アドラー心理学総合 29【嫌われる勇気】
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自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■前スレ
アドラー心理学総合 28【嫌われる勇気】
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1504943102/
■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 映画・ドラマ・小説でスーパーマン的主人公が活躍する物は全然面白くない
一方、普通の人間が障害を乗り越えて目的を達成する物は面白い。もっとも、エンタメはアドラー心理学とは真逆で
戦いがテーマになってるが >>682
466ですが、書き方が悪かったかも
弱いところも強いところも、それぞれありますが、全部ひっくるめて「並」という意味です
並と思えると利点もあって、他の人たちと同じように支援や協力が受けられるだろうとか、認められるだろうとか思えるという利点があります
蛇足ですね、すいません >>684
ここに中々書けてないのも全く進歩しない自分が非難されるのを恐れているのと、自分への諦めと、そうだから仕方ないのだという逃げ
1つではなく複合的だと思いますが
ちょっとの変化も嫌で
仕方のないことだけど歳を重ねて出来ることが出来なくなっていくと思うし
今より良くなることはないと思い込んでしまってる
結局全部思い込みですしね人生の見えかたなんて >>683
俺にはスーパーマン物、面白いけどな
人はどんなに欠点ばかりだとしても、ある意味誰かのヒーローなんだよ
虚勢を張らなくてもすでにああいうカッコいい存在なんだよ、って思うから面白いよちゃんと観ると >>686
そりゃ、まあ人それぞれの好みだからね。ただ、深いのは非スーパーマン主人公だろう
漫画はほとんどがスーパーマン的主人公物。一方、小説なら普通人が主人公物が芥川賞・直木賞を獲る
並みの人間が協力者を得て大組織に立ち向かう話なんかめちゃくちゃ面白い
権力関係の真っ只中に飛び込んで行くからアドラー心理学的じゃないんだが そういえば、上司に叱られるとクッソムカつくし
褒められてもムカつくなぁ
上司を自分より下の人間として見ているからか
いや、対等だと思ってるからムカつくんだろうな >>689
上か下か対等かは関係なく、敵だと思ってるからムカつくんだと思う 情けは人のためならず(甘やかすなとは別の意味の方な)と同じく
褒めるのも人のためとは限らないんだよな
人を褒めるのが得意な自分に酔いたいだけって奴よくいるよ
本当に素直に良いと思って褒める奴は
どこが良いと具体的に言ってくるし、そういう褒め方ならこっちも「そうか、それじゃそこをさらに磨くかな」と思える
人を褒めるのが得意な自分大好きって奴は
お前は凄いお前は凄いだけで何が凄いのか伝わってこないし、こっちは「俺って凄いのか、じゃ努力しなくても平気かな」と思ってしまう うん、褒めるつーかこちらの賛辞を伝えるのは難しいね、アドラー的には
とってもいい働きをしてくれて、次もぜひそうして欲しいなー、ってとき、どうやって伝える?
「すげー助かったよ!次も頼むよ!」じゃだめかな?飾りのない満面の笑みで >>693
「(俺は)すげー助かった、次も頼みたい」
なら問題なくね?
実際に助かったのは事実だろうし次も頼みたいと思うのは自由なんだから >>693
褒めるって「繰り返せ」の暗示だからな
次も同じことを繰り返して欲しいから褒めるわけでしょ
別にそれでもいいけどそこは自覚しといたほうがいいと思う
「〇〇ちゃんは、挨拶できたんだ偉いねー凄いねー」
(次も同じような場面が来たらちゃんと挨拶してね、よろしく頼むよー) 「ありがとう」「助かる」が鉄板だな。アメリカは些細な事でも家や職場で"THANK YOU"を連発。
さすがに、横の関係の国だな。韓国や中国は年下には感謝しないんだろうか >>696
>韓国や中国は年下には感謝しないんだろうか
それ、偏見じゃね? >>697
だから、疑問形になってるんだが。儒教の国だからな。アドラー心理学からすれば儒教は真逆な考え方
日本も儒教に影響されてるからなあ。「あなた、6月生まれなら私の方が一個上ですね。私は3月生まれなんです」 >>701
仏教は無我だからそもそも上も下もないよ >>698
日本は商人が千年以上客の争奪戦を激しく行っていたためにこうなった。
アメリカもあと千年ぐらいすれば同じようになっているかも知れない。 >>695
繰り返して欲しくて褒める人もいれば
ただ単純に凄いと思ったから褒める人もいる
人をコントロールするために褒める人がいるせいで
単純に凄いと思ったことを口にすることすら憚られる世の中になるのは迷惑な話だけどな
一部の国の人のマナーが悪いせいで
同じ国の人全員が変な目で見られるのと似たような話 >>705
それは褒めるとは言わない
感動を伝える
感激する
感謝する
が適切
凄いと思ったことを口に出すのを憚らなければならないみたいな趣旨の話じゃないよ いつだってシニフィアンは多すぎるか少なすぎるか
いつもちぐはぐで充足の関係にはならない 日本の漫画でチンギスハンにちんこを描いたからってモンゴル人が怒ってるけど
これはちんこを縦の関係でとらえているから腹が立つんだよな
ちんこを対等の関係と思わないと。
合理的に考えるとむしろ、チンギスハンよりちんこのほうが上の存在だろう。
チンギスハンが存在しなくても困らないけど、
ちんこがなかったら人類は滅亡している。 >>708
この話って>>693に対する文脈の中での話題だったのよ
>>693は満面の笑みとか、言い方を工夫すればいいと思っている節があるけど、
それよりも、「次もそうして欲しい」つまり、繰り返して欲しい
というの競合の目的になっていないか?って言う本人の意識に対する指摘
だから傍目の区別の話になってくると話題が逸れる 海外の漫画で天皇の顔面にちんこ書かれたらどう思うよ?ってことだな
信長とか秀吉でも、気分悪くなるんじゃないかなぁ 年下だからって敬わなくていいってことではないと思うんだけどね
年下でも「先生」にはなり得る
その学ぼうとするジャンル、事柄において先に歩き始めたひとは年上であり先生だし
5年10年違えばまだしも2、3年程度の違いならほぼ同い年みたいなもの
学校ではその1年の違いが大きいけど まず親が子に年齢上の方が上だと思い込ませるとこから始まる 敬うのと服従するのとは違うんじゃないかと思う
アドラーでも横の関係は尊敬から始まるという
尊敬て書くといいとこがあるメリットがあるから尊敬するみたいにとられるけど
そうじゃなくてあるがままに認める と >>717
減点評価さえやめればどんな人からでも学べることはあるけどな 互いに学べる点を学び合えば横の関係で敬い合える
一方が一方から学ぶばかりだと服従、上下の関係になる
でも子供と大人のような極端な経験差のある関係でもなければ
「人から学ぶ才能」という点では下の立場にされてでも学ぶ奴の方が優れているという皮肉
「人から学ぶ才能」ばかりは人から学ぶわけにはいかないもんな
才能なかったらそもそも学べないから自力で獲得するしかない 中国から入った儒教がアレだな。中国・韓国がおかしい国なのも儒教のせいもある
縦の関係が通用するのは、農業中心の社会まで。産業革命以降は立場・役職で仕事の上下関係は決まるから
儒教的上下関係は必要なかったな。こういう世界的に広がらない儒教なんかはどうにかならんかね >>720
儒教の是非云々はわからんが、この人が儒教、中国、韓国に対して偏見まみれなことだけはわかった >>721
横からすまんが、中韓はおかしな国だぞ?
日本から見ればだが
まあ逆もそうだろうけどね 誰からでも学ぶことはできるよ
自分以外の人、つまり自分の認知バイアスに毒されていない人、の、行動言動だからね
何度か助けられたよ 「おかしな国がある」という自分の立場が正しいことを前提とした認知バイアス 野田さんなら中国に対してまともな国、普通の国と言うだろうか。あなた方より中国の知識に詳しいだけに 「おかしな国」じゃないとすると、「普通の国」「まともな国」というように、善か悪か、良いか悪いかの二元論で解釈してしまう認知バイアス 頭おかしいのがたくさん釣れるな
ワッチョイ必須だね、心理学板は 「2ちゃん脳とは」
>あらゆる物事に対してまず否定から入る。
>肯定・賛美を認めない。
>否定に特化したダブルスタンダードな性格。
>10か0かの極端な思考。
>レッテル貼りの多用。不幸の娯楽化。(メシウマ思考)
>上から目線で周囲を見下し、優劣を付けたがる。
>非寛容で、許容の心がない。
>「これらの特徴を列挙し2ch脳と叩く行為自体が2ch脳であるとも言える。
たとえ相手が悪質であっても過剰に嫌うあまり自分もわざわざその相手と同じ存在にならないよう注意が必要である。」
↑
最後の部分が「課題の分離」と同じ。羊たちの沈黙だったか「怪物を捕らえようとする者自身が怪物にならぬように」と ミイラ捕りがミイラになる なんて諺もあるからな
自分の力を見せつけだがるのに常に自分が否定されることを恐れている
ネット番長とも言われるけど独裁国家の指導者も似たようなものだと思う根元的には 自分が正しいという思いほど、エゴを強化するものはない。
正しいというのは、ある精神的な立場(視点、見解、判断、物語)と自分を同一化することだ。
もちろん自分が正しいと言うためには、間違っている誰かと比較しなくてはならない。
だからエゴは自分が正しいと思うために、好んで誰かが間違っていると決めつける。
言い換えれば、自分という意識を強化するためには、誰かが間違っていなくてはならない。
間違っているのは人だけではない。ある状況も、不満や拒否反応を通じて間違いだと決めつけられる。
「こんなことは起こってはならない」というわけだ。
自分が正しいなら、間違っているとか欠陥があると判断される人や状況に対して、
自分が倫理的に優越していると思うことが出来る。
その意味でエゴは優越感を欲し、優越感を通じて自らを強化する。 愚痴こぼしとリアクションは、
エゴが自身を肥やすために常套手段にしている思考パターンです。
たくさんの人は、思考活動と情緒活動の大半が、
人生で起こる出来事に対する不平とリアクションによって占められています。
そうすることによって、他人や状況を「悪者」扱いし、自分を「正しい人」にしているのです。
「正しい人」になることによって、優越感に浸り、
優越感に浸ることによって、自己の感覚を強化しているのです。
むろん、実際に強化しているのは、エゴの幻想に過ぎません アドラー心理学で、最も大切な事は「課題の分離」ではないよ。
アドラー心理学の大前提は「承認欲求を否定すること」だ。
承認欲求があると自分の人生を生きることができないから。とある。
その意味でいうとアドラーよりも前に生きた坂本龍馬はこのことを
知っていたな。
龍馬の、
「我がなすことを笑わば笑え。我が成すことは我のみぞ知る。」とは坂本龍馬の名言だ。 >>739
課題の分離を言い始めたのは野田さんで
承認欲求の否定を言い始めたのは岸見さん
ニュアンスの違いはあれどどっちもアドラーは言ってないよ
アドラーが言っているのは
人の行動メカニズムの根源は「所属へ向けての力動」だということ
承認欲求の否定という言い方をするよりも
競合的な所属の否定、そして協力的な所属の転換、で捉えた方が早い
「欲求」という概念は、社会統合論の対になる「精神内界論」であるとして、フロイトと違うパラダイムを構築するためにあえて使わなかったんだよ 確かアドレリアンは欲求という言い方をあんまりしないんだっけか >>740
野田さんが翻訳した言葉で元々は「責任の所在」の方が適してると思う。もっとも、
「責任の所在」はあちこちで使われる手垢が付いた言葉だから、野田さんが考案したんだろう
「課題の分離」には日本人には疎い個人主義のニュアンスが含まれていたから、これで良かったのかも 人間なんだから承認欲求ぐらいあってもいいとは思うが
承認欲求のために他人に迷惑をかけたら余計に承認は得られなくなるゾ
程度でよくね? ほんとそう思う
人から認められたいという欲求自体が問題なんじゃなくて
それに執着しすぎるのが問題で 「トラウマはない」と一緒で「承認欲求の否定」がわかりやすい。「トラウマは存在しないわけではなく、実は…」
と言うよりも「トラウマはない」と言い切る方が前向きになる。アドラー心理学は
オープンソースのソフトみたいなもので権威は存在しない。学習者が解釈を考え付く事も可能だろう 承認欲求の有無じゃなくて、自らの承認欲求に操作されてしまうのが問題なんだと思うよ
行動と承認欲求に何らかの関係があるのがおかしい、と >>746
都合よく解釈して本質を忘れてる人が多いから余計わかりにくくなってるんだよ 結構なひとが100か0か
白か黒かで考えて
敵か味方か、になりがち
これが自分も含めてだけど自分の潜在意識の中にもこびりついてる
承認欲求の否定、というのはそれにしがみついて生きることを否定するのであって
他者から違うと言われても(また自分がそう想像しても)自分が目的をもって生きた方が幸せになりやすいよって事なんだけども
これもヒトの目を気にしないイコール迷惑はいくら掛けてもいいと極端に飛んでしまうし まあ、「嫌われる勇気」はライターの古賀氏がライティング担当だし何割かは割り引いて考える必要があるだろう
タイトルも売らんかな精神で考えられたものだし。アドラー心理学とは関係ない 自分の行動の源泉が承認欲求だと気づけばそれだけでその無意識化してしまった行動から解放される可能性がある。 相手が間違ってる
自分が間違ってる
の二極論もまたイエスかノーかのようで
自分は上手くいかないのは過去も含めて全て自分が悪いのだ
自分の取捨選択が間違ってきたから今間違ってるのだと思いがちで
この考えのせいで異様に自己評価は低くなっちゃってるなぁと
だからちょっと褒められるだけで認められた気になり「調子こき」になってしまうので
結局自分がないんだなぁと >>739
>アドラー心理学の大前提は「承認欲求を否定すること」だ。
大きく出たなw
アドラー心理学の大前提は「5つの基本前提に基づく建設的なライフスタイルの育成」だよ
承認欲求も使用の心理学の観点から言えばリソースとして使えたりするから否定する必要はないよ
問題は承認欲求に振り回されて建設的でないライフスタイルを選んでしまうこと きのこの山とたけのこの里、チョコレート菓子としての完成度ではどちらが上か
これは古くより人類に課せられた課題であった
答えを求め人々は議論し、真理を追究した
彼らは純粋にどちらがより優れているのかを見極めたかっただけなのだ
時は流れ、いつしか人々は自らを「きのこ派」あるいは「たけのこ派」と名乗り
異なる派に属する敵を否定することのみに力を注ぐようになった
証明すべきは自らの正当性、そして敵がどんなに無知であるか
もはやチョコレート菓子としてどちらがより優れているのかを語る者など存在しない
「きのこ派」としての自分、「たけのこ派」としての自分が敵よりも優れているという
居心地の良い「真理」に辿り着いてしまったのだから 原因論否定、トラウマ否定、承認欲求否定、課題の分離を組み合わせる提案は、周りの目が気になって生きにくさを感じてる人には福音書みたいな内容だよな
飛躍してしまってアドラーの理論とは似て非なるものになっちゃってるけどさ 違うところを誇るよりも、
合意できるところを話しませんか?
