関西の人が、江戸落語を分からなくても何の問題もない。
問題があるのは、その人が、偶々、江戸落語をやる落語家になった場合だけ。
これは本当に悲惨。絶対に受けないし、売れっこない。
そういう人は、無理せずに上方落語をするべきなんだよね。
私が思うに、そういう人は、例えば、職人さんの東京弁(江戸弁)の威勢のよさが、
ただ単に乱暴にしか聞こえないらしく、そこを強調した東京弁(江戸弁)を話そうとする。
それが、本質的な大間違いで、まさに悲劇(絶対に売れないからね)の始まり。
一番乱暴そうな言葉である職人さんの東京弁(江戸弁)も、
うまい落語家や人気があって売れてる師匠のものは、かなり当たりがやわらかい。
単に威勢がいいんじゃなくて、まぬけで、おっちょこちょいで、かわいげがある。
関東の人や、関西の人でも江戸落語のわかる人は、おそらく、みんなそう感じている。
この感覚を外して、威勢のよさだけを強調し、意識的に乱暴に、弾みをつけて話すだけだと、
本当に刺々しい、聞いていて腹の立つ東京弁(江戸弁)になる。
酷い時には、ご隠居さんと八っつぁんのやりとりが喧嘩に聞こえる。
こうなると、関東の人には、まず受け入れられない。どんなギャグを入れても、コトリとも笑いは起きない。
ある落語家の職人言葉を聞いていて、いつもこのことを感じる。
客曰く、「師匠の落語、いつも喧嘩してるみたい。もう少し柔らかくした方が…。」
本人曰く、「職人言葉は、ぞんざいでちょっと乱暴ですから、慣れないうちはそう聞こえるかも知れませんねぇ。」
絶対違うよ。だって、他の大勢の人気者の師匠の言葉は、そう聞こえないもの。
本人にまったく自覚がないのが、一番悲惨。
一見、ぞんざいなようでいて、江戸っ子の職人言葉くらい、柔らかさと暖か味のある言葉はないのに。