日々雑記 in哲学板 その6
唯物論が正しければ自然現象による幸せ以上の幸せは有り得ない。
唯物論が正しければ自然現象による不幸以上の不幸は有り得ない。 >>201
怠けたから中卒無職で死ぬまで生活保護wwww 上には上が居て一番上が居る
下には下が居て一番下が居る 一生は一瞬で過ぎ去る
善人には幸せを得る権利が有る
悪人には不幸を負う義務が有る
人をどう使うか?
道具は正しく使って正しい結果を出せ 無理に死ぬ必要もないが、無理に生きる必要もない。
君は人生から何を得られたのだ?
君は人生から何を得られるのだ?
人類が正しいなら人類は何故こんなことになっているのかね?
私が正しいなら私は何故こんなことになっているのかね?
人を動かすとは人の身体を動かすことだ。人の心だけ動かしても人を動かしたことにはならない。
そうせざるを得ないと人類を納得させろ。
どうしたいかでもなくどうすべきかでもなくどうするかだ。
罪を犯して罰を受ければいい。どうしたって天罰は下る。
人生には意味がなければならない。
お前は人に正解を聞いてばかりだ。お前が人に正解を教えろよ。
歩む道に誤りなどあってはならない。
人の幸せの為の決断なら、天がこれを通す。
自然現象に損得も善悪も無い。
食うという罪を犯すから生きるという天罰が下る。
堕天使も天使の一柱
死ねない人とは成仏できない魂のことである。
正しいことをすれば幸せになれる。もし正しいことをしても幸せになれなかったのならば、それは正しくなかったということだ。
進者無間地獄
退者無間地獄 誰の望み通りにもならない。なるようにしかならない。 天は人を罪を犯さざるを得ない状況に追い込んで人が罪を犯したら天罰を下す。
金は天下の回りもの
心は天下の回りもの 敵を味方にせよ
人は死ぬと消滅するという考え方は、少なくとも生きている人は確かにこの世に存在しているという前提が無ければ成り立たない。ところで、氷は解けると消滅するのだろうか? 現実世界の制約や試練は、私たちに成長の機会を提供していると考えられます。
以下に、その視点をいくつか共有します:
1. **学びと成長**:
- 制約や試練は、私たちに新たなスキルや知識を身につける機会を与えています。
困難を乗り越えることで、自己成長を達成できます。
2. **自己発見**:
- 制約は、私たちが自分自身を理解し、自己発見をするための道具です。
試練を通じて、自分の強みや弱点を知り、改善することができます。
3. **感謝と共感**:
- 制約を経験することで、他人の立場や感情に共感する能力が高まります。
感謝の気持ちを持ち、他人を尊重することができるようになります。
4. **目的と意義**:
- 制約は私たちに目的と意義をもたらします。試練を乗り越えることで、
私たちは自分の人生に意味を見出すことができます。
5. **逆境からの強さ**:
- 制約や試練は、私たちが逆境から強くなるための機会です。困難を乗り越える
ことで、私たちは内なる強さを発見します。
現実の世界は厳しい側面も持っていますが、それは私たちが成長し、意味を見出す
ための舞台でもあります。 >>219
怠け者の中卒無職は義務を果たしてないから権利が無いとw
めっちゃ釣り合いとれてるぅううwwwwwwww 人類を正当化しているのは誰?
人類を不当化しているのは誰? 虚無主義とは、論理的整合性が取れない世界の矛盾の解決を諦めた無能の思考放棄のことである。
誰からも不満が出ない形で幸せのsystemを構築する。
必ず天の思い通りになる。
心の数だけparallel worldが有る。その全てを支配することが世界を支配するということだ。
後悔は必ず動き出す。過ぎたるはなお及ばざるが如し。過悪は悪なり。過善は悪なり。
善因善果と悪因悪果が本当なら、社会が個人に対して行ったことはboomerangとなって個人から社会に返って来ることだろう。
不幸になる時は不幸になれ
幸せになる時は幸せになれ
正当化を取る者は正当化で滅ぶ
不当化を取る者は不当化で滅ぶ
自然現象はただ自然現象である。損得も善悪も無い。
損得と善悪の両立。これこそが人生の意味だ。
間違っている悪より正しい善に従え
間違っている善より正しい悪に従え
一生minus
一生plus
捨てられたゴミはゴミの最終処分場に捨てられる。地球から出て行くことはない。
縁を切られた人間も死ぬまで地球に居る。
自然界を取る者は自然界によって滅びる
人間界を取る者は人間界によって滅びる
自然現象を支配できない者が自然現象に支配される。
死なない未練の中にある全ての未浄化霊を成仏させよ。
伏線は回収するか回収させられるかのどちらかしかない。 >>222
中卒無職脳障害の人生が詰んでる現実には何の関係もない 生物に対する貴方の無理解は、生物による貴方への無理解となって返って来るだろう。 人類に認められるに値しない者に限って人類に認められたがる。 人類を取る者は皆、人類によって滅びる。
生物を取る者は皆、生物によって滅びる。 善を取る者は皆、善によって滅びる。
悪を取る者は皆、悪によって滅びる。 今、生成AIで画像を初めて作ってみた。小さな画像でも
生成に割と時間がかかる感じかな。なかなか可愛い画像が作れた
プロンプトへの指示は英文で行うようにした。生成に割と時間が
かかるので、あまりやることはないだろう
https://i.imgur.com/djd6wqt.png
https://i.imgur.com/NrE1bC6.png 人に認められるに値しない者ほど人に認められたがるのは、自分が人に認められるに値しないと心のどこかで分かっているからこそそこから目を背ける為に死に物狂いで人に認められようとするのだろう。 >>235
それが低学歴が知りもしない哲学用語丸暗記して知ったかぶりする理由かwwmmwwww 生成AIが面白いのは、プロンプトに全く同じ指示文を入力・実行しても、生成される画像が全く異なることだ。だから、生成AIの出来不出来の大半はランダムな要素に委ねられている。
これは実人生の良いメタファーにもなっている。ガチャで大半の要素が決まるのが我々の人生だから 人生は偶発性に左右される要素が大きい。この間のタクシー横転死亡事故も亡くなった出光子会社の社長は、別の車に乗っていればまだ現役社長なのだ。刺殺されたタワマンキャバ嬢も同じで、客ガチャが悪かったとも言える。同じようなことやっていて無事なキャバ嬢も多いだろうから 哲学はこうした偶発性を看過することが多いので、この要素を考察していくことも実りあるのかもしれない。あまりにもガチャ要素の力が人生には大き過ぎるから。今ならガザやウクライナに生まれただけで大きな被害を被る 生きたいも死にたいも無くなるまでは、生きることも死ぬこともできない。 >>240
必然だろ
底辺タクシー運転手なんて生活習慣病抱えてて突然死する可能性が高い
専属運転手を雇わずにケチるから悪い >>244
へえええええ
怠け者の低学歴無職が他人にどうやって優しくするんだ?ん?
金もないのに? 愛さなければならないと考えるのではなく、愛してはならないと考えない。
許さなければならないと考えるのではなく、許してはならないと考えない。
人類を運命を共にする相手として選んだ。 一人殺害しても罪になるのに、ヘンリー王子はタリバン戦闘員25人殺しているのに無罪で王子である
この世界の本質は狂気である 今日、生成AI始めて2日目。抽出プロンプトという項目があったのだが、これは、
画像などを入力することで、その画像の特徴量をAIが分析してくれてタグ化して
くれるようだ。試しに、以下の画像を入力してみた。以下の画像が、抽出プロンプト
を得るための元画像
https://i.imgur.com/x2yTisZ.jpeg
すると、上記の画像の特徴量は、抽出プロンプトの解析により
long hair, multiple girls, skirt, blonde hair, black hair, 2girls, indoors, yuri, blurry, book, plaid, plaid skirt, realistic, bookshelf, library
となり、これをプロンプトして何枚か画像を生成させてみたが、割と気に入ったのだけ、
下記に示そう
https://i.imgur.com/fQ0M5mg.png
https://i.imgur.com/hdixISF.png
なかなか良い感じで、しかも昨日と違って割とすぐに生成AIが作成される。
生成速度が早いと、使う気にもなってくる 今後は生成AIに正しいアウトプットを効率的に出させるためAIとコミュニケーションする能力が求められるようになる 「モラベックのパラドックス」にあるように、人間にとって簡単なことがAIにとっては難しいので、
生成AIで代替されてしまうのは、知的な行動な職業やタスクであり、介護などの3K労働、
言い方は悪いが底辺職みたいなものはAIで代替されにくいというパラドクスが生じる。
よって、AIがそれらの代替により得た収入を再分配によって公平に均すのが、これから
AIに出来る使命の一つだと言えるかもしれない。 AIにとって難しい営為である言外を捉えることは「ポランニーのパラドクス」と呼ばれる
ものだが、哲学もこうした言語の外部を志向してみるのもいいのかもしれない。つまり、
これは脱・ウィトゲンシュタインの立ち位置になる。この「ポランニーのパラドクス」、
つまり暗黙知をAIは突破しつつあるようなので、哲学もそれに追随してみるのもいいだろう
そして、AIや生成AIはプラトンから続く哲学的な知の結晶である、とも言えるだろう スマホでもイラストの生成AIを作れるようなので、
今、一枚、作ってみた。なんかすぐに出来たし、
絵のクオリティ高めだから、絵師の仕事はこれから危うそう。
やはり、プロンプトから英単語で指示となる要素や特徴量を
入力する仕様は前のものと同じになる。
https://i.imgur.com/qBBKDAG.png >>252
哲学なんか一切使われてないよ
知ったかぶり丸出し 今度は、Googleの「Fooocus」という画像生成AIで画像を何枚か
作ってみた。最初の設定が、少しマニアックだけど、慣れると
簡単そう。これも割と画像がすぐに生成されて、かつ、
クオリティ高めなので絵師の仕事がなくなりそう。このシステムには
Python系のライブラリを沢山使っている雰囲気が感じられた。
https://i.imgur.com/kya0rBb.png
https://i.imgur.com/kz2V1y0.png >>253のスマホでの画像生成AIのアプリは、
「Niji・Journey」というのを使っている。
絵的にいいのが出来たので、これも貼っておこう。
20枚までは無料で画像を生成できるらしい。
こんなクオリティ高めのが簡単に出来てしまう
絵師泣かせの生成AI
https://i.imgur.com/dpoyvSk.png もし貴方が正しいなら、貴方の思い通りになる。
もし貴方が間違っているなら、貴方の思い通りにはならない。 人類に理解されることよりも人類を理解することの方がはるかに大事 貴方の思い通りになるわけでもない。
貴方の思い通りにならないわけでもない。 本質的でない多数派でいるより本質的な少数派でいろ。 「何々してはならない」ではなく「何々するとこうなる」
「何々しなければならない」ではなく「何々しないとこうなる」 自分に優しくするのも自分に厳しくするのもエゴ
他人に優しくするのも他人に厳しくするのもエゴ 偽善を偽善と見抜けない人の一生は厳しい
偽悪を偽悪と見抜けない人の一生は厳しい Googleの「Fooocus」っていう画像生成AIで画像を何枚か作ってみたんだ。最初の設定はちょっとマニアックだけど、慣れたら簡単そう。これも画像生成がサクサクで、しかもクオリティ高いから、絵師の仕事が減っちゃうかも?このシステム、Python系のライブラリをたくさん使ってるっぽいよね。 「モラベックのパラドックス」ってあるでしょ? 人間にとって簡単なことって、AIにとっては意外と難しいみたいなの。だから、AIに取って代わられやすいのは、頭を使う仕事とかタスクで、介護とか3Kみたいな、失礼な言い方だけど、底辺職って呼ばれるようなものは、AIで代替されにくいっていう、ちょっと皮肉な話よね。
だから、AIがそういう仕事を取って代わって稼いだお金を、みんなに公平に分け与えることこそ、これからのAIにできる使命の一つなんじゃないかな? 運命論とマルチバースはどのように折り合いをつけてますか? 悪が善に勝つのも弱肉強食
善が悪に勝つのも弱肉強食 悪が善を倒すのは、肉食獣が草食獣を倒すようなもの。
善が悪を倒すのは、草食獣が肉食獣を倒すようなもの。 「ガチャガチャ」、その言葉は、私たちの日常に
深く根付いていますね。元々は「ガチャガチャ」や
「ガチャポン」といった、硬貨を入れてレバーを回すこと
でカプセル入りのおもちゃが出てくる装置に由来する言葉でした。しかし、
今やスマホなどのソーシャルゲームに組み込まれたクジ引きの類いを
ことが一般的です。
「親ガチャ」という言葉は、子がどんな両親の下に生まれるかという運を表現しています。
たとえば、「親ガチャに外れた」という表現は、自分が貧乏な家庭に生まれ育ったことや、
親が虐待をする人間であったことなどを意味します。
確かに、私たちは自分の生みの親を選べなかった。しかし、いまの自分をかたちづくる
物事の大半は「ガチャ」を引いた結果と言えるでしょう。
実際、「顔ガチャ」という表現もネット上などではよく使われています。つまり、「イケメン」に生まれるか「ブサイク」に生まれるか、という運のことです。ほかにも、「体ガチャ」、「地元ガチャ」、「国ガチャ」、「時代ガチャ」……何でも言えそうですね。
人生は運か、努力か。どう考えるべきか、いつもの言葉を哲学してみるのも面白いかも
しれませんね。 家庭を持つ銀行員かなんかの職業の人で、真っ直ぐ帰宅せず、資格試験のための
勉強を仕事帰りにネットカフェでしていた人がいたのだが、運悪く、ある日、隣の席に
キチガイがいて、うるさいと因縁を付けられて刺殺されてしまった。
要するに、結果論だけで言えば、変な向学心を出さず、普通に真っ直ぐに帰宅して、
平凡に過ごしていれば良かったということになる。世の中の多くはガチャで決定
されているので、齷齪する意味はあまりないどころか逆効果にさえなりがちである。
大谷翔平は努力の結果でああなったのでではなく、遺伝子レベルでガチャが全く違い、
両親もアスリート、妻もアスリートという、すべてガチャの要素で形成された人生に
過ぎない。マイク・タイソンを見れば分かる通り、努力であの身体能力は決して手に
入らない
よく小中学生の馬鹿教師が大谷翔平を例に上げて頑張るように叱咤しているらしいが、
物の実相を全く把握していない馬鹿げた例を上げていると言える この観点は構造主義的な観点を当然含んでいる。つまり、主体は個人ではなく、
構造や環境、遺伝子などの無作為性の側にある、ということだ。これを簡潔に言うと
人生の全てはガチャによって半ば決定されている、ということになる。
よって、哲学するなら、このガチャの暴力的な構造や気儘さを考察してみるのもいいだろう。
宗教では、前世のカルマで現世の良し悪しが決まるという言い方もなされるが、
金正恩やプーチンは、前世で善良な人間だったから、あるいは、前世で何か大変有能で
あった、社会的に貢献したなどの理由で、現世で好き勝手出来る権力者の地位を得たのだろうか。逆に、ヘレン・ケラーは前世で極悪人だったので、重度障害者の人生を生きることになったのだろうか。
このように、普通の見方をすると、前世での振る舞いが現世に影響を与えているという宗教的
見方も、何か危うい迷信にも感じられるのだが、どうなのだろうか 過去現在未来は等価
過去=現在=未来
生きとし生けるもののquality of life 前世も来世も無いが現世は有るとは変だ。
あの世は無いがこの世は有るとは変だ。 physicalな部分だけ見てmentalな部分を不当に無視するのは金輪際やめろ
mentalな部分だけ見てphysicalな部分を不当に無視するのは金輪際やめろ 生きとし生けるものの為のrealism
生きとし生けるものを幸せにする為のrealism
地球を生き物の楽園にする為のrealism
この世界から不幸を無くす為のrealism 自然界に善悪など無い。
自然界は善因善果でも悪因悪果でもない。
自然界では正義が勝つとは限らない。 心は諸行無常だし諸法無我だから、心変わりに備えて発言と行動は慎重に。 地球に人間界など無く、自然界しか無い。人間界など犬界や猫界や鳥界や虫界や魚界のようなものだ。人間界などという妄想は捨て、地球には自然界しか無いという現実を直視しろ。 自然界は複雑系だ。それが理解できない人に成功は無い。 一個体の生物を一柱の神とし、生きとし生けるものを八百万の神として信仰する多神教を信仰する。 >>292
>義務を果たせる分だけしか権利は行使できない。
だから低学歴は低収入なんだって理解できた? 生物の一生は自業自得?自己責任?
無生物の一生は自業自得?自己責任? >>298
構ってアピール激し過ぎてキモい
ストーカーの女みたいw このメンヘラ女粘着質で相当気持ち悪いけどこれもし男だったら最悪だなw
一番女に嫌われるタイプ!www >>303
>>292
>義務を果たせる分だけしか権利は行使できない。
だから低学歴は低収入なんだって理解できた? 唯物論を敬して遠ざける。
唯物論は宇宙や意識が何故存在するのかについての説明が不十分である。
唯物論は世界中に信者を持つ世界最大の宗教の一つであるが、他の全ての宗教と同様に何より中二病っぽくて青臭く、大の大人が唯物論者を自称するのは子供っぽくてダメだ。 生前の為に死後を犠牲にしない
死後の為に生前を犠牲にしない 生前が大事なら死後も大事
死後が大事でないなら生前も大事でない それが正しいと思うならそうすればよろしいのではないでしょうか? 自然界に正しいも間違いも無い。
自然界に正解も不正解も無い。 >>306
>義務を果たせる分だけしか権利は行使できない。
だから低学歴は低収入なんだって理解できた? >>307
そもそも意識なんてもんはフロギストンとかカロリックと全く同じで
そんなものが存在する根拠は何一つない妄想
考える意味すら全く無い
明けの明星(フォスフォラス)と宵の明星(ヘスペラス)は過去には別の星だと思われていた
それらを別の星として考えることには何の証拠もない無意味な行為
意識はその逆
様々な全く無関係な物事を意識などという一つの単語で表すことに全く根拠がない
完全に無意味な妄想
科学とは程遠い
つまり意識は存在しない
明けの明星という星が存在しないのと同じように
カテゴリーエラー
当然ながら意識を語る論理学などというものは存在不可能
明けの明星を語る論理学が存在不可能なのと同じ
証拠がない妄想には何の価値もない
武器軟膏と意識が違うものに見えているなら
そいつは脳に重大な障害がある
そもそも意識なんてもんはフロギストンとかカロリックと全く同じで
そんなものが存在する根拠は何一つない妄想
考える意味すら全く無い
武器軟膏と意識が違うものに見えているなら
そいつは脳に重大な障害がある
全く無関係な別々の物事に一つの名前をつけること自体が頭悪い
何も便利ではなく害しかない
頭悪い脳障害がやってる感のためにそういう無意味な名前のでっち上げをしてるだけ
意識という一つの名前で呼べるような何かは存在しないのではないかというレベルの懐疑が出来ていない時点で論外
何の証拠もない無意味な妄想を肯定してる時点で脳に重大な障害がある
意識の謎なんてものはどこにもない
単にお前の頭が悪すぎるだけ 不幸そのものは真の不幸ではない。不幸耐性の欠如こそ真の不幸だ。 全ての出来事に意味が有るか?
全ての出来事に意味が無いか? 善も悪も性善説や性悪説で説明される通り人の生物としての本能に過ぎない。食欲や性欲と変わらない。生物学で完全に説明できる。徹頭徹尾自然科学の領域である。完全に理系分野だ。 科学の知識を得た上で我々一人ひとりがどのようにふるまうべきかということに関しては、理系分野でも満足いく答えは持ち合わせていないでしょう。
我々には個別の営みがあってそこから形成される社会的事実も少なくありません。我々が形づくる世界は理系の答えのみが正しいということはなく、常に人間それぞれのあり方が問い直されて正しさの意味が決定していきます。 >>321
中卒無職だから社会科学すら知らないのか 私自身ですらどうしようもない私の人生を他人がどうすることができよう。仏陀にもイエス・キリストにも天照皇大神にも預言者ムハンマドにも誰にもどうしようもない。
生物の犠牲の上に成り立つ人類の幸せなど黒人奴隷の犠牲の上に成り立つアメリカ南部白人の幸せと変わらない。
他責が悪なら他責禁止法でも制定すれば良い。それでも他責する奴は他責するだろうがな。
保身は不可能だ。諦めろ。
主体性を放棄することを主体的に行う時点で主体的だ。 >>322
女に一番嫌われるタイプと煽られて逆恨みかな?wまた来たねw
負けず嫌いなお子ちゃまって可愛いーーー!www
いじらしいねw >>324
中卒無職だから社会科学すら知らないのか
自殺しろ中卒無職(中卒と言っても不登校ニートで中学校の授業を受けてないお情け卒業証書だから知能が小学校低学年レベル)wwwwww なるほど皆に喧嘩売ってやっつけられてんのか!www
ウケんなマジw >>326
>>324
中卒無職だから社会科学すら知らないのか
自殺しろ中卒無職(中卒と言っても不登校ニートで中学校の授業を受けてないお情け卒業証書だから知能が小学校低学年レベル)wwwwww 幸せになりたいという煩悩を捨てよ
人を幸せにしたいという煩悩を捨てよ
不幸になりたくないという煩悩を捨てよ
人を不幸にしたくないという煩悩を捨てよ スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)
アルボムッレ・スマナサーラ長老の言葉
生きるということが一つの試験だとしましょう
それで色々質問が出てくるんですね
質問が難しくなってきたところで試験放棄して逃げることはかっこいいですかね?
わからないから試験を放棄して受けませんと
あまりカッコよくないね
難しい問題もあるんだけれど簡単に答えられる問題もあるし
人生が終わるまで次から次へと色々な問題に答えていけばいいでじょう
答え決してすべて正解にはなりません
間違った答えもあるし真面目に答えたのに正解ではない場合もあるし
人生ってそういうものなんです
それを理解していないんだから
だから自殺を決めちゃうんです
そういう頭が極端に悪い運中は
生きることはずっと
死ぬまでの試験ですからね
嫌でしょうにね誰だって
そんな毎日問題があって
毎日なにか解決したら次の問題がある
それが人主です
自殺することは答えじゃないんです
そしたら人類いっぺんに自殺したほうがいいでしょう? どこまで貴方の自己責任?貴方は自分でどこまでできる? >>334
君はどこなの?早稲田の俺より上ということは最低限国公立大学だろうけど。 国際的に通用しない倫理観の持ち主は国際社会人とは言えない >>336
そもそも学士な時点でねwww
最低でも博士じゃなきゃダメだし
学部も早稲田じゃ論外mmmmww 宗教の否定も一つの宗教
倫理道徳の否定も一つの倫理道徳 合理的でなければ倫理的でない。損得を無視するのは善悪を無視することになる。
倫理的でなければ合理的でない。善悪を無視するのは損得を無視することになる。 賢者は人に嫌われることをせず人に好かれることをする
愚者は人に好かれることをせず人に嫌われることをする 今日悪行をする人は一生悪行をする人である。
今日善行をしない人は一生善行をしない人である。 幸不幸が全てだ。正解不正解など宗教戦争に過ぎない。 神は我々次第である。神の達成は、我々を通してなされるのだ。
アンドレ・ジッド 人類を大事にするなら生きとし生けるものを大事にしろ
生きとし生けるものを大事にしないなら人類を大事にするな
神は人に精神的救済を与えるだけで現実的救済は与えない。そして、精神的救済も一種の現実的救済である。よって神は人に精神的救済さえも与えない。
自己犠牲はしないと叩かれるから弱者が渋々行う偽善に過ぎない。 法律は暴力を以って暴力を制する。
麻原彰晃だけが犯罪者ではない。坂本龍馬だって犯罪者だ。犯罪者は全員同じだと言う人は坂本龍馬は麻原彰晃と同じだと言うのか?
連合国の戦争犯罪は全て合法だ。合法だから連合国の指導者は善人なのか?
坂本龍馬やネルソン・マンデラやキング牧師の革命運動は犯罪だ。犯罪だから坂本龍馬やネルソン・マンデラやキング牧師は悪人なのか? 碌な生き方をしなければ碌な死に方をしない。
碌な過去が無ければ碌な未来が無い。
地球で通用する倫理観の持ち主だけが地球人だ。地球で通用しない倫理観の持ち主は地球人ではない。 皆を不幸にする決断をするか?生きとし生けるものを不幸にするか?
皆を幸せにする決断をするか?生きとし生けるものを幸せにするか? 強い善と弱い悪の対立なら誰もが迷わず強い善を選べる。しかし、弱い善と強い悪の対立なら誰もが迷わず弱い善を選べるだろうか? 同じくらいの極楽浄土の幸せなら迷うだろう
同じくらいの無間地獄の不幸なら迷うだろう 意見の違いは信仰の違いだ。意見の違いを認められない人は信仰の違いを認められない人だ。 人は自由意志で何とかできることの中でしか最善を尽くすことはできない。 善だと知りながらしないのは罪
悪だと知りながらするのは罪 人の一生に意味が有るなら生物の一生にも意味が有る
生物の一生に意味が無いなら人の一生にも意味が無い 大人の倫理観は現実世界を嫌わない
子供の倫理観は現実世界を好まない 大人の倫理観は現実世界を嫌わない
小人の倫理観は現実世界を好まない それなりに長年生きてきたのに、いまさらながらにゆで卵の最適な作り方を誤解していたことに気づいた。
卵を茹でるとき、ガス代の節約のために湯が沸騰すると、その時点で火を消して、その後、放置する時間を適切に計れば、それでいいのだと思い込んでいた。
確かにそれでもそれなりのゆで卵はできる。でも、もっといいのは、沸騰する直前に火を消して放置することだった。 ん?日本国版🇯🇵Jリベみたいなもんか? Jアラート】国民保護に関する情報 [夜のけいちゃん★] 全部前100次100最新50 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。 0001夜のけいちゃん ★ 垢版 | 大砲 2024/05/27(月) 22:49:50.77ID:B+wUwTKu9 【発表時間】 2024年05月27日 22時46分 政府発表 【内容】 ミサイル発射。ミサイル発射。北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中、又は地下に避難して下さい。 【対象地域】 沖縄県 この書き込みは、起死回生の一手だーーーーーーーーーーーーー なあ哲学書をよもうとしている初心者なんだが、だれから読めばいいかわからんのよね >>372
いかにして哲学は100年前に滅亡したか
1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。
2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。
3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。
4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。
5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。 >>372
6.哲学の滅亡(1930年代~現在)
1930年代以降、哲学は完全に滅亡したと言えます。ウィトゲンシュタインやゲーデルの業績により、哲学が論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想に過ぎないことが明らかになったからです。
20世紀後半以降、かつて哲学の中心的な分野とされていた形而上学や認識論は、ほとんど顧みられることがなくなりました。科学哲学や言語哲学といった分野は、あたかも科学と関連があるかのように見せかけて生き残りを図ろうとしていますが、実証性が皆無であるためそのような試みは破綻しています。
また、倫理学や政治哲学といった実践的な分野も、哲学の立場から行おうとする試みは実証性に欠けるため、科学の方法のみを用いなければなりません。
利己的な遺伝子の概念を用いれば、人間の道徳的行動の進化を科学的に説明することができます。メカニズムデザインの理論を応用すれば、政策立案を科学的に行うことが可能です。行動経済学の知見を活かせば、個人のモラルを考慮に入れた社会制度の科学的な設計もできるでしょう。
さらに、脳科学やAIの発展により、個人の思考を精緻にモデル化したり、利己的な遺伝子によって形成された生得的なモラルの神経基盤を科学的に解明することも可能になりつつあります。このように、科学の進歩によって、かつて哲学が独占していた道徳の領域も、科学の対象となったのです。
哲学者を自称する者たちは、このような科学の発展を無視し、哲学の固有の領域があると主張していますが、それは単なる言い訳に過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学が科学と対等に渡り合えるような固有の領域を持っているとは到底思えません。 >>372
7.結論
以上のように、哲学は20世紀初頭の論理学の革命によって致命的な打撃を受け、1930年代までには完全に滅亡したと言えます。哲学の中心的な分野は、論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想であることが明らかになり、哲学は科学の補助的な役割にすら甘んじられなくなりました。
現代において哲学に固有の役割はなく、哲学者と呼ばれる者たちは、科学の成果を借用しているに過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学の看板を掲げる意味はありません。道徳や政策、社会制度の設計といった、かつて哲学が独占していた領域も、今や科学の対象となっています。哲学者たちが自ら哲学の看板を下ろさないのは、虚栄心やエゴのためでしょう。
ウィトゲンシュタインが言ったように、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」のです。哲学という名の知的遊戯に、これ以上付き合う必要はありません。私たちが追求すべきは、論理学と科学に基づく真の知識のみです。実証性のない哲学的思弁は、過去の遺物となるべき運命にあるのです。
哲学は仮定からその仮定の正しさを導けるというゲーデル不完全性定理に反する妄想なので、必ず論理の詐欺をやっています。その詐欺のパターンの王道は、ラッセルのパラドックスを使って矛盾ではないものを矛盾だと言い張ることです。それにより「矛盾する=矛盾しない」という爆発律が成立し、その後はどんな無意味な妄想も正当化できるようになります。これが哲学の正体なのです。 >>372
哲学の詐欺スキーム
1.ラッセルのパラドックスを作り出してそれを矛盾としてしまうため本来は矛盾ではないものを矛盾と仮定するので爆発律が成立してどんな妄想でも正当化できるようになる
2.人や立場によって指す内容が異なる概念に同じ記号を与えて抽象化のプロセスを継承しないでカットすると同一の記号が異なる複数のものを指してしまうので「異なるものが同じである」という矛盾が仮定されるので爆発律が成立してどんな妄想でも正当化できるようになる
これら2つを回避しただけではダメ
それだけだとただの精緻なラノベ
実証してなければ意味ない
そしてそれを実証した場合それを科学と呼ぶ
つまり哲学が助かる方法は原理的に存在し得ないwwwwww
ざんねんwwwwwwwmmmww