江戸落語は、一般に、粋を目指していると思われているが、本当はそうではない。
粋そのものよりも、粋であろうとして、そうなれない人のかわいさや面白さあるいは愛嬌の方に力点がある。
江戸落語の登場人物の中に、本当に格好いいと言える人は、一人もいない。
ここを理解しないと江戸落語はわからない。
江戸落語で八っつぁんや熊さんが、粋で格好よかったり、気障だったりすると、
落語として面白くないどころか、反感を買うので、
そのような落語の演出は、東京人には絶対に受け入れられない。笑ってもらえない。
プロの落語家の中にも、非常に少数だが、誤解していると思われる人がいる。
彼らは、売れない。受けることも、まず考えられないから、うまいと言われることもないだろう。
落語家本人が、芸人として、芸風として、あるいは私生活で、粋であろうとすることは、むしろいいことなのだが、
落語の登場人物のキャラを、粋で格好いいものとして演じては駄目だと思う。
そんなことをすれば、本人の努力にも拘らず、受けない惨めな落語家として一生を終わることになるだろう。