アドラー心理学総合 29【嫌われる勇気】
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自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■前スレ
アドラー心理学総合 28【嫌われる勇気】
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1504943102/
■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 年下だからって敬わなくていいってことではないと思うんだけどね
年下でも「先生」にはなり得る
その学ぼうとするジャンル、事柄において先に歩き始めたひとは年上であり先生だし
5年10年違えばまだしも2、3年程度の違いならほぼ同い年みたいなもの
学校ではその1年の違いが大きいけど まず親が子に年齢上の方が上だと思い込ませるとこから始まる 敬うのと服従するのとは違うんじゃないかと思う
アドラーでも横の関係は尊敬から始まるという
尊敬て書くといいとこがあるメリットがあるから尊敬するみたいにとられるけど
そうじゃなくてあるがままに認める と >>717
減点評価さえやめればどんな人からでも学べることはあるけどな 互いに学べる点を学び合えば横の関係で敬い合える
一方が一方から学ぶばかりだと服従、上下の関係になる
でも子供と大人のような極端な経験差のある関係でもなければ
「人から学ぶ才能」という点では下の立場にされてでも学ぶ奴の方が優れているという皮肉
「人から学ぶ才能」ばかりは人から学ぶわけにはいかないもんな
才能なかったらそもそも学べないから自力で獲得するしかない 中国から入った儒教がアレだな。中国・韓国がおかしい国なのも儒教のせいもある
縦の関係が通用するのは、農業中心の社会まで。産業革命以降は立場・役職で仕事の上下関係は決まるから
儒教的上下関係は必要なかったな。こういう世界的に広がらない儒教なんかはどうにかならんかね >>720
儒教の是非云々はわからんが、この人が儒教、中国、韓国に対して偏見まみれなことだけはわかった >>721
横からすまんが、中韓はおかしな国だぞ?
日本から見ればだが
まあ逆もそうだろうけどね 誰からでも学ぶことはできるよ
自分以外の人、つまり自分の認知バイアスに毒されていない人、の、行動言動だからね
何度か助けられたよ 「おかしな国がある」という自分の立場が正しいことを前提とした認知バイアス 野田さんなら中国に対してまともな国、普通の国と言うだろうか。あなた方より中国の知識に詳しいだけに 「おかしな国」じゃないとすると、「普通の国」「まともな国」というように、善か悪か、良いか悪いかの二元論で解釈してしまう認知バイアス 頭おかしいのがたくさん釣れるな
ワッチョイ必須だね、心理学板は 「2ちゃん脳とは」
>あらゆる物事に対してまず否定から入る。
>肯定・賛美を認めない。
>否定に特化したダブルスタンダードな性格。
>10か0かの極端な思考。
>レッテル貼りの多用。不幸の娯楽化。(メシウマ思考)
>上から目線で周囲を見下し、優劣を付けたがる。
>非寛容で、許容の心がない。
>「これらの特徴を列挙し2ch脳と叩く行為自体が2ch脳であるとも言える。
たとえ相手が悪質であっても過剰に嫌うあまり自分もわざわざその相手と同じ存在にならないよう注意が必要である。」
↑
最後の部分が「課題の分離」と同じ。羊たちの沈黙だったか「怪物を捕らえようとする者自身が怪物にならぬように」と ミイラ捕りがミイラになる なんて諺もあるからな
自分の力を見せつけだがるのに常に自分が否定されることを恐れている
ネット番長とも言われるけど独裁国家の指導者も似たようなものだと思う根元的には 自分が正しいという思いほど、エゴを強化するものはない。
正しいというのは、ある精神的な立場(視点、見解、判断、物語)と自分を同一化することだ。
もちろん自分が正しいと言うためには、間違っている誰かと比較しなくてはならない。
だからエゴは自分が正しいと思うために、好んで誰かが間違っていると決めつける。
言い換えれば、自分という意識を強化するためには、誰かが間違っていなくてはならない。
間違っているのは人だけではない。ある状況も、不満や拒否反応を通じて間違いだと決めつけられる。
「こんなことは起こってはならない」というわけだ。
自分が正しいなら、間違っているとか欠陥があると判断される人や状況に対して、
自分が倫理的に優越していると思うことが出来る。
その意味でエゴは優越感を欲し、優越感を通じて自らを強化する。 愚痴こぼしとリアクションは、
エゴが自身を肥やすために常套手段にしている思考パターンです。
たくさんの人は、思考活動と情緒活動の大半が、
人生で起こる出来事に対する不平とリアクションによって占められています。
そうすることによって、他人や状況を「悪者」扱いし、自分を「正しい人」にしているのです。
「正しい人」になることによって、優越感に浸り、
優越感に浸ることによって、自己の感覚を強化しているのです。
むろん、実際に強化しているのは、エゴの幻想に過ぎません アドラー心理学で、最も大切な事は「課題の分離」ではないよ。
アドラー心理学の大前提は「承認欲求を否定すること」だ。
承認欲求があると自分の人生を生きることができないから。とある。
その意味でいうとアドラーよりも前に生きた坂本龍馬はこのことを
知っていたな。
龍馬の、
「我がなすことを笑わば笑え。我が成すことは我のみぞ知る。」とは坂本龍馬の名言だ。 >>739
課題の分離を言い始めたのは野田さんで
承認欲求の否定を言い始めたのは岸見さん
ニュアンスの違いはあれどどっちもアドラーは言ってないよ
アドラーが言っているのは
人の行動メカニズムの根源は「所属へ向けての力動」だということ
承認欲求の否定という言い方をするよりも
競合的な所属の否定、そして協力的な所属の転換、で捉えた方が早い
「欲求」という概念は、社会統合論の対になる「精神内界論」であるとして、フロイトと違うパラダイムを構築するためにあえて使わなかったんだよ 確かアドレリアンは欲求という言い方をあんまりしないんだっけか >>740
野田さんが翻訳した言葉で元々は「責任の所在」の方が適してると思う。もっとも、
「責任の所在」はあちこちで使われる手垢が付いた言葉だから、野田さんが考案したんだろう
「課題の分離」には日本人には疎い個人主義のニュアンスが含まれていたから、これで良かったのかも 人間なんだから承認欲求ぐらいあってもいいとは思うが
承認欲求のために他人に迷惑をかけたら余計に承認は得られなくなるゾ
程度でよくね? ほんとそう思う
人から認められたいという欲求自体が問題なんじゃなくて
それに執着しすぎるのが問題で 「トラウマはない」と一緒で「承認欲求の否定」がわかりやすい。「トラウマは存在しないわけではなく、実は…」
と言うよりも「トラウマはない」と言い切る方が前向きになる。アドラー心理学は
オープンソースのソフトみたいなもので権威は存在しない。学習者が解釈を考え付く事も可能だろう 承認欲求の有無じゃなくて、自らの承認欲求に操作されてしまうのが問題なんだと思うよ
行動と承認欲求に何らかの関係があるのがおかしい、と >>746
都合よく解釈して本質を忘れてる人が多いから余計わかりにくくなってるんだよ 結構なひとが100か0か
白か黒かで考えて
敵か味方か、になりがち
これが自分も含めてだけど自分の潜在意識の中にもこびりついてる
承認欲求の否定、というのはそれにしがみついて生きることを否定するのであって
他者から違うと言われても(また自分がそう想像しても)自分が目的をもって生きた方が幸せになりやすいよって事なんだけども
これもヒトの目を気にしないイコール迷惑はいくら掛けてもいいと極端に飛んでしまうし まあ、「嫌われる勇気」はライターの古賀氏がライティング担当だし何割かは割り引いて考える必要があるだろう
タイトルも売らんかな精神で考えられたものだし。アドラー心理学とは関係ない 自分の行動の源泉が承認欲求だと気づけばそれだけでその無意識化してしまった行動から解放される可能性がある。 相手が間違ってる
自分が間違ってる
の二極論もまたイエスかノーかのようで
自分は上手くいかないのは過去も含めて全て自分が悪いのだ
自分の取捨選択が間違ってきたから今間違ってるのだと思いがちで
この考えのせいで異様に自己評価は低くなっちゃってるなぁと
だからちょっと褒められるだけで認められた気になり「調子こき」になってしまうので
結局自分がないんだなぁと >>739
>アドラー心理学の大前提は「承認欲求を否定すること」だ。
大きく出たなw
アドラー心理学の大前提は「5つの基本前提に基づく建設的なライフスタイルの育成」だよ
承認欲求も使用の心理学の観点から言えばリソースとして使えたりするから否定する必要はないよ
問題は承認欲求に振り回されて建設的でないライフスタイルを選んでしまうこと きのこの山とたけのこの里、チョコレート菓子としての完成度ではどちらが上か
これは古くより人類に課せられた課題であった
答えを求め人々は議論し、真理を追究した
彼らは純粋にどちらがより優れているのかを見極めたかっただけなのだ
時は流れ、いつしか人々は自らを「きのこ派」あるいは「たけのこ派」と名乗り
異なる派に属する敵を否定することのみに力を注ぐようになった
証明すべきは自らの正当性、そして敵がどんなに無知であるか
もはやチョコレート菓子としてどちらがより優れているのかを語る者など存在しない
「きのこ派」としての自分、「たけのこ派」としての自分が敵よりも優れているという
居心地の良い「真理」に辿り着いてしまったのだから 原因論否定、トラウマ否定、承認欲求否定、課題の分離を組み合わせる提案は、周りの目が気になって生きにくさを感じてる人には福音書みたいな内容だよな
飛躍してしまってアドラーの理論とは似て非なるものになっちゃってるけどさ 違うところを誇るよりも、
合意できるところを話しませんか?
なんかこのスレでマウント合戦は見とうないですわ >>757
自分の行動が自分と周りの人の相互の所属につながるような目的のもとに行われることがアドラー心理学の本来の目指す在り方ではないかと
単に自分のやりたいことをやるため、のような自己実現的な目的で諸理論を用いる事はどうなのか?と憂いられてる文脈だと思う
ところでどうやってあなたは、ここに書き込んでいる人の心を「違うところを誇っている」と判断したの? 詰問はマウンティングの始まりかと…
ご自制くださいませ この話の主旨とは逸れるけどさ
マウンティングって言葉最近流行ってるよね
人が人を支配しない横の関係を志向するアドラー心理学にとってマウンティングは競合的な態度だとして取り除くべきものだと認識していたんだが
最近どうも人はマウンティングしかしてないんじゃないか?
と思うようになった
所属のためとか言われてもピンとこないけどマウンティングのためって言われるとしっくりくる マウンティングって自分が他者より優れていることの確認とそれを相手に認めさせて優越感を体感するためで
いわゆる劣等コンプレックスの裏返し
それをしないと(他者より優れていると感じないと)自分の価値を認められない
自分は他者より優れてないとならないと誤認しているから マウンティングはみなさんしちゃいけないよというマウンティング? 共同体の一員として認められるには共同体の中でそれなりの地位を示す必要もある
そのためのマウンティングなんだろうが、そのマウンティングで空気をギスギスさせて共同体にとってマイナスになってしまってはね
地位を示すより能力を示す、他者との力関係よりも自分に何ができるかで共同体への所属権を得る
そうは言っても何もできないからっていきなり所属権を剥奪されるほどの世知辛い世の中じゃない
剥奪されるまで行くのは共同体にとってマイナスになるような人の方だよな
マウンティングのしすぎで居場所を失い、居場所を取り戻そうとさらにマウンティングをするということかも 子供の時に友達と遊んでても特にマウンティングはなかったように思うなあ。
単に楽しいから遊んでただけで。
なので組織があったとしてもマウンティングなしの状態はあると思うんだがな。
ただし組織化している自覚がやってる本人にない。 マウンティングから身を守っても更にマウンティングしてくるからなぁ
どんどん能力を示すと相手がひどい状況になっていくから解決には譲るしかないんじゃね マウンティングを避けるためにマウンティングしてしまったら切りがないな。
ミサイルにミサイルで返すようなもので、それは悪循環して中々終わらない。
ただ自分がコントロール可能なのは自分だけなわけで、終わらせようとするなら自分が止めようとするしか方法はない。 マウンティングはみんなしてるよ
問題は自分だけはマウンティングなんかしてないと思い込んでいること 自分だけは特別であろうとするって感じだろうな
自覚するのは難しい マウンティングされているという被害妄想だけの場合も多々ありそう。
いわゆる劣等感が強いってやつ。
自分が全くそんな気がなくても偉そうにしやがってとか言ってくるやつ過去に居たし。 どこか遊びに行こうと誘ってるだけなのに命令するなとか言ってくるやつもいた。 最近読んだ本でいうと社会を営む生物としてのヒトのマウンティングの方法には二種類あるらしいね
圧迫系のマウンティングと魅了系のマウンティング
圧迫系は相手の力を奪い依存する方向に向かうマウンティング
魅了系は相手に力を与えて自立する方向に向かうマウンティング
これアドラーの勇気づけと勇気くじきの関係みたいだなと思いながら読んでた
相手を勇気づけるような関わり方を魅了系マウンティングと呼んでもいい気はするよ >>772
これがアドラー心理学的な解かもね。
相手にマウンティングの意図があるかどうかなんて「話してみなきゃわからない」
それはマウンティングですよってのは私的感覚、つまり自分の思い込みの域を出ない。
共通感覚に頼るべし! >>775
面白いね、魅了系マウンティング、なるほどねって思った。
私も読みたい。本のタイトルを教えていただけないだろうか? 承認欲求も自分で自分を「まあこんな自分でいいよな」と承認して済ませれば誰にも迷惑はかからないものを
他人に承認されたいと願うからややこしくなる
他人に承認されたいのに承認してもらえないとなると、こんなに凄い俺承認してくれくれアピールのためにマウンティングをしたくなる
自分を差し置いて承認されている他人への嫉妬心から攻撃したくなるというのもあるかも >>782
いいねそれ
コンテンツとして終わってくれた方がやりやすい
砂粒にとっては都合がいい 例えば、上司がすごんできたらムカつくけど
これは考え方によってムカツいてるわけでなく
すごむ(威嚇)に対して、怒り、アドレナリンを出し自分の戦闘力を高めて身を守るという
動物なら当たり前の反射なんだ。
この反射は当然緊張状態にあり不快なので
それを利用して相手をコントロールしようというの相手の作戦だ。
ムカついても無駄とわかっていてもむかつくのは、動物として優秀だからだ。
この威嚇に対して反射的にムカつくという能力はアフリカ人が優れているらしい。 承認欲求もマウンティングもトラウマも生物種としてはごく自然の反応と思う
群の中で配偶者を見つけるために承認欲求やマウンティングはあるし
危機回避のためにトラウマはあるし
まぁ、動物の行動学とは相容れないよね つくづく
自分の弱いところダメなところを自分で認識してしまうから
ひとと関わりたくないのだと思う
リアルでもこういう匿名でもね
ちょっと上手く行ってもすぐ調子のって自分が正しいと思い込み権力争いしちゃって自己嫌悪
人のためでなくて結局自分本位からは抜け出せない
上手くいかないと腹立つしね まるで、自分が、社会生活に向いていないことを確かめるかのような行動ですね >>786
動物ならそれで正解だけど人間の社会で本能のままにそれやったらかえって不利になるしな
人間なんだから人間として有利になるためにはどうすればいいか考えようぜってことなんだと思う
人間だって動物だし本能に逆らえないってこともあるだろうがw おまえら、どんだけヒャッハーな世界で生きてんだよ?
過剰反応で笑う >>787
その経験は凄く「使える」んだけどな
俺って弱いなダメだな
→やっぱ弱いの認めて誰かに頼って生きなきゃダメだな
→あれ?みんなも弱いし精一杯強がってるだけだな
→結局俺たち人は助け合わないと生きられない存在なんだな
→よし、自分にも人にももっと寛容になろう
ってプロセスを経るのが狙いなんだから 例えばヒト特有の能力でいうと想像力
異性が目の前にいなくても、刺激を与えなくても、勃起させる事ができるじゃん?
つまり、生体反応をある程度コントロールできる能力が人には備わってるんだよね
この辺が心理学の扱ってる分野ちゃうん? 親の年金で生きている高齢の引きこもりは
自分は誰の役にもたっていない
社会の役に立っていない
と思っているか世間に思われているかもしれないけど
漏れのような高齢フリーターには、この人たちがいなくなると
自分が社会的に最低の人間になってしまうので
自分より下の人間がいるというのは精神的な支えになっているので
高齢ひきこもりでも、生活保護受給者でも人の役に立っているし、その人の役割をこなしているので、
国は手厚く支援するべきだと思うんだ。 手厚く保護しようにも国にお金がないので自立してもらおうと色々テは打ってる
「全て」自分次第ではないけども
水を飲むかは馬次第と同じように
最後引きこもりを止めるかどうかは自分次第だもんね
普通に戻るための勇気を出さなきゃならない
味方は作るもの感じるもの
言葉で説明するのは簡単、感じるのはとっても難しいけど所詮は自分の気持ち次第スイッチひとつでもある ああでも
普通と書いたら普通の人間とそうじゃない人間で優越劣等が生まれるのか 知り合いの引きこもりは「自殺はしない」と言って生き抜いていたが。 アドラーを学んで理論としては解っても実生活では自分の至らなさばかりで自分を責めてしまう
こんなのも注意を引き付けるための甘えだって解ってるけどやらなかったらやってないも同じですよねぇ
変えていかなきゃ変わっていかなきゃ生きている意味がない
横の繋がりを持ち協力出来る力を身につけ社会に貢献しなければ生きている意味がない 公的自己意識・私的自己意識について
【公的自己意識とは】
自分は人から見たらどういう人間なのだろうか?という自意識
【私的自己意識とは】
自分は本質的にはどういう人間なのだろうか、自分にとって大切なもの(価値観や概念)は何か
という自意識
【公的自己意識が優位な場合の特徴】
(人に良い印象を与えるために)真面目で誠実な振る舞いをする、自分が本当にやりたい事よりもやらなければならない義務などを優先する、明るく親しみやすい性格を演じる、服装や髪型は自分の好みよりも流行や世間的に受けるものにする 等々
【私的自己意識が優位な場合の特徴】
(人に与える印象はさておいて)まず服装髪型などは自分の好みで。強制などされると、「こんなの私じゃない」。私は○○が好きなので、今はニートでも、いつか○○になるんだ! 等々
ちなみに、真面目じゃないからと言って、じゃあ私的なのか?と言うとそうじゃない
例えば犯罪(だいたい軽犯罪)を友達と一緒になってやらなければ友達に悪く思われてしまう、 かっこよく思われたいのでDQNぽく振る舞う 等も、人の目を気にしての行動であれば公的自意識かな。
振る舞っているわけではなく本当にグレている場合は、私的自意識だと思います。 >>797
> 「自殺はしない」と言って生き抜いていたが。
そいつが召されるのも時間の問題だな
「アドラーのことを考えない」と言ってる奴はアドラーのことを考えてる
「負けない」と言ってる奴は負けることを考えてる
「自殺はしない」と言ってる奴は自殺のことを考えてる
人間の脳は否定形を理解できない
アドラーの没後80年で心理学は脳科学を取り入れて
それなりに進化している >>798
人を機械に例えると
思考は出力
嫌な感情も出力
ライフスタイル設定が入力
コントロールできるのは入力だけ
自分で自分を変えるには、出力された思考とか気分をあーだこーだ悩むのではなく、ライフスタイルをどう設定するのかに集中すること
テレビで例えると、リモコンを使ってチャンネルを変えればいいのに、胸糞悪いバッドエンドのストーリーのテレビドラマに向かって勝手に凹んでる感じ
どうかどうかお願いですから1000回読んでほしい >>798
貢献できなきゃ意味がないって言うなら嘆く代わりに誰かを勇気づけるような書き込みすればいいのに
変わる変わらないの前に実践してなくね? まあ、言い方はどうかと思うけど貢献感ってそういうところから始めるものだよね >>802
それ何かしっくりくるわ
トラウマがあるからできないという理由付けと同じように
自分は至らないから社会に貢献できないという理由付けをしているように見える
個人的には問題解決には理由を知るのも一つの手だとは思うが
理由を知るのはゴールじゃない
こうだからこうなのだと理由を見つけた時点で「だから無理だ」と諦めてしまって
自分を責める方に向かってしまうぐらいなら理由なんか考えない方がまだまし
至ろうが至るまいが自分にできる最善を尽くすだけで十分 フェイスブックのアドラー心理学のグループの管理人のmasaya shinagawaとか言うやつ、管理人のくせして誹謗中傷コメントしてるぞ。
こんな奴がアドラー心理学の管理人やってんのか。何考えてんだか。 >>805
フェイスブックのアドラー心理学の管理人ってのは偉いの?いい人であるべきなの? >>806
知らない、けどクズ女って言葉を持ち出す時点で良い人ってわけではないでしょ。
アドラー心理学の定義にクズ女という言葉の選択の正当性はどこにもないと思われるが。 >>808
正当性はないけど不当性もどこにもないと思う
アドラーの考え方を引き合いに出して批判したいなら、ここに書き込む前に本人に本意を聞いた?
そうじゃないとその管理人とあなたはやっている事一緒じゃない? 最近はやっぱりアドラーは難しいと思った。そしてこの先もアドラー心理学を実行できるかわからなくなってきますね。
相手の課題に入らない。これが一番難しい。人に貢献することが幸せだというがその貢献がわからないですよね >>809
不当じゃないからと言って何を書いても良いって訳じゃない。
そういうものの捉え方をしてるから、ネットの誹謗中傷が蔓延するだよ。
簡単に誹謗中傷をいうような人物に直接言ったら逆ギレされかねないのでここで言ってみた。 >>808
アドラー心理学で言っているのはいい人やまともな人でありなさいって事じゃないよ
人の弱さ、浅はかさ、未熟さを認めてみては?
そんな自分を、相手を好きになってみては?
そしたら助け合って補い合って協力関係作れるでしょって事 >>813
クズ女
この言葉を用いても問題ないのがアドラー心理学ですか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています