は無差別殺人事件と相容れるものなのでしょう。 もし古代や中世の貴族に生まれていたら人を殺す事は名誉であり殺される事は不名誉だと教わり人殺しの訓練に日々励み敵や反抗的な民を殺したら良くやったと褒められただろう >>124に書いたとおり、すべての価値観は進化に起源を持つ。
「善」は種の存続に利するもの、「悪」はその反対に損するもの。
「殺人」は、ときに利するが、ときに損するので、普遍的な価値とはならない。
しかし、なぜ普遍的価値のように受け取られるかは、考察の対象だ。 オーム真理教では人を殺す事は救いだとして大量殺人を決行
これは学校や社会に躾けられた人を再洗脳し殺人を罪としない価値観へと変えた事による
戦争では何故殺人を名誉として社会全体で推し進めるかといえば共有し躾けられた価値観の違いと利害の不一致からだ
日本では戦争を外圧(アメリカ)によって禁止された為に殺人は何があってもダメだと平和ボケしているが多くの国では殺人は治安維持の観点から同国人や同盟相手に抑制されているにすぎず殺人自体を悪とはしてしない
そんなおためごかしで矛盾した事を言っても子供でも信じない体 つまり上司や同僚や同級生に親兄弟が敵だと認識したら殺すのは善だ
もしそれを悪だと言うなら親の躾が悪い、教師の怠慢、マスコミの金儲け主義、政治の怠慢
つまり殺人は社会が悪いから起きてしまった教育の失敗で殺人者の所為ではない
殺人を犯した人間の不良品は廃棄処分して再発防止策を考えよう さあ後はやりたい奴はやるが良い
君は自由だ
好きにやれば良い ➧137
地下鉄サリン事件か。これも深いのが、悪人を殺したからいいだろという判定
善人は2名しか殺してないから許してくれ、という主張
麻原彰晃は今でも許してくれと訴えている。
オウム真理教の元幹部である上祐も将棋のプロ棋士に転身するほどだ。何か運の良さがあるのだろう。
上祐は、地下鉄サリン事件はダメだと言われたが、悪人を殺したからアリだと主張 >>136 つづき
『「種の存続に利する」などと言うと、それは「群選択説」で、
今では誤った説とされている』と反論があるかも知れないが、
別に群選択ではないし、群選択がすべて誤りでもない。
「殺す」は利他的行為でもないし。 麻原は「殺人」とは言わず「ポア」と言った。
「ポア」はチベット仏教で「遷移」の意味。
麻原は殺人を「無明の人間が地獄に堕ちるのを防ぎ、より高い世界へ
遷移させるため」と説明する。
これは彼の「三百代言」なのか、ほんとに信じていたのかは解らない。
多分、前者であろうが。 生物の起源や本能に根ざすと言うならもっと原始的な生物が正しいとなる
そんな低俗・低級な事に価値を求めることが愚かと言うかナンセンス
高度になるほどに複雑化して単純な答え・説明は出来ない
死を美にまで昇華した文化を人は持ち得るのだから 麻原はポアと言ったのか。
殺すことが美なんて嘘でいい? 「美」という価値の起源も進化である。
最初の「美」は形態から始まった。
孔雀なら美しい羽、ヒトならば、滑らかな肌やゴツい筋肉。
次に、「形態の美」から「行為の美」と昇華してゆくw
だんだん嘘くさくなる。その最たるものが「死の美」w 美を合理性や機能性と解くなら、死の機能とはなんぞやって話にもなるか
それとは別に死を美化するのは、死者の功績に対して、
(当人が死んでるせいで)それくらいしかもう報いる方法が残ってないからって部分も多分にあると思うがね
名誉以外に何も与えることができない もう議論は尽くされた
やるしかないならやれ
それが君の正義で倫理だ
次の報告は何故?ではなくやった!結果報告だけでいい 議論始まったばっかじゃないんか
言うて適度に脱線しないと膨らまない話題かもわからんが 死を美とするのは弱く貧しい精神。
あるいは自意識過剰の少女のきどりみたな。 個人レベルで見た場合は現実逃避の正当化の一環として援用されるケースもあるな >>151 >>152
多分中高生かFランの落ちこぼれなんだろうけど流石に物を知らなすぎるね
君らさ
哲学板来て教養ゼロのバカが書き込んで面白いか?
人文系の本を学校で習う教養レベルですらまともに読んでないから的外れなこと書いてんだろうけどさ
死の美学と言ったら三島由紀夫や戦時中のことを連想するのが当たり前
ここまで書かないとわからないレベルだと他に書いて相手ある事も理解できておらず真逆に勘違いしてそう
IQ20違うと会話が成立しないってのはこう言う事なんよね
比喩や皮肉が理解できずに明後日の方に話が飛ぶ メンヘラのアホな中2病語りたいならサブカルからメンヘラいた行けば?
君らのレベルはそこだよ
実際にさ ポジションとるためだけのレスって、なにがおもしろいの? つか哲学かじってるなら先入観はなるべく排除しようとするんじゃないんか
憶測で断定するようなこともしない >>157
おおきな勘違い
哲学って知識ゲーなんだがw
哲学が語るものは倫理
そして倫理とは古代から続く歴史と思想の変遷で基本は思想史を学ぶものだが
そう言った裏付けがない思いつきで語る言葉にどんな説得力があるんだよ
まじで哲学と言いながら哲学書を一冊もまともに読んでねーんだな
こんなの哲学本一冊でも読めば自明なのにw
バカすぎて話になんねーわ
お釈迦様も仏教は働かずに勉強に打ち込める貴族の坊さんにしか極められねーって言ってんだよ 勘違いねぇ
せめて見解の違いと言って欲しいもんだ
思索や議論を楽しむのではなく、
哲学をマウントを取る道具くらいにしか思ってないような奴とはそりゃ話にならんわ だから哲学書読んだの?
ねぇ?
見解の違い以前の話
会話ができないバカが駄々こねられても困るよ もの知らないバカが哲学を勘違いして語ってちゃんと学んでから出直してこいって言われて、恥かかされたと顔真っ赤にして誤魔化そうとしても無駄だよ 俺に言わせれば、自分の頭で考える行為そのものが哲学であって本を読むだけでは達成できない
著名な本が哲学の全てではないし、むしろ本がなくても誰しもに門戸が開かれている
哲学書を読むのは、あくまで他人の哲学を知るため、思考の幅を広げるためにすること とりま他人の頭借りて喋ってねえで、まずはお前さん自身の哲学を語ってくれや
もっとも既にその一端くらいはチラ見えしてるけども 如何にも本読むのが嫌いな人の言い訳
耳障りの良い言葉を拾って自分の不真面目な面を肯定して逃げてるなw
哲学書を何か魔法の道具と勘違いしてねーか?
本当に読んでないんだな
だから噴飯ものな事言い出してる
純理や精神現象学を読んでそんな感想でないんですけどw 哲学書読んでますかの質問に対してまだ一冊もタイトル出ないところが本当にバカ丸出しw
いやぁ酷いバカだ お題はスレタイでも直近のレスでも
話す気がないならさいなら 上で散々書いてきたんですけどw
ただあまりにも酷いバカがメンヘラ中二病な事書いてきたからバカが勘違いしない様に諭しているだけですがw
まさか死の美学に触れて明後日の方向にいかれると思わなかったよ
殺人と法についても殺人を罰する法とはなんぞや都なればモンテスキューを語ることになる
これが明治維新後の日本の三権分立の基礎概念の元になる
そしてそこで語られる徳、或いは倫理の基礎付けに哲学がある
そうなれば当然純粋理性批判は欠かせない
これが現代倫理の基礎になるからだ
そして純粋理性批判を理解するには精神現象学は必読になる
こう言った系譜も知らず理解もしてない奴が何を理解して語るんだよ
殺人がいけないという事を説明理解するのに必読なのに
知りもせずに何がどういけないか語る奴は頭が足りないバカと評する以外どうしろと? バカがバカと明後日の方向で語るならレベルにあった所でバカ同士で語った方がバカにされずに済むと事実を言ったまでだよ 東大で学ぶには東大に受かる程度の前提知識がなきゃ講義が理解できずに眠くなるだけでしょ
そう言うお話 ここは東大じゃないし、東大レベルの議論とも思えないんだが
まぁでも一応ただの冷やかしじゃなくて上の誰かだったのね だからさぁ
哲学のての字も知らないバカが哲学がどうとか言ってもなんだこの間抜けとしか思わねーんだよ
そもそも本読んでないから発想力自体が低すぎてな
世の中自分の思いつきなんて全部誰かが自分の思いつきの十倍深く思索して本にしてんだよ
本をまともに読んでないから自分の浅い思いつきを天才的発想と思い込んでいるにすぎない
だから上の恥ずかしい書き込みが出てくる
自分で考えるのは結構だが他人がその十倍深く考えている事に思い至っていない事に無自覚な事に恥じる事ができないほどに無知な自分に自覚してほしい 例えば大学院で博士号とか取るにはDBで先ず論文を読み漁るんだよ
人がまだやってないかどうかから調べる訳
人がやった事をやってもしょうがねーから
テーマ探しをやるのに先ず読み漁る事必要でそれやれない奴は土俵にすら立てない 著書や用語の羅列で何か言った気になってる話下手が、
それを読み手の知識不足に転嫁してるように見えるのは、きっと俺の気のせいなんだろうよ
"途上"の人間も出入りする場ということを弁えていないのはあんたの落ち度やな
自分と同程度の知識・前提での議論以外をノイズ扱いして排除するつもりなら、
自問自答した考察を日記なりに書いてればいいわけで、
全く話題と無関係なレスすら混じりかねない掲示板に来る時点で何かズレてないか 自分の浅い考えを述べる前に人が何考えて来たかを先に知れと >>173
それを誤配と言って哲学したのがあずまんw
哲板来てあずまんが出ない段階で残念なやっちゃなぁと言うのが君への評価 >>174
君は用語が理解できないレベルの猿だよな
バカで教えて貰う立場の生徒が偉いとかどんな哲学?w
学ぶ姿勢が出来てないバカは何も学べないよ >>177
別に偉いとまでは言ってないぞ
半端者も来る場所ってことが言いたいだけや アホなこと書いて遊んではいたけど言語ゲームとして遊べないレベルのバカまできたらつまんねーから遊び方変えてバカだと煽ってんだけどさ
少しは腹を立てて本気で調べて言い返すのかと思ったら開き直ってバカが偉いとか言い出したらこりゃもう単純にバカにして揶揄うしかねーよw なんなら話についてこれてないと思ったレスはスルーして続けりゃええやん
日記の邪魔されたくなかったんか? 馬鹿をバカにして揶揄うのも面白いから僕は本を読んでいる 何処ぞの芥川賞作家は本を読みすぎた結果、人を貶す言葉に長けてしまい恋人との仲が悪くなったと独白していたが
知恵を得ると会話を楽しむのに相手を選ぶようになる
それを我慢してアホ相手に話している時のストレスを理解して 話す相手を選ぶのは誰でもやってることじゃないの
無理に俺を選ぶ必要はないぞ 地下鉄サリン事件は悪人を殺害しました。善人は2名だけ殺害。
悪人を殺害したのが9割だったのでアリだという主張もあります。
上祐は殺したのをアリと主張しています。麻原彰晃もアリだと主張しています。
死刑だけは勘弁してほしいと言います。 殺人の否定は社会的禁忌であって、個人的な根拠はない。
個人的には、他人を殺そうが、自殺しようが自由である。
しかしある個人は、ほとんどの場合、社会の中で暮らすから、
その禁忌から逃れ得ない。
そして、社会が「なぜ殺人を否定するのか」は、誰でも容易に理解できる。 死の美化は精神の脆弱さを示すものだ。
もしくは「他人に死んでもらいたい」という動機を持つ者の企み。
戦時での死の美化はそれに当たる。 死にたいし死が輝くとき、それは板垣退助の板垣死せども自由は死せず、とか。
こういう判例がないと判断が怪しいと、裁判官は知っている 殺人と仕事
殺人が職場で起こるハプニングは避けねばならない。
働いていてもいつか強制的な労働になると、過労死も考えられる。
板垣退助の「板垣死すとも自由は死せず」はまさか過労死ではないが、自由に生活する余裕くらい持ちたいでしょうか 山上徹也が安倍さんを殺さなかったらどうなっていたか。
想像するに恐ろしい 山上徹也が銃で安倍氏を撃ったのも、何が理由かわからないだろうか。
それても安倍氏は今も生きている。 しかし安倍の暗殺は、歴史の風景で自然な出来事に見える。
安倍も山上も、まるで個性がなく、事件とも呼べない。
ことが終わり、去っていっただけ。 政治家の個性なんて戦争や革命以外で出るのか
外国から見たら歴代徳川家将軍もイエヤスとヨシノブの2人で十分 平時の政治家も未来から振り返れば皆消え去る
少なくとも安倍を個性がないと言うのは見苦しい君の嫉妬に過ぎないね 自らの妬心に無自覚な君には殺人者の素質があるよ
ヤラナイカ? >>194 >>195
図星を突かれて、よほど忌々しいようだw 図星ってなんだね?
君が話題にする程度には安倍と言う政治家は知名度が高い
つまり君自身が安倍という存在の価値証明をしてしまっている
愚かでちっぽけな人間の嫉妬が殺人事件を起こすのだろう
その無能さから社会に対する疎外感を募らせストレスが限界を超えた時に殺意を抑える理性が外れる 日本は大統領選の様なものがないが故に総理大臣を国民は信任していない
密室政治と揶揄されるように党内政治によって国民不在のまま決まっている
しかし政治家ってのは利権団体の代弁者にすぎない
彼ら自身の能力など実態がなく見栄えとその場限りの方便を口にする能力
いわゆる弁論術に長けた人間
弁論術自体は個人に取っては有用な技能であっても社会運用能力をなんら担保していない口先にすぎない
政治家の名前は歴史における事変の時に一緒に記憶されるタグの名称に過ぎない しかし弁論術によって人は容易に操られ誘導される
それは無知な分野・事柄について顕著
故に義務教育では法や社会の裏事情をどの国でも教えない
所謂社会のシステムハックを民衆が知ればエスタブリッシュメントにとって扱いにくくなるからだ 最近では選挙で対立陣営相手に好き放題暴れた某候補や漫画村の人間が堂々と犯罪的行為自慢して吹聴しているがああ言った人間が増える