【落語家】故人総合スレ
今は亡き落語家たちを懐かしがり、慈しむための総合スレです。明治から令和まで、どの時代の落語家の話題もOK。特定の落語家やファンを貶める行為はご遠慮ください。 >>750
同じくそう思う 家族が葬儀も何もしない事は何かある >>755
今更かw 誰でも知ってるのに知らない振りしてたんだ
噺家でマネジャーいたのこのオッサンだけだろ 小三治って死んだの?
ネットニュース検索しても訃報の類は全く出てこないんだが 観測してる限り本人凸るやつまだいないからな
ここでもみんな訳知り風だけど
誰か行くかなって待ってるだけ >>761
こさんじ死んだんだよ もう直ぐお前みたいだよ >>748
俺この人と同じ状況だけど、俺がこうなったのはリアタイしてて悲しかったから
小三治の特番も録画しかしてない >>767
5chに書き込みしてる時点で負けでしょ 高橋克実はNHKの志ん朝特集で言ってたな
「全てが素晴らしい美しい」的な >>54
からくり人は再放送で見たけど、旅回り一座の咄家という役立ったね。>志ん朝
相手を話術で催眠術にかけて高所からダイブさせて仕留める、という仕事人設定。
途中回で射殺されて降板。(高座とのスケ調整問題か、小さんや馬生あたりに嫌みいわれたかかな?) 小円遊は酒で人生を滅ぼした
じつに惜しい噺家だった 柳朝も大酒飲みで身を滅ぼした
談志は柳朝にさんざんいじめられた >>775
本編では催眠術に代わったけど、脚本案では扇の骨の部分に仕込んだ針を抜いて投げ、相手の額に刺すって技だった 速報
小三治さん亡くなったそうです
さっきラジオで速報流れました >>781
いま東京かわら版に追悼号出てるよ。
対応早すぎ。亡くなるの知ってたみたい。 志ん朝は「医師にこん平には気を付けなさいと言われる、いくらでも飲まされてしまいますから。梅橋と小圓遊がやられ、次はあたしだ(笑)」とネタにしてたな
…その2年後。。。 かわら版、小三治師匠の追悼号にあのマネージャー出てきてたな >>790
おっと、剛藏をも蕩かす稀代のミミズ千匹・みぃみの悪口はそこまでだ! 演芸評論家って楽そう
つい、数日前にtweetを見たばかりだと思っていたのだけれど……。実は最後まで面白さがわかりませんでした。「モヤさま2」で自宅を訪れていました。合掌。 六町の区画整理再開発に伴い一時一ツ家で仮住まいすることになったが完成まで間に合わなかったんだね >>792
円楽亡き後は伊集院がそのポジション狙ってそう >>797
晩年ノイローゼになっちゃったけど息子が常識人な感じだから父親としても比較的まともな育て方をした部類の人なんだろうなとは思う なんてったって神戸大だからね、なんで落語家になっちゃったって感じの人だったと思う。 明大卒の三平や青学卒の円楽の息子がかなりアレだからな
この人達は周りの評判の割には父親としてはダメな部類の人だったんだろうな。 落語界最後の人間国宝、小三治さんのご冥福をお祈りします 枝雀は60年以上前で神戸大、英語も得意で普通に一人の人間として優秀だったんだろうね
芸は良くても人間ムチャクチャも多いが ギャグ漫画家も狂うっていうし、真面目な人がお笑いを突き詰めるとヤバい領域に行っちゃうんだろうね。 真面目な人が躁鬱で狂うくらい打ち込んで後世にも影響を与えた一つのスタイルを生み出したんだから、生涯を含めての伝説なんだろうな。 百日寄席って黒門亭みたいなもの?
歌詞席で客がつばなれしなくても鈴本は損しないっていう。 >>761
小三治って喜多八のところにいた小八が継いだんでしょ? 幼い頃の米ボンの子守り、可朝がお姉ちゃんウケ狙ってアルサロに連れていったというエピソードに対し、
枝雀は米ボンが泣き出すまで河原に放置してブツブツ思案しとったという話
軽く恐怖を感じる >>805
なるほどそういうことか>百日寄席
クラファン資金で開催ってこと? 寄席支援金75,000,000÷5(新宿、上野、浅草、池袋、広小路)
=鈴本の取り分15,000,000÷100(日寄席)で150,000
つまり、鈴本の貸席は半日15万ってとこか。 死去は公表されてないので福車は肝不全、三弥は自殺だっけか チシャ猫のかっこよいやつみたいだったな喜多八
早すぎた登場も退場も 円弥文朝もつらいのに、喜多八だからな
10年は早い感じの芸風だったね前部が細かくて 黒門町は神谷幸右衛門の名前を忘れて絶句して「勉強をし直してまいります」と下がったのが有名だが
実はそうではなくて「ようこそのお越しで〜」のお馴染みの口上の後黙ってしまい
「稽古し直してまいります」と言ってさがったという話があるが知ってる? そもそもその事実自体が今となっては怪しいんだよな
直後に上がったという談志だって全く覚えてなかったみたいだし TBSの研究会での出来事だから音源はあるんじゃないの
出回ってるかは知らんけど それだって本当に残ってるのか本当にあるのかは分からない
同じ系列の毎日新聞記者をして「見つからない」「お蔵入りにされた可能性がある」レベル
