サンセットブルーバード・ついに日本初演
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詳しくは、明後日の新聞記事で…
初日のキャストを予想しましょう!
初日には、アンドリューも来日します 衣装についてのコメントは面白いですねえ
ノーマのはただただ豪華で自分なんかは楽しかったけど
見る人が見ればそういう感想になるのね
ところでラストの衣装、こんなのを見つけました
ttp://www.youtube.com/watch?v=j-RnHI29_Mg&feature=related
衣装もそうだけど、日本版のほうが狂った感じがいいなあ
ほんとうに迷路に入ったような、誰も救えない静かな狂気
ジョーのフレーズが入ったり、演出も 衣装は1幕目に5着。2幕目は4着でいいかな。計8着。
2幕目は、どう数えるかわからん。
1着目はバルコニーに出てきたところで黒いの。
2着目は、パラマウントに行くためにショールと帽子をその上からかぶった。1着目と与える印象が
かなり違うから2着目と数えたい。
3着目は、エステ。これを衣装に含めるかどうか。
4着目は、ラストのベティに電話。その後ショールをかけて撮影されながら階段を下りてくる。
>>525
衣装について厳しくもいい指摘ですね。なるほど、エステまで体型はぜんぜん見せないのが
BW版、WE版とも同じだったはず。
ジョーの変身後が、時代遅れのパターンじゃなかったのは自分はスルーしたんですが、
表現のしどころでもあったかも。コートは脳内変換するしかなかった。全般に脳内変換でカバー。
あんまり衣装をがんばっちゃっても紅白みたいになっちゃうから、セット同様がんばらないという
選択肢でよかったかな、と思うことに。
ノーマだと4回怒るっていうのは
> ベティ:誰の家?
> ジョー:見てごらん
> ベティ:ノーマ・デズモンド?
> ジョー:その通り! ノーマ・デズモンド! ノーマ・デズモンド! ノーマ・デズモンド! ノーマ・デズモンド!
ってところかな。なんで爆笑だったんだろうねぇ。 >>528
歌大根のヲタがそんなこと言うのは失礼千万 夏木さんがやりたがってたのは誰かのブログにあったから
どうしてもと言うならやったらいいけど
カーネーションでも怖ろしかったからなw
とうこさん大阪で待ってます はずかしながら、最近までサンセットブルーバードだと思い込んでたよ
でもさ、boulevardってフランス語なのはなぜ?
まあ「サンセット メインストリート!」なんて歌い上げられても困るけどね。
サンセット・ブルバードは、ハリウッドの大通りの固有名詞だから。
http://maps.google.com/maps?q=Sunset+Boulevard,+West+Hollywood,+CA,+United+States
boulevardはフランス語由来だけど、おそらく中期オランダ語か、デンマーク語が語源。
通りの名前は、
Street、Terrace、Drive、Avenue、Place、Road、Boulevard、Lane、Circle、Trail、Court
とかあるけど、それぞれなんとなく定義みたいなのはあるものの適当なんじゃないか。
Boulevardはそれらの通りの中でも最大級。
ノーマは、黒柳哲子みたいだなぁと思って見てました。 美輪先生も徹子も現役バリバリじゃん
まともに作品の解釈が出来てないんじゃ… 過去の栄光ね
これ、ヅカファンから見ると結構辛かった
肝心の主演ファンはそこは見えてないようだけどw
いつまでも自分がトップスターだと思ってるOG、いるんだよね
活動してないのに限って
ほんとにいつか殺人事件起こすんじゃないかと心配になった
マックスもある意味、かつての自分を見ているようで
狂信的なファンへの皮肉かと思ったわ 時間を止めてしまって自分に依存させる。まさにOGとファンの憧れの未来だよね。 憧れないw
ちゃんと現実を見るか、そのまま美しく消えて欲しい でもマックスはある意味幸せだと思う。
何百回も見た映画をあれだけのめりこんで見られるのも凄い。
(自分の監督した映画かと思うとちょっと笑えるが)
ノーマも生まれついての天才が常人には到達できない場所に達したようである意味羨ましい。
ラストシーン、ノーマの目に見えている世界はどれだけ美しいんだろうかと想像して胸が熱くなる。
ジョーの「空虚という言葉がぴったりだが果たしてそれだけだろうか」という台詞が心に残る。 ラスト、映画ではグロリア・スワンソンの表情が凄くて
スターの妄執を見せつけられたようで戦慄したけど、
こちらのノーマは、狂っているのにスポットライトを浴びるのが
本当に嬉しそうで、美しいのに恐ろしかった。
後ずさりたいのに目を離せない、周りの記者の人たちの気持ちがよくわかった。
スターにしか見えない景色が見えてるんだろうな。
ジョーが屋敷に留まったのも、経済的な事情や、ノーマが強引だからとか
恩義を感じたからだけじゃなくて、スターというものに対する憧れもあったのかと思った。
マックスの人生が気になる。
自分をスターとして見出した恩人→最初の夫→執事と、
ノーマの中でのマックスの立ち位置はどんどん格下げされていった訳で、
しかも周囲もそれを知っていた訳だよね。
前夫が、使用人として新しい夫の世話をする。なんてシュールな…。
いろいろ考えだすと、ほんと想像が止まらない。 映画にはスワンソンやシュトロハイムというキャスティングも凄かったよ
動員をオタに頼る状況はいろいろ縛ってしまうな ジョーは、なんとなくノーマを放っておけない優しさなのか、まともな精神があって、
かつ、マーーックス!と呼ぶと何でも叶う生活、ジゴロな生活も甘美に感じていたと思う
俺は汚れたけど手に入れたぜ、みたいなw
そう、シュール
でもマックスは覚悟というかもう、そこまでしている自分を快感に思っていたのでは、というのは考え過ぎ?
ええ、あれもこれも元夫に見られてたの?アブノーマルな世界…と思ったのはジョーだろうね
ノーマとマックスの究極のプレイに引きずり込まれてたわけね
ちょっと話がずれてしまったけど、多くの人が見ることのない景色を見た人たち、
下界には戻れなかった、戻るタイミングを失ってしまったのかな
お金には困ってなかったから、静かに暮らせばよかったけどね
ラストのノーマが嬉しそう、幸せそうというのには同意
静かだから、美しいからより恐いよね
なのに涙が出る、本当に不思議な、何とも言えない感覚
ニコ動にBW版がうpされてたよ。
ノーマはエレイン・ペイジ。色々観較べると面白い。 マックスが執事に転向した当時はバリバリ現役の監督だったのでしょうか。
既に落ち目だったために、自分の黄金期の作品を彩ったノーマによけい執着したとかあるかな。
何歳で結婚したのか、ノーマがいつまで大スターだったのか、気になります。 >>541
でも、舞台は、客が高いお金をだして客席に座ってくれなきゃ成立しないのよ。どんないい芝居でも。
入場料の安い映画とか、芝居そのものが好きな人対象の小劇場ならどんな辛口脚本でも汚い主役でもOKでしょうけどね。
歌舞伎みたいにスター芝居だとはっきり「座元に親切、役者に親切、見物に親切」で、
たとえばどんな悪役でも、大悪人はスケールの大や色気、小悪党なら愛嬌を見せていい役にして
俳優はいい気持ち、観客は喜び、動員よくて劇場側も大喜びって作り方。
客に媚びるのじゃないけど、ファンが頼りは仕方ない。みな同じなんじゃないの(BWは知らないけど)。
後味がどうこう言ってもファンは通う。でも、とうこが汚くなったらどうなのかな。
>541 50歳のノーマが「20年待った」というセリフがあったから、
引退したのは30歳のはず。
今だったら、30歳なんて全然若いのに…無声映画からトーキの移行期で
あっという間に世代交代しちゃったんでしょうね。
確か夫が3人いたはずだから、初婚のマックスとは20代前半あたりで結婚?
「サンセーットブールバード」が頭から離れない。
ジョーが屋敷に迷い込む時と、ベティがタクシーに乗り込むあたり
オーケストラが盛り上がるところが凄い好き。
やっぱりCD買うべきだったか。 >>546
541ではないけど
だから主演ファンの人とは永遠に分かり合えないのよねと思う。
ノーマって汚い主役じゃないし。
いや、今回の舞台もよかったよ。
でももう少し年齢の合った役者で見たかったという気持ちは拭えない。 >>545
原作映画が出演者と非常にオーバーラップした話になってるから、原作でノーマとマックスを演じた、
スワンソンとシュトロハイムの実人生が、ある種のヒントになってるような気がする。
ノーマを演じたスワンソンが映画でトップスターだったのは、大体30前後まで。トーキー第一作の
『トレスパッサー』(29年)は、意外と歌も台詞も器用な所を見せて好評だったけど、その後のトーキーの
余波による世代交代の波に押されて主演作の人気が急激にジリ貧になり、5年後に映画界を去る。
その後実在のスワンソンは舞台やテレビ、はたまたアパレルや旅行関連の実業界に河岸を移して
活躍を続けてノーマ役での映画復帰まで顔を繋ぎ続けるけど、ノーマ自身はその頃社会の表舞台から
完全に姿を消したと予想。
シュトロハイムもやりたい放題の演出姿勢がたたって遂に『クイーン・ケリー』の撮影でプロデューサーから
愛想つかされお蔵入りになって、監督として映画界でやってけなくなったのが29年の話だから、ほぼ同じ頃に
落ち目になったと言える。こちらもその後個性派の脇役俳優として糊口を凌いでいく(って書くと贅沢と思われる位
活躍してるけど)わけだが、マックスの方はそうなる事を嫌って、似たような境遇であり、しかも実際一緒に働いて
訳知りの間柄になっていたノーマの元に転がり込み、結婚したとしたら?そして実在のスワンソンのようにノーマも
その後マックス含め何度か結婚・離婚を繰り返し、そのような中でマックスが持ち前の偏執狂の本性を露わにし、
執事としてノーマの傍に仕え、彼女の起居動作全てをそれとなく、ゆっくりと自分の管理下に置いていったとしたら…?
…なんて事を、ノーマとマックス2人の関係として想定してる。
勿論これは自分の勝手な考えで、全然正解じゃないけど。長文すまん。 >>546
なんかちょっと違うような
動員重視のキャスティングはベティのことでは?
結果的には、タフでそれを嫌味なくやった良いベティだったけどね
汚れる汚れないで言ったら、安蘭ノーマは現役ヅカファンからしたら
年下の男に迫ったり、階段に寝そべったり狂ったり、かなり強烈だったらしいw
安蘭ファンはもう慣れてるだけだよw
映画のほうも受け狙い的なキャストだと思う
よくOKしたわ
この辺のキャスティングについては詳しく解説してるHPがあった
スワンソンは当時もう映画には出てなかったけど、実業家になってたから
それほど惨めな気持ちは本人は感じてなかったようで 〉550
映画のマックス役の人って、監督だったんだ!
デミル監督といいノーマといい、映画は恐ろしく現実とリンクした話だったんだね。
ちょっとネタバレですが…
舞台のマックスは、ノーマにいちゃつかれたり洋服プレゼントされるマックスを
射抜くような鋭い目で見てたと思えば、ノリノリでパイプオルガン弾いたりと
お茶目な所もあり、ラストシーンも映画とはずいぶん印象が違って
人間らしくて好きだった。でも、根本は確かに偏執狂だ。
ノーマが見るからに取扱注意な感じにくらべ、マックスは静かなストーカーって感じ。
あの屋敷は、二人だけの壮大な夢の世界だったのかも。
そこに迷い込んだ普通人のジョーこそが哀れ。
ラストの歌、「ジョーよ、それは自分のことじゃないか?」と突っ込みたかった。
年齢に合った俳優でっていうけど、
今の時代って、50歳と22歳を並べたら50歳が勝つ事もあるわけで。
年齢を核にすると、ドラマの根本からムリがある。
だから今回の演出方向でいいという気がするけど。
アーティはリア充。
アーティは友人多いけどジョーはアーティしか友達いないっぽい。
しかし男友達から「あいつはいい奴だよ」と言われる人に限って
女性とは残念な結果になる事が多く気の毒である。 ジョー:この街で手を差し伸べてくれたのはあんただけだ
とノーマにいうんだが、アーティーは違うんだ、と思った。
アーティーってリア充なのかなぁ。監督の奴隷で苦労しているみたいだし。 >>554
面白い見解だね。安蘭さんのファンの方? 確かに70と22じゃあるまいし、ノーマは年で負けたわけじゃないよね。
単純に映画みたいに老けろとか、ベティも映画みたいに若い女優にやらせれば、
スタンダードに近づくとはならないかも。 >>558
"手を差し伸べる"の種類がちゃうんじゃないかなあ。
しかもノーマに対してはおべんちゃら臭いしね。ジョーは当座の食い扶持確保の為に
ノーマの脚本のリライトを遊びで受け持っただけで、脚本家としての向上心もプライドも
それなりにあったからヒモ生活には決して満足してなかったし、正直踏み台以下の
存在なんじゃあ?原作とニコにうpされたBW版を観ただけだけど、日本版ってここで
言われているようにそんなにジョーのノーマへの恋愛感情の描写があるの?
あと、アーティはフツーにリア充だろね。苦労も若いうちの云々ってカンジで、
あんだけ人脈があればいつかは成功しそうな気がする。ベティもジョーと別れた後、
フツーにアーティとより戻して(つかジョーとベティの関係自体知らないっぽいから、
アーティ的には何事も無しなんかもね)、リライトされた例の女教師の脚本を
完成させて共同制作で映画化して一発当てるんじゃあ?とか… やれやれ嫌味も通じないのか…
この作品を見て「勝ち負け」という言葉が出てくることすら
理解に苦しむんだけど… 好きに観させてあげましょう
観る人の自由だから
アーティは地道に着々と階段を上るでしょう
ベティとジョーの関係はうすうす気づいていて(自分が留守の間の出来事)
それでベティを変わらず受け止めたら、すごいぞ、アーティー
1幕しか出ないと後になって気づいた
アーティの存在は大きいわ
アーティがいいのか、矢崎くんがいいのか 実際は居ないのに2幕でもベティたちの場面で
2人の恋のブレーキとして存在してるからね。
(結局ブレーキはきかないけれど) よく見る二人とも年に見えないから云々という批判は無意味だな。 ジョーが仕事もない金もない自分の才能に自信も失いかけて人生に行き詰っている時に
アーティは奴隷と自嘲しながら仕事バリバリ頑張って、可愛い彼女もできて。
ノーマのツバメ生活で虚無的な生活を送るジョーと対照的に実のある人生を生きている。
ジョーも内心羨ましく思っているんじゃないかな。
平凡な家庭生活を夢見るところもらしくて微笑ましい。
(そこでベティと考えの不一致があるかもしれないが話し合いで解決できる範囲でしょう)
プログラムで「この作品にでてくる人はみんな他人を利用云々」とあるけど、
アーティだけは計算も利用も無縁の人でいて欲しい。
ジョーとベティにとって「あいつだけは裏切れない」と思わせる存在の方が話がより面白く感じる。
あて馬のような役だけどなかなか血の通った人物に仕上がってるね。 当日券も何も、ぴあにてんこ盛り、今売ってるしねえ。
楽も立ち見じゃなくて出るでしょ。 いいなあ。大阪で観る皆さん、楽しんできてくだされー。
>561 亀ですが、恋愛感情ではないけれど、情はあると思う。
自殺未遂起こしたって聞いて、血相変えてノーマの屋敷に戻るところとか、
「礼を言ってとっとと帰れ」と強がるノーマを抱きしめる場面とか。
打算だけじゃない真実味があった。
一幕でベティに自分の脚本をあげたり、ノーマの脚本を手伝ってる時点で
脚本家としての将来は半ば諦めてる気がする。
「あの(ノーマの)脚本がデミルに渡れば、俺のキャリアはずたずた、
でももうどうでも良い」って言ってたし。
その一旦消えかけた創作意欲を蘇らせたのがベティだった訳で。
でも、ベティと恋に落ちなければ、そのまま3人で奇妙な同居生活を
続けられたんじゃない?って感じだった。
二幕の冒頭では自嘲気味に歌ってるけど、撮影所にノーマと向かう時は
すごい笑顔だし、「あれ、ジョー実は楽しんでない?」と思った。
まあ、ベティと会う内に、そのノーマへの対応もだんだんおざなりに
なって行く訳だけど。 日本版はばりばり恋愛感情ありだよ。ノーマはそれにふさわしいしね。
だからマックスがより嫉妬もするし複雑で面白くなってる。 >571
映画版は車で隣に座ってる時凄い嫌そうな顔してたから、舞台のイチャイチャぶりに驚いたw
ジョーとベティにお似合い感や惹かれあってる感が薄かったのもノーマラブに見えた原因かも。
まあこちらも終盤に近づくにつれわりといい感じになってきたけどね。 「復帰なんて言葉は嫌いそこが私の場所よ」という作品で一番有名な決め台詞に爆笑する大阪の観客。 大阪人は日常がつらすぎるから笑わないと生きていけへんねん。 ここ読んで見に行こうと思った。行って良かった。
なんか、見てて色々ツラくなったけど、40代後半の自分には見応えあったよ。
引き際とか、老いとか、時代の流れとか。
あ、マックスも良かった。
公演直前にチケット買ったから残席の座席の場所に対してチケ代が高杉。
全席一律料金てどうよ。 シアターBRAVAではチケット持ってなくても
グッズ買うためだけにロビーに入れてくれるかな?
昨日見たんだけどパンフレット買いそびれてしまって、
出来るなら今日行こうと思うんだけど。 7日昼夜見てきた。3日間しかないので久しぶりに無理をして疲れました。
ジョーを撃つところ、簡単すぎても少し何かしてほしいなとか思ったけど、
大スターのプライド、復帰(?)の喜び、その裏の不安から年下の男に取りすがる哀れさ、惨めったらしさ。
よくやっていたと思う。でも、実年齢になったらちと正視できないかも。何年か後の再演をみたいが、怖い。
(感情がかーっと高揚して動きが激しくなると、脚が色っぽくて、凄く女を感じるw すみません)
マックス、ジョーと他のメンバーもよくて疲れたけど、堪能しました。
>>577さん、チケットについて同意見です。昼は2階後方だったので???と思いました。 続けてすみません(書き忘れです)。
ラスト、どうしようもなく嬉しそうなノーマが、映画とは違う怖さでした。 とっても面白かったんだけど
こういうの近頃ダメなのかな?
アリスもシラノも楽しみです 千秋楽観に行きました。今日しか行けなかったんだけど、行って良かった〜!万里生くんが若すぎじゃ…と思っていたけど迫力ありました。安蘭さんと親子に見えないかと心配だったけど、その分ノーマが正気の沙汰じゃない感じが出て良かった〜 キャストの皆さんが「再演」を連呼されてたので期待していいかな
もしかして、もう決まってたりして・・ >>582
万里夫くんよかったよね
再演あれば嬉しい >>582
もともとノーマとジョーは親子ほどの年齢差がある設定です
>>585
万里生です 安蘭、田代、鈴木の3人はこの後しばらくどんな役が回ってきても物足りなく感じるんじゃないか?
と心配になるくらい演じ甲斐のある嵌り役に巡り会ったと思う。
彩吹はむしろこの役が物足りなかったか。
楽挨拶の時主要キャストで唯一再演の話題出さなかったし。 >>588
楽は見てないけど彩吹さんよかったよ
とうこのおどろおどろしい歌の対極に
柔らかな正気の女性の歌声があって
田代君とも声質が合って 本人が物足りないかどうかは分からないが
うっかり途中で書き込んでしまったw 安蘭さん良かったけど皆が言うようにもう少し年齢がいってから見てみたい
昨日の楽でも「再演」の言葉が飛び交っていたけど個人的にはすぐじゃない方がいい
鈴木さんが良いね
あの佇まいだけで雰囲気が十分ある
彩吹さんは「COCO」の女の子(名前失念)とカブったような役作りに見えた
「狂気」のノーマに対比するのだからそれでいいのかもしれないけど
もしかして若い子を演じるのは苦手なのかなと思った
でも万里生との歌は素敵だった 年齢でひっかかる人って物語に入り込めなかったんだろうね。
なんの抵抗もなく素晴らしいドラマ、素晴らしいμに酔わせてもらったよ。 ↑
宝塚ファンって女でも男役で違和感ないから正当に見る目を失っているんですねw 正当ってなんだろうね。映画の丸写し? BW版の踏襲?
現代の日本で上演するんだから、
そこで作品が成立してればいいんじゃない。 再演してほしいなぁ、何年か後にね。もう少し老けたノーマで見たい。
曲が頭から離れなくなって、サントラDLしちゃったよ。 >>594
作品が成立するには役者の力量・年齢も大切ですよ
トップであればいつでも主演の宝塚ファンはマヒしてる? 年齢なんて関係ないでしょう。
大地真央や森光子や杉村春子は何十年もロングランだよね。 >>588
彩吹さんは役が物足りないというより
再演があった場合、いくらなんでもベティ役は年齢的に無理。
ご自身もそのことがわかってるからあえて再演の話はしなかったのでしょう。 ノーマの妄執と狂気の世界に対し、ベティが現実のまともな世界を表しているわけで、
彩吹さんは堅実な芝居で、その責任を十分に果たしていたと思う。
脚本家という夢に向かって頑張ってる女性だし、「22歳よ」なんてセリフなくてもねえw
でも2回見たけど、大阪の客は笑わなかったよ。
サーモンピンクを意外に可愛く着ていたし、柔らかな歌声も役に合っていた。
>>597
問題は年齢なりの芝居をしてないことかな
あ、今の50歳は若いとかの頓珍漢な反論は不要 盛りを過ぎて忘れられたというのは大事なテーマだけど
決して老婆という意味ではないと思う
そもそもサイレントからトーキーへ、という抜本的なシステム変革の中の話で
求められるものが変わってきたのだから
アイドルとか子役が30歳になったらどうするかというのと同じでは
以前と同じキャラではできない、老け役に上手く移行しなければならないのに
イメージが強くてできない、へんに有名なので扱いにくい、とかね
まだまだ外見で(それと眼差しの表現力ね)勝負できると本人が思う程度のものが
舞台上で見えてなければいけないのでは
その意味で今回は非常に納得
シアターガイドで演出家が、本当はお金もあるし困っていたわけでもない、
ジョーとの恋愛はサロメへのリハーサルだったかも、と語っていて腑に落ちた
映画版でもサングラス外した時の目の強さが印象的で
最後のThis is my life の言葉にしても
(唯一文句を言うなら「これが私の歩くべき道」じゃなくてもよかったかも。
「私の人生」の直訳がダメというなら、「私の場所」とか「私の生きる様」とか)
撮影現場のスポットライトにしても、映画への愛とプライドが一番印象に残ったので 50歳とか年齢とかどうでもいいんだよ。時代がズレちゃった人になってればいいの。 そうかな
容姿の衰えって結構重要なファクターだと思うけど ピチピチの肌じゃないってのは大事だね
首の皺も
その辺はちゃんと中の人も、弾ける若さが武器ではないw(褒めてる)
だからいかにも若いジョーでよかったじゃない
明らかに年齢も上、貫禄も上、なのに夢中になっちゃう滑稽ぶり、ウキウキの痛さが絶妙
で、ベティの話に戻ってしまうわけか
まあジョーもね、ある程度の年齢の閉塞感がないとノーマのトンデモ話に
希望を託したりはしないんじゃないかと思ったりはするけどね。 >ノーマのトンデモ話に希望を託し
そんな解釈初めて聞いた。
元々車を手放さないために割り切って引き受けた仕事じゃないの。
万里生ジョーだと世間知らずで優柔不断の青年が流されて翻弄されてこうなってしまったように見えたけど
ノーマに丸めこまれるのも若さゆえに思えて良かった。 流され感がよかったよね、万里生ジョー
脚本家としての才能はどうだったんだろう
器用にこなす自信はある、とりあえず食べていかなきゃ、という感じかな
基本優しくて、栄光の過去や女性で年配者であるノーマへの敬意が自然
また観たいなあ >>609
全然割り切ってなんかないよ
どこ見てんの >>609>>611、まあ落ち着いて。感想なんて人それぞれなんだし。 現実に置かれた自分と社会から外れた自分と
疎外感と現実を否定する個が織り成すドラマ。
サイレントからトーキーくらいの技術革新は現在秒単位でおこってる。
疲れるよね。
自分はあの時代の車は黒に統一して欲しかった。
あの時代あんなカラフルな車に乗ってたのかな。
塗装技術、製版板技術、時代背景を日本のお客さんがしっかり
理解して欲しい。 都合よく今の時代にあわせて文句言う韓国と同じになっちゃうよ。
上演できたことは意義があると思います。
塗装技術や板金に関しては詳しくないけど
色だけで言うと、戦前30年代には黄色(ベージュ含め)、水色ある
日本もトヨタのAAは最初黒だけど40年に水色がある ノーマ邸の車
イタリアの超高級車
「イソッタ・フラスキーニ」でググってみて 個人的な感想だが、ジョーは万里生がベストとも思えなかったな。
アンサンブルの一人一人まで役を演じている中、ジョーだけ本人の延長線上というか
役に近づくというより役を自分に近づけるアプローチをとっている風に感じたんだが。
結果として悪くはなかったけど、一人だけ作り込みが浅くて薄味だったのが残念。
再演があれば体力消耗しそうなジョーをWキャストにして欲しい。
個性の違いが出そうな上原理央とかで観てみたいんだが、ホリプロ劇団では無理か…
>611
映画では「この仕事だって車のために引き受けたんだ。という台詞がありますが。
舞台は車喪失エピソードは軽いけど執着はしてる。車から始まった物語。 >>616
それを等身大で自然と思った自分w
素の万里生くんはよく知らないけど、
チンパンジーの代わりにできる可愛さと
話していて退屈しない知的なところ、意外に男なところがいいではないか
でもジョーのダブルには賛成
上原くんか、好みだけど思いつかなかったなw
ティボルトで伯母との不倫はやったが、うーん・・・?
個性は違うほうがいいけどね >>613
クラッシックカーは黄色とか赤とか結構色は派手だよ。
当時既にスポーツカーもあったし。
戦争映画とかに出てくる40年代の政府用車や軍用車のイメージで語ってない?
>>616
自分は今までの万里生君は役を自分に近づけるタイプだったけど、
ジョーは役に近づくアプローチをしていたように思った。 パナマウント映画にマックスの運転でノーマとジョーが向かうシーンで
マックスがノーマに左目のアイシャドーが崩れてるっていう台詞、
何か意味ありげなんだけど、その意味が分からない。
それとも、そんなに気にするべき台詞ではないのかな?
誰か、分かる方いたら教えてください。 >>621
あの位置からミラーでチラ見しただけでノーマのメイクのビミョーな崩れが分かるマックス。
…それだけでもこの2人の関係性の濃密さが感じ取れるのでは。メイクというのはある種
監督・演出…ってものを連想させるメタファーとして。 >>617
もしかして台詞で言うことが全てだと思ってる? >623
表層意識では金の為車の為生活の為ノーマの迫力に押されたのと密かな興味心。
サロメの脚本に希望なんて見出せるわけもないし、割り切らないとやってられんわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています