なぜ人を殺してはいけないの【議論】
命題「なぜ人を殺してはいけないのか」
もし自分の子供に「なんで人を殺しちゃいけないの?」と聞かれたら、あなたはどう答えるでしょうか?
悲しむ人がいるから、自分が殺されたくないから、法律で決まってるからなどなど、ネット上には参考になる回答がたくさんありますが、
実はそのどれもがこの質問に答えていません。
ネット上に散らばっている意見を一覧にまとめると、ざっと以下のようになります。
1.誰もが殺されたくないと思うから
2.人権侵害だから
3.相手の希望や未来を奪うことになるから
4.神が作ったものは尊重されなければならないから
5.人を殺してはいけないという法律があるから
6.取り返しがつかないから
7.僕らは既に殺してはいけないことを知っているから
8.殺された人の家族や友人が悲しむから
9.社会が殺してはいけないと要請するから
10.「死にたくない、生きたい」という本能が備わっているから
11.生産性が失われるから
12.人殺しは悪だから
13.社会からハブられるから
14.人のものは奪ってはいけないから
15.遺伝子の多様性が失われるから
16.人類が滅びるから ロシアやイスラエルを見ればわかるように自分達の利益を守る為に人は殺す
殺される危険を感じたものは反撃して殺し返す
戦争は除くというのはナンセンスでより抽象的で分かりやすい殺人の構図が見て取れる
もちろん戦争に駆り出された兵士個人の動機や倫理と国家の目的は一致しないが利益と生存を掛けて戦うという点においては分かりやすい 殺人に社会的リスクは伴うが倫理で押しとどめる事は不可能
そんな倫理はまやかしで殺人が選択肢出る人はすでに社会のシステムや法が及ばない領域で脅かされている人
万人の闘争状態・自然界の弱肉強食・生存本能からくる反撃しか手段がおもいつかないのだから 殺人にたいする賠償は旧約聖書にも書かれている
ユダヤ人同士での殺人に対しては純粋に稼ぎ手を殺したならそれに応じた山羊などを送り贖うようにし、女や子供となればもっと少ない財産を送って仲裁するようにしていた
しかし他民族に対する略奪・殺人はそもそも許されており誘拐して奴隷にして奉仕もさせた
カナン(現イスラエル)に先住していた住人は殺して奪えと神から命じられて行ったとさえ書いている
20世紀に行われたユダヤ人を名乗るヨーロッパ人のイスラエル強奪はこの聖書に書かれた古事の再現でそれが今のイスラエル・パレスチナ紛争として続いている 今現在ユダヤ人を名乗る集団は遺伝的には特定できない
二千年以上前からヨーロッパ各地に住んで同化した民族でユダヤ教信者と言う自己申告・自己認識でしかない
ユダヤ人を証明する手段などないのにイスラエルはユダヤ人・自分たちのものだと言って新興宗教さながらに革命を掲げてパレスチナを乗っ取りイスラエルと国名を改名して乗っ取った
謂わばトランスジェンダーの心と性別は別だという暴言と主張を武力で正当化して建国したトンデモ国家がイスラエル
第二次世界大戦後の混乱期にヨーロッパのユダヤ人問題を解決するために厄介なユダヤ教徒をヨーロッパ方追い出して中東に押し付けたのがイスラエル建国
正直なところイスラム国より遥かにタチが悪いので建国してから70年ずっと紛争が続いている このように暴力は全てを解決手段として用いられる
そして殺人は財産で贖うこともできる
これは古代も現代も変わらない
社会のシステムは命の価値に値段をつけている
殺人もまた金で解決できるのが社会システムだ 殺人は社会の罪だ
罪とは法の罰則を伴う行為に過ぎず信号無視や万引きと同じ線上にある最上位の賠償を求められる行為に過ぎない
人は財産を産む労働力・財産と見て考えればそれを壊せばそれに値する賠償を人が求めるのは当然
それだけの話で難しいことも隠された事も何もない
殴られたら殴り返されるし、場合によっては殴ろうとする動きを見て先に殴り殺されるリスクもある
被る被害を予測して人は防御反応を示すので殺そうとする人間は殺されるリスクを呼び込む >>60
>>殺人は社会の罪だ
なるほど、いい説明ありがとうございました。人の殺し方を書きたいと思います。 ★人の殺し方
1.顔面を殴る
2.目を取る
3.腹をパンチする
4.ナイフや鈍器を使う
5.困ったことをやる
6.死ぬ死ぬと信じる
7.超能力で終わらせる
5.の死ぬ死ぬと信じる、とあるが、思いで殺すこと、といえばいいだろうか。
思いで相手を倒すことだって、合気道でもできるはずだ。
また、超能力で終わらせるというのは、合気道でもいい。 殺人を思いとどまらせる倫理はない
しかしそれは殺人にリスクが伴わないという話ではない
総じて殺人が周囲に知られれば厳罰が下される
また世間的にも殺人を犯した人間は奇異な目で見られて警戒され避けられる
殺人を行う前にこれらのリスクを考慮するのが賢いだろう それだと「殺されるのが嫌ではない」と思っている人は殺してもいいことになるが ★人の殺し方その2
1.屋上ビルから落とす
2.毒を飲ませる
3.大麻を吸わせる
4.舌をちぎらせる
5.呪う
6.心臓を傷める
7.放火する
。。。となりましたが……。
放火はいけませんね。死ぬどころか空気が汚染されてしまいます。
環境汚染を起こしてまで人を殺すのはやめましょう。 いけなくないよ
でも、マンパワーがないと自分も困るよ ほうほういけなくないよ、とのことですが、放火は人を殺さなくても、森林を燃やす場合がありますね。ゼウスのように森林を燃やす行為すなわち放火はいけないですか。 全て自由
悪いわけではない
しかし、自分自身がまわりにまわって困るからやらない
それだけでしょ 殺し方よりも事が誰も死んだ事を知らない、或いは死んでも誰も捜索しなければ社会は反応しない
殺したのではなく消えたならば >>70
なるほど。殺されて死体になっても消えてしまえばセーフだと。 >>71
消えてしまえばセーフなら、土に埋めて消したかのようにもっていくのもセーフになりうるか 死体の処理云々でない
死んだ・殺されたという事を誰も認識していなければ司法は動かず社会は生きているものとして放置する
例えば部屋やメールで旅出て探さないでくださいと書き置きがあれば? 死体の処理云々ではない
死んだ・殺された事を誰も認識しなければ司法は動かず生きているものとして放置する
例えば部屋やメールで旅に出るので探さないでくださいと書き置きがあれば? 死んだことも殺されたことも発覚しなければ、だれも殺人があったと取り上げない、とかですか 殺意を消し、痕跡を消し、人が消える
誰も知らずに過ごせるなら官憲の手は煩わされず事件は存在しない 露見すれば世間も法も神すら許さないかも知れない
或いは世間から良くやってくれたと賞賛・同情され、法は超法規的・情状酌量され、神から聖戦と認められるかも知れない 殺してはいけない、というが、どうやって殺してはいけないかに焦点を当ててみたい
放火して殺すことは、家も燃やしてしまっていたり空気も汚染されてしまったりするおそれがある。
殴って殺すことはいけないかというと、これはまだマシな殺し方と結論づけるであろう。
燃やすということは、時に、よくない放火だったとなるのである。
そうならば、放火はしてはいけない殺し方だろう。 まず第一に人がちょっと火をつけた程度で自然環境に影響は無いに等しい
火山の噴火に森林火災、発電所や車の排ガスなどに比べて1軒燃えてそれで何が変わると言うのか おいオメー さっきからうるせえぞ
「ブッ殺す」「ブッ殺す」ってよォ〜〜〜
どういうつもりだてめー そういう言葉はオレたちの世界にはねーんだぜ…
そんな弱虫の使う言葉はな………
「ブッ殺す」… そんな言葉は使う必要がねーんだ
なぜならオレや オレたちの仲間は その言葉を頭に思い浮かべた時には!
実際に相手を殺(や)っちまって もうすでに 終わってるからだッ!
だから使った事がねェ―――ッ そうか人ひとり燃やした程度では自然環境に影響は少ないんだ
でもね、家を燃やして人も燃やすならダメな殺し方なんだよ 問いの立て方が間違っている
殺して良いんだよ
上級国民とか皆殺しでも全然構わないってこと
当たり前のことだよ 上級国民と下層民の階級闘争という面でいうなら立場によって殺害対象も動機も変わる
上級国民からしたら労働者は大切な資産でみだりに殺すのは財産の損失に等しい
だからと言って自分の命に比べたら労働者の命など屠殺して食べる豚や鶏鳥程度の価値しかない
労働者からしたら搾取していい暮らしをする憎いブルジョアは絶滅すべしとなる >>82
殺していい場合とそうでない場合があるのでは。 仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、
羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、
親眷に逢うては親眷を殺して、
初めて解脱を得、物と拘わらず、透脱自在なり。 殺しの良し悪しの判断を人に預けず自ら処断する
殺しのライセンスを持て >>87
ええ。上級者向けかと。
なにゆえ殺人のハンターであるわたくしは誰でも殺せる自信があります。
遠距離にいる兵隊さんなんかはわたくしにやられますね。
平和を目指すなら、平和を妨げる兵隊さんをいなくするんですよ。
こういう境地に立たないと「仏に逢っては仏をころし」がわかりませんね
兵隊さんに逢っては兵隊さんを殺すということ。日々悪霊を殺すことも大事ですね。 「どうやって」殺してはいけないか。
遺体遺棄なんかはバレてしまえばいい、というのが一般的な意見だ。
遺体遺棄をすることは、バレるおそれを十分含んでいるはずだ。
だとしたらこれは犯罪者が得をする方法ではない、むしろ非犯罪者にとっては好都合なのだ。
もう昔の出来事だが、小学校でカッターで首を切る事件が起きた。
そういう殺し方をすると、周りの小学生も真似をしてしまう――小学生の犯罪者を逆に切りつける――おそれがある。
小学生は犯罪者をいじめようとするかもしれない。これは確率でいえばゼロではないのである。
こうしたデメリットやリスクを含む殺し方はしない方がよいというのが一般的な言い伝えとなれば幸いである。 一茂さんという芸能人がいるが、人を殺したことがあだとなって一茂さんはバラバラにされてしまった。
なるほど、人を殺すと自分に返ってくることぐらい想定できるのに、である。
そういうのを因果応報と呼ぶ。これが脅しにも使えるが、殺害者の弱みでもある。
Aくん「人を怪我させたら因果応報するよね」←こういわれると一般的には怪我をさせる気が失せるものである。
Bくん「Aくんだって俺を殺したら因果応報して殺されるかもしれないよ」←こういう文句も犯罪を防止することに繋がるだろう。
そもそも因果応報とは確立しているのだろうか。一茂さんは因果応報にあったと言えるのだろうか。
このような問いかけにぜひ答えるために考えていただきたい。(終) >>86
>殺していい場合とそうでない場合があるのでは。
「いけない」のだから、この問いはそうでない場合を想定している。
端的にして完全なる答えとしては、力がないから。
世界を見渡せば、力ある者はバンバン殺している。
言うなれば、この問いは既に終了している。 >>93
>>言うなれば、この問いは既に終了している。
どうして終了しているの やられたからやり返す
そしてまたやり返される恐怖・報復の連鎖を断ち切る為に止めを刺しておく
戦国時代では根切りと言って一族郎党全員を見つけて纏めて殺すのが常套手段だった
それを怠った平家は生き残りの源氏によって滅ぼされた
それを守って豊臣家を滅ぼした徳川家は長く繁栄した >>91
凡ゆる解決法が間違っており君が無知な事が暴かれる
犯罪を報道すればそれを真似る模倣犯が現れるので報道を規制した方が犯罪率が下がるのは社会学の常識だ
そして死体は遺棄ではなく消すのが反社の常識でシチュー屋と言う職業がある
薬品で溶かしたりマイクロウェーブで骨まで灰にして撒く
死体とわからなくなるまで破壊する >>97
あなたは無知ではなく理解する脳がない境界知能です
所謂人より猿に近い人種は知識を得ると言う行為自体が難しいので無理に知ろうとしないでください >>98
IQなら一番高いけどな。一番頭いいってよく思われるタイプがわしじゃよ。嘘じゃないよ。 猿には狂獣的な猿っているのかな
一番賢い者が、一番強かったりするよな、なんかのマルクスによるとな >>102
ネトウヨを殺すのはOKなときもそうじゃないときもある 君たちは人を殺したいか 今回このテーマでいきたい。
なぜ人を殺したいか?ムカついたからか?
どうして手を加える自分を抑制できなかったのか。
殺意が芽生えてから抑制できなかったパターンは統計学で60パターンもある。
対して過失ではない人殺しは、例えば交通事故などは400件もある。
我々は交通事故に遭わないように遭わないと信じるべきではないか。
また、轢き殺したいと想ってはいけない。わざと交通事故を起こすのはダメ。
交通事故は自分にまでリスクをかける。とりしらべに遭ってしまってはいいと想う諸君だろうが、交通事故は車も破損するおそれがある。
君たちは人を殺したくてもダメな殺し方もあるのだと考えていただきたい。 ★人の殺し方3
1、ひき殺す
2 自殺させる
自殺させるという終わらせ方がある。
舌をちぎってみれば自殺することができる。
登山している際に落下させるという方法もある。
爪なんて説明は省く