>>324
後はな。脱成長論の貧困層への残虐性。
市民が国民に成り替わる議論のズレ。
このあたりを指摘したのも、嬉しい論点だ。

この高度成長期とバブル期に運良く儲けて資産形成した勝ち逃げ世代、というよりもたまたま負けなかったクラスタ。
こいつらの偏った「生活実感」「日常感覚」によって、どれほど貧困層・貧乏人が個人的な心から政策面まで傷つけられてきたか。
エリート大卒女性しかフェミニズムで助けるべき対象にしていない上野の言う「市民」なんて、米ならゲイティッドコミュニティやメガチャーチのロックのミサに通うような住人の慈善ごっこだろ。
日本なら高層マンションと、名門大学の同窓会、都市の勝ち組の集まるロックやジャズのライブハウスといったところか。
世代間格差はおろか、次世代の格差にもスルーと訳のわからない楽観論ばかりばかりなのは、これまでの講演での発言にも表れていた。
話の出来なさ、卑怯で自分勝手な逃げの姿勢に辟易したよ。
上野の言う、世代という名の富裕層は、ヒッピーにせよ反戦にせよ、経済問題無視。
人も社会も、貧すれば鈍ずるを無視。一部の特殊な個人の例外的・一時的な選択ミスと自己責任論に押しこめて、その問題の社会性は認めてこなかった。
まさにネオリベだ。