氷結の花を聴いてから中橋作品にはもう期待しないことにした。
あの人の作品は技法を技法として使っている感じが強すぎる。
本人の中にイメージがあって、それを表現するために技法があるという感じがしない。
目的よりも手段が先行しているんじゃないかなあ。
別に金太郎飴の作風でもいいけれど、その金太郎が魅力的じゃない。

>>542のいうように新技術を搭載しているのか知れないけれど、
結果として作品の魅力が薄いのなら、手段のための手段になっているだけだよね。

トータルで聴いたら同じような年代でも川島素晴とか山本裕之とかの方がよっぽど新鮮な作品が多い。
田村文生も金太郎飴だけれども金太郎の型に魅力がある。
佼成委嘱の山内雅弘や藤倉大も素晴らしかった。

要は中橋作品をはじめ、吹奏楽専門の人たちの歩みが止まっているんじゃないかな。
自浄作用が足りないのかもしれないね。
まあでも吹奏楽ばっかり書いている中でも天野正道だけは別格。
緑なんかは現場意識とプロ意識の両立を図った傑作だと思う。

長くなってスマン。