なんかこのスレでマウント合戦は見とうないですわ >>757
自分の行動が自分と周りの人の相互の所属につながるような目的のもとに行われることがアドラー心理学の本来の目指す在り方ではないかと
単に自分のやりたいことをやるため、のような自己実現的な目的で諸理論を用いる事はどうなのか?と憂いられてる文脈だと思う
ところでどうやってあなたは、ここに書き込んでいる人の心を「違うところを誇っている」と判断したの? 詰問はマウンティングの始まりかと…
ご自制くださいませ この話の主旨とは逸れるけどさ
マウンティングって言葉最近流行ってるよね
人が人を支配しない横の関係を志向するアドラー心理学にとってマウンティングは競合的な態度だとして取り除くべきものだと認識していたんだが
最近どうも人はマウンティングしかしてないんじゃないか?
と思うようになった
所属のためとか言われてもピンとこないけどマウンティングのためって言われるとしっくりくる マウンティングって自分が他者より優れていることの確認とそれを相手に認めさせて優越感を体感するためで
いわゆる劣等コンプレックスの裏返し
それをしないと(他者より優れていると感じないと)自分の価値を認められない
自分は他者より優れてないとならないと誤認しているから マウンティングはみなさんしちゃいけないよというマウンティング? 共同体の一員として認められるには共同体の中でそれなりの地位を示す必要もある
そのためのマウンティングなんだろうが、そのマウンティングで空気をギスギスさせて共同体にとってマイナスになってしまってはね
地位を示すより能力を示す、他者との力関係よりも自分に何ができるかで共同体への所属権を得る
そうは言っても何もできないからっていきなり所属権を剥奪されるほどの世知辛い世の中じゃない
剥奪されるまで行くのは共同体にとってマイナスになるような人の方だよな
マウンティングのしすぎで居場所を失い、居場所を取り戻そうとさらにマウンティングをするということかも 子供の時に友達と遊んでても特にマウンティングはなかったように思うなあ。
単に楽しいから遊んでただけで。
なので組織があったとしてもマウンティングなしの状態はあると思うんだがな。
ただし組織化している自覚がやってる本人にない。 マウンティングから身を守っても更にマウンティングしてくるからなぁ
どんどん能力を示すと相手がひどい状況になっていくから解決には譲るしかないんじゃね マウンティングを避けるためにマウンティングしてしまったら切りがないな。
ミサイルにミサイルで返すようなもので、それは悪循環して中々終わらない。
ただ自分がコントロール可能なのは自分だけなわけで、終わらせようとするなら自分が止めようとするしか方法はない。 マウンティングはみんなしてるよ
問題は自分だけはマウンティングなんかしてないと思い込んでいること 自分だけは特別であろうとするって感じだろうな
自覚するのは難しい マウンティングされているという被害妄想だけの場合も多々ありそう。
いわゆる劣等感が強いってやつ。
自分が全くそんな気がなくても偉そうにしやがってとか言ってくるやつ過去に居たし。 どこか遊びに行こうと誘ってるだけなのに命令するなとか言ってくるやつもいた。 最近読んだ本でいうと社会を営む生物としてのヒトのマウンティングの方法には二種類あるらしいね
圧迫系のマウンティングと魅了系のマウンティング
圧迫系は相手の力を奪い依存する方向に向かうマウンティング
魅了系は相手に力を与えて自立する方向に向かうマウンティング
これアドラーの勇気づけと勇気くじきの関係みたいだなと思いながら読んでた
相手を勇気づけるような関わり方を魅了系マウンティングと呼んでもいい気はするよ >>772
これがアドラー心理学的な解かもね。
相手にマウンティングの意図があるかどうかなんて「話してみなきゃわからない」
それはマウンティングですよってのは私的感覚、つまり自分の思い込みの域を出ない。
共通感覚に頼るべし! >>775
面白いね、魅了系マウンティング、なるほどねって思った。
私も読みたい。本のタイトルを教えていただけないだろうか? 承認欲求も自分で自分を「まあこんな自分でいいよな」と承認して済ませれば誰にも迷惑はかからないものを
他人に承認されたいと願うからややこしくなる
他人に承認されたいのに承認してもらえないとなると、こんなに凄い俺承認してくれくれアピールのためにマウンティングをしたくなる
自分を差し置いて承認されている他人への嫉妬心から攻撃したくなるというのもあるかも ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています