もしも三遊協会が存続していたならば
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1978年(昭和53)落語協会前会長(当時)三遊亭圓生が
大量真打反対を理由に落語協会を脱退、門弟と
先代橘家圓蔵一門 古今亭志ん朝一門を誘い、
三遊協会を旗揚げ、定席には出られないと席亭の指示により、
圓蔵、志ん朝一門は復帰、圓生一門だけが活動していたが、
圓生没後、圓楽とその弟子意外は復帰、その流れを汲むのが
今の圓楽党であるが、最初の時点では立川談志も自分の弟子と
弟弟子の鈴々舎馬風と師匠小さんの息子の柳家三語楼を連れて
参加する予定であったらしい。
もしや、談志が参加し、志ん朝一門、圓蔵一門が残っていれば、
落語協会を脅かす組織に成っていたかも?
又、談志のアイデイアでもっと人気者を生み出せていたかも
しれないと思うのでありますが、如何なものでしょうか? >>34
後継者が誰にするかを決めるのはいいと思うけど、
留め名にする権利はないと俺も思う。
>>23
おかみさん、ほんとはさん生に継がせたかったんだろう。
って気持ちは微塵もないか。 >>29
>談志や円楽に小言を言える奴
1人だけいる。「菊川怜」
談志は菊川のファンだし、笑点の後番組「バンキシャ」もやっているから。 >>37
あ、後番組じゃなくて「次の番組」か・・・。 たしかに人間、忠告してくれる人がいるうちが花だな。
だれも何も言ってくれないようになったら、もうお仕舞いだ。 談志と円楽に苦言を言えるのはお互い同士だけで、
現在絶縁状態だから、まさに裸の王様。 寄席に未練のある円楽一派
円楽は談志と組んで寄席復帰を画策したがっている
という話を何回も聞いたけど… 鈴本に10日あがらせてくれと頼んで、当然断られたとか。 円楽個人としては復帰も考えているが、
いかんせん三十人以上いる円楽党が一気に協会に
復帰すれば協会の各興業に与える影響が
おおきすぎるため合流できないとか。
小さんからも復帰の呼びかけもあったらしいが、上の理由で断った。 で、永谷の日本橋、広小路、両国のどれかを定席化する。 円楽党は、一部を除けば円楽抜きに食ってけるのはせいぜい数人だろうし、
円楽が寄席に復帰したいのは、
自分の死後の弟子の活動の場を残すためなんだろね。
エゴは強そうだが、その辺はきっちりしてそう。
談志の方は、たまには寄席にも出るだろうけど、
落協の今の幹部連との和解は想像できんな。。 馬桜と寿楽を馬風が拾ったことで何らかの処分がないと戻る気はない、
と強気です。 だいぶ前に聞いた話だと寄席での前座経験者は入れるけど、それ以外は難しい、特に志らくはだめと。
なにやったんだ志らくと思った記憶が。
小さん、志ん朝なき今、家元存命中の協会復帰は無理だし、芸協合流もかなわないでしょう。
立川流にしても、円楽党にしても、それぞれが消滅したら、どこの組織や一門にも所属しない「フリーの落語家」というものを認めるかどうかという議論が起こりそうな気がしますが、皆さんはどう思いますか? >>52
もしかしたらの話だけど、その時点で小朝あたりが会長となっていたら、「超法規措置」みたいな形で、円楽党&立川流の有力メンバー(本人が協会入りを希望したら)の受け入れがないとはいえないかも。
「協会にだって競争原理が必要だ」「落語界の活性化のために必要」と。
そのかわり、それまでの協会所属の噺家で、全然使い物にならなかったり、売れない奴はクビとかね。 席亭の旦那方はどう考えているんだろうね?
復帰なり合流するっつても、旧党や旧流の子たちはうちにあげないとか言い出すお方があらわれたら・・ >>55
今は分裂時程の力はないだろうし、
なにより鈴本も末広もそこまで意固地に拒否はしないんじゃない?
落協や芸協とうまくやってくれるんなら、
客を呼べる人間については歓迎しそう。
ただ、分裂時に入門前や二ツ目以下の人間の扱いは難しそうだね。
>53
いや、既に春風亭華柳(元春風亭梅枝)や名古屋の雷門一門などの「フリー」の方々はいますよ。 党は円生さんに殉じてああなったし円楽さんはそれほど嫌われていない。
流は、あの人にいじめられたり蔑まれた人たちが両協会の中核を占めてきている。
だめだ、こりゃ。
ただ柳家の一連の動きになにか、、ねえよな。 分裂以後に入門は駄目となると、立川流の場合、志の輔、志らくという人気者を欠くことになるよね。協会としてはOKかもしれないが、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌の演芸関係者はどうとるかな。
あと、立川流、円楽党どちらにしても、自由意志で戻らないのは別として、「一部は戻っていい、一部はだめ」という状態では、結局みんな戻らないんじゃないかな。
>党は円生さんに殉じてああなったし円楽さんはそれほど嫌われていない。
圓生に殉じたっていうのはどうかと思うが、
人数的には円楽党の方が敵は少ないかもね。 >>59
もし、協会復帰を認めるなら
「一部は戻っていい、一部はだめ」という風にはならないと思うが、
香盤が難しいだろうなあと思った。
元落協の真打ちなら元に戻すor可能性は低いが一つ下げるだろうが、
その他は立川流の昇進時期をそのまま採用するかどうか。
>>60
まぁ、ちょっと流の方に贔屓してみました。
流の昇進基準が他と違うし脱北してすぐ昇進したのもいるし香盤問題はややっこしいね。
つーかそもそもの起こりが香盤だしね。
あ、談志さんの反応が異常で過激で他の人はたいして気にしてないってことはないよね?
やっぱり命がけだよね。 >>62
昔は絶対的なものだったらしい。
一度真打ちになると何かでしくじらない限りは絶対変わらないし、
冠婚葬祭はもちろん楽屋の座る位置まで、
香盤を無視したら周囲から糾弾されたって北村銀太郎の本に書いてた。
あと、必ず兄さん、師匠と呼ばなければならないとか。
でも、今はそうでもないのかも。
冠婚葬祭とか公式の場では変わらんだろうけど、
SWAのインタビューで白鳥は喬太郎に「喬太郎さん」、
喬太郎は白鳥に「白鳥兄さん」って呼びかけなってた。
(入門は白鳥が先、香盤は喬太郎が上)
まあ、単にこの二人が仲良しだからかもしれないけど、
今はそんなに厳格なものでもないんだなあ、と感じた。 どういう経緯でどういう成り行きになったとしても、
それを落語を知らない一般世間にいかにわかるように
説明できるかが大事だと思います。要スポークスマン。 間違えた、流じゃなくて党に贔屓だ。
昔、叔父になんで楽太郎さんたちは戻らないのと聞いた時に大師匠に殉じたと言われたんだが、まぁ大人になるといろいろとね。
>>63
気にしなくなったとはいえ人間的に嫌いなのに抜かれりゃいやでしょうね。 >>53
フリーの落語家って、それまで余程の知名度とか人気があった人でもない限り、果たしてどんなメリットがあるんだろうか?と思ったりする。
中途半端な位置づけの人とか、全然人気もない人がフリーになっても、逆にしんどいんじゃないかと。
名古屋の雷門一門は、厳密な意味でのフリーとは違うような気がする。
だって、大須演芸場と言うホームグラウンドがあるから。
上方の場合は、協会にも所属せず、おまけにプロダクションにも所属しない人が「フリー」なんですよね?
>>67
やはり上方は落語専門の寄席が無かった分、ボールなり地域寄席をすることになり、
協会に所属するメリットも少なかったっていうのが大きいんだろうなあ、と。
東京でも、最近の売れっ子の噺家さんは寄席の収入の依存度はどんどん下がっているんでしょうが、
それでもかつて寄席の力の強かったときに協会ができてる分、力は強いんでしょうね。
ただ金馬師のような時代とは違って
ホール落語なんか今のように増えていけば、独立しやすくなっていくんでしょうね。
今頃、
円楽→円生
志ん朝→志ん生
小三治→小さん
とか?
>>70
志ん朝、円楽、小三治は誰が継いでたかね。
でもまあ現実問題、円生って誰が襲名するんかね?
楽太郎はそんな気は全くないようだし、鳳楽あたりになるのかね。
いっそ川柳あたりが円生になると面白い。
で、その次の円生はつくしちゃん。 >>67
上方落語協会に所属してなくてもプロダクションには所属してるよ。
反対に個人事務所でも協会には所属してる。だから現在上方にはフリーは居ない。
ちなみに上方の非協会員は以下のプロダクションに所属してる。
南光以下枝雀一門(孫弟子まで含む)と小米、千朝、宗助、団朝、すずめは米朝事務所
笑福亭松之助、明石家のんき親子は吉本興業
笑福亭小松は松竹芸能
もし三遊協会に上方の人たちが客分で入ってたら少し色合いが違ってたかも。 >>77
命を縮める要因が川柳だけだから、かなりいくんじゃない?
あ、つくし見て逝っちゃうか そんなこと、噺家でもない一未亡人が勝手に決めていいものなのか。
先代の圓生が最後まで女遊びが止まなかったとはいえ、そういう形で
名前自体を逆に貶めてしまうのはどうかと・・・仕返し?
まぁ、芸さえシッカリしていれば人格は問わないと言う時代が
既に終わっていたのに気付かなかった哀れさかもね?
継いでも文句が出なかったであろう圓彌師匠が死んじゃったからなぁ。
圓楽党のクソどもに継がれるぐらいなら、消えた方が良い。 >85
しかし総領弟子かつ人気、知名度が高く、実力もある(全盛期)圓楽がいたら、他の弟子は継ぎにくいんじゃないか。
小さんみたいに「鉄板だと思われてた小三冶が積極的に推挙した」というケースじゃない限り 圓楽と圓生遺族との関係はいまいちだし、圓丈あたりが手をあげればあるいは。 「たられば」の話は最もマヌケな話だ。
なので、語らない。 志ん朝の弟子達が出した本に、圓生師匠が次期会長の件で志ん生師匠に相談したら
「次は盛夫だ」と言ったらしいが、小さんによって落語協会の分裂した事を見ると
志ん生も圓生も人を見る目がなかったのか?
もし林家が会長になっていたら、三遊協会に多くついていってたかもね それより、もしも談志が副会長になっていたら・・と考える方が面白い。
ひょっとしたら馬風も参加していたかもしれず、そうなれば現会長の目はなかったはず。 小朝が落語三遊協会に入門していたら、どうなっていただろう。 >>98
どういう想定で小朝?
入るとなると、彦六も先代柳朝も死んでからだと思うが。 柳朝入門でなく、三遊協会のいずれかの一門に入門していたらって話か?
でもこれも、柳朝入門しか考えてなかったんじゃなかったっけか。
・・・本人談とはいえ、嘘か本当かはハッキリせんけど。 >100
『笑芸人』のインタビューでは、落語家になりたいと知人に相談し、入門したい師匠をあげたところ
第一候補 談志 あんなところいったら苦労するだけだよ
第二候補 小さん あんな弟子が多いところ行ったってしょうがないだろう
第三候補 柳朝 いいんじゃない
ということで、柳朝に入門した、となっていた。
小朝が談志に対して特別な敬意を払っているのは、今でもあちこちに感じられる
>>102
企画力は評価しているが、俺様まで駒として取り込もうとしているのが許せないらしい。 このへんの話、最近になって興味が出てきて…拝読ちう。。。過去スレはないの? 御乱心&伯楽本を読めば、三遊協会が初手から談志の思惑の産物で、見込み無き玉砕だったことが明白。
小朝云々ってw
そもそも、彦六と円生の確執が遠因なのに…
わからない輩が大杉ww 円生は晩年、成功者の驕りが出たのかなあ。
78歳にもなれば先は長くないことぐらい分かっていたはず。
自分の死後、弟子たちがどうなるか考えれば、自分だけ協会辞めるべきだろ。
最初そう言っといて、弟子たちの様子を見たのは破廉恥な行為。
一人の芸人としては偉大だが、集団のトップになると下の人たちがきついな。
容姿の美しさも含めて信長タイプ。
対する五代目小さんが、体形や寛容なところ(みんなを真打にする)まで家康そっくりなのも、偶然とは思えない。 伯楽本&円丈本を見ると悪すぎるのが談志。
嫉妬心、金銭欲、権力への渇望とどう考えても近づきたくない人物。
目下の人間相手の麻雀でサマは使うわ、真打昇進を盾にダメ二つ目を脅すわ、
仲間からトイチで金を巻き上げるわ、人として最低すぎる。
でも、小さんが最も溺愛した弟子だったりする。
あんなゴタゴタを起こしておきながら、志ん朝とは酒飲んで管まく超友人。
意外にも、弟子への育成と気遣いに関しては神レベル。
意味の分からない嫌がらせはするけど、稽古はとにかく懇切丁寧で
理論的に教えてくれるらしいし、何より基本的に口は悪いがやさしい。
抜かれた談四楼に対するフォローは完璧だし、
ダメ弟子と言えるキウイやブラックに対する対処も極甘。
落語に関する評論や理論があれだけ優れているのに、マクラ代わりの
ジョーク連発スタイルを変えなかった不思議(本人も面白くないのは承知らしい)。
どういう性格なんだ、この人は。
人間性
志ん朝≧円蔵>>>>>>>>>>>>>>円楽>>談志
育成能力
談志>>>>志ん朝>>>円楽>>>>>>>円蔵 確かに談志の弟子で聞くに堪えないレベルは
小談志くらいだったな。
立川流立ち上げ後はキウイ入門以前と以後でレベルが段違いになる
この不思議。キウイ以前の育成能力は確かに神。
ただ、龍志はもったいないな。
あの師匠は寄席に残っていればさん権レベルの人気が出たような気がする。
池袋演芸場好きの俺としては、ばおりんとトレード希望だ。 小談志は確かに眠かった。
志ん朝門下だとダメダメレベルもいないけど、圧倒的なのとか、
人気者がいないってのが気にかかるな。志ん輔はいいけど、圧倒的ではないよな。
談志のいい所は技術云々もそうだけど、マスコミへの出方を宿題として課して
いるのが大きいと思う。
あと、龍志がもったいないのは同意。ばおりん返すから、龍志を協会にくれ。 2010年3月に6代目・三遊亭円楽を襲名する三遊亭楽太郎(58)の襲名披露興行が、新宿末広亭のほか、浅草演芸ホール、池袋演芸場も加え、寄席・定席で30日間行われることが15日、分かった。
楽太郎が所属する円楽一門は定席に出演できないが、昨年12月に落語芸術協会(桂歌丸会長=72)が協力を申し出て、新宿末広亭での10日間の披露興行を決定。
この日までに、さらに、浅草演芸ホール、池袋演芸場での興行も決定した。歌丸会長は「お席亭(寄席の社長)も快諾してくれています」と明言。
特例での30日間の襲名披露興行が決まった。新宿では3月下席(21〜30日)、浅草は4月上席(1〜10日)、池袋は同中席(11〜20日)を予定。
なお、落語協会も同日、理事会で、円楽襲名の協力を議論したが、同協会としては興行しないことを決定した。楽太郎が78年に同協会を脱会した円生一門ということもあり、
拒否反応も強く、同協会が興行を打つ、上野鈴本演芸場での披露興行の可能性が消滅した。
寄席を大事にして、次代を担う若手からも慕われている。
川柳が圓生を継ぐしかないでしょ。
賢い圓楽は判ってるのに、それができない。
ああ、圓楽の限界なんだよね。そういうところが。 任侠の世界じゃねえが、
一〇会が山〇組を割った時みていに多数は協会に戻り、結局は圓楽党だけが残るって寸法だな。
小屋に出られねえんなら
しゃああるめえ。 分裂前 圓生師が協会の幹部会に提案したといわれる、圓楽や志ん朝が金馬や圓歌に替わって常任理事になってたら、
落語協会はどうなってたんだろう?
少なくとも、三遊協会は出来てないし、好生も死なずにすんでたな 今回の円楽の死をきっかけに、色々経緯を知りましたが、当初はすごいメンバーが揃う予定だったんですね。
もし席亭が理解を示してたら、落語協会はともかく、芸協がヤバイ状況になっていたんじゃないでしょうか。
そうなれば、心労が少なくなって、円生の早死にもなかったかも。
でも、志ん朝はともかく、円楽、談志、円鏡って、どう考えても、みんなで仲良くってタイプじゃないですよね。
しかし最初は、真打乱造が建前だったのに、最後まで協会に復帰しなかった円楽一門は、
結局昇進が早くて、真打乱造気味だったのは、なんだかなぁって感じですね。
円生の根回し不足。
芸協が新宿の大旦那に泣きついたんだよね。 圓生師が根回ししたんなく、圓楽に全面的に任せたんだよ
もともと 圓楽、談志の構想に圓生師が乗っただけ
小さんが会長辞任もしくは集団真打制度凍結を条件に復帰を促したら
元の鞘に収まったんだろうか
まあそれなら復帰したろうな
円生も小さんも他界し、なお円楽も亡くなった今、やはり統一に動くんじゃないか?円楽党は(最近なくなったかな?)複数で同時に真打ち昇進させてるし、分裂したときの考えの差は風化してるように思う そもそも真打乱造に反対だった師匠連って他は誰だったの?
それとも円生一人が騒いでた? >>134
志ん朝さんだけだったと円生師は語っている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています