アドラー心理学総合 28【嫌われる勇気】 [無断転載禁止]©2ch.net
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自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■前スレ
アドラー心理学総合 27 【嫌われる勇気】
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■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 待遇された方のニーチェの方がまあ
、成功はしているだろうな。その裏面もあるだろうけど。 大中小 どの土俵で演じるか。
小の土俵でガンバる話だな >>551
取っ掛かりアドラーもいいけど俺は最終的にアドラーに行き着くのをおすすめしたい
いろいろ心理学に詳しくなってくると自分なりの考え方が確立されてきて、それを押し付けてしまいがちだけど、共同体感覚基準にすると自分にとっても相手にとっても公平になれる 嫌われる勇気か。公務員のいじめ抜きとの対派だよ。
アカシエンス共同体面。
ブランショ モーリス の方が勝率がよさそうだけど。一流の軍人で。 職場で明るい華族ぐらいか。オフィスエクセラワークじゃないけど。 >>555
何にせよ思想信条を人に押し付けるのはよくないな
そもそも哲学や心理の終着点って個の確立であって干渉するのはおかしい気はするし
導入の段階で干渉しないことをきっちり伝えるのはアドラーの良い所だな >>560
少しばかり似たようなことを考えていたかもしれない
物象化──疎外論──alienation──
みたいな 自分の自殺未遂経験とか話すやつって
同情されたいん? 人にもよるし関係性にもよるし言い方とかタイミングにもよるだろw 感情でする判断は99.9パーセント間違いだそうです 怒りの感情をどう抑えるかだな。ロードレイジなんかも心理学の知識があれば抑えられる
もっとも、権力争いをするなと言う教えが根本にあるが 抑えるのはアドラー流じゃなさそうかな
感情は目的のために自分が相手役に向けて使っている道具であっていわば自分の仲間なんだよな
ただ怒りは「人と人とを引き離す感情」だからそのままだと目的達成のために人の所属を妨害してしまうことになる
そこを冷静に自覚して他の建設的手段が見つかれば怒りを使う必要がなくなる フロイトは無意識は敵だと言い
ユングは無意識こそが正しいと言い
アドラーは無意識は味方であると言った ラカンは無意識は世界だといい。
コフートは無意識は人格の自己もれだとみる。 そもそも無意識ってものが存在するのか
それほど意識せずとも行動が起こるのが無意識であって
意識していることを意識せずとも行動を起こける、というのが自分の考え
脳が脊髄が命令を起こさないでどうして行動起きるのか?と思う
もちろん主観です 踊りはそうかもしれないけど人間は意識無意識とも上級の操作されうる。
死んだ人格と無意識ってどうなってるんですか? >>573
アドラーの言ってる事もそんな感じでしょう
意識していない部分の心や体の動きも目的のための協働関係にあるものなんだっていう 文学的にいえば癲癇 と 更新関係 にあるのが理想でしょうね。パソコン2ch
の時代は。 脳が判断する前に身体中のセンサーが作動してるからな
肉体の感覚器官=センサー=無意識ならある。最近は心理学・脳科学以外に「体の声を聞け」という言い方もある 自分の内面の矛盾とか葛藤を協力として捉えなおす全体論の発想は他者との対立の解消を目指すときにより便利だと思う
自分の障害になっている人を、もしかするとこの人は自分を助けようとしてくれているんじゃないか?想いを共有できれば協力できるんじゃないか?そのためにはどうすればいいんだろう?
少なくとも歩み寄る姿勢ができる どちらかというとアルコールは画家に向くが、コーヒーは哲学系かもね。
醸造、抽出。 全体主義は要素還元論の発想な
部分は全体に従属されるって理屈
全体論は創造は協働によって生まれるという理屈 そうじゃないよ。全体主義というのはアミエルの日記に見て取れる通り
世界全軍を敵にまわしてかった将軍です。 キレる人を落ち着かせる"アドラー心理学":PRESIDENT Online - プレジデント
http://president.jp/articles/-/23394 どうなんでしょうね。アドラーなら。
僕はすべての世代が集合論として、集まる必要はないけど
性差+年代差 たとえば80s’90’sとかをきめ細かく見ていかないと
いけないと思う。前世代間違いなく歳の差セクハラなしで集結が中央集権的なら、
次の時代は? どこかのコラムを読んでああなるほどと思ったのだけど
アドラーの目的論は目的そのものを変えよ、というのではなくて
目的を自覚させその目的を果たすための間違ってしまっている行動行為を建設的に修正
あるいは果たさなくてもいいのだという気づきを与える
というのが目的論のカウンセリングだと読みました
自問自答も大切ですがやはり自分のなかの言葉だけではなかなか気づけないこともあるのだなと 目的も変える場合はありますよ
目的が協力的で、手段も協力的ならいいわけです
でも大抵の場合は目的を果たすための手段が競合的か、不器用か、無知なのかってくらいなので、他の方法を試して変化を実感してみればころっと変わったりします どんな人も究極的には居場所を見つけ出すことが目的と考えたらあとは上手にやるだけだなって 目的が自分の利益しか考えてない非社会的非建設的であれば
それは確かに修正しないとならないです
深く心に向き合って出てきた答えがそれであれば修正する必要がありますし
早い話目的って○○したい!って事ですもんね >アドラー「戦争、国家間の憎しみ、階級闘争ーーこれら人類の敵は圧倒的な劣等感から逃げ、
それを補償したいという願いが源である」
アドラー先生、的確ですなあ。ナチス・北朝鮮の心情が 劣等性を持つ生徒に合わせるのは高校の教育心理学ぐらいでいいのでは?
バランスを崩すとぎゃくに搾取されるようになり、どちらが搾取していたのかどうか
わからなくなる。 校内最低ルベルの男だけに授業をしたいと、若いうちは思っていたけど。
今や昔、もうそんなキャリアじゃなくなってる。 それぐらいしか教師の存在意義がないというか。みんな勉強させなくてもできる高校に
いってたんだろうからなあ。赴任先も。 教育心理学分野と橋渡ししないと、心理学板の低レヴェル化は否めんよ。 自分でハイレベルではありたいけど。それはひたすら他人のためを思えばな。 暴言議員も我々の側から見れば、ほほえましいやん。
自分が被害者になったらすごくムカつくと思うけど
そいうときは幽体離脱したつもりで客観的にその様子を見るんだ
そうすれば笑える 学校教育の矛盾というか日本型組織の欠点だけど
均質で一様な人員を数多く集めて効率よく教育し遂行させることを前提としてんのよね
実際には遂行すべき業務もそのための人員もバリエーション豊かで統制が上手くいかなくなっている
その組織体系で考えれば規格外の部品は排除することなんだけど、組織体系そのものが提供すべき商品の生産に適さなくなってきている そんな教育システムはもう立ち行かなくなってきてるよ そうだね
いじめの問題は結局は組織統制の問題なのよ
想定した規格から外れた人員を取り扱う枠がない 年次進学とか、床から怪我とか、そんな問題もあるよな。
退屈してる人が薬に頼ったり。 いじめ問題なり社会人のドロップアウトなりの問題は、そうなりやすい人を助けたり、追い込む人を咎めたりしても解決しないよね
排除する側にもストレスが掛かっていて、それで排除という行動に及ぶ場合が多いと思う いじめ問題なんか今までほとんどなんにもやってこなかったじゃんか
いじめるやつを排除できてたならこんなに問題大きくならんよ 同一律が人間存在の構成原理を代表するものであってはならないし、
人間存在は必然的に、
「それがあるところのものであるのではなく、
それがあらぬところのものでありうる」
のでなければならない。
サルトルの言葉だけど「」内が共同体感覚と捉えています 狼の群れのいじめの動画がどっかで見られたはず
あれを見れば言っていることは分かると思うよ
共同体感覚のケーススタディとしても有益かと でも少なくとも日本社会はそろそろイジメを解決する段階に達しつつある
豊田真由子議員の報道なんかがそれ アドラースレなのにいじめる側の勇気の議論はされないのな あとは対立を協働関係のためのリソースと捉えてみたりとかね いや言うほどみんなアドラーをよく知らないのよ
課題を分離してトラウマのせいにもできないのなら嫌でも行動することになる劇薬だよねー
って感じだよほとんどの人の認識なんて 共同体感覚に決まってるじゃないですか
アドラーを理解した人の主語は常に「みんな」 主語じゃない
一人称だな
アドラー1人称 We
アドラー2人称 We
アドラー3人称 We >>615
相手の勇気に問題があるというと原因論的だから、自分の協力的な目的のための学びの機会と考えてみるといいんじゃないかな?
自分の課題の中でならどうにでも意味付けはできるから。 いじめる側の勇気って?
いじめそのものが勇気のない行動のように思えるが。 そういうことでしょ。
>>615 はいじめる側の人は勇気が足りないと考えてみたら?って話でしょ。 組織としていじめが起きた時、それが仕方ない、不可避だと考えてしまうのはなんだろうな
あと、自分が手を出さず他の奴が追い出して排除してくれるのを望んでる人間も少なからずいるだろう 当事者間だとなかなか俯瞰して状況を見れないからね。
利害のない第三者に入って協力してもらうのが一番良さそう。 目的論で考えた例が記事であったのでそれを参考に考えると
いじめる側は所属の欲求を満たすことや力の誇示など、自分の存在を示すことが目的
いじめられる側は罰せられること、被害者であること、加害者でないこと、などを通じて、反発できないか弱い優しい人であることが目的
などという仮説を立ててみる
傍観者についてはまた何パターンかありそうなので一旦置いておく どちらも言えるのは、少しズレた方法論でしか所属の欲求を満たせないということ
いじめグループにせよ可愛そう組?にせよ、もっと他の所属の方法ないの?って感じがするからな 建設的な方法で所属する勇気を挫かれているからこそ、不適切な方法で集団に所属しようとするんだよ なるほど、ここで傍観者の行動が問われるな
建設的な方法で所属できるよう促す勇気というか
いじめ被害者加害者いずれも排除せずに接する勇気というか 本当は人は居場所を見つけて人の役に立ちたい存在なんだって前提ありきだよね。 例外もあるだろうな
しかしそれを考えると抽象的な観念論になるし分かりにくくなる
実践ありきの理論として考えたときに、汎用的だったのが所属の概念なんだろうな >>634
自分のものの見方、つまり認知論の話なんだから例外はないんだよ >>635
すまない、少し理解できてないから教えてほしい
所属の欲求はすべての人間にあることが証明されているってこと?
それとも、その論から外れるならアドラーでは考えられんってこと? あぁ自分の見方かなるほど、ごめん言いたいことが今分かった
目的論で他者の行動を観察する場合はどう考えるのが正しいの? >>637
この人は、私自身が協力的であることを援助してくれるあるいは教えようとしてくれる仲間なんだ
だとすればこの人が協力的であるためになにかできることはないだろうか >>638
あくまで自分の行動に焦点を当てる感じかな
他者に当てはめてあれこれ決め込んだり操作したりするものではないと >>638
所属は自分と人との間にある概念だから建設的な意味にせよ破壊的な意味にせよ、行動は確実に他者に影響を与えるんだよね
大事なのは相手の所属を妨害しないことと余裕があれば相手の所属を満たすようにも働きかけることなんだけど、結局相手がどう応じるかをコントロールはできないから
どんな状況でも自分は相互の所属に向かうような協力的な行動を選びつづけるってことだと思う >>640
人に対して所属するんじゃないと思うよ
相手は人ではなくてあくまでも共同体(感覚) 情けは人の為ならず
情けを掛けることは人の為ではなく自分の為
巡りめぐって自分にも情けを掛けて貰えるときが来る
他人に協力、援助して、しかし見返りは求めずその人が所属感を得られたように自分が見れれば自分は貢献感を得る
その貢献感こそ幸せと呼べるもの、ですね
その所属感を得られたように見えるていうのもまた自分の認知の問題だから
100%は無いのですけどもね >>642
それは共同体感覚の話でしょ?
所属の話だよ
破壊的な所属もあるわけだし
言いたいのは、すべての行動や感情には相手役がいて影響を与えあっているする社会統合論の視点のこと >>642
相手は人ではなく共同体ってどういう意味ですか?
直接接する人が今より少しでも勇気が高まるように(自分を受け入れられて人を信じられて貢献できてると思えるように)関わるのが自らの共同体感覚の育て方なんだと学んでそう思ってましたが。 解釈が分からないと実践したことが正しいのか判断できない
だからこうやって議論しているのだと思っている >>648
本人じゃないけど自分の場合は、嫌いな人を嫌いなままでいたいから、対立が起きてもあくまで共同体への貢献なんだって言い聞かせていた時期はあったかな
課題からの逃避だったなと思う
仰るとおり相手との摩擦にしっかり向き合って、必ずしも解決に向かわなくてもどんなときでも協力的であろうとすること
これが実践なんだと思いますよ
主義主張が強いから明確にはあまりいわれてないけど、
日々の個人同士とのやりとりを通じた個人レベルからの共同体感覚の育成運動によって協力的な社会を築くこと
これがアドラー心理学としての方向性だと思うね 今日なんとなくアドラー心理学買った
新参だけどよろしく ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています