桂小南を、かたろう
三十石、代書屋など、師匠でなければ・・・という
文字どおり孤高の名人でしたね・・・
CDやビデオがあまりないようです。 その寄席に常駐して鳴り物を打つからヘタリ。
関西のへたる(そこにいる)という言葉から来てるはず。
いわゆる罵倒語のヘタレ(根性なし)とは関係ないので悪い用語じゃない
と思うが…。 ヘタリは前座というよりも、年配の万年前座という鳴り物を打つ人の事。
二つ目より怖い存在だった。
小南さんの話に戻すけど、京都新京極にあった「富貴」という寄席で
当時ヘタリをしていた文の家かしく、晩年に笑福亭福松と改めた師匠に
小南さんが上方噺に転向する為、京都に泊りがけで多くの噺を習った。
>>99
小南という名前は南光の弟子筋の名跡だから、
現・南光の弟子こごろうが継いだら、非難ゴーゴーか?
へん公の師匠にへん公の弟子だから気にしないかなあ? 小南って、小米、小染、小春、小つる、小枝、小福、小朝
なんていうような扱いの名前でしょうか?元は前座名前か? 京都出身で関西訛りが抜けず先代のやかんの金馬さんに入門したものの上手くいかず
先代小文治の教えを請うた。ところが、小文治に上方の大ネタを高座にかける事を禁じられた為
自分で色々工夫した。その為、所謂上方のやり方とは違う小南落語が出来たと思う。 (⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
47 :重要無名文化財 :2005/04/19(火) 00:21:49
びっくりしました。
小南師匠のお通夜で、文治師匠が大声で「文朝!おまえが小南さんの命を奪ったようなもんだ。
出て行け!」って怒鳴っていたのが、昨日のようなことに思い出されます。
ご冥福お祈りいたします。 >107
小南も文治も文朝も、もうみんなこの世にいないんだねぇ。。 お初デース。
TBでつー。
よろしくー
容疑者 同志社 犯罪者♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
生きてる〜 価値無し そりゃ君さ〜〜♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
でも〜 その下には ♪ 惆ツがいる〜〜♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
惆ツがい〜〜る〜さ〜〜〜〜〜〜♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
TBでつー。
よろしくー
容疑者 同志社 犯罪者♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
生きてる〜 価値無し そりゃ君さ〜〜♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
でも〜 その下には ♪ 惆ツがいる〜〜♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
惆ツがい〜〜る〜さ〜〜〜〜〜〜♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
高師直(吉良上野介を仮託)が塩冶判官(浅野内匠頭)を愚弄、
鼻でフンと嘲笑した所から物語が始まった。
本来はハナデフン忠臣蔵が正しい。
最後にゴッホが出て来る事でも有名。
イロハは四十七文字か、四十八文字か。
んを入れれば48だが、いろは歌は雪山偈の和訳だとか弘法大師の作とかの伝説が語るとおり
仏教に縁が深い。となると、弥陀の四十八願に因む四十八を取りたい。
日光のいろは坂も四十八曲がり(これは一時50だった時期も有ったがわざわざ改修して48に直した)
四十八から一つ抜けて四十七士。抜けたンに相当するのが勘平と言われている。
そして、この四十七文字には昔から奇怪な伝承がある。
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
七文字づつ区切り最後の文字を繋げると
「とかなくてしす」=咎無くて死す
無実の罪で腹を切った四十七士を暗示している、と。
うーん、オカルト
抜けた筈の勘平さんもびっくりだ。
これを称して
オカルト勘平 だからどうした。
つまんね。
もじるくらいならもっとひねろ。マルチうぜえ。低脳、くたばれ。芸協のべん橋の方がよっぽどマシだ。
もう出て来るな。 談笑さんの披露目に行ったら、キウイさんが物販やっててがっかり。
見たくないよ。不愉快。 |
| 東京都立松沢病院ですが何か?。
| _____________________
| / ⊆ニ(二(ニニ⊇――――' (●ヽ
| / ̄ ̄ ̄ ̄http://ime.nu/www.matsuzawa-hp.metro.tokyo.jp/ヽ
/| /______________________ヽ
,/ ̄V ̄ ┏━, / ̄ ̄ ̄|| ||. ̄ ̄ ̄ ̄ |||  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄...| |
,/ ∧ ∧. i┸i //. ∧ ∧ || / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_.,/. ( ゚Д゚ ) | :::|// ( ゚Д゚ ) :内キ三太楼 ◆uq9G5vevuQ を迎えに来ました。
|/,,,,,へ⊂ ヽ .// ,/ ノ/ ||\______________
,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄//|_/ ̄ ̄ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|~ ゜ ̄゜ ̄ ̄ ̄~~| ̄ ̄ =。|┃ |━━━━━...............|
|______: |,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,,゜,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,都立松沢病院,,,,,[|
._|]0::∴:::0::[二二il:] ,-―-、 ,,| | . [|
|====== ;...........| /,  ̄ヽ |~~|. | /,  ̄ヽ | {|
ヽニ[_]ヾニニヽ''''''|―-|.(※)|':|''''|.''''''''''''''''''''''''''''|''''''''|.(※)|:|'''''''''''''''''/
ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ ̄ ̄
昔、お正月にテレビで見た「つる」で
ファンになりました
あれは前座話というやつだったんですね
もうみんなネタがないの? 浅草のトリの時、膝代わりがキャンデーボーイズのお師匠さんで、いつ見ても息を呑まされる芸の後、開口一番、
「えー、只今はキャンデーボーイズさんの曲芸でございますが、あんなモノは誰でもできるんでございますんで・・・」
オイオイ、爆弾発言か?と思いつつ見ていたら、鼻くそをほじる仕草の後、ほじった鼻くそを延ばして棒のようにする(ような仕草)、その後、
その見えない、(鼻くそで作ったと思しき・もちろん仕草)棒を鼻に立てたり、あごに立てたり、指先に立てたり、・・・
目使いといい、動きといい、曲芸を見ているような気分になってしまった。
その後は、三十石を舟歌までみっしりとやって下さった。
いかん、これ書いてるうちに涙出てきた。
ヤレサ、ヨイヨイヨ〜イ。 高校の頃、学校にきてくれたんだよなー。
あの頃、ろくに興味も無かったから演目も覚えて
いないんだけど、今考えれば、もっと真剣に
聴いておけばよかったと後悔しきりです。
二代目小南さんは不思議な魅力がありましたね。
師匠の金馬から上方落語を演じるようすすめられ、
前座からの再出発、それでもめげずに小文治の身内になり、
大阪へ噺を習いに行き、引退した噺家に再度舞台に復帰させる
気を起こさせ、小文治在世時はブリネタをかけず、その後、
ブリネタ、小品を問わず高座にかけ、自ら小南落語は静岡落語と
称し、弟子にも恵まれた。
わたしは大阪人だが、発音には違和感を感じなかった。
借家怪談、代書は本当に面白かった。
青蛙房から円生全集等が出版されたころには小南集も店頭に並んでいた。
東京から上方落語に再び灯をともした功績は松鶴、米朝にも遜色はない。
もっと再評価されてもいいと思う。
>>128
高校に来るなんてなんと羨まし
NHKから出てるDVDを、今度手に入れようかと思ってますが、お持ちの方いらっしゃいますか?
いかがなもんでしょうか >>129
小南さんの言った事や書いたことを鵜呑みにしてるね。 そのお子さんお嬢ちゃんでっか?お坊っちゃんでっか?
いかけやにお嬢ちゃんもお坊っちゃんもないの
男の子でございます
ほほぅよくやった
米朝の「百年目」もいいが
小南の「百年目」もよかったね。
音源残っているんだろうか。 「船弁慶」は高座にかけていたのかな?
「船弁慶」の喜六は小南が演じていたら
ハマリ役だったのじゃないかな。 >>139
喜六は出来ても、雀のお松ができないと思う。
文枝師が得意だったお松っあんの一人しゃべりが一つの見せ場、
小南さんのとんとんとした、タテ弁の台詞を聞いた事が無い。
東京じゃ百生師の売りものだったからね。 今日はNHKラジオ演芸特選で七度狐が聴けてよかった 桂小南のせいで幕末明治の思想家横井小南(ショウナン)を
横井コナンと言ってしまい恥をかいたことを思い出すな。 このスレ初めて見たが
>>126のエピいいね
見たかったな 中野区北西部の都営団地
お邪魔したことがあるのは懐かしい思い出 >小南の「百年目」もよかったね。 音源残っているんだろうか。
NHK「日本の話芸」でやった30分ヴァージョンの録画がウチにある。
とにかく、判りやすく、楽しく、一生懸命な噺家だった。
ガキの頃「いかけや」にハマッた。みんなが言ってるフレーズ、みんな好き。
「僕ビョーキ」「高血圧」。
ナマでは「眼鏡屋泥」「兵庫船」、放送では「帯久」が思い出。
>中野区北西部の都営団地
公団じゃなかったっけ?俺もNノ宮駅前で3度ほどナマ小南師見たことある。
いずれにしても、どっかの生臭坊主みたいに、
お屋敷建てたのを自慢たらたら喋るのと違い、
あれだけ大御所になったのに団地住まいってぇのが「稲荷町」の了見みたいで
大好き。
>小南師匠の本てどんなものがでてますか?
ご本人著「落語案内」立風書房。昔サイン入りを末廣でGET 米朝師も小南師も、いわば「橘ノ円都」学校の生徒だからね。
円都師に「もうお前に教える噺ないわ」と言われたそうな。 「ふぐ鍋」が芸協の後輩に伝わっているけど、
(もちろん皆東京弁で演じているけど)
「ベンチャラ?いやホンチャラです」のクスグリをまんま使っている。
「ベンチャラ」は西の言葉なので、違和感がある。
カットするなり、工夫して欲しいなぁ。 弟子の文朝、南八、南治と早世。
天国で小南師、小言云ってるでしょうね。
「お前が来るのと違う!!」 南光の襲名披露落語会(於・東宝ホール)で見た。
…しかし見たのは口上のみ。当時大学生で金がなく、小南師が落語をしなかった『昼の部』しか見られなかった。
借金してでも小南師匠観ておくべきだった、いま激しく後悔しているぜ。
口上の内容は忘れちまった。
ちなみに枝雀師匠の口上は、「よろずのひかりで“萬光”を推したが、NHKの昼の番組に全国区で出ている(生活笑百科)から、その名前はマズイということになり“南光”になった」というものだった。 ↑職場が役所だから「赤旗」日曜版取ってる輩がいたんだ。
南光のインタビューで、「萬光」は全国放送NGってなことが堂々と記事になってた。
共〇党って、デリカシーのない団体だなって思った。
女性も読んでるんだぜ。 ↑「赤旗」って出しちゃった俺もデリカシーがなかった。猛省。 とにかくLIVE、しかも至近距離で「観る」のが楽しかったね。
眼の動きが本当に楽しかった。 小南師の着物は黒紋付羽織袴が多かったけど、
末廣で紫色の紋付の対(袴なし)を見た時は驚いた。
白髪を刈り込んだお爺さんが(笑)。 小南師匠の奥さん、えらく若い人だったらしいですね。 日本の話芸〜珠玉の名演セレクション〜
1/2 (月) 5:00 〜 6:00
二代目桂小南「菜刀息子」
師匠にあえるぞ! なごやか寄席の 菜刀息子(上)/菜刀息子(下)ってどんなん?
オチの「菜刀あつらえまして、なんじゅうしておりま〜す」の
更にその続きがあると思っていいの?
買おうかどうか迷ってるんだけど、だれか知らない? 菜刀息子買ったw
CDの解説によると、本落語は四代目桂米團治の残した本を元に
師匠が復活させたみたい。
寄席や、TV、ラジオで演じるため、30分程度に簡約した物が
よく演じられてたらしいのだが、
師匠としては、自分で起こした落語をきちんと演じたかったらしく、
なごやか寄席では2週に分けて(演じたのは続けて)、放送した完全バージョンらしいね。
そういった意味では、貴重な音源かな 創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
桂小南集 CBS-SONY
[其の一]
代書屋/鼻ねじ/三十石
転失気/権兵衛狸/菜刀息子
[其の二]
皿屋敷/東の旅/胴乱の幸助
いかけや/兵庫船/百年目
[其の三]
仔猫/堀越村
金の大黒/
菊江仏壇/
[其の四]
愛宕山/ひなつば
七度狐/正月丁稚/運廻し
[其の五]
野崎詣り/鶴満寺/くやみ
ふぐなべ/煙草の火 [其の六]
宇治の柴船/めがねどろ/平林
八五郎坊主/箒屋娘
[其の七]
貝の村/夢見八兵衛/半分あか
次の御用日/土橋萬才
[其の八]
花の都/帯久
写真の仇討/
狂歌家主/かるわざ
[其の九]
植木屋娘/月宮殿/つる
借家怪談/ざこ八
[其の十]
しじみや/悋気の独楽/しりもち/
とろろん/片袖 鼻ねじ
番頭に鼻を捩じられた先生
先生:「あいたたた、なにをするんじゃ」
番頭:「先生、今朝方の返歌です」
番頭:「塀越しに隣の庭に出た花(鼻)はねじょとたおろとこちらまかせ」 上方の多くの師匠連中が桂小南の名跡を狙ってるようだね >>174
こんな上方では馴染みが無い、というか全く知られてない名前。なんで狙うの?
ソースは?
現在上方に噺家が250人ほどいるけど、小南さんを知ってる人は
20人も居るかどうか解らないし、その中で直に有った事が有る人は
10人に満たないでしょ?
それほど晩年は上方へは来なかった、また来れなかった。
お客もあんな違和感のある上方風な言葉使いは、大阪人にとって一番嫌うからね。 >>175
噺家で小南師匠しらなんだら、おわっとる
上方の珍しい話たくさん残してくれたのに
恩人ジャン 上方の噺家で小南師匠に稽古付けて貰って
自分のネタにしているって誰かいる? 間接的なら居る。
『四人ぐせ』は米朝師が小南師とネタの交換した。
今、上方で演じられてる『四人ぐせ』はこの流れ。
後、何席かはおそらく小南師の音源で覚えたであろうと
思われるネタをやってる人があるが、直接稽古はしてもらってないだろう。 しかし、今まで散々保守するだけのスレだったから
貴方のような奇特な人が出て来て正直嬉しいな。 小南師匠と似たようなポジションに、共に先代となる桂小文治と三遊亭圓馬がいるが、両名とも (小南師匠もそうだが)妙な癖のある上方弁だったために、上方の若手が東京に来ても稽古を付けて貰おうとはしなかったらしいね。 >>180
“七度狐”は、初代の小南が得意にしていた
ネタだから覚えておいた方が良いからと
「自分は初代の型覚えてるさかいに」
米朝師匠が言い出してネタ交換したんだよね。
ソースは米朝師匠の
「上方落語ノート」 の3巻の筈。違ってたらスマン。 現在、上方で「四人ぐせ」を得意にしてる桂文三。
出所を遡ったら小南になるな。
小南→米朝→米紫(先代)→文枝(先代)→文三
>>183
「畑の大根抜いておりました」は初代桂小南の型だね。
米朝師が大東文化学院の学生時代、東京の寄席に通ってたから
先代小南をよく聞いていたそうだ。 知り合いに元々米朝師匠の関係者で、今は関西で
会計士やってる人が居るのだが、その人も
「小南師匠の落語は自分の中で評価は高いのだが、
かと言って東京まで出掛けて稽古を受けたいとは思わなかった」
と言ってたな。 二代目桂小南は初代が考案、得意としていた
“電気踊り”をやらなかった(弟子の八代目桂文楽はこの踊りを手伝わされ大変嫌っていたと言う)
次の三代目にはこの“電気踊り”を実演し受け継いで貰いたいものだwww 二代目小南さんは踊り自体やってませんからね。
小文治さんから「お前は踊られへんからこの噺はやるな」と言われて
出来なかった噺が何席かありますから。
小南さんは「駕籠屋が踊って出るわけでもないのに」と反発されてますが。
そうじゃなくて、踊りの下地があるのと無いのでは落語を演じるにあたって
身のこなしや仕草がちがいますからね。決して芝居噺や音曲噺じゃない普通の噺でも。
小文治さんはそれが言いたかったのに、小南さんは理解できなかった。 二代目桂小南の名跡は当初、三遊亭百生に送られる予定であったのは多分御存じだろう。
八代目桂文楽は、自分の弟子の文雀に大名跡の橘家圓蔵を継がせるべく、圓蔵名跡を管理していた六代目三遊亭圓生と折衝を開始した。
圓生の元に当時上方から預かり弟子となっていた桂梅團治に、上方所縁の桂小南をトレードしようと躍起となったが、格的な問題等で折り合わず断念。
梅團治は上方落語とは無縁の百生となる。
最終的に文楽は旧友・三代目三遊亭金馬の弟子の山遊亭金太郎に、小南の名を贈ったのだった。 小南は右女助が欲しかったが、文楽から「君なら小南を上げる」と言われて
感激したそうですね。 自分の最初の師匠の初代桂小南が上方落語だったせいか先代桂文楽は上方落語にリスペクトしていた。
そこに東京で上方落語をしていた金太郎が現われ
文楽に見込まれたと言う事だね。 >>187
大西信行という男はあまり信用しないほうがいいよ。