https://mainichi.jp/articles/20201210/k00/00m/040/231000c もし事実ならその場に居た人の証言録とか沢山あっても良いはずなのに
途中で降りたなら後の出番の談志が気付かないはずがないよな 京須の著書に楽屋で円生と正蔵がもしそうなればどうすると話し合ったとある
正蔵は神谷なんちゃらで逃げてしまうといったとか TBSのプロデューサーだった出口一雄が袖で出迎えたとき三代目になっちゃったと文楽が言ったらしいが
絶句に関する異説はここにもある
mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=459018&id=70530401
文楽の前に小満んが上がってるから小満んは真相を知ってると思うが 文楽の弟子、たとえば当代の文楽は何か言ってないのかな 小満んは文楽が失敗したときの挨拶の練習をよくしてたと振り返ってた 当日の落語研究会42回は談志、馬生、圓生の映像が残ってる
文楽のもあるかも 高座に上がってすぐ降りたなら、出番が異様に早まった談志が覚えてないはずがないでしょう
談志が後から話を聞いて知った、気付かなかった的なこと言ってるのはおかしい 落語はろーにその時の談志の高座の喋りだしがあるけど
どうも空席が多いことを言ってるようで 1971年のことだからまだまだ当時を直接知る人は多いと思うんだけどね
まあ芸人のエピソードだから、色々と面白おかしく話が盛られるのは当然だろうけど、
一方において稀代の名人の最後の口座の話だから、
そう軽々に脚色しないでほしいとも思うね 当時担当してたのが川戸貞吉さんでしょ
あの方は自分のコレクションから黒門町の名誉のために
晩年の不出来な録音は消したそうで
出口一雄さんもそういう主義だったそうだが
TBS所有の録画は消したかどうだかねぇ 文楽は噺を口ずさんでいたり復帰の意欲もあったともいうが 神幸の名前を忘れたというのは完璧主義の黒門町のエピソードとしてはできすぎにも思う
実際は体調不良で下がったとかありそうだなあ >>833
晩年の先代圓歌の漫談おもいだした。
「いま文楽師匠に倣おうとしたら落語協会大変だよ?
会長小さん以下みーんな引退しなきゃならない。
小さんさんなんて楽屋にもどって「おいおいまた間違えちゃったよ」ってしょっちゅう言ってんだから」 >>822
文楽が中入り、談志が食いつきだったんじゃないの
文楽が平場で出るとは考えにくい 文楽は大量吐血して亡くなったからなお悲惨
志ん生小さんのように老衰で大往生ならば文楽のエピソードもそこまで強調されないと思う >>835
小満ん文楽談志小さん馬生正蔵圓生の順。小さんで中入りだろうね
文楽が2番目に出ることはちょくちょくあったようだ >>836
大往生なのに、弟子たちに最期の日をネタにされた先代圓歌師・・・ >>823
不仲と聞く2人がそんな話をすることもあったのか 木久扇のインタビューに正蔵と文楽は一番仲悪かったとあるけどあまり聞かないね
圓生正蔵は有名すぎるけどこの2人は芸風も違うし正蔵はずっと売れてないから衝突しようがないと思うが >>841
落語協会分裂騒動の根本的な原因は圓生正蔵の不仲だと見る向きもある。
小さんが会長就任してから相談役の圓生を棚上げして正蔵をご意見番として箔付けしたのが気に入らない、真打ちの定義云々は後付けの話だという一説だ。 圓生は分裂騒動の5年前にも真打の昇進基準で対立して寄席を休席したらしい
会長辞めて1年だから正蔵の処遇からくる不満は関係ありそう
しかしなんでそこまで不仲なのか。馬楽から正蔵襲名時に円生があの人に無理と陰口叩いたからというが本当かね >>336
名前の読み間違いはさておき、尾崎豊の曲に共感を感じた馬圓楽、全く理解できなかった談志。わかるような気がする。
理想論や壮大なことが大好きな馬圓楽。
現実とおカネが何より大好きな談志。 小さんも枕が血で染まってたらしく心筋梗塞といっても苦しかったのかもな 小三治を五代目小さんにするときの後押し、後見人が文楽。
馬楽はそれに納得がいかず暴れに暴れた。
馬楽正蔵から見れば文楽小さんは許しがたい。 明日深夜3時(月曜早朝)からのなごやか寄席で小圓遊、先代柳朝、先代文治、圓蔵 上方の名跡も強奪しまくったし
先代文楽は色々アレだな
ペヤングは存在は軽いけど人畜無害 先代文楽は女性関係もね
晩年の衰えはヒロポンの影響もあるだろう。肝臓にも影響出るらしいし 名跡うんぬんは五代目左楽仕込みの政治力でしょう
小さん名跡もだが
三木助も桂米朝に行くはずが
黒門町が握りこんで三代目三木助を作っちゃったんだから それは時系列がおかしい
三代目が死んだあと四代目を米朝にって話だったはず
大阪側の事情(松竹との関係とか)で米朝が断念した 2代目三木助は大阪だから戻したいのもあったんだろう
興行で儲けたいというのが分かって米朝は嫌になった 3代目は2代目の弟子だった時期があるけどほぼ形だけだったろう
師匠の家で毎日昼まで寝てる弟子なんてのはないもの