昭和22年にじいちゃんが早稲田文学(雑誌)に寄稿を依頼されて天に登る気持ちでその当時ようやく普及したボールペンで一気に書き上げた原稿が、翌朝見てみると全て滲んでて判読不能になっていたというのを生前に何度も聞いた。
じいちゃんはそれ以降鉛筆以外の筆記具を信用しなかったが、それくらい戦後すぐのボールペンは程度が低かったということでもある。
ま、その辺のボールペンの技術的な歴史はオートとかの社内に情報として蓄積されているから調べればすぐにわかる話よ