桂米朝 その12
>>1です。
スレを立ててみたものの、すっかり過疎ってるなぁ。
このスレはもう必要ないのかな? >>4
そうですね、外様の腹話術から転向の先代米紫、三代目染丸から預かった月亭可朝。
この二人のほかに東京の三代目桂三木助門下だった木久丸を預かっていたが辞めた。
その廃業した人を省いて直弟子を枝雀からとしたら誰も廃業してない。
枝雀以下は内弟子の頃にみっちり米朝落語を仕込んで内弟子明けから
適材適所の育て方してる。
落語のダメな人は何か他の芸で開眼させた。
朝太郎は手品、米輔は笛、米八は曲独楽、勢朝は南京玉すだれ。
大阪を離れた人も廃業ささずに籍は残してやってる。
山梨の旅館に婿養子に行った米蔵。岡山の寺の婿養子に行って僧侶になった米裕。
千朝も家庭の事情で7年間サラリーマン生活をしたけど籍は残してやっていたから、
今現在一門の高弟として復帰出来た。 桂米団治 父・米朝さん五年祭で落語イベント開催 来年3月、2会場で同時開催
8/10(土) 17:53配信 ニュースとか新聞で米朝関係が云々と見たり聞いたり
すると一瞬へっ?となるのは俺だけか? 吉朝は、丁寧で実力派の印象はあるんだけど
同じ年代の米朝を聴くと、米朝が凄すぎて
霞んじゃうんだわ よくさ、枝雀の天才落語は努力で作り上げたと
言われるし素質は凄く有ったと思うけど
それじゃ、本当の天才は誰かって言われたら
米朝その人だと思うな。若い頃の録音まで聴くと『なんであんなに人物描写もテンポも完成されてて、風格もあるのか?どこで稽古してたのか?』
と本当に思うんだよ。その一方で自分が中心になって先輩含め噺家達と上方落語を復興させまくったっていうんだから、もう凄すぎて意味わからへんww。枝雀みたいに毎日8時間稽古してたみたいなエピソードも聴いたことないしね。 米朝の芸達者さって何処から湧いたのかな。
ラジオもテレビもレギュラーて出まくってて
著書も多い、しかも落語は一流で
しかもどれだけ稽古してるのかも謎という
物凄い人。 >>14
米團治は死ぬまでその「米朝はその歳の時…」を言われ続けるんだろうな
まあ、それは入門した最初の時から分かってた事なんだろうけど >>18
それを覚悟の上で入門したのでしょう
米團治師には華やかさがありますね 晩年は、一門の客寄せのつもりで
出演することが多かったけど、正直言って
引退してほしかったね。
虚な目で車椅子に座るすっかり惚けてしまった
師匠は見たくなかったから。
酒とタバコさえ控えてくれてればもっと元気だったとは思うんだけど、、、 この前亡くなった歌丸が
昔、米朝の追悼コメントで
"まめだを米朝師匠に稽古して欲しかったけど
残念ながら、それができる体調じゃ無いと米團治さんに言われまして残念です"
みたいな事言っててすっかり呆れた。
まめだ発表してから二十年以上経ってんのに
なんでもっと若い時に教えを乞わないのか、、、
そりゃ上手くならんわ 米朝も米團治もかなりイケメンだよな。
蔵丁稚のマクラに、
『昔は
"顔の良い子供は役者にしたらよい
顔のおもろい子は噺家にしたらどないや"
となったもんですな。』とか言ってるけど
どう考えても、二枚目で食っていける
ルックスなのに落語家になったというw 桂米朝 「昭和の名演 百噺」てCD出ると思ったら『上方落語大全集』の廉価版か。
未発表音源なんて山ほどあるだろうに、なんで焼き直しなんだよ。 >>24
米朝役が酷すぎた。
全然重厚感がないし、役になりきろうという意欲が感じられなかった。
直弟子の某師匠は激怒してた。 誰がやっても完璧に本人になることは絶対に不可能
不可能やから物まねとは別のアプローチしただけやろ
直接文句言えへんからSNSで役者叩いて情けない これから舞台化ドラマ化がある度に弟子もファンもクレーマーになるんやろ >>27
どうも米朝役が落語を見たり聴いたりしてなかったとか >>30
じ―やんは事務所からなんか言われたんやろな。
九雀は事務所の言う事なんか聞かない。
だから事務所は九雀に仕事を回さない。
九雀は文我とはまた違ったヘンコやからね。 普段の米朝はあんなちょっとコミカルな感じじゃなかったていうことかな。
普段の米朝がどんな感じだったかを知りたかった客もいるだろうな。 ツイート消しても引用リツイートは消えないんだね
黒歴史は一生残るね >>34
でも米團治ってあんまり米朝に似てないじゃん 米朝は特選!!で2席目に
三遊亭百生の都囃子を、よく使ってたけど
三下りかっこみたいな重厚感が無く、
安っぽい感じがして嫌いだ。他のもうちょいと
良い出囃子を使えば良いのにと思った。 >>36
東京の「都囃子」は軽めに演奏しますが、
上方の場合はもっと重厚感があります。
特に二丁でカンと乙で弾くと良く分かります。
それに上方の場合「都囃子」は最高の真打用で
おいそれと使用できる囃子じゃないんです。
東京で云う「三下り中の舞」と同じだと思ってください。 >>37
そういえば、スローテンポですね。
でもなぁ、、、。
若い頃の録音でかなりテンポの
はやい三下りかっこで、登場してますけど
やっぱり重厚感が格段に違います。
米朝の出にぴったりくるのは、三下りかっこだと思うのです。南光が使ってる猩々で、出る録音も
ありますよね。
出囃子にはあんまり拘らない人だったのかな。 >>39
なんかコラ画像みたいだけど、サンケイホールブリーゼのTwitter見たらマジなのな 申し訳ないけど米朝さんは、晩節を汚した。
まともに発声できず
窪んだ目で車椅子に座る米朝なんて
本物のファンは期待してたんだろうか。
春団治のように
早くに引退して、スマートな60代頃までの
円熟期のイメージを保つべきだった。
いい加減さが客に愛される
志ん生のような芸風でもなく
絶句して、理知的な芸風が保てなくなった時期に
引退すべきだった。
晩年の米朝を良しとする風潮に限らないけど、
関西の芸能は、客が深く突き詰めることをせずに
珍しいもの好きでガヤガヤ騒いでばかりいるから
粋に疎くて田舎臭いと思われても仕方がない。 >>38
独演会の時に3席する時は全部出囃子を替えてます。
一席目「円馬囃子」一時期昭和50年代に「猩々」にしていたが、また円馬に戻る。
二席目(中入り前)「三下り鞨鼓」
三席目「都囃子」
「桂米朝上方落語大全集」の録音をお聞きになられたらその噺は何席目に
演じているかこれでだいたいわかります。
一席目の後の演者の出囃子で膝替わりの人が分かる。
昭和48年以前ですと「晒くずし」が多いのは次が桂小米(後の枝雀)
そしてそれ以降「昼飯」に代わってるのは枝雀襲名後です。
「お手手つないで」のときは次が桂朝丸(後のざこば)
二席目の後は中入りですから「中入り砂切り」になって三席目の後は「バレ太鼓」
正月は正月用の出囃子「十二月」「数え歌」「万歳」を使用しています。
そしてこの時期の録音のお囃子さんは池中スエ師ですのでウキウキしたテンポの速い
弾き方でしたから「三下がり鞨鼓」でも早いんです。 >>41
春団治師匠が引退した?
80代まで現役やったやろうがええ加減な事吐かすな! >>44
晩年の2、3年は、
公に姿を表さなかった。事実上引退である。
この師匠の場合、滑舌が悪くなったくらいで
噺そのもののキレは健在だったけど
足が悪くなったという理由で休んでた。
お玉牛みたいな、仕草で客を引き込む落語を
得意としていた春団治にとって、板付で上がることは耐えられなかったのでしょう。 >>43
藝談といっても桂米朝は
著書も多く、
自分の落語音源の解説を自分で書くなどの
責任ある作業をこなしてきたので、芸談の類いは
は、十分残していたと思います。本人が高座に出て喋るくらい必要は無かった。
弟子ならば率先して
米朝さんに聴きに行って芸を深めようとするの
ではないでしょうか。 >>47
米朝の俳号か
なるほど、こういう手もあるんだねぇ しかし、高座名ではない俳号でも「襲名」って言うのかね?
まあ、無粋なツッコミだけどw 今朝の毎日新聞朝刊の南光・米團治の対談は面白かった。米朝師匠は55歳で完成されてたというような話。 48歳で出し始めた「上方落語大全集」か、64歳で出し始めた「特選!!米朝落語全集」のころか。どっちかかな。 >>41
同感。
落語は生が一番!みたいなこと言う人が多いけど
その噺家が、亡くなった時に観客にとっては
歳とってからのボロボロの姿になってしまうことがあるか衰えたら、引退すべきだと思う。 落語じゃ無いけど、文楽の越路大夫さんの引退は見事だったよ。
反対に住大夫さんはボロボロで気の毒だった。引き際って大事。 >>57
そういうのは噺家に限らないね。
自分は市川猿翁についてそう思った。
何か晒し者にされているみたいで観ていられなかった。 >>42
遅レスですみません。
自分にとって「円馬囃子」は文珍師、「猩々」は南光師、というイメージです。
米朝師にはやはり「三下り鞨鼓」が一番しっくりくるように思います。
「都囃子」は露の都師が使うてはりますね。
とても同じ曲とは思えないうきうきした曲調ですけど。 >>46
晩年は稽古を申し出てもあまりつけなかったようですよ
「弟子の誰々のところへ行ってこい」と言ってたとか
その代わりに藝談は好きでいろいろ話してくれたとか
吉坊なんかがそう 「昭和の名演百噺」って上方落語大全集と同じなのな
そんなCD出しても意味ねーよ
未発表テイク出せよ 米朝さんがざんねんなのは、出囃子がきちんと初めから入ってない音源が多いことだな
なんでこだわらなかったのか サンテレビの上方落語大全集での米朝師は出囃子のさわり
だけだったように思います。テープでもないのになぜなの
かと疑問を感じたものです。 今思い出しましたが、一昨日は師匠の生誕95年でした。
それだけです。 その頃まで米朝事務所が存続出来てればやるんじゃない? 文化放送「志の輔ラジオ〜」4月25日放送分、radikoでまだ聞けるよ。
しかし日曜の朝っぱらから「紀州飛脚」なんか流していいのか?w
https://www.joqr.co.jp/qr/article/8714/ 語りの名手、
桂米朝が本当に、売り物にすべきだったのは
怪談市川堤などの本格落語だった。
(東京の圓生や
正蔵などの持ちネタで、露乃五郎が演じていたような。)これがキッチリ出来る芸風は、上方では米朝が適任である。残念ながらそれほど本格落語は演じてくれなかった。
上方落語大全集の録音は、"怪談噺の型だけをご覧頂く"と言うには勿体無いほどの出来である。
客席に幽霊など出さずキッチリと地の語りで
締めればどれほど素晴らしかっただろうか。
余談だが、話題にのぼる地獄八景は
この演目に比べれば、長い割に笑えるところが少ない。あんな駄洒落誰が笑うんだ。
それ以外にも、米朝のネタには不出来があって
軒づけなど面白くもなんともない。 地獄八景なんて演じないで、
市川堤みたいな、怪談噺を売り物にして欲しかった 米二師のFacebook
街を歩いてたらUber EATSで勤務中の二乗に遭遇したとのこと。 米朝落語って、あんまり上方情緒が
小文枝とかと比べると無い気がするんだけど
艶噺の二階借りは、いいね。所帯じみたところに
なんとも言えない上方風情を感じる。 先頃襲名した八十八が二代目を名乗っているのは初代が米朝師匠ということですか? _ノソソソ_
//⌒〜"⌒ヘ\
丿| ニ |∧ ←木圭 さごぱ
|/ へ へ \|
(|ッ (・ヽ ノ ・)ッ |)
| /_ヽ |
|ヽノ ヽ /|
| | | | 「P献金党」が落選した場合は、信心も財務も足らんということでっか・・・?
/\ |<>-| /\
| | \___/ | | なんでキンマンコと香峰予は、いつも立候補しませんのん・・・?
| | |ヽV / | | |
| | | / / | | | エ●カンターレは、立候補してまっせ!
-=-::.
/ \:\
|邪宗のドンファン ミ:::| ←仏罰大行進、選挙権不明&行方不明
..| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |≡、 |;/
| |) |─/ヽ
∬ | ボロ負け |二/ ∂>
∬ .| 臨終只今 |ハ |
┏謗法┓ | |_ノ /__
┗━━┛ /|_______ |ヽ/ `i
/ \_____/ /
/ ̄ ̄ ̄⌒⌒⌒⌒ ̄ ̄ ̄⌒⌒) マハーロ!バカヤロー!アイゴォォォォォ!
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/マハーロ、バカヤロー! / @←真心の「1円財務」
/ キンマンコ!:ハ⌒ヾ: /
http://stat.ameba.jp/user_images/20190206/20/march001001/19/f1/j/o1080056614351653655.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-IuuEUwzDui0/UM5hLlj1VfI/AAAAAAAABWY/NOCeuPn8wG0/s1600/IMG_0595.JPG 今日は米朝師匠の96回目の誕生日です。
師匠、おめでとうございます。 直接取材したけど、若い頃から大旦那が得意で、確かに『百年目』の大旦那とか茶金さんは
一寸真似手が無いね。あと、ドライな芸風だから『けんげしゃ茶屋』『算段の平兵衛』等も
一寸普通の噺家には出来ないな。珍しい所では後年は『坊主茶屋』のマクラにしていた
『新町素見』を一席物にした音源持ってるし『由辰』も聴いた事があるのは一寸自慢。 >>84
茶金さんは米二師が受け継いでると思います。京の噺家らしく、大阪人の油屋と京の人々の演じ分けが見事です。 >>85 米朝師匠の茶金さんは「表が騒がしい」のひと言が絶品だった。如何にも内裏に
出入りの出来る人に見えた。あの科白と『けんげしゃ茶屋』の国鶴が二階から降りて来
る際の「ただいま」の色気は絶妙だったね。『百年目』の大旦那は圓生師匠なんか比べ
物にならなかった。冬場、安井の金毘羅さんの座敷で取材したけど、襟巻して火鉢に
当たってる姿は大旦那そのものだった。 米朝師匠については事務所の社長が「旅をさせ過ぎました」と悔やんでた。飛行機の
移動が体に早く応えたんだろうね。旅の多い人って割と早く老けるよ。それと米朝師匠
の場合は酒の飲み過ぎだな。晩年になっても冷酒を茶碗でぐいぐい呷っていたのは、そ
りゃ早く体に来るわな。先代馬生師匠と同じ事。ても、あのドライな芸風は志ん生
師匠に匹敵する。『由辰』は一度しか聴いてないけど、生の高座を聴いてた尼さん三
人連れが帰っちゃったってエピソードは師匠に聴いて笑ったし、それだけ面白かった。
んて一度しか聞いてないけど >そりゃ早く体に来るわな
80過ぎても高座に上がって89歳で亡くなったってこと分かってるか? >>88
その9年間は入退院を繰り返してたし、高座とはいっても「よもやま噺」と称して、左右に弟子をしたがえて、殆ど弟子に喋らせ、本人は返事だけしてただけだからな。 >>90
不満は無いけど。
米朝師匠は健康ではなかったな。他の同じ80歳代の人と比べたら、ボケもあったから仕方ないけどね。 小三治は晩年、投げやりなところもあったからまだ良かったけど
永六と米朝は、晩節汚したとしか思えないよ。
痩せっこけてボロボロだったよ。まるで別人。
あんなになってまで
なんで表舞台に出てきてたのやら。
あれを許していた客も悪い。 >>92
俺は関西人だけどほんとうに勘弁してほしかった
老いゆく姿を見守る気にはなれなかった 歌丸が米朝にお会いしたいと連絡をしたとき
バカ息子が突っぱねた
ずいぶん失礼な息子だよな
常識がまるでない
あれが礼儀知らずの関西人なんだろうな >>94
それはそうと
歌丸が、馬鹿を露見してたの気づかないか?
まめだは、80年代に発表されてレコードまで出てた
のに稽古してもらいに行ったのは、
米朝が老いさらばえた晩年なんだよ。
遅すぎるだろ。まあ、歌丸も中年から焦って稽古に
励んだんだろうが、もっと早く笑点は
勇退しておけばもっと噺家としてのイメージも
違っただろう >>95
リュックを背負ったハゲデブ発汗鼻毛メガネが、ずり落ちるメガネを何回も高速で直しながら甲高い声かつ早口でまくしたてております。
「それはそうと
歌丸が、馬鹿を露見してたの気づかないか?
まめだは、80年代に発表されてレコードまで出てた
のに稽古してもらいに行ったのは、
米朝が老いさらばえた晩年なんだよ。
遅すぎるだろ。まあ、歌丸も中年から焦って稽古に
励んだんだろうが、もっと早く笑点は
勇退しておけばもっと噺家としてのイメージも
違っただろう」 >>95
歌丸が稽古を頼んだのは80代半ばぐらいの時だろうけど
その頃米朝は会話も怪しくなってたの知らなかったんかね >>99
ABCラジオで2005年スタート
そのプロデューサーだった市川寿憲氏も早逝しちゃったね >>98
ま、あれで歌さん
若い頃の稽古不足は露見しちゃったのは確かだね 米朝の晩年については、同意見。
歌舞伎座独演会のころ体力の限界を語っていたのに
車椅子になってまともに喋れない姿は
辛かったし、悔しさも覚えた >>100 ありがと
聞きたかったのはラジオの番組ではなくて、高座で弟子たちとトークをするようにやり始めたのはいつ頃なのかと
東京だとトークをするのは企画された独演会ぐらいで、大抵は体調が良いときに寄席に出て大きな拍手で迎えられるが、話を飛ばしたり別の話になっちゃたり、無限ループで強制終了したりと笑うことのできない高座を見ることになるからいい方法だなと感心してた 2009年に脳梗塞で倒れてから目に見えて衰えた気がする
晩年は目も窪んで会話のボケか本当のボケかよく分からない感じだった 高座から退いたあとも米朝師匠しか知らん藝談が聴けて、それが記録と
して残されたことは大きい。 関西人で米朝好きだけど
地獄八景亡者戯は、過大評価だと思う
一つしか音源になってない(しかも、余興みたいな
ラストが勿体ない。地で締めてくれれば)
怪談市川堤を売り物にしてくれたら良かったのに
米朝さんは滑稽噺もそれなりにオモロかったけど
やっぱり、語りのヒトだから
露の五郎の怪談とか
東京の圓生と正蔵、もしくは志ん生が演じてた
じっくり聴かせる本格落語をもっと演じて欲しかった。
滑稽噺はやっぱり、小文枝とか松鶴には敵わない。 >>107
口入屋は小文枝の圧勝
春團治は、若い頃からどのネタも
抜群に上手くて、引きこまれる
けど皿屋敷と寄合酒は
晩年の方が絶対に面白い
失礼を >>108
好みは人それぞれ
勝ち負けではありません 地獄八景はなー
追悼番組で、散々取り上げられたし
筒井先生も絶賛してたけど
、駄洒落部分が寒くてどうも古臭いんだよ
モダンなつもりの入れ事も今聞いたら古臭いし
一門がなんで重要視してるのか分からないネタ
枝雀の地獄八景のほうが楽しい。
投げやりな感じは苦手だったと思うから、
(晩年は肩の力抜けて面白くなってると思うな)
饅頭こわいとか京の茶漬、一文笛みたいな
テキスト自体のしっかりした落語はいいな https://youtu.be/2kTV9D70ntM
二階借りは、若い頃よりもこのバージョンが
絶対に笑える。フラが素晴らしい
絶品だね。 スレチになっちゃうけど、筒井康隆先生には
長生きしてもらいたい。どうしてるかな筒井先生 米朝の市川堤(厚生年金会館、1970収録)は、個性がしっかり出てるし
売り物になるべきだった名演だよ。
あれさ、客席に幽霊出したり
怪談噺の型だけをご覧頂く とか言わないで
地の語りで締めてれば歴史的な名盤だったのに 地獄八景って長いだけの噺なんだよな
長くて下らない物をどれだけダレさせずに聞かせるかって技術も技術ではあるが、
長い根田を大根田だと有難がる人間が一定数いるせいで、そんな本末転倒の工夫が求められる 米朝が、若い頃に上方落語復興、作品化に
力を分散された感は否めない。だから持ちネタも
滑稽噺が多くなり、圓喬や圓生系のネタが少ない。
才能は志ん朝と
比較しても遜色ないくらいだと思う
もしも、上方落語にしっかりとした土壌があって
米朝さんが芸を磨くことだけに専念していたら
どんな噺家になったんだろうか? そして、枝雀や吉朝、ざこば、南光の人生に
どんな影響があったのだろう? >>115
>>もしも、上方落語にしっかりとした土壌があって
そのたとえで言うなら、正岡容先生は中川清青年に
「上方藝能の研究に励め」と言ったと思います。 あっ、ゲラゲラ笑うのは動画観てる人間で。
客席のウケは同じくらいだよ。念のため >>121
米朝師の玄孫弟子一覧(2022年1月現在):
太遊、遊真、希遊、天使、秀都、柳正、天吾、源太
こうしてみると月亭が多いね。よね一は知らん間に辞めてたみたいね。
漏れや誤りがあったら訂正よろしく。 >>122
よね一は孫弟子やったわ。訂正しておきます。
遊方門下禄遊が知らん間に消えてた。 >>123
禄遊は数年前に廃業してるよ。
かなり早い段階で。 >>125
可林は八方の弟子の方気だと思う。
確かに、はじめは可朝の弟子で協会の系図にも載ってた。
しかし、移籍とも何とも公にされずに、しれっと
八方門下になってた。勿論、経歴には可朝の弟子
だった事は書いてない。 可朝の弟子なんて八方以外の2人はまともに活動してないからな
ハッピーなんていつまでやっていたのか >>127
でもハッチは昔、ラジオのレギュラー持ってたね。
こないだ初めて繁昌亭に出た時は「中風小便」なんてコアなネタやってるし。
「二八浄瑠璃」なんていうネタも持ってる。
可朝はああ見えて弟子の稽古はキッチリつけてたようですね。やはり基本は米朝仕込みの教育法なのかな。
八方は可朝のネタを殆ど若い時からやってるもの。「野ざらし」「坊主茶屋」「住吉駕籠」「たぬさい」「動物園」「餅屋問答」「秘 Eテレの365日の献立日記は
ちょっとだけ往年の味の招待席感がある 可朝とか枝雀(弟が吉本芸人)とか、何かと松竹より吉本とは縁が深い一門 バイデン大統領って
ボケた後の米朝師匠にちょっと似てるよね 上方落語の大ネタで米朝師匠がやらんかったのはありますか? >>133
有名なのは「らくだ」の後半
あれ理由は当人から名言されてたっけ? 棺桶を担ぎ出すところまでだと、明治の設定でも演れるが
千日前の火屋まで担ぎ込むと江戸時代で演らないといけないので、前半から変えないといけない
・・・・・・・トカ何トカヲ見タヨウナ記憶がある
明治3年に刑場廃止と、火葬場と墓地の阿倍野移転があった由 >>133
大ネタと言えるか分からんが、月宮殿はたぶんやってないんじゃないかな >>135
らくだの前半に明治時代を示す要素あったっけ? >>137
「上方落語大全集」版(昭和52年7月17日収録)の演目解説によると
(途中略)「千日前の火屋(焼場)へ運びこんでサゲになるのですが、そこまでやればどうしてもこれがチョンまげ時代のはなしでなければならなくなる。
すると前半もそれに統一せねばならず、私の耳にある「らくだ」のイメージを大分変えねばなりません。
これは実は大変なことなのです。それにこの落語、山場からすぎてからサゲまでの間がまことに難しいので、残念なが途中で切ってやっています。
故人も大抵、普通はそうしていました。いつの日か、腕ができたらサゲまで演じてみたいと思っています。」
>>135の1行目はソース不明。2行目については、ほぼ合ってるかな
>>133
>米朝師匠がやらんかった
笑福亭系の噺は遠慮して避けてたような気がする。「天王寺詣り」、「遊山船」、「船弁慶」等々
5代目文枝が5代目松鶴の元に預けられてた(?)関係で、文枝(5)経由で今では雀三郎の持ちネタになってるが・・・ 名跡カッコ何代目アラビア数字という表記は第何期ディープ・パープルとかを連想してしまう。あれはローマ数字だけど。 らくだの後半ってグロいし面白くないから無理にやらなくて正解だったよな
笑い所の少ない話でもそれなりに終盤盛り上がって気持ち良く終わるものだけど、
らくだは失速して冷えて終わるからやる事だけが価値みたいになってしまう >>137
「上方落語大全集」の速記を見直してみたら
紙屑屋が、ふちの欠けた皿を20銭で買わされそうになって、5銭出してあやまったとか
漬物屋が1銭も貰ってないと言ってるので、ここらあたりが明治を示す要素になってるかと
なお、ざこば演(独演会6版)だと皿のくだりが20銭・5銭で、千日前の火屋へ担ぎこんでる
松鶴演については、只今、チェック中
まっ、いろいろ考証して演じるのは圓生か米朝くらいだろうけど 松鶴演でサゲまでやってる音源で、紙屑屋が落ちぶれた経緯を話すところで
「株に手を出して損をした」というのが出てきた
せっかく、そこまで金の単位を出してなかったのに・・・・・orz >>143
「相場」と言っておけば堂島の米相場があったからセーフかな? 現代物でもギャグでしっちゃかめっちゃかでもなく江戸時代っぽくてそこそこ破綻も無く運んでいるはずのお話でも、急に登場人物の口から現代っぽい事を言わせたりするのはよくある脱線。 >>145
2019年4月2日「桂米二一門会@繁昌亭」での「宿屋仇」のサゲ
「伊八許せ、昨日はエイプリルフールじゃ」
ギャグやクスグリとしてやるのなら、「江戸時代にエイプリルフールはない」などと目くじら立てる人は出てこないでしょうが
そうではない箇所で、「あれ? おかしな事、ゆうてるなぁ〜」と思わせたら、これはアウト 付き合いで行った志らくの会で、噺で「生活」って言葉が飛び出してきた事があった
こっちが恥ずかしくなって顔を背けたら本人も失敗に気付いたらしくてボロボロだったな
帰りに目が合って会釈されたよ 志らくは古典を現代に、と現在な言葉を入れているから、考証をしている米朝と同列に語れない 志らくは稽古しなくなって単純にミスしただけだよ
談志の受け売りで古典で現代の熟語を使わない事の大切さを偉そうに語っていた事もあった >>146
米二師匠らしい茶目っ気のあるオチですね >>150
今、「田楽喰い」をやったら
「阪神、三連続三連戦三連敗で借金9。ガンケル満塁弾被弾で矢野監督呆然、で15本」とか言いそう 米朝さんばっかし聴いてると、
他の人、聴かれへん
ラクダなんか、クズ屋が酔いがまわってくるとこなんか
スゴいとしか言いようない 米朝師の誕生日が松田優作の命日やったんや、と今NHKを見ていて思いました。 米朝師匠の新作落語の草稿が見つかったとのこと。
米左さんのツイートで知りました。 >>138
勝手ながら、上方落語スレの方で引用させて頂きました。 スマホに米朝全集入れて、いつでも米朝師匠の落語が聞けるようにしています。 >>164
ファンならば新品で揃えましょう。
著作物についても同じ。
これは本や音楽についても同様。
推しに金が回るようにするのがファンというもの。 >>165
欲しくなった時に既に廃盤廃刊になってたらどうしようもない
特に新規のファンは 米朝の『由辰』が読売テレビにある筈だけど音源として出てこないのが惜しい。
『新町素見』の音源は持っていたけど6ミリテープに入れちゃったので今は聞けない状態。 >>0140
『らくだ』は後半のほうが遥に面白い噺。六代目・先代馬生・先代小染の最後まで演る演出こそ本格。
名人文吾が殆ど前半しか演らなかったのは文吾の勘違い。皮田の春團治の『らくだ』が聴きたかったな。 米朝事務所はYouTubeのアップロードにやたらうるさい乞食事務所 今回
保険屋もディーラーも
本当だパーマかけたらかっこよくね
明日は無理なのわかってたけど今は違うだろ
内閣不支持にこぎつけるシステムやから性別逆にすると難しそう その人達に興味がないからモリカケと同じで将来安泰て
二人で終わる
フィギュア関係者はツールでフィッシングサイトを大量生産・管理している模様 というか
糖分はけっこう取ってると思うな
その枠やNHKドラマ質が良いだろうにな
含み損増えちまうが暴落楽しみにしてないんか?
助けてくれだしな 「私の履歴書」再読
他の著作などで詳しく書かれていることが多いのは媒体の関係上仕方が無い。姫路に呼び戻した叔父とはどんな人物だったのだろう。 NHKーBSで再放送中の、かつての朝ドラ『オードリー』で、生前のお姿を確認できる。