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ところが 平安神宮会場に加藤ひさのさんも川越も姿が見えないので 「 何でいなかったのか 」川越に電話をかけたら
加藤さんが 転んで 顔、鼻をうって 病院探して 医者に見て貰って 最終で東京に帰って来た。ということでした。
「見なかったんですか? 」と尋ねると 着物が血だらけで 大変 それどころじゃないと 起こられました(*_*)

加藤ひさのさんに電話をかけたら、顔が、お岩さんになっているという話でした。
とても人前に出られるような状態でないと話ていました。
能楽師囃子方人間国宝 亀井忠雄長男 葛野流宗家亀井広忠と 藤間勘右衛門/尾上松緑の藤間流で一緒にお稽古している女性の結婚披露宴までには
紫のアザが引くだろうから我慢していると話ていました。

結婚式の翌日かな?夜に 電話をかけて 「 結婚式は 」と尋ねると
「それが、顔がお岩だから いかれなかったのよ。」
「えーー、マスクして行けば良かったのにーーー(*_*)」
「 そんな御目出度い席に、、目の回りも 額も 顔中アザがひかないのよ。」と
どちらの電話も
「 玉三郎さんも 番頭の清水さんも なにも言ってこない。」と
「 番頭さん、知らないんじゃないの? 」というと「番頭さんの目の前で転んだから 知ってるわよ、 変ね。 」と 話ていました。

川越から電話がかかってきて、「貴女が電話をかけた日の 翌日電話がかからなかった。 」


亡くなったのを知りました。
加藤ひさのさんのお宅には 2度ほどお邪魔したことがありました。
加藤ひさのさんは、過去にご自身が入院された月の玉三郎公演「ぢいさんばあさん」だったそう。
以外全公演見ていていました。藤間勘紫恵と並んで見ていたそうです。
その入院した時に 玉三郎が贈って来た50本かな?薔薇のアレンジメントの写真を名刺入れに大事に入れていたのを見せてくれました。

年だから中国には行けないわ。と言うと 中国の壷の刺繍絵の額を頂いたと 見せて頂きました。
まー、兎に角 家中 玉三郎に貰った 押隈の額装 鏡獅子 船弁慶の青隈だか紅葉狩の青隈?紅葉狩かなー
玉三郎のお母さんに頂いたなんとか 玉三郎が選んだ着物だの玉三郎尽くしでした。

静岡のお茶屋の娘で 地方銀行頭取の妻 藤間流で表彰される程日本舞踊が踊れる 未亡人でした。