まぁ、東浩紀の『訂正可能性〜』は古い西洋哲学からの引用ばかりで、日本での例がない。という落ち度があると思うが、1つ出すとしたら前述の

"劇的効果"という語は100年前の文献においては「この演者の皮肉がもたらす劇的効果は〜」といった、もっぱらの使用法から飛躍して、現在では短絡的に「即時性」「即効性」を示す言葉になっている。

訂正可能性は何を訂正するのか?という曖昧さから、ややターゲットが縛られてくるだろう。
的にされているのは、こうした"飛躍"である。