・日々の生活の中でどうしても自分一人では行き詰まるので、発達障害に触れることで呼吸が出来るようになる

・彼らはより上であるという相対的な認識がどうしても必要である、すなわち他人の不幸は蜜の味という構造と同じである

・発達障害が持つ、固定観念に囚われない思考が必要であり、それが時に固定観念と抑圧のみで生きる健常者に必須である


以上のことから、発達障害に恩恵を受けているのはむしろ健常者。
私が世話してあげているというような構造とはまったく逆の
主従関係が存在しており、むしろ発達障害の奴隷でもあるかのような印象さえ受ける
タチが悪いのは、少なくとも私が発達障害を助けているというような観念が消えない限り、対立は永遠に続き、
そもそもそのように嫌いなのであれば近づかなければいいだけの話である
しょうがないから世話をするというような名目で発達障害に永遠に引き寄せられている現状は、積極的にストーカーしている開きなおったサイコパスに似ている