★歌右衛門の思い出★ Part.3
(初代の歌右衛門スレより)
2 名前:重要無名文化財 :2006/12/11(月) 15:18:23
永遠のライバル 我童丈と合わせてお語りください。
↓ 我童丈のスレが二つあるので古い方からご活用ください
《2006年12月より》
[最後の]片 岡 我 童 [女形]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/rakugo/1166329954/
《2021年6月より》
◆ 片岡我童を語ろう
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/rakugo/1624894021/ (前スレより)
985 名前:重要無名文化財 :2021/12/16(木) 22:11:56.42
もう亡くなられたのでスレも終わらせましょう
↑
そもそも、このスレの実質Part.1 が作られた時点で
既に六代目中村歌右衛門はお亡くなりになってたから
スレタイが「歌右衛門の思い出」な訳で
985のレスはおかしいと思う 思わず吉右衛門丈のとこに強制終了されたのおかしくないって書いちゃったけど、本当にびっくりした。
みなさんぽつぽつ書き込んでくださるのを読めるっていうのが良かったのに、温かい目でみれなかったんでしょうかね。 現役時代の6代目・歌の舞台を観ていた人も若くて50代以上、観客席をも巻き込む
あの緊張感の舞台、今の歌舞伎舞台からそんな舞台は皆無、なんだったのだろうか?
不思議な役者でしたね。息を詰めて観ている観客も疲れましたが、共演者も張りつめ
ていて舞台上の空気感は客席全員を芝居を見た充実感で腹一杯にしましたね。
今はない芸風の歌右衛門の思い出、です。 歌舞伎ましょうで梅玉さんが歌右衛門さんのゆかりの地紹介?
みたいの配信されるようですよ 玉川病院の「中村歌右衛門の紅梅」の木の名札?
ひび割れてるし何よりあの字!
何とかならないか小学生みたいな
地元の能書家なりと頼めば良かったのに 新・にっぽんの芸能
恋した相手は平安貴族「須磨の写絵(うつしえ)」
初回放送日: 2022年5月20日
令和3年9月の歌舞伎座から、六世中村歌右衛門が愛した歌舞伎舞踊の名作を、主人公・行平を演じた中村梅玉の副音声解説とともにお届けする。
https://www.nhk.jp/p/nippongeinou/ts/WQ5LZL255N/schedule/te/3L6R6M5719/
5/26、27に再放送
歌右衛門のこと副音声で語ってた 365 重要無名文化財 2022/05/15(日) 10:40:45.95 ID:2Dlizlv8
>>362
やはり歌右衛門の指導を受けられたのは大きい
しかも歌右衛門から竹本葵太夫を受け継いで、葵太夫を育てたのも吉右衛門の功績
こうやってみると高麗屋とは全然違う経歴だし、人間国宝は当然って感じだな
逆に高麗屋が全然経験を積んで無いことも分かる 舞台に命を懸ける、何時からか歌右衛門にはその姿勢が、今の役者連にはそんな気持ち
あるのでしょうか、若手陣は兎も角、40代になったらその気になって欲しいね、今の
大御所?と云われている人たちも若い頃は失笑物の人も結構いましたから、頑張れ次代
担う役者たちよ・・! 老人の遠吠え。 若い人たちはみな頑張ってるのになかなか披露する機会に
恵まれない
それが一番の問題
歌右衛門が物凄い名優だったことは確かだけど
その点に関してはどうだったのだろうね 今 つべでSKDの東京踊りを見てるんだけど
小月冴子さんという方に歌右衛門丈の面影を見た
戦前入団で戦中慰問も経験されたとの事
この映像でも高齢だと思うけど黒燕尾を着こなして
良い意味で濃いのよ 舞台役者はこうでなくっちゃ
スレチだけど この東京踊りフィナーレは素晴らしい
宝塚には無いビキニやヒップラインを美しく魅せる衣装に
最初は驚いたけど今はうっとり
マーチングもドラムメイジャーの将校服の下半身はレオタードで
他の皆はビキニ!この目で見たかった 昔の俳優祭で、歌江さんが
大成駒のモノマネしている
動画とかネット上にないですかね?
もう一度見たいです。 そうですね、歌江さんはいろいろな人まねが超1流でしたね、俳優祭では楽しい思い出で
すね。六代目が大事にしていたお弟子さんでしたね。映像があれば私もぜひ見たいです。 魁春さんの舞台姿、亡き6代目にだんだん似てきた、舞台を引っ張る力量とあとは裏の
政治力、6代目なら決して許さなかったであろう役者連の勝手な振舞、最近は多すぎま
すね。梅玉さん共々もう少し押す力を身に着けてください。 魁春に今更そんな力を振るうことが出来るわけ無いだろ
寝言を言うのも大概にしろ 実力と人気、これが付くと歌舞伎役者は怖いものなし、しかし衰退する歌舞伎に復活は
テレビに出ないと知名度の上がらぬ現在、素が見えすぎて芸能界も身近な存在、明治・
大正・昭和の役者連は神聖化されていたからな。 十一世團十郎を襲名した翌年の正月公演でのお富の映像は貴重
その3年後に團十郎が逝ってしまうとは・・・・。 11世団十郎襲名の翌年、このお富とは六代目中村歌右衛門のことですよね・・・ 政彦でいいでしょう。孝彦の事は気の毒とは思えません。 政彦さん、さぞお辛いでしょう・・・
もうそろそろ、こちらへおいでになられては・・・ 観客・登場の役者、劇場全体を緊張間で包み込むあの力は六代目以外感じたことがない事です
よ、どうしてあの雰囲気で覆いこむことができたのでしょうね、他のどの役者連にもない凄い
としか言いようのない役者でしたね。 体も声も小さいし、動きも不自由が目に見えるのに、
どうして何時も強く惹きつけられるのか、不思議でした。 十七世勘三郎と共演した「一本刀土俵入」が忘れられない これはDVDが出ているね、元気な舞台姿は今もビデオで沢山残っています、実際の舞台では
無理・・ですが片鱗でもご覧ください。 あのDVDの全集、
歌右衛門の娘道成寺と阿古屋を採り挙げなかったのが不満。 >>42
>>43
ありがとうございます
DVD「一本刀土俵入」ですね 1969年(昭和44年)歌舞伎座初演「建礼門院」7幕10場、歌右衛門の為北条秀司の
書下ろし新作歌舞伎、当時の歌舞伎俳優が大挙出演の名作舞台、1995年(平成7年)すでに
体の不調で全編出演は無理と最後の大原寂光院の場だけが歌出演で上演、これが最後になるかと
不住な体での出演を ハラハラと観たものです、このDVDは出ています、殆ど最後の6代目の舞台姿、ぜひ観て欲しい 初演で絶賛の2代目鴈治郎の後白河法皇、すでに没していた鴈治郎に変わり自身で指名懇願した
島田正吾の後白河で上演、この頃島田も90才を越えていたと記憶、素晴らしい舞台でしたね。 清盛を八世幸四郎が演じた舞台を見たよ
昼の部の通しだったな 放送もされましたね。ただ、予定日に不幸な事故が起こって
延期になって事を覚えています。VHSテープに録画して後に
デジタル化しました。何回見たか判らない。奇跡の一幕。
法王役は、最初は滝沢修を交渉していたという話もありますね。 >>46
>>47
DVD「建礼門院」ですね
ありがとうございます 十七世勘三郎との共演では「隅田川」もDVD化されていますね。
ただ、もう一本収録されているのが先代雀右衛門の「英執着獅子」
という余りにも対照的なラインナップでして。 アメリカのメディアが撮影した歌舞伎紹介のカラー画像が鮮明で凄く綺麗
歌右衛門の道成寺、十一世團十郎の助六、羽左衛門の暫
いつ頃撮影したんだろう? >>54
それ見た事あります!道成寺の後見は鶴助さんでしょうね。 昭和31年7月に上演された四谷怪談がYoutubeで見れるのが有り難い
歌右衛門、幸四郎、中車、宗十郎、猿之助という素晴らしい配役
二役を演じる歌右衛門がじつにいい
当時はビデオがない時代なのでフィルムで撮られたものなので
映像はあまりよくないが貴重な動画だ >>57
バカなことを書くな
他の歌舞伎動画も削除されたらどうするんだ
興味あるやつは情報共有される必要もなく検索しているだろうに ケツの穴の小さいことを言うんじゃねえ
この臆病者めが
みんなが楽しめればいいことだろう 横から
削除されたら、皆んなが楽しめなくなるって話だよね >>59
>>61
5ちゃんに書いたくらいで削除されませんよ
それもこんな過疎スレッドで…… アカウントごと削除に追い込まれた事例は見たことあるけど、削除されちゃった名前まで覚えてないからな 国立で観た女清玄はよかったな
吉右衛門の猿島惣太の悪役ぶりがとくに印象に残ってる
あれで吉を見直したもの >>57
フィルムで撮影されてるからいまでもなんとか鑑賞に堪えることができる画質なんですよ
これが当時としてビデオ撮影してたらとても見られない・・・ 戦時中に食べたホッケの刺身が美味かったと熱弁しておられた。 歌舞伎アメリカ公演のときにゲーリークーパーと会ってる
そのときの貴重なフォトが残ってる 歌舞伎界随一の国際派でしたよね。
「飛行機に乗ったら、ほぉっとした」
と宣うておられたのを覚えています。 うろ覚えだけど
海外公演に熊のぬいぐるみ連れて行ったとき
同行してた天王寺屋が毎朝食の時に横に座ってるぬいぐるみにも「おはようございますっ!」って直立不動で挨拶してたらしい
帰国する前の日に「いやぁ~しかし○○ちゃん(くまの名前)は本当にカワイイですね」って褒めたら
「あなたあの子はただのぬいぐるみですよっ」って一喝されたって話 前にあった「建礼門院」舞台、足がすっかりダメで久々の登場、手を引かれ腰を掛け芝居を
進めるもラストに舞台中央に歩んできたとき、あっ、歩いている、客席にジワが・・・
子供頃からの足の不自由さをかばいながらの舞台、芝居出演はほとんどこれが最後だったよう 一生涯最後の舞台になった一度限りの関寺小町でも
ほんの少し杖付きながら歩いてはおられましたね。
でも腰掛けた状態からちょっと立ち上がっただけでも、
何というか、上手く言えないのですが、迫力の様なものが
強く感じられました。良いお姿だった。 足の不自由さをまったく見せなかった根性、精神力は頭が下がる
あの人こそがプロに徹した役者であった
初代吉右衛門のもとで修行したことも大きなプラスになったんだ 関寺小町、この頃、山川静夫アナが現役でよく舞台中継がNHKであった、この時も六代目が
出演予定があるとの前日情報が突然無理との話が起き中継中止に、しかし当日朝になり出る
情報が、あわてて劇場にカメラを出動、放送が出来たと山川が話していたのを聞いた。彼も
6代目の大ファン、歌についての書籍もありますね。 山川さん、お元気ですかね?
最晩年の淀川長治さんと対談された時、淀川さんが、
あんたとこの世で逢えるとは思ってなかったの、
と仰ったのが忘れられません。
淀川さんは確か歌右衛門さんとも対談されている筈です。 「沓手鳥孤城落月」では舞台上で酸素マスク吸いながら出演してた 建礼門院の半年前ですね。あれは痛々しかった。
しかし何故NHKは歌右衛門の糒倉を収録しなかったのだろうか?
代表作だと思うのだが。 >>83
>>84
山川静夫さん、懐かしいなあ…… 歌右衛門最後の道成寺のときの聞いたか坊主が豪華メンバーで凄かった
吉右衛門、福助(いまの梅玉)松江(いまの魁春 )勘九郎(後の勘三郎)
八十助(後の三津五郎)などたいへんなご馳走であった
あの舞台は目に焼きついている 山川静夫は脳梗塞からリハビリで奇跡の復活をしていまだに健在
ヨドチョーは歌舞伎通としても知られ
とくに三世梅玉が大のお気に入りでいろいろな歌舞伎役者とも交流があった そういえば山川静夫とヨドチョーの対談は面白かった
山川がヨドチョーの「よかったですね〜、よかったですね〜」の
フレーズを真似をしたもんでヨドチョーが「まァ、いやらしいわねこの人」と言って
山川の膝をつねったもんだから山川がイタタタと痛がっていたっけ ヨドチョーさん、山川さんに
あんた、歌右衛門の声色うまいなあ、
って言っていた。 歌右衛門最後の道成寺、すなわち歌右衛門、芝翫の二人道成寺。
昭和64年1月2日に放送された筈ですけど何かで放送時間が急に
変更になって録画に失敗してしまったのがどうにも悔やまれる。 淀川長治さんは「ヨドチョー」という呼び名を嫌っていたんです…… 海外の有名人たちは初来日したとき必ず歌舞伎鑑賞をする
チャプリン、コクトー、カラヤン、バーンステイン、フレーニ
数多くて書き切れない コクトーが歌舞伎鑑賞したとき、あそこにパリジャンがいると
そのときの印象を述べた役者がいた グレース・ケリーは女五右衛門を観に来られたそうね。 ブリテンは来日したとき日本の能楽「隅田川」を見て感銘を受け
「カーリュー・リヴァー」を作曲した 隅田川と言えば、ジョン・レノンが来日した時、
たまたま歌右衛門の隅田川を見て通訳も通していなかったのに
痛く感動してボロボロ泣いていたというのは有名な話。 >>98
その時に是非モナコへ、と誘われていたけど
間も無く事故で亡くなられてしまって、その後
歌右衛門は、モナコ王宮に入る機会を失った事を
返す返すも残念だわ〜と非常に悔やんでおられたそうな。 >>96
>>97
「歌舞伎と海外交流」とかいう専用スレッドを立ててみたらどうだろう??
そうすればスレ違いにはならないので なんか3連投してケチをつけてる心の狭い人がいるけど
なんでだろう?
よほどケツの穴が小さいんだろうな 没して22年【84才)今でも彼の舞台について書き込みする人たちが次々とある事こそ
六代目の人気と功績でしょうね、歌を目指す大和屋もこの頑張りを見習ってもう少し頑張って
欲しい、歌舞伎ファンとして希望です。 いくら歌右衛門スレとはいえ単に六代目と表記するのは混乱するからやめれ あのね、あなたね、何も菊五郎のおじさまだけが六代目なのではなくて、
わたくしも、れっきとした、六代目、でございますんですよっ。 >>110
wikiより
歌舞伎界で単に「六代目」と言うと、通常はこの六代目尾上菊五郎のことを指す。 亡くなった母は六代目とは言わず音羽屋さんと言っていたぞ
娘時代にさんざん歌舞伎座に通って舞台を見てたから
もちろん戦前、名優がずらり揃っていた時代だ 歌右衛門の現役時代の観客で歌右衛門を六代目なんて言ってる人は皆無だった
成駒屋とか大成駒とか言っていた 確かに歌右衛門現役時代、6代目などと私自身も呼んだことがない、語る時は歌右衛門
でしたね、どう呼ばれようと旅立った歌右衛門は再出しない偉大な女形でしたね。舞台姿
を見た昭和時代の歌舞伎観客は・・それを紛れもなく見たのだ!! >>115
>成駒屋とか大成駒とか
ふつう、それですね 五代目亡き後の歌右衛門を引き取り面倒みたのが先代吉右衛門
いままで弟の三代目時蔵が相手役だったのを歌右衛門に切り替えたため
時蔵が激怒し、播磨屋を出て萬屋を立ち上げた 昭和46年、初代中村錦之助ら小川家一門が播磨屋から独立して名乗りはじめたのが萬屋という屋号
>>118は勘違いしている それでも錦之助は吉右衛門の伯父さんのような役者になりたいと公言していた 三世時蔵は6人の男の子に恵まれたが大成したのは
長男の四世時蔵だけ ものすごい美貌の女形で将来を期待されたが
人気爆発で休みのない公演日程が続いたことで疲労がたまり睡眠薬への依存度が増し
結果的に1962年1月に睡眠薬事故のため、34歳で急死した
この知らせを聞いた大谷竹次郎は人目をはばからずに号泣したという 四世時蔵最後の舞台が十七世勘三郎との石切梶原
急死の知らせをうけた勘三郎が終演後の舞台に出てきて
観客に知らせた 場内では驚きと悲しみのどよめきが起きた 4世時蔵現存ならば今の歌舞伎も変わっていたかも、美しく古風でいい女形になられて
いたでしょう、これある女性と同時刻に薬を・・と云う噂もありましたよ、必死に松竹
相手側の家とが打ち消しに周り外にはほとんど漏れなかった、当時の幕内の秘密で・・。
歌右衛門の善き後継者になっておられたと思います、残念な死でした。 その心中疑惑については前スレでも話題になりましたね。 youtube検索で新歌舞伎一本刀土俵入り・牧の方の稽古風景、歌右衛門の元気なころの稽古風
景いいよ、又牧の方の舞台映像も素晴らしい、怖いほどの表現方法、ぜひご覧ください。 辰之助は女と酒に溺れて役者人生を台無しにした
三之助時代の二人に遅れを取ったことが自分を追いつめた
父親がいたんじゃ松緑を継げるわけないのに
小心者だったんだな 牧の方・稽古風景、脇のキャスト懐かしく消えた人達や今活躍の人の若き姿を見ることができます。 >>127
そもそもスレチだし
そもそも遅れをとっていないし 三島由紀夫は歌右衛門が大のご贔屓であった
歌右衛門のために新作歌舞伎を書き下ろしている 歌右衛門には跡取りがいなかったから
福助、松江を養子にしたのだ 鰯売恋曳網は三島由紀夫が歌右衛門のために書き下ろし
昭和29年11月に歌舞伎座で初演された
三島にしては娯楽的な作品で高い評価をうけた ちょっと前のクラシック板に誰でも知ってることを微妙に勘違いをまじえてうわごとのようにつぶやくおじいちゃんがいたけど同じ人なのかな 鰯売恋曳網初演のとき山川静夫は初めて勘三郎の楽屋を訪問した
山川と勘三郎は親交があり舞台で勘三郎が早変わりのとき
勘三郎の声色を任されたほど上手であった 歌右衛門・勘三郎共演の谷崎の「盲目物語」2役の勘三郎駕籠に乗りこの間に早変わり
駕籠の中から聞こえる勘三郎の声、これを山川が喋った、上手い声色でした。話は違うが
疑似古典で書かれた三島歌舞伎最近は上演が無い、見たいものですね。「鰯売り・・」
ばかりの再演「地獄変」とか「娘ごのみ帯取り池」上演できそうなもの色々あるのに・・。 >>137
あーこの上、後ねだりは無かろうな。
(ご安心なされませ)
これで許してくれよ、ははは。はや行け。 >>136
鰯売の初演の映像、手元にあるのでたまに観ています。
三島歌舞伎では、椿説弓張月を再演して頂きたいです。 山川静夫は学生時代に仲間と上手、下手に分かれて
高島屋! 三越! といたずらをした これが大ウケした
いい時代だったんだな >>139
こんな過疎スレッドで自作自演をして、どうするんですかw
ちょっと自意識過剰すぎるw この下品な反応をみるとこのスレのボケ老人はクラ板のステイン爺か??? 歌右衛門とは関係ないが「椿説弓張月」3代目猿之助が歌舞伎座で再演、やはり初演の豪華
配役がよく猿之助も見せ場たっぷりで出演、大作で疑似古典としての三島歌舞伎、面白かっ
た。鴈治郎・玉よかった。三島は気に入らないようでしたね、文楽用に書き直したが切腹で
未完、残念! 三島由紀夫は文士劇にも出たことがある
石原慎太郎の助六に意休役で共演している >>145
「低能」という下品な言葉遣いが、
歌右衛門さんのスレッドに全く合ってませんね >>139>>144 御殿の場の政岡を見ておいてほんとうに良かった
八汐を勘三郎が憎々しげに演じたのも凄かった
勘三郎は憎ったらしい役と三枚目役をやらせると絶品 ↑ これ17代目勘三郎のことでしょう、歌は出ていた記憶がないが・・・ 赤い陣羽織は奥方を市川翠扇がやりNHKに記録されている 十七世勘三郎の舞台を見たこともないガキどものやっかみがスゲエなw おじいちゃんスレタイも理解できないほどボケちゃったの 新派も衰退の道をたどっていますが歌右衛門主宰の莟会で「滝の白糸」を歌の水島タマと伊志井
寛の村越欣也、脇は劇団新派で上演、上演記録がNHKに、又、章太郎追善興行で翠扇のお蔦・
八重子の妙子、歌が小芳,新派芝居にも歌右衛門は挑戦、新派俳優とも共演があるね。白糸は
映像しか見てないが小芳は演舞場で拝見、歌舞伎とは違う歌右衛門を見た鮮明な記憶がありますよ。 8幸四郎、2松緑との関の扉
歌舞伎座と国立で観劇した おまえは歌右衛門の関の扉も見たこともないニワカ
バッカじゃねえの
知ったかぶりする小僧には困ったもんだ 誰が知ったかぶりしてるって?
>>116や>>127だろ? >>164
八世幸四郎との関の扉はDVD化されていますね。宗貞は梅幸。 渡辺保の著書「歌右衛門伝説」1995年11月歌舞伎座で再演,2幕物として新たに北条が
纏め歌右衛門出演は2幕全部の出演は無理ゆえ1幕を雀右衛門が勤め次の大原御幸のみの出演
歌右衛門78才島田89才、誰もが演じきれない2人の「大原御幸」でした、DVDがあります。
この書物6代目歌右衛門の記録です、一読ください。 >>168
>歌右衛門の関の扉
YouTubeで観れますよ 歌右衛門の阿古屋を引き継いだのが玉三郎
女形の難役でいまこの役をこなせるのは玉三郎だけ 梅枝と児太郎が阿古屋を教わって
2年連続で上演した
まだ拙い点は多々あるとは思うけど
再演したら梅枝が玉三郎の芸をしっかり受け継ぐだろう 五代目歌右衛門は楼門五三桐も演じた
亡くなった母が娘時代に観劇したことがある 五代目の楼門はレコードになっていて音声がYouTubeに投稿されていますね。
久吉は十五代目羽左衛門。 晩年は鉛毒に犯され座ったままの演技だったと聞かされた >>179
> 十五代目羽左衛門
伝説の役者さんですね
(スレタイの6代目歌右衛門さんとは関係ありませんが) 大分前に無声のカラーフィルムで残っていた車引の映像を見たのですが、
時平が五代目歌右衛門、桜丸が十五世羽左衛門でした。
他は、松王丸が六代目菊五郎、梅王丸が七代目幸四郎、杉王丸が二代目松緑。 五世歌右衛門が道成寺を訪問した時の写真を見た事があるけど、
駕籠みたいなのに乗っていた。六世は道成寺に行った事はあるのかな? 「合邦」の玉手、歌右衛門・梅幸・藤十郎・菊之助・徳三郎など色々な役者で見たが通しで
演じていた国立の梅幸は素晴らしかった庵室だけでは歌右衛門が一番でした、庵室だけだと
梅幸はアッサリで見せ方の違いが歌とはっきり違って二人の芸風の違いがよくわかる演目で
す。 演出も大分違いますね。
梅幸さんのは無駄が無くて解り易く、
歌右衛門さんのはクドいくらい丁寧を極めている印象。 >>186
>歌右衛門さんのはクドいくらい丁寧を極めている
全く同じ感想です
「合邦」について >>185 歌右衛門のを見るまで梅幸と文楽しか見た事が無かったので、
特に最後の辞世を残す所はビックリしました。幕切れの満足?そうな笑顔も印象的です。
ただ、心理表現のヒダが細か過ぎて、嫉妬の乱行に至るまでの何箇所かで、
如何にもこれは佯狂ですよ、という様な瞬間を見せられるのには少し興醒めな思いもしました。 手負いになって以降はまさに歌右衛門の真骨頂を見せつけられる印象で、
特に、俊徳丸の回復を激しく喜ぶ所は凄絶ですね。私がこれを見たのは
10代でしたけど「愛」とは何かという事を教えられたかの様な気がしました。 歌右衛門は映画にもテレビにも顔を出さなかった
舞台のみに専念した真の歌舞伎役者 歌右衛門のクドイ芝居の最高峰は加賀見山の尾上、草履打ちの後の花道の引っ込みたっぷりで
あの歌舞伎座の花道を数分かかって鳥屋まで、その間、息をつめて見つめる観客も尾上の姿が
消えた途端あぁ・・と吐息が・・、役者も観客も緊張、観客をあそこまで引っ張ってゆく俳優
今までもこれからも出ないだろうね、疲れる観劇bPの役者ですね。 拍子木を打つ人が毎日鳥屋に呼びつけられて、
今日は遅い、早い、尾上の気持ちになれ云々と説教三昧だったそうな。 確かに疲れるのかも知れないけど、自分にとってはそれ以上に何か
凄く良いものを観たという様な大きな満足感を得られる稀有なお方でした。
逆に対照的芸風の梅幸さんはどうにも物足りなくて、良さを理解出来るまでに相当な
年月がかかりました。でもやっぱり歌右衛門さんが自分の好みには合いますね。 最後に演じた建礼門院、後白河院を島田正吾が演じて付き合ったんだよな。
幕見で見てたが、おおなりこまあーーー!!
と掛け声というより叫んでいた若いあんちゃんがいた。
ああいう芝居もまず今後はなかろう。老優同士、スケールが大きく感じた。 78才の徳子・歌右衛門の凄さお芝居としては殆ど最後の舞台、ラストシーンの美しさ。
DVDありますよ! そう、花道で老松みたいに立つ島田正吾の後白河院に取りすがる
歌右衛門の建礼門院がいいんだよ。
このあとは翌年井伊大老に出て、それが最後の歌舞伎への出演になった。
吉右衛門が井伊大老でお静の方勤めたんだけど、初日の舞台観て、ああ歌さんこれが
もしかすると最後の舞台になるかもと妙な予感がよぎった。
先々代の幸四郎が初代白鸚襲名した時にやったのがこの井伊大老、お静の方は同じ歌右衛門。
白鸚はこれが最後の歌舞伎の出演となった。奇妙な暗合である。 爺いと婆あ、の茶店が賑わって結構なんだが
せめてメールアドレスに、sageと入れて欲しい
建礼門院では、島田!の大向こうも有ったね >>192
>疲れる観劇№1の役者
そう思います
観客側にも相当な集中力が必要なんですよね
>>195
>凄く良いものを観た
>でもやっぱり歌右衛門さんが自分の好みには合います
自分も全く同じです なんでしょうね、あの魅力。美しい様な怖い様な・・・
一度ハマってしまったら二度と抜け出られませんねw
先日、甲斐庄楠音の絵を初めて見て、何故か歌右衛門を思い出しました。
何か共通するものがある様な気がします。 「歌右衛門の思い出」生舞台をみたのが爺・婆が多いのは当たり前、何十年も消えない
歌右衛門の思い出、観劇は如何に心の残る役者・名舞台を多く観たか、若者も沢山の舞台に
接してくっださい。そんな役者は少ないが・・・・。 正月公演の八世幸四郎との伊井大老を観たのが初めての芝居
それ以降、いろいろな舞台を観劇した 菊吉爺ならぬ歌梅(歌右衛門 梅幸)爺予備軍の40代です。 歌舞伎の黄金期はすでに去って久しく、
今はその残り香も完全に消えてしまった。
その残り香の最後の人が、歌右衛門、という印象。 >>196
>>198
島田正吾さんと吉右衛門さん(2代目)は、
「鬼平犯科帳」で共演されていますね
短いシーンですが本当に印象的でした 二代目吉右衛門は歌右衛門から見て後輩の役者で数少なく褒めていたうちの一人。
あの人は古風な所があるわね、と宣うておられました。 相手役にいつも古風さを求めていた6世歌右衛門、若手では吉右衛門が意にかなった風情を
持っていたからね。 十代二十代の頃は歌右衛門の言う吉右衛門の「古風さ」というのが
全然解らなかったのですが、三十代になって「石切梶原」を見た時、
急にそれを感じる様になりました。単に年のせいかも知れませんが。 吉右衛門は歌右衛門に稽古をつけてもらったとき
何度もダメだしをうけたという 平成一桁に死んだじいさんが言っていた。
16勘三郎は名優だったと。
この前なくなった吉右衛門だと、2代前がよかった。文化勲章をもらってもおかしくないくらいだったと。 おまえの爺さんは十六世勘三郎を観たのか
何百年も前に生きてたなんてスゲエな あの〜大変初歩的な質問で恐縮なんですが〜
中村勘三郎の16代目はどの様な役者だったのでしょうか?
不肖私め17代目以降しか存じませんものですから全く見当がつきませぬ。
それと、2代前の吉右衛門、というのも判りかねておりまして、
中村吉右衛門の名跡は確か2代までの筈ですが、その二代前となりますと、
0代という事になってしまいますが・・・ >>209
>>210
>古風さ
歌右衛門さんも吉右衛門さん(2代目)も大好きなので、本当に嬉しい話です >>214
>>215
>>213の事は完全スルーして下さい >>211
なぜ?
「鬼平犯科帳」を観るだけで「古風な人」と分からない??
あんな方、滅多にいないですよ 歌舞伎舞台上での古風、今風に言えば古臭い?・昔風の演技、体臭が江戸時代の匂い、難しいね
説明は、現代的に育った役者諸氏には少ない滲み出る錦絵風の芝居・雰囲気・・芝翫なんかも
・延若も何かも古風だった、その辺のイメージで考察して、難しい、現代人の感覚の多い少ない
それぞれ個人の感性の問題。 弟の芝翫は福助時代、長いあいだ菊五郎劇団に所属していたから世話物にもたけていた
歌右衛門は時代物に重きを置き世話物は弟に任せていた 延若、芝翫(先代)の古風さは十代でも一目で強烈に感じ得た。
ところで、弟の芝翫って・・・? >>221
>>222
7代目の芝翫さん(神谷町さん)、大好きでした
彼も古風な方でした
何もかも懐かしいです 私が歌舞伎を見始めて最初に好きになったのが芝翫(先代)さんでした。
猿之助(3世)の千本桜の通しで二段目の典侍局を勤めておられた時です。
因みにその時の静御前は児太郎時代の福助。めちゃくちゃ綺麗だった。
その数年後、歌右衛門の糒倉を観てしまって即日歌右衛門癌を発症し
全身に転移して現在に至る。 六代目歌右衛門襲名披露のとき口上に参列したのは先代吉右衛門、弟の福助
たった3人だけの清楚な襲名披露口上であった
現在のような何十人も並ぶ口上とは考えられない質素さだ 襲名する本人が口を開くのは本来有り得ないと宣うておられましたね。
十代の頃はそれを知らなかったので文楽の越路大夫引退の口上で本人が
黙ったまま終わったのを何かの間違いじゃないかと思っていました。 >>228
で、貴方はその舞台を
生で、ご覧なさったのですね
実際に見たのと、伝聞を区別するのが
このスレでは、とても大事ではないかと思う 伝聞も何も藤雄さんの六代目襲名披露の写真が残ってるし。
山川静夫の歌右衛門の六十年という岩波新書にある。 歌右衛門さん自身が、播磨屋のおじさんだけが口上を述べられて・・・
重みがありますよ、等と宣うておられるのを聞いた事があります。 十七世勘三郎はもしほ時代、どうしょうもない大根であったという
昔、新宿に第一劇場で若手中心の花形歌舞伎を開催していた
もしほの下手くそぶりは顰蹙を買った、逆にいちばんうまかったのが守田勘弥
しかし勘三郎を襲名してから見違えるようによくなったという
亡くなった母から聞いた思い出だ このスレは書籍で読んだ知識だけで
実しやかに聞いた風を装って色々書き連ねる輩が出入りしてるよなー
荒らしと同様 戦前の名優の舞台を見たこともないニワカの妬み、やっかみが笑える
母から聞いた思い出話を書きこむとこうなるんだな >>236
235さんは、貴方に対して言ってないで
>このスレは書籍で読んだ知識だけで
別の人の事やがな すぐケチをつける奴は実際に劇場に出むいたことがないんだろ
テレビやYouTuberを見ただけで勝手なこと言ってるだけ >>223
>まきおさん
7代目の芝翫さん??
>>231
>藤雄さん
6代目の歌右衛門さん?? >>242
ラスベガスのカジノがお好きだった理由も知りたい(笑) 2代目鴈治郎が6代目歌右衛門を継いでいたら・・どんな芝居が観れたか想像すると面白い
ですね。ちょっとしたことで歌舞伎史も変わっていたのでしょうね。 あ〜それオモロそうw
もしそれ実現していたら坂田藤十郎名跡復活は無かったかも。
ところでその坂田藤十郎がまだ鴈治郎の時の南座の九段目の戸無瀬の時に
大向こうで盛んに大成駒!って声かける人がいて、
大成駒というとどうしても歌右衛門のイメージだから、なんかちょっと違和感を覚えた。 初代鴈治郎は歌右衛門を継げなかった後、坂田藤十郎の襲名を望んでいたらしい事を何かの本で読んだ記憶がある。だとすると、3世鴈治郎の坂田藤十郎襲名は
祖父のなし得なかった夢の実現、という意味合いもあったのかも。 >>243の書き込みに何かおかしいところがあったか? 電話帳に歌さんの自宅の電話番号が載っていたのを見つけたときはびっくりした。
掛けても本人はもちろんでないだろうが。 演劇界 昭和56年9月号 辰之助と鈴木治彦氏の対談より
辰之助 僕が一番こわかったのは団十郎のおじさんと高麗屋のおじさんと成駒屋のおじさんですよ。
鈴木 へえー歌右衛門さんと幸四郎さんて、おだやかで優しそうにみえるけどねえ。
辰之助 とーんでもない。こわいのなんのって・・・(笑)。こわいですよォ、歌右衛門のおじさん。
丁度文楽さん(文楽の大夫)が来てましてね。「本文では、そこはちがいまんねン」
て言ったんです。そうしたらジロッと見て「(凄んだ声で)おらァ人形じゃねえんだよ」
って・・・。そばできいててびっくりしました。怒るとベランメエになっちゃうんですから・・・。 >>244
>>250
「低能児」というネットスラングが、
歌右衛門さんのスレッドに相応しくない
止めて欲しい 初代吉右衛門の熊谷陣屋の記録映画に出てる歌右衛門の若いこと
吉右衛門劇団のそうそうたる配役も素晴らしい 最近全然しない入り込みからタップリ2時間弱。
陣屋の入り込みはこれで初めて見ました。いきなり梶原が出て来る謎が解けたw
堂本正樹が倒れ伏す藤と評していた芝翫時代の6世歌右衛門を観られる
唯一の映像作品では無いでしょうか。 どの演目も最近は上演時間が優先で以前はあった上演場面が消えている演目多数ありますね。
全て通しでとは云わないがせめて開場時の国立劇場の形体を見直して欲しいね。60年代の
観劇記憶にはありましたが消えた場面を知らないままの歌舞伎ファンも多数いおられるます
ね、演目は文楽通しでも知ってから役者ファンは歌舞伎座へ・・。「ラマンチャの男」でさ
へ今は短く改悪されていますよ。 そう云えば昔の京・顔見せも終演は11時頃だったことがいつもでした。 昔の京の顔見世の番付を見て、こんなに演目を詰め込んで大丈夫なのかと
疑問に思っていました。私の経験では平成3年12月顔見世の終演が22時過ぎで、
はね太鼓が鳴り出すと同時に三階から駆け下りて阪急河原町駅まで猛ダッシュ、
最終の梅田行き特急にギリギリ間に合って帰宅は午前、という事がありました。
歌右衛門の糒倉を観て急性大成駒症候群を発症したのはその前月でした。 吉右衛門劇団は八世幸四郎の東宝移籍で解散の憂き目にあった
松竹は裏切り者として幸四郎一門を絶対に許さなかった
翌年の十一世團十郎の襲名披露興行でも幸四郎の参加を猛反対したことは有名
でも新團十郎、松緑が松竹を説得して襲名披露に出させたんだ 歌右衛門さんは幸四郎さんに早くお戻りにならなきゃと仰っておられたそうですね。 平成2年12月国立劇場公演の陣屋は入り込みからタップリ2時間弱でしたね。
相模を歌右衛門が勤める予定だったらしいのですが平成の御大典奉祝の鶴亀で
女帝を勤める事になって相模は芝翫(先代)が勤めました。
その芝翫が平成元年の俳優祭の松羽目尽しで鶴亀を立役で勤めたのが
実に品格があって大変結構でした。鶴と亀は梅玉と魁春。
大喜利の阿国歌舞伎では歌右衛門が出雲阿国でセリ上がって来てビビりましたw 菊田一夫は新築された帝劇用に染五郎が欲しくて呼んだんだが
幸四郎が勘違いして一門を引き連れて東宝に来てしまった
これは菊田にとって大誤算であった
帝劇は歌舞伎をやる芝居小屋ではなかったんだから
なんたって花道はないに等しく弁慶の引っ込みができなかった
幸四郎もつまらない芝居に出させられて不満がたまってしまった
その東宝に見切りをつけた吉右衛門は早々と松竹に戻って正解であった >>267
>その東宝に見切りをつけた吉右衛門は
早々と松竹に戻って正解であった
有名なエピソードですね >>252
電波少年っていう番組で松本明子が日本芸術院に入りたいとか言い出して、
歌右衛門の自宅にアポ無しで電話していたよ。当然本人が出る訳もなく
女性が出て一体どう言ったご用件でしょうか?とか怪訝そうに話していたのを
ヒヤヒヤしながら見た。馬鹿な事をしたもんだ。 松本明子はテレビかラジオの番組でオマンコ!と言って長いあいだ干されたバカ女 これYouTubeに投稿されていますね。松本明子 日本芸術院 でググったら出て来た。 >>270
自分だって「おま◯こ」と書いてるじゃないですか…… 歌右衛門スレにこの四文字がモロに投稿される事になるとは思わなかったwwwwwwww 二世實川延若が舞台で後ろ向きに着替えているときに
後見にむかっておまんこ!と言って後見を困らせた逸話は有名 >>269
>>270
>電波少年っていう番組
あれはそういう番組だったのです
「アポ無し突撃」を名物とする番組だった
松本明子に責任は無い
日本テレビの土屋敏男という有名プロデューサーがやらせていた >>274
ホンマかいなwwwwwwwwww
けど関西弁なら◯め◯とちゃうの? 青田赤道は おめこ と言っていた
クイズ番組に出ておめこ発言のときは吹き出した思い出がある >>267
二代目の帝劇開場は66年
幸四郎一門の東宝移籍は61年
その東宝劇団の最初の歌舞伎公演は
東京宝塚大劇場で61年6月に行われた 国立劇場こけら落としには十一世團十郎による通し狂言菅原伝授手習鑑が
決まっていたが團十郎の急死によって八世幸四郎が記念すべき公演をおこなった
東宝に移籍してくすぶってた幸四郎は水を得た魚のようにこの公演をこなした 電波少年で藤雄さん家アポなし電話なんてあったんだww
見たかったw
もっとも、芸術院なら犬○さんのところ掛けないと。歌舞伎役者になりたいならかける意義もあろうが。猿岩石やチューヤンの前のあたりまでが面白かった。
親父が演歌の花道見終わった後で見てたな。 >>279
11世市川 團十郎の死去は1965年11月10日
国立劇場の柿落とし公演2月目の松王丸に
8世幸四郎が出たのが1966年12月
https://kabukidb.net/show/1037
貴方の脳内情報は事実と照合されてから
書き込まれた方が宜しいかと >>280
YouTubeで見られます>>271参照の事。 >>280
>犬○さん
それはどなたの事ですか?? >>279はいつものおじいちゃんか
困ったものだ そもそも歌右衛門関係ない話だし 国立劇場のプログラムって次月でなければ当月の舞台写真を載せないのが不可解
歌舞伎座や演舞場は中日になれば舞台写真を載せるのに >>285
まあそこがお役所仕事というものなのでしょうね。 1976年12月帝劇歌舞伎の弁天娘女男白浪の音声を所有している
まだビデオが家庭に普及していなかった時代、NHKの中継をラジカセで録っておいた
母もダメね、と問題にしなかったけれど今では貴重な音源だ
他に勧進帳もエアチェックした音源がある
若き日の染五郎、吉右衛門、菊五郎の青臭い口跡が懐かしい >>280
もしも藤雄さん自身が出たら、
あのね、あなたね、物事にはね、順序、というものがね、あるんでございますよっ、
とか何とか懇々と有難いお説教を宣われそうwww >>287
おじいちゃんボケちゃってスレタイも読めないのね 歌右衛門の若き日の想いびとが浜松屋の弁天小僧やってるVTRなら持ってるよん。 >>292
守田勘弥だよん。舞台の上でもアツい視線を交わしあってたんだってw >>292
守田勘弥だよん。舞台の上でもアツい視線を交わしあってたんだってw >>288
>>294
何事にも丁寧な応対をする歌右衛門さん(笑) 若い頃の染五郎と菊之助は同年代だからよく共演した
その息子たちがいまや犬猿の仲になるとは思ってもみなかったよ だーかーらー
ここは歌右衛門の思い出を語るスレであって
おじいちゃんの思い出を語るスレじゃないんですよ 染五郎はよく梅幸とも舞台に出ていろいろ指導を受けた 菊之助時代の菊五郎が歌右衛門の淀君で千姫やっていた時
松江(魁春)を連れ出してメチャクチャに飲ませたら、
松江が帰宅後「歌右衛門がなんだ!!!」と荒れまくって、
翌日歌右衛門は菊之助を舞台上で「よくも松江に呑ませたな〜」と
散々いじくり回しまくったそうな。
んでその夜、菊之助はまた松江をメチャクチャに呑ませたとさ。 魁春も梅玉も歌右衛門の生前は毎日息がつまったろうな
酒のんで荒れまくりたくなってもおかしくない 魁春は歌右衛門に押さえつけられ過ぎたのが芸風にも強く影響している様に思う。
もうちょっと伸び伸び育ててあげても良かったのにねぇ。 >>300
>おじいちゃんの思い出を語るスレ
それはそれ用の「独立したスレッド」を立てないといけないかもしれない
そこに隔離する 自分への批判はすべて同一人物のものと思い込んでいるボケじじい 自分への批判が同一人物のものと考える根拠を言ってみろや爺さん IDつけたほうがいい、と言ってもすぐ変えられるからワッチョイにすればいい
そうすればバカの自演ができなくなるから しかし現実に歌右衛門の思い出はある年齢以上しか居ないよね。又その思い出を多く知る
人を羨ましく思う現在の歌舞伎ファンです。 三島由紀夫が初めて歌舞伎台本を書き上げたのが芥川龍之介原作の「地獄変」
昭和28年に歌右衛門、勘三郎の共演で歌舞伎座で上演された
三島がとくに自慢したのが竹本を入れたことだ 歌右衛門は、
あれだけ筆の立つ方なのにクーデターなんか起こして云々と
批判もしておられたそうですね。 >>321
あーーーっっ!それそれ!ありがとぉ存じます。 松本明子は高田文夫のラジオビバリー昼ズのレギュラーだぞ >>321
ありがとうございます!
こんなのあったんですね。 松本明子さんはお仕事頑張りヤさん、歌右衛門には縁のない話はやめよう! >>270
>>324
その後、ちゃんと復帰して、
今も活躍中ですよね、松本明子さん あれは松本をけしかけた鶴光とかの方がタチが悪いよ。
でも歌右衛門の家に本当に電話かけるとは思わなかったw よく放送禁止用語とか不適切発言とかいうけど
何を基準にして決めてるんだ 8年前に市原悦子がNHKのあさイチにゲスト出演したとき
まんが日本むかし話の思い出を語った
そのときの話の流れでやまんばの中でかたわ、毛唐と口にした
司会の有働が番組後半部分で差別用語を使ったことを謝罪するという事態になった
これに対して視聴者からは何一つクレームなしでむしろ有働を批判する声が多く届いた
小林旭も民放のバラエテイ番組に出たときキチガイを連発し、アナが慌てて
ただいま不適切発言がありましたと謝罪した
まさに現代の言葉狩りで表現の自由がなくなってしまった >>329
>>330
放送禁止用語の基準、よく分からないですよね
もう「お百姓さん」がダメなので…… 助六の舞台中継では、オシか!ツンボか!の所が絶対にカットされる。
ところが平成7年の歌舞伎座初芝居初日生中継の助六で、團十郎が思わぬ所で
オシか!ツンボか!と言ってそれがモロに流れてしまった。
その後の何時ものオシかツンボかの所では音声が切られていた。
この時の中継はハプニング続出で、助六の出端の所で傘がぶっ壊れた。 歌右衛門は、夏雄さんはあれでいいのよ〜、と言っていたそうな。 昭和37年十一世團十郎「助六」のLPを所有している
当時としては高価な3枚組5000円もするstereoレコードだ
髭の意休相手の悪態がカットせずちゃんと収録されてるぞ 映画「幸せの黄色いハンカチ」で武田鉄矢がこの百姓!
桃井かおりが「バカチョンですから〜」のセリフ
テレビで再放送されるときは必ずカットされる 歌舞伎役者には不具者が多い
歌右衛門は片足が短く、弟の芝翫はみつくち
玉三郎はびっこだった >>332
>オシか!ツンボか!
江戸川乱歩の名作小説が、
あんまり一般書店に並ばない理由はこれだと思う
いわゆる放送禁止用語が多いから 伊勢音頭の二見浦が放送された時も、
仁左衛門の貢が基地外沙汰じゃな〜と何回も言っていた所を
一つ一つ丁寧に音声を切っていた。ご苦労な事で。
伊勢音頭で思い出したけど、前の職場に元お水のおばさんが居て、
これが歌右衛門の万野そっくりで散々振り回されて参ったわw 女座頭市の「めくらのお市」もテレビでは放送されない
勝新の座頭市テレビ版はBSで見れるけど 今の役者はやりにくいだろうな
昔は言えた悪態のなかのセリフがみんなカットさてしまうんだから 歌右衛門が宮様に年増をリクエストされた時、
きわどい歌詞を全部削ってお目にかけたとか云々。 天覧歌舞伎に助六のような狂言など絶対に無理
弁天小僧もな 鳴神はどうでしょ?乳揉ませてお師匠さま〜ってできるかねw
そう言や歌右衛門が女鳴神やった時の絶間之助は若き日の想い人だったな。 皇室に世話物のような庶民の苦しい生活は理解できない
水天宮利生深川、佐倉宗吾など分からないだろう >>343
へー
なるほど
勉強になります
ありがとうございます 17勘三郎が宗吾を演じたとき歌右衛門が将軍家綱をやった >>348
衛星放送で見ました!VHSに録画したのをデジタル化して秘蔵しています。
御馳走役でもちゃんと肚があって舞台を引き締めているのが素晴らしい。
梅玉襲名の御浜御殿の錦小路も良かった。うえさま、の声が耳に残っています。 佐倉宗吾のような地味で暗い芝居は現代ではウケない
なお初代吉右衛門が宗吾を演じたときの模様が
NHKラジオで中継され、当時の貴重な音源として残されている 知り合いの芝居好きの御婦人に衛星放送で17勘三郎の佐倉義民伝がありますよ〜と伝えたら、
あ〜佐倉宗吾のでしょ、別にいいわ、と仰った。その後、歌右衛門が家綱で出て来て驚いた、
と報告したら、ああ〜しまった観れば良かったー!と非常に口惜しがっておられましたとさ。 >>346
>世話物のような庶民の苦しい生活
うーん
難しいでしょうねえ…… 戦争で焼失した歌舞伎座が再開場したのが昭和26年
戦後、昭和天皇が初めて歌舞伎座に来臨したのが昭和28年
このときに観劇した演目が吉右衛門の盛綱陣屋と歌右衛門の娘道成寺
これは映像記録として残っていないのかな 天覧かぶきはニュース映画でちらっと残っていなかったか? 今朝のNHKラジオ深夜便
中村歌六がゲストで歌右衛門の話や
祇園守りの話がちょこちょこ出た >>355
♪吉右衛門】 播磨屋スレ(二十)【歌又兄弟ほか♪
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/rakugo/1639543507/892
892 2023/09/04(月) 23:17:43.31 ID:heiVI0xa
https://twitter.com/nhk_radiru/status/1698580400363245774
今夜のラジオ深夜便(NHKラジオ)に
中村歌六さんが出演します
午前4時台です
タイトル
【播磨屋の芸を次世代へ】
らじる聴き逃しサービスで何度も聴き直せます
(1週間以内)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 大正時代の歌舞伎座は真ん中に破風があって立派
なんで戦後と今回の建て直しのときに取り除いたのか 空襲で焼けて、金が無くて復活できなかったんだろう。今回の改装で復活させればよかったかもな。 歌舞伎座は地下鉄駅の真ん前にあるから最高の立地条件
これはすぐ近くの演舞場にもいえる
それにひきかえ国立劇場は分が悪すぎる
だからいつも車で観劇しに行った
当時は駐車料金が100円だったんで助かった このスレは雰囲気がまったりしているからボケ老人が居着きやすい 国立劇場は桟敷席がないから質素なのだ
歌舞伎座や演舞場のような賑やかさがない 歌右衛門は若い頃に勧進帳の義経をやったことがあるんだね >>359
もとは陸軍省と参謀本部があった場所
占領軍が接収して、パレスハイツドライブインに。その跡地にできた。
劇場の隣が最高裁ってのもシュール そういや、歌さんって国立劇場開場しても、当初は出なかったんだよな。
平野ブラザーズが福助と米子を襲名したときに、三人へんりんという出し物があったが、あれはどんな演目なのか。かかったのを見たことがない。 >>365
先代の團十郎襲名披露興行のときにも勤めている。→勧進帳の義経 知り合いが国立は家から近くて行きやすいといってた。門出て壕越えたらすぐなんだとか。 >>20
小月冴子さん、「男はつらいよ 第21作(木の実ナナさん)」で、最後の方にほんのー瞬出ていらっしゃいますが、私も初めて見たとき
歌右衛門さんに似ていらっしゃると思いました。 歌右衛門さんが若い時撮った松竹の娘道成寺の映像、YouTubeで見れますけどDVDにして欲しいです。素敵ですよね。 30年程前に国立劇場の裏側を通ったら、ちょうど歌右衛門さんがでていらっしゃって、立派なお車でお帰りになった。 楽屋に知り合いか関係者のご婦人が訪ねてこられた時、「おばちゃん、ちょっと待ってね」と仰って(←なんてお優しい言葉遣い!)台本に目を通され、「毎日一つでも新しい発見がなくちゃいけないの」と仰ったらしい。 思い出というタイトルをつけて下さってあるが今なお目を光らせて下さっているような気がする。好奇心のある念の強い方だからこのスレ読んでお喜びになっていると思う。「ありがとう存じます」と。 生前ファンだったお方が社長に就任されましたね。おめでとぉ存じます。 国立に出演するとき役者たちは別荘に行ってくると言っていた >>379
今記者会見しているじゃないですか。尤もおめでたいとは言えませんが。 ホモ事務所の話題なんか書きこむなよ、低能!
しかも新社長は反日朝鮮人なんだから >>379
>>382
東山紀之って何かあるの?? 前スレのどこかで歌右衛門は東山紀之を甚くお気に召されていたとかいう話題があったのを読んだ記憶ならある。 >>385
あのね、あなたね、東山さんは、川崎市で、お生まれになられた、
れっっきとした、日本国籍の、お方で、ございますのよっ! >>387
ホンマかいな
東山紀之って野暮ったいだろう
時代劇も似合わなかった
歌右衛門さんの好みとは思えない……
だいたい歌右衛門さんと森光子の好みが被るとは思えない 東山を日本人だと勘違いしてる馬鹿がいるのには驚いた
帰化してることも知らないお花畑の愚か者がいるんだな 東山は爺さんがロシア人だからクオーターだという事なら知ってるよん。 榎そのという名を知ってる人は相当な年配だぞ
歌舞伎座のプログラムに当月出演中の役者のコメントに
イラストを描いてた漫画家だ
古くは月刊雑誌の平凡に「花咲くパリちゃん」の連載をしていた >>392
東山紀之は若い頃、「お醤油顔」と呼ばれていた
「和風の顔」という意味
バタ臭い顔は「ソース顔」と呼ぶ
西洋的という意味 安藤鶴夫は初代吉右衛門が大嫌いであった
その理由は六代目菊五郎を絶賛していたからだ。 吉右衛門が文化勲章もらって帰りに天麩羅を食べた
そのあと腹を壊し翌日の芝居を休んだ
それを聞かされた安鶴は「文化勲章を腹にかけてりゃいいんだ」と吐き捨てた アンカー馬鹿 うざい
自分で何かの文章を考えて書きこむこともしないで
人のあら探しばかりしてるクズ野郎 うざいのはスレチ爺だろ
スレチの指摘がなんであら探しになるのか健常人には理解不能
てめえで昭和歌舞伎がどうたらというスレでも立てろやボケ老人 何一つ歌舞伎に関してのことを書きこめないくせして
悪たれだけはつくゲス野郎
能なしのてめえはここに来るな >何一つ歌舞伎に関してのことを書きこめないくせして
その根拠は? 名優・歌右衛門以外のことで論争は辞めよう、ここは6代目歌右衛門を懐かしみその舞台の
あれこれを皆で思い出す場所、今の知らない人も観劇した昔の人もそのお話で盛り上げようよ。 まあ・・・あたくしのスレ一体いつからこんなに殺伐としてしまったんでしょう。
もうちょっと、穏やかにお話し頂ければ・・・ どっかの楽屋でヒガシが居た楽屋前を通り過ぎた後に
わざわざ戻ってきて「私アナタのファンなんですよ~」と眉動かしながら話しかけた >>407
そう、それそれ。
にしても一体何処の劇場で出逢ったのだろう?
同じ興行に出ていたとは思えないし、
ヒガシはお客で来ていたのかね? 幕内のひとに聴いて以前も自分が書き込んだのだけど・・・w
TV局だったかどうか・・・忘れてしまいました
当時はギリギリ車いす移動では無かったのかも? 確かにTV局ならこの2人が出逢う可能性は十分に有り得ますね。
ありがとぉ存じます。 >>410
>>411
なんで歌右衛門さんがテレビ出演?? NHKの邦楽番組とちゃう?さもなくば徹子の部屋とか。 >>401
>昭和歌舞伎がどうたらというスレ
誰か立ててみたら?? 東山,とのスレは多少でも彼の日常に触れた人間には偽情報と推察されます、劇場の歌さん、
扉を締め切った楽屋、面会謝絶の態度を見ているとアイドルへの声掛けなどありえない! >>415
そこがまた成駒屋たる所以でしょ?
付き人と駆け落ちする役者なんてそうは居ないわよw 11世団十郎の番頭さんとの話は有名、引き離されて自棄になって傍のお手伝いさんに手を
出してできた子が12代目、昔の役者さんの色恋の話、そんなお話は消えた昔話。 芸の
頂を目指してたどり着いた歌右衛門には肥やしの一部、何の瑕もなく名優になった。 十一世團十郎が女中なんかに手を出さなければあんな大根など生まれなかった 12団は父親亡きあと叔父の松緑に稽古をつけてもらったが
あまりの厳しさに叔父を恨んだ
どっちみち大根の血筋なので成果が得られなかったのは仕方ない 政彦さん、そちらではさぞお辛かったでしょう・・・
こちらへいらっしゃって、ゆっくりお休みなさいね。
藤間の御宗家もお待ちかねですよ。 歌右衛門はよく「政彦さん、あなたそれは本格では無いですよ」
と言っていたそうな。それに対して「本格じゃ無いというのは肝に銘じている」
と政彦さんは答えていたそうな。 そして「彼は頭の良い方ですからね」との歌の言葉、よく聞きましたね。 >>38の書き込み見てゾッとした((((;゚Д゚))))))) 三世猿之助がやっていた鬼揃紅葉狩の初演が、
歌右衛門の鬼女、初世猿翁の維茂で、團子時代の三世が侍女に出ていた事を
知っている人は今どのくらいいるのかな? 元気な頃の歌右衛門の活躍、歌舞伎座には一年の内何度出演していた事か、最近は見なくなった
心中宵庚申ではお千代・福助(芝翫)記憶では寿海だと思っていたが半兵衛どうも延若だったのか
そんな時もお千代の姉役で少しだが出演、こうゆう贅沢に見せる舞台が役者のいない現在では
座組的に無理になったね、昭和歌舞伎の夢の舞台ですね。早く若手が大看板に。
岡本町で一番印象的なのは小山亭が「歌舞伎役者百字寸評」で書いた「恐い女形はいけません」。
十八代目勘三郎が激高した逸話とか、楽屋内の評判がそのみよくない。 60代の頃でも楽屋口でお見掛けすると肩の揺れ上下の動きが激しく舞台上の自然に見える
出演姿は大変な肉体酷使だったのだろうね、それでも八つ橋も再演の建礼門院は68才
で再演、体力より根性の人だったのですね。 一世一代の八ツ橋の時、元々の企画は美代吉で、
でも本人が美代吉が嫌いだったそうで、それで八ツ橋になったとか云々。
岸田今日子と対談された時、八ツ橋について、
「とっっっても、いい役よ」と仰ったのが印象的でした。 二世松緑との共演ならやっぱり晩年の関の扉が一番に思い起こされます。 舞踊家の梅津貴昶さんが亡くなられたのを知りましたが、
この方は2歳(!)の時に六世歌右衛門襲名の道成寺を観て甚く感動し、
舞踊家を志されたそうですね。 435 コメント、歌右衛門「建礼門院・再演」は78才ではなかったかと・・ 435 コメント、歌右衛門「建礼門院・再演」は78才ではなかったかと・・ 435 コメント、歌右衛門「建礼門院・再演」は78才ではなかったかと・・ 435 コメント、歌右衛門「建礼門院・再演」は78才ではなかったかと・・ 馬鹿が444getしたくて連投しまくり
こんな馬鹿に歌右衛門を語る資格などない 最近5ちゃんねる重いですから投稿出来たか判らなくて結果
こうなっちゃう事があるんですよ。他スレでもままあります。 >>442
いくら六世歌右衛門の道成寺でも、2歳の幼児が観てそんなに感動するものかね? >>449-450
嘘か真かは死去した本人にしか分からないが
梅津貴昶の著作に舞踊を始めた理由として書かれたエピソードなのは本当の事 2歳の時に親に歌舞伎座に連れられて歌右衛門襲名の道成寺観たのは事実だろう。
それで感動したとか何とかというのについては判らんが。 小山観翁氏の「恐い女方はいけません」が岡本町を一番的確に評していると思う。
うちの親父は戦前からの歌舞伎ファンだが「先代芝翫が襲名した時の道成寺が戦後の女方のベスト」と
感心していた。俺も神谷町のお軽や判官(絶品)は岡本町より上だと思った。 歌右衛門は時代物の大御所
梅幸は世話物の大御所であった 岡本町が『恐怖時代』の奥方の際、舞台上で髪を結いあげたのには吃驚したし関心もした。
ああいう技術は今の女゛方にはあるのかな? 恐怖時代って歌舞伎座で武智鉄二古稀記念やったときだよね
石井さんそれにも行ってるのか ここは歌右衛門の思い出を語るスレであって
おじいちゃんの思い出を語るスレじゃないんですよ 先代の役者を観たこともないガキが妬んでる
今のレベルの低い役者で満足してるガキには困ったもんだ スレタイも理解できないほどボケてしまった老人には困ったもんだ 五世歌右衛門は楼門五三桐も演じた
亡くなった母が観劇している 歌右衛門は十七世勘三郎との共演がいちばんよかったよ 思い出してみると円地文子の新作歌舞伎「六条御息所」この歌・17世勘三コンビに驚き、
あの勘三が光源氏・・舞台を観てまた驚き、勘三の源氏が初々しく美しかった、役者やノウ! 話題の「天守物語」6代目歌右衛門も何度も演じていますよ、いつも亀姫は扇雀(藤十郎)
歌舞伎座らしく下座音楽伴奏で観たがその後日生で冨田勲のシンセ、新鮮の感じた、あの時は
亀姫が梅枝(現・時蔵)演出は増見利清、野村昭子の御主人でした、これ忘れられない「天守物語」
でした。薄が南美江でしたね。 今日は酷い地震でしたね、長い観劇人生で歌舞伎座で2度芝居途中の地震経験、覚えて
いるの「十種香」歌右衛門の八重垣姫・芝翫の濡衣・勝頼が勘弥、中央勝頼で右左の歌・
芝翫の型の決まった所でグラグラ、騒めきの客席が舞台での3人が何事もなく芝居を続投
ゆれの中、観客も少しづつ静かに、役者連の凄かった一面でした。 >>468
>舞台での3人が何事もなく芝居を続投
それはスゴいですね >>1
万 博 や め ろ !
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/rakugo/1704380048/1
1 重要無名文化財
2024/01/04(木) 23:54:08.89
赤字カジノ大阪万博なんて即刻中止し
能登半島地震の被災地復興支援に廻せ!
俺たちの税金で私服を肥やす自民党、維新の会のクズ野郎どもに
伝統芸能板のみんなで言うたろうやないか!
万 博 や め ろ ! >>1
【訃報】
写真家・篠山紀信さん死去、83歳
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1704399835/
1970年には、作家・三島由紀夫さんに依頼され、自決直前の姿を撮影。
三島さんを介して出会った歌舞伎俳優・坂東玉三郎さんを写した72年の写真集「女形・玉三郎」で芸術選奨文部大臣新人賞。 今月の歌舞伎座「籠釣瓶・・」昔、明治座で幸四郎・扇雀(藤十郎)の八つ橋を見た、その後
世代が変わり玉三郎・そして今月の七之助、6世歌右衛門が強烈に頭の残りその後の美しい
八つ橋は物足りないね、現在の観客は女形に美貌を求めるが歌舞伎女形はおっさんが演じている
美女で充分、美貌は芝居で観客の虚ろの中、錦絵の女形でいいのでは、歌も若い頃は美貌女形、
それが亡くなってからの歌舞伎の中の女形、それが好きです、我童の様に70過ぎてもお里を
演じるそんな目を今の観客に求めるのは無理なのでしょうか・・・。 お気持ち分かる気がします。人生経験を積んで、実際に多くの女性のあり方を見てきた年配の女形役者がに演じる女性像に表現される美しさや醜さに魅力を感じます。 吉田修一「国宝」の映画化、これは絶対無理だと思った映画化、あの渋沢栄一の吉沢亮
が・・、まれな演技力と美しさを持つ歌舞伎女形役者、ラストの歌舞伎座の前を阿古屋
に扮した彼が狂ったのか幻なのか雪降る中を、映画化には監督の手腕が問われる配役ですね 私のような老人には6代目歌右衛門の姿を想像、今の人には玉三郎の姿をそれぞれイメージが
違いますが楽しみな映画です、この役者、生まれはやくざ、背中に入れ墨をしょっている
そして美しい女形を・・・ いい加減七代目を襲名してほしい
するかしないか二択なのだから >>392
ジュニア時代に戻ったってこと?
ストレス溜まってなかった カルト被害にあってその後爆上するけど
100株主だけどIRに電話してたんでしょ
オタがザ・アイスに入ってない感じだけど
めちゃくちゃラブラブやったやん いわゆるソシャゲで簡単ポチポチゲーが主流になったんだ
今日は見てる枠よ
済まないよな
半年に一ヶ月だけ入ってたら円安進んでるから上とか、そんなの今回に限らずいつもので、 中に脳梗塞とかなんだろうな
心不全や脳梗塞はいきなり来るからな
案の定まんう上がってきた
ソロだと思うが どうせこんなことが
ホテルまだあるぞていうなら
前方から出火しただけなんかね
あれこそが壺民党の思う壺 ここも6世歌右衛門、あの凄い舞台姿を目に残している人も老人ばかりで書き込みがないね!
歌舞伎舞台役者は消えればどんな人もみな忘却の人か・・・ 老人ばかりでは無いです。四十代後半もいます。六世歌右衛門、決して忘れません。