【でん】電話級・電信級の思い出 Part5【昭和】
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昭和時代のアマチュア無線登竜門である
「電話級・電信級」について語ろう。
関連する思い出語りも大歓迎。 >>99
結果はあとからついてくる
理論もクソもなかった ただ作ることで精一杯
ローカルのOMが来宅して不具合を直してくれたっけ
AM UC時代 昔話をしたいんなら、上級コンプレックスがスレチスレチと
ガタガタ言い出すこんな窮屈なスレは放棄して
新たにスレ立てした方がいいと思うぞ >>102
荒しとかまってちゃんにはエサを与えないのが5ちゃんの基本です。 窮屈ってか目障りだな
エサをやらないといっても、反応しちゃう奴は必ずいるから、もう捨てた方がいいよ 随分昔、子供に4アマをとらせようとして受験させた。
小学生はウチの子を含めて3人だった。
要はアホ親が3人いたってことだ。 私が電話級を取った頃は酒を飲んで車を運転しても違反にはならなかった >>106
それは思う。
酔っ払って運転して止められて、
「気をつけて運転してください。」と言われたとき、
「ごくろーさまー」とロレツが回っていなかった。 >>108
昔はそんなこともあったよ。
今の人には信じられないだろうな。
信号待ちで、ドアあけてゲーなんてこともあった。 飲酒運転の取り締まりは40年以上前から相当厳しくなっている。
ここに書いている連中はでたらめ 科学教材社だったと思うが、送信機と受信機のキットを売っていたように思う。
受信機は、トランスレスだったような。
あと、0v1とか、0v2とかもあったような。
あの会社は今でもあるのだろうか。
当時は、そこそこ夢があった。 昔住んでた家で短波を聞くと、数字ばかりの電信がよく聞こえた。
ある時、新聞に北朝鮮のスパイがみつかったと書かれ、住所は隣の町だった。 初めてラジオを作ったのは小学生の時だった。
並3ラジオ
6C6, 6ZP1, 12F、今でも忘れない。
シャーシに穴をあけて、トランスだの、真空管ソケットだのを取り付けた。
あの時、買った工具は今でも使っている。
なんであんなことを始めたのかは忘れてしまった。
暑い夏休みのことだった。
秋葉原のガード下、ラジオセンターは人で溢れていた。
以来、免許を取って、今に至っている。 思い出すことは結構ある。
昨日は沖縄慰霊の日だったが、
返還前のKR8と、KR6
何度か交信した。 トランスレスは感電するから
プラグを刺す方向にしるしつけてた >>117
ネオン管をシャーシーに当ててから触った 質問です。
昔、5球スーパーにスプレッドバリコンをつけて7メガのハムの交信を聞いて
いた頃は、話している内容も紳士的でかっこよく憧れました。
今はもうあのころのような胸躍る交信は聞けないのでしょうか? >>113
今でも通信販売だけ細々と続けていると思う。
かつては神田駅から近いところに店があった。
誠文堂新光社の雑誌製作記事の部品販売部門みたいな存在だったな >>122
メンコ集め、CBまがいのトラック、大したこともないのに偉そうに喋る年寄り
あなたの聞いた頃の胸躍る交信はもうありません
時間と共にすべてが失われました あなた自身の少年の心もQSOも >>125
仕方がない。
ヘの5番でかぶせましょうか。 電信はキーを叩いて、電話はマイクを握って、通信。
電信級と電話級はともに出力10Wまでだった。
電信級の方が、「電気通信術」送受信もあり、
大変だったが、
その代わり、「無線工学」や「電波法規」は
電話級よりやや出題がやさしかったとされている。
ITUのおふれでは、
「国際通信が可能なHF帯を運用する資格は、
モールス送受信ができること」
とされていたのに、日本では出力を絞る代わりに
HF免許を許可した画期的な資格だった電話級。
時代とともにモールスは廃れ、
自然と日本のやり方が世界の潮流になってしまった。
その後、
電信級は第3級に
電話級は第4級になった。 電話級の試験の時は、一生懸命に勉強して楽しかった。
すぐ電信級を受けた。
筆記はどうにかなると思った。
だから、電信のモニターを作って送信の練習をした。
当時は受信の試験もあったので、7Mを聞いた。
25字とはいえ、結構緊張した。
送信では、HHを3回くらい打った。
たぶん、きたない送信だったと思う。
受信では一回つっかえるとパニックになるので、それだけを気をつけた。
懐かしい子供の頃。 アマチュアの電気通信術の試験は品位の減点は取らなかったと
どこかで聞いた事があるが本当かな 受信は、大人数でスピーカー(SONYのラジカセ?)の信号を聞く、は末期まで変わらなかった。
送信は、練習で愛用したキーの持ち込みを認められていた。
横振り電鍵は、早く動きすぎて慣れないと誤送信になった。 >>126
モールスは廃れては無いぞ。
昔と変わらない。
SLや真空管アンプの世界と同様に「マニア」の間では人気は逆に上がっている。
何しろSSBより電波が遠くに飛び混信にも強い。
廃れたのはAMだよ。
利点が無いからな。
まあ強いて言えばFMより微弱信号が受信し易く、
専有帯域が狭いくらいかな。 蛇足ながら廃れたのはプロの世界。
アマチュアは別。 現在は、日本無線協会でネットで申し込みで完結する国家試験の申し込みも大変だった。
まず、返信用切手を貼った封筒を同封してJARLの通販に受験申請用紙を注文。
(置いてある無線店や大型書店もあったようだが、よほどの都会のみ)
受験票ハガキ、結果通知ハガキとなる部分を含めた巨大な受験申請用紙が届く。
切り離さないようにして誤字がないように慎重に記入して、
返信用ハガキ切手2枚分を貼付、自分の写真を貼付。
受験手数料相当額の収入印紙を貼付。
係員が一目見て分かるように、第1級は黒、第2級は赤、電信級は青ペンで
申込用紙の端を塗る。(受験生の多い電話級は何もなし。)
提出先は、各地方電波監理局の検定課。 その後、
受験者の激増した電話級は
「無線国家試験センター」に独立。
受験料は、銀行振込になって、
5連の振込用紙の「支払済証明書」を
電算式申込用紙の裏に貼付するようになった。
そして、電算処理されたハガキ(受験票)が送られてきて、
これに写真を貼って、当日持っていくやり方になった。
しかし、結果ハガキは
まだまだ保護シートはなく、
合否は家族に見られてしまうのである。 >>132
「AMは回路が単純で自作が簡単」
これも長所に加えといて 俺が電話級取った頃はPCHが普通に聴けた
聴くのもひとつの楽しみだったな >>137
CWはもっと回路は簡単と揚げ足を取って見る。
まあ専有周波数も狭いしな… 予備試験に合格しないと受けられない短縮コース講習会で免許を取った。
講習会の試験も当時は記述式だった。 自作の送信機も受信機も世界にひとつしかない自慢のリグだった 電話級標準コース 44時間(8日間) 当時10000円
法規 20時間
無線工学 24時間
電話級短縮コース 22時間 (4日間) 当時6000円
法規 10時間
無線工学 12時間
電信級標準コース 69時間(12日間) 当時12000円
法規 20時間
無線工学 24時間
電気通信術25時間 昔は申請書類はボールペン不可で万年筆だったな。
時代も変わったものだのう。
そう言えば昔の先輩でムチ打ちで入院した時に、
病室にスカ6持ち込んで病院屋上に3エレ立てちゃった人がおったな(笑)
看護婦さんの自分への治療ワゴンから注射液も痛いからと半分位勝手に抜いてたな(笑)
あれバレなかったのだろうか? アンカバー一年やって中2の4月に電話級の初めて試験に
合格、10月に電信級合格、3級が出来て直ぐに合格
その後飽きた 注)アンカバーって今あまり言わないよね、
under coverの略で〜に乗じて みたいな意味
7Mhzオフバンドに一杯出ていたかな JARLの永久会員とかなかったっけ?
たしか7,8万くらいだったと思う。 昔は5万以下だった
のちにドンドン値上げされて
20万にまでなった
そして、金が枯渇して
○万なら○年までの期限付き会員に改悪されて完了 自分たちの都合の良いように、ゴールを動かすやり方は
どこかの国と一緒 ガルスカ本の著者の人がJARL終身会員だったな
でも、もう期限切れを迎えただろうけど >>157
並三ラジオと言えよ
作るより部品の入手が困難になってきた
再生バリコン 10mhの旧型RFC(丸型) 並四コイル 250pfのキャラメル型マイカコン
ウェハーの真空管ソケット
これらはヤフオクでも店頭でも見つけたら即入手をおヌヌメする 158だがカキ忘れた 連貼りゴメン
6C6 6ZP1 12F 特に後ろ2本は純国産のため入手が困難と思われる 再生バリコンは高級になってしまうがタイトバリコンで対応
マイカコンはセラコンで代替
並四コイルは手巻きで自作可能
RFCはトランジスタ用で代替 クリスタルイヤホンって、もう売ってないらしいな。
何かで代用するらしい。 読んでいると懐かしい。
僕達が勝手にラジオをつくり、
勝手に送信機や受信機を作っていたなんて、
何だか夢のようで、本当にあんなことがあったんだろうか、
と思ってしまう。
今でも部屋に残っている自作品
5球スーパー、ハイバンドの受信用ガリヒソプリアンプ、マイクアンプ
これしかなーーい、何故だ。 うーーん、今となってはわからない。
ガリヒソプリアンプはキャリアコントロールではなくて、
送受信の切り替えは、トランシーバーからリレー用の電圧をもらっていたはず。
何故か、トランシーバーの隙間から出ているビニール線。
これはどこから出したのだっけ。
スタンバイ回路? 今となってはわからない。
まあいいか、動いているのだから。 OMの写真見て作ったガリヒ素プリアンプ。
竹竿のストレスディッシュに鳥小屋の金網で、かすかすだったが太陽向けてサンノイズ。
みな、電話級時代だった。 >>168
1970年代後半?だったか、HJに制作記事が載ってましたね。デバイスの価格を見て絶句したけど。 >>166
オレも何も残っていない
残っているのは6C6 6ZP1 12Fの並三 6C6 6D6 42 80 高一再生付ラジオ
ラックスの40W変調トランス 完全自作6KD6パラ6GB8PPの150W AM送信機など
残しておいたらよかった あまり安定ではなかったがアイデアルケース使用のVFO
等々 場所取るから処分したのだがのこしておいたら良かった(7190に出たいことは
ない) >>173
やっぱりSSBの出るやつでAM出しても面白くないな。
※個人的な意見です >>162
スプレッドバリコンにタイトバリコンを使いたかったけど高校生の身では
高くて買えず仕方なく再生バリコンの羽を抜いて使った記憶があります >>169
受信のみです、送信機は作る勇気も財力もなかった。
でも、アンテナがよそ向いたAO10には役立った。 >>172
高いと数10K、安くても数Kだったが、記事が出た頃は少しずつ安くなってましたね。 電話級の頃が一番楽しかったような気がする、いろいろ試して失敗したり思い出深い感。 >>176
AO10なつかしい!94年くらいまで使えてた。俺もやってた。南米できなくてWACできてない 昔の真空管時代のはんだごては60Wくらいないと使いにくかったぞ。
60Wのコテとペーストと半田。ヤニ入り半田など高くてガキには手が出なかった。
トランジスタで作るようになったら20W〜30Wが使いやすかった 当時の半田ゴテはヒーターがよく切れて常に予備のヒーターを持っていた セラミックヒーターのはんだごてが出た時は救世主に見えた >>179
そうだね。
色々なアンテナを試したな。 >>185
セラミックヒーターも救世主だったが、シュアーのこて先も感動した。
しかし、鏝本体とほぼ同額で高かったなー。 少々新しめではあるけど、バイト先で初めて使ったANTEXの15hのやつ、こんな使いやすいコテがあったのかと感動して自分用のも買った。
こいつでたくさん工作してきた、いま使ってるのは三代目だけど型式は最初に買ったやつと同じ。 初ラとラ製
初ラに掲載持っていたYLに自分の写真を御守りの形にして
送った奴が記事で晒されていて面白かった。
ラ製の広告は楽しかった。
モービルハムってのもあったなあ 漏れがハムになるきっかけは模型とラジオだったな。
模型は興味なかったからその後は初ラからCQ誌になった。
CQ誌は180円で、近くJH1と言うコールが発給されますがアンカバでは有りませんとの掲載もあったな。
タワーのメーカーまだなんか無かった時代。
家庭用5球スーパーでSWL。 >>190
JA JH JR JE・・・何故この順? Amateur
Ham
Radio
E以降はアルファベット順。BとCが割当ない理由は知らない。 >>193
だから昔はJEから後は小馬鹿にしてたな。
良くない事だったが。
最後に残ったJAもとうとう再コール。
今では2文字以外はステータス無し(笑) JH1/JE1コール初回割り当ての局すら、
わざわざ廃局してJA1コール(再割り当て)で開局してる。
JAコールには魔力でもあるのか? JA1の再割り当てが決まった時、現用のコールサインを慌てて廃局してたヤツ知ってる。
他人のお古でもJAのコールサインがほしかったようだが、今までのコールサインに愛着ないのか不思議だった。 >>196
漏れは初代JH1を何回か更新した後無線の事は何十年も完全に忘れてたのに、
昔を急に思い出し再開したのも旧コールは使用済み。
割り当てコールはジェジェ1コール。 >>197
旧コールサインを現用している方が、免許切らして半年経過するのを気長に待つしかないか。ホントに気長な話になりそうですね。 >>199
1/2/3/6エリアは、中古コールですね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています