ELP エマーソン・レイク&パーマー Part21 [無断転載禁止]©2ch.net
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日本語訳出ることを期待して、とりあえずKin○le版を購入。
細かいニュアンスまでわからないけど、最後の方にキースの事について
予想よりもページをとって書いていた。(前の方はまだ読んでない)
追悼コメントでも言っていた心の病についても細かく語っているみたい。
これから辞書引きながらちまちま読んでみる。 >>373
再結成で来日した際
自分のソロアルバムの邦題がゲイリームーアとの連名になってることに激怒し
責任者をさがしてるんだって語ってたのが印象深い >>375
あれにはファンも怒った。
ゲイリーは好きだが売らん哉とはいえ失礼千万だわな。
帯に名前を入れるとかで十分だったろうに。 あれはほんとムカついたよな。エコノミックアニマル丸出し。売る為なら何でもありって感じ。
あの頃、ムーアは日本での人気や知名度高かったのはわかるけど、ムーアも犠牲者だ。 そのおかげでルカサーのプレイもゲイリーだと思ってる人が今でもけっこういる >>375
グレッグてソロ何枚か出してるんだっけと思ってWiki見てみたら
ソロアルバム載ってないよ
だれか書いてあげてw Corridors of Power〜Victims of the Futureあたりかな人気出たのは
レイクのソロの翌年あたりか
まあそれまでもシン・リジィとかコロシアムUとかコージーのソロ聴いてたやつはいただろうけど 当時の日本でのグレッグと比べてどうっつう意味だったが
シンリジィやコージーからの新しい顧客開拓ってことかね オリビア・ニュートン・ジョンがクリフ・リチャードのバックコーラスをしているだけのライブ・アルバムを
「クリス・ウイズ・オリビア・ニュートン・ジョン」名義で出す国だからな 当時はメタルブーム。ゲイリーはハードロック系だけど、速弾きとルックスが
メタルファンにも受けてギター専門誌の表紙をよく飾る人気ギタリスだった。
まあ正確に言うとあのアルバムの頃はゲイリーも少し人気が落ちた頃だったけど。
当時プログレはどん底でレイクの名前を知ってるのは過去のELPファンぐらいだったから、
ギターファン向けに絶大な知名度があるゲイリーの存在を打ち出したかったのは
わかったけど、それでもやっぱ失礼だと思ったな。
一般音楽ファンの知名度となれば二人とも似たようなものだったかもしれないが。 ゲーリーは速弾きじゃないし、ルックスが受けていたわけでもないし… いや、インギーあたりが出てくるまでは早弾きで通ってたと思うけど、グレッグと組むまで既にグレッグよりメジャーな存在だったとはしらなんだ。 ムーアはハッキリ言ってブサイクだったがあの当時レイクよりロック界での知名度は上だったはず
レコード評などはムーアやルカサーが参加してることばかりアピールしてた そもそもグレッグがゲイリーを呼んだ理由が速く弾けるギタリストが欲しかったからだし
で、いざ呼んでみたらその風貌を見て「こいつパンクじゃないのか?ヤバイ奴呼んじまった!」と思ったとか レイクの1stソロはウェットン/マンザネラやヒューズ/スロールと並べて聴くと感慨深い発見があるかもしれない(多分) レイクのソロ1stは、当時のライブや2ndと一緒に聞くのをお薦めします
特にライブでのソロ曲の出来は、スタジオ盤よりずっと良いと思います
あくまでも個人的な見解ですけど・・ いやゲイリーが表紙飾ったり速弾きブーム来たのは84年前後でしょ
グレッグソロの前年のG-Forceとか日本盤も出なかったくらいだしそんな知られてもなかったよ ゲイリーが日本でブレイクしたのは>>383も書いてるCorridors of Powerの発売と
それに伴う初来日公演が実現した82年から83年初頭にかけてだね
来日公演はチケットが数日で完売になって追加公演も組まれたくらいの盛り上がりだったよ
もっともHR/HM界隈ではシン・リジィの名作Black Roseでの哀愁感タップリの素晴らしいプレイや
初ソロアルバムBack on the Streetsの出来の良さから名前はけっこう浸透していたし
当時日本盤が出なかったG-Forceは輸入盤店でベストセラーになったほどだったよ 自分はレイクがソロアルバムを出していたのを知ったのは、西新宿でキングビスケットのブートライブを入手して
80年代の最後か90年代に入ってすぐだったと思う
その後1stを中古輸入盤LPで入手し、かなり後で日本盤CDが発売となりゲット、2ndも中古輸入盤LPでゲットしました
発売当初から1stの存在を日本で知っていた人なんて、一部のマニアだけの気がする 発売当時ラジオで結構ニュークリアアタックかけてたんよ 知らんかった
でも、当時の洋楽番組なんてラジオでも限られてたよね
特にプログレ関連の曲をかける番組なんて
ゲーリー絡みでかかっていたのかな?
伊藤某とかの番組で
だったら当時耳にしなかったのも頷ける >>397
渋谷陽一の番組でレイクのソロを紹介してたのでそれを聴いて買った
80年前後だったらNHK-FMの「軽音楽をあなたに」や「クロスオーバーイレブン」がプログレオンエア率が高かった >>398
どうも
渋谷陽一の番組はほぼ聞いていたが、聞き逃したんだな
「軽音楽をあなたに」は聴ける時間帯ではなかったし、余程のことがなければエアチェックまでしてなかった
「クロスオーバーイレブン」は極たまに聴く程度だった 変なコアな番組じゃなく普通にかけてた記憶
アルド・ノヴァとかイエス加入前のトレバー・ラビンとかも夕方のラジオでかかってたw fenで後のキングビスケットcd相当を丸々かけてたぞ
CD出るまでそれ録って奴聴きまくってた >>387
ゲイリーの奏法は当時ギターファンの間ではマシンガン奏法と呼ばれて
ネオクラ以前は速弾きギタリストを代表する一人だった。ブルースに傾倒するのはずっと後。
ルックスは当時いつも鋲付き革ジャンにピチミチパンツのちょっと変なスタイルに、
あの苦しそうな表情と頬の傷が他のギタリストには無い個性で熱狂的なファンが多かった。
ちなみにもっと古い時代には、リッチーのハイウェイスターのソロが超速弾きって言われてたぐらい。
実際は簡単なんで今では誰でも弾けるけど。そういう時代があったわけ。 Colosseum II でゲイリー知ったおいらみたいのは少数派なのかな
Strange New Flesh 聞いて 格好いいフレーズ弾く人だなと思ったっけ
歌は下手だったけどw >>403
ゲイリーが歌いだす前の速弾きギタリスト期を知ってる人はそのへんが普通だと思うよ。
ボーカルやり出した時はびっくりしたな。もうギタリストで十分名が売れてからだったし、
本人も最初は自分の声が好きじゃなかったって言ってたし。
それがその後ボーカル曲で大ヒット出して、レイクも確かコーラスで入ってくる
タイミングが最高ってインタビューで言ってた。 ゲイリーの知名度うんぬんより、単にグレッグの歌物AORアルバムと思われたくなかったんだろうさ
ELPはプレイヤー人気も高いから 大貫憲章が自分の番組でレイクのNuclear Attackをかける前に
「何でこの人が今こんなことをやるのでしょうか?」と言っていた >>405
そんなラジオでかかれば一発でバレるようなことはしないよ。
完全にゲイリーにあやかる商法だった。それにELPのプレイヤー人気はキースのキーボードが大半で、
残りがグレッグの歌。残念ながらグレッグのベースでもギターでもない。
だからELPファンもグレッグの歌さえ聞ければそれでよかった。だがそれじゃ数が出ない。
実際プログレって言葉すら知らないロックファンがゲイリームーア目当てで買ってた。
そんでギターソロが少ないとかぶつぶつ言ってた(_ _;)。 そうそれと、ゲイリーが入ることはプログレファンには逆効果な面があった。
当時のプログレファンにはハードロックやメタルと一緒にされるのを嫌がる人が結構多かったから。
だからそっちの色のあるゲイリーの名前を入れるのは、プログレファン向けには得策じゃないのに
あえて入れたのは、やっぱりゲイリー目当てのギターファンにも買ってもらいたかったか、
そうしないと会社の会議を通らなかったからかだと思う。
あの極端なプログレ低迷期ではELPの名前を知ってる人すら少なくて、グレッグの知名度はとても低かった。
本人の名前だけだったら、そもそも日本盤をリリースできたかは個人的にかなり疑問。 プログレの言葉も知らない層がコロシアムIIってのはどうも釈然としないな
いかな超低迷期とは言え、輸入盤のベストセラー程度と「展覧会のELP」の
ポピュラリティは次元が違ったよ
まぁ、グレッグのソロってだけじゃ売れないってのは分かるがね 下手すりゃジャンル:ムード歌謡にされても文句いえないもんな 個人的にはレイクソロで初めて知った。
その後当然のようにハードロック界で一定の地位に上り詰めたという印象。
大分たってコロシアム2を聴いて元々「できる人」だと知ったw ゲイリーはグレッグとの活動で、当時のグレッグがヘヴィーメタルをやりたがっていたと言っていた。
そしてそのわりには、グレッグはヘヴィーメタルの分析ばかりしてるとさ。なんか意外な気がしたね。
あとゲイリーはエイジアに参加したグレッグの活躍を実に見事だと賛美してた。メタルに向いてないってことか。
でも、EL&Powelの「タッチアンドゴー」って曲でのグレッグのヴォーカルはなんかメタルっぽいぞ。 当時は、皆、プログレの呪縛からのがれたかったんだと思う
きっと、どこの大手レコード会社もプログレでは相手にしてくれなかったんだろう
その後のプログレ復活は、当時誰も予想できなかったと思うよ ギルモアフロイドや3人ジェネシス、エイジア、90125イエス、モラーツ入りムーディーズ等々
ポップ化したプログレとしてなら間違いなく復活した 過去のアルバムのボックスセット化やリマスター盤等の積極的販売は売れてるからでしょ
80年代はプログレのアルバムで入手困難なものが多数あったよ
日本を含めて、現在のミュージシャン達も過去のプログレ様式を積極的に取り入れているしね スティーブ・ハケットなんか、昔はソロアルバムなんかほとんど売ってなかったのに、今は簡単に手に入る
大御所として今や不動の地位を築き、昔のジェネシス曲をふんだんに披露するライブも各地で盛況
昔はお金なくて、ライブ盤は無修正のまま発表したと聞いたことがある >>416
ああ、そっちは夢にも思わなかった。(トクニエイジアハ蚊帳の外)
90年代以降の再評価のことかと思ってた プロッグだけでフェスティバルもできるし、進化型の後継も生まれて十分復活したでしょ。
ていうか80年前後の暗黒期を知ってると今の音楽マスコミでの扱いの良さは信じられないぐらい。
>>409
コロシアムIIを直接聞くってよりは、そのころの活動のおかげでその後も結構長く
ギター専門誌でかなり持てはやされていたんで、他のジャンルが好きな人でも、
凄いギタリストって皆が思ってた感じ。
もちろんギター小僧限定の人気だったんだけど、それでも数は当時の元ELPファンよりははるかに多かった。 80年前後はプログレ暗黒期だったね。生き残りの苦肉の策がエイジア路線だったんだろう。
でも、それで大成功したんだから、あのオリジナルメンバーの4人はたいしたもんだ。
「ラブビーチ」のA面なんか、エイジア路線の萌芽を感じるね。パーマーは傑物なんだよ。
プログレ受難の時代に、ポップ路線の衣を着ながらもプログレの命脈を保ったんだから。 >>421
パーマーにも一枚で終わったPMがある。
ウェットンにはUK、ダウンズはポップそのもののバグルス。
メンバーそれぞれにプログレ以降ASIA前の試みがあるけど、
ハウだけそれらしいものが無い。プログレの命脈を保ったというならハウだと思う。 ロンリーハートやアバカブにはプログレを感じるけどエイジアはなあ
単にヘタなトトジャーニー亜流 >>42
トーマトはハウを含むイエス流プログレ軌道修正アルバムでしょ
エイジアも当初はハウとウェットンが中心で誕生したんだし・・・
いちおうエイジア後だけどGTRにも参加してるし
ハウの癖のあるギターがプログレ色を一番感じさせてくれる事に異論はないけど ダウンズがプロデュースだからポップになったのではなく
ポップにしたいからダウンズにプロデュースをさせた ダウンズは元凶だな。
まあ少なくともスレチなのは確かw エイジア、ジェフ・ダウンズのワードにだけ脊髄反射するキチガイこそどうでもいい >>430
誰かを悪者にしないと納得できないんだよ。
プログレアーティストと言われた人たちが、自分がプログレと思わないことを
望んでやったとは信じたくないから誰かのせいにしたい。
そうするとプログレ出身じゃないダウンズがうってつけなんで、
何でもダウンズのせいにする、ただの言いがかり。 能力のなさ的な状況証拠は充分だけどな。
同じポップでもジェネシスイエスとは大違いなのは、まあ3/1はドラムに原因があるような気がするがアレンジが詰まらないのは… レイクとのride the tigerもあるからスレチってわけでもないだろ 僅か数ヶ月間とはいえレイクはエイジアのメンバーだったのは事実だし >>427
マイク・ストーンだとポップにならなかったんか? >>429
>>430
>>431
おれが>>428で、どうでもいいと言ったのはダウンズの事ではない。
ポップになった理由が
ダウンズだからポップになったのか、
ポップにしたいからダウンズに任せたのか、
とかの区別がそんなに重要なのかな?どうでもいいじゃんねえって思って。
ダウンズのプロデュースはエイジア・ファンへの販促用の話題性も兼ねてると思う。
因みに>>437は俺ではない エイジアとかGTRとか自体どうでもいい
ってかGTRに至ってはそんなんあるらしいと噂に聞く程度で期待もせず全く通ってきてねぇw カールは1980年代にエイジアが大成功してた頃、インタビューでビートルズみたいな音楽も理想だったからエイジアやれて良かったと発言してたよ。
たぶん、ウェットンが当時、プログレなら長い曲という既成概念にうんざりしてたのに共感できてたんだな。ハウはそこらへん違ってたんじゃないか。
せめてイエスの「ドラマ」のマシーン・メシアくらいの長さの曲は制作したかったんじゃないの。 大失敗に終わったラヴ・ビーチを作った78年前後ってボストン、カンサス、スティクス等の
プログレのエッセンスを取り入れたアメリカンロックがチャートを席捲していた時期だから
4年ほど遅れはしたけどそれらのバンドを超える成功を収めることが出来てカールもしてやったりだったろう >>441
それじゃなんにも反省も進化もしていないw
直近での商業的失敗をわざわざ繰り返すかな?
少々長い曲やりたかったらGTRでも出来たはず >>441
ハウはASIA来日前のインタビューで一枚目は全体のバランスを考えて苦労したと言っていた。
主にギターをセーブしたって意味なんだけど、ハウは年長でメンバー中最も成功していた人
なんでその時期に自分たちに求められているものをよくわかっていた。
その点ではポップにこだわりすぎてシンプルなロックにしたがったウェットンより現実をよく見ていたと思う。
これはハウが抜けた3枚目の結果を見れば明らか。 そう思うなら皆がついてきそうなEL&Pの話題を振るがよろし >>445
残念ながらELPは案外語る事がないんだな、変な勘違いかメンバーの確執とか下世話な話ばっかになっちゃうし。
もしネタがなければ、たとえばカールのドラミングの変化でも語ればよいんでないかい?
当たり前だけどELP以後は音数が減ってくじゃない。あ、これも結局ASIAになっちゃうかw。 何説教がましく語ってるんだか。
あの糞バンドなら専用スレがあるじゃないか。
巣に戻れ ハウは最初ELPに誘われてたから全然スレチってわけでもないぞ。 >>452
そりゃそうだけどさ、メンバーだって同じぐらいネタ切れなのでは?
だからスレが進まない。 話の流れで脱線してしまったので荒らしではないと思う。 >>454
いやだからハウがELPに誘われたという話以上に何かあるの?無いでしょ
解散後ASIAうんぬんはASIAの話なんだからASIAのスレでやればいい
あと別にスレを無理に進める必要もない ハウはナイスの時に候補に上がっただけだよ。誘われたのはスクワイアの方。ただしこれが丁重に辞退してるんだよね。
ベース弾きながらリード・ヴォーカルやるのは自信がないってのがその理由。エマーソンは当時のナイスに不満状態。
ハウのギターとスクワイアのベースを彼が評価してたのは確かだ。でもEL&Pの時に候補に上がったのはジミヘンのはず。
これはエマーソンとレイクの構想としてあった話だよ。だからその時はハウは蚊帳の外。 ちょい前にレイクとムーアの話題になったけどレイクって正規のスタジオ・ソロ作って僅か2枚しか作ってないんだな
それも一時期に録音したものを分売したようなものだから本当に少ない
ソロ、バンド(UK、エイジア)、ダウンズとのユニット(ICON)、数々のゲストセッション等々
多岐に渡る作品を残してくれたウェットンとは対照的だ
キースに言わせると曲を作るのにとにかく時間がかかるとのことだけど
それならあれだけの美声を持っていたのだからアレンジに凝ったカバーアルバムを作って欲しかった
企画する人がいなかったのかコンポーザーとしてのプライドが許さなかったのか聴けなかったのは残念だ レイクは意外と自己評価に厳しい人だったらしい。名作の「ラッキーマン」は中学生の頃の作品って話。
とるにたらない曲だと思って、ずっと自分の中でお蔵入りしてたそうだ。だからキースの言い分はわかる。
自己完結状態で、チョコチョコ直したり、ボツにしたりして、作曲作業が遅れてしまうんだろう。 >>458
俺が昔聞いたのはナイスの頃からハウには目を付けていて、ELPを構想してるときに誘ったけどYes加入が決まってポシャッたって話。
キースはハウをものすごく高く評価していたんで、ハウと組めないんならギターいらないわってことになってトリオになったと聞いた。
それにジミヘンと組みたがっていたのはレイク。レイクがジミヘンとキースのどっちと組むかで迷ってたときに、
キースに「君がシンセサイザーを使わないなら俺はジミヘンと組むよ。」って迫ったのが正解だったはず。
どっちにしてもキースは最初はナイスのメンバーを上手い奴に入れ替えたようなバンドを考えていたみたいで、
シンセサイザーにも積極的ではなかった。そういう意味ではハウとレイクがELPを生んだとこじ付けられなくもない。
ほれ、立派にELPの話でしょ。 う〜ん、カールとブライアンとどっちが上手いかなぁ…
レイクの言うとおり、カールはパーカッシブなドラマーなのかもしれないけど >>461
> ナイスの頃からハウには目を付けていて
> ELPを構想してるときに誘ったけどYes加入が決まってポシャッたって話
ナイスのデヴィッド・オリストが脱退後、オーディションを開いた。
その時、最初に来たのがハウ師匠。意気投合しハウ師匠もノリ気だったが
翌日の晩「自分のバンドを作ろうと思うので」とハウ師匠から断りの電話。
「スティーヴが参加しないなら、もうギタリストはいらない」とエマーソン師匠。
それでナイスの次の作品はトリオ編成になった。
ソース:【Keith Emerson Interviews】リットー・ミュージック(57ページ) >>461
> シンセサイザーにも積極的ではなかった。
1969年のナイスのコンサートでマンフレッド・マンの
マイク・ヴィカースが所有していたのを借りて使って以来Moogシンセにとりつかれた。
それでELP結成時になんとしてもゲットしなければと
マネージメントに「Moogシンセが欲しいんだが?」と。
ソース:【Keith Emerson Interviews】リットー・ミュージック89ページ
エマーソン師匠によればこんな感じだが。 そしてイエスのリック初回脱退時にはこんどはキースがイエスに誘われた。
実現は有り得なかっただろうがどういう和声的アプローチをしたか興味深い。
同時にロッドアージェントも誘われたみたいで、この人もどっちかっつーとキースタイプだから面白い グレッグの「Lucky Man」には
ジミと組みたいけれど、まずドラムを探さないとね
ドラムの候補にミッチ・ミッチェル浮上
グレッグ、ミッチに電話をして会うことに
ミッチ、待ち合わせの場所にロードマネージャーを同伴
ロードマネージャー、所持している拳銃をテーブルの上に置く
グレッグ、目が点(えっ、何それ?どういうこと?)
ミッチ、「大丈夫。今度ジミも交えてセッションしようや」
グレッグ、(´-`).。oO(過激な行動をとりがちなミュージシャン達が集まってバンド組んだら、収集つかなくなるだろうな…
ミッチ、候補から外れる
ジミとのセッションは実現しないまま、ジミヘン死亡
みたいなことが書かれていたっぽい。
貧乏な英語力でスマソ。 おお、なんか具体的なことがいろいろ出てきて
どれがどこまで信用できるかわからんけどうれしい。
ありがとう。
特に
>シンセサイザーにも積極的ではなかった。
ってのは昔は常識的に言われてたけど実際はそうでもないのかもね。 シンコーミュージックから出てた
衝撃のロック・トリオ伝には、
グレッグがキースに「シンセ買わないんだったらジミと組む」って言ったって書いてあったな
シンセはキース・エマーソンが使い始めて広まったみたいな事が言われてるけど
実際にはもっと前から使われていたんだけど、
グレッグはなにを聞いてシンセに興味持ったんだろうと思う ジミはマイルスとバンド組んで、ポール・マッカートニーにベースで入れと電報を打ったそう。
ちなみにドラムスはトニー・ウィリアムス。
電報は現在、チェコのプラハにあるハード・ロック・カフェに展示されているという。
https://rockinon.com/news/detail/82136
この話をELPにつなげる役目は頼んだ>>473 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています