桂小南を、かたろう
三十石、代書屋など、師匠でなければ・・・という
文字どおり孤高の名人でしたね・・・
CDやビデオがあまりないようです。 代書屋は・・・
まあ〜〜 今はこう便利になりましてな、司法書士さんっち言うんですか
昔はこの〜 代書屋さんと言いましてな、
年の功はそお〜60を越えて、いつも表向かって眼鏡をこう・・・
鼻眼鏡にいたしましてな、何が世の中おもろいんや?っちゅう顔しとる
で、机なんてもう何年前拭き掃除をしたかわからん・・・まあ、鳥羽伏見の戦い
よりあとにはふいたやろ・・・っちゅな机の上に、筆と硯・・・もう、
かすがこびりついとりますな。なんかでもろた、文鎮と
茶渋が何層にもくっついとる湯飲みにこれ以上の出涸らしはないで・・っちゅう
お茶がはいっとります・・・
てな、感じでしたね。 「菜刀息子」や「茛の火」も良いぞ。
暖かくて上品な感じの江戸の上方落語家でしたな。
すげぇ好き。
弟子には文朝もいたし。 「へぇ」とか「ほぉ」とか「ふぁ」の使い方が
絶妙だった。
袴姿が似合ってる。 ええ、ようこそのおはこびでございます。
もうしばらくの間でございます。
ハイジャックにでも遭ったつもりで我慢をして
いただきますが……。
このフレーズ、なんか、好き。 私も小南さんの「いかけや」好きでした。
あと、仕草が非常に上手い人でしたね。
寄席に通うようになって、
生で見て好きになった噺家さんが亡くなったのは、この人が最初でした。
けっこうショックでした。
亡くなってから、ものすごい名人だと言うことを
改めて感じました。師匠でなければ出来ない話が、実に多いです。 「何を言ってるのじゃ、おまえは」
「用事をな、すましてしまわねばいけないのでな、ちょっとすまんがな」
という上方に混じる江戸のイントネーションがたまらない。 菜刀息子。米団治のテキストをもとにやり始められたそうですが良かった。
下げ間際,父親が餅や団子を母親に渡すシーンが忘れられません。
あと四人癖やドクトルなど仕草のある噺を子供にもわかりやすくやってくれた 上方ファンとしては一寸 物足りおもいが、
特に喜六が政ヤンのことを「兄貴」と読んでいたのに「違和感」を感じました 国立演芸場で「寄席囃子の会」(うろ覚え・・)をやったときに、
小南が出て「たばこの火」(はめもの)をやってた。
初めて聞いて感動した。
マジにおもしろかったし、きれいな高座だと思った。
ほんとに袴がすごくかっこよかったです。 sage間違えたー♪ わーーーーい(ここも「いかけや」の口調で) 上方落語のファンには蛇蝎のごとく嫌われてるね。
俺は好きな方。上品だし、単純に面白いと思うし。
大体、上方落語ファンって、イントネーションがどうしたとか、うるさすぎ! 上方落語というより「小南落語」でしょう。
いい噺家さんでした。 ―あなたの学歴はどうなってていますか?
―瘰癧(るいれき)は〜まだ患ったことがない...
90年代に生で見ておきたかった。無念!
百円札一枚でよろしゅうございますか?
あぁ、百円でいい。
残念でした。
何や、残念でしたちゅうのは。
十円玉じゃ、だめでしょ。
いや、いいよ。
残念でした。一円玉じゃ、駄目でしょ?
うるさいな、お前は。何でもいいの!
ほは、何にもないの!
張り倒すぞ、このガキャ。
「運回し」より。 だんさん・・・はよ・・・たべなはれ
番頭さんこそ たべなはれ 日頃、よう働いてくれはるさかいなあ・・・
だんさん・・・てつ・・冷めまっせ
番頭さんこそ 野菜ばかり掬ってどないするねん
だんさん わて 見られてるとたべられないんですわ
てつちり より
何年か前に豊田書房(神保町)で東宝名人会のビデオが出ていた。
10本くらいあったが、買ったのはその中の、小南師匠の『三十石』。
円熟期の小南師匠の、聞き応えのある芸を見ることができるビデオを買ったのは
何にも勝るいい買い物をした(確か1500円くらい)。
小南師匠は、定席でも手を抜かず、スケの時にも軽くとも
『いかけや』『ぜんざい公社』などをきっちりとした噺をしてくれていたし、
トリ席の時には『三十石』『貝野村』『宇治の芝舟』『河豚鍋』などをみっしりと
聴かせてくれた・・・。
わかりやすさを身上とした小南師匠の噺は、今にして思うと名演と感じるし、
賞こそとったが、決して落語協会の「中堅」よりも評価されていたわけではなかったのではないか。
だからこそ、彼を知り、彼の噺を聴くようになってからは、自分だけの宝物を
見つけたような気がしたものです。学生時代は、それこそ追っかけをしてました。
広小路に行ったとき、金太郎が珍しく『野崎』で上がったんですが、
その日がたまたま師匠の命日だったんだそうです。 「菊江仏壇」最高でした。最初のだんさんの語りで泣きました。
あくまで崩さず上品で。。。 高座に上がって最初の一言「ようこそでございます」が懐かしい。
「つる」については、師より面白く演る人はまだ出てきてないな。
この噺を”前座噺”だと思ったら大間違いである。
「転失気」や「河豚鍋(てっちり)」でハネたこともあったなぁ。
でもそれが出来るのは師ぐらいなもの。 上方モンですが,なんかしみじみ小南が思い出される今日この頃・・・。
鷹揚・上品でしたなぁ。語り口,舞台の雰囲気がね。行儀がいいというのは
あのことですわ。エエ意味でのもうひとつの「上方」がそこにはありました。 「しじみ屋」を聞いたあと、しばらく席を立てなかった。 ああ、なつかしい。上品な芸で大好きでした。
初めての生落語が、小南師の「転失気」でした。
「七度狐」も良かったなあ・・・。
なろう事ならもう一度『いかけや』を聞きたい。 この噺家は自分でも「小南落語」と称して「大阪落語」とは言わなかった。
先代小文治も江戸弁とも大阪弁とも言えない変な日本語だったが、色気もあり
情もあって「稽古屋」「菊江仏壇」など無類だった。
この両者ともに、関西の噺家達には認められなかったようです。 >39 みとめられなかった
そういう人もいますが,全部が全部そうではない。
小南からネタをもらった人も多いしね。
たまたま歌舞伎座で隣り合わせた花柳の名取さんの体験談(専門部だか
なんだかよくわかんないけど)。
まず試験会場に入ると、中央に寿輔、左右に寿楽、寿南海の三巨頭が
居並んで、気の弱いやつはここで既にビビり倒す。初代、ニ代の家元
の写真に礼をするのだが、動転した挙げ句に舞扇で着物の裾を捌いて、
それだけで落第した人もいるそうだ。それから三人に見ていただくわ
けなんだけども、性根の表現を大切にする寿楽師に対して、技術の確
かさを重んじる寿南海師(逆だったかも)、と二人でてんでんバラバラ
なことをいうので弱った、とそんなお話。コレが何の役に立つのか、
よくわからないが。
私も関西人ですが、小南さん好きでしたよ。
先代小文治さんや百生さんと比べて聞きやすいし、
独特のクスグリがあって、結構、笑わしてもらいました。
七度狐とか良かったと思います。 小南師匠は、伸ばしてオールバックみたいにしていた髪の毛を
なぜか短く刈ってしまった。
その理由が知りたい。 休演は少なかったですよね。
中入り後とかの深い出番で出られないときは、代演を立てず出番の交代で超浅いところでも出ていたりして。
それでもしっかり落語して、ドカドカ受けていた場面も何度も遭遇しました。
寄席を大事にしていらしてた方だと思います。 その姿勢に感服です。
小南師匠の芸に対する思い入れが伝わってきますね。
お弟子さんも短い時間でも漫談でなくきちっと落語で
寄席をつとめる方が多い気がします。 私は、著書で小南師匠を誹謗したON氏に札位を抱いたことさえあります。
今はなーんとも思っていませんが。 >>58
大○信○。
ろくに落語を聞かないくせに落語評論をするインチキ男。
ひたすら噺家さんの悪口を書いて食っていた。
元NHKで、現在は劇作家・脚本家。
ある師匠は、雑誌でこいつを名指しで糾弾したし、
こいつに対して、「暴力も辞さない」と抗議した師匠もおられる。
スレ違いですので、もうこいつのことを書くのはやめます。 俺は、恥ずかしながら、
小南師匠は先代小文治師匠の弟子だと思っていたことがあった。 ━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━― ∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
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⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン >63 小南、誰が継ぐかねー。高弟文朝、南喬は芸協を離れたので継げないだろう。
そうすると惣領弟子は南八だけど。
南なんが継ぐといいね。小南の前名をもらった山遊亭金太郎も有力か? 小南師匠 小文治師匠 百生師匠・・・
東京の寄席で活躍した上方噺家がもっと注目されてしかるべきだね。
音源なんて結構あると思うけどねぇ。 文朝の師匠は金馬。
亡き後に本来兄弟子の小南門下へ。 >>82
いえ、元々は小南が山遊亭金太郎時代に
少年落語家として山遊亭タア坊で入門。
後に本格修行の為、大師匠の先代金馬に預けられた。 このもひとつ前の小南さん聞いてみたい。
音源って入手可能???? 小南もだけど、文朝とか南喬というのも、もともとは上方系の名跡だってね。 桂文朝さんは昭和30年代まで大阪でヘタリだったのでは? >>92
APPの「古今東西噺家紳士録」に有る。
文蝶「歌根問」文治郎「親子茶屋」
亡き枝雀は当時千日劇場のヘタリだった文蝶から
「牛ほめ」「八五郎坊主」を習ってる。
>>80
「古今東西噺家紳士録」に無いから無いんじゃないかなあ。 珍しく興味深いお話ですね。ヘタリを教えて下さい。不勉強で申し訳ありません。 自分で調べたよ。
ヘタリは、前座のことだった。
やな言い方だね。 その寄席に常駐して鳴り物を打つからヘタリ。
関西のへたる(そこにいる)という言葉から来てるはず。
いわゆる罵倒語のヘタレ(根性なし)とは関係ないので悪い用語じゃない
と思うが…。 ヘタリは前座というよりも、年配の万年前座という鳴り物を打つ人の事。
二つ目より怖い存在だった。
小南さんの話に戻すけど、京都新京極にあった「富貴」という寄席で
当時ヘタリをしていた文の家かしく、晩年に笑福亭福松と改めた師匠に
小南さんが上方噺に転向する為、京都に泊りがけで多くの噺を習った。
>>99
小南という名前は南光の弟子筋の名跡だから、
現・南光の弟子こごろうが継いだら、非難ゴーゴーか?
へん公の師匠にへん公の弟子だから気にしないかなあ?