2ちゃんねるにおける空気の研究
深い意味はないですが、ネットではなく2ちゃんねるに限定します
議論例 (まとまってません)
・2ちゃんには毒っ気がある人を演じなきゃいけない空気があるのではないか?
普通に礼儀正しい、だけでは慇懃無礼に当たってしまい不適正
・2ちゃんねるガイドにある、面白い発言を心がけようってのと
それに加えてストレスを感じてる層が多いせいで嫌な毒になってる?
・例えば「あいつデブすぎて笑えるwやせろよw」ってのは現実では言えないが
2ちゃんでは同意できて適性、黙認できて及第点、反論したら不適正ということになる
・2ちゃんねるにおける常識と現実世界での常識はどれだけ違うか?そもそも同一なのか?
単にコミュニティごとに空気が違うだけのはなしか
・建前上の匿名性の効果。匿名性があれば2ちゃんとまったく同じ雰囲気を生成できる?
・スルーはほんとに最善手か?
・反論する側が不利過ぎないか?レッテル貼りの誤解を解くために、
長文・連投が必要になる事が多いが、長文連投ってだけで印象が悪い
その割に1行レッテル貼りは、肯定か黙認されることがほとんど。
黙って我慢しろと第3者が茶々入れるのは容易ではあるが、
一方的な負担が大きすぎるので抑圧するにはどっかで無理が出てくるのではないか
・レッテル貼る側が有利すぎないか?なぜレッテル貼る側の正当性を問われないのか
・2ちゃんでは賛成意見も反対意見もいろんな意見が出つくすと思うのは幻想。偏ってる事が多い
ブレーンストーミング効果を期待するのは難しい
2ちゃんねるガイド:基本
http://info.2ch.net/guide/faq.html#B0
山本七平の「空気の研究」が参考図書ですが必読ではありません
参考スレ
【山本学】山本七平 part2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1289214829/ 2ちゃんだけじゃなくてどこでもいるんだけど
議論してて間違ってると気づいたらその場で修正できる奴ってじつは少ない
基本的に相手の間違いを指摘してつぶそうと企てることが多い
アンチとかネトウヨがこれ
「いや2ちゃんにとある発言してそれで間違いの指摘や批判が殺到したら
謝ってる奴って結構いるんだが」
確かに大勢にガーって言われるのに慣れてない奴はビビってころっと態度かえるけど
それは議論で意見変えたとはいえないからな、ビビっただけ
多数派が絶対正しい保証はないし、多数派が間違ってることは結構あるはずだ
大勢にガーって言われるところに便乗してくる奴はまさしく絶対勝てる戦いと踏んでるわけで
袋だたきにされてる一人がどんな反論がしようが自分が正しいと疑わないのは容易に想像できる リアルタイムの公開の場では様々な圧力が働くと思われる
人が「その場で」間違いに気づくこと自体なかなか難しいのではないか
相手に論破され、どうしても「その場で」上手い反論が見つからないと
最後の砦として「自分の納得できない感情」を論拠にすると思われる
第三者にとっては往生際の悪い逃げ口上であっても、本人にとっては
「納得できないのだから(理由は上手く説明できないが)間違ってない」
気づいているのは「自分が上手く反論できていないこと」であって、
「自分が間違っていること」には完全には届いていないのではないか
反射的に傷ついたプライド、環境の圧力、自分に知識がないだけで
きっとどこかに証拠がある、相手も知識不足に違いない、という逃げ場、etc
感情が先走り、問題を検証してみようとする冷静さ、余裕がない
間違いに気づくにはせめてクールダウン期間が必要なのではないか
そして間違いに気づけた時にはわざわざ蒸し返して修正する空気でもなく、
新しいIDで別人としてしれっと過ごしているケースが多いのではないか 空気の判断は責任の所在が曖昧になるわけだが
それが思考停止だ、ってのはベクトルがちょっと違う話なのだと感じる
みんなが思考して空気を読まなかったらおそらく日本では結論が出せない
日本人の根本に空気を読んで思考停止する必要性があったように思える
それが日本の多数決の流儀だということ
保守には各人に伝統や歴史に則したものが根底にあるのなら多数決でいい、
という考えがある
だが中間共同体が崩壊してるというなら当然これは期待できないだろう
たとえば自演なんかはものすごく反発されるわけだ
とはいえ多数決の結果は今のところまだ尊重されるので
決定権が空気にあるにはちがいない 2ちゃんには空気読まない奴がある程度いるけど
ネットのツイッターとかは同じような意見の集まりだけになって
嫌な空気が生成されているようにおもえる。
集団で歩いてると気が大きくなって、
周りにちょっかいかけだすアホが出てくるようなそんな感じだ。
ヘイトスピーチがまさしくそれだろう
ただし、2ちゃんは空気読まない奴がある程度いるだけで
それで議論が深まることはない。決裂したあとは罵り合いで終わる いまツイッターでシナモンという企業キャラがいじめられてるということが言われてる
http://www.rbbtoday.com/article/2015/05/15/131321.html
これは結局消費者間の勢力争いなんだよね。
・シナモンかわいいというライト層
・ツイッターで死ねとか言ったら面白いんじゃねw?な層
ツイッターで死ねとか言ったら面白いんじゃねw?は空気を読んでないわけではない
単独行動ではなくマイノリティだろうが1つの集団への所属意識があるから悪びる意識がないのだ
結局どっちが勝っても闘争の末の勝利には変わりがない
ネットでもゆっくり虐待やしぃ虐待などをあつかうコミュニティがある
それとの大きな違いは
>多くのゆっくり虐待コミュニティの側からは、「ニコニコ動画」のような間口の広いコミュニティに持ち出すことは好ましくないと考えられている。
というような感覚の違いだろう
成熟したコミュニティはお互い干渉しないで気分を悪くしないようにやりましょうとなるようで
シナモンの件はそこまで行く前に一時的に目立ってしまっていたにすぎないと見ている
みんなに見られたい奴がやってる
つまり
・架空キャラを題材に虐待創作がしたいガチ勢
の存在が想定されるがまだこの層が表に出てるわけではない
ガチ勢はおそらく少数派だが、彼らが集団を成せば抹殺することは不可能で
2ちゃんであればなんでもあり板や噂話板のような目のつかないところで続くであろう どうでもいいけど、と前置きして意見を書く人がいる
言うまでもなくどうでも良くないわけだが
こういう人は、ある一点のポイントに反応して反射で書いてる人が多い
特定ポイントが気になったものの、
全体的には詳しく知らないし、まともに考えたこともないことを白状してるのだ
では、どうでもいいけどと書かない人は、みんなまじめに考えてるのか?
当然そうは言えない。どうでもいいけどと書いていなくたってただの反射の人が多い
そう考えると、どうでもいいけどって書いてる人のほうが良心的かもしれない 恐ろしいスレだ
頭が悪い基地外が自演してるならまだいいのだが
そうじゃないところが実に恐ろしい 中傷は誰もがくだらないと思うものだ、と思っていた
だがこれは思い込みだった
中傷があふれている状態を見るのが楽しいと思う人達がいるのだ
在日や特亜人には何をしても許される、な感じになってる人、
ニュース速報に張り付いてる正義漢や某コンテンツのアンチなどもそうなのだろう
「あいつが悪いのだから何されても文句が言えない」というのは恐ろしいことだが
人類の歴史では、部族の皆殺しなどが平然と行われてきたし
実はそっちのほうが自然なことなのだ。(ただしホッブスの自然状態ほどのカオスを想定してない)
近代ではそれができなくなった。できなくした。
どこかでその不満が吹き出てきてもおかしくないのだろう
(アメリカは堂々と中東で空爆しているし
中国も特定地区で虐殺してると言われているように例外はある)
ここで注目したいのは中傷を応援する場合どうしてるか?だ
中傷にいいぞもっとやれ!ってのもなんか変なので黙ってるはずだ
なので一見同意してる人がいないように見える
これを、見えざる中傷賛同者と呼ぼう
レイティングシステムでbadに入れるのが大好きな人たちだ。
外国産サービスはそのままのレイティングが輸入されてるけど
日本では寝た子を起こすようなこういうシステムはあまりよろしくない
価格コムみたいに、参考になった、しかないのはその辺よくわかってると思う
2ちゃんでは構造的に、見えざる中傷賛同者が見えづらいのは皮肉だと思う 2ちゃんでまず慣れて欲しいのは
1対多の状況で全否定されてもうろたえないことだ
2ちゃんの多数決なんて正当性がないのだから
びびって自分が間違っていましたすいません!みたいな態度をとる必要はない
これは現実では意外とないシチュエーションなので、
ガチの嫌われ者?以外は免疫がなくてパニックになる人が多いはずだ
あくまで2ちゃんのそのスレに張り付いてる狭い世間の常識であって
一般世間の常識ではないので、自分が孤立するのは容易にありえるのだ
多勢に無勢でキレろ!暴れろと!いうわけではない
とりあえず意見を撤回しない、相手の言うことを鵜呑みにしない、降伏しない、
最初のうちは反論もしない、でいい
冷静に考えて自分が間違ってれば反省すればいいがそれを報告、感謝、改宗しなくて良い
ただでさえパワーバランスが非対称なのに、
多数派の権威を無駄に高めるようなことはしないでほしい http://coresugo.com/ikehara/
佳子さまを脅したおっさんってのは韓国人を装ったネトウヨの自演だったらしいな
盛り上がればいいとか思ってる奴は自演しかねないわけだ 明らかに人格に問題ある奴が賛同者がいるから一人じゃないと
いきがってくるとうざい
自演でそうやってるやつは一人でもいきがってるわけだけど結局は飽きるからな
飽きない奴は絆が出来上がってるんだと思う 2ちゃんねるは書きたいことが書けるので2ちゃんは終わっただの糞だの
自身の批判自体も言いたい放題だ
しかし2ちゃんから別の場所へは完全に移動できないのが現実であって
他の場所は別荘地的な役割で終わる
なぜか?
確かに2ちゃんのお陰か、
書きたいことを書くという要件は満たせる場所は出てきている
まあ利用者が場所をわきまえないという問題もあるんだが、
もうひとつの属性である「扱うテーマが膨大」だというのが関係してくる
2ちゃんねるはテーマが独立してながらかつ統合されてる、
というスタイルを完全に実現している
したらばなんかほぼ無限にテーマがあるが
管理人が別々に管理しているしつながりがなくたどるのも困難で
過密板は2ちゃんに及ばないし過疎板は2ちゃん以上に過疎っている 国内でレイティングを採用してるサイトは
ヤフーニュースと
がーるずちゃんねる
が有名だろう
しかしあそこ見てるとこんな意見が多数なのかとがっかりする ニュースの反応は2ちゃんよりツイッターのコメとかのほうがキモいな
正確に言えば内容は似たようなものだ
ツイッターはIDがあるのに、なぜ匿名がたてまえな場所と同じ様相を見せるのか?
いくらでも複垢できるから?そういうことではないと思う
2ちゃんの書き込みなら便所の落書きを辞任してる奴が多いと思うが
ツイッターは暴言に近い意見でも正しいと思って書いてるのだ。
ID出してもやましいことはない、だから気持ち悪いのだ
多数決ゲーム気分なのだろう テレビの話だが
ずっと毛嫌いしてた有吉を改めて見たら面白かった
そして改めて思ったのは「レッテルが受け入れられる土壌がある」ということ
有吉は「ださい」とか「ブス」とか「クソ」とか「お前いらない」
みたいなしょうもないレッテル貼りをする
字面だけだと見る気にならないが映像で見ると面白い
このような有吉の発言は
以前なら偉い人に「かわいそうだからそんなふうにいうなよ」
とか注意されてしまうし最悪干されてしまったはずだ
しかし有吉に関しては「言わせたほうが面白い」という空気になってる
2ちゃんは天国か?こういう空気があるかぎり
それが得意な2ちゃんは安泰なのは間違いないが
レッテルの質というものがある
「かわいそうだからそんなふうにいうなよ」
と注意されてしまうことがまだまだ多いだろう
有吉にしても栄光から挫折したうえでの再起だからこそ
受け入れられてるという見方もある
2ちゃんでみられるレッテル合戦は誰が言ってるかわからないので
言われてるものへの自分の知識や偏見、で質が判定されるだろう。
このへんの考察はさらに必要だと思われる 俺ははレッテルを貼る人の資質(知識、偏見等)はあまり関係ないんじゃないかなって考えてるけど
IDを変えれば別人を演じられるし。
貼られるほうも匿名だとあまりレッテルの効果は期待できない気がする。
これまたIDを変えれば別人を演じることができるし。
テレビのレッテル貼りはどちらかというと既存のレッテルに新たなレッテルを付加する行為と思う。
ほとんどが有名人相手だし。
その意味では2chとテレビのレッテル貼りは異質なんだと思う。 テレビで説教や小言、毒舌が受け入れられるのは、テレビ見てるのが
説教や小言を言われる側の子供ではなくて、いう側の大人だからだろう
「いいぞよく言った」みたいな受け入れ方をされる事が多いのは
そういうことだろう
ただ、2ちゃんの中心ユーザーは30代以上と言われてるし
このへんの嗜好は実はテレビと大して変わりがない 2ちゃんねるには派閥が存在する
ニュー速、VIP、嫌儲、なんJ、ぷらす民
これらは独自の文化と様式を持ち
蔑称である「ネトウヨ」に見られるような「あいつら」的なニュアンスとは異なり
帰属意識が感じられる点が大きな特徴
ニュースや野球をネタに
「ネットでくだを巻く」おっさんが中心だと思われていたが、
実は実態はよくわからん
なんJで某弁護士の殺害予告で逮捕されたのは20くらいの若者だったが
若いのか結構年いってるのかよくわからん
このよくわからんというところが空気の生成にかなり大事だと思われる 日本の空気は厳しいという批判がある一方
魔女狩りみたいな事件には発展しないのが不思議
もちろん子供のいじめ殺人とかはあるけど
あれは魔女狩りなのかな 魔女狩りに近いことはもちろんやってる
村八分なんかが有名だろう
だが組織的になにかやった場合に
責任の所在がはっきりしないから同じようなことを繰り返す
新国立競技場見直し、原発事故と再稼働、沖縄基地移設ループ
すべて責任者がいないから確実にまた繰り返す 2ちゃんに欠けてるのは礼節と思いやり。これらは積極的に排除してきた。
それでも厳然と屹立する2ちゃん最大のタブーは、
空気を読まないこと読めないこと なのである ちょっとわかりにくいかもしれないな
2ちゃんで空気読まない奴多いだろ?と思うかもしれない
空気読まない奴もいるがそれでもタブーなのは間違いない
2ちゃんは空気読まない奴まで許容して排除できないのが最大の特徴
その代わり串やAAコピペのようなテロ行為には
世界レベルの対策を施してるのである ネットでアンチや否定的な意見がある程度つくと
ネットには「こういう意見もある」と認知される
ある程度の数というのが大事であり
自演工作があって、ある程度の数なんかいないと発覚すると
みんながっかりして逆に工作を叩かれることになる
だがそれでも決してアンチ個々の責任が問われることがないのだ 空気と関連が深い2つの現象を取り上げる
それは移住と重複だ
まず重複から
手違いによりまったく同じスレを立ててしまうことを重複という
重複とみなされた方のスレには原則書き込みがない
どんなに書き込みがあるスレでも重複の方は圧倒的に書き込みが少ない
このとき空気を読んで書き込むorかかないという行動が起きていると言える
そして移住
何らかの原因で板単位で移動が起きることを移住という
移住先は極端に書き込みが増え、移住元は極端に書き込みが減る
この移住はまさに空気による決定だ
最大の特徴は責任の所在というものが全くない 宮台のゼミ生がネットで炎上させる競争をしてる、という話を聞いたことがある
でも結局は空気の動きなので仕掛け人の役割がそこまで大きいとは思えない
もちろん秋元康とかある程度思いのままに仕掛けることができる、
やりての企画マンも実際にいるんだろうけど
空気によって痛い目にもあってる気がする 移住はスレ単位にも発生する
例えば荒らしがいついて、荒らしの煽り合いになってる場合
類似のスレを立てなおすと、住人がそっちにきれいに移住して正常化することがある
荒らしが気づかないのかあえて移動しないのかは不明だが
こういう移住は意外と成功するのだ。
これは何を意味するか?
スルーしろとはよく言われるが、やはり納得いかない人が多いのだろう
そういう人たちが重複や乱立などの抗議をせず新規類似スレを受け入れるのだ スルーするというのはものすごく忍耐とストレスを強いられる
最悪こんなとこ見なくていいだろ?と思ってるならそれは完全に他人事だろう
スルーして正常化になる保証がある場合でしかスルーしろとはいえない 恣意的 という言葉がある
辞書にはこうある
1(形動)その時々の思いつきで物事を判断するさま。「−な解釈」
2[形動]気ままで自分勝手なさま。論理的な必然性がなく、思うままにふるまうさま。
この言葉が2ちゃんの書き込みのすべてを表してる気がする
ちなみにこの言葉が「意図的」や「悪意を持って」というニュアンスで
使われると誤用だということだ
だが元の意味がやや不安定な感じなので
明確な作為や悪意を持って、のような意味に転化してしまうのも無理がない気もする
もちろんこれが2ちゃんの書き込みにも言えるわけだ
やはり恣意的というのは空気の特徴を形容してる言葉に感じる プロテスタントとカトリックの対立のほうが古いかも
でもこれは意見の相違による反発だ
マルクス主義は対立を作り出したという意味ではまさに対立厨 プロが2ちゃんの各専門板に書き込みするという現象について考えたい
2ちゃんじゃなくてwikipediaが話題になってたことあるなあ
ただのお客さんは「プロの書き込みとは面白い!」と思うわけだが
匿名のプロがお客さんのために有意義な書き込みをすることはまずない
なぜなら仕事しに来てるわけじゃないからだ。
たいていは「ここはレベル低い」などと上から目線でありがたいお言葉を残して消える
しかしただのお客さんは
「ほほお!やっぱプロから見るとそうなんだ!!」となるから馬鹿らしい 現在のネトウヨ、ブサヨといった対立概念を絶対化して臨済感的に把握してる構図はまさに山本七平が指摘している空気だ。
集団的自衛権賛成←お前ネトウヨだろ!
安保反対!←ブサヨ乙w
相対化できないので是々非々の政権批判ができない。
絶対的な知識不足もあるんだろうけど。 だから特定秘密保護法に反対で、安全保障関連法案に賛成の人などがあらわれるとどちらともが混乱する。 ネトウヨとブサヨのように対立ができるのは有意義かは別としても
むしろ空気の支配が弱いからだろう
山本七平は武蔵出撃が100%絶対無駄だとわかりきってたのに
対立もなく出撃のGOサインを出してしまう根拠に空気をもとめたわけだ
与党政府が安倍支持の圧倒的空気で
総裁選すらスキップしてしまってるのが問題。
なんかの間違いで小泉みたいにやたら人気出ても困るから
野田聖子に手を回したと思う
まあ一応一人の反対票として村上誠一郎がいるけど
あの人はどういう存在なのか詳しくないのでよくわからん
野党は反対するのが仕事だが手痛く失敗しすぎたせいで
水をさせる能力が無い 日本の議論とは結局は「信頼してる人に従うこと」であって
どういう人の意見かという部分をかなり見てるはずだ
つまり犯罪者やいい歳こいて結婚してない人の意見は軽んじられ
より賢いと思われる人につく事によって意思決定される
まあ問題はあるかもしれんが日本はそれで概ねうまく回っている
では素性がわからない2ちゃんでの議論はどうなるか?
発言者の素性にとらわれず、内容に忠実に議論できるかといったら
そんなのはとても無理だ
まともに議論するなら
お互いコテハンを付けて信頼を勝ち取るしかないだろう 建前上は匿名でも
ホントっぽい、生々しい書き込み
というのがあるのは事実
文章力でどうにでもなると思えるが 立場が判明してない人たちはネット情報を真に受ける可能性は高い
在特会やシールズ、安倍支持者などもネットで広まったと言われる
しかし、一旦立場が判明すると
相手が正しいかもしれないという可能性が排除される
これは空気による統制だ
相手が正しいかもしれないという見直しが起こらなければ議論は無駄になる
論破してやる!は議論ではなくてただの劇場
そして議論を見てる立場が判明してない人に影響を及ぼすということはありえる ニコニコの運営が
ユーザーの皆さまへ(ニコニコ活動ガイドラインについて)
という文書を発表した
最後をこう締めくくっている
>端的に申しますと「みんな空気読め」。
>以上です。
空気と言われたら聞き捨てならない
この場合、空気を読むことが重要なのではなく
暴言に対して水を差すことが重要なのだ
だがこのさじ加減は非常に難しく
泣き寝入りか煽り合いのどっちかになりがち。
荒れるか放置かどっちかになるのは自然なのだろう
実はニコニコ運営はいつからか勝手に暴言コメを消すようになっているのだが
これはいいことだとおもう
2ちゃんでそんなことがあったらビックリするけどねw
とはいえクレーマーで一番困るのは時間を取られて業務を阻害されることだから
運営の無駄な仕事になってるのは間違いない
すでにアメブロの芸能人ブログはそんな体制になってると聞く 2ちゃんでは自分が完全論破したと感じ
何人かが同意してくれても、
当人がそう思わなければ、なにも論破されてないことになってしまう
最後に書き続けたほうが勝つというのはそういう理屈
これは恐るべき真理!!! 自分が、とある一体感、同調圧力に足を引っ張られてると感じたら
それを意識せざるを得ないわけだが
自分が一体感の側にいる場合はとこの作用を自覚することができない
もちろんチームワークのように肯定的なものもあり
自覚を促されることもあるが
無意識の一体感には注意しなければいけない 実況の話題がテレビに合わせて変わっていく感じは独特だよなあ
シューティングゲームの強制縦スクロールみたいな 2ちゃんねるは
LINE感覚でどうでもいいことを余計にレスする奴が増えてると思う
もちろんVIPとかニュース系はもとからそういう板だったけどね
それがとうとう専門板にも波及してきた
2ちゃんねるってのはいろいろな文化を飲み込んでるんだよな
ニコニコもそうだけど
そういう雑食的なコンテンツは強い レトロゲームとか懐メロの中身には厳密な定義はなく、なんとなく決められる
この決定のされ方が空気の決定だと思う
2ちゃんでも例えばマンガやゲームを扱うスレで
あるキャラのあだ名がそのスレで決まる時がある
その時はたいした反対もなく気づいたらみんなが言ってるという状況になるはずだ
まあ普通のあだ名も同じ感じだけどね
このように空気の決定というのは日常的に見られるものであり
必ずしも悪ではない
ただし決定のプロセスには不安を感じてしまうのは確かだ 外国と日本のあだ名の広まり方は違いがあるんじゃないか?と思う
この辺は調査すら難しいのでなんとも言えないが 2ちゃんの書き込みのタイプは大きく分けて二つある
1.ログを読んだ反応を書き込む
2.スレタイ見た脊髄反射や外部のできことについての感想・所見を書き込む
1.は多かれ少なかれスレの内容に沿った空気を読んだ発言になる。
専門板や馴れ合い雑談質問スレがこれ。メタ議論や住人批判もこれ。
空気が出来上がりやすい
2.は流れぶった切って書き込む類で、たいていの場合ログを読んでない。
ニュースや実況系のスレがこれ。業者宣伝犯罪系もこれ
これには水を差す作用もある
ただニュース系実況系は同じ人が書けば書くほど1.に近づき空気ができる 日本人が「ネットバッシング」を止められない理由に
「日本人が元来持つ特性」があった
http://ddnavi.com/news/270886/a/
不快に思う人がいるのだから自重しろ
ネットでの過剰反応はなぜ起こるのか
http://ddnavi.com/news/259812/a/
なかなか面白いと思うが
みっともないからやめようねというのでは芸がない
人権派が暗躍したり上野千鶴子は抑圧された女性の代弁者として
スターになったし
(ただし上野千鶴子は親も自分も東大教授なので弱者ではない)
この空気を利用する方法はあると俺は考えている >>168
2ちゃんが嫌いな人の一番の理由は
「空気を読まない奴がいること」だと思う
まあでもいろんな人がいるから
少人数でみんな空気読んでるなれあいスレも
喧嘩ばっかりしてるスレもある
2ちゃんはネタにマジになるなよみたいな水を差す文化もあるが
ニュー速よりニュー速+の勢力が強くなったくらいから
叩く側の正義が垂れ流しになってる
それでも空気読まない発言が多いのはやっぱり2ちゃん なんJで唐沢弁護士や長谷川亮太には何をしてもいい空気は恐ろしい
しかも子供混じっている
かと言っても唐沢弁護士の名誉毀損やめろ
長谷川亮太くんいじめるな
なんて言っても冗談にしかならないのはなんでなのか 思わぬ反響呼んだ「モンスター嫌煙者」記事 なぜタバコはこんなに叩かれる?
http://j-town.net/tokyo/column/allprefcolumn/218007.html?p=all
嫌煙や障害者などへの対応は
ネットと大手メディアでは差が出てくるのが興味深い
そして専門家として井上ヨシユキが出てくるのはなぜなのか 2ちゃんねるに書く人は死ねなどと言われても対応に慣れている
むしろ慣れてないほうがわるい
と思われている
しかしこれは錯覚だと思う >>195
k5とかいう2ちゃんの最大と言われる荒らしの
当時学生と弁護士への見解は納得できるものだった
しかしこれを実行に移すと狂気となるのだな
http://info.2ch.net/index.php/%EF%BC%AB%EF%BC%95 2ちゃんで嫌いなパターンの一つ
A○○ばっかりだな
Bそりゃバカほど○○だからだろ 2ちゃんは結論が出ないからループする
常連ばっかりなら「その話は済んだから」で終わるけど
参加者とそれがなし崩しに無効となる 2ちゃんは結論が出ないからループする
常連ばっかりなら「その話は済んだから」で終わるけど
参加者が多いのでなし崩しに無効となる 相手にするな、スルーしろ
などとよく言われるが実際は書き続けた奴が勝つ
これも駆け引きにすぎないのだ からんでくる奴はスレ違いなところで食いついてくるのがほとんどなので
スレ違いだと言ってりゃ勝てる もうやめようぜという空気ができあがることがある。
パート100とか続いてたスレが数年スレ停滞したあと消滅するのを見たことがある
これはもう書き込まない、という空気が出来上がっていると言える 2ちゃん見るときに気をつけるのは
「2ちゃんの意見という唯一絶対の意見というものはない」ということだ
これはネットの意見とも言い換えることはできるが
なかなか対立意見まで取り入れてまとめるというのは難しいのだ
極論に傾くのもそのせい
管理職や政治家の仕事は難しい 2ちゃんでコメしてる奴はまとめなコメンテーターじゃないので
一般人の生の意見とか思ってると痛い目にあう
本心はどうでもいい奴がストレスのはけ口として病的に粘着してたりする 自分と同じ事書いてくれてると自分は書かなくて済む
少なくともオレはそういうタイプ
でも「なんで誰も書かないんだ?」ってのが結構ある
それだけ立場や環境が違ってたということだろう 最近の2ちゃんの荒らし対策見ると
強制コテの押しつけをよく見かける
荒らしはIPがでたら困るはずだという言い分だろうけど
こういう声のデカイの奴らが一番つまらんという罠
ひろゆきだったら当然気づいてると思うが 良くも悪くも同じような書き込みが空気を作る。
これは多数決で決めたことは大事だということが、
多くの人に刷り込まれてるおかげだろう
だからこそ自演はイカサマだということになる
シールズじゃないけど民主主義的なものが日本にはかなり根付いてるのは事実
例えば中国にはそういう考えは通用しないわけだ >>210に関連して住人がどうこう言い出す奴が面白いわけない 常連がつまらなくするというのをもう少し踏み込むと
初めは普通に特定の話題をしてるのだが
だんだん飽きてきて全く関係ない話題になる
コミュの一生の有名なコピペでは
面白い人が去る、となってるけどそれならまだよくて
実際は面白かった人たちがつまらなくなって
全く関係ない雑談に興じてることが多い スレ単位でこいつは荒らしだから相手にするなと決定されることがある
村八分の2ちゃんバージョンといえるものでよくある出来事だ
だがそもそも2ちゃんは暴言を楽しむ人が多いはずであり
この荒らしを楽しんで見てる人も多いのだ
このとき自治機能の矛盾がむきだしになる
はたして自治機能の正当性は獲得できるのか? 自治機能の獲得は
1.言ったもの勝ちで文句がなければ決定
2.文句が出たら多数決
だいたい1.であり2.で文句を叩き潰せずに
多数決まで突入したら難航したことになる 有名人には批判がつきものだとかアンチがつけば一人前だとか
よくわかったようなことが言われるけど
結局は悪く言われない方が好ましいのは間違いない
2ちゃんで評判が良い=悪く言われない、のは厳然とした事実
一見するとどんなスレにもアンチがいると思われてるだろうけど
実はアンチが主流のアンチスレとアンチがいない信者スレに完全に2分される
アンチに見えてたのが実は視聴者への批判だったり住人同士のゴタゴタで
該当対象については特に批判されてなかったりする
アンチそのものが正当な支持者でありお客さんというケースもある
ここは素人だと紛らわしいというか空気に流されるだけになりがち やたらアンチが目立つスレと
アンチが弱いスレとかいろいろある
どっちが優勢かというのを自然に判定してる
この情勢というのはいつも正当なのかどうか?
多くの人は正当だと考えている スレごとに、鯖固有(ここだと現時点ではyomogi)のIDを
付加できるワッチョイというシステムがあるのだが
積極的にワッチョイを導入するところとしないところがあるのが面白い
専スレは導入しやすいが雑談やヲチは積極的ではない様子
ネットwatch板でワッチョイが普及してないのは偶然ではない
こっそりやりたいからあまり他の板まで影響させたくないのだろう スレや掲示板ごとに空気があるが
これを吸収するのがまとめサイト 最近使われる
ほんとこれ
ほんこれ
これは最上級の同意だがいらっとする たまにスレが埋まってから次スレが立たない時あるけど
スレが埋まったらそこできりではない
スレが埋まらなかったときにそこで終了する
勘違いしてる奴多い ほんこれ
って同意、禿同の焼き直しだな
多数決ゲーム ある板の自治スレが全然まともじゃなくて
キチガイの集まりになってるという現象を見たことない?
たとえばある板に、迷惑なコピペ荒らしがいるとする
この荒らしに密着粘着して批判して回ってる奴がいて、
こいつがより迷惑になってるということがあるわけ
だがこういうのに限ってむしろ正義は我にあり、
いいことをしてるのだと思い込んでいる。
こういうのに自治スレを占領されるほんと目も当てられないことになる
実はこれネトウヨ現象そのものなんだよな
在日朝鮮人が諸悪の根源だと騒ぎ立てることで異常な暴れ方をする
まともな人は近寄れない
建前が匿名だとこうなることは避けられないのだろうか?
いや、荒らしに密着粘着して
批判して回ってる人のほうが多いのかな?w 何かを責める側はいつも正義ってことだろうなあ
逆ギレ発狂中の人をなかなかなだめられないしね
アイドル刺殺事件で待ってました!とばかりに
キモヲタファンを迫害する空気ができつつあるが
正直偏見を生むだけでなんの解決にもならないんだなあ ネットには巨悪と闘う人たちがいる
ネトウヨももともと「なんだこいつら?」と知らん顔で済むはずの存在だったが
ヘイトスピーチは法律で規制するところまできており
無視できない所まで来てる
つまり巨悪と闘う人たちに賛同する人達が生まれやすいし
エスカレートすれば悲惨なことになりかねないということだ
我々はそういう人たちとうまく距離を取っていかなくてはならない
もちろん大部分は知らん顔してるのだが
意外と加担してる人が多いのだ 舛添スレ伸ばしてる書き込みの半数以上、電通工作なんやろうね。
それにつられて義憤に燃えて書き込んでるアホ。
電通にまんまと釣られてるよね 『空気の研究』を社会学的に語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1464620127/
こんなスレが立ってたのは非常に残念
このスレやこの板に詳しくない人が思いつきで立てたのは明らか
>主に日本社会その他における空気について語るスレ
>山本七平の『空気の研究』だけじゃなく他の話題もOK
>社会学も統計的な話しだけじゃなく社会哲学や思想的な話もOK
他の話題もOK?何でもありのほうが人が集まると見込んだのだろう
これがとんでもない間違い
なんでもありの総合スレは何も得られるものは少ない
個人的に空気の研究のスレはあるべきだと思っていたが
結局この板には客観的に空気を語れる人はいない、と結論を出すしかなかった
というのもある一定の立場から見てる人ばっかりで
例えば政治なら安倍氏支持や反安倍の立場ありき
犯罪なら犯罪者を批判したりかばったりする立場ありき
ネトウヨなら在日なら特権階級が悪さをしてるという主張ありき
結局その場の空気に左右されたものの見方しかできてない
空気を客観的に捉えようとする人があまりにも少ないので
個人的には諦めたわけだ
ネトウヨのような叩きに情熱を燃やす人が出てきてしまうのは
根本的に不可避な気がしている >>227
その時点の空気があるだけでけっこう意見割れてカオスだと思う
まあ舛添をかばいたいならメディアで取り上げなきゃいいので
もうかばいきれないというのが本音だろう
でも逃げ切ったら舛添すごいと思う レッテリ貼り、断定、極論のコストが低すぎ
コスパ高杉とも 2ちゃんねるで、ある有名人や作品を扱うスレの場合、
本人が見てるかということが話題になる時がある
2ちゃんねるはひろゆきが誰でも見たり書ける敷居が低さ(誤用)を
重要視してきたことから、本人が目にするのはとても容易になっている
この手の話題で一番多いのはこんなクズばっかり集まるところに来るわけない、
という感じの書き込みだ。ここぞとばかり他人事のように住人批判してくるわけだ
こうやって簡単に論点がずれるわけだ
それはいいとしては、はたして本人は見てるのか?
本人に聞かないとわからんけど、では見るメリットはあるのか?
良い意見ならいいけど批判で本人が頭にきたり反論したりしたくなることがあるはず。
その場合反論はぜずに見なかったことにしたほうが良い
たとえ言い返せても論破するメリットがない。
結局見ないほうがいいということになる
見るメリットとして客観的な意見が見れる。
スランプ脱出のあるかもしれない。思いがけず褒められて気持ちよくなれる
等を挙げるかもしれんが客観的な意見かどうかは正直怪しい
なぜならその場の空気を脱した感想はまず出ないからだ
実際ひとりごとのツイッターならエゴサが趣味な人はかなりいるようだしそれはいいんだが
2ちゃんはアンチ的空気が発生してしまった場合上記の通りもう見る価値はないだろう
GANTZ作者の奥は2ちゃんは暇つぶしならいいが
作品の感想とかを聞いたら自信なくすだろうなあと言ってた。
ただし売れて食えてる今ならそこまで評価は気にはならんとのこと スランプ脱出のあるかもしれない。
↓
スランプ脱出のヒントがあるかもしれない。 ちなみに奥は自作品に2ちゃんねるそっくりな掲示板を登場させて
作品に取り入れてる 昔は、荒らしは相手しなけりゃいなくなると思われてたが
正直この考え方は古い
結局荒らしがいなくなるのを待つしかないだけであって
相手にするしないはあまり関係ない 個人的には明確なアンチ活動はしてないのでアンチの気持ちがわからん
興味ない娯楽作品は見ないしテレビも見ないが、かといって批判もしない
だが不平不満、批判をする権利があるのだと言わんばかりの
アンチがはっきりと存在しているし2ちゃんもその居場所を提供している
表現の自由だし否定はしないけど、気持ちはわからん
ネットでテレビ批判のニュースとか見るとまだ見てるやついるの?
とかいらん煽りする奴がいるがあんま好きじゃない
見てないなら文句言わんでもいいじゃん 匿名議論の限界
集合知否定論
みたいなの語ってるところどっかないかな ネット集合知というのは例えば
ネット民でとある問題を解くとき
人がたくさんいるほど精度が上がる、という現象だ
確かにテレビ番組のクイズなどを実況で見てると、
自分がわからない問題でも正解書き込みが出る
絵や音楽のパクリが話題になるとき
自分じゃ探しあてられなかったような証拠が出てくるのも典型的な例だ
小保方批判や佐野エンブレムのときの資料検証でも活躍していた
ただし、正解がはっきりしてる時に、正答する確率が上がるというだけの話だ
正解がわからない問題を正解に導き出すときに
このネット集合知を真に受けることはできない
所詮はアマチュアの実践知である
そもそも意見の調整というのはけっこう非合理的な手続きだからだ
資料
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/201661.html 20代男性の53.3%が「交際経験なし」 恋愛・結婚意識に「年収」は影響大
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1606/21/news136.html
おまえらときたらとか言って脈絡なく暴れる奴が増えるなあ デマ二郎、勝手に元教え子の卒論の写真をアップするな。 >>237
ネット集合知は試行回数が多いというだけの話で
議論が深まるとかそういうことはない また、元教え子の卒論写真をツイッターに晒している。
武蔵野大学は、このようなことをを許すのか?
情報管理規程はどうなっているのか? 他人の悪口は平気で言うが・・・
自分が言われるとひどく気にする。
自分勝手で変な人だよね。
きっと私生活でも一人ぼっちなんでしょう。
話し相手が全くいないのがよく分かるよね。
歳を重ねるごとに惨めになっていくは気の毒だと思うよ。 自分のことを、双極性だとか躁鬱だとか、呟いていたから、自覚はあるんだと思う。
かわいそうな人だが、
他人に迷惑を掛けたり、デマを流したりしては行けないな。
まあ、世界中に、自分が精神病であることを告白する時点で、なにかしら問題を抱えていると思う。 古き掲示板には横レスと呼ばれる現象があった
二人でレスの応酬してる時に途中から違うやつが新規に書き込んでくることを横レスという
横レスするなと怒りだす人もいた。横レス失礼というのも定型句になってる
2ちゃんの出現後横レスは死語となった
2ちゃんは一般の掲示板より空気をぶった斬りやすい掲示板でもあるのだ 2ちゃんとかでもよく見る「俺ら」とか「お前ら」って表現は
日本独特な所属意識じゃないかな
外国にもあるのかな 2ちゃんで大勢が1人をいじってるより
二人が一対一でで延々と言い合ってる方が痛々しく見えるのは不思議だな