人生が恥ずかしい [無断転載禁止]©2ch.net
板違うかもしれないけど生きるのが恥ずかしい
何をするのも恥ずかしい
心理学の人教えて こういうことを続けることに嫌気がさした。大体のことはやった。
ただ、俺がただの統失の引きこもりに過ぎないということ、それに良い様に遊ばれていたに過ぎないということ。
後は自分の好きなように進んでくれ。 続けるか。
無駄を削ぎ落そうとしないこと。急がば回れと言う言葉もあるが、人生はそれをなくしたら何も残らない。
相手と呼吸を合わせるゆとりがあれば見えてくるものもあるだろう。
常に全力を意識せず、2割方の力を残しておくこと。厳しい局面だからこそあえて。退路をふさがないこと。 訂正
力を残す→気持ちを残す
全力を尽くすにせよ気持ちを入れすぎないこと たまに俺は本当に生身の人間なんだろうかと思わないでもない。
分からないし、分かったところでどうなるものでもない。
今のネット漬けの生活の縛りから抜け出し、現実にとび込むことができる時がくれば、
自ずと明らかになるだろう。 なにも分かってはいない。分かったふりをしているだけだ。
そうと分かりつつも前に進むしかない。
前に進もう。 結局そういうこっちゃな。大層なこっちゃないねん。
あーめんどくさ。なにもかもめんどくさいわ。 勉強しすぎると羞恥心という日本に独特の文化を解脱できる様ですね。 もうすこし気楽にいってもいいんじゃないかな。あまり前のめりに生きてもしょうがないですよ。
色んなことがあります。 自分の心を守ろうとだけはすんなよ。
負ければ心は痛いし勝てばうれしい。
ここをごまかす人間はどんなに成功しても人としては失敗作。 ま、あんまり深く考え込まんこっちゃな。
大した生きもんやないで。 張りつめた心を緩ませること。目的に遊びを持たせること。 後は自分の攻撃性と向き合うだけ。肝心な時にそれを出せるかどうか。
簡単なことではないよ。 自分の力の及ぶ限りは決して投げ出さないこと。
及ばない事態には前向きに受け入れ、無駄に力まないこと。 人間は基本的に身の丈を超えた生き方はできないが、
時には一か八かの博打をしてしまう生き物だということは押さえておく必要がある。
自分の感情に嘘はつけないということ。 知らず知らず細かなことに捉われて生きている心の縛りを解きほぐすこと。
余裕がある範囲で日々の生活のリズムから足を抜いてみるのも一つの選択肢。 最後は自分は自分、人は人。共感も温情もこのラインを明確に。 目的を追求しすぎない。心に遊びを持たせてバランス感覚を整える。 どーなんやろ。ほんまにこれでええんやろか。よー分からん。
まあ大崩れさえせえへんかったらそれでええわ。 そういうもんなんだからしょうがない。
多分こういうことを延々と続けていくんだと思うよ。 それがなかったらもはや人とは言えん。人間は間違うもの。 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 予定調和っすなあ。
気持ちに揺らぎやムラ、それとの葛藤が全くないのは人として信用できん。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 人間には無限の可能性が眠っていると言った世迷い事を信じる程能天気ではない。
そんなものを心の支えにしなければ成り立たないモチベーションなどろくなもんじゃない。
まあそんなことを本気で信じ込んでいるのは一部の勝ち組だけだろうが、
なんとなくそういうものとして受け入れることで、容易く人生に絶望する凡人を量産しているのも事実。 自他の線引きをきっちりつけること。
自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 自分の行く先を固定化させないこと。
現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。
自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。 いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、
むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。
人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。
それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。
自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、
勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。
嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。
無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 言うまでもなく人生は無駄の積み重ねの上に成り立っている。
ある程度の目星をつけて進む必要があるにせよ、全てを管理できるというのは思い上がりというもの。
効率的な目標の為に生活の全てを犠牲にしないこと。 世の中そういうものだと前向きに諦めるということ。
自分の限界が分かれば無駄なものをしょい込んだり、人に押し付けることもない。
自然体で通すものは通すということ。 やつらは頭おかしいが、それが普通なのかもしれん
俺には無理、俺の頭がおかしいんだろうよ あんたバカじゃないの!?いい加減にしなさいよ!!パシリのくせして!!