日本伝統音楽が廃れたのは尺八のせい
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日本の伝統音楽は何故ここまで廃れたか!
衣食住でいえば、着物は大人の趣味、あるいは晴れの場の衣装として息づいているし、
和食は未だに大勢力だし、伝統的な家や間取り、庭というのはちらほら見かけるのである
それなのに音楽だけが、何故こうも消えてしまったか!
答えは簡単、それは尺八のせいである!
古くは筝、三味線、そして胡弓によって日本音楽の基盤がなっていました
しかし明治政府の富国強兵政策によって胡弓の雅な音階は嫌われ、
やむを得ず尺八のような関東風の田舎臭い楽器を導入せざるを得ず、歪な日本音楽形式が成ってしまったのだ!
今こそ反省し、尺八を旋律パートからはずし、胡弓、筝、三味線の繊細で美しい本来の音色を取り戻そう! 未だに尺八が合奏に使われているのははっきりいって「 惰 性 」以外の何者でもない
日本音楽及び尺八の本質を理解していれば、尺八と筝の編成など、明治政府に歪められた歪な形式であることが分かる
尺八の性質
・アタックが強く音の入りに時間が掛かる(細かい音を刻めない)
・息が弱かったり、強すぎたりするとかすれたような音がする(音色を変えずに音量だけ変えることができない)
・倍音を多く含み、他の楽器の音色をベタ塗りしてしまう(倍音を吸収する)
・本来修行僧の音楽として発展した内省的な楽器である(音の鳴り方に偶然的要素が強い)
・山の中で遠くに響かせることを目的としているため、大音量で音が太い(筝・三味線などの室内楽器とは異質)
・歴史を見て見ると独奏が基本である(雅楽に使われていたものは現在の尺八とは別物)
・見た目が竹そのものであり、全く雅ではない(筝、三味線の造詣と合っているだろうか)
・音色に色彩感は無く、絵画で言うなら筆の跡による一発芸術である水墨画(対して筝・三味線は色彩に溢れており、計算的)
つまりまとめると、まず小回りがきかなすぎて旋律を奏でるのに向いていないし、
野太い音ゆえに合奏に向いていないし、
そもそも奏でようとする世界が灰色で、しかも楽器自体の見た目も野暮ったいため色彩のある音色とは反発しあう
何故このような楽器が筝、三味線と合奏されるのか全く理解不能である 尺八を現在のような「旋律を奏でる楽器」として使うことは、三つの意味で犯罪的である
1、他の楽器の持ち味を壊してしまう
2、旋律を奏でるのに向いていないため、尺八に合わせると作曲・表現の幅を狭めてしまう
3、尺八自体が本来の使われ方をされないために輝きを失っている
特に3などは尺八奏者にこそ考えてほしい問題である
尺八のあの独特の音色やムラ息なんかを見れば、本来尺八が西洋音楽におけるフルートのように、
正確な音程を奏でたり透明な音色で旋律を奏でて音楽をリードする楽器ではないことが分かるはずなのだ
むしろ、たとえば琵琶のように、打楽器的な効果を狙った使われ方をすべきなのだ
例えばあの大音量で細かい音(旋律とは言えまい)を奏でたあとの独特の余韻などがその証明である
胡弓や三味線、筝にはあれほどの余韻効果はない
明らかに琵琶や鼓のように、余韻のための楽器である、つまり長い旋律を吹くことは意識されない楽器なのだ
このことは、尺八を吹くのに必要な体力を思えば理解できるだろう
それであるのに、現在の宮城道雄以降の日本音楽では、
・なるべくかすれた音を出さず、透明な音色を維持したまま音程や音量を操作すること
・他の楽器を壊さぬよう、リズムやテンポを器用にあわせること
・息を節約すること
がよい尺八奏者とされています!!!
尺八奏者のかたは違和感を感じないのでしょうか?
本来の虚無僧尺八と現在の旋律楽器としての尺八、その断絶はあまりにも大きいと思うのですが 尺八の基本的な性質は変わらない!その性質とは・・・
1.息を吹き込むスピードによって音の質が大きく変わる
2.基本、音の立ち上がりにラグがあり、またその際擦れるような独特な雑音が漏れる
3.音は多くの倍音を含み、それゆえ他の楽器が生む倍音の響きを吸収してしまう
4.1.2にあげた性質から、小さい音で澄んだ音色を出せない つまり脇役になれない
5.3.4の理由から、独奏楽器としてあるべきか、あるいは筝などと全く違う旋律を担当し、
西洋で言う対位法的な使われ方をするべきである
6.結論、主旋律を奏でる資質ではない
これらの性質を「奏者によって克服できる!」といいますが、それは尺八の味を殺すことになるでしょう
尺八でもがんばればある程度小回りが利き、繊細に音量を調整し、澄んだ音を出せる!と言い張っても、
それならほかにもっとすぐれた笛がありますと言われておしまいです!!!
現実を見なさい!尺八は主役に離れない楽器!三曲などでもずうずうしく座を占領していますが、今こそ胡弓というすばらしい楽器に譲るべき! どう考えても尺八は三曲からはずされるべきです
尺八というのは枯淡の美を表現する楽器なのです
尺八のムラ息の荒々しさは水墨画の筆跡のかすれの味に似たものと思えばよい
それに対して筝と言うのは非常に繊細で、色彩に溢れている
言うなれば”華”や”雅”の美であって、日本画でいうならば若冲のような装飾的で瑞々しい世界観なのだ
両者は決して交わることは無い
枯淡の世界に一点でも色彩が毀れてしまえばそれは崩壊してしまうし、
繊細な彩りの調和の世界に荒々しい筆を下ろすなど作品の命を殺すのに等しい
宮城道雄は残念ながらその愚を冒してしまった
http://ameblo.jp/midorikawa-makoto/image-10130063667-10086403133.html
↑筝、三味線の世界
http://rakutyuurakugai.cocolog-nifty.com/blog/images/turu2.jpg
↑尺八の世界
両者は絶対に交わらない
交わるとしたらどちらかが妥協しているのだ
それは両方にとって不幸である 三味線なんてのは、芸者はおろか遊郭売女の御用達楽器
そんなものを使っているから邦楽全体が汚らわしい印象を免れ得ず、廃れてしまったのだ
さわりとかいう汚いきつい倍音、動物愛護に反する猫の皮(うげえ)
三味線追放!
と全く同じクソ馬鹿論理を大変ご苦労
終了終了 何故小浜が嫌われるか。再検証。
@ど下手だから。これが一番大きいわな。
A人を平気で罵るから。あの断定口調が。何様のつもりか。私はバカですと言っているようなもの。
B田舎臭さが抜けきらないから。そのくせカッコつけるからよけい始末が悪い。
C学もないのに知ったかぶりするから。思想、芸術、歴史についての知識が皆無。
D体臭が強いから。風呂に入れ。耳垢たまってんぞ。おい。
E食事の作法がなっていないから。育ちの悪さが滲み出ているわ。
F笑い方が下品だから。あぁたひゃあああああああああああ、って。
G思いこみが激しいから。そのおかげで周りの人間に八つ当たりするから。
H「成り上がりたい」一心でなりふり構わず、節操なく、何でもするから。
I自分で手を汚さずに、他の人間に泥をかぶらせて…。卑怯。
J友人の自慢話が多いから。本人が大したことないから仕方ないかな。
「高校時代の友達が東大行ってます」「友達がフランスの大学で○○」とか。
K学歴差別するから。てめーだってたかが同*社だろ。
でも奴の頭で同志社に入れたのは奇跡。新しい情報によると日大落ちたんだって。
L不細工な女としか付き合っていないのに、よそ様の彼女のことを「ブス」と言うから。
M相手によって態度をころころ変えるから。裏表があるんだね。ブッキング担当の…。
N客をバカにした態度をとるから。自分が下手な演奏しておいて、客のセンスが悪いとは何事か。
O「大衆はしょせん…」という言葉を頻発しているから。彼は何様のつもりか。
P厚かましいから。遠慮がないから。図々しいんだね。親の顔が見たいね。
Q今は東京在住。でも地方出身者、なのに千葉県民を「百姓」と呼ぶから。
Rブランドものを身につけているのはいいが、あまりにギンギラし過ぎてダサイから。
つい最近までラコステのウエストポーチしてたくせに。今だって、派手なだけで安ブランドだろだろ。
Sそして、彼が音楽を愛していないから。それでいて音楽家として活動しているから。
びしょ濡れだな で検索した結果 1〜10件目 / 約425,000件 - 0.26秒 何故小浜が嫌われるか。再検証。
@ど下手だから。これが一番大きいわな。
A人を平気で罵るから。あの断定口調が。何様のつもりか。私はバカですと言っているようなもの。
B田舎臭さが抜けきらないから。そのくせカッコつけるからよけい始末が悪い。
C学もないのに知ったかぶりするから。思想、芸術、歴史についての知識が皆無。
D体臭が強いから。風呂に入れ。耳垢たまってんぞ。おい。
E食事の作法がなっていないから。育ちの悪さが滲み出ているわ。
F笑い方が下品だから。あぁたひゃあああああああああああ、って。
G思いこみが激しいから。そのおかげで周りの人間に八つ当たりするから。
H「成り上がりたい」一心でなりふり構わず、節操なく、何でもするから。
I自分で手を汚さずに、他の人間に泥をかぶらせて…。卑怯。
J友人の自慢話が多いから。本人が大したことないから仕方ないかな。
「高校時代の友達が東大行ってます」「友達がフランスの大学で○○」とか。
K学歴差別するから。てめーだってたかが同*社だろ。
でも奴の頭で同志社に入れたのは奇跡。新しい情報によると日大落ちたんだって。
L不細工な女としか付き合っていないのに、よそ様の彼女のことを「ブス」と言うから。
M相手によって態度をころころ変えるから。裏表があるんだね。ブッキング担当の…。
N客をバカにした態度をとるから。自分が下手な演奏しておいて、客のセンスが悪いとは何事か。
O「大衆はしょせん…」という言葉を頻発しているから。彼は何様のつもりか。
P厚かましいから。遠慮がないから。図々しいんだね。親の顔が見たいね。
Q今は東京在住。でも地方出身者、なのに千葉県民を「百姓」と呼ぶから。
Rブランドものを身につけているのはいいが、あまりにギンギラし過ぎてダサイから。
つい最近までラコステのウエストポーチしてたくせに。今だって、派手なだけで安ブランドだろだろ。
Sそして、彼が音楽を愛していないから。それでいて音楽家として活動しているから。
世の中に女性の尺八奏者の多いこと。
俺は尺八を奏でる女が大好きだぜ。
そして俺は巨大な堅い撥で鼓をパンパン打つのさ。 >>17
昔は芸大の尺八の女性とか、ちょっとう〜んっていう方が多かったけど、
最近はきれいな人、かわいい人増えてますなあ。
私のも吹いてくれと…(お決まりでスマソ) エロスと結びついた尺八が廃れるわけがない
ちょっとえっちなお姉さんで売り出せば道山を一瞬で凌駕するだろう >>20
そこを狙い撃ちしてネーミングした尺八女、今はドイツに御留学か??
世間を甘く見てますな。 ごらんのように、尺八演奏家は下品で俗悪な連中ばかりです そんな訳ですから、もう尺八スレは立てないでください。
立てても、胡弓の話題で埋められるだけですから。 ――尺八害悪論――
尺八害悪論とは、日本音楽の衰退の主要、あるいは準主要な原因として、尺八の悪影響があるとする説である。
この説の概略は次のようなものである。
邦楽、特に三曲合奏への尺八の積極的な参入は、明治以来の邦楽の悪習であり、
尺八のような「不適格」な楽器が合奏に加わることにより、本来あった日本音楽の響きの伝承が費えてしまったとする。
尺八は次のような理由から、合奏に対して不適格であるとされる。
@大音量の楽器であり、他の楽器の音色を殺してしまう。
Aあまりにも低音を多く含みすぎて、他の楽器の響き(余韻)を殺してしまう。
Bそもそも雑音を多く含んだ、独奏に向いた、内省的で無拍の音楽に向いた楽器である。
C長時間の演奏は体力的な意味で負担が大きい。作曲者はいちいち尺八奏者を気遣わねばならず、
D重々しく、また一種攻撃的な野暮な音色は雅な世界観に遭わず、楽曲から軽快さが奪われる。
E胡弓の居場所を奪ったことにより、唯一の擦弦楽器を衰退させ、わが国の音楽文化から豊かさを奪った。
注意せねばならないのは、尺八害悪論者は主に三曲合奏において尺八が害悪であると言っているにすぎず、
決して尺八そのものが邦楽に害をもたらすとしているのではない、ということである。
つまり、尺八の使われ方の問題であるため、尺八害悪論者に対して、尺八そのものを否定されたような気分になって、
反発心を抱いたならば、それは改めねばなるまい。
この尺八害悪論は、その論理的正しさから尺八奏者からの反論を受け付けず、近年少しずつ主流になりつつある。 ――胡弓救世主論――
尺八害悪論と平行として主流になりつつあるのが、胡弓救世主論である。
胡弓が低迷する邦楽界を救う契機になるという説であり、その概略は以下のようなものである。
@胡弓は江戸時代に全盛を極めており、多くの検校がその価値に注目し、様々な音楽や奏法を生み出した。
A尺八と同じく持続音であるが、擦弦楽器であるため、息切れが無く、音が安定している。
B現代人の感覚として、吹奏楽器より擦弦楽器の方が馴染み深い。中国の二胡の大ブームを見ても明らかであろう。
C旋律を奏でるのに、持続音で胡弓ほど適した楽器はない。現在持続音のパートを担当するのは尺八であるが、
尺八の粗野な響きは一種の戦国時代であった明治期ならばともかく、平和な現代には適さない。
必要なのは無骨な荒々しさではなく、繊細優美な癒しであり、現代には胡弓こそがふさわしい。
D唯一の擦弦楽器をないがしろにしてきた罪はあまりにも大きい。日本人には胡弓の存在すら知らぬものが多く、
「擦弦楽器がない」という認識が、邦楽へのとっつき難さ、退屈さを演出してしまっている。
E現在でも演奏される名曲の殆どは、もともと胡弓のための音楽である。
鶴の巣篭り、千鳥の曲などを尺八が引いても、その魅力は伝わらない。むしろ人々に誤解を振りまき、印象を下げるばかりか、
本来のただしい伝承を妨げている。胡弓が正典として降臨することによって、本来の江戸期音楽の豊かさを知らしめることとなる。
この論説もまた、論理的側面において正しさが明らかであり、
尺八至上主義者(というよりは、利権におもねる者)からの有効な反論は未だに見られない。 都山流尺八というは
テレビを見ながらCMの間に
稽古するものなのだそうだ 師範がようやく御目覚みたいです。
これから民主党総裁選と島田紳助の話題を
見ながら稽古のようです。
テレビがないと練習できない都山流。
ボリューム上げて近所や家族に迷惑かけて、
廃れる前に、品位の欠片も何もない 尺八は楽器でもなけりゃ音楽でもねえよ
吹禅だ
全く恥ずかしいスレだな 邦楽の世界(ジャンル)は複雑に入り組んでいて、
それぞれその領域で発展進化してきています。
音の構造(旋法、音階の捉え方)に共通(日本民族の音楽的エステティクセンス)するところがあったために、
身近なところで(安易に)筝曲・地歌等と尺八とが使われた所があるのでしょうね。
似たような音階等の基本構造を有していますが、
尺八は別の構造を持った音楽を再現するための楽器として進化してきました。
同じ時間を共有するには少し無理があると思っています。 創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
尺八は日本古来の楽器の中で
1番難しいです
試験や学力で説明すると
尺八は東大クラスや司法試験クラスで
だんとつに難しいです
そこそこ吹けるようになるには
はやくて4年
遅くて7年はかかります
人前で聞かせられ吹ける
レベルに達するには
毎日欠かさず3時間練習しても
25年は必要です
つまり尺八をはじめて10年でも
まだまだの素人レベルなんです
世界一難しい楽器なんですから
嫌わないで下さいね >>33
親父が一作年から老後の楽しみとして始めたんだが
へたすぎて聞いてて辛い・・・
毎日まいにち、朝起きてから寝るまでずっと不協和音っぽい
牛乳瓶を吹いたような音が切れぎれに続いてるんで
自営業のこっちは仕事にならなくてものすごくつらい
もう大嫌い
なんとかうまくなってもらう方法ってない? 尺八やってるけどそこまで尺八はいらないと思う。
三味線の音にかき消されるし、吹いてるとめっちゃキツイし。
尺八難しいとか言ってるけど、ちゃんと習えば1週間で吹けるよ。 三絃にかき消される……? 一週間で吹ける?
むしろ下手な尺八がいると弦楽器の音が聞こえなくなって邪魔なレベルだろ
三曲合奏で聴けるレベルになるまでは尺八がいちばん遠い 尺八のデメリットが並べられているが、それは本物の尺八のことではない。
本物の日本に古来から存在した尺八は、
雅楽で使われていたものだと判明したが、この見解は不動の定説と言っていい。
しかし、本来のこの尺八は“非公開神事”の雅楽で使われるものであるため、
民草がこの楽器が演奏される場に立ち会う機会はほとんどなかったと思われる。
尺八よりも優れた音の強弱や音色変化が可能な、
より雅楽に適した笛が幾つも存在する。
さらに、似たようなより雅な音を出す排簫の改良が進んだため、
神事の雅楽の世界において、尺八の出番はなくなってしまった。
尺八の地位を奪った形の排簫だが、
十分な立ち上がり速度で低域(50センチを超える)を鳴らすには、
並み外れた肺活量を要求される。
西洋人のような分厚い胸板の鬼のような体躯を持つ特定の社家の者でなければ、
扱うことが出来ない方向へと大型化している。
民草のなかに日本の雅楽用の排簫を演奏できる者は現れず、
非公開神事の雅楽の世界でのみ使われる幻の楽器になっている。
正倉院に残る排簫は、神事で使われる神器とは異なり、
初心者向けの小型で簡素なものにすぎない。
現代に伝わる尺八は、神道系の尺八ではなく仏教系のものであるため、
雅な雅楽の笛の音を束ねて下支えする楽器ではなく、
仏教の幽玄の世界を表現するのに適した楽器へと大きく変質している。 進化した神器の排簫を演奏できるのは、
日本最古の皇別氏族とされる、多氏を名乗る男衆のみである。
宮廷雅楽を受け持つ多氏は、公家化したことによって今日では矮小化しているが、
日の巫女の王(日向の姫神)の祭祀を支える多氏は、
又従兄妹までの間の婚姻制限によって純粋な血統を維持してきたため、
シルクロードの西から伝わった鬼のような巨大な体躯を今も維持している。
皇室や多氏の出自は、天日槍(山東半島の兵主神)を祖とする、
神功皇后を輩出し、応神天皇と名前を交換した息長一族に他ならない。
※天日槍が新羅の王子という神話から、朝鮮系と考えるのは誤りである。
日本産の鉄は硬すぎて剣にするとすぐ折れるため
柔らかくするための鉱物が必要で、その鉱脈が朝鮮半島にあった。
これを確保するため、倭国は朝鮮半島にも領土を持っていたのである。
日本と朝鮮半島の人の往来があった証拠として、
新羅の四代国王は丹波出身の倭人とする伝承が史料に残されている。
多氏の実態は、領地の一つ敦賀の語源となった、
都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)=角がある人=鬼の異名を持つ
巨躯で知られる東夷の王族である。
夷は、大と弓を合成した字であり、
大柄で弓に長けた大陸東岸部に領地を持つ、
漢民族とは異なる膠着語を話す王族を指す言葉だった。
並外れた肺活量を必要とする進化した排簫は、多氏の男衆にしか演奏できない。
したがって現在も非公開神事でしかその演奏を聴くことはできないが、
日本の千数百年の歴史を持つ伝統音楽の変遷を語るなら、排簫は避けて通れない。 仏教系の新しい尺八が、僧侶が幽玄の世界を奏でる独奏に適したものとして
完成の域に達しており、単独でも響きが優れて合奏に適さないのに対して、
神道系の古い尺八は、中国系の雅な音を奏でる点が大きく異なっている。
さらに、神道系の尺八の跡を継ぐ形で進化した排簫は、
現代のパンフルートに通じる、旋律を奏でるのにも、合奏にも適した、
仏教系の尺八の欠点を克服したものに仕上がっている。
バーチャルアコーステック音源という、
自然楽器の発音機構を、コンピューターでシミュレーションして音を出す、
ウインドシンセサイザーが登場したことによって、
多氏の男衆しか演奏できなかった排簫の音を、
誰でも簡単に出して、合奏の真似事が出来るようになってきている。
しかし、本物の排簫は40種類を超える音色をコントロール出来るのに対して、
最新の進化した人工補助脳システムのサポートを受けた
バーチャルアコースティック音源でさえ、
せいぜい十数種類程度の音しか出せない技術的問題を抱えている。
それでも、一般の音楽を奏でるには必要十分すぎるという話もある。
仏教系の独奏楽器の尺八を排して、
胡弓と置き換えるべきという意見があるようだが、
尺八の代わりを胡弓にさせることは難しい部分があり、
また、その音色が古臭いと嫌われ、避けられてきた問題を解決する必要がある。
ヴァイオリンのような演奏を胡弓に望むことはできない。
尺八と置換可能な、合奏に適する方向に進化を遂げた雅な楽器は、排簫である。 多氏が神事に用いる排簫は、正倉院に残された初心者向けの簡素なものと異なり、
金銀があしらわれた螺鈿細工の飾り板を持つ、雅な神器である。
絹と和紙を重ねあわせてから、
和弓のナカゴを炭化させてカーボンファイバー化する秘伝同様の手法を用いて、
窯で焼いて炭化させたものを、漆で塗り固めて螺鈿細工を施した、
現代で言うところのカーボンファイバー強化樹脂製の飾り板
=音響板が付くことによって、
雅で華やかで重厚な外観に相応しい音色を奏でるように仕上げられている。
歌口は象牙で作られており、
ノイジーな風の掠れる音から、玲瓏な澄んだ音色まで、
40種類を超える音色を出すことができる。
そのため、このスレッドで指摘される尺八の欠点のほとんど解決されている。
ただし、肺活量がない者が吹こうとすると、
低域側は音の立ち上がりが遅すぎて、実用にならない問題が存在する。
また、排簫のような楽器は、奏者の口の大きさや形や歯並びなどが異なれば、
音程や音色が変わってしまうため、
特定の人物に最適化されたものを赤の他人が吹いても、
本来の音色や音階で鳴らないという特徴がある。
したがって、奏者が替われば、歌口の交換と調律が必要になる。
多氏の男衆は千数百年の婚姻制限の結果、
ほとんど皆同じ体格と顔立ちになっているので、この問題は表面化しないが、
一族以外のパンフルート奏者などが借りて吹こうとすると、たちまち浮上する。 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=335247033278355&set=pb.100003791830755.-2207520000.1497826417.&type=3&theater ちょっとこの>>1はツッコミどころが多すぎてアレなんだけど
(アタックが強く音の入りが遅い、とかほとんど一行ごとにツッコミどころがある)
三曲に尺八が合ってないってのは同意
ただ、胡弓が廃れたのはやはり時代に合わなくなったからで
奏者(アマ)や聴衆に求められなくなったからだろう
擦弦楽器というもの自体、日本の歴史を俯瞰してみれば
愛されていないことは明らか。持続性は不自然性につながるからだろう 巷で話題のPCを使って稼げる方法とか
⇒ 『山中のムロロモノス』 というブログで見れるらしいです。
グーグル等で検索⇒『山中のムロロモノス』
BDR3XKOKSE 小学校などで和楽器をまったく扱わないのはなぜなのだろう
子供の頃から馴染みが全然無いのもよくないよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています