アドラー心理学総合 30【嫌われる勇気】
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自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■前スレ
アドラー心理学総合 29【嫌われる勇気】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1511608194/
■NGワードについて
以下の単語はスレ違いの話題や連投されるコピペに混入する事が多く、過去に幾度も荒れた経緯を踏まえてNGを推奨しています
必要な方は使ってください
釈尊は引き籠り
集団ストーカー
エックハルト
Eckhart
エゴ
いま、この瞬間
人生の半分 ■課題の分離について
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい 独り言
思うに、アドラー派の直面する問題の一つ、その根幹はポストモダン状況にある
情報化社会によって多様化し、分化した価値観の在り方が問題である
人種のサラダボウルは雑多な文化を背負った人々を、無機質な住居に囲う
そうして全体への帰属を失った人々が「テロ」や「排外的行為」を起こしていく
自らがそこに所属していないと感じるからこそ、人は「無責任」になれる ヨーロッパの中でムスリムが、あるいはアメリカの中で保守派の白人が言う
「我々はそんなものに巻き込まれたくない」と
「あなたを知っている」という理解が所属だとすれば、
価値観の分岐とは、「あなたは誰?」という非所属を発端にして始まるコミュニケーション
統一したイデオロギーが消滅し、多様な文明が衝突する場所では、誰もが孤独を感じる >>5を読んでなぜかこのコピペを思い出しました
オウフwwwいわゆるストレートな質問キタコレですねwww
おっとっとwww拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww
まあ拙者の場合ハルヒ好きとは言っても、いわゆるラノベとしてのハルヒでなく
メタSF作品として見ているちょっと変わり者ですのでwwwダン・シモンズの影響がですねwwww
ドプフォwwwついマニアックな知識が出てしまいましたwwwいや失敬失敬www
まあ萌えのメタファーとしての長門は純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww
私みたいに一歩引いた見方をするとですねwwwポストエヴァのメタファーと
商業主義のキッチュさを引き継いだキャラとしてのですねwww
朝比奈みくるの文学性はですねwwww
フォカヌポウwww拙者これではまるでオタクみたいwww
拙者はオタクではござらんのでwwwコポォ かつて宗教や思想こそが人々のイデオロギーを統制した
キリスト教はキリスト教徒によって、仏教は仏教徒によって、イスラム教はイスラム教徒によって
生きる意味を確立される
ポストモダン状況はそれら意味を群立させて均し、
信仰を考え方のレベルまで降格させる時代である
我々は絶対的な生きる意味を喪失し、
虚無、ニヒリズムに陥った人々が動物化する時代に生きている 生きる意義が失われれば欲求に反応する人間が動物化していく
欲求のままに生きる人々は集団に責任を持たない
政治に参加せず、他に踏み込まず、自らの欲望を個人的かつ密かに満たす
その普遍化が日本に起きていることである EU離脱、アメリカ孤立、日本の戦後レジーム修正、ナショナリズムの高まりは虚無のはけ口だ
個が個の愉しみを満たすだけで充足する
と同時に情報化によっていっそう多様さは増していく
しかし人間には所属の欲求があるために、排他主義をばねにして民族主義的になろうとする
一体感を得ようとする
アドラー派の対峙する問題は全世界根源的であり、それはポストモダン状況の混乱から生まれている 情報量の厖大化は生きる意味を多重に生み出し、個に個の動物的満足を与える
同時に動物的個人は自分の満足を追い求める
インターネットウェブは個人の満足を先鋭化させる
自己満足の追求から排他性が漏出し、同族との出会いが所属感を満たす 構造が人々の動物化を加速させている
アドラー派の問題は唯一
所属の確保を排他性なしに成し遂げることである
せいぜい寛容にしかなれなかったリベラル、排他性を旨とするコミュニタリアンとリバタリアン、いずれも答えはない
寛容でありながら腹の中で「お前を認めない」と考えていたのでは嘘である
集団を優先すれば他集団に排他的になる
個人的な自由を優先すればテロになる 所属の確保はもとより段階的な排他性の上に構築されるものだろう
例えば世界中の誰とでも愛のタスクが成立するなんて言ってないし、悪趣味にも程がある >>14
結論など無価値
アドラー心理学においては関係性こそが重要であり
結論など考える必要すらない
原因や結果は無価値かつ無意味 無意味とは断じていない
結論に立ち止まるなと説いている すべてが対人関係って本当に真理だなと感じる今日この頃 てか、人間って純粋に自分の事だけ考えるの不可能じゃないか?
自分の事を考える時に他人抜きで考えることできる? 自分といっても、子供を考えるときに相続分世が内縁率がない方がいいよ。 自分の利益だけを考える人は多いだろうよ。いかに自分が心地よく過ごせるか
一方、アドラー心理学以外にも普通のビジネスはターゲット層の需要をまず考えるからな
最近、勇気づけについて考えたらミュージシャン・作詞家が創る歌詞って勇気づけなんだよな
ミュージシャンって勇気づけが職業なのかと。 >>23
その「自分だけが心地良ければいい」っていう考えが他者の存在ありきで成立している事に気づけるかが決め手だろうな キェルケゴールさんも言ってた
──それで自己とは単なる関係ではなしに、
関係が自己自身に関係するというそのことである。
って アインシュタインの悩みは量子物理学だった
対人関係ではないよね?
はい論破 野田さんが敵視する儒教を見ると良い考え方が沢山見られる
仁義礼智信なんかそのままアドラー心理学を当てはめて考えられるほど
合わないのは、孝悌という、先祖や先輩を目上の人として、
目上の人を敬おうというのが仁の中心思想だと説いたことだと思う
時代背景から、混沌としたコミュニティを治める為だったり
年配者の知恵が理性的に価値のある時代だったことから
当時は利の多い思想だったんだろうけど
仁を共同体感覚で位置付ければ上手く活用できる教えだと感じる
それで矛盾を整理していくとそれは儒教とは全く別の思想になるんだろうけど 人はみんな孤独を抱えていてすべては孤独を埋めるために行動する
所属って言うとわかりにくく感じる人も多いと思うけどこういう事だと思う
孤独を埋めるために人を支配するのか助け合うのか?みたいなことがアドラー心理学のテーマではないかな 何でもかんでも人間関係
「あなたが孤独だからです」ってそれこそ自分の考えの押し付けじゃないの? 何言ってるの押し付けだよ
嫌なら使わなくてもいいよってスタンスじゃんもともと
フロイトがとりあえずなんでも性欲という説明しようとするのと同じ
ロジャースが自己肯定感さえあれば人は自己実現するものと決めつけてるのと同じ
世界を説明する理論はすべての人が持ってるよ >>32
なんでもかんでも苦しみ
「それはあなたが苦しみの中にいるからです」
苦しみから抜け出す方法はありますよ
だーれだ? 承認欲求ゾンビニキキテタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! >>37
説明しよう!
「ニキ」とは、2ちゃんねるの「なんでも実況J」板から広まったとされる言葉だ。その起源は阪神の金本知憲監督。
彼は現役時代、ここぞという場面でヒットを打つなどチームメイトから頼りにされており、その活躍ぶりから「アニキ」と呼ばれていたのだ。そこから転じて、金本監督以外でも頼りになるような人を「○○ニキ」と呼ぶようになっていったのであーる。 アインシュタインの悩みが理論物理学の域をでなかったら
ラッセル・アインシュタイン宣言なんてのもなかったかもしれない 誰だって人間関係の悩みはあるよ
でもなぜそれが全てなんだよ >>42
そう答えを急いでもたぶんわからないよ
答えなら散々このスレで語られてきてるわけだし
人それぞれ私的論理に強烈なリアリティを持っている以上どれだけ理屈を聞いても納得できないのは仕方ないよ
頭の良し悪しの問題ってわけじゃない
無理に納得する必要もない
アドラー心理学はお稽古事だからね
実践していくうちに理解できるようになるよ
きっと>>20の人は実践していく中でしみじみそう感じたんじゃないか? >>43
ならもう心理学と名乗るのはやめて欲しいね
アドラー教でいいやん >>43
個人的な真理を他人にも当てはめようとするのはやめて頂きたい >>45
じゃあここに来るのやめたら?
誰も強制してないぞw >>47
さすがアドレリアン
自分は受容しても他人は拒絶 個人的な信念を全ての人に当てはめて一般化しようとする
カルト信者がよく陥る錯誤 >>42
悩みでないものも人間関係が根にあるものばかりではないか?
例えばあなた以外の全人類が絶滅して最後の一人になったとして、その時あなたは今と同じことをしたくなるだろうか?
というか、何かをしようとするだろうか?何をやってもそれを見る者はあなただけになるわけだが。
おそらくその時に何か信仰があった場合は神が見ていると考えてまだ何かをするかも知れないが、そのような妄想を持っていなければ特に何もしようとはしないのではないか? >>51
横からすまんが初めから一人だったのと人類が絶滅して一人になるのとは全然違うよな
後者なら今まで過ごしてきた人達の事を考えて何かをすると思う
結局人間関係だわな 別に人間関係の悩みはあっていい。
でも全ての悩みを人間関係に還元するのはフロイトの全ての悩みを性に還元したのと変わらない。 >>54
そういうことだよ
それを問題視する必要もないけどな
フロイトと違う部分は人との葛藤自体を解決しようとするところ
人間に還元するのはただの見立てで終わらす話じゃなくて「共通の目標」を見出すためには「言葉」が必要だからだよ >>54
自分の認知バイアスに当てはめて還元して解釈するのは例外なくすべての人がやってることだぞ?心理学者に限った話ではない >コミュニケーションの根本は他人に対する興味であって、コミュニケーション能力について悩んでいる人は「他人に対する興味が全然ないのに頑張ってコミュニケーション術を身に着けようとしている」という人がいるのだが、それはお湯も水もない状態で頑張ってコーヒー淹れようとするようなもんというか
2ちゃんで荒らしやってる人間の大半がこれだな。アドラー心理学が他人とのコミュニケーションの基礎を
言い当てているとも言える 名前は伏せるけどある人の言葉
アドラーの言っていることと同じ
自分で自分を大切に生きれば自分の幸せを自給自足できるため周りに自由を与えることが可能となります。逆にそういう人達の中で生きれば、自分で自分を大切にする生き方を選択しやすくなりますね。
もしも全人類が自分で自分を大切に生きれば、心の病や自殺者は激減するでしょうし、争いや戦争も激減するでしょうね。何故なら自分や誰かにひどい扱いをすれば必ず後味が悪くなりますし、逆に後味の良さを大切に生きれば夢や愛に生きることになりますから。 >>56
だから一般化するなって言うことだよ
人間関係もかずある悩みのひとつだってこと
そういうことだよ >>63
>人間関係もかずある悩みのひとつだってこと
>そういうことだよ
あなたもその自分の思う「正しい考え」を一般化しようとしてるね
やってることは一緒でしょ >>65
それみんなが立ちションしてるから俺の立ちションも見逃せ的な論理だよね
アドラー心理学てその程度なんだね
それに一般化の意味もわかってないみたい
一般化はAという考えをBにもCにもDにも当てはめようするする考え
AもBもCもDも対等であるという考えとはぜんぜん違う レスに対する指摘からアドラー心理学がその程度と一般化 アドラー心理学がやりたいのは一般化じゃなくて考え方の提案でしょ
悪く言うと洗脳
こっちの考え方を信じた方が楽に生きられるよってだけであって
世の真理を言い表そうとしてる訳ではない
元々哲学の考え方を拾ってきて組み合わせたものがベースになってるし
ちゃんと当てはめて考えることができるかを
アドラー本人がいろんな患者と接してまとめてきたから
真理を語りたい様にも見えるのかも知れない
現代でちゃんと心理学をやってる人からすると違和感があると思う
アドラー脳科学と言うとキナ臭さが伝わり易いと思うけどそんな感じだと思う
どっちかと言うと自己啓発寄りだし、自己啓発側での利用発展の方が著しいよね これからどうするかという言葉は好き
コモンセンスであってほしい >>69
アドラー自身はそうかもしれないが信者が一般化してくるんだよ
それがうざい >>71
上から目線だよね
無意識かもしれないがいつの間にか縦の関係に陥ってる
そしてそれに気づいてない アドラーを教えて差し上げます的な態度な
宗教と一緒で本人より周囲が鬼の首とったように教義を捻じ曲げて撒き散らすのはままある 『嫌われる勇気』を全部読みました
納得できる考え方と疑問点、それぞれいくつか見つけられました
【大体納得できる考え方】
・人間は何か目的を達成するために感情を作り出す
・人間の全ての悩みは対人関係の悩みである
・「今、ここ」を真剣に生きましょう
・大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである
【疑問・矛盾を感じる記述】
@ライフスタイルを大転換する為には「全ての人と」横の関係を築く必要がある。人間は横の関係と縦の関係を相手ごとに使い分けることはできない。
一方、横の関係を築く手段である「無条件の信頼」は、「この人とは関係を良くしたくない」と思えば断ち切ってしまって構わない。
→横の関係は全ての人と結ぶべきだが、無条件の信頼は寄せる人と寄せない人を使い分けてよいということか?
もしそうならば、信頼を人によって使い分けること自体が「無条件」という言葉に反していないか?
またもし違うなら例えば、長く付き合っている親友と金銭や洗脳を目的に騙してくる勧誘者を同じように無条件に信頼すべきといった非現実的な考えにならないか?
A仕事をしながら小説家を夢見る人の例のように「〇〇だから△△できない」「もし●●だったら△△できる」と可能性に逃げているうちは変われない。
→では変わる為にはやりたいことを先延ばしにせず、今手当たり次第にやるべきということか?
それは計画性のない非効率で繁雑で行き当たりばったりな生き方ではないか?
B人格形成において過去の被虐体験の影響は強くあるが、それによって何かが決定されるわけではない。
人間は過去の経験にどのような意味を与えるかによって生を決定している(第一夜)
過去にどんなことがあったかなど、あなたの「今、ここ」には何の関係もない(第五夜)
→過去が人格形成に影響することを認めるなら、人格によって変わるであろう「今、ここ」も過去に影響されると言えるのではないか?
そもそも過去の経験にどのような意味付けをするかも、過去に影響される人格によって変わるのではないか?
過去によって「今、ここ」が「決定」されないことはともかく、「影響」はあるのではないか?第五夜の記述のように「何の関係もない」とまでは言えないのではないか? >>75
俺の場合、信頼と関係は切り分けて考えるものと理解してます
信頼とは、「どんな人も劣等感と目的の追求の中で思い悩む仲間であり、
共同体感覚に向かえる可能性の中にある」と信じることだと捉えています
関係とは、人生の課題のことだと思います
関係を良くしたくない相手が居るなら別の関係や別の共同体に
意識を向ければ良いということも考えられます
アドラー心理学はお稽古ごとだとも言いますし、上手く立ち回り取り組む中で
自分の中に落とし込んでいけばいいのではないでしょうか >>74
なかなか切り返してきやがるな
革命的ってより自明的な論理って感じる
相対性理論が発見されたみたいな やっぱ全てが人間関係だよね
↓
なんで全てなんだよそれはおかしい
↓
そういう考え方をしてみたら楽だよって話
嫌なら受け入れなくてもいいでしょ
↓
一般化やめろ
これが今の流れ >>75
とりあえず嫌われる勇気以外の本も読んで見ることをおすすめするかな
どっちかっていうとあの本はアドラー心理学を個人の自己実現のために使おうってニュアンスが強い
実際アドラー心理学が使われている分野は教育とか臨床としての意味合いが強いからいろいろ腑に落ちない所が補完されていくと思う >>81
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
荒らしは楽しいの?
共同体感覚は身についた?
さあ、語っていけ 自己責任、自業自得論が進んで行けば、弱い人は自殺し、馬鹿は犯罪をし、強いものは独裁者化し、賢い者はサイコパス化する。これぞまさに、自己責任論者の自己責任、自業自得論者の自業自得。 ブラック企業は、自己責任主義の賜物。ブラック企業は、自己責任の権化。自己責任の落とし子。 人の言うことを聞いているだけなら自分に責任はないが、人の言うことを聞かずに自分で独自に考えて動くのなら自分に責任がある。 頭の中で考えたことは起こらないの法則
アドレリアンの基本だね(^_-)-☆ 人の言うことを聞くと決めて自分の行動をする
その責任は自分にあるとアドラーは言う
誰々がそういうから俺はそうした!俺は悪くない!は人生のウソ
その人を信じると決めたのは自分だから また、聞いているだけ
なにもしない
というのも
「なにもしないという行動を取っている」事になって
そこにも責任発生するから
責任のない行動や時間というのは1秒足りとてない
結果に対する責任を必ずしも断罪されることばかりではないけど自分の起こした行動に責任がないことは一切ないんだよね まあ、これを書いていると生きている事が怖くなるんだけど 責任の所在は自分にも相手にもあるよ?
必要以上に責任を背負いこもうとする自己犠牲状態を防ぎ、必要な分の責任からも逃げようとする事なかれ主義も防ぎ、無理なく周りへの関心を広げられる方法だと思うのだが >>89
あー。まあそうだな。
自分で決めてなくて他に選択肢がないような場合だけかな。言うこと聞かないと殺されるとか暴力的な方法で脅されてるとか。
子供とかは親からその立場にさせられてると言えるよね。更にその延長線上に学校がある。もっとその先には国家があったりする。
しけしそう考えるとそういう脅しに屈しない人というのはあまり居ないのではないか?まあ脅しだけじゃなく利益もあるのが普通だけどね。飴と鞭ね。 責任の所在って倫理的な話じゃなくて、単純な論理的結末を誰が引き受けるか?って話でしょ
子供が宿題をしなかったら子供がその結末を引き受けるし
子供の学歴に対しても同じ
虐待は確かにしんどい
もしアドラー実践者が虐待児に出会えたなら、
このまま暴力を受けるべきか、外の専門施設などに逃げるべきなのか、
未来の話をすると思う アドラーって成績下の人に合わせて教育しきれない限界あるな。
学費ワリカンじゃないけどね。それしか意味ないのに。 学歴の成績より、夜の試験や時差考えて、スコアフルにならないと。 虐待は明確に子供の所属妨害だからこのまま暴力を受けるべきという選択肢は存在しないよ >>76
意識は全てのものと共同体として信頼し合うことを目標にしつつ
行動では上手く立ち回って関係を結ぶ結ばないを決める、みたいな感じですかね
なるほどありがとうございます
>>80
そうですね
嫌われる勇気を読んでアドラー自身の心理学・臨床に関する考えも詳しく知りたくなりました
暇な時図書館に行って探します。ありがとうございました >>100
本来はアドラー心理学は治療的枠組みの中の理論だからね
カウンセラーと患者、親と子、先生と生徒みたいに教える側と教わる側がどちらかをお互いに共通に認識した上で、縦の関係ではなく尊敬と信頼をベースにして、共通の目的のもと、助言し受け入れるような関係を経験する事で共同体感覚が育っていくよって話
共通の目的を作れない関係のうちは相手に介入しないのが原則
こちら側が無条件に信頼しても向こうがそうでないのであれば、相手にはなにもできないしなにもさせないっていう事かと 逆に言うと会社組織とかのゲゼルシャフトの関係性の中だとなかなか使えないよ >>101-103
だからこそ人生の課題と認識して取り組むのが良いよっていうことですね >それは計画性のない非効率で繁雑で行き当たりばったりな生き方ではないか?
⇒言い回しの難しさだと思う
当人が「できない理由」としているものは、本当に物理的に100%不可能な根拠なのか
「もし〇〇だったらできる」というのも、
本当に「〇〇じゃない場合は100%不可能」という物理的な根拠に基づいているのか
そうではないのなら、そのできない理由を学術的に見ると幻ですよねってことになるし
本気で100%に近い確率で実現しようと考えると
その道筋は意外に無数に存在するものだし
本当はどうしたいのか?って話もあるだろうし >過去が人格形成に影響することを認めるなら、人格によって変わるであろう「今、ここ」も過去に影響されると言えるのではないか?
その「人格」のことをアドラー心理学はライフスタイルと言う
「ライフスタイル」は変わりえるものだし、それによって
過去(という記憶)の捉え方もどうとでも変わるものなので
過去によって「いまここ」が捉われているという幻想から抜け出して
「いまここ」を主軸に未来(目的)や過去(原因)の捉え方は自由に変えられる
日頃のお稽古によってこれくらいは誰でもできる様になると思う >>106
過去によって「いまここ」が捉われているという幻想から抜け出して
「いまここ」を主軸に未来(目的)や過去(原因)の捉え方は自由に変えられる
つまりどういうこと?具体例挙げて説明してみてよ?
日頃のお稽古によってこれくらいは誰でもできる様になると思う
君それできるようになった? >>89
>>92
じゃあ太平洋戦争の戦争責任は、学徒勤労動員で工場で兵器つくらされた中高生にもあるのね?
あと、人生の嘘は自分で思っていることを抑圧することをいうのであって、(例え科学的論理的合理的に間違っていても)本当に思っていることを言うことを人生の嘘というんじゃないよ?
勉強不足だよ?ちゃんと勉強して、あともう少し頭使ってちょうだい。誰々がそういうから俺はそういう!俺は正しい!じゃ、それこそ人生のウソだよ?矛盾しないで。 >>96
結末を誰が引き受けるかが責任の所在なら、それこそ自己責任を否定してるよ?(軍が戦争を初め、その結末を東京広島長崎沖縄の人々は焼き殺されるという形で引き受けさせられた。)
矛盾してるよ?人生のウソやめて。
あと、それに関しては別だというのならば、もはやあなたはアドラーを否定したことになるから、もう議論の余地ないね。
あと、こじつけの屁理屈言って論駁したつもりになるのだけはやめてよね?あまりの頭の固さというか頭の悪さ、馬鹿さ(鹿を指して馬だという)、洗脳された人特有のキモさ、気味悪さに虫唾が走るから。裸の王様だけはやめてね? 訂正
軍が戦争を初め、その結末を東京広島長崎沖縄の人々は焼き殺されるという形で引き受けさせられた。
↓
軍が戦争を初め、その結末を東京広島長崎沖縄の人々が焼き殺されるという形で引き受けさせられた。 >>92
王侯貴族が戦争を起こし平民奴隷が死ぬ。小学校レベルの歴史をちょっとでもかじったことのある人間なら、平民奴隷の功は王侯貴族のもの、王侯貴族の罪は平民奴隷の罪とされてきた事実がわかるはずだ。小学生に歴史教えてもらえ。 古代兵器から未来兵器まであるのになぜそれが罪だというんだい。 武器に武器をタイケツさせても韻律がよければ、事故は起きないし、つまらない死者は出ない。 >>75
もっと肩の力抜いたほうがいいよ。マジメなやつほどマジメ系クズになるからね。 >>107
横からだけど、生活に支障があるくらいの神経症を、
それまで原因だと思いこんでいた過去の出来事から切り離すことなどは、
アドラー修行者なら真っ先にやることだと思うんだよね
だから、答えとしては、アドレリアンのほとんどの人が出来た経験を持つ、んじゃないかな、と思う >>109
パヨ臭いの、やめてくれないかなあ
知性が低いのが透けて見える >>117
左翼とかいった単純なレッテル貼りではなく、歴史の客観的事実を述べてていることをありのままに見よう?
これは見方ではなく事実だからね。
俺の知性が仮に低くても、君はその十分の一もないよ。
あと、なんでも左翼呼ばわりするいの、やめてくれないかなあ
知性が低いのが透けて見える >>108
アドラー心理学の責任の所在ってのはカウンセリングのような建設的対話が成立すること前提の技法の話な
信頼関係のあるオープンな話し合いの下、共通の目標が成立して、互いに尊重し合いながら役割分担をしている時に、自分の役割に責任を持って取り組むことで所属感を満たせると
戦争責任がなんちゃらとかアドラー心理学の枠から外れて話が飛躍しないように日本語では課題という言い方しているのはを言い得て妙だなとあなたの書き込みを見て思ったよ 117
多分歳34くらいの冴えない野郎だろ?早く結婚しろ。そうすりゃ頭使わざるおえなくなるからレッテル貼りで安心して思考停止するのやめるようになる。あ、これもレッテル貼りか。 117に反論する必要はなかったな。ほっときゃいいのになんでもレッテル貼りで安心して思考停止する奴らに腹が立ってたから。思考停止こそアドラーが最も嫌っていたものなのになんなんだこいつらは。 >結末を誰が引き受けるかが責任の所在なら、それこそ自己責任を否定してるよ?
アドラー心理学の論理は自己責任論とは違うんですよ。
課題を分離しながらあくまで協力関係、共同体感覚を目指す、やはりお稽古ごとだと思います。
>(軍が戦争を始め、その結末を東京広島長崎沖縄の人々は焼き殺されるという形で引き受けさせられた。)
⇒これに対しても倫理的な責任の範囲とは違う考え方をします。
言ってしまえば所詮個人心理学として共同体感覚に照らした建設的行為を選ぶお稽古事でしかないので、
真理はどうかなどは関係ないと思います。
戦争責任については、アドラー心理学とは別の倫理基準に乗っ取ったものだと考えます。
アドラーの責任の所在で言えば、戦争責任を問われるかどうかだと考えられます。
ただし、アドラー心理学では、共同体感覚に対して建設的か、破壊的かという判断基準も含まれるので、
原爆投下が共同体に破壊的だと分かっていて選ぶのは間違いです。
軍上層部側の立場なら世界の情勢から平和的解決や被害の最小化を考えるのがアドラー心理学だし、
市民側から考えれば、軍を恨むことが建設的なのか、経験を平和的活動に向けるのか等が
共同体への建設的な判断を選ぶお稽古になると思います。 >>122
ありがと。ときどきこれ間違えるんだよな。を得なくなるだな。
>>125
真理かどうかは関係ないって危険な気がする。嘘言っちゃったら、その嘘を真理だと思った血気盛んな(俺みたいな)奴らがアドラー棒で殴る(いわゆる聖戦を始める)から、真理を追究するのは大事だ。
アドラーが真理を追究しなかったのならば、それはまずい。
あと、軍を恨めとかいう煽情的な話は俺はしてない。ただ、具体例はエグかったな。ただ、権力の力は強大だ。国の前に、一人の人間の力はごまめの歯ぎしりに等しい。
また大戦の話でくどいようだが、最高権力者の昭和天皇ですら、軍部を統制できなかったと聞く。まして、国民一人一人の力など、とてもアドラー理論の。
経験を平和的活動に向ける、か。それこそ、思考停止しないことがいかに大事かということだ。 >>119
悔しいなら呑み込んでおきなさいよ
スレチだからね、さすが恥知らずだわ >>121
おえなくなるで不覚にも笑ったわw
こりゃ稀代の釣り師かほんまもんのバカだね >>127上
いいや、違うよ
あなたの知性がその程度なだけ >>127
>アドラーが真理を追究しなかったのならば、それはまずい。
まずくないよ
アドラー心理学は認知論を前提としてるから
全ての人が「ぼくの考えた最強の真理」をそれぞれ持っているわけだから、簡単に分かり合えるわけがない
でもそういうものだと受け止めて尊重しあえれば協力的に暮らせるんじゃない?って発想だよ >>127 下
アドラー心理学にとって真理とは何か?と考えると、一人一人の中にあるものかも知れません。
基本的には共同体感覚を中心にする思想体系を軸に組み立てられた理論や実践法なので、
突き詰めれば共同体感覚とは何か?と考えることもできます。
これについては、私的論理の対比として共同体感覚が位置付けられています。
IよりもWeを良しとするっていうことですし、
「みんな同じ」よりも「みんな違う」を良しとする考えかたなんだそうです。
ここに真理を見いだすのは難しいかも知れないですが、
理解の深さを披露し合うことで学び合うという姿勢で論を交わすことは建設的かも知れません。 ぃゃぁ、エリート心理学徒の学問は、
みんなの役に立つ意味はあるだろうか…
そして、終末を渇望する人々を、闇は癒せるだろうか…?
それから、言い忘れたけど、地獄騙しになっているから、
そこんとこ注意ね 終末を渇望する人?よりまずは自分を癒せるといいね👍 きっとまだ学習の足りないAIに作らせた何か変な文章なのだろう >>133
用語の使い方は人それぞれ流派それぞれで私的論理は特に相違が生じる
一般化した言い方は注意が必要かもよ
個人的な考えを言うと
私的論理と共同体感覚が両極にある概念だとは認識していない
ライフスタイルという出力装置・認知形態が導き出す考え方の筋道が私的論理で
それが共存的、貢献的である場合に共同体感覚的だと呼んでいる
共同体感覚は建設性を向く方針だから、「みんな同じ」を目指しているとも言える
どういうことか?
例え話
塩ラーメンが好きだという人がいる
その人が味噌ラーメンの好きな友人と昼食にラーメンをとるとき
二人の行きたい店は変わる
この相違した現実を私的論理と呼ぶ
二人とも違う考え方(ライフスタイル)をしているから結論(私的論理)が違う
では共同体感覚的なライフスタイルとは何か?
意見が違うからweは成りたたない
でもどちらかの意見を塗りつぶす気もない
なら
塩ラーメンと味噌ラーメンでどっちにしよう、妥協点はあるかな、二人がより満足いくにはどうすればいいのかな、そう思って話し合うしかない
相手を打ち負かして連れて行くとか、言いたいことを言わずに従うとか、そういう選択をせずに
皆がそうであればいいな、どちらも満足する道はないかと探し続けらればいいな、ダメならそうなるよう、納得してもらえるよう、ゆっくり頑張るけど、と自分の中だけで考えている
それが共同体感覚だと思う
全体主義でも個人主義でもなく合意主義に向けた決意
塗りつぶすのではなく選んでもらえるよう頑張る決意
それが私的内面に論理だっているとき、その人の私的論理を共同体感覚的だと言うのではないかと >>139
仰る通りですね。
自己執着の対極としての共同体感覚と言った方が良かったかと思いました。 課題の分離の件なんだけど、
課題の分離の課題とは、「その結末を最終的に引き受けるのは誰か?」だから、
例えば勉強をしない子供にガミガミ勉強をしろと言うのは子供の課題なので、
わかるんだけど、
こんなケースはどうだろう?
Aさんがトイレに入っていた。Bさんがトイレの外で並んでいる。
Aさんは、マナーが悪くトイレを汚なく使い、汚しまくり、汚れたところもそのままにして
トイレを出ようとし、Bさんは、トイレに入ろうとしている。
さて、汚れたトイレは、誰の課題だろうか?課題の分離の課題とは、
「その最終的な結末を引き受けるのは誰か」である。
つまり、この場合の課題はBさんの課題になってしまう。
AさんはBさんに向かって「お前の課題だろ!」と言って立ち去ってしまう。
自分がBさんなら、これは、受け入れがたい・・・。 >>143
その例はそもそも課題の分離の例にならない
Aさんの私的論理の中での「私の課題」に付き合う必要はない
課題の分離のというのはAさんとBさんの間でトイレの使い方についての取り決めがあった上で初めて機能するものだよ
例えばトイレを共同で綺麗に使おうという共通認識の目標があって、使ったら次の人のためにこういう状態までは綺麗に戻すという具体的なルールのもと役割分担としてのAさんの課題が生まれる >>144
取り決めがないからこその課題の分離ではないのですか?
取り決め(ルール)があれば、それに従えばいいだけのこと。 >>143
会社とか公共のトイレで普通に汚い使い方の人居るもんね
イジメにも通じる問題の様な気もする
そういうのが人生の課題と言えるのかも知れない
結局、Aにとっては周囲の人間への配慮や協力関係の構築という課題があるだろうし
Bにとっても目の前の受け入れ難い難題がそのまま課題にあるし乗り越えなきゃいけない
そのままトイレを掃除する貢献感に繋がられるかも知れないし
トイレに啓蒙ポスターを貼る貢献する感もあるかも知れないし
他のトイレを使えば自分の課題じゃなくなるかも知れない まったく他者は突然到来して
課題も突然到来するんだね…… >>145
http://jalsha.cside8.com/diary/2016/12/08.html
「課題の分離」というのは、「『目標の一致』のないときに相手の人生に介入すると、あるいは相手を自分の人生に巻き込むと、両者ともに不幸になりますよ」ということを言っているのであって、「人からどう思われてもいい」ということを意味しているわけではまったくない。
これはテレビ局の完全な誤解だ。先ほども書いたけれど、《協力》というのがアドラー心理学の思想のキーワードだ。 食事のとき、食べ物を床に落としたとする。
課題の分離の考え方では、この時の課題は落とした人ではない。
床に食べ物が落ちてることで、迷惑に感じる人や実害がある人の課題になる。
店なら店員の課題になってもいいかもしれないが、
学校や家庭では、この考え方は問題だよな。 落とした本人は食えなくなるという物凄い損失になるわけだが >>150
課題の分離だけしか使えない「課題の分離心理学」だけをやるならそこは問題だね >>150
あなたは課題の分離の考え方を正しく学んだ方がいい >>147
慣れてくると、心のざわつきをキャッチしたときに
また新たな自分に変われることにワクワクできる様になるよ >>155
ありがとう。
まだ時々不安や恐怖が過剰になったりもするのだけど、勇気もらった。
他者との倫理的出会いを突破口として自己の内在的世界から無限への脱出を説く
レヴィナスの哲学に思えたんだ。 >>150
共同体にとってマズい結果を作った人の課題でしょうね
破壊的な行動より建設的な行動をすすめるわけですから
原状復帰と再発防止と必要なら謝罪でしたっけ、対応としては >>158
それには共通の課題としての合意を作るところから始めなきゃね
家庭なら食べ物をこぼすと何が困るのか伝える努力から始める形かな 例えば病院などの公共の場所に子供を連れて行く場合、
その場所では静かにおとなしくしなければならないことと、
守れない場合は速やかに連れて帰るという事前の合意を作っておいて
守られなかったときには泣こうが喚こうが家に連れて帰るのがアドラー心理学的だと言うから
食べ物についてもこの様な手順を踏むことになるんじゃないかな 「課題の分離」だけの考え方なら>>150になるよ。
ただ、共同体感覚や道徳が入ってくると話は別。 そんなに難しい話じゃないよな
何のために課題の分離をするのか?
他者と協力的に暮らすため
とてもシンプル
協力的じゃない形での課題の分離の例を挙げられると、それちょっと違うんじゃない?ってこと >>162
課題の分離=共同体感覚でもあるからその通りだよね
ただし実践例でそれはちょっと違うんじゃない?で終わってたら思考停止だし
食べ物をこぼす家族を想定すれば、協力関係を築くのが目指す人生の課題なんじゃないかな?
元々共通認識としてあるなら、汚さない様に食べてもらうと助かるとお願いするのが妥当かな なんかスレ見てるとアドラー心理学はカウンセリングの関係や、たまたま協力関係を築けた場合のみに適用しようっていう流派があるのかな? まとはずれな心理解釈ゲーと市場利益主義みたいなのの混合物 風俗から情報をかっているがために
激甘な扱いみたいな記事がでるのであるのか!? 廊下にゴミが落ちている。
このゴミを拾うか拾わないかはあなたの課題である。
しかし、もしゴミを落とした人を知ってたら落とした人の課題になると思ってるのと同じ。
>>163
課題の分離は入口で共同体感覚はゴールだから課題の分離=共同体感覚とは
言えないんじゃないかな? >>164
ゲゼルシャフト構造の社会を転換させてゲマインシャフトな社会をつくるのがアドラー心理学の目指す到達点なんだよ
それを実現するために、社会主義運動に参加したり、政治を変えたりすることは無意味だとして放棄している立場
アドラー自身も社会主義運動に傾倒してた時期もあったけどそこは諦めた
その代わりのゴールとして、ひとりひとり個人の中に共同体感覚というか社会参加の意識を育てていく草の根的活動ということがアドラー心理学の思想の前提としてある
その思想を土台として理論や技法が構築されているのがアドラー心理学
主体的で協力的なマインドを持った個人が社会に出ていくことで、少しずつ協力的な社会に変わっていくことを目指しているような言い方だと伝わるかな?実際実現できるかは別問題として
アドラーもいろいろ手段を模索して晩年は教育しかないって感じだったし、アドラー心理学を体系化させたドライカースも教育としての論理を作り上げたんだよ
アドラーブームは嫌われる勇気からだし、そんなに論理的に間違っていることを言ってるわけじゃないんだけど
課題の分離、トラウマは存在しない、原因を考えないみたいなセンセーショナルな部分が強調されて自己啓発化しているから、本来、理論や技法の根本にある協力的側面抜きでアドラーを使っている人は多い感じはするかな
アドラー心理学であるものとないものの違いはここでわかるかも
http://jalsha.cside8.com/diary/2016/12/31.html >>163
アドラーの技法は共同体感覚育成のための論理
他者を他人事でないと感じるからこそ課題を分離するという発想だよ >>159
共通の課題なんてものはないな〜
親には子供に社会性を身につけてさせる課題があり、
子供には身につける課題がある
それらは「別の」課題 >>171
ああつまり、課題を分離しつつ親がどんな行動を取るかって話だよ
子供の課題だからって口出ししないだけが課題の分離じゃないから アドラーの原書翻訳本を一冊でも読めばわかるよ
兎にも角にも「共同体感覚」だよ
どのページ開いても、1ページに何回も共同体感覚って書いてあるレベル >>170
ライフタスクは無視どころか、協力的であろうとするなら基本的に意識していく必要があることじゃないかな?
ライフタスクって愛の課題、交友の課題、仕事の課題と全て対人関係の課題として捉える訳でしょ?
対人関係の取り組みにおいて、競合的と協力的の二項対立で考えてみて、協力的に行動することを選択するのが共同体感覚的な生き方なわけで
ライフタスクに取り組むとは別の言い方をすれば、対人関係の課題に対して協力的に取り組むってことだよ 追加で言うと
協力的であるための選択肢として課題を分離するという方法をとることができるってこと
わかりやすく言うと「分業する」ってこと
課題を共同化できない、あるいはしない方がいいケースもたくさんあるからね つまりこういうことだな
共同体感覚なくしては課題の分離のなんたるかは掴めないし
日本人は課題の分離なくしては共同体感覚のなんたるかは掴めない
課題の分離は結末を経験してもらうことも目的としてあるから
本人が気付くまで好きなだけ食べ物をこぼさせても良いし
こぼしてみてどうだったか聞いても良い
事前に食べ物をこぼすことで生じる社会的なザンギを説明しても良い
親の立場で共同体感覚と照らし合わせて子供を社会的に自立させる責任を意識するうえでも
その様な手順を踏めば良いってことだね >>178
アイメッセージで言うと
俺には共同の課題を避け過ぎてる様に見えるよ
慣れるまでは徹底した方が良いだろうけどね >>174
なるほど、対立的でなくて協力的なら、共同の課題ももちろんあるね
訂正します 一
壱 壹
弌
に
二
弐 貳
弍
さん
三
参 參
?
し
四
肆
ご
五
伍
ろく
六
陸
しち
七
漆 ? 質
※?は漆の異体字
はち
八
捌
きゅう
九
玖 自分で質問して自分で答える心理がわからん
楽しいのか? 決めつけで観測者を気取る心理がわからん
楽しいのか?
自演がないと言う気はないけどさ アドラーの他者貢献という言葉を知って、浅はかにも人に自分への貢献を要求する馬鹿が出てきそうで怖い。 無私利他を主張するやつって、たいてい我利我利のエゴイストで、言ってることとやってることが正反対だったりする。
世界一多くのありがとうを集める。渡邉美樹 カンボジアに学校を建てる一方、社員は過労死させている。
残業129時間、休憩が30分
NHK記者だった娘を過労死で亡くし、公聴会に随行人として参加した佐戸恵美子氏は「『週休7日が人間にとって幸せなのか』と遺族に満面の笑みで聞いた(渡辺氏の)顔は忘れられない」と怒りをあらわにし、
「それを言わせた自民党の考えを聞きたい」と述べました。 一日12時間労働、裁量労働制、従業員への賃金未払い、内部告発者を懲罰解雇、不適切な労使協定の元での時間外労働
渡邉美樹は、2013年(平成25年)の第23回参議院議員通常選挙に立候補し、自民党の公認を得た。
遺族は、元女性従業員を自殺に追いやった人物が国会に入れば、さらに多くの若者が苦しむことになると危機感を募らせ、自民党に対し渡邉の公認を撤回するよう求めた。
自民党は、遺族の党敷地内への入構を事前に許可していたにもかかわらず、いざ遺族が党敷地内へと入るやいなや、建物内への立ち入りを強硬に拒んだ。遺族は激昂し、抗議した。
しかし、渡邉の自民党公認が撤回されることはなかった 第1回口頭弁論[編集]
2014年(平成26年)2月17日、東京地裁にて、第1回口頭弁論が開かれた[60][61]。
渡邉参議は2月4日の自民党部会で「悔いている。一生かけて償う」と発言していた一方で、当日の口頭弁論を欠席し[62]、大阪で開催した学生向けの就職説明会に参加していた[60][61]。 第2回口頭弁論の傍聴席占拠問題[編集]
2014年(平成26年)3月27日の東京地裁における第2回口頭弁論の際[63]、ワタミ従業員多数によって法廷の入り口が塞がれている状態となっており、法廷の傍聴席が占拠されていると、NPO法人「POSSE」のスタッフがツイートした[62]。
東京東部労働組合および遺族側も、同様の事態が生じたことを報告した[62][64]。朝日新聞および毎日新聞も、同様の騒動が生じたことを報道した[63][65]。
それに対し、第1回口頭弁論を欠席し[62]、今回の第2回口頭弁論にて初めて出廷した渡邉は[63]、フェイスブックで「事実と反する」と表明[62]。
「双方傍聴希望が多数あり、その場で協議した結果、原告側(2):被告側(1)の割合で傍聴席をわけ、受け入れたのが事実だ」と発言した[62][64]。
ワタミ広報も「関係各部署のスタッフが自主的に傍聴しに時間前に並んだにすぎない」としており、多数の和民の職員が裁判の傍聴を求め、争った事実はあるものの、業務として行った事ではない事を表明している[62][66]。 第2回口頭弁論[編集]
第2回口頭弁論の意見陳述にて、渡邉参議は、原告の申し入れを受諾することはできないと述べ、法廷で争う姿を明確にした[63][62][64]。渡邉は、「道義的責任を重く受け止める。心より謝罪を申し上げる」などと述べ、法廷で頭を下げた[63][64]。
この渡邉の陳述に対し、遺族側は、渡邉が「風評被害」という言葉を口に出したことを挙げ、「心からの謝罪であるとは思えない。一日も早く事件を風化させ、事業を通常営業に戻し、利益を回復させたいだけだ」と指弾し[64]、「本来は第1回口頭弁論にて陳述するべき内容。
当たり前のことができない会社だ。謝罪は方便にすぎない」と述べた[65]。
渡邉が「争いは早く終えたい」と述べ、陳謝をうそぶく一方で、渡邉および被告側は、遺族である原告側の主張を全面的に否認する意見陳述書および準備書面を提出した[67]。被告側は、残業時間などの労災認定された事実をも否定した[67]。
これにより、原告側は基本的な事実の立証からのやり直しを迫られる形となり、裁判は長期化されると予見されている[67]。被告側が提出した準備書面には、慰謝料の算定にかかる差別的表現や、遺族を逆上させるような文言が見られた[67]。 「ワタミの介護」入居者死亡事故
87歳の男性入居者が死亡、不適切な介護
74歳の女性入居者が溺死・隠蔽、警視庁が捜査
「ワタミの宅食」の個人情報流出、選挙違反[編集]
個人情報の流出が数回起こっている ワタミ社長・渡邉美樹はその後、2007年に著書『もう、国には頼らない。』中で“○民”と名を挙げ“和民というヒットした先行者がいれば真似て全部そっくりにする者が出て来る”と記す。
モンテローザ(魚民)はこれを和解内容に反するとして、法人のワタミ及び渡邉に対し1億円の賠償を求め提訴。東京地裁は2009年11月16日、渡邉個人の責任のみを認め300万円の賠償を命じた。 >>188
アドラー心理学で考えると足して引いてゼロにならない
渡辺美樹みたいなのを事例にするなら
搾取する側が自己を正当化するために無私利他の声を大きくしてるだけの様に見える
ちなみに無私利他の本質は自己犠牲と勘違いされやすいけど
本質は共同体感覚的なものでプラスマイナスの考え方とは異なる 最低賃金ではない職種の募集もしています。職業選択の自由は憲法で保障されている議論の大前提です
異常になることでしか、非凡な人にはなれない。
「ニートは憲法違反。労働というのは国民に与えられた義務ですから。」 有名なワタミ前会長は参院選に出馬
そんな中、ご本人のFacebookにて
お昼は吉野家さんに行きました。
支援の声を頂いている、安部社長は
アルバイトから社長に登りつめた方。
外食業界でも一目置いています。
とくにこの「紅しょうが」が大好きなんです。
美味しかったです。
何の変哲も無い投稿が。だが、そこに気になるコメントを発見↓
「目の前にいる有権者に対して命をかける」
「別に強制しているわけではないが、選挙運動12時間の内 メシを食える候補者は2流だと思っている」
「命がけで全部の有権者をみていたら、命がけで全部の有権者を気にしてたら、
ものなんか口に入るわけない、水くらいですよ」
ん?何か聞いたことあるなと思い、調べてみると・・・
バッチリ言ってましたね・・・ >>186
労働者から搾取する為にアドラー心理学の解釈をねじ曲げて利用してる企業も既にちらほらあるみたいだけど
その話を持ち出すのは見せかけの因果にとらわれる典型例だと思う
自分自身がアドラー心理学を実践するのとは全く関係のない話だよね >>200
無私利他をアドラー心理学に言い換えると自己執着の概念を共同体感覚に負ける為に他者貢献を行うことになる
他者貢献と自己犠牲はイコールじゃない
もっと言えば渡辺美樹イコール無私利他じゃないので
その事例を無私利他の典型例で持ち込むとさらにややこしくなるね やだなあ、選挙運動 12 時間の間のお昼に吉牛食うような現行不一致の候補者を当選させたくないよ、アタシは。
水だけじゃないんですね・・・残念です
渡辺さんはご飯食べるんですね。
営業時間中に食事をとる店長は二流で、選挙戦中に昼食とるの貴殿は二流じゃないんですね、勉強になります! なんかワタミの是非よりも
ワタミへの怒りに取り憑かれてるのか、ミイラ取りがミイラになっている状態のこの人が心配 やべぇ、俺、学生時代は金なくて昼飯抜くことも結構あったから、ワタミじゃ一流になれるかも知れない。 >>196
話題とは逸れるけど、共同体感覚も相対的マイナスから相対的プラスに働く仮想論を前提として捉えるからゼロにもならないしマイナスにもならない
自己犠牲だろうと自己執着だろうと共同体感覚からだろうと、全ての行動はその人の私的論理の中でプラスになると言うのが正解かと >>205
一番の典型例はブッダじゃない?
手塚治虫のブッダもなかなか面白いよ 業界ナンバーワンになるためなら違法行為が許される
「お前、拾ってもらったんだよな?辞めるって恩を仇で返す気か?」
今日は勤労感謝の日です。働けていることに感謝しましょう >>209
どうすればいいと思う?(俺もそうするとは限らない。) >>212
どうしたいの?と思うけど、取り敢えずアドラー心理学は俺からもオススメ >>211
『雨にも負ける』
雨にも負けるし
風にも負ける
雪にも夏の暑さにも負ける
ひ弱なからだをもち
肉だらけで すぐ恨むし やさしさを忘れて久しい
一日にペヤング超大盛り5箱と
ドクターペッパーとプリングルスを食べ
あらゆることを打算的に 人の言う事は基本的に聞かず そしてすぐ忘れる日照りの時はコンビニ行くだけでだらだら油汗を流し
寒さの夏は大喜び
みんなにヒキオタニート社会のゴミと呼ばれ
褒められもせず 苦にされまくり
そういうものに
わたしは
なってしまった ワタミは時代や地域のおける比較の問題
都会では異常だが田舎ではありがち、学卒が衣食付でも週1休未満で16時間拘束、これで年収200万とかな
良し悪しではなく、またアドラーと関係するか否かは定かでない 自他双方が所属感を得られるように自分にできることに集中する
共通の課題になるまでは相手の課題に踏み込まない
共通の課題が見つかれば互いに持っているものを活かし会う >>218
そのどちらも不可能だよ
自分の意に沿わなくても他者貢献しちゃってるし
自分の結末は自分で引き受けざるを得ない ワタミはある意味社会的結末を体験しつつあるんじゃないか?
ネットにも遺族にも叩かれまくりだし
雇用が安定して賃金が上昇したら淘汰されていくしかない存在でしょ
下手したら都知事になる勢いだったけど今そこまでの影響力はなくなってるでしょ >>219
現実を知らなかったら何とでも言える
相手の思う壺に嵌ってカネ貰って勉強させて貰った上で、ご恩返しで潰す意識でないと働く場所がない >>218
自分の中でそれを叶えた具体的な生活を思い浮かべると良いかも
例えばタヒにたいと考える人だってタヒぬことで叶えられる何かがあると思ってる
そこには大概他者が絡んでる オウム心理教の影響で日本人の宗教観は大きく変わった
カルトに対する教訓を多くの人が得た
昨今の最近の原始仏教ブームも事件がなかったら起きてない
って意味では貢献していないとは言い切れないよ >>220
責任能力
2 刑法上の責任能力 2.1 責任無能力と限定責任能力 2.1.1 心神喪失と心神耗弱 2.1.1.1 心神喪失および心神耗弱の例と問題
2.2 心神喪失や心神耗弱の認定
2.3 14歳に満たない者
3 刑事訴訟法上の心神喪失
4 民法上の責任能力 4.1 未成年者の責任能力
4.2 心神喪失者の責任能力
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E8%83%BD%E5%8A%9B カルト宗教が出てきにくい世論は出来上がったかもね
無理矢理かもだけどオウムの存在がカルトの抑制に繋がっているとも言える気はする >>228
○ 原始仏教ブーム→オウム真理教
× オウム真理教→原始仏教ブーム >>230
自分の結末という意味ではなく、他者から責任を問われたくないという意味での
自己責任を負いたくないってことかな >>227
イラン・イスラーム革命は、イラン・パフラヴィー朝において1979年2月に起こった革命である。
亡命中であったルーホッラー・ホメイニーを精神的指導者とするイスラム教十二イマーム派(シーア派)の法学者たちを支柱とする国民の革命勢力が、
モハンマド・レザー・シャーの専制に反対して、政権を奪取した事件を中心とする政治的・社会的変動をさす。
民主主義革命であると同時に、イスラム化を求める反動的回帰でもあった。イスラム革命(英: Islamic Revolution)とも呼ばれる。 社会主義革命も、ある意味政治革命というより宗教革命のような面もある >>215
いや、良し悪しでしょ、違法だし人何人も殺してるし。ヒトラーみたい >>233
何をもってブームとするかは違うだろうけど仏教本がビジネスとして売れ始めたのは10年前くらいからだろ >>241ちがうちがう俺225じゃないよ。色ちがうでしょ?たぶんそういう意味でしょ?ってこと 「アドラー心理学って宗教みたい」なんてアンチレス時々出てくるけど、宗教イコール良くないものみたいな観念が前提としてあるよね
これってもしオウム心理教事件がなかったらその既成概念自体が生まれてないんじゃないかな? デメリットなく幸せになれたから、どっちでも何でもいいかな 244
宗教はその道徳性が、賛否両論わかれるのだ。生命倫理に触れる生命科学以外の科学は道徳と関係ないのでほとんど批判されない。 まあ、進化論や地動説、ビッグバーン論が嫌いなキリシタンが今でもアメリカに結構いるらしいがな。 実践してると、それがアドラー心理学と呼ばれようとアドラー真理教と呼ばれようとどうでも良くなるけどね
前者の方が新たに始める人に優しいかなってくらい
仏法僧の、発案者が居て教えがあって教わる人が居るから宗教だって定義で言えば
教わったときに自分をアドレリアンの一員と認識する分宗教と変わらない気がするし >>249
精神的な健康や建設的という矢印と道徳が被って見えるよね >>246
なるべく人に迷惑をかけないように、なるべく自分を犠牲にしないように、幸福感を目指したいならアドラー心理学は使えるんじゃないかな? 奴らは現代科学に対する対抗宗教改革で、知性ある何かによって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとするほとんどこじつけかかなんかにしかきこえない「インテリジェントデザイン」という説を発表した。 >>245
何か逸話があるのかと思って調べたけど分からなかったw
好きは好きよ >>250
思想を宗教、心理学を科学とよぶなら、アドラーは提案した段階で科学ではなく思想なので、宗教だろう >>254
復讐は幸せじゃないというけど、一生を父の仇平清盛への仇討ちにささげた義経を、反復讐主義者は批判しているのかな? >>256
いや、無思想の科学者もいる。たとえばマッドサイエンティストにはそういう人多いんじゃないか。 科学も宗教だよ
スタップ細胞だってバレる迄は皆信じてたろ
人間はいつも自分にとって効能があるもの皆が正しいと言うものを信じるだけだ >>257
いや本当に幸せなら別に良いと思うから聞いたんだよ 天動説だって当時の科学者達なりの理論によって広く信じられてたからな 客観的真理を求める学問は科学、主観的真理を求める学問は宗教
政治学は力学だから科学。フロイト心理学も精神力動論だjから科学 俺としてはアドラー心理学の思想で生きた方が世の中おもしれーぞって思うだけ >>263
こっちも似たような感じやで、そうかっかするでない。 >>266
真理を求めないアドラー心理学はそのどちらでもないということか >>268
間違えた。264
語尾が↓ 語尾が↑だったら挑発だけど >>266
アドラー心理学の前提は、客観的事実を認識する事は人間にはできない、主観的にしか世界を認識できない、だよ >>271
納豆がうまいかまずいかは主観的真理。好き嫌いも。納豆のうまみ成分はどれくらいあるかは客観的真理。 >>272
俺>>264だが今までの会話には一言も加わってないが
流石の妄想力だな 源義経って復讐なのかな?
劉備みたいな、源家の再興とか
赤穂浪士みたいな忠義とか他の理由も色々考えられそうだけど >>263
257、268、270です
268の >>263は >>264の間違いね。失礼。 >>275
頼朝は源氏再興で、義経は仇討らしい。(司馬遼太郎情報) >>279 どっちもどっちってことよ
君とは馬が合いそうだ。レベルが俺と似ているw >>273
しかし結局のところ主観でしか味わえない。
同じ成分が同じだけ入ったものを食べても人それぞれ感じ方が違う。 復讐心になんのメリットもないでしょ
そうしないと気がおさまらない、仲間が浮かばれない(と本人が思い込んでいる)だけ 楽しんで働き易い環境で仕事して家族で美味しいものを食べて大切なものを大切にする生活よりも
厳しい環境で耐えて復讐に燃える方が幸福感を味わえる人だって居るのかも知れない 今日はアドレリアン多いね
あくまでアドラー心理学の解釈の中で言うと
客観的事実を客観的たらしめているのは人々の共通感覚なんだよね
うまみ成分がうまみ成分であるという認識を共有できるのは人と人との間に共通感覚があるから
共通感覚は個人の私的感覚でもあるから主観的な解釈
うまみ成分は俺たち人間社会にとって食事を楽しむために必要な要素だけど多くの動物にとっては認識にすら上がらない
俺たちがネットの掲示板で会話ができるのは言葉という共通感覚があるから >>271
それは近代科学の発想な
特に宗教的倫理との差別化が必要な時代背景的な側面から「客観的」という部分が強調された
現代科学は「客観的真理が存在する」というバイアスを疑ってかかるところから始まる 世間では科学=真理って思ってる奴が多そうだよな
それじゃ宗教=真理って言ってた時代と変わらんのだが 前にスレで誰かが言ってて感銘を受けたんだけど、
自己執着を競合的な私的感覚だと定義して
客観的なものを大多数の共通感覚と定義すると、
共同体感覚という協力的に横の関係を築く態度によって
他者の感覚を受け入れ、共通感覚的な枠を広げることができる。
これによって客観的な論理の感覚を深めることができる。
まさにそういうことだと思うな。 なぜ人類は科学を発展させたのか?
所属のためにコモンセンスが必要だから >>291 をもとにして考えると
科学が役立つことの一つに、競合的な感覚に支配された人でも客観的な情報として受け入れる根拠を持つってことが言えるね >>252
その評価がよくわからないけど、そういうものではないよ、アドラー心理学は >>294
俺は>>252に違和感は感じないけどどういうことなの?
まさか人に迷惑かけるかどうかは相手の課題みたいな次元の話? 課題の分離はコンセプトがわかってて訓練として使えればいいんだけどね 結局のところ、自分が変わらないと何も変わらないよ。
アドラー本人は3日で変われると言ってたみたいだけど、
アドラー派の人達は今迄生きてきた期間の半分の時間がかかるというのが、
通説らしい。 独学はなかなか大変とされるけど、アドラー心理学身につけるのに一番早いのはライフスタイル分析を毎日自分に使ってみることでしょ ユダヤ人のアドラーとて、結局はキリスト教に改宗したからな。
十戒より愛の方が上だと思ったのだろう。(自分はクリスチャンではないが)
欧米では間違いなく、>>143はBさんの、>>150は落とした食べ物を気になる人や実害のある人
の課題となる。
なので、Aさんや食べ物を落とした人には責任を求めないがそのかわり犯罪ではないが、
罪という概念を犯したことになり、ツミビト(罪人)ということになる。
では、Bさんや実害のある人はどうするのかというと、キリスト教の概念では、愛の力で赦すのである。
なぜ、赦せるのか?それは、自分自身もどこかでたとえ小さくても罪を犯しており、罪人だから
である。 イエスの≪黄金律≫に示された隣人愛はミルも功利主義道徳の理想としていましたね >>297
またかよ
人生の半分は通説ではないって >>307
通説ではないのなら、それだけで済ませないで、
だったら、どうしたらその期間を短くできるのですか? この母親はブログで、自分の子供が新幹線の車中で泣き出した直後に、隣の乗客が耳栓を付けたことにショックを受けたと告白。
「何故かものすごく悲しくて涙が出そうだった」と、当時の複雑な心境を赤裸々に振り返っている。
■「何故かものすごく悲しくて涙が出そうだった」
新幹線が発車してから20分ほど経った頃、連れていた子供が泣き始めた。そこで母親は我が子をあやしつつも、
隣に座っていた乗客の女性に謝ろうとした。しかし、隣の女性は子供が泣き出した直後、
「無表情のままノートパソコンを閉じて耳栓をとりだした」という。 この母親は、
あたしが、子育てでストレスを抱えているのに、
おまえは耳栓でストレスを回避して優雅な新幹線の旅を満喫するんじゃねーよ
という気持ちですか? >>309
通説じゃないのであれば長いわけじゃないんだから短くする必要なくね? >>309
日常生活の中からエピソードを切りとって書き出す
陰性感情を手掛かりにして仮想的な目標を調べる
協力的な代替案を考えてみて試してみる
ひとつが変わると冗長性のため人生のいろんな場面で変化する
一日一エピソードを1カ月でもやればものすごく変わるよ >>273
それ「世界がまずあって、それで言葉が創られる」の発想ね
アドラー心理学は「言葉がまずあって、それで世界が創られる」と考える 自分及び仲間への貢献は差別愛(自分と仲間以外の生き物を含んでいない。) 初めに言葉があった。言葉は神であった。
これは、キリスト教は、イエスの預言に始まったことを意味している。イエスの言葉そのものが神であると。 アドラー教もまたしかり、初めに言葉があった。言葉はアドラーであった。アドラーの言葉が、アドラーの信仰するものそのものであり、アドラーが信仰した神なの。 >>318
『全部を「人ごと」だと思わずにいるなんて、自分にはとても無理です。。どうしたものでしょうか・・・?』
そしたら、
野田先生はお応えされました。
『無理っすね、これは! 理想は理想です。
人間は永久に達成できない理想に向かって生きて行く存在なんです。
でも、理想が無いとだめなんです。
「人ごとだ・・・知ったことか!」という自己執着は、自分をも不幸にするし他人をも不幸にしますね。』
・・・と。 >>322
そういう意味じゃないわw
例えば同じ「好き」という言葉にもいろんな解釈がある
loveなのかlikeなのかinterestなのか所有欲なのか執着なのか博愛なのかゲマインシャフトなのか
言葉にはその人のライフスタイルが介在するってこと >>313、>>316
焦ってもいけないが、変われるなら残りの人生限られてるから期間短くしたほうがいい。
通説ではない。だけではなにもかわらないと思うけどね。
アドラー自身、大切なのはこれからどうするかだと言ってる。 >>326
ちゃんとやれば変化は数日で実感できるでしょ
あとは合うか合わないかだけ
これからどうするかが大事だからこそ期間で悩む意味がない >>327
確かにそうですね。
期間で悩む意味はない。 >>327
これからどうするかということが大事です。その通りです。
ですから、
>>あとは合うか合わないかだけ。
は、実はフロイト的な原因論になります。 >>329
どういう意味でおっしゃっているのか教えてください 例えば、やりたくないという目的があって合わないという理由をこしらえた。
目的論の中に原因論が含まれるので、この考え方は原因論になります。 みかけの因果律ともいうけども、これも原因論ですからね >>331
とすれば試してみたけどやっぱりアドラー心理学俺には合わないわって言ってる人にどう接すればいいの?
俺なら他にもいろんな思想体系や心理学アプローチあるから合わないなら無理して続けずにアドラーから離れてみたら?って助言するけどな
それこそ人生限られてるわけだし アドラーは自己犠牲は必要ないみたいなことを言ってるけど、
忍耐は必要ですからね。 >>333
まずは、なぜ、合わないと思っているのかをきくこと。
あとは、本当に変わりたいのかきくこと。(間接的に)
変わる気がないのなら、なにやっても無理だよ。 >>331
やりたくないから合わないという理由をこしらえた
では終わらないよアドラー心理学は
あとアドラー心理学は原因論を使わない心理学ではないよ
目的論がエピソードを記述するのに便利だからよく使うってだけ
自分の中には矛盾がない訳だから、所属がゴールである以上大抵の場合、合わないという理由の建設的な側面を見つけられるはず
やりたくないのはなんのため?
ーライフスタイルを変えないため
ライフスタイルを変えないことで何を得てる?
ー自分を厳しく育ててくれた母への感謝の気持ち
母との関係性を大切にしつつ自分を変える方法があれば興味ある?
みたいな >>327
アドラーが合わない人ってどんな人ですか? 最新の精神病理学がアドラーを葬った
「叱る」「誉める」は人間の脳に必要なのだ
【ニュース解説】<滋賀同僚警官射殺> "叱られたことのない人"を叱ると殺される…「間欠爆発症」という凶器を持つ人★2
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1524153155/ >>339
印象操作乙
叱らない代わりに褒めるのはどうなの?って記事ですこれ ナルシシズム
自分のダメな部分に目をつぶって自分は素晴らしい人間だと思い込む
自己受容
自分は不完全だけど、こういう所なら人の役に立てる 334日本は家族社会、勘定抜きの滅私奉公が尊ばれる考え方
西洋は生きるために契約する考え方が合う社会
殉教や騎士道もあるにはあるが、耐える動機が違う >>342
その概念は名誉、誉れの為に行うわれるからアドラーとは違うと思うよ >>342
数字だけじゃなくて>>を付けてもらえる? >>327
他者が「あなたはアドラーは合いません」と言っちゃうのは違うと思うな〜。 >>345
試してみて、自分が、自分の肌に、合うか合わないかって意味ね 今目の前にある問題が重く感じてて
いろんな本を読みこんだりアドラーの活動に参加する余裕が持てない
日常の中で実践してみて手っ取り早く効果を感じたいんだけどどうすればいい?
虫のいい話ですまん >>347
何も問題が無いと思っている行動でも、ちょっと自分から変えてみる
結果を見届けて、変える前と後でどちらがより建設的だったかを考えて、次からの行動に活かす
たったこれだけでも、アドラー心理学の実践になると思うですよ(^^♪ アンカー付けずにすまんかったね、嫌われる勇気がなかったかも
>>343
忍耐とは目的や諦念で世の東西を問わず一緒
でも風土が違う
和の社会は嫌われないよう振る舞う
ありのままが困難であり、手段として心を殉じ続ける
原理は一緒でも環境により手段が違うから、各論で齟齬が生じるのはしゃーないと言いたかった
>>347
心の中で人のせいにする
自分を理解するのは自分だけだと思い込んで、表で演じる >>347
アドラー心理学の認知論とは
全ては思い込みであり思い込みによって人生が決まるということ
アドラーの言う思い込みの要素とは3つ
私は〇〇な人だ『自己概念』
他人は〇〇な存在だ『世界像』
だから私は〇〇しなければならない『自己理想』
だとするならば
今抱えている課題に関して自分持っている思い込みを
共同体感覚に照らして捉え直してセットすればいい
共同体感覚とは言い換えると自己受容、他者信頼、他者貢献
つまり、
自己概念を自己受容的に
世界像を他者信頼的に
自己理想を他者貢献的に
寄せてみると感情思考行動が変わる
難しく言うとこんな感じ
簡単に言うと、
私は不完全だけどこんな能力を持っている
人々はどんな時も自分を応援してくれているし必要があれば援助してくれる存在だ
だから私はそんな人々のためにできる事をしよう
と、そういうものなんだという前提で(そう信じられなくても)今の行動をチョイスするようにするといいよ >>349
アドラーの忍耐は社会的な責任を自分で持つ為だから文化圏は関係ないのでは? このスレの人々が幸せでありますように
悩み苦しみがなくなりますように
調和して暮らしていけますように >>347
今流行りのマインドフルネスお薦め
簡単に言うと
「今感じてるインプットで頭を(マインド)をいっぱいにしなさい(フルネス)」
具体的に言えば
上唇と下唇の設置点を意識したり
悩みは何も解決しないが現実逃避は上手くなる >>349
>>心の中で人のせいにする。
釣りだと思うが、そんな釣りかたやめてね。
人のせいにして、前向きになれますか?
人のせいにして、建設的になれますか?
>>347さん、人のせいにしたらだめだよ。
ただ、俺自身も実践し切れてないけどね。
難しいのはようわかる。 自助論のスマイルズ、原因と結果の法則のジェームズ・アレンは自己犠牲を
重要視している。
二人ともイギリス人だけどな。 >>356
心の中で他人に分担して貰うと考えればいい
全てを背負い込むと重みで沈む >>358
俺もそんな感じだな
人のせいにするってのは言い方がアレだけど
だからといってアドラー心理学は人のせいにしない自己責任論とは違うと思う
自分と他者は影響を与えあう事で結果が出ている
愛と尊敬は強制できない
協力関係においては相手の役割ってとても大切 >>362
自分に都合のいい解釈に逃げずにアドラー心理学の通りに受け止めるなら、全ての人だろうな でも信頼とは人のせいにすることではないよ。
例えば、課題の分離をしたのちは、他人の課題は他人を信頼して任せる。
自分の課題は自分の課題として真剣に取り組む。 >>359
>>自分と他者は影響を与えあう事で結果が出ている
それでは、悪い影響の時はどうするの?
つまり、いい影響も悪い影響も自分で判断し、
その影響をどう消化するのかは自分の課題。 >>366
それだと一因一果説だね
とりあえずこれ読んでみて
http://jalsha.cside8.com/diary/2013/02/20.html
これから書き込めないんだ
もし補足が必要であれば明日になって良いなら返事できるかと >>367
気配を消すことってできるのでしょうか?
どうやるんですか? 人を信頼し、その言葉を信じて突き落とされる
気を取り直し再び信頼し、また裏切りを喰らって窮地に陥る
当人は至って正義の人で、裏切りの自覚すらないだけに困り果てる
正に「信頼とは人のためならず」
これは自らのためでなく、その人のためにならないと言う意味である Moritsugu Keiko 森次慶子 @W_Fei_hung
https://twitter.com/W_Fei_hung/status/901660227455533056
容姿が良い女から順に、仕事もプライベートも成功するという、
その現実を、突きつけられたくないんだよ。
産まれた時、奴隷みたいな人生が決定してしまうブスの気持ちになってみて。
21:18 - 2017年8月26日
https://twitter.com/W_Fei_hung/status/901667161462202368
チビデブハゲでも学歴がきちんとしていたり、
家が裕福ならなんとでもなります。女は違います。
21:46 - 2017年8月26日
https://twitter.com/W_Fei_hung/status/901668268712222720
私は、坂本さんがブスと付き合うのを祈るだけです。
21:50 - 2017年8月26日 https://twitter.com/W_Fei_hung/status/901669170986737664
坂本さんに中途半端なブスと結婚して、ブスの子供を育ててほしいですね。
その時に坂本さんは反省すると思いますね。
21:54 - 2017年8月26日
Moritsugu Keiko 森次慶子 @W_Fei_hung
https://twitter.com/W_Fei_hung/status/593076688394723329
喧嘩売って逃げてやがる女はどんだけ美人なのかと思ったら、ブスだった。くっさ。
8:37 - 2015年4月28日 >>369
裏切る裏切らないで左右されるものが信頼とは言えないと思うな 期待と信頼は違うもんじゃないんですかね?
裏切られて失望するのは、信頼ではなくて期待だと思うですよ 原因論と目的論は、卵が先かニワトリが先かと問うのと同じだ。 フロイトは民主主義、アドラーは社会主義。前者は地に足がついていて、後者は雲をつかむようなものだ。 フロイトは力学の信奉者。アドラーは心理学の信奉者。 信頼は無条件にするもの
信用は条件によってするものだから信を用いるって幸せになる勇気の方に書いてあったような
相手がそれを裏切るかどうかは私には決めることはできない
信用の方なら裏切った方にもそれ相応の代償はあるだろうけど
100%裏切らない人など居ないのだから プロ野球界では、信頼はするけど信用はしないって考えが浸透してるみたいだよね
チームの仲間として自分とは違う役割を果たしてくれていることを信頼する
だから放置するというわけではなく、常にミスをするかもしれないからカバーに入ったりする事を頭に入れておく
これは裏切りでもなんでもない助け合いだと思う いくら知的障害とは言ってもやってはいけないものもあるぞタカハタユウタ 睾丸を取り、妊娠させられなくすべきだ強姦魔どもは。 わかったか?わかったら返事しろクズども?ああぁ!? さっさと返事しろオラァァ!!!ケツ穴掘られてえのかカスが!!! なにグズグズしてる!!!わかったらさっさと返事しろっつってんだろうがあぁ?!ゴミ共!! 愛とためらいの心理学読んだ
思いのほか具体的な指南書でとても勉強になった
他の人との関係を大事にできないで愛の関係がうまくいくわけがないというのは本当にそうだなと思った 信頼してたら不妊手術されてました
いいねwww
スレ違いだがこれ何が悪いんだろ?バカもアホも病気も障害も遺伝するんだぜ
声を大にして言うとどんどん少子化していき労働力がなくなるから言わないんだろうけど
バカはともかくガイジなんて労働力にもならないんだから素晴らしい法律だと感じた
ガイジ本人が処分されないだけ良かったじゃん ついに実用化
実際に使われるのは初か?
ttps://cryptoslate.com/santander-launches-ripple-based-money-transfer-app/amp/?__twitter_impression=true 酔ってブラックアウトして問題を起こす傾向が分かっててお酒を飲んじゃうんだから
アルコール依存症なんだろうね
アルコールへの欲求にどう対応するかで人間関係が変わるという点では
それが人生の課題への取り組みだと思う
依存症者にも、共依存ポジションの人にも自助グループが役に立つみたいだけど
それぞれの結末を黙って見届けることを大切にしたり
仲間達で勇気付けし合ったりする姿はアドラーの実践と同じ様に見える アルコール依存症は不治の病だよ
一度罹患したら、本人のコントロールできる範囲を超えるんだよねぇ
底が浅い理解を開陳することに恥を感じてほしいなあ >>402
開陳
不治の病は有名だよね
いちお親がアルコール依存だから通院頼まれて手伝ったり学んだりしてこの程度で申し訳ない
回復は進んでるよ アルコール依存症は不治の病だと言い切る人は最近少ないよ
いつの1990年代から時代が止まってる人かな?
底が浅い理解を開陳することに恥を感じてほしいなあ >>405
そうなんだ
お医者さんとか本とか、触れてきたものは大概完治できない回復しかできないって言うから信じてた 身を以て経験すればわかる
環境を変えられる状況なら不治の病ではない
数ヶ月で依存症、独力で10年止めて、今度は重度依存
これでも元々下戸
「覆水盆に帰らず」続きが原因で、自力での解決法もわかっている >>404
回復などしない
酒を断つしかなくて、一滴でも飲めばまた繰り返し
甘いよ認識が
そういう病気だよ >>407
それは依存症ではないよ
よかったな凡蔵 >>408
回復するのは依存性自体じゃなくて、
継続的なアルコール摂取による脳疾患とかの諸症状のことだよ
勘違いさせる様な書き方してごめんね >>411
そういう意味でしたか
すみません、読み違いました
おっしゃるとおりだとおもいます むしろ相手が何を考えているかなんて考えない奴のほうが楽に生きれるんじゃないのだろうか アドラーの教えそのままじゃん?
相手の気持ちを知りたければ聞けばいい、ってね なんについてのむしろだよ
むしろ健康について考えないやつの方が楽に生きれるんじゃないだろうか
むしろってなにもないところからいきなりマウンティングするのに便利な言葉だな むしろアルコールに依存しない奴の方が楽に生きれるんじゃないだろうか? アドラーの他者貢献を、自分を含めた全生命体への貢献に変えるべし。
アドラーの自己責任論を、責任転嫁に使えないようにすべし。責任転嫁に自己責任を使っている意見を論破し尽くし続けるべし。 >>411
肝硬変まで行った場合は肝臓戻らんよな。 依存そのものは治ったとしても依存に伴って作られた病気は今の医学では治せないものもあるって話。 むしろ依存してるとかしてないとかなんて考えない奴の方が楽に生きれるんじゃないのだろうか >>424
肝臓や脳が不可逆的に壊れちゃったら戻りませんよ、ということ
誰かうまいことを言ってたな
「きゅうりを漬物にしたらもとには戻らないでしょ」 依存的な生活によって最終的には不可逆的な疾病なんかを抱えるに至るのは
当たり前だと思ってるから、だからどうしたんだろう?と思っている これ心理学というより思想書だね。すくなくともフロイトやユングみたいな偏見医学と比べたら
よっぽど実用的・実践的な医学書だとは思うけれども 人間の苦悩はすべて対人関係から生じているのだから対人関係を整理するのが正攻法、
ほぼすべての心理的懊悩はこれで治療可能。あとは精神分裂症や知的障害などの医療
分野に圧しつければいい。 依存自体は悪いことじゃない
そこに心理身体社会的な障害が伴う場合に治療が必要となる
アドラーや共同体感覚には大いに依存すれば良いと思う 「依存」とは、他人や組織、モノに愛情や支持、保護、援助を求め、
それがなくては生きていけない状態であり、行為や思考のコントロール障害。
いや依存はダメだろ
自由とは「自らを持って由とする」の意
アドラー的に言うなら
コントロール出来ない他人の課題を
自分の支えにすることになる 依存は程度の問題
社会や他者に全く依存しない生き方が出来る人はいない 自立や課題の分離の大前提に共同体感覚だと思うんだよね。
共同体感覚がなければ、自立が孤立へと繋がり、返って危険になりうると思う。
某著では共同体感覚は後半に出てきてるが、便宜上だと思う。
最初に共同体感覚をもってきたら、かなり引かれるだろうからな。 岩井さんの記事で見たんだったかな?
最近の心理学界隈では、依存と自立は対立関係ではなく、
対象が限定的なのか、開けてるのか、の違いってことになってるらしいよ >>434
アドラー的に言うなら、社会統合論だから基本は人は他者に依存してるんだよ
人は一人では生きていけない事を受け入れた上で、自他尊重の横の関係に基づく協力的な態度を選ぶことがいわゆる自立 共同体感覚って依存や自立に置き換わる言葉として考えられたんじゃないの?
言葉だからなんて言い換えてもいいんだろうけど誤解を生まないように新しい語を作った
って理解してた
>>437
すんなり入る なんかね、自分の人生を悲観的に感じてて、そんなの嫌だって反応を持ってるときって
自己執着に陥りがちで共同体感覚を持つのが難しいと感じる。
すると、目の前の課題をこなす元気が著しく無くなる。
やるべきことは自他への勇気付けなんだから、
結局、他者貢献と課題の分離を粛々と意識するしかないんだろうね。 納得です
「まったき形で自律的な存在」を追求しすぎて
自己決定ということにこだわりすぎて
引きこもりになってしまったりするようです…… 人前でうまく喋れないという葛藤、悩み
↓
自分は話すのが苦手だという自己概念
↓
きっと人は自分が話す事に耳を傾けてくれないだろうという世界像
↓
人が会話を楽しむのを邪魔したくないという目的
↓
みんなのコミュニケーションが円滑に進んで欲しいという「建設的な」目的
↓
ゆえに人前では極力話さないという対処行動
アドレリアンの皆さん、さてどうすればよいでしょうか? >>443
それは、あなたが自分自身の問題として解決したいと思っていることですか? しかし、このスレ深夜のカキコ少ないね。
あまり、早寝早起きや習慣に執着しない方がいいよ。
大切なのは自分の意志で選択すること。
本当は早寝早起きやよい習慣を身に着けることは自分の人生を送るための
手段の一つに過ぎないんだからね。
早く寝たけりゃ寝ればいいし、遅くまで起きていたければ起きていればいいんだ。
手段に執着したら自分の人生を生きられない。
確かにそれは、動物の理にかなっているかもしれない。
しかし人の意志はそれをはるかに超えていることも知っておいてね。 良い習慣も大切だけど、その習慣に流されしまうのも問題ということ。 >島本町という町の町長や教育長はどんな奴で
>何を考えてるんだか
>どうせいじめなんか「見て見ぬフリ」だろw
そうか 人生を生きていれば体調の悪いときがあります。
体調が悪いと気持ちが落ち込んだりやる気を無くしたりイライラしたり怒りっぽくなったりするものです。
そして生きることが嫌になったりします。
そんなときに自分を厳しくして追い込まないでください。
叱咤激励しないでください。
肉体はそれでも黙々と頑張っているのです。
カラダのキツイときはカラダからのサインなのです。
そういうときは休んでください。
これも立派な自己愛です。
元気になればまたやる気もでます。
アダム徳永 善悪二元論という価値観があります。
物事を善と悪に分けて悪を潰して善の世界を成就しようという思想です。
この考え方は私たちの価値観を支配しています。
一見いいように思えます。
しかし実はこの考え方こそ人と人を、民族と民族を、国と国を対立させ分裂させる元凶なのです。
例えば西洋文明の根幹をなすキリスト教。
キリスト教はそれ以外の宗教を邪教として排斥してきた歴史があります。
そこにはおぞましい宗教戦争が続いたのです。
かたや日本には伝統的な和の思想があります。
共に仲良くやって行こうという考え方です。
人も死ねば仏。悪事も水に流して忘れよう。
自然も人もみな神(かみ)仏(ほとけ)。
それはまさに許しと愛の人が幸せになるための実践的な思想だと思うのです。
私は日本のそんな価値観が好きです。そしてそんな日本が大好きです。
アダム徳永 >>446
なにその決めつけw
深夜の書き込み少ない=スレ民が早寝早起きに執着している
だから君たちは自分の人生を生きていないことにきづこうね
という謎論理 >>455
慌てるな、どうせ縦読み
しあ大本手早手確し
あれ? >>443
そもそもの欲求に人とうまく喋りたいというのがあると思うが、なぜそうしたいのか?
それさえなければその後の悩みの全てが無くなるのではないか? ライフスタイルの再選択をしたいです。
カウンセラーに相談すべきですか?
ひとりでは無理でしょうか? カウンセラーに行くこと自体は止めやしない
答えは自分で見つけるものだから
自分も結局カウンセラーでは答えは見つからなかった
いや結局変えたいと思う自分を信じて一歩踏み出す、その先に道があろうと無かろうと
これしかないんだけど A氏「なんで相談しないんだ!?」
B氏「相談すればやめさせようとするでしょう」
A氏「心配なんだから当たり前だろ」
B氏「心配ならやめさせる権利があるのですか」
A氏「いい加減にしろ」
B氏「なぜ怒るのですか」
A氏「心配だからに決まってるだろう」
B氏「心配という免罪符があれば他人に干渉しても良いのですか」 >>459
無理ではないけど大分勉強しないといけない >>460
全くそのとおりかと思います。
しかし、自分のライフスタイルを知る方法すら分かりません。
webで診断をしたのですが「コントローラー」らしいです。
自己概念、世界像、自己理想を知る事から始まると思うのです。
詳しい本はないでしょうか? >>466
ありがとうございます。
早速ポチリました。 散々既出かもしれませんが疑問に思ったことがあります
コンビニのバイトをしていたとして、店の外に不良の子達がたむろしていたとします
店長に「ちょっと注意してきて」と言われた場合どう対応するべきでしょうか
僕なりのアドラーの解釈では、たむろしている不良達に「邪魔なのでたまらないで」
と注意するのは違うと思いました。他人の課題に干渉することになるので。
この場合「店の前でたむろするのを止めてくれたら助かります」と伝えるのが伝え方的にはベストなのでしょうが
そうすると不良達は、そのままたむろする、という選択を取ることも出来ます。
結局それに干渉しないと問題は解決出来ないですよね?
僕が一番良いと思う方法は、店側の課題として考えて
不良達がたむろ出来ないように物理的に構造を変えてしまうということです。
数年前に流行ったモスキート音などが良い例だと思います。 話は変わりますが先日車で細い道を走っていて、前に人が立っていて通れませんでした。
外国人の方で、車に気付いていないわけがないほどの距離感でした。
僕が取った行動はその外国人に何かを言うとか、クラクションを鳴らすことはせず
ただただ細い道をバックして引き返して別の道で行きました。
アドラー的にはこういう考え方で良いんだと自分で納得しました。
それは違うぞ、とかこういう考えは?という意見などあればお願いします。 すいません釣りじゃ無いです。
全然理解できてなくて呆れられるようなこと書いてしまってすみません。 GWはネットで山口メンバーを叩いて、楽しくすごせているのですが
これでいいのでしょうか? 完璧主義でつらいです。何もしたくない。
アドラーの心理学で完璧主義を治せますか? 義務教育の道徳の授業をアドラー心理学中心にすれば
みんなの生き易さが進むと思うんだが
共同体感覚っていう冷静で理論的な理性の方向性が学校で教える学問としても扱い易いと思う >>468
なるほど、モスキート音を出す。
でも、それだと若年層の来客も減少するのでは?w
アドラー心理学的の基本は、何がレスポンシブルかということです。
挙げて下さった「不良の子達」を、集団と調和するよう働きかけることが大筋だと思いますね。 >>479
レスありがとうございます。
そうですね、理想はそのモスキート音の出す出さないを任意で操作できればと思います。
僕は個人的に課題の分離という項目を読んで、目から鱗だったので
この場合も不良の子達との課題を分離するという見方をしました。
共同体感覚というのは難しかったです
自分を肯定し、人を信頼し、人に貢献することで、自分がその場所にいても良いという感覚を得る
この場合ではお店に貢献する、来店するお客さんに貢献する、不良の子達に貢献する
この全てを満足するような選択肢が取れれば、共同体感覚が得られるんでしょうね >>480
貢献を考えるときのポイントは、満足と調和を切り分けることだと思います。
その場で全員が満足する方法を考えると、三すくみになってしまい、なんらか問題を含む相手の行動に、注意やお願いはできないでしょう。
しかし、相手に集団の中で調和することを学んでほしいと考えると、注意やお願い、交渉が必要であると考えられます。
課題の分離も、結局は「そうすることで相手が所属に近づくだろう」と判断した過程で行います。
そのとき主語は「我々」の課題を分離するのであり、「自分」と「相手」に課題を分離するのではありません。
共同体感覚というのは非常にシンプルで、それは我々、ということです。 コンビニたむろの話しは、話し合いが基本だろうね
その上で合意のあるルールを設定できると一番良いと思う
合意が取れない場合は、社会常識としての措置をお知らせするくらいかな
措置っていうのは警察の介入だと思う
程々で解散するとか、注意で解散してくれる程度なら良いが、
それが叶わないなら警察にお願いするしかないってことを冷静に伝えれば良いと思う
後はルール通りに振る舞えば、誰もが社会常識に協力的に貢献できるし、
それぞれが自分の結末を請け負う形ができる >>475
認知行動療法なら治る
Twitterで認知行動療法 完璧主義で検索
体験談あるよ
いまカウンセリングは認知行動療法が主流
公務の心理職だとアドラーは使えない ユングやアドラー式だとあまりにも抽象的で色々な事を説明出来るが結局は説明だけで終わる
もう認知行動療法CBTじゃないとカウンセリングに有効じゃないとわかっているのに日本人には通じないとかオカルト理論言う馬鹿がいるから困る 今変えられものは何か?変えられものをまず変える
変えやすいものから変える
それを積み重ねるしかない
もう京大早稲田人科東大教育同志社みんな認知行動療法研究してるから
フロイトやユングやアドラーは推理小説 あと認知行動療法の研究には脳科学の知見が生きているが脳科学が発達していなかった時代のユングアドラーの考え方は
進歩が無い
ユングアドラーも今生きていれば認知行動療法CBTが正解だと認めるだろう >>481
注意やお願い、交渉とありますがそれは勇気づけとはまた違うのですが?
私が認識していた考え方は、見返りを求めない貢献であり
実際に所属に近づかなくても、「所属できた、所属に近づいた」という感覚を持てれば良いのだと思っていました。
こういう言い方をするとただの心の持ち方のようにも見えてしまうのですが
「所属に近づくだろう」と判断し、貢献を行った場合もそれは見返りを求めた貢献であると思うのです
>そのとき主語は「我々」の課題を分離するのであり、「自分」と「相手」に課題を分離するのではありません。
すみません、これの意味がよく理解できませんでした。
分かりやすい例え等で説明して頂けると嬉しいです。 >>482
合理的な考え方ですね。
最終的には社会のルールに従うようにするということですね。
ただ、少し腑に落ちないところがあるのですが
例えば社会常識と反する行いが自分にとっては正しいと思うときにはどうするべきなのか
それこそ引きこもりの子供みたいな場合ですね。
それとも>>482さんは警察を引き合いに出していることから
「法に触れる場合」のみを対象にしているのでしょうか
私はそれすらも懐疑的で、法も人によって作られたルールなので自分の意思と反することがあると思います
ただ、ちょっとそれの例が今出てこないのと、これ以上言うとヤバい奴になってしまうので自重しますw >>487
出来る事を考えてベストな対応すりゃいいだろーが
バカの考え休むに似たり
アドラーなんて忘れて出来る事を考えてベストな対応する習慣つけねえからコンビニの店員なんだろ >>488
車に気付いてもおかしくないぐらい近いとなると耳が聞こえてない可能性もあるぞ。電気自動車で静か過ぎて音からは車とは思えなかったなんてこともありうるが。 コンビニの駐車場にたむろする奴のどかし方がわからない程バカはアドラーより
駐車場でたむろする子供のどかし方とかで検索しろやゴミ バカって心理学にすがって自分で考えない
自分で考える努力すればコンビニの駐車場云々の話なんてすぐ結論出る
バカが心理学やるとますますバカになる >>480のやつ見るとアドラーの勉強するとおかしくなるのか、480がアレなのかどちらかなのかと考えてしまう >>489
社会のルールに従う様にすると言うよりは、
社会の成り立ちに沿った結末に任せると表現した方が近いと思う
あなたの言う「自分」がたむろしてる人を指すとすれば、
その反社会的な思想の結果を経験してもらうだけで良いし
自分=あなた の場合、もうあなたの思う貢献をやってみてその結果を経験してみると良いと思う >>489
営業妨害や住民の不安を訴えても聞かない場合は、威力妨害の可能性が出てくるから
警察に任せるのが普通なので、迷う必要は無いと思う
法に関する思想は人それぞれだろうけどね
現実としてそうなっていることに対して懐疑的なのは仕方ないので
その思想の結末を経験して、何かしら生き易さが改善すれば良いと思うよ
みんなが満足することよりも、みんなが共同体感覚に近付くことを優先すると良いと思う
満足的な貢献も共同体感覚の為の手段でしかないから >>497-498
僕の自己満足につきあって頂いてありがとうございます
コンビニの例もただのたとえで、こういうことを考えること自体が好きなんですw
多分現実には普通に注意して終わりだと思いますw
「結末に任せる」という表現がすごいしっくりきました
課題の分離もこれを意識することで明確になるんですね
そしてその結末は、多くの場合この世界では社会によって決められる。
思想の結末ですか、そこまでスケールが大きくなると経験するのは難しいかもと思います
まあ「結末」の定義が何かにもよりますが、
要は僕は社会に対して少し懐疑的で、その思想を持つことによって起こる結末ですよね
>みんなが共同体感覚に近付くことを優先
みんながここにいても良いという所属感を持てるようにするということですね
ただこれって、その感覚を持とうとする本人の意識の持ち方も影響が大きいと思うので
自分に共同体感覚を持たせるのは出来ても、周りの人間までそうさせるのは難しいと思ってしまいます >>499
最後の部分、共同体感覚については、難しいのがデフォなんだけど、
難しいからやらないのではなく、常にその方向性を意識して行動すれば
いちいち無駄なことに悩まなくなっていくよって感じで良いと思うよ 警察に任せることについても、社会的な結末を辿った先に、
誰もが共同体感覚に近付くことができるっていう信頼を持つことが大切だと思う >>500
う〜んでは例えば学生時代にイジメられていた子がいたとしますね。
僕は当事者でないとして、その子を助けることもせず放置します。
ただ、助けてあげたいと思ったら勇気づけはしますが
結末を請け負うのは結局その子自身なので、その子の課題ですよね。
ただあなたの言うように「みんなが共同体感覚に近付くことを優先する」とすれば
イジメの加害者に和解を促したり、被害者にはイジメられないように積極的に働きかけるんですか? >>487
注意やお願い、交渉も我々の間に社会性を育もうとする、広い意味で勇気づけの一種ですね。
全ての行動が社会性を帯びている、これはアドラー心理学の基軸のひとつ社会統合論です。
当該概念をもってすれば、人間の行動はすべて見返りを求めてもいるとも言えます。
(個人視点であるか、全体視点であるかの違いで言い分けられることはありますけどもね)
例えば、課題とは元々コンビニエンスストアを誰でも気持ちよく使おう、皆で社会に参加しよう、とする「我々」のものなのですね。
課題の分離は「分担」に用いるのであって、「相手を切り離す」のに用いるのではないのです。 >>502
他者の課題を積極的に処理するのは、みんなが共同体感覚から遠ざかる行為になると思うよ
とはいえ、いじめの被害が緊急的なら助けるのが人間同士普通のことだと思うし
いじめを認知してるなら大人に相談するのが良いと思う
という前提で
被害者には、助けが必要か尋ねてみるのが良いだろうし
加害者側には、一度話し合いを試みることができるならベストだけど
まあ先に信頼できる大人達に相談すると良いね そうね、そもそもみんなが社会的に生き易くなる様にっていう前提があって
その為に建設的な生き方を選ぶのが大切
学校では、みんなが安心して学べることも大切だし、
個人的には社会で協力的に生きていく術も同時に学ぶ場所であってほしい
いじめはそれに反しているので、社会のみんなで協力的に解決したい
だから、話し合いも試みるし、大人にも相談する >>505
付け足しとして
いじめという現象を活かして、みんなの中に共同体感覚や
協力の気持ちが芽生える様にする為に、みんなで分担して
協力するとしたらどんなことができるか?ということも考えられる
その為に自分にできることをやれば良い >>503-504
>全ての行動が社会性を帯びている、これはアドラー心理学の基軸のひとつ社会統合論です。
すみません、これについてはただただ勉強不足でした。
思ったのですが「嫌われる勇気」という本の中には
本来のアドラー心理学の考え方を少し曲解している部分があるのでしょうか?
そうまではいかなくとも説明足らずな部分が多かったりするのかも
僕はこの本を読んで感銘を受けたのですが、どうも皆さんのレスと相違があるように思えます。
もしそうであるなら、別のオススメの書籍を教えて頂ければ嬉しいです。
足りない認識で、皆さんに迷惑をかけるのは申し訳ないです。 結局こいつらは普通の人間が普通に考えてる事を無意味な心理学用語を使い何倍も時間費やす愚かな奴らなんだよ
それで頭がいいかの様に思って自己満足
バカな奴らだ >>507
嫌われる勇気面白いよね
俺は幸せになる勇気も好き
ただし、センセーショナルに感じる様に強弱が付けられてるから
ちゃんとした書籍で学ぶのもおすすめだし、教えてる場所に足を運ぶのも良いと思う
個人的には一つに絞らず、野田俊作さんや岩井俊憲さん、向後千春さん、
小倉広さんとかで気になる本を読み漁っていくのが知識的には良いと思うし
アドラー心理学が学べる集まりに足を運んだ方が身につくのが早いと思う >>509
僕は幸せになる勇気は少しオカルト臭いと感じてしまいましたw
基本的に自分は論理的思考なので、そういう意味では「嫌われる勇気」はしっくりきました。
強弱が付けられている、ですか。間違っているわけではないけどアドラー心理学の説明足らずな部分もアリ、
受け取る側が誤解しやすいというニュアンスですかね。
個人的には読みやすくて良かったですけどその分浅くなってしまっている感が否めない?
ありがとうございます。挙げて頂いた方の著書を色々読んでみたいと思います。 >>510
お役に立てれた様で良かったです
今の感覚で違和感を感じる部分も、経験的に理解が深まった時に
後でしっくりくることもあったりするので、その変化を楽しんでもらえればと思うよ >>511
このやりとりで共同体感覚を得られた気がしますw >>507
いえいえ。
私も嫌われる勇気を入り口にして、スレで議論し、試行錯誤してきたクチですから、過去の自分を見ている気分です(失敬)。
こちらはもっと荒っぽくて、非紳士的だったw
オススメは、兄弟スレの関連書籍を順に読むことですね。
アドラー心理学2 【嫌われる勇気】
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1493067514/
論理的な話が好きであれば、学会サイトの論文に一から噛り付いてみると、理論が分かると思います。 >>513
そうなんですね、荒っぽくて非紳士的だったのは意外ですw
僕は権力争いに絶対のらないし、自分から仕掛けないのを徹底して意識してるのでそう感じられたのかもです
>>490のレスで若干のってしまいましたが(__;)
ありがとうございます。実は今までの認識が崩れるのにかなりショック受けてますがw
勇気を出して、そちらのスレの書籍を読んでみますね。
学会のサイトも見てみようと思います >>514
でも羨ましいですね。
私の場合は同じショックを受けつつ、折角得た便利なスキルを捨てる心持ちで、「本当に良いのかな」と考えながら勉強でした。
今から思えば正しい選択でしたが、当時はテキストで知らない先達を信じ込むしかなかった。
その自分がいまや一端に先達の顔をしているw
なので過去の自分に言うつもりで恐縮なのですが、間違いなく、今よりやり易くなりますから、突き進んで下さい。
自分の経験に引き寄せて言いますと、嫌われる勇気も間違っているわけではなく、課題の分離操作に慣れるのは、最初とても大事なことでした。
課題を分離出来ずに共同体感覚に行けば、それは、なあなあになってしまい、責任分担の何たるかが曖昧になっていましたから。
スキルや理論を調子よく一つ一つ覚えていくのがまずは大切です。
すると「えっそうなの?」という(あなたの)混乱があって、「そういうことか」と繋がる瞬間があり、そこからは全体が見えると、それまでの理論がもっと深く使えるようになります。
何やら私と同じようなルートを辿りそうな方がいらしたので、一つご参考までに。 >>459
>>465
エピソード分析
具体的なやり方はパセージプラスに載ってる
独学で学ぶならこれしかないかと でも分かるわ
理論のどこかを取りこぼすとただの冷たい人にもなるし酷い人にもなるしお人好しにもなったりする >>459,465
岸見さんの師匠の野田さん曰く再選択に当たって今現在のライフスタイルを知る必要はないらしいよ
4冊セットの本に詳しく書いてるけど知ったところで何の役にも立たないと
自分がやらかすパターンなら知っておいた方がいいみたい
ちなみに知るには他者に指摘してもらう他ないとは書いてた 乗っている馬を解剖したら、歩けなくなります、だっけ? >>465
ライフスタイルは主体論で言うと「常に今」選択し続けているもの
縦の関係をベースにしたライフスタイルを選んでしまってるから、社会統合論で言うと「悩む」わけで
>>519にある今のライフスタイルを知らなくてもいいというのは、縦の関係をベースにしたライフスタイルの「代わりに」横の関係をベースにしたライフスタイルを自覚的に選択する習慣づけができれば、今のライフスタイルを使わなくてよくなるということ
知ったら知ったで「ああ俺はこういう性格だから変われないんだな」ってそこにとらわれてしまうリスクもある
簡単に言うと、「今、ここで、私にできる建設的な行動」を勇気を持って日頃から試していく事がライフスタイルを変えるための実践になるよ >>517>>519>>521
レスありがとうございます。
週末に「アドラー心理学を語る、性格は変えられる」
が届き読み始めました。
とても参考になりそうです。
このまま勉強していこうと思います。 親じゃなくて自分で決めたことらしいけど
それでも自分が病気になったのは親のせいだと思う そのように思うことによって何らかの利益があるのでは? 誰かのせいにしとけば、自分は何もせんでもええしな(笑)
そら楽やわ 心理的に楽になるような気がするだけで現実はどうもならんよね。
例えば誰かのせいで怪我したとしてもそいつに怪我を回復させる魔法は使えない。
誰かが運転する車に轢かれて死んでも運転手に復活の呪文は使えない。
誰のせいでも起きることは同じだし、重要なのは誰のせいかではない。
そういや仏教に毒矢の喩えってのあったね。 あー、そうか。利益有ることに気がついた。
もう一度、読み直さなくては。
病気になってる事実は確かに有る。
それが誰かのせいかはまた別の話かな。
うーむ 毒矢のたとえって原因探しても仕方ないってやつじゃん そもそもアドラーって全部自分のせい理論じゃないでしょ
誰のせいかじゃなくて自分がどうればいいかを考える
病気になったら病気になった事実をニュートラルに受け入れて、どう治療していくかとかこれからどう過ごしていくかに取り組む >>528
仕方ないというか、そんなことのんびりやってたら毒回って死ぬってやつだ。
どういう原因かとか誰のせいかなどは後で調べればいいからとにかく毒矢をすぐ抜けと。
ところが抜かないで原因探したり誰かのせいにしたりをしてしまう人が結構いて、それだからこの話が作られたんだろう。
恐らく誰のせいかわかれば解決するものと思い込んでいる。しかしわかっても解決しないばかりか悪化するまたは死んでいる。 これアドラーの全体論の説明としてはしっくりくる。
人間の精神は実は球体で、南極点で、葛藤してるように見えてる二つの自己は、実は北極点という共通目的に向かっている存在なんだ。
自分の内側じゃなくても他者との対立や葛藤もこれで理解できると思った。 課題の分離もそれ。
相手と葛藤が生まれて対立しているように見える時も、争わずに離れることで、同じ北極点を目指す仲間に変わる。
北極点まで一致しない事もあれば、どこかのタイミングで一致する場合もある。
よくよく考えたらその場で一致して協力できる場合もある。 病気の者ですが、私はまだまだ勉強不足というか、勘違いしてるというか…
毒矢の例えも調べて見ます ×かわいそうな私
×悪いあの人
○わたしにできること 俺も実家で出された飯を食ってたら糖尿病になったから親のせいとも取れるけど
親のせいにしてたら人生は停滞するだけだな でも毒矢の場合は犯人捜しをしなければ次の犠牲者がでますからね。
共同体のためにも・・・。 >>536
アドラー心理学の共同体感覚は自分と隣人とせいぜいチームくらいでしか使わないよ
共同体のため、という論理で社会構造とか直接対話できない人を変えようとしても意味がない >>537
横からだけど上側も下側も俺の理解と違うんだが、
どの本を読めばそれを納得することができるかな?
共同体感覚がせいぜいチームくらいという理論も見たことないし、
直接対話できる人なら変えようとすることに意味があると書かれてるものも
どこかにあるなら知りたい >>537
>>アドラー心理学の共同体感覚は自分と隣人とせいぜいチームくらいでしか使わないよ
そんなことはない。 >>537共同体のため、という論理で社会構造とか直接対話できない人を変えようとしても意味がない
文脈を理解した上で書き込めよ。 >>538
砂粒を磨くっていうアドラー心理学の実践のあり方があってその事を言ってるんだと思う
「共同体感覚の歌」で検索すればアドラー心理学の目指すところや野田さんなりの捉え方がわかるよ
「学校は変えられる」なんかを読めば決まりごとやルールが尊敬、信頼の下で組織の中で共有されていてこそ発揮できるものだとわかると思う 何かっていうとすぐ「脳科学」というキーワードが出てくるけど
この分野、まだまだ発展途上でしょ? 当たり前な事は何一つないことを頭のなかで改めて反芻してみると
自分は変化そのものを恐れているのだと感じる
いつかこの先良くなることはない(無論間違った認識)から変化したくないと書いたことありますが
職場の異動から住環境、引いては身内とかも
変化そのものを恐れているってのは自分が変わりたくない変わることを恐れているという事で
結局親の愛から抜け出せていない、ってことになるんですかねアドラー的には
まあ分析なんてのは一ミリも役に立たないのですけど、過去は関係なくこれからどうするかだけに注目せよ、なので 人として変化を恐れるのは当たり前。
予測できない事を避けるように出来ている。
だから二の足三の足。言いわけばかりで
変化しない。
変化しないのは、今のままでいる努力をしているから。
一生懸命、変化してはダメだと抵抗が働いている。
それを止めましょう。
恐れたらそれを考えずにやってみましょう。 >>545
分析してもしょうがないというのは2つポイントがあって
協力的な目的が見つかるまでもっともっと深く分析する必要があること
例えば、職場に溶け込みたいけど変わりたくない→職場の人間関係を壊したくない→生産的に機能している職場に迷惑をかけたくない→職場の雰囲気が好きだから守りたい→会社の企業理念に共感していて役に立ちたい→人の役に立つ仕事がしたい
くらいまで落とし込む必要があるけど自分でやるにはかなりの修行が必要
あと、分析自体が「変わりたくない自分」なりのバイアスがかかるから都合良い分析になってしまうこと
どっちにせよ「親の愛のせい」という自己分析は浅いかブレてる可能性が高い >>546
心のブレーキは無視しましょう理論はアドラーは否定しているよ >>542
その辺は理解してるつもりなんだけど、
その話と先のレスの間には考え方の溝がある様に感じてるよ >>545
反芻がいらない
変化を恐れているという観念を忘れるくらい今できることに集中してたら、気づいたら変わってた、になる 共同体感覚を人類の進化に向けて全員が力を合わせている感覚とすると個人的にはどの理屈もすんなり納得できるし説明もしやすい気がするけどなあ
きっと受け入れられないだろな >>545
変化を恐れている、
という分析が正しいのなら、やることは唯一つで、
変化してみること
なんですよ(笑)
そうですよね?みなさん >>545
置かれてる環境が分からなすぎてなんとも言えない
何の為に変化しなきゃいけないの?
今のまま家族を大切に思ってても良いんじゃない? >>554
たぶんこの人二年近くずっと変わるの怖い理由の自己分析続けてる
解決策を求めてる感じじゃなさそう だから今はもう認知行動療法の時代
お前らの認知の仕方は的外れ
認知行動療法の分析法やれ
http://studyhacker.net/columns/shikou-switch >>555
対話を試みただけですよ
変わらなくて良い理由を探してるだけかも知れないし
分析を続けてる間は変わらなくて良いという目的があるならそれで良いし
変わらなきゃ破滅なのに変われないのならちゃんと破滅を自分で経験するか、
ちゃんとした治療を受けるしかないと思ってます >>559
レスが返ってこないかぎりはなんとも判断できないよな 掲示板とは、これを書いてる人はこんな人に違いないという妄想をみんなで投影し合っている場所です。 >>556
スレチだと思うけど個人的に認知行動療法とアドラー心理学組み合わせたらかなり生き易くなった
悩む行為は自分が変わらないための自己正当化にしかならないっていうのを知らなかった時期は認知行動療法に大分手こずった 認知行動療法のABC解析でアドラーでは解決出来ない問題は解決するからな
認知の歪みをしらないとダメ 精神病症状に対する認知行動療法(Cognitive Behavioral Therapy for psychosis:CBTp)は、34のランダム化比較試験と、いくつかのメタアナリシスによって、症状の重症度の有意な減少が見いださ
れており、また陰性症状や否定的な気分や社交不安の大幅に改善が見いだされている[5]。統合失調症では、薬学的治療によっても25–55%は症状から完全には回復せず、4分の3は18カ月以内に薬を
中断しているため、認知行動療法による介入が推奨される[5]。 現在では、認知行動療法がうつ病だけではなく、摂食障害、人格障害、統合失調症等のあらゆる精神疾患の治療、再発予防に効果的であることがわかっています♪
更に認知行動療法は精神医療の現場だけではなくビジネスマン、学校の生徒指導などでも認知行動療法をするところが増えてきました。 認知行動療法を学んでからアドラー勉強すべき
無意識や精神に焦点を当てるのはまず認知行動療法的解析をした後にしろ
そうしないといつまでも認知の歪みは治らず堂々巡りになる 認知行動療法は思想に切り込まず対症療法的だから面白くない 認知行動療法は専門スレあるからそっちでどぞ
どっちもちゃんと勉強すると共存出来るのが分かるよ
というかむしろ、認知行動療法単体では問題シーンの痛みを軽減できても、それを作り出してる生活の循環が良くならない
スレチしながら認知の歪み云々て、他所の人を説得しなきゃいけない使命感に駆られてしまっていらっしゃるじゃない
そいつこそ解決しなきゃ堂々巡りなんでしょう、ほんとはね アドラーの思想はスピノザの系譜かな?と
違うかもしれないけど『知性改善論』みたいな アプリだと面白く理解できるぞ
俺はAndroidだからiPhoneにあるのかは知らんが >>570
そうかも
http://jalsha.cside8.com/diary/2016/09/22.html
他にもカントとかルソーとか、時代背景もあるし科学よりも哲学から理論を作り上げていったみたいだね >>572
ありがとうございます
先達(仲間)がいると思えて、とても心強いです
アドラーと併せて、いろんな思想の読み直しも楽しみです >>571さんもありがとうございます
端末に疎い私ですが、これを機会に楽しみながら勉強できそうです 苦しいのは自分は役立たずだと感じながら生きながらえることだ
革新的な活動が叩かれやすいのは、既得損益があるからだと言われるけど
お金や権力だけではなく、貢献感にもそれがあると思う
自分を活かして貢献できている場所を離れるのは辛い
その場所で違った自分の活かし方を見つける戦略もあるし
自分を活かせる別の場所に行くのも手だ 認知行動療法の創始者とかロジャーズ派もアドラー心理学の流れを汲んで
そこから具体的な方法論に落とし込んでるから共存できて当たり前
逆に認知行動療法だけでは根本的な生き方まで変えられないし
アドラー心理学だけでこと足りるとも言える
アドラー心理学だけでは難しいと感じる人は、寄りかかる杖を増やす意味で
認知行動療法なんかにも手を出して問題ないだろうね >>578
俺は見てて無意味だと思わなかったけど
どの辺に対して無意味だと感じた? アドラー心理学なるものは、単なる思考の手引書であって、真理では無い。
アドラー心理学がある層の人間を救うことは事実であるので、世の中の役に立っていないとは言わない。
だがアドラーにせよ岸見一郎にせよ、学者を名乗らせるにはあまりに科学の本質から遠い。
彼らは単に個人的な経験に基づくアドバイスを行なっているだけであり、学者のあるべき態度とは異なる動きをしている。
エッセイはあくまでエッセイであり、そこに学問を匂わせる言葉を散らしたところで、学問になるわけではない。
ただ、アドラーの考えが世の中の役に立つことは認めよう。 >>584
そうだな学問で言葉には広い解釈があるかからな
科学という言葉に置き換えようか
心 理学 だからな
理 の 学なんだから科学的であるべきだな
ということが言いたかった 現在の科学の常識や科学信仰とは違う時代の学問として心理学という言葉が用いられてただけ
時代が時代なら地動説も科学的だと信じられてた
今さら呼び方に疑問を呈するのは論外だろう 心理学は心に対しても科学的な方法で調べられる(と信じられる)からできた学問なのではないかな。
そうでなければ哲学や文学みたいなものになっていたと思うが。まあしかしかなりそういう面もあるとは思うが。
つまり、客観的に測定して数値を出したりして調べられないので各自の主観で確認する。 嫌われる勇気の中でさえ必要以上に思想である事を強調してるのに定期的に現れる
「アドラーは科学ではないキリッ(`・∀・´)」
のアピールを頑張る人は何したいの?
対立する人すらいないのだが もともと心の働きについての学問的研究ということなら
アリストテレスの『心(プシュケー)について』あたりからはじまって
16世紀末頃にはpsychologiaプシコローギア(心理学)という呼び名が定まってね 19世紀後半になると>>587のいう気運が高まり
いわゆるドイツ「実験心理学」の誕生である
フェヒナーやヴント そして映画の一コマにコーラの映像を入れたらコーラが売れた。
しかしその日は単に暑かっただけではないかとツッコミが入ると。 岸見一郎の本が有害図書でありその扱われ方も間違っているからだよ。
世の中には心の病を患いながらも、誰も守ってくれずに苦しみながらも歯を食いしばって働いてる人が沢山いる。
そういう人たちが彼らにとっては安くない金を払って時間の合間を縫って読むんだ。
彼らに無駄な金と時間を過ごさせてしまう。あるそうな人にとってはアドラー心理学は糞の役にも立たないということを認めることがスタートラインになるんだ。その精神を弁護する権威が日本に存在せず、馬鹿売れしていっぱしの顔をしている。下らない。
ハッキリ言ってアドラーの思想ごときに救われるなら、それは単なる人生の悩みにすぎないし、そもそも大した苦労なんてしてないよ。
トラウマに苦しむ人が発想の転換でトラウマを見て見ぬ振りして、それでその先生きていけて幸せになれるなら、そもそもまあまあ恵まれてる。
底の浅い話だ。こんなものでは世の中良くならないし、真の科学者をさしおいてて大儲けして新聞などで大きい顔をしている。
しかもアドラーはフロイトと同列で語られていてて、呆れる。同じく科学的根拠に乏しいとしても、志向の深さと真実に迫る迫力という意味ではフロイトの方がずっと格上。 そんな中でで共感して良かったと思えた人が沢山いたってのが素敵やん フロイトって何でも感でも性的なことの抑圧のせいにしちゃうからなあ。
あの時代は性的な事に関する抑圧が大きかったからだろうけど、やり過ぎ感がある。
それとフロイト自身も広場恐怖症だったんだよね。
それがなければ心理学の研究してなかったかも知れないが、研究しても治ってないよな。 >>586
同じ時代にアインシュタインも居るのだが、当時のエリート達に科学的思考が無かったとでも?
夏目漱石はアドラーと同世代だが、夏目漱石の方が偉大。
アドラーはレベル低い適当なエッセイストであり、岸見一郎は迷える現代精神を餌食に飯を食うハイエナ、人間性のゴミの結晶 >>594
人間の遺伝の本能の表象としての性欲は、発達段階で形を変えながら色々な形で表象するんだから、フロイトの言いたいことを 性欲って言葉が持つ現代一般庶民的な感覚で 理解しようとしないお前が馬鹿なだけ なるほど。
それで、ここはアドラーが好きな人の集まるスレなのですが
そうではないらしい貴方はここで何をされたいのでしょう。
二度と返ってこない人生です。
出来るだけ有意義に過ごされてはいかがですか。 ここを見に来る人って、アドラー良い悪いの議論に興味はなくて
アンチを見ると「なにしにきたん?」って思うだけってのが大半だと思ってる >>595
論調が偏ってるよ
心理学界隈全般が他の科学的と言われるものと一線を画してた
アドラーと肩を並べてたのはフロイトやユング達であって、
それぞれが違う主張をしているし、それぞれが現代への流れを作ったってだけでしょ
批判したいならその熱意を学会に論文でも提出するなりして発揮すれば良い アードラーの劣等コンプレックスのところは現代社会でも大切なところだと思いますよ。一番ね。 まあ嫌われる勇気を見て、トラウマを否定されては困るって輩が定期なのは確かだやな
治療に目を向ける為に、トラウマを分析して楽をするよりも
トラウマの目的を仮定してこれからどうするかって方向に向いてるだけなんだけどね
あとは嫌なら読まなきゃ良いってだけの話 昨今のアドラーブームでフロイト派が商売あがったりになったりしないかも気になりますな。 >>599
眉唾なトンデモ理論に感心してる君のような人間が何を考えてるのか知りたいんだよ >>603
だからアドラーは大した苦労してないから、そうやって誤魔化しが効く程度の軽傷患者にしか意味がない。
そんな好き嫌いの趣味の話になんで学問としての権威が備わっているんだ?おかしいだろ >>603
分析が正確でないとアプローチを誤るんだよ
フロイトの分析の思考は相似形で参考になるが
アドラー心理学とか岸見のそれは底が浅い、まさに最近テレビとかでよく耳にする 人生は選択の連続である、くらいの浅い話しかしてない
その程度が威張るな、と言いたい
はっきり言って潰したいね >>608
だからそれで逃げられるくらいのトラウマだったら、そもそも苦しみと呼んでいいほどの問題じゃねーよ >>609
これが落ち着いてられるかよ?発想の転換くらいでどうにかなる悩みなら、本人がとっくにそうしてる。
それは思いつきませんでしたー、アドラー先生ありがとうって、そもそもそんなに深刻な悩みじゃないからそんなことすらも自力で思い浮かべないんだろ?
いいか?俺は岸見が書いてるレベルのことは自分で読書なりネットで情報収集するなりでかなり若いうちに思いついたよ。
そうして苦難を乗り越えても、生まれの悪さと嵩になってかかってくる不幸不運の連続で、どうにもならない運命というものが俺に強く影響していると感じたよ。
そうして悩み苦しんでる俺に、ある人間が言ったんだ。アドラー心理学って知ってる?読めよって。
そこには俺がとうの昔に通り越えた、俺からすれば極めて幼い思考が、さぞかし世紀の大発見であるかのように書かれていて、その著者は大儲けして哲学者として大きな顔をしている。
ふざけるな、と。岸見ごときが哲学者?ただの流行エッセイストじゃねーか。
アドラーもな岸見もな、苦労ってものを知らないんだよ。世の中本当に苦労している人がたくさんいるんだ。舐めるのもいい加減にしろ >>612
ごめんよ笹やん
僕がもし笹やんと同じように苦悩していたとして
「アドラー心理学って知ってる?読めよ」
は、やっぱりいただけない…… >>614
ありがとう。優しいね。
俺にアドラーを勧めたやつは、俺より上の立場の人間で、騙されたと思って読めよ、と言ったよ。
その程度のやつが俺より上に君臨していて非常に困っている。
岸見一郎も>>575であるように、本を出して何年も経つのに思考の基本が進歩していない。本当にこいつを学者と呼んでいいのかよ?
日本はとことん思想が弱いな。岸見一郎は日経にも読売にも出てきてる。PHPも所詮は眉唾だな。 >>615
笹やんの苦しみがちょっと伝わったよ
少しでも嫌なヤツとの関わりが少なくなると良いね なんか昔にさ、彼女の浮気が分かって最悪な時期に相談した人から
先ずは自分から相手を信頼するんだってアドバイスされて心が焼け焦げそうになったの思い出したわ 自分の主観的な心理を客観的な真理と思い込んで周りの人に押し付けてくる人はよくいます
典型的な自我肥大ですね アドラーの信頼ってなんなのかを誤解してる人多い気がする
自分の愛している人が浮気するはずないと信じるのが信頼ではないよな
うまく言えないけど、自分の進歩と調和への道を相手が広げてくれているような感覚が信頼だと思う 個人心理学のための人生ではないから。
人生のための個人心理学なんだよ。 >>619
それの場合は信頼ではなくて期待だな。
人が自分に都合よく動いてくれるであろうという身勝手な期待または妄想。 「本願ぼこり」ならぬ「アドラーぼこり」みたいなことには気をつけたいなって思った 嬉しい限りであります。
秋葉原通り魔事件がありました。今回は犯人の弟の話です。
犯人である兄の両親は躾と称して虐待を行っていたようである。弟は成長する過程で虐待される兄を横目で見ながら、息をひそめ、矢面に立たない技術を身につけたことだろう。そして兄は事件を起こした。
弟のもとにはマスメディアが集団ストーカーのように押し寄せ、住居を移し職を転々としながら暮らしたそうだ。しかしマスコミは何処まで行っても弟の所在を嗅ぎつけた。そのとき付き合っていた彼女に、こういわれたそうだ。
あなたは犯人の弟だから、、そして結婚は彼女側の両親の反対により破談。このことが自殺の決め手では?と言われている。俺は兄とは違う、がこれは俺の運命である、というのが彼の残した言葉である。
岸見よ、彼の立場に置かれた上で課題の分離やらで幸せになってみよ。土地を変え職場を変えても、彼には生まれによる不幸から逃れられない。
どこまで逃げても、たとえ一見では周囲に悟られないことができたとしても、彼が逃げ続けたという歴史は彼のキャリアとして偽らざる歴史として残る。
面接官はいう。「あなたは職を転々とされていますね、なぜこうなったのですか」彼は本来であればつけた職業には就けないだろう。悲惨な家庭で生まれ育ち、悲惨な形で社会に放り出される。
過去のトラウマを現在理由としてでっちあげている?では彼のような境遇の人にそう言ってみるがいい。
彼を救う方法は、社会が彼を守る覚悟を持つことだけだった。しかしこうした不安も残る。「彼もいつか豹変するのではないか」彼が生き延びたとしても、常にこうした恐怖に本人も周囲も支配される。これがでっち上げだというのか。
アドラーの言い分は軽症患者にしか通用しない。学者を自負するのであれば、冒頭にその断りを入れるべきであり、あくまで元々幸せな人がより人生を豊かに生きるためのテクニックの紹介本という触れ込みとすべきである。
全ての人が考え方を変えるだけで幸せになれる?そんなのは大法螺である。そして社会はこの手の本の著者に、名声を与えてはならず、ましてや権威などはもってのほかである。 似たような話がある。ドストエフスキーのカマラーゾフの兄弟だ。
道徳的に破たんした父親のもとを母親は何らかの形で去ってしまい、父親の下で三人兄弟は育てられる。
長男は元来まともであったかも知れないが、この父親の病理を押し付けられ、健全な社会生活が困難になってしまった。
次男はそうした病理を冷徹に観察し危険から距離を保とうとすることで自分の身を守っている。三男はそうした全てから逃れるべく、物心ついた頃からまるで感情を失い、まるで聖人のような出で立ちで常に優しい微笑みをたたえている。
そして次男は当時のキリスト教の欠陥をこう暴く。人類が悔い改め行いを正せば、やがて楽園にたどり着けるとする教えに対し、次男は、行いを正せばやがて楽園にたどり着ける?俺はそんな楽園はごめんだね。
世の中には訳も分からず親に虐待され、社会から隔離されたまま密室で殺されていった子供たちが沢山いるんだ。俺はそんな血塗られた歴史の上に出来る楽園で気楽に暮らすことなどできない、まっぴらごめんだと、ね。
その後長男は冤罪の可能性が多々残る殺人事件の犯人として、大した審理を経ることなく、専ら偏見に満ちた世評を根拠に、シベリア送りの刑に処されるのである。 >>624
いくらでも理由は見つけられるよね
彼らが不幸なのもきっと本当だろう
それで、アドラーを糾弾する事でだれかが救われたりするの? >>626
>>627
麻原の三女については、こんな記事を発見した。
https://abematimes.com/posts/3863346
こういう真面目に考えようとする流れを、もっと大事にしたほうがいい。
それによって救われる人は確実にいる。 どれだけ不幸な事例を持ち出しても自分が幸せを目指すこととは
なんの因果関係もないよねってことだよ
殺人者の家族が日本の限られた表社会から拒絶されても幸せを諦める理由にはならないしね もちろんアドラー心理学自体は不幸な目にあった人に面と向かってそんなのは理由にならないっていう理論ではないけどね >>629
未熟ということは恐ろしいことだ。未熟は、人を悪魔たらしめる。お前のことだよ。 >>630
では少なくとも岸見一郎は眉唾ってことは認めるんだな?であれば>>631の前言は撤回する。 >>623
本来はアドラー心理学は自己啓発用に作られたものじゃないから、アドラーの臨床系の本を読むといいかもね。
アドラー心理学の一番の用途は教育とか子育てだからそっち学んでからってのが本当は良いんだけど、心の病が議題だとするとやっぱ臨床かな?
課題の分離云々以前に、アドラー心理学って協働関係の枠組みが重要なわけよ。 >>632
横からだけど、岸見さんの本はアドラー哲学を主に参考にした岸見哲学って感じはするね。 >>633
馬鹿がまた沸いた。
どうして俺がアドラー心理学の教育や子育て論の基調について理解してないと思ったんだ?
上から目線でアドラー読みなよ、って、まだ言ってやがる。
俺はアドラーの著書は自己啓発のテクニック本としては認めるが、権威としては認めるわけにはいかない、と言っているんだぞ。 >>634
それなら話はわかる。少なくとも俺は岸見を潰したい。 >>635
だって基本前提と共同体感覚を踏まえないで批判してるから単に理解不足かなと。
議論の土台に乗ってないのですよ。 岸見一郎の本のカバーか帯に、これはあくまで著者の個人的な見解であり、学術的な根拠がああるものではありません。また、現在の臨床や教育現場での成功を保証するものではありません。
と、書く。それであればあとは読もうが読むまいがその人の勝手である。 >>638
お前のその共同体感覚がカタワなんだよ。犠牲のない共同体なんてありえないし、犠牲に目を瞑るのは単に現実逃避である。
もっとまじめに国家や歴史、経済について考えろよ。お前らみたいなのがマジョリティでしかも民主主義だから、多数決の暴力で悲劇が生まれたり、放置されたりするんだろうが。
それの何が共同体だよ。お前らはお前らの心地よい世界に引きこもって逃げてやがる。その外で悲劇は起きるんだよ。わかるか? 共同体感覚ってほんと謎
俺も未だに理解できてないわ >>640
ほらよく理解してない。基本前提に対して批判できるようになったら付き合うよ、じゃね。 例えば原子力研究について。
これはだな、広島長崎、ビキニや福島などの悲劇があったんだ。
仮に商業発電としての原子力を手放したとして、わが国はそれでも原子力研究を世界先進レベルで継続しなければならない。
なぜか、それは悲劇を繰り返さない為なんだよ。世界先進レベルで研究を進めていないと、他の勢力の蛮行に対する対策を放棄することに為るんだ。
日本人にはその責任があるんだよ。多額の税金を投入せねばならない。
わかるか?悲劇に手を合わせて、悲劇に多少なりとも寄り添いながら、戦わなくてはならないんだ。
心理学もそれと同じだよ。悲劇に目をつむって共同体だと?笑わせるな。お前たちは人類の課題から逃げてるんだよ。
無条件な豊かさの副産物としてお前らみたいなのが生まれるのは判るが、デカい顔をするな。 >>645
そもそも眉唾なので、説明しようがありません。ぼろが出ますから。
そして>>642は卑怯な捨て台詞を吐いて逃げました。卑しい自分勝手な現実社会に逃げて、俺には俺の共同体の世界が本分で、笹みたいなのには付き合ってられない、と。
現代にあって恥ずかしい話です。 >>646
>>551の共同体感覚をベースにすれば、人類の進歩のために助け合い、研鑽し続ける真摯な態度が必要です。
トラウマはでっちあげだというのは、あまりに不真面目ではありませんか。
この手の著書には、権威を与えてはいけないのです。俺が言いたいのはそれだけです。 もういいよ毎度のこのトラウマの話題w
トラウマはない理論は岸見さんの本以外で見た事ないしオリジナルでしょ
早期回想の技法を知ってたらトラウマがないとは言い切れないし >>650
だったら岸見は歪んだ解釈を翻して読者に詫びる新著をさっさと書かなければならない。
学者を名乗るなら当然だろ?小保方の件があったのに何も成長してねーな。
西洋文化をゆがめて持ち込んで、権威を得てやがる。とんでもない商売人だな。
俺が勧告書を書いて各所に提出する必要があるな。
この人は学者という称号を与えるにはあまりに拙い。単なる自己啓発書にすぎないので、それにふさわしい扱いをしたらどうですか?と。 笹さんはどの程度までアドラー心理学を勉強したの?
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
これらは全部読んだ? 権威ってなんだ?
専門書ならともかく対話形式の大衆本に権威なんてあるか?
ドラマの件以降岸見さんはもう日本アドラー心理学会とは縁がないんじゃないか? >>651
そうだ。俺はアグレッシブだ。
だがこの国では俺の丸裸のアグレッシブさは拒絶されるので、徹底的に言論を磨く必要がある。
現実に落とし込むための日本社会の分析の精度が必要で、俺にはまだそれが足りない。
だから俺はここで吠えてストレスを発散している。 >>654
俺が使った権威という言葉は、大衆にとっての露出度の多さと知名度という、現代社会では圧倒的な影響力があるそれを指している。 >>653
嫌われる勇気しか読んでないよ。
どの本がまともなんだ?教えてくれ。
俺には資源が限られている。あなたのアドバイスがあればありがたい。 >>656
大衆の知名度は得票数に直結するので、そういう意味では民放は一般紙は、権威があると言える。
ただ、格式が伴う権威という意味では使っていない。 >>658
わかったよ。ここは俺の為だけにあるわけじゃない。言いたいことはほぼ言った。もう暴れるのはよそう。みんなありがとう。気分を害した方は、すまなかった。 >>657
人はなぜ神経症になるのか
日本のアドラー心理学はドライカースの系譜だからアドラーの論理を知りたいならこれじゃない?
体系化される以前のものだし、お嫌いな共同体感覚ばかり出てきて疲れるかもだけど >>657
アドラー“実践"講義がいいと思う
嫌われる勇気だけだとどうしても解釈に偏りが出ると思うから >>661
>>662
ありがとう。読むことを約束します。
いつになるかわからないし、読んでもらえるか分かりませんが、感想はこのスレに笹の名前で記します。
そしてあなた方のアドバイスを、役に立てていきたいと思います。
ありがとう。 >>645
最近共同体感覚について考えててだれも説明してない角度からの個人的理解でいうと、
全体論は自分の中に矛盾や葛藤はないとする考え方
そのかわりにアドラー心理学では矛盾や葛藤を対人関係の課題として捉えるわけだ
その、対人関係の矛盾や葛藤を協力関係に向けて統合したり役割分担しようとする態度を共同体感覚って言うんじゃないかと思ってた
わかりにくいなごめんねw >>660
このスレ暴れるとちゃんと反論が返ってきて盛り上がるから楽しいよな
おつかれ >>551
人類の進化なんてどうでもいいぜ〜って思ってる人には共同体感覚は持てないのかしら?
>>664
わかりにきいっすw
どうしてもちゃんと理解してると思われる人の話は抽象的だなあと感じて(__;)
具体的な例で何かないですかね
それとも具体的な簡単な言い方にしてしまうと、結局ちゃんと説明しきれず誤解を招いてしまうのかなあ >>661上
どうでも良くてもなんだかんだでそっちの方向に向かってるって感じかな?
劣等感の補填の論理で、人は主観的にマイナスからプラスに向かってるっていう目標追求性ってアドラーの前提があるよね?
それがみんな「建設的に」目標追求すれば協力的な社会ができあがるってのがアドラーの理想のイメージなわけだから、力合わせてるよねって感じ >>667
どうでもいいぜーと思ってるとしても
今まさに生きようとしてるということはマイナスからプラスへの目標追求性を持っているということですね。
ありがとうございます、納得できた気がします >>666
簡単な言い方にしてしまうと
「ダメなところも含めて自分が好きで、人の嫌なところも含めて信頼できると思えて、だからこそ人の役に立てるし立ちたいと思える感覚」って事でしょ
めちゃくちゃ抽象的だけど 見知らぬあなたを親しいあなたと捉えなおす感覚
どう? みなさんの聞いてると聖人君子のようなイメージだなあ
その感覚を持とう、持った方が幸せになる、生きやすくなるという論理が理解できてないとダメだんでしょうね
ということ僕も本を読んだりして勉強します >>672
うーん聖人君子って感じじゃないと思うんだよなー
例えば自分の子供が万引きしたとするじゃん?
怒鳴りつけるわけでも、なんとか隠蔽しようとするわけでもなく、「ばかだなー、人に迷惑かけるようなことしちゃいかんでしょ、ちゃんと店員さんに謝って、警察にも説明して反省してこい、な?」って感じだろね 共同体感覚の反対は幸せか?と考えたらイメージし易いかも?
自分は役立たずだしそんな自分が嫌い
世の中は敵だらけで関わりたくない
むしろ恨んでるし足を引っ張って陥れたい
そんな毎日とは反対方向に生きた方が自由だし楽しいよってのが共同体感覚でしょう >>674
>自分は役立たずだしそんな自分が嫌い
>世の中は敵だらけで関わりたくない
>むしろ恨んでるし足を引っ張って陥れたい
笹やん… >>673
わかんないなあ、それって普通のことなんじゃないの?
それと共同体感覚がどうつながってるの?
>>674
三つのうち二つはわかるけど
世の中は敵だらけで関わりたくないというのは少しそういう思いが自分の中にもあるかも >>676
息子が社会的結末から学んで成長できることを信頼していて、さらに周りの人達に任せることができている態度
共同体感覚の反対が自己執着だとすると、怒鳴るとか隠蔽するは自己執着に意識が向いてしまってるよね
共同体感覚って誰でも持ってる普通の感覚だと思うよ >>677
なんとなく分かるような分からないような感じ
自分は子供はいないけど、もしいたとしてその子供が万引きしたら
「何で万引きしたらダメだと思う?」って聞くかもしれない
これってどうなんだろう >>645
個人が生きる究極目標は
社会の中に居場所を見つけ出し
所属をとげて人から愛されて
仲間と一緒に暮していけること
ここを理解して、相手を尊重して、貢献しようとすること
あなたが敵だと思っている人も居場所を見つけるために競合的な方法を取ってしまってるんだと思えれば、相互の所属のためになにか私にできることはないかな?
に変わる >>678
すごくいい方法だと思う
上にもあるように自他共に所属するための援助って感じ >>679
むっちゃわかりやすかったです!
最初の四行はまさに今実感として理解した部分なのですっと入ってきた
なるほど、相互の所属かー。
自分カタギじゃなくて芸術に生きる身なので、周りはライバルと思うことが多かったんですが
この考え方ならもう少しうまくやっていけそう、どうもありがとう 競合的ってのは自分が所属するために相手の所属を妨害することだから >>678
どうかな。相手と共通認識を得ようとせずに、「ダメ」だと表示する状況は、アドラー的には望ましくないと思います。
つまりその言葉を受けた相手が競合的になる可能性が高いからですね。
ある子供は大人に正誤を判断されて「自分には善悪を判断する能力がないんだ」と自信を失いそうですし、
ある子供はダメだという言葉に反発して、「俺はダメじゃない、ふざけるな」と怒りそうです。
また、ある子供は「自分と世界は相容れないんだ」と、つまり役に立ちたくないと思いそうです。
これはそれぞれ自己受容、他者信頼、他者貢献の阻害ですね。
人間はそれぞれ自分の善に従って行動していますから、集団の論理から頭ごなしに否定されると、個としての生存確保アンド他者存在の無視に走る訳です。
これが競合。
アドラーの場合はまず裁くのを保留して、共通認識、共通の善悪を作ります。
「今回は許してもらえたけど、そのまま万引きを繰り返すと君は警察に捕まっちゃうんじゃない?」とか。
「相手も君も喜ぶにはどうすればいいんだろうね?」とかね。善悪を放棄して投げるだけです。
これは押し付けません。
相手が聞きたくないというなら離れます。
集団の中で生きるということは、集団の利益と個の利益をすり合わせるということです。
これが協力。
子供は痛い目を見てそれを学びます。
あるときには上記の言葉がヒントになります。
時間はかかりますが、自己選択していきます。
しかし時間がかかるのを待ちきれず、学びの途中で全体の論理を押し付けられると、子供は自分は間違っていないと意固地になったり、集団に参加する気をなくしてしまい、最後には表面上だけ従うようになります。
そちらの方が時間がかからないから競合的教育は選ばれ、そして根深いわけです。
アドラー的治療における共同体感覚は、教育ではなく、認知的ストラテジーの中で育まれます。
実際に協力体験を成功させて認知を変えてしまう。
協力的な生き方は集団と調和しますので、心地よく、ふつう競合には戻りません。
このようにアドラーは競合的認知に対する治療薬なんですね。 笹やんの勇気のスパイラル
勇気がくじかれる方向へ
賞賛の要求
「俺は岸見が書いているレベルのことは自分でかなり若いうちに思いついたよ。」
注意喚起
「アドラー心理学は単なる思考の手引書。真理ではない。」
権力争い
「未熟は人を悪魔たらしめる。お前のことだよ。」
復讐
「岸見を潰す」
無能の証明
「そうして苦難を乗り越えても、生まれの悪さと嵩になってかかってくる不幸不運の連続で、どうにもならない運命というものが俺に強く影響していると感じたよ。」
勇気が育つ方向へ
尊敬しよう!
「ありがとう。優しいね。」
信頼しよう!
「あなた方のアドバイスを役に立てていきたいと思います。」
目標の一致させよう!
「読むことを約束します。」
協力しよう!
「わかったよ。ここは俺だけのためにあるわけじゃない。もう暴れるのはよそう。」 >>683
どの説明にも納得しました。
私のやり方は悪手だったようですね。
質問なのですが>>679さんの見解についてはどう思いますか? 疫病、公害、戦争、難民
アドラー心理学で出来ないことだってある
地獄で必要なのはドヤ顔の悟りじゃない
なけなしの施しと絞り出した知恵 紛争地域に赴いて銃撃戦しながらなんとかしてWiFiの電波を拾ってでも2chにアドラーの役に立たない点を命がけで書き込む戦士なんだろ >>685
俺、>>679だけど上の4行は野田さんが作った共同体感覚の歌の一節だよ
http://adler.cside.com/library/gemeinschaft.pdf
俺がドヤ顔で説明するより直接読んだ方がわかりやすいかもね >>685
同意しますね。
あえて注釈をつけるなら、自分が「競合的だなあ」と思っている相手がリアルで目の前に居たとするなら、
「そう思う自分もまた競合的なのである」という自覚は必要だと思います。
もちろん、程度の差は確固ありますが。
競合は、自己の生存、自分の意見、自分の立場を守るために行使される原始的な生理機能です。
共同体感覚の正しいポジションを心中に得たしても、自分という個が他を圧して利をはかる競合性をゼロにすることは(おそらく)かなわないと私は思っています。
つまり集団と基本調和的でありながら、例外として個の利益に走るのがアドレリアンだということですね。
あのアドラーも野田さんも、激することがあったようですし、完全な協力には宗教レベルの無私が必要だともいわれます。
しかし、競合的な性質は、アドラーの手法によってより集団親和的な、協力的な性質へと認知的改善が可能です。
競合モードへ無用に陥る機会は減らせますし、機を見て抑止することも可能になります。
普通の人(笑)はそんなこと出来ませんからね。
怒るとき、人は怒るだけですし、仲違いした相手と復縁するのは自他の感情に揉みくちゃにされて大変です。
しかし、アドラーであればいずれの事態も圧倒的にコントロール可能になりますし、やりたいなら中心に立って、平和でクレバーな状態に場を持っていける。
集団と調和するというのはそういうことですね。
宗教まで手が出ない一般人には、これで十分だとも思っています。
それとアドラーの技法には、幅広い対応力がありますしね。
課題分離と課題共同化、葛藤解決、エピソード分析、陰性感情の働き、言葉遣いの原則、その他、さらに理解を深めれば、他の流派の技ですら(技法レベルで)行使できる。
この現実味溢れた技法の駆使は、宗教だけではちょっと無理だ。
勉強すればするほどリアルで役に立つのがアドラーのいいとこです。 エピソード分析は実際かなり使えるからおすすめだよ
毎日寝る前にでもやったらいい
競合性がどんどんなくなっていくのが数日でわかる >>693
ググってみたけど分析方法がのってるサイトがなかったです
やり方がわかる書籍はありますか? >>694
パセージプラス
アドラー心理学会にメールすれば買えるよ >>648
なんか、真剣に考えてる俺すげえ、みんな俺を尊敬しろ、って言ってるだけのような気がする
建設的に生きるというのは、もっと簡単なことなんでね、傷つくかもしれないけど
誰でもどの瞬間からでも、幸福に生きる未来を選べる、それがアドラーの思想だから >>686は理解を示してくれたが
加藤の話、カラマーゾフの話、原子力の話
この3つをもってして心に響かないのであれば、
話す相手を間違えたということだ。 >>698
何人かは理解を示して答えてくれていたので、それだけ信じる。 やるべきことをやる
それこそアドラー心理学と相性の良い考え方なんだけどね 自分の人生とは無関係の書籍著者を逆恨みする。。。
黒子のバスケ事件の犯人と気が合いそうだ >>657
笹さん、「アドラー実践講義」なんてkindleで買って1時間で読めるよ
あなたの「限られた資源」をいつまでも5chに的外れな書き込みを繰り返す事に使うよりもよほど有意義に使えると思うから読んでみそ >>636
あなたの限られた資源を岸見を潰すために使うのですね >>681
それなんとなくわかる気がする
俺は芸術というかクリエイター職なんだ
世の中にないものを生み出すのは俺にしかできない事なんだーみたいな傲慢とも呼べるエネルギーがあるから徹底的に仕事にコミットはできる
でも自分の価値を高く見積もるからこそ周りの人達の価値を相対的に低く見積もってしまうような葛藤がそこにはある >>704
おお、同じような境遇だ
僕はミュージシャンでやってるんですが、やはりミュージシャン同士で競合的に感じてしまうんですよね。
「あいつより俺の方が良い演奏出来るはずなのにどうしてあいつの方が仕事が来るんだ」
とか否定的な考えが生まれてしまう いいものを作りたいなら、他人と比べてる暇を練習にぶち込めよ
それができない時点でもう二流確定 芸術やアーティスト系、マーケット系こそ他と自分を競合させるのが無意味な職業は無いと思う
逆に競合させるから負けるんじゃない?
自分にしかできないものを作れば良い カントは、「天才はオリジナリティ、二流はイミテーション」と言ったけど
ベルクソンは、他人を見たとき「私もああなりたい。せめて真似したい」
と思うのが道徳の根本感情だ。と言った >>699
言い方は荒いが主張は伝わった
自分も改めて考えるきっかけになった
課題を分離してそれぞれができることを見極めて共同体を作る
これは大前提のグラウンドルールで課題を解決するには具体的な場所、期間、方法、役割、資源を話し合うのが大事
課題を分離しただけじゃ共同体は改善されない
共同体を作り運営していくうちに課題が次々現れる
そしてまた課題の分離、話し合い、共同体の再編成を繰り返す
アドラー学会が認知行動療法に関連付けた論文を出してるのもそういった流れだと解釈できる
http://adler.cside.ne.jp/library/index.html#063
http://adler.cside.ne.jp/database/063/063_02_nakajima.pdf
http://adler.cside.ne.jp/database/010/010_03_ito.pdf
教育は介入ともお仕着せともとれてあまり好きじゃない
協同的経験主義が固いけどいい表現だと思った 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。原版は
国立国会図書館デジタルコレクションで無料で読めます
法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V つい自分は仕事を失敗すると出来るのが当たり前と考えがちですが
それは自分を非難してるのではなく成そうとしていることを恐ろしく低く見積もっているあまりにも不遜で傲慢な態度
という見方も出来るんですね
言われたことも言われた通りに出来なければ、誰かから指摘されたら…そうならないように正しく仕事しなければ…それもてきぱきと
出来るのが当たり前全ては自分次第で変えられる
どうしたってこの考えは消せないですね これからどうするか
自分にとってはこれ程怖い言葉もない >>713
たぶん仕事の事を言ってるんだろうけど会社辞めて独立しなよ
どんどん時代的に会社員のメリット減って生きにくくなってるよ
あなたが特別悪いわけじゃない >>716
というか周りの出来てる人たちが普通で
自分が出来てないのが悪い、教えてもらったりすることに形の上では有難うございますと言えます(言うのも礼儀ですし)が
焦ってしまうのも良くないんですよね…
独立なんてとても >>715
それなら少し心理的な圧迫感はないですね
以前別の本で(アドラーでないですが)出来ることではダメ、出来そうなことをやらないと変わっていかない、と
そういうことにトライ「したくない」というとこに本質的には変わりたくない自分が居るんだなと思ってます
あと「怖い」と思っていることは絶対に見抜かれてはならないとも >>713
そうやってグダグダ考える事自体お前がクズな証拠 >>713
そうやってグダグダ考える事自体お前がクズな証拠 ミスした言い訳グダグダ考える事自体ゴミ人間
はよ死ね >>718
俺が会社の後輩を育ててて思うのは、みんなと同じ様にするのが苦手なタイプが認められようと頑張ると深みにハマりやすい
それをどう動くと自分をうまく役立たせられるか探す様に意識を転換させてやれるかどうかを意識して後輩に接する様にしてる >>713
瞑想を習慣にしな
思考に支配されすぎてるよ 今日仕事終わりにわりと大きなブックファーストに行ったけど、アドラー実践講義、人はなぜ神経症になるのか、両方置いてなかった。明日は八重洲ブックセンターに行こうかな。それでなかったらネットで買う。 それと、俺の共同体感覚について、改めて語りたい。
俺は比較的運の悪い育ちだ。辛いことが沢山あったが、何より理解者が居なかった。
誰も助けてくれなかったし、それどころか軽んじられた。
そんな中で、思ったのは人類の歴史には悲劇としか言いようのない人生を送った人が沢山いる。
そして、現代社会にも悲劇はいっぱいある。
俺は、自分が多少なりとも自分でどうしようもない悲劇を抱えてしまったのであれば、より苦しむ人たちに寄り添い救いたいと思った。
俺は、原爆の手記や写真など、沢山見る。それは、俺よりもはるかに困難な悲劇を押し付けられ、その中で棄民となった人たちへの弔いだ。
そして、俺はそうした悲劇を憎んだ。あらゆる種の、人間の尊厳を叩きのめす悲劇を憎んだ。
そうした思いをこれから生まれてくる子供たちにさせたくない。だから、自分は出来るだけのことをしたいと思った。
これが俺の共同体感覚だ。 >>725
素敵な話だと思った
きっとこれからその大きな使命を果たす為にこの先の道を歩んでいくんじゃないかと思うよ
「岸見潰し」みたいな軽い感情に支配されている場合ではないね >>725
共同体感覚の共の字は、共感の共。
相手を分かろうとすることは全てのスタート地点であり、得難い資質でもある。
笹やん、一緒に学ぶ?
クールな君ならアドラーは合ってるのかもしれないと思うんだけどね。 信じられないかもしれないが、僕は、笹やんのことが、きみたちのことが、好きだ。 >>725
ああ、俺は岸見に嫉妬した何故なら彼は発信力と知名度と、そして恐らく自由に研究できるだけの財力を既に手に入れているからだ。 >>726
俺は常に君たちと、そして全てから学んでいる。
問題は俺が苦しくて発狂してしまいそうになることだ。
この怒りから解放されて、俺の仕事に邁進したい。 一つのケースとして児童虐待を挙げる。
なぜこれかというと、カラマーゾフの兄弟の次男イワンがそれについて触れ、虐待の数々に血塗られた人類の歴史にみれば、
将来キリスト教のいうところの楽園に人類が到達したとしても、過去の子供たちの絶望を犠牲として要求して達成された''楽園''で幸福な人生を謳歌することを拒否する、というエピソードに共感したからだ。
最も悪質な児童虐待は、密室で起こる。最も悪質な児童虐待とは、判明するタイミングが彼/彼女が死んだときか、彼/彼女が再起不能な肉体的/精神的な発達の遅れを背負わされたときか、もっと最悪なのは誰にも知られずに闇に葬られるものである。
これらの被害者を撲滅したいが、先ずは数をどう減らすかを考える。
俺が飛んでいければいいのだが、そうした目をかいくぐるからこそ悪質であるといえる。
一つの解は、家庭が地域から孤立しないことである。
しかし危ない匂いのする家庭に好き好んで関わろうとする正義感あふれる人間に期待し、責任を負わせるのは卑怯といったものだろう。
理想郷であれば、地域の大人たちが普段から横の連携をもって、地域で子育てをする中でそれらの虐待は解決されるが
おれがまず第一段階として現実に到達可能なのが、福祉行政を充実させることと、NPO精神を市民に普及することである。
その為に何が必要か。俺は、それは富だと思った。人間を過度な労働から解放し、余暇を与え、そして国民から福祉の充実の対価としての重税に対する理解を求める。
その為に、富をまずこの国に蓄積したい。それで俺はサラリーマンをしながら、経済における富の最大化をどう果たすかを研究している。 >>690
横からですが、どこでそこまで学ばれたのですか?
深く理解なさってるご様子ですし、内容も分かりやすいし筋道が立っていて納得感があります。
なんだか諸先生方と同様の深さを感じます。
表現方法が近い、良い書籍があるのでしょうか? 俺は、富が人間の福祉を目掛けて蓄積することを理想としている。
限られたパイを奪ったから富を得るのではなく、人類社会への貢献の質に対して富が対価として配分されることを
つまり、資本主義、競争主義、市場経済、自由主義の形を残しながらも、ただ競争すべき点はただ一点、人類社会の豊かさへの多様な貢献である社会を。 >>731
アドラーも過去に社会運動に身を投じたって話がある
アドラーの場合はそれよりも一人一人に共同体感覚を根付かせる草の根的な活動に活路を見出した 万人の万人に対する貢献の質を巡る闘争、これが俺の目指す形だ。 そしてそこには蓄積し過ぎた富による堕落による不景気や、その逆の景気の過熱による人口爆発など、
新たな問題が浮上するだろう。それをクリアするには、また新たな苦しみが生まれるかもしれない。
しかし、俺は俺は人類のネクストステップはここだと思っている。 >>736
それはつまり資本主義国家と社会主義国家の問題点を
同時に解決しようということと同義なんじゃないかな
そして全ての現代人もそれを模索する社会の流れの一部なんじゃないかと思うよ 全ての論理が本質的に矛盾を抱えるためにアドラー心理学も「分離」と「共同」が二項対立となる。
家族、友人、恋人、同僚のような身近な関係性で矛盾は見えてきやすい。
現在進行形のトラブルに対して一方的に「分離」を行なうと、「放棄」「無責任」とみなされる。
又一方的に「共同体」を定義すれば「自分勝手」「押し付けがましい」と受け取られる。
その時に「この人は課題の分離と共同体感覚を知らないのだ」とつい思ってしまう。
まさに「正しい私」「間違ったあの人」になる。
すでに通り過ぎた出来事やうんざりするほど繰り返された答えにも、新たに取り組む気持ちが必要になる。
だからこそアドラー自身もグラスルーツを旨としたのだと改めて思った。 >>732
誉め殺しですねw
良い教材、学会のテキストかな、混ぜ物が少ないピュアモルトで実践的だと思います。
私の理解が体系的らしいものに見えるとしたら、デジタルノートを使って「樹」を作るという習慣のせいかもしれませんね。
例えば、アドラー的に個人の内面を考えるとき、
「基本前提」の幹を想定しますね、その幹は「社会統合論」「全体論」「目的論」という枝を持ちます。
「基本前提の幹」はその先で、「競合」や「協力」の枝も生んでいます。
つまり、社会所属という大目的のもと、人は競合や協力という小目的を選び取ってライフスタイル化し、今度は小目的に沿って、怒りや感謝といった感情、生理機能を使い分けるわけですよね。
さらに樹の戯画で言えば葉として、各種技法があります。
次に社会の内実を考えるとき、
「社会」という幹は、アドラー的には「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」の枝になって、
その影響下、他人のことは他人ごと感が強くなれば縦の関係、
他人のことも我々ごと感が強くなれば横の関係が生まれ易くなりますね。
(ただし、ここで言う我々ごと感は、あくまでアドラー的土台を持った意味ですから、競合が高いままで我々ってなると「この非国民め!」社会になるわけですが)
社会→個人集団とスケールは小さくなりつつ連動します。
個人はそんな社会や人間関係に反発したり恭順したりして所属を求め、集団的雰囲気にも影響される。
つまり個人の中に樹があり、それを包む社会の構造も樹です。
ものごとを概要と細部、幹と枝葉に整理して行くと全て連動して見えるんですね。
それを改定し続けているわけです。
なんて偉そうに書きましたが、結局、私などというのは嫌われる勇気を読んで、ここでした最初の書き込みが「実践してるつもりなんですけど、よく分からなくて。自分のやりかた合ってますか」みたいなモンです。
そこで「大丈夫、合ってるよ」と先輩方に声を貰って、安心してお礼を言って、徹底的にノートを作り込んでは、お礼を言ったはずの先輩と競合的な議論になったりして(笑)、
またテキストに齧り付いて、実生活で使ってみる。これを繰り返しました。
私がどこで学んだかと言えば、何よりスレの皆を差し置いて言うことは出来ませんよ。
などと、綺麗にまとめてみる。 個人の問題を社会とか抽象的な問題にすり替える長文カス >>741
個人の中には矛盾、葛藤、分離、対立は存在しないとする代わりに社会との関わり方を見るのがアドラー心理学だけどな
もっとも社会構造をいじろうとするとアドラー心理学ではなくなってしまうけど アドラーの思想をベースに認知行動療法を活用するのは十分意味があると思うよ まとめると
競合的思想(自己執着)に向けて生きる=生き辛さに繋がる
協力的思想(共同体感覚)に向けて生きる=生きやすさに繋がる
競合的思想+認知行動療法=対症療法的な無限ループ
協力的思想+認知行動療法=相乗効果で生きやすさが加速しそう >>743
そのリンク先のABC分析を作ったアルバートエリスはアドレリアンなんだが
ってツッコミが欲しいの? アドラーに縋っているのは学生時代認知行動療法を教えていない時代遅れの文学部心理学を卒業したガラパコス心理学徒だろ
何故日本で認知行動療法が教えられなかったのか判らないだろ?
日本人にあわないとかバカな事言ってるから日本のカウンセリングは100年遅れているからアドラーユングしか学んでいないガラパコス心理学徒だらけ まあスレチでもないんだけどな認知行動療法は
ベックとエリスがアドラーの影響が色濃い分基本前提と骨組みがほぼ一緒だから統合しやすい
ただ実際治療内容はあんまり変わらないから共同体感覚思想に共感できるならアドラーだけでいいんじゃね?ってなる
個人的には共同体感覚とブリーフセラピーが相性がいいと思う >>749
1.アドラーを否定し認知行動療法を布教するのはスレチ
2.認知行動療法創始者はアドレリアン
3.アドレリアンは認知行動療法を否定しているわけではない
続けるならば、この三つを踏まえた上での会話に発展したいのですが 共同体思想とか言ってるから問題解決しない
個人、共同体と分ける奴はバカ >>750
俺もブリーフセラピーや家族療法を併用するの好き
アドレリアンにとって認知行動療法はアドラー心理学の内の理論を
具体化したものにしか見えないから
内側を肯定し外側を否定する論理が理解し難い
アドラー心理学を否定するなら競合的感覚とかゲゼルシャフトを肯定する論理が必要なんじゃないかな 思想云々はいくらでも解釈できるし、言葉を変えればあらゆる物はあらゆる説明が可能
ABC分析で確認出来る事象に焦点を当てそれを改善する事で問題を解決すべき
暑さで苦しんでいる人に暑く思うなと言っても苦しみは変わらない >>754
その仰る内容ってアドラー心理学で言われる内容を肯定する形になっております。 >>752
共同体思想ではなく共同体感覚思想ね
そもそもの前提としてアドラー心理学は社会統合論だから個人と共同体を分けては考えない
臨床における共同体感覚の思想の位置付けとしては、「協力的である事」や「社会と調和する事」といった方向性を与えることを治療の方針として認めるかどうか 結局アドラーの研究をやった奴はパラダイムがアドラー第一になっているから認知行動療法の理論はマイナーな物としか認知出来ない
認知の歪みだな
アドラー第一の思想=自己愛の成就だから認知行動療法の理論は受け入れ難いのだろう 「協力的である事」や「社会と調和する事」といった方向性
こんなの人によるし、独立志向を容認しない危険な発想
独立開業する方がうまくいく人もいるし、組織に媚びた奴隷を正当化するための謀略でしかない >>725
くだんねえ
他人と比較した「不運」とやらに噛み付いて騒いでるだけじゃん
頭悪いよなあ >>758
独立開業してうまくいくってそれ、社会と調和してますよね… 競合的思想=自己執着=閉ざされた金庫
協力的思想=共同体感覚=開かれた棚
みたいにイメージすると分かりやすいかも?
どちらの場合がABC分析で棚卸しし易いかって話で俺たちは後者を選ぶってだけだと思うよ。
もちろん何を選ぶのかは本人次第で自由だと思う 批判する方もちゃんとアドラーを理解してないと議論にならないのでは? >>759
笹やんは理解の途上だし応援してくれると助かるな アドラーって言うと、ふつう大体の人が嫌われる勇気を読んだりドラマを観たりしただけなので、話が噛み合わないところありますよね。
一般のイメージってこんなじゃないでしょうか。
〜アドラー派のカウンセリング1〜
クライアント「苦しいんです」
カウンセラー「それはあなたの望んだことなのです!(ドーン」
むしろこう思うのが普通なのでは。
実際こうですけど。
〜アドラー派のカウンセリング2〜
クライアント「苦しいんです」
カウンセラー「お話を聞かせて下さい」
(社会と個人の軋轢が、体調異変/神経症/精神障害/精神病にどれだけ関与しているか、また生理機能に病変が起きていて投薬が必要かどうか判定する)
カウンセラー「こうしてみませんか?」
(提案内容は相手によって変わる)
これがスタンダードだと思われます。
正対技法(ドーン形式)もクライアントによっては使われないことはないんでしょうが(青年みたいなタフガイならいいのかも知れないw)、既に古いようですね。
本職の話を聞くと質問の重ねと、目標一致がメインとのこと。
エピソード分析が整備されて、手順が汎用的に定式化された影響は多分にあるでしょう。 そもそも日本の心理学科には30年程前は認知行動療法を教えられる教授はほとんど存在していなかった
ユングアドラーの流れしかなかった
河井隼雄がユングを推したのは心理学会に認知行動療法という科学的なエビデンスがある有効な心理療法を広めたくなかった団体の力が働いていたのだろう
欧米ではとっくにユングアドラーは時代遅れになっており、今アドラーしか見ないのは蒸気機関車の研究をするようなもの
まあ認知行動療法の理論が存在しなかった大学で学んだ者はそれが理解出来ない >>757
誰と戦ってるんだ?
認知行動療法の理論を受け入れ難いとしているレスは一つもないぞ?
あなたが勝手にアドラー心理学と認知行動療法の対立構造を作って暴れているようにしか見えないが >>765
誰もアドラーしか見てないってわけじゃないから認知行動療法をほぼ含んだ形に発展してるんだろうな >>760
調和とは言えねえよ
独立開業した事で組織体の企業の利益は独立開業者に奪われるだろ
調和調和って社会主義のデマゴーグかよ >>759
くだんなくなんてないでしょ
不運をスパッと切り捨てて未来だけ見る心理学ではないよアドラーは
もう少しいろんな本読んでみたら?
自分の経験に対する意味付けを変えて自分の役割を調和の方向へ捉え直しているわけだ
荒削りだけどまさに使用の心理学って感じがする >>769
社会貢献しそれを受け入れられないと独立開業は立ちいかない
他の組織と競合的だと生き残りが難しいがポジションをずらしていれば相互発展が可能になる
独立開業がうまくいくっていうのは社会とうまく調和してると思う 認知行動療法だけしかしない人はこうして無駄なことにエネルギーを使って自らの人生の課題を阻害してるんだな〜と思って見てる >>774
いや、認知行動療法すら大して勉強してないぞこの人 こないだのアドラー心理学会の論文で認知行動療法の方が地位を確立してる今は
アドラー心理学はその亜種的に統合される可能性もあるし、別にそれでもいっかみたいなことが書かれてて面白かったよ >>777
ちなみにこないだのっていうのはそれを紹介するレスがこないだあって〜てことです ユングのペルソナも微妙だよな。
アドラー派にも肯定派の人もいるし否定派の人もいる。
ペルソナは仮面をかぶるとか、役割を演じるなどと言われる。
デパートの店員やスチュワーデスや営業マンは、その仮面をかぶる。
あるいは、上司になって日の浅い人はその演技をすることで、それが
板についてくる。
また、母親は実際に子供を産むので、父親より実感が湧きやすいといわれるが、
父親は必ずしもそうではないので、父親を演じることで父親になっていくという
考え方だ。
現実的かもしれないが本質的ではないような気もする。 >>779
お前みたいなゴミは何も出来ねーから死ねば ユングアドラーを必死に語る奴は天動説が正しいかを議論するような物
世界は何十年も前に認知行動療法が心理学の中心になっているのに日本のガラパコス心理学界は100年前の心理学を追跡し続けてきた
哀れ >>783
アドラー心理学と認知行動療法の違いを説明してみて 河井隼雄がユング派だったのは認知行動療法を日本で流行らせたくない団体から働き掛けが合ったのだろうな 中身を論理的に話し合ってしまうとマウントを取れないと判断して
コミュニケーションをシャットアウトしてデモ行進みたいに騒いでまわる作戦なんだろうな
こちらは別に敵でもなんでもないんだが・・・
落ち着くまで見守るしかないのかも アドラーは形而上学
認知行動療法は形而下学
認知行動療法は認知と行動を文章にして自分をメタ認知する事で認知のズレを修正する
アドラー等のカウンセリングの効果を定量化する技術を構築したのが認知行動療法なんじゃ? アドラーが敵とかじゃなくて心理学会が認知行動療法を自分たちの武器として活用しないと、精神科医にイニシアチブを取られていつまでも医者の使いっ走りになるんじゃないかと
欧米で終わってるユングアドラーの話すればするほど日本の心理学会はガラパコス化するんだよ
もうしてるけど ユングアドラー派からすると心の問題は解決しない方がいいんだろ
みんなが悩めば悩む程心理学は栄える
そこに認知行動療法が登場して今までの権威は崩壊した >>788
あたり前なのかもしれないが、
認知行動療法をする人は、認知が正常であることが前提だろ? 日本の心理学会が国際的に孤立化してるっていうのは俺もそう感じる
日本心理学会や臨床心理学会、医師会なんかの既得損益もあるかも知れない
ただ、その理論はどうかなっていう関連付けも感じる
アドラー心理学会がそこに関連してるかというと色々な意味でそんなことなさそうだし
ガラパゴス化というイメージ付けで悪いことっていう論調にも疑問を感じる
どちらかと言うとアドラー心理学会には独自路線で進んでってほしいなっていう感覚もある
ただ何にしても決めつけでしかない いや、そんな事ないだろ
コンピュータの二進法言語でも認知行動療法は出来るみたい
京大が認知行動療法アプリ出して効果ある事分かってるし、AIでも認知行動療法はやれると思う
AI、脳科学、心理学は統合されるだろうな
脳科学者なんかフロイトの説の一部の正しさを証明してるし
上智なんか心理学教授の採用要件に医学部卒という項目入れてる
脳科学を知らない心理学者は通用しない 孤立化は言い過ぎかな?遅れてるっていうイメージ
例えば何でも病名を付けて治療を行うというパラダイムから
近年の諸外国ではそれよりも社会で調和して暮らすことが第一目標だという様にパラダイムシフトしている模様
言い方を変えればアドラー心理学の理念に追いついてきたとも言える アドラーが遅れているわけじゃ無いけどねw100年前に他界してるわけで、アドラーを踏まえて認知行動療法の考え方に進むべきなんだよ 認知行動療法が流行ると精神科医は困るから医者が認知行動療法やると保険点数付くようになった
で、医者の元で看護師が認知行動療法やっても保険点数付く事になった
で公認心理師が認知行動療法やるとそれも保険点数付くようになるはず
みんなこの事知ってる?
ここまで認知行動療法は信頼されてる >>792
sparxっていうゲームがあるんだね。
初めて知ったけど面白そう。ありがとうございます。
正規の2000円版とシェアウェア版みたいなのもあるみたいだけど、違うものなのかな? >>788
俺の知ってる限りだけどアドラー派のカウンセラーはみんな認知行動療法を学んでるし活用してるよ
アドラー心理学→認知行動療法よりも、認知行動療法→アドラー心理学の順で学んでアドラー派になっている人が多い
アドラーがすごいって言いたいわけじゃなくて、ある明確な理由があるんだけどなんだかわかる? >>795
なんだかんだ言ってアドレリアンはみんな認知行動療法も好きだと思う
保険点数の話は知ってるけど、工数に対して美味しくないのもあって
現場ではまだまだみたいだね
これからもっと発展を遂げるのを期待してるよ アドラーもいいけどアドラーだけ読んでる人に言ってるんだけどね
認知行動療法の事も知るべきだと
認知行動療法のアプリもあるよ ●危険人物に認定される検索ワード●
※一つでも検索するとあなたはもう危険人物の仲間入りです。
「田布施システム」「311 人工地震」「軍産複合体」「通貨発行権」「エシュロン 三沢 日本」
「日銀株主」「携帯電話移動履歴監視」「MKウルトラ」「共同通信 電通 CIA」「年次改革要望書」
「対日超党派報告書」「アーロンルッソ」「キリスト教 奴隷貿易」「ケムトレイル」「恫喝殺人」
「FEMA強制収容所」 「非殺傷兵器」「根路銘国昭 」「抗癌剤 ユダヤ」「ベクテル」「人工削減」
「経世会狙い撃ち」「国際勝共連合」「統一産経」「サイコトロニクス」「分割統治」
「911 CG」「RFIDチップ移植」「エイズ 人工」「アポロ やらせ」「サンヘドリン 黒死病」「不正選挙」
「モンサント 株主」「エイドリアンギブズ」「カルト指定」「オウム 村井 地震兵器」「長谷川浩 変死」
「ケネディ 政府紙幣」「橋下 デーブ CIA」「正力松太郎」「チュシ・ガンドゥク」「123便墜落 射殺」
q >>796
仕様はよく知らない
アプリもあるからそれやってみれば >>795
公認心理師に、仮に今後、認知行動療法で保険点数が付くなら、
現段階で、臨床心理士技術者に、保険点数がついていない理由は? >>799
うーん、それって認知の歪みじゃないのかな?
>〜しか読んでいないに違いない
行き過ぎた一般化だね
思い込みだ
>だから〜を読むべき
思い込みに基づいたすべき思考だね
論理の飛躍もある
自分の認知が正しいか、まず確認した? 802訂正
臨床心理士技術者 → 臨床心理技術者
(診療報酬点数表で記載されている用語「臨床心理技術者」のタイプミス。失礼) 認知が正しいかどうか という点について、公認心理師法第3条で、
公認心理師の場合、相対的欠格事由になっていない。
看護師の場合、保健師助産師看護師法第9条。 >>806
いままで、保険適用になっていた「臨床心理技術者」というのは、
国家資格ではないからな。 807 一部補正
いままで、診療報酬点数表のいくつかの項目で、保険適用になっていた
「臨床心理技術者」は、国家資格ではない。
つまり、保険適用になるかどうか、という点で、国家資格であることは必須ではない。 うやむやだった心理士の立ち位置を明確にする為に公認心理士資格ができたんでしょ。
名称独占だから、これにより公認心理士資格を持たずに心理士を名乗っての治療は違法になる。
心理学技法の利用自体が違法ってわけじゃないけどね。 >>809
名称独占国家資格は、「名称」の独占のみで、「業務」の独占がない。
つまり、だれがやっても良い行為しかできないんだが、
君の認識では「治療」というのは、だれがやっても良い行為? >>809
たとえば、ベッドメイク というのは知っていると思う。
寝具、つまり、ベッドを整える行為なんだけど、
ホテルで従業員がベッドメイクをする際に、免許がいらないのはすぐにわかると思うが、
同じ行為を病院で患者にする場合には、看護師、准看護士の免許が必要な場合がある。
つまり、心理技法という行為だけに着目するのではなく、どのような場所で、
どのような人にするのか ということに着目しないと理解しにくいと思う。 出来事
アドラー心理学スレが伸びてる
思考
日本の心理学会はガラパゴス化している
アドラー心理学をやめさせて認知行動療法を広めなければならない
このスレのみんなを説得すれば日本心理学会は変わるに違いない
感情
怒り 10
恐怖 7
反証
本当に日本の心理学会は廃れたものなのか?
本当にこのスレと日本の心理学会は関係があるのか?
本当にアドラー心理学が邪魔をしているのか?
それぞれ根拠となるものはあるのか?
中間
今の思いについてスレのみんなに相談してみる
アドラー心理学について勉強してから吟味してみる
日本の心理学情勢について調べてみる
感情
怒り 4
恐怖 2
こんなところ? >>810 >>811
ごめんオイラ横からにわか知識を披露しただけだから詰められてもどうにもできない。
とりあえず治療の行為は医療の分野だから資格が必要だし
公認心理士であっても医師の判断じゃないと治療は行えないんじゃなかったかな?
ちなみにアドラー心理学の利用は治療ですらないから自由な認識。 >>812
合法的にビジネスとして、成立するなら自由。 >〉813
公認心理師は、名称独占国家資格。
「名称」の独占のみで、「業務」の独占はない。
つまり、だれがやっても良い行為しかできない。
実は、例外等があるので、正確には、非常に面倒な説明になるんだが、
「富士見産婦人科 控訴審判決」を読めば要件はわかるとは思う。
(東京高等裁判所 平成元年2月23日 の 裁判例)
有名な裁判例なんで、ネットでも概要は読める。自分で勉強してくれ。 815一部訂正
富士見産婦人科 控訴審判決 → 富士見産婦人科事件 控訴審判決 >>815
ごめん見てきたけど俺に何を目的に何を言いたかったのか伝わらなかった。
後出し的だけど、俺の言う治療とは医療行為のことだから、
場所関係なく無資格でできることじゃないと思ってるよ。 >>804
>>808
>>815
>>816
ちゃんとレス番に飛べるようにアンカしてくれる?
訂正とか言って余計わかりにくい 保険点数がつく心理臨床技術者っ医師か看護師だろ
あほか
国家資格無しの奴に保険点数は付かないから >>817
最近は「医療行為」でもよいようだが、正確には「医行為」というんだが、
医行為を行える資格は「業務独占」国家資格。
名称独占は、独占業務がないので、行える行為は、資格がない人と同じ。
ただし、そもそも、資格がない人でも、医行為に一定の要件で関与できる
場合がある。この要件を示している有名な裁判例が、上記の裁判例。
つまり、名称独占国家資格を取得し、仕事をするなら、
その要件が問題になるでしょ。ということ。 >>819
保険適用になるかどうか という点では、国家資格の有無は必須の要件ではない。
いままで、いくつかの項目では、「臨床心理技術者」で適用になっているものがある。
臨床心理技術者は、国家資格ではない。 アドラー心理学の感情の分析
陰性感情
過去 後悔
現在 怒り
未来 不安
陽性感情
過去 満足
現在 喜び
未来 期待
これテストに出るよ 医行為は、以下のように分類される。
1 狭義の医行為(医師法第17条)
2 広義の医行為(保健師助産師看護師法第5条)
@ 診療補助行為
➁ 療養上の世話
上記は、全て、独占業務。 認知行動療法が心理学会に登場し出したのが早稲田に人間科学部が出来た時
坂野教授が認知行動療法を人科で教えてその門下生が認知行動療法学会の幹部になった
だから早稲田人科関係者の居ないほとんどの心理学科には認知行動療法を教えられる教授は居なかった
早稲田においても文学部教育学部の心理は認知行動療法を無視
慶応は医学部で認知行動療法を教えるようになり心理学科に認知行動療法を渡さなかった
医学会の物にしたかったのだろうな認知行動療法を
慶応の医学部教授は心理学会主力の日本認知行動療法学会とは別に認知行動療法学会みたいのをつくりしかもそのトップを認知行動療法の権威と慶応お得意の自作自演w
どうしようもない だから臨床心理技術者なんて資格ねーだろ
医師か看護師が認知行動療法やるんだよ
それが臨床心理技術者 >>825
認知行動療法そのものが、医行為かどうかの根拠を俺はしらないが、
仮に医行為ではないとすれば、
病院以外の場所で、傷病者またはじょく婦以外の人に対して行うのは問題ない
と思うが、その場合に、ビジネスとして成立するのか?
経営的な意味で。 >>826
医師、看護師は、医師、看護師。(業務独占国家資格)
臨床心理技術者は、臨床心理技術者。
診療報酬点数表で、分けて書いてあるのですぐにわかるだろ。 >>822
>>812だけど、これ良いね
テスト頑張るw 認知行動療法をする人自身の認知の正常さは、必要な要素? >>828
行動が伴わない社長に対して認知行動療法を活用するコンサルティング会社とかあるらしいよ 法令で医療機関の医師か医師の指示の元
看護師が行う認知行動療法 は保険点数がつく
心理学会が団結して公認心理師の単独保険適用に動いて認知行動療法を心理学会の物にすべき >>833
>>833
コンサルタント会社の場合、認知行動療法だけでなく、様々なサービスを
提供しているんじゃね?
公認心理師が、認知行動療法をする場合、30分間いくらでなら、
経営的に採算があうかが課題になるのでは? まあ精神科医と公認心理師が認知行動療法出来る訳だが、クライアントは精神科医では無く公認心理師を選ぶだろう >>836
>>828の疑問に答えただけなので
その後出しの疑問については仰る通りだと思うよ >>838
公認心理師は、名称独占なんで、だれがやっても良い行為しかできない。
認知行動療法は、だれがやっても良いといいたい?
確かに、医行為と関係ない認知行動療法なら、それを否定する明確な根拠を
俺はしらないが。 >>842
先ずスレチなので終わりにしたいのと、専用スレまでお邪魔するのは面倒だと考えています。
>>で、君は、どうだと考える?
基本的に今のところ医療機関じゃないと認知行動療法の保険点数はつかないんじゃない?と思ってます。
もっと一般的に敷居低く、専門機関でも保険点数によって安価で利用できる様になれば良いな〜と思います。
医行為目的でなければ、アドラー心理学と同様好きな時に好きな様に使えば良いんじゃないかと思います。
以降はアドラー心理学に沿って話しませんか? >>831
正常な認知を持っている人なんていないよ 昨日仕事終わりに丸の内の丸善に行ってきた。
デカいし雰囲気が落ち着いてて、久々行ったけど改めて良さを感じた。
アドラー著岸見一郎訳 人はなぜ神経症になるのか
向後千春 アドラー実践抗議
両方見つけた。取り敢えず向後から手をつけているが、感想は後日述べる >>792
>コンピュータの二進法言語でも
君が何を言ってるのかよくわからない。 >>847
笹やんおはざっす
おう、感想聞かせてね! 学会のテキストってパセージってやつだよな?
ここの人はみんな読んでるのか? >>822
陽性感情
人と人を結びつける感情
陰性感情
人と人を切り離す感情
とすると陽性感情を伴う考え方が協力的である
みたいなシンプルな理解の仕方でいいんかな? >>850
どうですかね、Amazonとかじゃなし学会に直注文ですから。
でもスレ見てるとさすがというか、結構いらっしゃいますよね。
>>851
協力的になりやすい、ぐらいに思ってますね。
陽性感情があると、満足しかり、自分が満ちているので、自然に何か与えようとしやすくなりますよね。
ただそれで全部が協力的になる訳ではないかなと。
言葉遣いや課題操作に無頓着だと、良かれと思って出てくる考えや行動が、相手の自尊心や自立心を折ることもあるでしょうね。 >>740
>>732です。丁寧なレスをありがとうございます。
仰ること分かります。
ロジックツリーで纏めることで思想理念実践を論理的に纏めることができると思いますが、
幹と枝葉というマインドマップぽい感覚を備えることで
本筋を見失わないで捉えながら改定によって改善することができるんだろうと思いました。
このスレも全体が底上げされてるのを感じます。
皆さんよく実践せれてるんだろうなあと思ったり、
もしかしたら俺の方が前よりも皆さんの凄さに気付ける様になっただけなのかも知れないです。
学会のテキストというのは学会のHPからメールして取り寄せるという認識でよろしいでしょうか? >>763
そういう場なのかここはw
今では穏やかな某大御所は、若い頃は内輪でキレッキレの討論を戦わす御仁だったと聞いてから、
どこかしこでも寛大ぶるのはいかがなものかも思うようになったワタシだが、
駄目なもんはだめでよくね?
勉強が足りんのは事実なんだし、出直せよ、ってレスもありだよな >>772
>>725をもうちょっと読み込んでくれると助かる 「勉強が足りないよ」と「頭悪いよなあ」は全然意味が違うと思う
後者だと議論が成立しないよ >>854
もちろん仰るままで良いと思うよ
彼は勇気が挫かれていた場所から共同体感覚に目覚めようとしている様に見える
駄目という価値観を押し付けるのは勇気を試す行為かも知れないし
共同体感覚的な勇気をもたらすのとは逆の方向だと考えて協力をお願いしてみただけで
何を選ぶかはあなた次第で俺の了承はいらない そういえば野田さん療養中で補正項の更新も止まってしばらくたつけど今どんな感じなのかな? >>853
おっしゃる通りで、皆たぶん底上がってますよ。
アドレリアン集団の空気を感じるというかw
>学会のテキストというのは学会のHPからメールして取り寄せるという認識でよろしいでしょうか?
そうです。
注文は少し手間ですけど、見返りは保証しますね。
ご興味あるようならパセージ、パセージプラスの二つが強力なので、ぜひここからいって下さい。 飯豊まりえ目当てでナカイの窓見てたら
マインドハックとかいうのが出てきて
眠れなくなった。
エイベックスも落ち目だな。
ハチャトゥリアンのフルート協奏曲を聴かせたくなったわ。 トニー・レオンだっけ?
電波抑えるのが人としての気遣いなのに、
電波出すのを仕事にしてるなんて
よくいるあれだよね?
あいつ要らねえって会社で思う相手を辞めさせる係。 この先、アダルトビデオとか選んでると
このトニーニョ・レオンだっけ?
に似てるのに出会うだろうし。 おはよう。
第3楽章は
ベビーメタルのメギツネの代わりかな?
しかし
音楽もお酒もカフェインもとりすぎは良くない。 >>514ですが、昨日アドラーの「生きるために大切なこと」という本を買って読みました
が、難しくてほとんど理解できなかった気がします…
課題の分離の話もなく、共同体感覚についての説明もなかったですし
結局今の自分をどうしたらいいのかがよくわからないままでした
やっぱりアドラー“実践"講義や、アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
を読んだ方がいいのでしょうか あと、夢についての話が突飛な気がしたのと
一夫多妻制はダメと主張してたり、なんだかよくわからかった部分も多いです 認知行動療法以外は効果が弱いとわかってるのにアドラー読むとかバカかよ >>871
なるほどバイアスがかからないように原書あたったんだ
アドラー自身は課題を分離せよとは一度も言ってないしね
アドラー心理学ってちゃんと学んでみるとびっくりするくらいしっかり体系立てられていておもしろいんだけど
体系立てたのは主にドライカースとかの弟子なんだよね
そういう意味でもステップとしてアドラー心理学の全体像をまず掴むのにその2つの本はたしかにおすすめ >>874
アドラーの私的な感情による断定?のような箇所も多かったので多少違和感がありました
ただ、翻訳の仕方によるものもあると思います。
いてもたってもいられなくて今、kindleでアドラー“実践"講義を購入して読み始めています
名前通り実践的な内容みたいなので楽しみです >>875
実践講義にもたしか課題の分離は出てこないでしょ?w
おもしろいよね 権力争いも「権力争いはやめましょう」と相手に指摘するために使っている人がいるけど本来はそういう使い方じゃないよね
相手の行動の目的が権力争いだと考えたら「自分の対応を変える」ために使う
すべてが対人関係なわけだから自分が変わると結果的に相手が変わる事もある 野田さんのある本には人間は生存本能よりも所属の欲求の方が強いと考えるのは間違い、
誤解だと書いてあった。所属の本能がなくても一人で生きていけるんだと。
しかし、共同体感覚というのは、すでにより大きな共同体に所属しているという感覚
があってこそだと思う。
共同体の所属感覚は無いが、共同体感覚はある。は、おかしい 。
所属本能を現実の共同体ではなく、より大きな共同体に向けよ。と言いたいのかも
しれないが、それ以前に所属本能は誤解だ、間違いだということは、共同体感覚も
誤解、間違いということになってしまうんじゃないの?
つまり、所属の欲求を否定したら、
共同体感覚も否定することになると思うんだけど・・・。
違うかな? >>880
だったらこのスレくるなよ。
>>881
お前がバカなんじゃないの?
おおもとがバカなのに心理学に来ても意味がない。 いやほんと公認心理士スレの馬鹿がすみません
無視してください >>881
お前にとってはその分量で長文?
まずバカは勘違いをして、精神や心を治そうとするのだが、バカだから精神や心がおかしくなるので、
まずは、バカを治さないと精神も心もよくならない。
あっ、バカはしななきゃなおらないんだっけ。。。 さて、アドラー心理学の鍵概念、人によっては最も大切と言われる、共同体感覚だけど、
それは所属の欲求あっての共同体感覚だから、
人間に所属の欲求がなければ共同体感覚もないことになると思う。 「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。 >>879
>>885
おそらく、このスレにはそのレベルの話についていける人はいない。
特別難しくないレベルだが、所詮・・・ >>882
せっかくみんなスルーしてたのに構うなよ
それとも自演か? >>889
>>881はともかくとして、中卒で頑張ってる人に失礼だと思わぬか? >>885
そうかも知れないけど、それを仮定して何を導こうとあなたがしているのか、のほうが気になるな 今カウンセリング効果が認められてる認知行動療法の分析を学べ
それを踏まえて議論しな
共同体云々みたいな議論は無意味 >>879
共同体感覚=所属感かつ信頼感かつ貢献感
所属本能自体が間違いなんじゃなくて、生存本能よりも所属本能の方が強いのが間違いって事でおけ?
だったら人が所属に向かって行動するのは種の保存のための知恵だからって俺は理解してるよ
これで自殺したり自己犠牲で死ぬ人も筋が通ると思う >>879
ぱっと探してみた
たぶんアドラー心理学を語るの3の事でしょ?
なぜ貢献するのか?
形相因:所属しないといけないと思うから
質量因:所属感を得るため
始動因:生存本能によって
目的因:協力的に暮らすため
こんなとこじゃない? だから、まず認知行動療法の分析を学べよ
アドラーやユングの後に認知行動療法が出来てそれが科学的に問題解決出来る理論になってるから
天動説を必死に勉強する様なものなんだよ、アドラーだけしか見ないのは
認知行動療法理論を学べよ だから、認知行動療法がアドラーより効果あるの解っているのだからアドラーで止まってんなって
蒸気機関語る様な物だろ?アドラー語るのは >>896
ビジネスとして、採算があるならいいんじゃね?
君の考えるのは、どういうビジネスモデル? アメリカイギリスのカウンセリングだろ
欧米はユングアドラーなんか終わってるよ 欧米にもアドラー心理学会があるし実践者はいるし、
日本の臨床の現場でもアドラー心理学が浸透してる訳ではない
欧米と同じ様に、好きなものが実践してるだけ。
認知行動療法を広めたいならアドラー心理学みたいな狭い組織じゃなくて
国と社会を相手に活動しないと意味ないっていうのを
得意の認知行動療法で認知を矯正してほしい。 >>902
ビジネスとして成立するのか?
また、日本人に効果があるのか?
それが先じゃないのか? >>904
医療の場面では、じゃないのか?
公認心理師は、名称独占だろ。 >>903
別にビジネスとしてやる必要ないよ。
日本人への効果とか知らないけど俺には効果あるし、理論は成り立ってるので、
後はそれぞれがやるかやらないかってだけ。
うだうだ言うのか先じゃないか?と言ってる間はやらないだろうってだけだよ。 そもそもほとんどのアドレリアンは病気の治療がら目的じゃなくて、
その思想に共感したから好きで実践してる人の方が多いんじゃないかな?
認知行動療法が広まるのはどんどん進めてほしいけど、攻撃しに来られても困惑しかないよ。 >>910
いや、
つまり、公認心理師制度の関係で、資格を取得した後、どのように仕事をするか
という問題に直面している人が多いわけだろ。今の時期。 それ自分のことでしょ
早く公認心理師スレに戻るか資格勉強しなよ
ここは趣味でやってる人ばかりだから関係ないよ >>911
その話題はスレチだと思いませんか?
どう取り繕ってもアドラー心理学スレの話題には感じないのですが。 >>915
こんなところで布教をしてもあなたの得にはならないでしょう
何か得られましたか?
もっと人生の残り時間を有効にお使いされることをお勧めします 高校教師もまだ機能しにくいし、劣等コンプレックスを持つ高校生を対象とした
心理士のペースは当時としても、ほめたたえるべきでしょう。
いちばん劣等性に合わせるぐらいで、高校教育、高校教育心理、高校心理はいいと思う。劣等生しか授業や、心理を必要としていないから、劣等生が大事だと思う。 >>899
アドラーは死んだけどアドラー心理学自体は時代に合わせて変化してるよ
というかアドラー派のカウンセラーは大抵認知行動療法「も」使ってるよ
アドラー心理学vs認知行動療法
みたいな構造がまず違和感 >>915
特に公認心理士とか出てくるとアドラー心理学の話題からかなり大きく外れると思います。 >>892、>>895、>>896
と、いうことは、所属の欲求が低い・薄い人は、
共同体感覚も得られにくいということでOK?
そして、それが無い人は共同体感覚も得られないということ?
所属の欲求が薄い・低い・無い人が共同体感覚を得るためには、
まず、所属の欲求を高める必要があるということですか? >>920
所属の「欲求」ではないんだよアドラー心理学は全体論だから
人の行動は全て劣等感の補填として所属の方向に向かっているという事
アドラー心理学を語る、に書いてあるのは、あなたが仰るようなニュアンスではなくて、「幼少期に身につけた競合的な所属確保の手段に頼らなくてもいい」って事
つまり協力的な方法で劣等感の補填を代替しましょうってこと >>887
特別難しくないレベルならあなたが答えてみては? そもそも、所属の欲求を持たない人は、
共同体感覚を持とうとはしないということですよ。 自分は所属の欲求が低いから・・・というところでつまずく必要はない
とりあえずどんな人も所属への目的に沿って生きているというところをフムフムと思えば良いよ
例えばネグレクトの経験なんかから所属という言葉に対して逆に嫌悪感を抱く場合もあって、
だから共同体感覚を抱かないかと言うとそうじゃなくて経験的に学ぶところも大きい
感覚的には承認欲求や貢献感が満たされた時の感覚に近いと思う >>923
バタイユやサルトル、レヴィナスにも通じていますよね
共約可能性およびその意識がいつも既に成り立つと前提にしている「共同性」ではない共同性
「共同体を持たない者たちの共同体」「あらぬというしかで、ある」という
共同体とは何であるかと本質論的に語ったら終わってしまうパラドックス >>920
所属の欲求が低いって事じゃなくて
賞賛されない→注目されない→争っても勝てない→相手を傷つける事さえ出来ないってなると
次ステージの所属の形として自分を守るために感情を抑え込むような方法を取るだけって事じゃないか? >>879
これだよね?
〜それくらい人間は 、他の人とつながりを持つという本能が強くなってしまった 。
でも 、これは本当は間違いなんです 。誤解なんです 。人生の最初の一年間だけ本当なんです 。小学生のころになりますと 、もう人とそれほどつながらなくても生きていけるんです 。でも人間は人生の出発点での誤解を 、一生引きずって生きてしまうんです 。
その結果 、みんなにかわいがってもらえないと大変だと思いこんでしまう 。そんなはことないんですよ 、本当は 。
https://i.imgur.com/CV38ykp.jpg
所属本能が誤解だってよりは、依存型、競合型のライフスタイルに縛られる必要はないってニュアンスに読み取れるけど 個人的には生存本能だって同じ様なものだと思う
生きることで現世への所属を果たしていると言えるんじゃないかな 現世に縋りつかなくても死にはしないんだけどね
そこんとこはどうなの? 所属本能が誤解だって事が質問者の誤解という事でFA >>932
生きているってことと生きていたいって願うことは別じゃない? 寂しさを感じない、子孫を残したくないなら
所属しなくてもいいよね
でも生きてるだけで社会に所属してるから、社会ルールさえ守ってりゃ問題ない アドラー心理学では、人間の最も根本的な意図は善意であると考えます。なぜならば、人間の最も根本的な意図は所属だからです。
共同体に所属をするということを目標に動いているわけですから、この目標は善か悪かといえば、これは絶対的に善です。
ただその所属をするための手段として、たとえば復讐であるとか、たとえば権力闘争であるとかいうような、間違った副次的目標を置くことがあるかもしれません。
それにもかかわらず、その究極的な目標は善なわけです。まずそのところをしっかりと見ないといけません。 まだこんな確認しようがない理論にこだわってるのかよ
海外ではとうの昔に終わった理論
認知行動療法の理論が正しいかわかっているのに 何が共同体だゴミ
人間の性質を本能一つに帰するキチガイ >>937
認知行動療法をする人が、認知が正常であることが必要な要件か? アドラー心理学とは違うけど、人は罪悪感を伴う行動を行い続けることができないっていう研究結果があったね。
同じ様な不正でも、例えば困っている人を助ける為、みたいな自己を正当化する大義名分を持つことで罪悪感を示す脳波が消えて積極性を取り戻すんだそうだ。 結局いつもの荒らしだったってことか。
最近は話せば分かるアンチが多かったから忘れてたわ。
その日、人類は思い出した。
奴らに支配されていた恐怖を。
鳥かごの中に囚われていた屈辱を。 荒らしの行動をアドラー心理学で分析したらどうなるの? >>934
生きていたいというのは、死の恐怖への反応だからちょっと違う話なのかなと思うなわたしは >>942
今話題の所属だよ
競合、支配、依存する形で居場所を得ようとしてるとすると考える
人を信頼する勇気、そのままの自分を好きでいる勇気、協力しようとする勇気が足りない
でも分析しても意味ないけどね
変えられるのは自分だけだから >>943
なるほどね
やっぱり生存本能云々はやっぱり俺の個人的見解に過ぎないってことかな
俺の場合は人間関係が大きく関わるからそう信じられるだけで >>939
あなたが荒らしを援護していることに気づいてる? 自作ボードゲーム市場に詳しい「ペンとサイコロ」というブログの
「ゲムマ2017秋・アンケート結果 第二弾:2016→2017年比較」の記事によると
ゲームマーケットに出品した人の半分が赤字で半分が黒字でちょうど半々だそうだ
50万以上の儲けが5%いるが逆に50万以上赤字なのも5%いる
そして初参加の人の7割が赤字なのに対して、ノウハウありや知名度や固定ファン層が居る
中堅サークル7割が黒字になってる
継続性とブランド力構築とノウハウが大事だという事だと思う
初参加の人は作る個数と需要を見極めツイッターやユーチューブでの宣伝がカギになる
最初は50〜100個ぐらいをいかに金かけないで作って売るかの勝負になる
これはイベントでの話でオンライン販売は別だし特別運がいいと海外展開もできる
これがゲムマ2016・2017年(初の二日開催)の販売数
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/roy/20171220/20171220211924.png
これが販売金額
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/roy/20171220/20171220212902.png
これがイベントでの利益
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/roy/20171220/20171220213109.png >>947
荒らしている書き込みに対して、最初にいってほしいんだが。 自分なりにここに書いてあることをまとめてみると
誰もが所属に向かって生きているから人は協力して生きていけるはずだという信念を自分の中に据えようってのがアドラー心理学ってことでいいの? >>949
必要ない
相手してくれる人がいるから荒らしは活動するんだよ 所属に向かって生きるとかキチガイ理論
独立志向のやつなんていくらでもいるし作り話するキチガイ 独立志向も別に矛盾しないと思うな
自立しなきゃ協力できないからね
>>952
独立して何を得たいんだと思う? >>951
なるほど、それなら、
聡明なアドラーの諸氏には、とっくにわかっているだろうが、
認知行動療法を考えるなら、
まず、ビジネスモデルとして成立するのかを考えることを勧めます
ということで、俺は消えることにするよ。
>>950
生きていけるはずだという信念
というよりは
生きていけるという実感 >>954
>聡明なアドラーの諸氏には、とっくにわかっているだろうが、
皮肉たっぷりで草 >>946
死ぬ時期は(自殺を除けば)本人の意志では変えられないからね
それを認めるかどうかだけの話だと思うよ、生きたい死にたくないって言うのは >>764
なるほどすごいですね
あなたケイスケホンダですね >>958
あなたの考えが正しいと思うよ
仏教的で共感できる
ただ俺の場合(今は俺の場合だと思う)そうじゃないんだ
生きたいっていう願いは生きる意味を願って生きることだと考えてる
もちろん人生を生まれて死ぬまでの一本の道だと考えれば
自分が今何パーセントの場所に居るのかは誰も知り得ない
その中でただただ生き長らえることに意味を感じない人も居ればそうじゃない人も居る
例えば誰かの幸せを願って生きる人も居る
その違いは言葉的な意味が違うだけで基本は同じことだと思うってこと
そして同じ様に考えてほしいってわけじゃないし俺はそう思ってるということ >>961
ケイスケホンダだとどうなっちゃうの?w アドラー心理学でいう目的論と社会統合論の交差する大事な部分な気がする >>965
今週のHOTワードだったんだね
知らなかった
お前もケイスケホンダやな >>960
所属したい
プラス全体論
「私の行動全ては所属に向かう」
プラス認知論
「私の行動全ては所属に向かう」というライフスタイルを持っている
プラス主体論
「私の行動全ては所属に向かう」というライフスタイルを私が使っている
プラス共同体感覚
「私の行動全ては所属に向かう」というライフスタイルを私は日々、協力的な方向に使って暮らしていこう >>960
生きたいと聞くと、どうしても、生き続けたい!と聞こえてしまうんだ、わたしは
だけど、私は今この瞬間この時を存分に生きればそれでいいと思っていて、生き続けたい、という気持ちはよくわからないんです
そのあたりに、相互理解の鍵があるのかな、と思って書いてみました >>929
所属の欲求が低い→共同体に所属しようと思わない→共同体感覚を得ることはできない >>969
アドラー心理学的で素敵な生き方だと思います
僕も似た様な生き方を続けたいと思ってる
あなたの言う存分に生きるって言うのと、俺の言う意味を感じて生きることが
同義に近いんじゃないかな
俺の個人的な付け加えをすると、ただ生き続けたいという気持ちは分からなくても
何かしら似た様な根源があるんじゃないかという説を持ってるってことです >>920
>>972
分かる気がするぞ、ぼっち系かな?
課題の分離が強い嫌われる勇気と相性いいよね
他人のことを無視するのを正当化してくれて楽になるからさ
だから共同体感覚やってくと猛烈に不安になる
うまくできないんじゃないのかって
所属の欲求は高めるんじゃないよ
書き込むということにもその欲求はあるしね
ただこれまで自分が避けてきたことで塞がれてしまった通路が自分の中にあるんだと気づくこと
アドラーやってくと分かってくるよ
というのは、一人でも苦ではないけど誰かと居るのも楽しいって感じになる
信じられんかもしれんがこれはマジで >>967
良いですね
俺の話題を当てはめると、アドラー心理学実践者はこれを言語化して主体的に認識できるけど
そうじゃない人も全員同様の特性を無意識下だったり表層意識側だったりに持っていて、
そのステータスのパラメータ値が違うだけってことです >>975
やばい濡れた
こう言うレスや言動みたいな態度が自然にできる大人でいたいな スレ終盤ですね
スレたてしようと思いましたがひとつ提案があります。
NGワードが今のスレの状況にそぐわないような気がします。
以前のスレの状況と今とではだいぶ異なってきているので、変えるか、撤廃しようかと思うのです。
これといったNGワードが個人的には思い浮かばないので、皆さんにお聞きできたら嬉しいのですが何かありますか?
建設的な意見がなければ撤廃してスレたてします。 おう
すでに無用化したので撤廃でいいと思う
兄弟スレみたくお勧め書籍を載せるのはどうか >>979
最近は基本的に平和だから特に思い浮かばないですね
NGワード推奨も村の掟、古い言い伝え的に感じてきてる気がする
良い意味で言ってます
個人的には変化を好むので意味で撤廃に一票かな
スレ立ての方、よろしくお願いいたします >>981
なるほど。
おすすめ書籍ありですね。
学会テキストのリンクも載せときますか >>983
ああ、書籍と学会テキストへのリンクにも一票
ヒューマンギルドは公式テキスト出してないんかいな
まあ良いけど
もう採用とか考えなくて良いけど
岩井さん著のアドラー心理学ワークブックもオススメ
スレ終盤話題になった認知行動療法に似てて採点したり文章化したりで実践し易いと思う いいじゃん
そういや以前は前スレ議題とか振り返りで書いてて良かったね
まぁそれも立てる人がってなると負担重すぎなので
各々が続けたい話題あったらテンプレ後に書くといいと思われ >>984
アドラー心理学ワークブック採用しました。
>>985
兄弟スレの基本前提の説明もいいなと思いました。 ごめん関係ないけど
ここをスマホのwebブラウザから覗く時に表示されるアフィリ広告のエロ漫画アプリ広告を
ついついエッチな気持ちに負けて踏んだんだが、東京DTEDって漫画の劣等コンプレックス状態から踏み出していく感じが割とガチで面白かったよw
主人公の劣等コンプレックスと自分には何も無い感が共感できた いや〜、アドラーの個人心理学は
共同体感覚の共同体を実際にはありえない理想の共同体と仮定すると
神の国なわけですから、神を想定した立派な宗教ですよ。 名前がゲマインシャフト真理教に変わっても俺は全くかまわないな アドラー心理学は、仏教というよりも
キリスト教プロテスタントですな。
>>972とは真逆の考え方をする。
つまり、努力をして共同体感覚を身に付けるのではなくて、
すでに、あなたは、好むと好まざるとに関わらず、共同体に属しているんのだと。
すでに属しているのであるから、属する努力をする必要はない。
その自覚を持って生きていくだけ。ですな。
しかし、そのプロテスタントも最近はその努力は必要との認識から、
最初から属していることはタブー視されているところが多いらしい。 簡単に属する競合的な道が常にあるけど、淡々と協力的な属し方を選び続ける決意が必要 >>994
それだと浄土真宗の考え方にも近いね
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