なぜ人を殺してはいけないの【議論】
>>26
いや、原則とはそういうものだ。
この100年を見ても、ジェノサイドは至るところで行われた。
今だって行われている。ウクライナ、ガザ、中国のどこか。
勇んで殺すのは、いつも他部族/他人だ。 >>29
しかし、実は例外がある。
権力者の間では親族殺しが結構あるのだ。
親殺し、子殺し、兄弟殺し・・・。歴史を見れば明らか。
これを、原則@Aと整合させるのは、案外に手間だ。 >>27
犯罪を許容してないのが日本の法律
殺人という第一級犯罪をしたから犯人を殺しても良いという法律
よって殺人者の場合は殺していい 「なぜ人を殺してはいけないか」
この命題の前提として、人を殺すことはいけない、というテーマが成り立っている。
であるが、本当に人を殺すことはいけないことなのか、この疑いの視点から反問をしていきたい。
日本には死刑制度がある。このことから、死刑囚というカテゴリーができたのだが、そこから考えて
死刑囚を殺すという例もあるということはありえなくない。そこで、なぜ死刑囚を殺してはいけないの、
という問いは生まれなかったはずである。なぜなら死刑囚を死刑に処するルールがあることや死刑観は暗黙の了解だからである。
しかしながら暗黙の了解となっている「人を殺してはいけない」というテーマは微動だにしないのか。
人を殺してはいけない。と云うが、世の中には殺されていい人も存在する。
そういう殺していい人を殺すことは、ありえていいはずである。
死刑囚のように殺していいのなら殺していいのである。
そして殺すことで人生を肯定できる場合があるのなら、殺してもいい、とニーチェは語る。 (a)「殺しても良い」「殺すべきだ」
というテーゼが無ければ、
(b)「殺すのは良くない」「殺してはいけない」
というアンチテーゼは成立しない。
だから、>>10に書いたように、@Aの二つの規則がある。
上記(a)は裏正義であって、これも厳として存在する。
問題は「なぜ上記(b)のほうが尊ばれるか?」だ。 (a)の方に自分も含んで普遍化してしまったらまずいからじゃないの? もともとヒトには「暴力本能」「殺人本能」がある。
「本能」というより「ミーム」かも知れない。
これも進化的な淘汰圧を生き延びるには必要なものだった。
問題は、その本能を発現させる事情が様々にあること。
いつも首尾よく発現させるとは限らない。 前提が間違っている
地球にとって人間は必要ない
絶滅させるべき存在である 「人を殺すとき、何が起きる?」
人を殺すときは、興奮状態に陥っている場合がある。
Aさんは興奮している。そこでAさんは人を殺してしまった。
現行犯で逮捕されてしまった。そこで懲役に処されてしまった。
人を殺してもいい場合でも、禁錮などに課されれば、面白くないのかもしれない。
人を殺していい場合だったんです!などという説法は、逮捕する側にはかすり傷しかないのかもしれない。
人を殺していい場合だったから、禁錮や懲役を免れてもいいですか?と訊いても聞いてもらえないのかもしれない。
ニーチェ的には人を殺していいんだが、社会では人を殺すことは完全には認められてはいないのだろう。
そんな中、Aさんは釈放された。今度はAさんの頭の中にBさんが侵入した。
頭の中に二名いる中、Bさんが体を動かして人を殺してしまった。
・・・話が逸れてしまったが、Aさんの意思ではなく、Bさんの意思で殺したのだが、
体の持ち主であるAさんが罪に問われるのかが気になるところ。Bさんが頭の中から出てきて自首するのはどうだろうか。 「人を殺すことがタブー視される理由」
裁判では人を殺した犯人を控訴します。犯人が悪かった、人をこれが控訴の前提にある内容です。
現実として、子供に、親や学校から人を殺してはいけません、と教わります。
戦争もよくないものとして一般人には受け入れられます。
なぜ人を殺すことがタブー視されるのでしょうか。
1.人を殺すことをタブー視されることが広まると、社会全体のためになる
2.人を殺すことをタブー視されることが広まると、自分自身を殺すことをタブー視する者が現れる
3.人を殺すことの残酷さが一般市民に広まっているから
4.自分の周りにいる大切な存在が殺されてほしくないから
。。。となりましたが。
人を殺してはいけない、そんな思いもあるのでしょうが、道徳的には人を殺すことを完璧に説明できるでしょうか。 「人生でできることは限られている」
赤ちゃんとして生まれてから、我々は限界を引かれる。
小学校に行くことが待っているのに、小学校に行けば、一日分行く日数が減る。
そうやって、自分のできることは少なくなっていく。
今日甲子園球場に行っても・・・もう二度と甲子園に行けなくなったりする。
結婚式だってそうだ。二度目の結婚式がない場合だってある。
そうはいっても、過ぎさってほしいことだってある。
自動車免許を取る過程は早く終わってほしいだろう。
誰かに悪い事をされるなら、今の内に。。。と思うだろう。
そんな過ぎ去ってほしいことだってあるのはあるに違いない。
しかしながら、人生が限定されていくことは否めない。
できることを増やさなくては、人生は行き詰ってしまう。
そうだ、努力をすることだ、免許を取ったり資格を取ったりすることだ。がんばれ、諸君!! ★人を殺すことに関するデメリット
1.逮捕される恐れがある
2.人を殺した後、殺したことの罪悪感が湧く
3.神さまや超越者に裁かれる恐れがある
4.相手の遺族や仲間に恨まれる
5.殺したことがバレる恐れあがる
などと、デメリットはありますが、無理しないでください。
人を殺さなくてもいい場合はありますから、慌てないでください。 殺したいやつを殺す、好きなだけ拷問しても良い
殺して満足感を得たら、コーヒーを飲み、好きな好物の食事を取る
好きな音楽やゲームなど楽しむ
そしてニュースで◯◯県の山中で遺体発見など情報が流れたら自殺する
これが勝ち組 ★人を殺すことに関するメリット
1.暴力や嫌がらせから解放される
2.人を殺した後、殺したことで不安や恨みが消える
3.神さまや超越者に褒めらるかも知れない
4.相手を疎ましく思っていた遺族や知人に感謝される
5.殺したことで気分が晴れる
などと、メリットはありますが、無理しないでください。
人を殺した方がいい場合もありますから、良く吟味してください。 >>★人を殺すことに関するメリット
>>1.暴力や嫌がらせから解放される
>>2.人を殺した後、殺したことで不安や恨みが消える
>>3.神さまや超越者に褒めらるかも知れない
>>4.相手を疎ましく思っていた遺族や知人に感謝される
>>5.殺したことで気分が晴れる
神さまに褒められるって何だろうね。
まあ嫌がらせから解放される、とか、暴力から解放される、とかはありそうだね。
でも殺したことで心は貧しいだろうけどね。 >>46
いいこと言ってみました系 ってなんやねん、ちゃかすなや >>6
社会学と哲学は密接な関係だが
哲学は倫理の理論付をする学問だ
そして倫理が社会の法・規範となる
君って良くいる哲学を人生哲学だと思ってたバカ?
こんなの哲学書読んでれば社会学の基礎にあるのは自明なんだけどさ >>6みたいな哲学書まともに一冊も読んでないバカが知ったかぶりしてる見ると笑えるんだがw
デカルトやカントすらまともに読んだ事ねーからアホなこと言うんだろうけどさ 殺人というのは倫理・社会の外にある、ホッブスの言うところの自然状態に追い込まれた人が取る手段
当然そこに倫理・道徳的な答えはない
自分の生命活動において邪魔な存在を排除するという動物的な反応としての殺人
個人で動機から見れば殺人は妥当性がある
しかし社会としてみた場合は秩序の維持から殺人は罰する
つまり殺人をするなら社会に見つからない様にうまくやれだ また社会において殺人が絶他的なタブー視されているかといえばそんな事はない
明治より前では仇討ちが武士の間では正しい倫理だった
戦うことが武士の本分であり、それが戦いに負けた殺されたなら不名誉だとされ、殺した相手を遺族が殺し返してこそ家の名誉が守られるとされた
イスラムでは今でも家族が侮辱されたら相手を殺すのが家長の役目だ
アメリカでも自分の縄張りである家の敷地内に許可なく入ったものは正当防衛として殺すことが許される州がある
自分の権利を侵害されたら殺人は許される
法は社会全体のシステムを維持する事を優先していて個人の細かなケアや保護はされない
事後的にサポートするだけだ
ならば法が行き届かないところで自分の権利や尊厳が侵されたなら自分で対処せざるを得ない
そこには殺人も含まれる
個人の理由で法は勘案されないが故に殺人を止める明確な倫理もなければ殺人を無条件で許す法もない つまり法においては社会維持から無差別な殺人は禁じている
しかし個人の事情に於いて殺人をしてはいけないという倫理は通用しない
権力が法によって公務員を使って実力行使で法の違反者・犯罪者を取り締まる
これは個人の事情・道理を無視して社会というシステム・権力・国家へと服従させる暴力だ
倫理ではなくリスク管理の面から無闇で無計画な殺人は控えた方が生きやすいに過ぎない
殺人をする動機があり決断した人間を止める倫理はもとより存在しない
いつだって弱肉強食の自然状態は社会の裏側に厳然と広がっている 哲学で言うならソクラテスやプラトンは二級市民への強姦と殺人を持って成人の儀としたスパルタを理想国家としていた
古来より生きる事とは他者の権利を踏み躙り自らの利益を確保する強さが必要だ
これは現代の資本主義でもその構図は変わっていない
衣食住において古代より豊か故に多少の忍耐で生存できる故に表面化しないだけでそれが耐えられない人は殺人を持って利益を得る ロシアやイスラエルを見ればわかるように自分達の利益を守る為に人は殺す
殺される危険を感じたものは反撃して殺し返す
戦争は除くというのはナンセンスでより抽象的で分かりやすい殺人の構図が見て取れる
もちろん戦争に駆り出された兵士個人の動機や倫理と国家の目的は一致しないが利益と生存を掛けて戦うという点においては分かりやすい 殺人に社会的リスクは伴うが倫理で押しとどめる事は不可能
そんな倫理はまやかしで殺人が選択肢出る人はすでに社会のシステムや法が及ばない領域で脅かされている人
万人の闘争状態・自然界の弱肉強食・生存本能からくる反撃しか手段がおもいつかないのだから 殺人にたいする賠償は旧約聖書にも書かれている
ユダヤ人同士での殺人に対しては純粋に稼ぎ手を殺したならそれに応じた山羊などを送り贖うようにし、女や子供となればもっと少ない財産を送って仲裁するようにしていた
しかし他民族に対する略奪・殺人はそもそも許されており誘拐して奴隷にして奉仕もさせた
カナン(現イスラエル)に先住していた住人は殺して奪えと神から命じられて行ったとさえ書いている
20世紀に行われたユダヤ人を名乗るヨーロッパ人のイスラエル強奪はこの聖書に書かれた古事の再現でそれが今のイスラエル・パレスチナ紛争として続いている 今現在ユダヤ人を名乗る集団は遺伝的には特定できない
二千年以上前からヨーロッパ各地に住んで同化した民族でユダヤ教信者と言う自己申告・自己認識でしかない
ユダヤ人を証明する手段などないのにイスラエルはユダヤ人・自分たちのものだと言って新興宗教さながらに革命を掲げてパレスチナを乗っ取りイスラエルと国名を改名して乗っ取った
謂わばトランスジェンダーの心と性別は別だという暴言と主張を武力で正当化して建国したトンデモ国家がイスラエル
第二次世界大戦後の混乱期にヨーロッパのユダヤ人問題を解決するために厄介なユダヤ教徒をヨーロッパ方追い出して中東に押し付けたのがイスラエル建国
正直なところイスラム国より遥かにタチが悪いので建国してから70年ずっと紛争が続いている このように暴力は全てを解決手段として用いられる
そして殺人は財産で贖うこともできる
これは古代も現代も変わらない
社会のシステムは命の価値に値段をつけている
殺人もまた金で解決できるのが社会システムだ 殺人は社会の罪だ
罪とは法の罰則を伴う行為に過ぎず信号無視や万引きと同じ線上にある最上位の賠償を求められる行為に過ぎない
人は財産を産む労働力・財産と見て考えればそれを壊せばそれに値する賠償を人が求めるのは当然
それだけの話で難しいことも隠された事も何もない
殴られたら殴り返されるし、場合によっては殴ろうとする動きを見て先に殴り殺されるリスクもある
被る被害を予測して人は防御反応を示すので殺そうとする人間は殺されるリスクを呼び込む >>60
>>殺人は社会の罪だ
なるほど、いい説明ありがとうございました。人の殺し方を書きたいと思います。 ★人の殺し方
1.顔面を殴る
2.目を取る
3.腹をパンチする
4.ナイフや鈍器を使う
5.困ったことをやる
6.死ぬ死ぬと信じる
7.超能力で終わらせる
5.の死ぬ死ぬと信じる、とあるが、思いで殺すこと、といえばいいだろうか。
思いで相手を倒すことだって、合気道でもできるはずだ。
また、超能力で終わらせるというのは、合気道でもいい。 殺人を思いとどまらせる倫理はない
しかしそれは殺人にリスクが伴わないという話ではない
総じて殺人が周囲に知られれば厳罰が下される
また世間的にも殺人を犯した人間は奇異な目で見られて警戒され避けられる
殺人を行う前にこれらのリスクを考慮するのが賢いだろう それだと「殺されるのが嫌ではない」と思っている人は殺してもいいことになるが ★人の殺し方その2
1.屋上ビルから落とす
2.毒を飲ませる
3.大麻を吸わせる
4.舌をちぎらせる
5.呪う
6.心臓を傷める
7.放火する
。。。となりましたが……。
放火はいけませんね。死ぬどころか空気が汚染されてしまいます。
環境汚染を起こしてまで人を殺すのはやめましょう。 いけなくないよ
でも、マンパワーがないと自分も困るよ ほうほういけなくないよ、とのことですが、放火は人を殺さなくても、森林を燃やす場合がありますね。ゼウスのように森林を燃やす行為すなわち放火はいけないですか。 全て自由
悪いわけではない
しかし、自分自身がまわりにまわって困るからやらない
それだけでしょ 殺し方よりも事が誰も死んだ事を知らない、或いは死んでも誰も捜索しなければ社会は反応しない
殺したのではなく消えたならば >>70
なるほど。殺されて死体になっても消えてしまえばセーフだと。 >>71
消えてしまえばセーフなら、土に埋めて消したかのようにもっていくのもセーフになりうるか 死体の処理云々でない
死んだ・殺されたという事を誰も認識していなければ司法は動かず社会は生きているものとして放置する
例えば部屋やメールで旅出て探さないでくださいと書き置きがあれば? 死体の処理云々ではない
死んだ・殺された事を誰も認識しなければ司法は動かず生きているものとして放置する
例えば部屋やメールで旅に出るので探さないでくださいと書き置きがあれば? 死んだことも殺されたことも発覚しなければ、だれも殺人があったと取り上げない、とかですか 殺意を消し、痕跡を消し、人が消える
誰も知らずに過ごせるなら官憲の手は煩わされず事件は存在しない 露見すれば世間も法も神すら許さないかも知れない
或いは世間から良くやってくれたと賞賛・同情され、法は超法規的・情状酌量され、神から聖戦と認められるかも知れない 殺してはいけない、というが、どうやって殺してはいけないかに焦点を当ててみたい
放火して殺すことは、家も燃やしてしまっていたり空気も汚染されてしまったりするおそれがある。
殴って殺すことはいけないかというと、これはまだマシな殺し方と結論づけるであろう。
燃やすということは、時に、よくない放火だったとなるのである。
そうならば、放火はしてはいけない殺し方だろう。 まず第一に人がちょっと火をつけた程度で自然環境に影響は無いに等しい
火山の噴火に森林火災、発電所や車の排ガスなどに比べて1軒燃えてそれで何が変わると言うのか おいオメー さっきからうるせえぞ
「ブッ殺す」「ブッ殺す」ってよォ〜〜〜
どういうつもりだてめー そういう言葉はオレたちの世界にはねーんだぜ…
そんな弱虫の使う言葉はな………
「ブッ殺す」… そんな言葉は使う必要がねーんだ
なぜならオレや オレたちの仲間は その言葉を頭に思い浮かべた時には!
実際に相手を殺(や)っちまって もうすでに 終わってるからだッ!
だから使った事がねェ―――ッ そうか人ひとり燃やした程度では自然環境に影響は少ないんだ
でもね、家を燃やして人も燃やすならダメな殺し方なんだよ 問いの立て方が間違っている
殺して良いんだよ
上級国民とか皆殺しでも全然構わないってこと
当たり前のことだよ 上級国民と下層民の階級闘争という面でいうなら立場によって殺害対象も動機も変わる
上級国民からしたら労働者は大切な資産でみだりに殺すのは財産の損失に等しい
だからと言って自分の命に比べたら労働者の命など屠殺して食べる豚や鶏鳥程度の価値しかない
労働者からしたら搾取していい暮らしをする憎いブルジョアは絶滅すべしとなる >>82
殺していい場合とそうでない場合があるのでは。 仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、
羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、
親眷に逢うては親眷を殺して、
初めて解脱を得、物と拘わらず、透脱自在なり。 殺しの良し悪しの判断を人に預けず自ら処断する
殺しのライセンスを持て >>87
ええ。上級者向けかと。
なにゆえ殺人のハンターであるわたくしは誰でも殺せる自信があります。
遠距離にいる兵隊さんなんかはわたくしにやられますね。
平和を目指すなら、平和を妨げる兵隊さんをいなくするんですよ。
こういう境地に立たないと「仏に逢っては仏をころし」がわかりませんね
兵隊さんに逢っては兵隊さんを殺すということ。日々悪霊を殺すことも大事ですね。 「どうやって」殺してはいけないか。
遺体遺棄なんかはバレてしまえばいい、というのが一般的な意見だ。
遺体遺棄をすることは、バレるおそれを十分含んでいるはずだ。
だとしたらこれは犯罪者が得をする方法ではない、むしろ非犯罪者にとっては好都合なのだ。
もう昔の出来事だが、小学校でカッターで首を切る事件が起きた。
そういう殺し方をすると、周りの小学生も真似をしてしまう――小学生の犯罪者を逆に切りつける――おそれがある。
小学生は犯罪者をいじめようとするかもしれない。これは確率でいえばゼロではないのである。
こうしたデメリットやリスクを含む殺し方はしない方がよいというのが一般的な言い伝えとなれば幸いである。 一茂さんという芸能人がいるが、人を殺したことがあだとなって一茂さんはバラバラにされてしまった。
なるほど、人を殺すと自分に返ってくることぐらい想定できるのに、である。
そういうのを因果応報と呼ぶ。これが脅しにも使えるが、殺害者の弱みでもある。
Aくん「人を怪我させたら因果応報するよね」←こういわれると一般的には怪我をさせる気が失せるものである。
Bくん「Aくんだって俺を殺したら因果応報して殺されるかもしれないよ」←こういう文句も犯罪を防止することに繋がるだろう。
そもそも因果応報とは確立しているのだろうか。一茂さんは因果応報にあったと言えるのだろうか。
このような問いかけにぜひ答えるために考えていただきたい。(終) >>86
>殺していい場合とそうでない場合があるのでは。
「いけない」のだから、この問いはそうでない場合を想定している。
端的にして完全なる答えとしては、力がないから。
世界を見渡せば、力ある者はバンバン殺している。
言うなれば、この問いは既に終了している。 >>93
>>言うなれば、この問いは既に終了している。
どうして終了しているの やられたからやり返す
そしてまたやり返される恐怖・報復の連鎖を断ち切る為に止めを刺しておく
戦国時代では根切りと言って一族郎党全員を見つけて纏めて殺すのが常套手段だった
それを怠った平家は生き残りの源氏によって滅ぼされた
それを守って豊臣家を滅ぼした徳川家は長く繁栄した >>91
凡ゆる解決法が間違っており君が無知な事が暴かれる
犯罪を報道すればそれを真似る模倣犯が現れるので報道を規制した方が犯罪率が下がるのは社会学の常識だ
そして死体は遺棄ではなく消すのが反社の常識でシチュー屋と言う職業がある
薬品で溶かしたりマイクロウェーブで骨まで灰にして撒く
死体とわからなくなるまで破壊する >>97
あなたは無知ではなく理解する脳がない境界知能です
所謂人より猿に近い人種は知識を得ると言う行為自体が難しいので無理に知ろうとしないでください >>98
IQなら一番高いけどな。一番頭いいってよく思われるタイプがわしじゃよ。嘘じゃないよ。 猿には狂獣的な猿っているのかな
一番賢い者が、一番強かったりするよな、なんかのマルクスによるとな >>102
ネトウヨを殺すのはOKなときもそうじゃないときもある 君たちは人を殺したいか 今回このテーマでいきたい。
なぜ人を殺したいか?ムカついたからか?
どうして手を加える自分を抑制できなかったのか。
殺意が芽生えてから抑制できなかったパターンは統計学で60パターンもある。
対して過失ではない人殺しは、例えば交通事故などは400件もある。
我々は交通事故に遭わないように遭わないと信じるべきではないか。
また、轢き殺したいと想ってはいけない。わざと交通事故を起こすのはダメ。
交通事故は自分にまでリスクをかける。とりしらべに遭ってしまってはいいと想う諸君だろうが、交通事故は車も破損するおそれがある。
君たちは人を殺したくてもダメな殺し方もあるのだと考えていただきたい。 ★人の殺し方3
1、ひき殺す
2 自殺させる
自殺させるという終わらせ方がある。
舌をちぎってみれば自殺することができる。
登山している際に落下させるという方法もある。
爪なんて説明は省く 何故殺そうと思うまでに至ったのか
そこまで追い詰める相手側を抑制できない社会構造と倫理観の欠如を問うべきだろう
近世以前に於いて残虐で非道な貴族は民衆から搾取しながらそれに抵抗したものを謀反として嬲り殺した
しかし法を作るものが貴族である以上、貴族でないものは人ではなく家畜として飼われ嬲られしゃぶり殺された
これは現代でも続く
民主化された事によってこの縦社会の構造は民衆においても合法化され至る所で上が下を虐め社会的に殺しにかかる
法が社会が弱者の敵ならば拳を上げて敵を殺すしかあるめーよ
弱者の敵である>>104を五六せ!!
神が許せずとも私が許す 家畜の法・倫理を嘯き人豚として躾けようとする大敵である>>104を生かしておけば生きる瀬はなくなる
今すぐやるんだ!
見つけ出し吊し上げよ!
英雄に続けーーー!!! 俺は地獄のテロリスト
昨日母さん犯したぜ
明日は父さんほってやれ
I am a terrorist
straight out of hell
俺に父さん母さんいねえ
それは俺が殺したから
俺にゃ友達恋人いねえ
それは俺が殺したから
殺せ殺せ親など殺せ
殺せ殺せすべてを殺せ
サツガイ サツガイせよ
サツガイ サツガイせよ
(KILL! KILL! KILL! KILL!)
思い出を血に染めてやれ
サツガイ サツガイせよ
サツガイ サツガイせよ
(KILL! KILL! KILL! KILL!)
未来など血に染めてやれ 死ね 死ね
死ね死ね死ね死ね死んじまえ
黄色いブタめをやっつけろ
金で心を汚してしまえ
死ねアー 死ねウー 死ね死ね
日本人は邪魔っけだ
黄色い日本ぶっつぶせ
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
世界の地図から消しちまえ 死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね 人を殺すということ
人を殺した罪は発生する場合がある。
例えば首を絞め殺すことは窒息死を狙った犯行である。
また、保育園児バス放置という園児をバスに放置して熱中症にさせてしまった事故もある。
こうした殺意もないのに園児の命を蔑ろにすることは、忍びない。
人を殺すということ。それは大切な命を取ってしまうことだ。
死刑囚には死刑が下される。が、法律で裁いてはいけないときは、裁いてはいけない。 法で裁けぬ悪を討つ
法は自らを抑圧する権力者が握り策定する
その権力が自らの敵であるならば法こそが悪であり敵となる
黙って耐えていれば上位存在が変えてくれるなどありえない希望を抱くな
自ら立ち上がり声を上げ拳を突き上げろ
そうやって血を対価にして法は改善されて来た
理不尽には理不尽で対抗するしかないんだ
苦しみが自らが諦め死ぬか、相手の息の根を止めねば終わらぬならばやるが良い
最早そこは自然の摂理
弱肉強食の生き残りをかけた勝者だけが立てる場所だ
善悪は己の内にあり
己の生だけが判断基準だ なぜ人を殺すのか
なぜ人を殺すのだろう。自分の悪意と欲求のなすがままに殺してしまったとしたら。
遺体遺棄まで実行するのなら、計画的な犯行だろう。
そんな計画的な犯行は、極めて危険である、と指摘しておこう。
銃で一発撃って殺し、遺体を遺棄するのは、もう絶望的だ。
死者が復活する可能性、それすら失ってしまう状況は、厳しいだろう。
窒息死を狙った犯行は、窒息死してしまっても、死者蘇生すればよいだろうか。
計画的な犯行は極めて危険である。遺体をどうするかまで……以上。 そもそも人殺しを罪とする法があるのは、法で縛らずに放っておくと殺し合いを始めるから
人の本能に殺人衝動があるのなら、殺し方なんざあえて聞く必要もあるまい
「人を殺すな」と教えられるのはある意味処世術であって、
安易に人を殺すような輩を社会で受け入れるか否かという問いへの現時点での暫定的な回答とも言える
社会(集団)の構成員のうち、人殺しに否定的な人ら(多数派)を全員敵に回す覚悟があるのなら、心の赴くまま好きに動けば良いということ
例えば、復讐に命懸けで仇を殺すことだけが己が存在意義だとか抜かす輩にはこの説得は通用しないことになる ――――――
人を殺すとき、何が起きる?パート2
人の本能が犯行の動機となることは、深く考えていきたい。
殺意が湧いた、本能に殺人衝動があった、こうした例は実際にあったのだろうか。
何が原因で人を殺すのか。殺人狂楽者だったからか。
何が原因で犯行に至るのか。金銭目的で殺人事件が発生する場合があったことはたしかである。
家に侵入して人を殺し、金銭を取り上げるという例は少なくない。
銀行強盗も似たようなもので、相手を脅して金銭を要求する例も想像できるだろう。
こうした犯罪は目的を持って行われていることは、言うまでもない。
金銭目的、宝石目的などの目的で、宝石泥棒をした者もいる。
お金が一番大事だという考え方を持っていると、犯罪に拍車がかかる場合がある。
愛はお金では買えない。お金ではなく、愛だ、こういう模範ができると、犯罪は減少していくのだろう。
お金が一番大事だという考え方をやめることが大事なのではないか。
余談だが、愛が大事だと思っていると正義感が湧いて犯罪の抑制になるのではないだろうか。 どういう状況では殺してはいけないか
殺される側が家にいるとして、それを放火することは、いけないと直観する。
そして殺される側が運転中に犯罪者が殺すことは、いけないと直観する。
交通事故の連鎖が起きてはまずい場合を懸念している。
究極、放火をしていい理由があるのなら、それも検討する。
バナナマンさんの家は燃やしてよい、と気づいた例がある。
なぜバナナマンさんの家は燃やしていのだろう。でも事実だと受け止めておこう。
究極、交通事故を起こしていいのなら、それも検討する。
交通事故で脚を損脚して暮らしに困っている人がいる。
それは虚しいだろうが、悪意を持ってみれば損脚したことをよしと視てしまうだろう。 殺人幇助で捕まった犯人は、殺人を応援するよう頼まれているケースがある。
殺人幇助は法律上罪であるから実際に殺していなくても捕まった例がある。
殺人事件を減らすには、法律や道徳観がバランスを取ればいい。
愛が大事なら愛を説けばいい。
自殺幇助も殺人染みているが、これは法律上罰せられる。
自殺させる際に死を決定的にしたのは本人だが、自殺をすすめた悪者は法律上罰せられる。
しかし自殺幇助の方が刑罰が軽い。 だめだこりゃ
社会的に失うものがない奴には規範だの倫理だのは何の説得材料にもならんと言ってんの
法が脅しになってないのよ スレタイの回答になってねえからさ
ざっくり言えば「殺してはいけないからダメ」以上のことが言えてねえ
なぜあかんのか?ってとこに一歩以上踏み込んで深掘りしてくスレなんとちゃうん
俺はとりま反例として法による説得が不可能な殺人者を想定した
こういう手合いをどう説得するかを考える形でもええわ 以前の繰り返しだが。
およそ「価値」は進化的な起源を持つ。
「殺人」や「自殺」に対する価値観も、進化的な起源を持つ。
同族を保存させるのが善で、他族を抹殺するのが善。
@身内や自分を殺するは悪い。
A他部族や他人を殺すのは良い。
つまり「人を殺してはいけない」は、@だけに当てはまる。
殺人は、いつも悪ではなく、良い殺人もあるのだ。 >>124 つづき
「なぜ人を殺してはいけないのか」の判断が混乱するのは、これが理由である。
平時において、人々は「他」と「我」を区別しにくく、価値判断が混乱する。
戦時では、明確だから、心置きなく殺人ができる。 >>125 つづき
ここに皮肉なことがあって、実は、どの社会でも
身内や知り合いの殺人が圧倒的に多いのだ。
つまり、動機としては、身内殺人のほうがありふれている。
だからこそ「殺してはいけない」の禁忌が必要なのだ。 言葉の使い方はちょっと引っかかるが、
要するに>>124は身内扱いするかしないか、敵扱いするかしないかの問題と言いたいわけか
現代社会では国民全体をここで言う"身内"扱いしているようなもんで、
実際にはもちろん血縁なんかないわけだが、身内の拡大解釈という位置づけやな 要は、
「なぜ人を殺してはいけないのか」
は普遍的な命題ではないということ。
場合によって「殺して良い」し、「殺すべき」だ。 殺人犯になった瞬間そいつは社会の敵とみなされ平時とは別の規定が適用されることになる
死刑が廃止されてる環境だろうが、隔離してそいつの意思・活動を殺すことにはなるな 戦争や革命では殺していいことになっているし、映画などでも悪人を殺すシーンでは見ているみなが心の中で喝采する
「殺してはいけない」という普遍的な道理があるわけではない 人間の良い悪いという価値判断の原則というのがあるのかということを問いたいのかな? 何故殺していけないかと言えば法で禁じられており罰則を受けるから
これは純理でも言われる事で人の認識は経験によって形成されるからだ
私達の生まれた国と時代ではそう決められていたから人を殺さないように親や学校・社会に躾けられた
人もまた動物に過ぎず犬や馬と同じように躾けられて人を殺さない様に育つにすぎない
仮に人の子が猿や狼に育てられたら社会の法と罰則を解さない
これは石を落とせば地面に落ちるのと一緒だ
人を殺したのがバレたら警察がやってきて逮捕される
警察も犯人も法でそう定められているからとしか説明出来ない 人を殺すということ
人を殺すとき、それは多数の犠牲者を犠牲にする場合がある。
秋葉原無差別殺人事件では多数の犠牲者を出した。
なぜ、犯人は無差別殺人に及んだのか。
殺意はなかったと犯人はいっていた。
無差別殺人事件が面白かったことが理由だった。
面白いという理由だからといって許されはしないだろう。
戦争も、大切な命を犠牲にするのならどうなのだろう。
ウクライナ戦争は無差別殺人事件と相容れるものなのでしょう。 もし古代や中世の貴族に生まれていたら人を殺す事は名誉であり殺される事は不名誉だと教わり人殺しの訓練に日々励み敵や反抗的な民を殺したら良くやったと褒められただろう >>124に書いたとおり、すべての価値観は進化に起源を持つ。
「善」は種の存続に利するもの、「悪」はその反対に損するもの。
「殺人」は、ときに利するが、ときに損するので、普遍的な価値とはならない。
しかし、なぜ普遍的価値のように受け取られるかは、考察の対象だ。 オーム真理教では人を殺す事は救いだとして大量殺人を決行
これは学校や社会に躾けられた人を再洗脳し殺人を罪としない価値観へと変えた事による
戦争では何故殺人を名誉として社会全体で推し進めるかといえば共有し躾けられた価値観の違いと利害の不一致からだ
日本では戦争を外圧(アメリカ)によって禁止された為に殺人は何があってもダメだと平和ボケしているが多くの国では殺人は治安維持の観点から同国人や同盟相手に抑制されているにすぎず殺人自体を悪とはしてしない
そんなおためごかしで矛盾した事を言っても子供でも信じない体 つまり上司や同僚や同級生に親兄弟が敵だと認識したら殺すのは善だ
もしそれを悪だと言うなら親の躾が悪い、教師の怠慢、マスコミの金儲け主義、政治の怠慢
つまり殺人は社会が悪いから起きてしまった教育の失敗で殺人者の所為ではない
殺人を犯した人間の不良品は廃棄処分して再発防止策を考えよう さあ後はやりたい奴はやるが良い
君は自由だ
好きにやれば良い ➧137
地下鉄サリン事件か。これも深いのが、悪人を殺したからいいだろという判定
善人は2名しか殺してないから許してくれ、という主張
麻原彰晃は今でも許してくれと訴えている。
オウム真理教の元幹部である上祐も将棋のプロ棋士に転身するほどだ。何か運の良さがあるのだろう。
上祐は、地下鉄サリン事件はダメだと言われたが、悪人を殺したからアリだと主張 >>136 つづき
『「種の存続に利する」などと言うと、それは「群選択説」で、
今では誤った説とされている』と反論があるかも知れないが、
別に群選択ではないし、群選択がすべて誤りでもない。
「殺す」は利他的行為でもないし。 麻原は「殺人」とは言わず「ポア」と言った。
「ポア」はチベット仏教で「遷移」の意味。
麻原は殺人を「無明の人間が地獄に堕ちるのを防ぎ、より高い世界へ
遷移させるため」と説明する。
これは彼の「三百代言」なのか、ほんとに信じていたのかは解らない。
多分、前者であろうが。 生物の起源や本能に根ざすと言うならもっと原始的な生物が正しいとなる
そんな低俗・低級な事に価値を求めることが愚かと言うかナンセンス
高度になるほどに複雑化して単純な答え・説明は出来ない
死を美にまで昇華した文化を人は持ち得るのだから 麻原はポアと言ったのか。
殺すことが美なんて嘘でいい? 「美」という価値の起源も進化である。
最初の「美」は形態から始まった。
孔雀なら美しい羽、ヒトならば、滑らかな肌やゴツい筋肉。
次に、「形態の美」から「行為の美」と昇華してゆくw
だんだん嘘くさくなる。その最たるものが「死の美」w 美を合理性や機能性と解くなら、死の機能とはなんぞやって話にもなるか
それとは別に死を美化するのは、死者の功績に対して、
(当人が死んでるせいで)それくらいしかもう報いる方法が残ってないからって部分も多分にあると思うがね
名誉以外に何も与えることができない もう議論は尽くされた
やるしかないならやれ
それが君の正義で倫理だ
次の報告は何故?ではなくやった!結果報告だけでいい 議論始まったばっかじゃないんか
言うて適度に脱線しないと膨らまない話題かもわからんが 死を美とするのは弱く貧しい精神。
あるいは自意識過剰の少女のきどりみたな。 個人レベルで見た場合は現実逃避の正当化の一環として援用されるケースもあるな >>151 >>152
多分中高生かFランの落ちこぼれなんだろうけど流石に物を知らなすぎるね
君らさ
哲学板来て教養ゼロのバカが書き込んで面白いか?
人文系の本を学校で習う教養レベルですらまともに読んでないから的外れなこと書いてんだろうけどさ
死の美学と言ったら三島由紀夫や戦時中のことを連想するのが当たり前
ここまで書かないとわからないレベルだと他に書いて相手ある事も理解できておらず真逆に勘違いしてそう
IQ20違うと会話が成立しないってのはこう言う事なんよね
比喩や皮肉が理解できずに明後日の方に話が飛ぶ メンヘラのアホな中2病語りたいならサブカルからメンヘラいた行けば?
君らのレベルはそこだよ
実際にさ ポジションとるためだけのレスって、なにがおもしろいの? つか哲学かじってるなら先入観はなるべく排除しようとするんじゃないんか
憶測で断定するようなこともしない >>157
おおきな勘違い
哲学って知識ゲーなんだがw
哲学が語るものは倫理
そして倫理とは古代から続く歴史と思想の変遷で基本は思想史を学ぶものだが
そう言った裏付けがない思いつきで語る言葉にどんな説得力があるんだよ
まじで哲学と言いながら哲学書を一冊もまともに読んでねーんだな
こんなの哲学本一冊でも読めば自明なのにw
バカすぎて話になんねーわ
お釈迦様も仏教は働かずに勉強に打ち込める貴族の坊さんにしか極められねーって言ってんだよ 勘違いねぇ
せめて見解の違いと言って欲しいもんだ
思索や議論を楽しむのではなく、
哲学をマウントを取る道具くらいにしか思ってないような奴とはそりゃ話にならんわ だから哲学書読んだの?
ねぇ?
見解の違い以前の話
会話ができないバカが駄々こねられても困るよ もの知らないバカが哲学を勘違いして語ってちゃんと学んでから出直してこいって言われて、恥かかされたと顔真っ赤にして誤魔化そうとしても無駄だよ 俺に言わせれば、自分の頭で考える行為そのものが哲学であって本を読むだけでは達成できない
著名な本が哲学の全てではないし、むしろ本がなくても誰しもに門戸が開かれている
哲学書を読むのは、あくまで他人の哲学を知るため、思考の幅を広げるためにすること とりま他人の頭借りて喋ってねえで、まずはお前さん自身の哲学を語ってくれや
もっとも既にその一端くらいはチラ見えしてるけども 如何にも本読むのが嫌いな人の言い訳
耳障りの良い言葉を拾って自分の不真面目な面を肯定して逃げてるなw
哲学書を何か魔法の道具と勘違いしてねーか?
本当に読んでないんだな
だから噴飯ものな事言い出してる
純理や精神現象学を読んでそんな感想でないんですけどw 哲学書読んでますかの質問に対してまだ一冊もタイトル出ないところが本当にバカ丸出しw
いやぁ酷いバカだ お題はスレタイでも直近のレスでも
話す気がないならさいなら 上で散々書いてきたんですけどw
ただあまりにも酷いバカがメンヘラ中二病な事書いてきたからバカが勘違いしない様に諭しているだけですがw
まさか死の美学に触れて明後日の方向にいかれると思わなかったよ
殺人と法についても殺人を罰する法とはなんぞや都なればモンテスキューを語ることになる
これが明治維新後の日本の三権分立の基礎概念の元になる
そしてそこで語られる徳、或いは倫理の基礎付けに哲学がある
そうなれば当然純粋理性批判は欠かせない
これが現代倫理の基礎になるからだ
そして純粋理性批判を理解するには精神現象学は必読になる
こう言った系譜も知らず理解もしてない奴が何を理解して語るんだよ
殺人がいけないという事を説明理解するのに必読なのに
知りもせずに何がどういけないか語る奴は頭が足りないバカと評する以外どうしろと? バカがバカと明後日の方向で語るならレベルにあった所でバカ同士で語った方がバカにされずに済むと事実を言ったまでだよ 東大で学ぶには東大に受かる程度の前提知識がなきゃ講義が理解できずに眠くなるだけでしょ
そう言うお話 ここは東大じゃないし、東大レベルの議論とも思えないんだが
まぁでも一応ただの冷やかしじゃなくて上の誰かだったのね だからさぁ
哲学のての字も知らないバカが哲学がどうとか言ってもなんだこの間抜けとしか思わねーんだよ
そもそも本読んでないから発想力自体が低すぎてな
世の中自分の思いつきなんて全部誰かが自分の思いつきの十倍深く思索して本にしてんだよ
本をまともに読んでないから自分の浅い思いつきを天才的発想と思い込んでいるにすぎない
だから上の恥ずかしい書き込みが出てくる
自分で考えるのは結構だが他人がその十倍深く考えている事に思い至っていない事に無自覚な事に恥じる事ができないほどに無知な自分に自覚してほしい 例えば大学院で博士号とか取るにはDBで先ず論文を読み漁るんだよ
人がまだやってないかどうかから調べる訳
人がやった事をやってもしょうがねーから
テーマ探しをやるのに先ず読み漁る事必要でそれやれない奴は土俵にすら立てない 著書や用語の羅列で何か言った気になってる話下手が、
それを読み手の知識不足に転嫁してるように見えるのは、きっと俺の気のせいなんだろうよ
"途上"の人間も出入りする場ということを弁えていないのはあんたの落ち度やな
自分と同程度の知識・前提での議論以外をノイズ扱いして排除するつもりなら、
自問自答した考察を日記なりに書いてればいいわけで、
全く話題と無関係なレスすら混じりかねない掲示板に来る時点で何かズレてないか 自分の浅い考えを述べる前に人が何考えて来たかを先に知れと >>173
それを誤配と言って哲学したのがあずまんw
哲板来てあずまんが出ない段階で残念なやっちゃなぁと言うのが君への評価 >>174
君は用語が理解できないレベルの猿だよな
バカで教えて貰う立場の生徒が偉いとかどんな哲学?w
学ぶ姿勢が出来てないバカは何も学べないよ >>177
別に偉いとまでは言ってないぞ
半端者も来る場所ってことが言いたいだけや アホなこと書いて遊んではいたけど言語ゲームとして遊べないレベルのバカまできたらつまんねーから遊び方変えてバカだと煽ってんだけどさ
少しは腹を立てて本気で調べて言い返すのかと思ったら開き直ってバカが偉いとか言い出したらこりゃもう単純にバカにして揶揄うしかねーよw なんなら話についてこれてないと思ったレスはスルーして続けりゃええやん
日記の邪魔されたくなかったんか? 馬鹿をバカにして揶揄うのも面白いから僕は本を読んでいる 何処ぞの芥川賞作家は本を読みすぎた結果、人を貶す言葉に長けてしまい恋人との仲が悪くなったと独白していたが
知恵を得ると会話を楽しむのに相手を選ぶようになる
それを我慢してアホ相手に話している時のストレスを理解して 話す相手を選ぶのは誰でもやってることじゃないの
無理に俺を選ぶ必要はないぞ 地下鉄サリン事件は悪人を殺害しました。善人は2名だけ殺害。
悪人を殺害したのが9割だったのでアリだという主張もあります。
上祐は殺したのをアリと主張しています。麻原彰晃もアリだと主張しています。
死刑だけは勘弁してほしいと言います。 殺人の否定は社会的禁忌であって、個人的な根拠はない。
個人的には、他人を殺そうが、自殺しようが自由である。
しかしある個人は、ほとんどの場合、社会の中で暮らすから、
その禁忌から逃れ得ない。
そして、社会が「なぜ殺人を否定するのか」は、誰でも容易に理解できる。 死の美化は精神の脆弱さを示すものだ。
もしくは「他人に死んでもらいたい」という動機を持つ者の企み。
戦時での死の美化はそれに当たる。 死にたいし死が輝くとき、それは板垣退助の板垣死せども自由は死せず、とか。
こういう判例がないと判断が怪しいと、裁判官は知っている 殺人と仕事
殺人が職場で起こるハプニングは避けねばならない。
働いていてもいつか強制的な労働になると、過労死も考えられる。
板垣退助の「板垣死すとも自由は死せず」はまさか過労死ではないが、自由に生活する余裕くらい持ちたいでしょうか 山上徹也が安倍さんを殺さなかったらどうなっていたか。
想像するに恐ろしい 山上徹也が銃で安倍氏を撃ったのも、何が理由かわからないだろうか。
それても安倍氏は今も生きている。 しかし安倍の暗殺は、歴史の風景で自然な出来事に見える。
安倍も山上も、まるで個性がなく、事件とも呼べない。
ことが終わり、去っていっただけ。 政治家の個性なんて戦争や革命以外で出るのか
外国から見たら歴代徳川家将軍もイエヤスとヨシノブの2人で十分 平時の政治家も未来から振り返れば皆消え去る
少なくとも安倍を個性がないと言うのは見苦しい君の嫉妬に過ぎないね 自らの妬心に無自覚な君には殺人者の素質があるよ
ヤラナイカ? >>194 >>195
図星を突かれて、よほど忌々しいようだw 図星ってなんだね?
君が話題にする程度には安倍と言う政治家は知名度が高い
つまり君自身が安倍という存在の価値証明をしてしまっている
愚かでちっぽけな人間の嫉妬が殺人事件を起こすのだろう
その無能さから社会に対する疎外感を募らせストレスが限界を超えた時に殺意を抑える理性が外れる 日本は大統領選の様なものがないが故に総理大臣を国民は信任していない
密室政治と揶揄されるように党内政治によって国民不在のまま決まっている
しかし政治家ってのは利権団体の代弁者にすぎない
彼ら自身の能力など実態がなく見栄えとその場限りの方便を口にする能力
いわゆる弁論術に長けた人間
弁論術自体は個人に取っては有用な技能であっても社会運用能力をなんら担保していない口先にすぎない
政治家の名前は歴史における事変の時に一緒に記憶されるタグの名称に過ぎない しかし弁論術によって人は容易に操られ誘導される
それは無知な分野・事柄について顕著
故に義務教育では法や社会の裏事情をどの国でも教えない
所謂社会のシステムハックを民衆が知ればエスタブリッシュメントにとって扱いにくくなるからだ 最近では選挙で対立陣営相手に好き放題暴れた某候補や漫画村の人間が堂々と犯罪的行為自慢して吹聴しているがああ言った人間が増える >>196
君はあまりに無知で愚かな煽るバカ
ネトウヨと言う奴だ
もうちょっと調べて学ぶ楽しさを知った方が良い
その方がこうやってお前バカだなw
と煽り返されるずに済む ネトウヨを殺していいか、殺してよくないか
★ネトウヨの気質
てきとうに書き込むも、努力はネットサーフィン。
これといって目立たずにいるも、犯罪も犯さない。
ネトウヨを殺してはいいかどうかはケースバイケースである。 >>203
お前は自分で責任もつことも決断する事もできないバカだから人や社会の法の許しがなきゃ行動できない無能なんだなw
だから殺して良いかどうかはケースバイケースと誰かの判断を仰いでいる
そうじゃないないと上で散々書いてきただろ?
お前が殺したいかどうかなんだよ
法の執行菅でもない限り許しは誰かもおりないし権利はない
お前が自分の責任と意志で殺すんだよ
カスが >>204
あのー無能じゃないんでね、俺が殺したいかどうかで判断しちゃだめでしょってね、何暴言吐いてんだよカスじゃねえよそれだけためになったか?許しなんて求めてるわけじゃねえだろ、何が散々上で書いてあるんだよ何が!?そうじゃない?何のこと?俺が殺すように責任と意志で勧めるのかよ何でかな。 許可おりねーんだからお前が罪背負うしかねーんだよ
後はおまえ次第 >>205
ネットで調べることすらできずにネトウヨ殺して良いってバカ丸出しで言ってごめんなさいって泣きついてんの?w
なぁ?
あったま悪いなぁ 支離滅裂乙、あとはおまえの頭が改善されればいい、お前は人殺すなよ 逃げるなよw
お前がネトウヨ殺して良いってアホなこと書いたんだろ
本当バカだよな
哲学とかやる気もねーくせしてネタで書いておいてなんか言われた言い返せずに逃げてくw
間抜けすぎ 正義のヒーローであるウルトラマンは、敵に勝つのが正義でしょうか。
バルタン星人を倒すのは、やってはいけない殺害でしょうか。
ウルトラマンの味方である街にいる人々は、ウルトラマンに文句をつけるわけではありません。
むしろバルタン星人を殺して成功なのだから拍手や感謝で溢れるのではないでしょうか。
しかしながら、今度はウルトラマンが敵だとするならば、いかがでしょう。
ウルトラマンVSウルトラマンⅡの闘いではどちらが正義でしょうか。 バルタン星人は20億人の難民を載せた宇宙船の代表として戦った
これは星間戦争と言うべきもの
作中でウルトラマンと戦った個体はバルタン聖人と呼ぶべき偉大な戦士でありバルタンの英雄であり聖戦だった
自分がどちら側の視点を持つかで善悪は変わる 現実に目を向ければ欧米はロシア・ウクライナ戦争においてはロシアを潜在的な仮想敵国と見てウクライナを支援する
しかしイスラエル・パレスチナ紛争ではイスラエルを同胞と見て傍観する
日本にとってもロシアは具体的な危険な仮想敵国として現在進行形で領土問題と領海・領空侵犯で問題を抱えているので欧米を通じてロシアを避難する
しかしイスラエル・パレスチナ問題においてはイスラエルを日本人は同胞と見ていない
民族的にも地理的にも経済的にも遠い
歴史的経緯を見れば明らかに100:0でイスラエル・欧米側が侵略者でパレスチナに同情的だが欧米に配慮して政治的には中立の立場にいる 善悪に絶対的な観点は存在せず常に主観性が問われる
隣人愛や神の前の平等を説くキリスト教も、最大多数の幸福を追う功利主義も、形式上全員に同じ権利が与えられる民主主義も、神や理性から道徳を説いた西洋哲学も、私から言わせればどれも虚構であり”まやかし”である。
人間の本質は、自分が強くありたい、自分が人を支配したい、自分が幸せでありたいと願う存在なのであり、この「力への意志」こそが人類を強くしているのだ。人に優劣があるのは当然であって、平等や道徳といった偽善を説くのは、常に劣った人々の方である。 善悪の彼岸を読む事をお勧めする
善悪と言ったものを超克せよ ドーキンスは利己的な遺伝子を提唱した事で有名なイギリスの学者であり無神論者としても有名で宗教に対しても先鋭的な批判を繰り返してきた
しかしイスラエル・パレスチナ問題に対しては思想・文化的にキリスト教の立場だと表明した
哲学の語る倫理の普遍性とは絶対的な神の視座を持った中立性ではなく、自らのルーツに依った利害であり幸せの追求の為の動機付けにすぎないのが現実だ
人生に目的はなく快楽・幸福の追求に邁進せよ
幸福や快楽から遠ざかるなら殺人を避けろ
それが快楽だと倒錯に陥った人間にかける言葉はない
法は倫理ではなく物理的に罰を与える線引きを提示しているに過ぎずその基準は個人的なルーツや倫理・価値観を考慮していない
もし法に反論があるなら裁判官や検事に陪審員の情に訴えかけろ
人が裁く法に個人の解釈が介入する余地は裁判においてこそ存在する いや
裁判にこそ方の解釈の余地が少ないかもしれない
やはりやってしまった人はバレないようにして逮捕も裁判にも関わらないようにする方が個人の倫理と価値観が社会と衝突せずに済む
捕まったら精一杯弁明しよう
法律や倫理を知っていたらうまく立ち回れる可能性はある
弁名する時は己の心情は封じゲームとしての最高得点を目指すように振る舞うのが幸せの追求、と言うより致命的な破滅への回避法 殺人とキメー(ダメなこと(
女王アリは、実際に見つけると怖い。
ムカデもイナゴもトカゲも怖い。
クモという生命体もいるから気を付けたい。
こうした昆虫は殺しても捕まる要因にならない。
殺人は罪。仏教には不殺生という生き方があるが、そこでは虫一匹も殺さないように慎重に暮らすことが勧められている。
我々は、交通事故に遭わないように慎重に暮らすことが極めて大切です。 国のトップであり方を作った連中は戦争で大量という言葉では言い尽くせないほどの何百・何千万の人を殺す事を命じてきた
そんな人間たちが作りあげたのが今の方であり国だ
自分たちは無数の人間を殺しておきながら他にはダメだと言う事に如何なる道理があるのか
法を人が守るのは権力とそれに従属する圧倒的武力と言う背景があるからにすぎない
故に政治不安が高まり軍部が政治権力に従わなくなれば武力を持って法を覆しクーデターが起きる
つまり僕達が殺人を躊躇い抑制しているのは力によるものに過ぎない 外交特権と言う言葉を創作の世界でよく耳にする
これは国外で犯罪を犯しても外交目的で訪れた政治家や官僚は現地の法によって裁かれないと言うものだ
国同士の紛争を避ける為の処置で国という圧倒的な力を背景にして外国の法から身を守っている
暴力は全てを解決事を示している実例だ 人としての躾に失敗した者には猿や犬猫ですら理解する力を持って押さえつけ叩き直す
社会にはそう言った暴力機関「警察」が備わっている
倫理ではなく暴力でルールに従わせる
これほど明確でわかりやすい理屈は存在しない
ルールに書いてある事を守らなければぶん殴って名誉を剥奪し惨めな気分にさせてやる
それが嫌なら従えと言うものだ
何故ではなく弱い奴は国の言うことを聞け
ルールに従わなければ監禁して最後には殺すと言うのが近代社会の法 なあ、イマイチです。それだけ語彙力があるなら分かりやすく 倫理とは歴史
法とは為政者の都合
殺したければ殺せばいい
バレたら警察に逮捕
裁判は法律ゲーム
暴力は全てを解決する なぜ殺してはいけないのか
これは西洋と東洋の思想史をおってくれ
法とは社会の経済性を重視した上で作られているいるルールに過ぎず資産家などのエスタブリッシュメントの都合が優先されて作られている
殺すと決意した人を説得する事は難しいので好きにやってくれ
バレたら警察が来て逮捕される
裁判を考えるなら法律は事前に勉強しておこう
国家に匹敵する暴力を持っているなら殺人者に対しても国同士の外交として交渉してくるので刃牙を読んで鍛えよう >>1
けど絶対的なのは人を殺さないと殺される可能性はあるわなw