人には信念(性格)というものがありますよね。

ここでいう信念とは、その人が先天的もしくは幼少期までに身についた(先天的な段階で決定済?)生き方を決定づける概ね個人特有のモノであり、自分でそれをわかっている場合やわからない場合があります。
※親や親しい人からこういう性格だよね、と指摘されることあり。例えば>>1の信念は、「人間は個性的に生きてこそ意味がある」
などです。他にもそんな感じのものがいろいろありますが。この信念こそが人の人生を左右するものであり、これは個人にとって辛く大きな事件(配偶者の死など)などを
乗り越える際に変わってしまうこともあります。

私事ですが家には心配性な祖父がいます。
祖父は戦後まもなくに生まれたためか、「人は真面目に生きなさい。そうすればきっと良いことがある」
というような考えのもと一人っ子として厳しく育てられた経緯があり、
その甲斐があってか、有名大学に合格したり、(結局お金が無かったため入学はせず)
公務員になったりしましたが、その分非常に頑固であり、やたらと心配性・ネガティブです。
今では80近い祖父ですが、家族に日々の不満ばかり言って誰もよい気分がしません。

確かに、あまり自分の幼い頃からの信念(ものの捉え方)を変えてしまっては没個性的であり、人間の存在価値すら
脅かしかねない事態になってしまいます。更には、信念の過度な他人への押しつけ・対立こそが
物事の問題の原因だと感じています。
しかし、祖父にもう少し家族の雰囲気を悪くすることは慎んでほしいとも
思ってしまいます。

よって世の中の事件・紛争の解決や、各個人のよりよい生き方のためには
どれくらい人は信念を変えなければいけないと思いますか?

長文スマソ。。